2024/11/20 <肘という隙間の操り方 節節貫通を目指して アイーン>

 

 『肘』というのは太極拳の八法の一つだ。(太极八法とは太極拳の基本の八つの動き。

捋、挤、按、采、挒、肘、靠)

 文字通り、肘技、エルボーだ。

 

 肘技の練習をすると肩や胸、上肢の使い方が身についてくる。

 すると、普通に拳で打とうが、掌でジーをしようが、相手の攻撃をリューで躱そうが、手を使う時に自然に肘、二の腕が使えるようになってくる。

 

 

 逆に言えば、そのような練習をしたことがない場合、多くの確率で”肘”は使えていない。

 ”肘”が分からないまま太極拳を続けても、四肢運動に留まり、ラジオ体操の域を超えない。

 まずは自分の手腕の使い方を見直すべきだ。

 そして、肘、二の腕が使えていないのが気づくことが大事だ。

 私自身は、自分が肘や二の腕が使えていないことを自覚するのに何年もかかった。師父は、しばしば、「肘のポンができていない!」と注意してくれていたのだが、その根本的な原因が自分の肘の意識がぼやけていることだと気づくまでに時間がかかってしまった。

 それに気づくと、太極拳のパズルが解けてくるようになる。

 ああ、そうだったのか〜、と他の部位についても同じような意識をもって見直すことになるのだ。

 肘関節は比較的扱いやすい関節だから、ここでその要領を知って、理解してしまえば、それが、膝関節でも股関節でも、肩関節、脊椎の関節・・・どの関節でも同じ原理が適用される。そうやって、身体中の関節が連動して体は一つのまとまりとして動いているのだ、と『節節貫通』が理解できるようになる。(たとえ全身が貫通していなくても、この延長線上にあるのだ、とはっきり分かる)

 

 

  肘は尺骨と上腕骨の繋ぎ目だが、その位置は思っているよりも上腕側にある。二の腕の一番下、肘頭の少し上に指で確認できる凹みがあるが、そこが、尺骨が上腕骨に組み込まれている場所、肘関節だ。

 

  

 が、普通、「肘を曲げて」、と言われると、どこに肘関節があるのか意識しないまま、私達はなんとなく前腕を上腕骨に近づくように動かしている。なんとなく前腕を動かして肘を曲げても、その時に上腕や肩を無意識的に動かしてしまっているため、関節が連動して全身運動をもたらすような”肘”の使い方にはならない。腰の王子の言い方を借りれば、「小手先運動」になってしまっている。 それでは太極拳にはならない。

 

図で説明してみる。

 

肘関節は上腕骨と尺骨の間の隙間。

この肘という隙間を隙間を使って、その次の隙間(関節)である、手首(前腕と手の隙間)や肩関節(上腕骨と肩甲骨の隙間)に影響を与えられるようにするには下のような3つの動かし方がある。

 

一つ目は、上腕骨を全く動かさずに尺骨だけ動かす(上腕骨に近づけるように)方法。ちゃんとできれば、二の腕が伸ばされて、肩関節の隙間が広がる。

 

二つ目は上腕骨を尺骨に近づけるように動かす方法。(前腕を動かさない)

これは腕立て伏せで体を床に近づける動きの時に使われる。(肩関節に力を入れず開いておけば、胸や腹に連動がかかる。)

 

三つ目は上腕骨と尺骨をともにお互いの方向に向かって近づけるように動かす方法。この方法が最も理想的だ。太極拳のリューもこの方法で引っ張る。(①の方法でリューをしたら、引っ張った相手が自分にぶつかって終わってしまう。②の方法でリューをしたら、相手を引っ張ったら自分が相手に衝突します。)

 太極拳に多いジー(推す)のもこの3つ目を使う。推手も然り。大事なのは、いかにジー(推す)をするか=腕を伸ばすか、ではなく、ジーをする前に以下に腕を畳むのか(肘を曲げるのか)だ。肘が正しく畳めていないと、腕を伸ばして推した時に腕だけで推すような小手先運動になってしまう。それでは全く威力がないし、何のために太極拳の練習をしているのか分からない。太極拳の醍醐味は、胴体のポンプ運動が手まで到達することで得られる。そのためには③のように畳む必要がある。それができると、肩甲骨も起動し、前鋸筋も使われ脇の力、胸の力、腹の力、足の力、と全身が連動するようになってくる。

 

   二の腕を使う、というのは、思った以上に難しく、しかし手を胴体化する要であるため、他のスポーツでも重要視されるところだ。二の腕の使い方が下手だと上半身のコントロールができないので、上半身が塊として下半身に乗ってしまう→脚にとって負担、股関節や膝に負担がかかる。

   バレエでもポールドブラと言って腕の動きだけの練習がある。これも二の腕をちゃんと使えるようにする練習だ。その腕がないと、ジャンプもピルエットも、脚を高く上げることもできない。

 

  腰の王子の「とんがりコーン体操」も肘を正しく曲げる練習だ。アイーン体操というのもある。志村けんは天才♪と王子がポロッと言っていたが・・・本当のアイーンはどうなのか? と動画を見たら、確かに、ちゃんと二の腕を使っていました。「アイ〜ン」と言いながらやると二の腕が伸びる。この口の形が二の腕を引っ張るみたい。いろんな顔や口の形をすることで連動がかかる・・・とはいえ、太極拳ではこんな顔はできません(笑)要領を掴んだら顔芸なしでできるようにすれば良いと思います。

2024/11/13

 

 胸椎の可動性、これは太極拳では見逃されがちだ。

 胴体を真っ直ぐに保つ、という単純な認識でいると、胴体はあたかも一塊の箱のようになってしまう。塊の胴体から四肢が生えているのはロボットだが、人間も老いていくとそのような体に近づいてくる。それに追い打ちをかけるような練習をしてはならない。

 

 各々の脊椎と脊椎の間は関節で可動性がある。

 関節は、一言で言えば ”隙間”だ。

 この”隙間”を意識して動いていくのが太極拳だ。

 筋肉や骨を意識して動くわけではない。

 私の師を含め中国のマスターたちは筋肉や骨で説明をしない。経絡と穴位(ツボ)で指導をする。「命門を開ける」という「命門」もツボの名前だ。背骨でいえば、腰椎の2番と3番の間。つまり、「命門を開けろ」と言われたら、腰椎の2番と3番の間の隙間を開ける、広げるようにする。脊椎間にはそれぞれツボがあるから、全部を開けられれば、どの脊椎も意識的に動かせるようになる。そこまでいけば達人(腰の王子レベル)。

 

 <以下、題目のみ。時間があれ後で書きます>

 

 ①骨と骨の隙間を見つけるには?

 ②その隙間を広げるには?

 ③頭を回す運動がチャンスー功の第一番目の練習として挙げられている。

 それは何故か?

 頭を横に向ける時に頚椎しか使わないのであれば、チャンスー功として取り上げられている意味がない。

 

 

  胸椎上部と頚椎は頭と同じ方向に回転するが、胸椎5番以下と腰椎はそれと反対に回る。つまり、背骨に捻りをかけている。

 

 ④胴体が真っ直ぐに見えても内側では捻りがかかっているのがミソ。

 ⑤眼法の基本 目が動き出す時に目玉と瞼を分離させる。太極拳の套路で目が手を見るのはその眼法の練習。内視と同じことになる。

 ⑥胸椎が硬いと腰に負担がかかる

   例えば、このブログを参照 https://ekoc2020.com/column/%E8%83%B8%E9%83%AD%E3%81%AE%E5%8F%AF%E5%8B%95%E6%80%A7%E3%81%8C%E6%9C%80%E3%82%82%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%AA%EF%BC%95%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1/

 

 ⑦太極拳の「含胸」は胸椎の可動域を増やすための要領  これをしないと胸椎を動かせない→四肢運動になる。また、「含胸」をする時に体を落とさない、引き上げておくことが大事。胴体は中に風船が入って浮いたようになるのが理想(上の写真の馮老師のように)。含胸は胸を凹ませることではなく、胸郭に空気を含むこと。沈肩とセットで行うことによって脇で呼吸できるようになる(外から呼吸が見えなくなる)。(含胸がきちんとできている老師はなかなかいないので、それができている老師に出会えればラッキーです。)

 ⑧女性は特に、体が落ちないように引き上げを注意する必要あり。太極拳は下に落ちるような姿勢をとるのでますます体が下がってしまう危険性がある。

 「気は落として体は引き上げる」

 足裏まで気を落とせないと体は引き上げられない。地面からの反発力を得るのが引き上げのコツ。地面を踏みしめているようでは反発力は得られない。これも馮老師のようなお手本的な動きをしっかり学ぶこと。

2024/11/2 <スポーツと養生法 四肢運動から内側へ 内視の重要性>

 

  健康で体に故障がなければスポーツを楽しめる。

  スポーツの語源は、”気晴らし”、”気分転換”。体を動かして楽しむ、ゲームをして楽しむ、観戦して楽しむ。

  スポーツの語源には健康を増進する、という概念はない。それは後から付け加えられるようになったものだ。”体を動かして気分転換をすることは、心身の健康を促進する”、といったように。

 

  日本の学校にある「体育」という概念は独特だ。心身の鍛錬をする、そういった目的が入っている。気晴らし、ではすまされなものがある。

  日本のような「体育」という授業のある国は珍しいようだ。私がいたフランスには「体育」という授業はなく、スポーツをさせたかったら親が自分でクラブなどを探さなければならなかった。アメリカやシンガポールも球技やゲームをさせるくらいで、中国ではスポーツは選抜組が行うもののような位置付けのようだ。(参照:https://haa.athuman.com/media/japanese/culture/2154/)

 

  ただ、中国には独特の概念がある。

  それは「養生法」だ。健康を保持促進し、疾病を防ぐための方法だ。体の弱い人もそれによって健康を取り戻す。

  養生をして長寿を目指す、というのは中国文化の根底にある道教的な概念で、中医学の基礎。ここから気功法も生まれてくる。

   

  太極拳が養生法になり得るのはそのベースが気功法だからだ。平たく言えば、呼吸を使って気血を全身に巡らせるものだからだ。横隔膜呼吸、丹田呼吸が必要になるのはそのためで、それができるようになると、背骨がバラバラになって(脊椎間の隙間ができて)体の中心から動くことができるようになる。

   

  病気は内臓に現れるもので、呼吸によって内臓が活性化すると働きが良くなる。体の内側が強くなる。よくある腰痛や膝痛も胴体の内側が動かないために胴体が塊になってしまっていることが根本原因で、背骨を使えるようになれば”浮身”がかかり、腰や股関節、膝への負担が減る。腰痛や膝痛の場合は積極的に”回す”と治りやすいのは、そこを回そうとすることでその部位周辺に”隙間”=ちょっとした浮身がかかるからだ。病院に行くと昔は動かさないように、と勧められることが多かったが、今では積極的に動かすことを勧める医者も増えてきた。

 

 (私は30代にスポーツ中左膝の前十字靭帯を断絶し、手術直前に担当医師が転勤してしまったため手術するのを諦めてしまった。うまく体重を乗せないと膝が滑って腫れてしまうため、それまでやっていたスポーツはできなくなってしまった。できるのはゆっくり慎重に動く太極拳だけ。この怪我をきっかけに運動は太極拳に絞られるようになった。結局いつの間にか膝は治っていて、10年ほど経った頃には、どちら側の膝を怪我したのかを本当に思い出せなくなって、病院に電話をして問い合わせたほど。

  靭帯の手術の名医を探して手術の日程まで決めて、それが直前にそれが流れてしまいがっかりしていた私。その時その医師に、「(手術をしなくても)、切れた靭帯が繋がってしまったりすることはありますか?」と聞いたら、「人体は神秘だからなぁ〜。」と答えたのを自分の都合の良いように受け取った。今、昔のことを思い出しながら、身体はうまく使えばちゃんと回復するんだなぁ、と思う。)

 

 太極拳は体を内側から鍛える作用があるけれども、それはあくまでも内側の練習をした場合。

 昨今広まっている太極拳は、ゆっくり動いているが、四肢運動にしかなっていないもの、もしくは、カンフーのアクロバットの見せ物になっているものが多い。

 

 ”内側の練習”と言って、何が”外”で何が”内”かが分からないで太極拳の練習をしている人は、まず、内側の練習はできていない。

 内側から動くためには、まず、内側を見ることができなければならない。

 だから、まず、『内視』の練習をする。

 太極拳は『内視』をしたまま行うし、その癖がつけば、ラジオ体操も腰の王子の体操も、みな『内視』で行ってすべてを内功にしてしまう。(そもそも腰の王子の体操はすべて内功です。ラジオ体操は内功ではありません。)

 ”道”とつくもの、はそもそも内視が基本。形は内視して内側から作られた形。形、型だけを外から真似している段階は入門以前だ。形から中に入って、やっと入門だ。

 

 内視は坐禅や瞑想で行うものと同じ。

 内視ができないまま練習を続けてもいつまでたっても外縁をぐるぐる回るだけ。養生法としては効果が薄いだろう。

 

 スポーツは勝敗や記録に気を取られやすく内視がしにくい。

 気晴らしをしている時点で内視は無理だ。

 体を酷使して鍛錬している時は、筋肉を意識したり疲れ、どこかの痛みを意識したり、もしくはそこから意識を外そうとしてみたり、と、やはり内視ができない。鍛錬している、と思った時点で内視が外れる。

 

 最近レッスンをしていて気づいたが、内視を導いてそれを維持させたまま動けば、目が正しい位置に定まるため、目の動きによって脊椎が上から順番に連動して動くようになる。腕の動きが全く変わってしまう。それが維持できれば、四肢運動になってしまっていた簡化24式が本格的な太極拳の動きに変わりうる。そのくらい内視は大事だ。

2024/10/25

 

  構える時に、「腰を落とす」という言葉を使うのを時々耳にするけれど、その度にトリッキー表現だなぁ、と思う。

  

  「腰を落とす」と聞いたら、「腰を落として」しまう。

  そうしたら、腰が塊でどかっと落ちてしまう。

  腰は落ちてはいけない。

  なんなら腰は浮いているべきだ。

 

  太極拳では「腰を落とす」という言葉は使わない。

  『塌腰』(ターヤオ)という言葉を使う。

  ”塌“という漢字の意味は、「崩れ落ちる」だが、それは、『松腰』の延長線上にある。

 

  太極拳を行う時に、まずしなければならないのが、『松腰』だと馮志強老師は書いている。しかしこれは太極拳に限ったことではない。運動をする時は必ずまず腰を緩める必要がある。「よ〜い、ドン!」と走り出す前の、「よ〜い」の姿勢。この時、無意識で腰を緩めている。腰は前弯から後弯に向けて形を変えているはずだ。

  

  腰を緩めるには、まず、生理的前弯(前方に沿った形)から後弯方向に変えられる必要がある。つまり、腰椎を動かすことができなければならない。

 

  では腰椎を後弯すれば(丸くすれば)『塌腰』になるのか?というとそうではない。

 

  <上の図>

  腰椎は前弯の時(腰を反った状態の時)、椎骨の腹側は伸び、背中側は縮む、緊張が残る。後弯の時(腰を丸めた時、前屈の時など)はその逆になる。

 

  前弯姿勢は椎骨の背中側が緊張して腹圧が抜けやすい。また、後弯では椎骨の背中側が伸びるのだが、この時に、腹圧が抜けてしまうと椎骨の腹側のラインが突破されたようになって椎間板ヘルニアやぎっくり腰を発症させたりする(くしゃみでぎっくり腰になったという身近な例あり。)

 

  共に一長一短あるため、理想は前弯でも後弯でもないところを目指す・・・五つの腰椎をまっすぐに並べるように・・・と、やろうとすると、結局は、仙骨を立てる(骨盤を立てる)ということになる。

  が、すぐにその境地に至らないので、まずは、腰を緩める(松腰。ほっとして息が深く入る時の腰が丸くなる方向へ”:腰の王子の「おやほうおやすみ体操」の「おやすみ」の方向へ)。

  この時、ただの”猫背”になってしまわないように注意!

  腰を丸くして前肩になってしまったら猫背だ。その時はきっと頭が前に倒れているだろう。こうなったら腹圧が抜けてしまうし腰にも悪い。行き過ぎだ。

 

  腰を緩めようとすると、他の部分も弛緩してしまってただのだらしない姿勢になりがちだ。ではどうするか?というと、息を使う。

  息を通すことで腰を緩める。

  横隔膜を動かす必要がある。

   

  このあたりは様々な努力が必要だ。

  腰の王子の三種の神器も然り、私がずっとやってきているタントウ功や内功もそれを可能にするものだ。

  腰椎の前弯と後弯を繰り返す動きを行ううちに、それが、行ったり来たりの往復運動ではなく、循環運動(円運動)になることが分かってくると、自然に、腰の緩んだ感覚、松腰の感覚が掴めるようになる。一言で言えば、”隙間”の感覚だ。

 

  そのような腰の隙間感覚があって初めて腰が引き伸ばされながら垂れ下がる感覚=塌腰の感覚が生まれてくる。そうなれば仙骨の意識も生まれているだろう。

  

  まとめると、「腰は落とさない」。腰は「下向きに引き伸ばして垂らす」。そうなるためには、”腰の隙間”の感覚が必要で、”隙間”を見つけるには”息”が必要だ。 

  そもそも丹田を作るのは内側に隙間を作って内側から脊椎と脊椎の隙間を作るため。

  腰の王子は丹田を作っていない人でもそれを可能にするメソッドを編み出している・・・おかしな発声や表情はバイタルになる。

 

2024/10/21

 

 歩く時に抜き足と差し足が入れ替わる(スイッチする)というのは武術ではとても大事だ。なぜ両足に体重を乗せてはいけないかというと、両足に体重が乗っている時は、”居ついて”しまうからだ。とっさに動くことができない、躱すことができないからだ。

 たとえば両足に体重を乗せて立っている時に、前から人が当たってきた時、体を回旋させても躱せない。片足に体重を乗せていれば体を回旋させて躱すことは簡単だ。(混雑した駅で前から来た人と衝突しそうになった時にどうやって躱すかを想定すると分かると思います。)

 

 私は若い時に卓球の選手だったので、その感覚は分かりやすいです。

 レシーブに入る前は、体重を右左右左、と左右の足に振ってから徐々に動きを止めてレシーブの構えに入る。構えても決してどっしりと両足に体重を乗せることはありません。静止中も重心移動を目に見えないくらい高速で行っている・・・これはタントウ功と同じです。

 

 ここで馮志強老師の運手(雲手)の動きを見てみます。本来の伝統的な太極拳(民間派)の代表。


 そして、世界武術選手権でチャンピオンだったことのある老師の雲手。(現在普及している規定太極拳の動き。)https://youtu.be/6bZdHwPUxw8?si=IVSnKotEa1V5DlBO

 そして2つを比べてみます。

馮老師は動画をどこで一時停止させても両足に体重のかかっていることはありません。

隙がない。

 

一方規定の動きでは両足に体重がかかっている姿が目をつきます。

右足に重心を移して左足を左に出した時の動作。

 

規定の老師の方は体が浮いて左足が胴体から断絶している。ここで左足をとられたらどうすることもできません・・・

本来は馮老師のように、右足と左足は常に股(骨盤、丹田)を介して一本につながっています。『圆裆』と呼ばれる要領です。股が緩むと規定の老師のようになります。(腸腰筋が使えていない、という言い方もできます。)

 

この2人の画像が面白いのは、同じ動作なのに目線が真逆、というところ。

 

全身の連動をさせると、左の馮老師のようになります。

 

理論的に説明するよりも実践で力の出方を試すと分かりやすいのですが・・・

 

簡単にいうと、頭部と胸郭と骨盤は頭部が右回旋なら胸郭は左回旋、骨盤は右回旋、となると、軸が通ります(脊柱運動、一軸、軸が真ん中に通ります。)

もし全てが右回旋になると重心が真ん中から右に移動してしまい不安定になります。(背骨は殆ど使われない、ニ軸運動、右、左と軸が移動する。)

このあたりは、私もよく知らずに劉師父から言われるがままやってたのですが、後に腰の王子の講習を受けてそれがとても合理的なことを知ったのでした。(日本の文化は二軸が多く左右運動、欧米系は回旋運動の一軸運動、と言っていた人もいますが、検証はしていません。 スワイショウもよく見るのは二軸運動ですが、劉師父にやってもらったら見事な一軸運動でした。太極拳は背骨の回旋がメインの一軸運動です。)


 上の馮老師の動きをみるとダイナミックで活き活きした感じがして、規定の方をみると平面的で息のとまった感じがするのは連動の違いです。連動すると呼吸も深くなる。体を固めて四肢で動くのは老化を加速させることになる・・・

  中国で当時国家が太極拳を国民のために制定した背景には、それまで国家にとって危険な活動だとされてきた気功や武術を国にとって安全なものにする意図があったとも言われている。実際、馮老師も国から認められるまでは肩身の狭い思いをしたことがあったようだ。国が制定したことによって太極拳は全世界に普及したが、結果、核心は抜け落ちてしまった。広く一般大衆に普及させようとするとレベルを落とす必要があるのは仕方ないが、そのうち、本物を知りたくなる人も少なくはないはず。私もそうやって徐々に学んできたが、その結果分かったことは、どの分野でも一流、達人と呼ばれる人たちは皆共通する体の動きをしているということだった。太極拳の核心は、単なる太極拳の核心ではなくて、全ての身体運動、心理運動、意識運動の核心だったということだった。太極拳だけにしか通用しないものは太極拳ではないのかも? 「太極は万物に通じる」という言葉が今はよく理解できます・・・

 

 ということで、下に画像で比較を表そうとしました。

 馮老師の動きだと、サッカーや他の競技にも通用しそうです。

 

2024/10/17

   椅子に座って坐骨で座面を推す練習から立位へ。
 踵で地面を推すには坐骨が踵を推す必要がある。所謂、ハムストリングスの起動。

 これができないと正しくは歩けない。

 前足が着地と同時に後ろ足は地面から離れている。両足同時に着地している時間がない。小さな子供はそう歩く。常に片足着地だ。

 大人は前足が着地してから後ろ足が地面から離れる。後ろの蹴り足が流れてしまって本当には地面を押せていない。根本的には坐骨が使えない、ハムストリングスが使えていないから。

  上の子供と大人の歩き方の違いが分かるだろうか?

 

 <前足に体重が乗った瞬間、>

 子供の後ろ足は完全に抜けている。(踵も膝も抜けている)。片足立になっている。

 大人はまだ後ろ足に体重が残っている。踵を上げていてもつま先まであげることはできない。膝が抜けていないからだ(後ろ足が後ろに流れている)。この時はまだ両足に乗っている。

 

左のような歩き方はごく普通だが、どちらも両足に体重が乗っている時間がある。

 

↓下の画像へ

 

 

ちょうど、「人」という漢字のような両脚の形。

横断歩道の青信号の中の人もこのような歩き方だが、実は、これは本来の人間の歩き方ではない。後ろ足のハムストリングスで蹴って歩いているのではなく、前足の前腿で歩いているからだ。

 

太極拳では特にそれを戒めて、「双重の病」と言う。

体重が両足に乗るということは、どちらにも動けない、ということだ。

 

左は興味深い映像。

やっと歩けるようになったばかりの子供の歩き方は、片足ずつしか歩けない。

まだ太ももの筋肉が発達していないから、足裏から頭までを真っ直ぐに立ててバランスをとって歩くしかない。

 

このように、右足と左足が重なることなく歩くことはサッカーでは当たり前の話。

下のような動画がありました。

 

このような歩き方は「スイッチ」と呼ばれるのかな?

 

太極拳を含め、足捌きが大事になる武術や武道の師達は必ずそのような歩き方をしています。上の普通の大人のような歩き方をする師はいません。

ある動画で大谷君が歩いている姿がありましたが、その時は、左足が前の時はきれいに歩けていましたが、右足が前になると前腿に乗っていて両足に体重が乗っていました。

この時だけがそうなのかな?

 

両足に体重がかかる時(右側)は前肩です。そう、前肩だと前腿に乗ってしまうのは必至。わざと疲れた感じで歩いていたのかもしれません・・・

 

ただ、足捌き、という点ではサッカーの選手の方が参考になります。

2024/10/9

 

  足の運び方(歩法)を正確に行う、行おうと努力する、というのはとても大事だ。

  歩法を正しく行おうと細かく動きをさらっていくと、姿勢、構え、重心、脱力、呼吸等の、根本的な問題が明るみに出てくる。今まで自分はなんて適当にやっていたんだろう、と気づく。街で見る人々が本当に無意識で歩いているのが不思議にさえなる。

  

  姿勢が崩れていればどうやっても正しく足を運ぶことはできない。

  裏返せば、正しく足を運ぶには、まず姿勢を直さなければならない。

  ここでいう”姿勢”とは、ただ”真っ直ぐ立つ”とかいうようなものではない。

  重心、脱力、呼吸、なども含めた、体の中で血やリンパなどが循環し、内臓が常に働き、神経が張り巡らされた、体の中身も含めた”在り方”だ。

 

  制定された簡化24式が面白いのは、同じ歩法が繰り返されるところだ。

  簡単に言えば、抜き足、差し足、この連続だ。

  起式と第三式までの歩法が正しくできるなら、簡化24式の8割以上は正しくできるだろう・・・

 

  と、今日、実際にオンラインのグループレッスンで簡化24式の起式から第三式あたりまで細かく歩法を見ていこう!とやってみたのだが、正しく足を運ばせる以前の準備に時間がかかって套路の動きまでつながらなかった。来週続きをやる予定。

 

  正しく足を運ぶ、というのはどういうことか、という一例を文章で書いてみる。

  例えば、起式の最も最初の

   <閉歩から右足に重心を移動して左足踵が地面から離れていく動き>

  ①<閉歩(両足を揃えて立った形)>から

  ②<右足に重心を移動>して、それから

  ③<左足を踵から持ち上げる>

 

  この動きのミソは②と③が同時に起こるということ。

  しかも、胸から上は動かない(相手と両手を組んだ状態で、こっそり右足に重心を移動して左足を地面から浮かせても相手に察知されない、相手の背後に不意打ち的に回り込む方法)

  日本武術太極拳連盟の『太極拳実技テキスト』の記述を見ても

 「重心を徐々に右足に移しながら、左足をかかとから徐々に持ち上げる」と書いているから、②と③は同時になされるのは分かると思う。問題はどうして②と③が同時に起こるのか?しかも、”徐々”に?

 

 youtubeでいくつか動画を見ると、①から②③になる時になぜか体が下に落ちて少し背が低くなるのが決まりのよう。それは、”重心”を右足の上に移動させているつもりで、”体の重さ”を右足にかけてしまっているからのようです。結果として骨盤が落ちて右膝から左膝への重心移動のようになってしまいます。

 

 問題は”重心”の捉え方。

 重心を感じられなければ、それを移動させることはできません。

 重心は左足と右足で地面を突っ張った結果、腹の中に感じられる点(範囲)です。通常はこれを”丹田”と呼びます。

 単純に②で右足に体重をかけてしまうと、体は下方へ落ちて、重心は消えてしまいます。もしくは、重心は膝にある?なんてことになってしまったらとてもおかしなことになります。重心は腹の中のどこかにあるべきで、腿や膝にあることはありません。

 

 そして、重心を右足に移動させるときは、必ず左足は地面を踏み込んで蹴る必要があります(背屈限界から底屈へ転換)

 ③で左足の踵が持ち上がってしまうのは、右足に重心を移動させようと左足が地面を蹴るからです。左足は蹴って右に重心を送ったらそのまま地面から離れてしまいます。一方、右足は重心が送られてくるにつれ踵を踏み込んでいくような動きになります(背屈がキツくなる)。

 左足は蹴り足で、抜き足です。右足は差し足です。抜き足がないと差し足はできません。

 差し足を先にしてしまうと重心は落ちて(消えて)前腿、膝で体重を支えることになってしまいます。

 

  左足が頑張るから右に重心が移動します。

  

 

 今気づきましたが、そういう意味では、「右足に重心を移動する」というのも正確ではなさそうです。「右足の土踏まずの上方に重心がくるように、左足で腹の中の重心を右の方へ移動させる」と言った方が正確かも。

 

 結局、ここの動きは普段の歩行と同じです。③で上がった左足をそのまま下におろして、今度は右足を蹴り足にして左へ重心移動すれば、右足が上がります。左右繰り返せば、その場歩きの練習。

 また、蹴り足が上がっていって踵で止めずに、踵を使って膝も抜いて上げてしまえば、『提膝』になってしまう。股関節の屈曲がしっかりできます。こうやってできた『提膝』は腿で膝を上げる『腿上げ』とは違って骨盤が後傾しないので片足立の安定感が段違いになります(腸腰筋を使えるというメリット)

    

  

2024/10/8  <抜き足 差し足 モデルウォークから>

 

  バレエの先生のブログが興味深かったので紹介します。

  https://ameblo.jp/balletstudiobeat/entry-12820927385.html

 

  ここで紹介されているモデルウォークのレッスン風景の動画はこれ。

 

 動画を見れば、誰がちゃんとできているのかは一目瞭然。

 この動画を見たバレエの先生のコメントは太極拳にもそのまま当てはまる。

 

 ポーズとポーズの練習になってしまって、繋ぎの練習になっていません。

流れをポーズに分解する練習は良くないです。」

 

 そう、ちゃんとできている1人の人を除いて、他の人たちは、足を上げて止まることに気を奪われて、そこに至る過程を一つづつクリアすることを忘れています。

 平たく言えば、片足立でそこでふらつかずに静止できるかどうかは、片足を上げてみてからどうにかするのではなく、上げようとする時には既に大丈夫だと分かっていなければなりません。

 上のモデルウォークも抜き足、差し足の連続ですが、後ろ足をどのように抜くか、うまく抜けるか、で、ぐらつくかどうかが決まる。抜いていく時に完全に軸足の上に背骨が乗らなければ抜き切った時に片足立ちは安定しない。

 

左の画像 

右足(後ろ足)をこれから抜くところ。

この姿勢でもう結末は見えています。

 

左端の女性は完璧。背骨も肩の位置も頭の位置も申し分ない。

彼女をお手本として右側の4名を見るとわかりやすい。

 

左から2番目の女性はそもそも体が捻れているし、前足(左足)の上に左腿が乗っていて上体が後ろにそっくり返っている。背骨のコントロールが足りない。

 

 左から3番目の女性は仙骨を前に入れようとしているのだが、その分上体が後ろに反ってしまっている。腹筋(丹田)が足りない。

 左から4番目の女性は腰が反ってしまっている(腰椎を足でホールドできていない)。

 一番右側の女性は胸が前に出ている=胸椎が反っている=含胸ができていない。一番左側の女性と比べると胸の感じが違うのがわかると思う。

 

 実際には背骨を正しく立てることはとても難しいので(私も不完全)、かなりの訓練が必要。だけどもそれは、頭を真上に立てて行う運動(普通の暮らしもそうでは?)には必要な訓練だ。訓練をしなければ、シナリオ通り、加齢とともに姿勢は崩れ、杖をついて歩くようになる。そのくらい、二足で立つのは難しい。立つには絶え間ない訓練が必要だ・・・

2024/10/7 <抜き足 差し足 和の所作から 仙骨を中に入れる意味>

 

  足に着目してのは、そもそもは『提膝』からだった。

  

  実は、提膝というのは、”抜き足”から作られる形で、簡化太極拳であれば起式の閉歩から右足に体重を移して左足の踵をそろりと”抜いて”膝が曲がった形、ここが”抜き足”だ。そのままつま先まで抜いて膝が高く上がると”提膝”だが、起式ではそこまで膝上げずに左足のつま先を地面に下ろしていく。つま先が着地してそこから徐々に足の骨がバラバラと踵まで着地する、これは”差し足”だ。

 

  抜き足と差し足の説明は、例えばhttps://hina.sakura.ne.jp/noh/?p=849 を見てもらえれば良いかなぁ。

  <上のブログで紹介されている練習方法>

  ①右足重心で左足を上げて(抜き足)それから下ろす(差し足)、左足重心でも同様。それができたら、

  ②右足重心で左足を上げて(抜き足)前方に着地(差し足、)そこから抜き足をして後方に着地(差し足)。左足重心でも同様。

 それができたら③左右交互に抜き足差し足で歩く・・・〜忍び足へ

 

  但し、抜き足差し足忍び足の前提は、構え! ようは立ち方! https://hina.sakura.ne.jp/noh/?p=824 に説明があります。正座からの立ち座りで構えの要領を身につける。私たちがしゃがむ動作(双腿昇降功)で立ち方を学んだり、バレエダンサーがプリエで立ち方を学ぶのと似てるかなぁ。

 いずれにしろ、抜き足差し足の説明で上のブログに書かれているように、

 しっかり右足に乗り重心が前にかかっているのを確かめてから、左足の踵をゆっくり上げます。」

 というところが大事。

 

 軸足に乗った時に”重心が前にかかっている”

 というのは、言い換えれば、仙骨が中に入っている、ということ。

 仙骨が後ろに出ている(仙骨にもたれかかったようになっている)とお腹が引けて腹に丹田を作っていられない、という言い方もできます。

 

 下は以前6/24のブログで使った画像ですが、

 

 

 この6月のブログでは腸腰筋に着目して放松との関係で2人の弓歩を比較していましたが、これを仙骨が中に入っているか否か、に着目しても似たような結論になります。

 

 右側の赤い服の方は仙骨が内側に入っていて重心が腹(前)にある。

 左側のグレーの服の方は、仙骨が入っていなくて腹が後ろに引けている。重心が後ろに残ってしまっている。

  そうすると、ここか前進しようとした時に、赤い服の方は、そのまま腹にある重心を前に運べば、自然に後ろ足(右足)が抜き足になるが、グレーの服の方は前に移動しようとすると前足の太ももに引っかかってしまう(=右足の骨を使えない)。腿に体重を乗せてしまうと後ろ足も抜けず腿から動くことになってしまい悪循環。

 

 仙骨が中に入っていると、足の骨で立つことになる。

 仙骨が入っていないと、腿で立つことになる(足裏まで気が通らない)

 

 そういうことです。

2024/10/7 <足の骨と背骨との関係>

 

  先週も引き続き”足”を焦点にレッスンをしていたが、教えれば教えるほど、”足”の奥深さに驚く。

  対面のレッスンでは、”どこ”に立つのか、強制的に修正してみたが、すると、皆、これまで使ったことのない足の骨、部分を使うことに驚いていた。そう、師と呼ばれる人たちは皆、”足”を大事にする。腰の王子も足の骨全て(28個)を全てバラバラに使う、と言っているが、それは本当だと私は今は分かる。

 

  足の中にある骨を使うには、まず、そこに体重をかけられなければならない。

 つまり、重心が正しい位置にないと、足の中の骨の全てを使うことはできない。ほとんどの大人はすでに重心が後ろの方にあるので(=仙骨が後ろに飛び出てしまっているので*最近の腰の王子で仙骨についての動画がありました。)、足の中足骨を含め、多くの骨が癒着したまま動いている。

 足の中に重心を置けるようになると、足の骨が背骨と対応していることに気づく。

 仙骨や腰は足根骨、胸椎下部は中足骨、頚椎は足の指の腹より先っぽだ。

 

 今週の対面レッスンでは、それぞれの生徒さんの背骨の状態を見て、たとえば猫背(胸椎の後弯)なら中足骨を踏むこと、逆に肩甲骨と肩甲骨の間の胸椎が落ち込んでしまっている人には、足の指末端の力を抜かせてその代わりに中足骨のアーチを高くすることを提案してみた。案の定、足の骨の使い方を変えれば背骨のアーチは変わった。自分の足で自分の背骨を踏んでいるような感覚が取れるようになると、自分で調整することも可能だが、最初のうちは、気づきを増やしていくしかない。

 その気づきをタントウ功や基本の動功に取り込めば、それらの練功の質が一変する。

 少なくとも、私はそのような経過を辿ったが、そうなるためには、足の骨がそこそこ動いて強くなければならない。動く、ということは癒着していない、ということだ。まずは、丹田を作ってそれを回しながら、足の中の骨の癒着を取っていく・・・ということになるだろうか。

 そして、その丹田を作った時に積極的に仙骨を前に入れられるようになること、それが非常に大事だ。私自身は若い時に仙骨を後ろに出して卓球をやりこんでしまい、外反母趾になってしまった。仙骨を後ろに出してしまうと、足の前の方にしっかり体重をかけられなくなるからだ。が、仙骨を前に入れる重要性を知って少しずつ矯正していくと、足の指も使えるようになってきた。すると、背骨が足で踏める、足の骨で支えられることが分かってきた。背骨が的確に自由に動かせるには、その下に対応した足の骨が必要だ。ただクネクネさせても、動くところが動くだけで、動かないところは死ぬまで動かない。もし胸椎4番と5番の間を動かしたいなら、足で胸椎5番の上部を固定しておいて、胸椎4番を動かそうとすればその二つの間の関節は動く。二つの骨を適当に動かしても関節は動かない。関節をピンポイントで動かすためには足の中の骨が非常に細かい作業をする必要があるようだ。

 

  最後に仙骨を内側に入れる、ということの大事さを指摘している王子の動画を紹介します。(最後の最後に言っています。結局、背骨周りが硬くなるのは仙骨が飛び出ているから、という論理構成。 ただ、残念なのは、どうすれば仙骨を中に入れられるのかについては”秘密”にされているようです・・・)

 

 <続く> 

 

 

2024/10/1 <ある生徒さんの質問に答えるためのメモ 餡子の話>

 

  頭の中を整理するためのメモ。

  あるオンラインレッスンの生徒さんからある提案を受けて思案中・・・

 

  その生徒さんは、動功を学びたいということで、動功だけの個人レッスンを不定期で行っているのだが、本人はなかなか上達しないと感じ、「実際には動功は套路と共に学ぶ必要があるのではないか?」と考えだしたという。「動功と套路は相乗効果があるに違いない、ならば、套路(24式)も学ぶ必要があるのではないか?」ということで、私に意見を聞いてきた・・・・

 

  簡単に答えれば、その通り。ぜひ24式も学びましょう!、ということになる。

  が、んん? 彼の問いにはどこか立ち止まって考えさせられるところがある。どこだろう?

 

  実は、動功だけ学ぶ人、というのは滅多にいない。

  通常、内功を学ぶ人は、タントウ功と動功をセットで学ぶ。混元太極拳のベースは気功法なので、本国では気功法だけ学んで套路はやらない人もいる、と聞いたことがあった。気功法というのが、ここでは”内功”(内側、丹田の開発)と呼ばれ、静功(タントウ功)と動功を指す。

  太極拳の套路というのは技を連ねた動作の流れで、一路と二路があるが、二路は実践、一路はその基礎をなすという位置付けがあり、一路は気功法的に学ぶ。気功法的に套路の動作を行うことができるようになるのが一路を学ぶ目的で、その基礎ができた上で二路をやれば、太極拳の実践的な動きになる。が、もし一路で気功法的な動きを学ばずに二路をやってしまうと、少林拳や長拳、空手などの外家拳と変わらないような力の出し方になってしまう。つまり、内功があるからこその太極拳で、内功なしに太極拳をやっても太極拳の技にはならないから、太極拳もどき、にしかならない。

 

  ということで、内功(静功と動功)は套路の動作の”餡子”のようなもの。

  そしてこの”餡子”自体は、そもそも太極拳だけに使うものではない。この”餡子”は道家が養生法として編み出した功法、中医学の核心に位置付けられるものだ。

  中医学における人体の三宝「精気神」、これらのエネルギーを蓄え、循環を行うのが内功の目的だが、これが太極拳の”餡子”になる。形ができても餡子が少なければ威力がない。生命力が少ない、ということだ。

  端的にいえば、生命力を上げる、威力を増す、というのが内功。これなくして武術をやっても踊りにしかならない・・・

 

 

  AI による概要

中医学における「精気神」は、人体の生命活動の根本を示す「三宝」として知られています。

「精気神」のそれぞれの意味は次のとおりです。

「精」は人体を構成する基本物質で、成長や発育のための生命エネルギーを指します。両親から授かり腎臓に貯蔵された「先天の精」と、飲食物を消化・吸収して得られる「後天の精」があります。

「気」は生命活動の原動力(エネルギー)を表します。気の種類には「元気」「宗気」「衛気」「営気」などがあります。

「神」はすべての生命活動の統率者(こころ)を意味します。広義には人体の生命活動の外的な現れ、狭義には精神・意識・思惟活動を指します。

 

 

  このように太極拳の練習のあり方を思い出した上で、冒頭の生徒さんの問いを考えると、動功を上達させるために必要なのは、まずは静功だということになる。

  動功がただの”動き”にしかならず、餡子が感じられないとしたら、餡子を増やす必要がある。これが静功だ。

  ただ、立つ、座る、という功法だが、外側の動きを止めることにより、内側の動きが活発になる。深く眠っている時に新陳代謝、免疫作用が活発になるのと同じだ。疲れた時、病気の時に静かに横になる、眠るのはそのためだ。動いていては傷もなかなか良くならない。  

  外側を止めて内側の動きを高めて、意識も内側に集中させる。

  これが一番の養生法であり、内側のエネルギーを高める方法だ。

  そうやって丹田の気(餡子)を増やしてから動功をすると丹田の動き、気の流れを感じられるだろう・・・

 

  が、かといって套路が動功に役立たないとは言えない。

  通常は動功→套路、で、動功をやることによって套路の動きが理解できるのだが、套路のある動きがどの動功をベースにしているのかを意識して行うことで、套路自体が動功になる。同じ理屈で、最終的には套路自体が、タントウ功になる(という)のだが、どちらにしろ、その境地に至るにはかなりの年月がかかるだろう・・・

 

  では私はその生徒さんにどうアドバイスをすべきなのか?

  まず、タントウ功を積極的にやることを勧める。坐禅も併用するとさらに効果的。いずれにしろ静功はマスト。

  その上で24式を学ぶかどうかは、本人の興味次第。太極拳自体に興味があるなら学べばよいし、興味がなければ無理して套路を学ぶ必要はないかなぁ。もしくは、套路を全て学ぶのではなく、練習している動功に関連した式を取り出して、単式を教えてもよいかも。そもそも太極拳の套路は流してやるのが目的ではなくて、単式で取り出して技も研究しながらやるもの。単式をいくつか学んでいくうちに太極拳の套路がどういうものかも分かってくるだろうし。

  ということで、結論としては、まず静功、そして興味があれば単式練習。

  これでいきましょう!

 

 

 

2024/9/30

 

  足を使うにも丹田が必要・・・というのは、体が落ちてしまうと足の骨も一塊になってしまうからだ。

 王子の最近の「浮見」に関する動画はとてもレベルの高い内容だが、「浮身」は太極拳的に言えば胴体の中で丹田が広がった状態だ。丹田を作ることによって内側から骨をバラバラにする、その結果、”浮く”。胴体が気の体となった状態だ。

 胴体が浮くときは足に根が生えたようになってどっしりする。上虚下実となる。そして動きは俊敏になる。

 王子のような体使いができるのは達人だ。

 が、私たちが最初に知っておきたいのは、上の動画の6’45”あたりで話している、腰椎5番と仙骨の癒着、これがあると腿は骨盤と癒着し股関節はうまく機能しない。大人の大部分はそうなっている。だから、太極拳の練習では、まずこのあたりの癒着をとっていく練習が必要になる。これができないまま太極拳をし続ければいつか膝や股関節に支障が出てくる。

 太極拳の内功はそのための準備をするものだ。丹田を回すことで、内側から骨と骨の癒着を引き剥がしていく。そしてその前提として、丹田をつくる功法がタントウ功、坐禅だ。気を溜めるにはしばし静止するのが合理的。 20代前半までならタントウ功は少なめでいい。先天の気がまだ多いからだ。・・・<続く>

2024/9/27

 

   体重を足に落とす。当たり前のことのように思うのだけど、それが難しい。

 「足に気を下ろせ!」と言われて、それがすぐにできるようになればかなりレベルが高い。最初のうちは、足に気が下りているのか否かが自分で判断できない。

 

 

 2019年のレッスンでは、師父が生徒さんの弓歩の姿勢を直しながら、最後に、「身体を落とすのではなく、気を降ろせ!」と言っているのが印象的だった。

(https://youtu.be/Qn9a2kLPnpU?si=xP2wUFrcoT9zSvt-)

 

 本人は足に気を下そうとしているのだけれども、そうするとズンズン背が低くなる。体が落ちている。

 どうしてよいか分からない・・・

 

 

 師父の弓歩はこちら。

 両脚の張りが上の生徒さんとは違うのがわかるだろう。

 脚は弓になる。(五弓:背骨と四肢は弓になる)

 弓はしなっている。

 =上下に引っ張り合いになっている。

 

 師父の両脚は、上(頭)→下(足裏)の流れだけでなく、下(足裏)→上(頭)という地面の反発力を使った気の流れも合わせもっている。

 上の生徒さんには頂勁はないが、師父には頂勁がある。

 

 丹田という観点から見れば一番簡単かもしれない。

 上の生徒さんは丹田を失っているが、師父は丹田を保持している。

   丹田というのは、上→下と下→上という気の流れ、呼気と吸気を併せもっていないと形成されない。丹田を失わずに体を落としていけば気は簡単に足裏に落ちる。

 

   

簡化を練習している人は、「膝をつま先よりも前に出さない」と言われているせいか、前足の膝が前に出るのを故意に止める癖があるようだ。

 https://youtu.be/K4K2oekjPkQ?si=P77qVLQKNhJW-UG1

 Youtubeにたくさんの動画をアップしているこの先生も「膝で止めるように」と指導している。

 が、これは大問題だ。

 陸上の短距離走の選手や、サッカー選手が走る時に、前足が着地するたびに膝で止めていたらすぐに膝を壊してしまうだろう・・(というよりも、そんなバカなことを考える人はいない。卓球の重心移動でもテニスの重心移動でも同じだ。)

 

 このような下半身を見れば、これはちゃんとした弓歩での歩法だと分かる。

  (https://youtu.be/SYCxT-CUYzQ?si=Pj9TofH-va-ZNh1d)

 

  上の先生の体重は前腿に乗ってしまっていたが、この先生の体重は足に乗っていっている。脛下がしっかり使えているのは上の劉師父と同じ。

 上の先生は脛下が使えていなくて足裏から反発力を得られていない。

 大きな問題は股が開いていない(円裆)

になっていないこと。股が開かなければ内側ハムストリングスは使えない(運動するのにそこが使えないのは大きな失点になる)。股を開くには仙腸関節が使える必要があるし、仙腸関節を使うには腰椎と仙骨を引き離しておく必要がある・・・・各々の脊椎をできる限り分離させておく必要性(だから丹田を作って練習するのは合理的)。脊椎が癒着している状態で腿だけ使って太極拳をするのは危険かと。

 

  上の4枚の写真の、それぞれの人の靴の中を足の状態を見ようとすると、最初の生徒さんと3枚目の黒いズボンの先生の靴の中の足はのっぺらぼうのようだ。

  これに対し、2枚目の劉師父と4枚目の先生の足は靴の中で開いている(足に張りがある)。

  弓歩の前足も後ろ足も、その足の足底筋膜は張っていて、中央が引き上がり、全体として吸盤構造になる。これを師父は「足裏を扣にする」というし、腰の王子はそれを「浮き足」という。手の平も労宮を引き込んで”空”にするというが、足裏も手のひらも”空”、”浮かして”おくことができるのが達人だ。

  最近のレッスンではもっぱら足首と足、手首と手の関節の開発の重要性が分かるように教えていたが、それは私自身がその重要性を痛感するようになったからだ。

  実は、足裏(足底筋膜)がしっかり起動するようになると、腰椎や仙骨が伸び癒着が取れるような感じになる。足裏がドラえもんのようだと、脊椎は癒着してしまっている・・・というように、足と背骨は面白いほどの相関関係があるのだ。

  背骨の開発から足を開発できるし、足の開発から背骨の開発もできる。

  この対応関係はタントウ功で明らかになるし、そもそも太極拳はゆっくり動くので、足裏を着地させていきながら、自分の足があたかも自分の背骨を踏んでマッサージしているような感覚を確かめることもできる。

  師父は、「足裏は体全てを知っている」と言っていたが、タントウ功、内功、套路、いずれも、足裏の感覚は丹田と同様、失うことはない。そのためにも、くれぐれも膝で止めないように。足の中の骨をバラバラにしていけるような攻めの練習ができたらよいなぁ。

  

2024/9/24

 

  足の関節について説明したレッスンの一部を動画にアップしました。

  足の中を動かすのは難しいので、手で導くのがおすすめ。

  ということで、手で要領を理解してから足へと進みました。

 

  足・足首が子供のように動くようになれば、膝は足で操作することが分かります。

  私たち大人はもはや足・足首が不自由なので太ももで膝を操作している・・・これが膝を痛める理由です。(改めて解説します。)

2024/9/18

 

 前回のメモの続き。

 そろそろ結論に入りたいところ。

   AさんとBさんの中腰姿勢、注目してもらいたいのは脛から下です。

 

 

上半身はほぼ同じようでも、脛の立ち方、即ち、足関節の背屈がどのくらいできて踵を引っ張り出されるかで、立位のバランスは全く変わってしまいます。

 

しゃがもうとした時に、まず足関節を動かせるかどうか。

小さな子供はとっさに足関節を動かしますが、大人になると足関節は最後の最後。

前に倒れそうになると、腰を曲げてしまって、股関節でさえ動かせない。股関節にロックがかかっているからですが、股関節にロックがかかっていれば、足首はさらにロックがかかっています。

 

 

 子供を含め体の操作が上手な人は、股関節を使う前に足関節が使えています。

 足関節→膝関節→股関節、という感じです。

 上の動画の子を見てみると、しゃがむ時に、頭から会陰まで、つまり「胴体」は杭(円柱)のようにまっすぐなまま。円柱の胴体の形を全く変えないまましゃがもうとしているのが分かります。

 もう少し大きくなれば、前屈みもできるのでしょうが、最初は前屈みになれないんだ〜(なるほど)

 

 まさにタントウ功のタントウは『站桩』(杭のように立つ)という意味ですが、やっと立ち上がった子供の体は杭にしかならない(折り曲げられない)ようです。

 そうすると、どうやってしゃがむのか?

 

  最初のトライは失敗。お尻を落とそうとしてひっくり返りそうになる。

  そして再度トライ。

↑画像①

 お尻を落とそうとして、胴体が足首の上にまっすぐ乗った時、よし、いける!、という感触。この時、脛下は準備完了(足関節と膝関節はこの位置でOKと確認)

 

 ↑画像②

 

 あとは①でセットした脛下を頼りにお尻を落とす(股関節の屈曲をする)だけ。


 

 

 そして下の4枚は、立ち上がり方。

 

 大人がしゃがむと左のような姿勢が途中に見られるが(https://youtube.com/shorts/HjMlQfNnTj4?si=NY1H6ym74sL97MIE)、赤ちゃんの姿勢の中に左のようなものはありません。

 赤ちゃんは裏腿(ハムストリングス)も未発達なので、もっばら”足”(脛は足指の延長です)で立ち上がっています。

 (「膝下はfoot , 腿はleg 」 by腰の王子)

 

 大きな違いは背骨の柔軟性。背骨が自由に動いているか否か。大人はしゃがむ時に背骨の形を変えられないので、”スクワット”になってしまいます。

 スクワットをすると体が分断し、膝下、足先まで気が通らないので太極拳では使いません。腹から足先まで経を通すようにしゃがみます(動功の双腿昇降功です。)

 

  上の大人のしゃがみ方では、”膝がつま先からでないように”という意識が強過ぎて、太ももに過剰な力をかけて膝を固めてしまっています。膝を固めれば足関節も固まる。股関節だけに頼ったしゃがみ方になってしまう。本当は赤ちゃんのように、膝関節と足関節のロックを外してから股関節を緩めるべき・・・  (急いて結論だけ書きました)

2024/9/13 <AさんとBさんのしゃがみ方から学ぶこと 子供と大人の違い>

 

  昨日の最後の問いに対し、私なりの回答を書いてみます。

 

 

 まず、昨日の左の画像を見て、

「Aさんはきれいにしゃがめるだろうけど、Bさんは途中で引っかかるなぁ。」

と直感的に感じます。

 なぜそう感じるのか、その正確な理屈を私は書けないのですが、「もしこういうポーズをとった人間像があったとしたら、このまま自立するか否か?」と問いながらAさんとBさんを見た場合の答えの導き出し方と同じだと思います。

 

  

 「自立しなか否か」という観点から見た場合、Aさん像は、自立するかも、しかし、Bさん像は尻餅をつきそうだと分かると思います。Bさんは重心線がまっすぐ足の裏に通っていないような感じです。。もし立たせるなら、足の踵をもっと後方に引き伸ばす必要がある・・・・踵の長さが足りない、とい印象。

 

  こんな印象を前提に、実際に二人がしゃがんだらどうなるのか予想して図を書いてみました。

 

 

 

まずAさん。

 

Aは子供的なしゃがみ方。

 

しゃがもうとすると頭は前に出ます。

 

 そしてBさん。

 

 Bは大人のしゃがみ方。

 

 しゃがもうとすると、頭は後ろに動こうとします

 

   太極拳に限らず、それなりに体を使おうとするなら、子供のようにしゃがめる必要があります。でないと、パフォーマンスがかなり下がります。Bさんがひたすらジョギングをしたらいつか膝や足首、その他に支障がでる可能性は大きいです

   

   太極拳の場合は、基本姿勢が”腰を落とした”姿勢なので、正しくしゃがめる必要は大です。

   腰を落としているつもりで、体を落としてしまっている(尻餅状態になっている)のが実際には多いのが現状。それはそもそも正しくしゃがめないからです。Bさんのようにしゃがんでいては正しい馬歩や弓歩はできません。しゃがむ練習はバレエのプリエと同じ、基本中の基本功です。

 

   ”しゃがむ”というのは、”体を緩めてエネルギーを溜めている姿勢”。

  

  太極拳の虚霊頂勁から始まる一連の要領は何も太極拳だけの要領ではありません。

  全身を連動させて一つにして動くための要領、すなわち、子供のような体の使い方をする要領です。

   しゃがむ時にも沈肩は必要だし、含胸、抜背、塌腰が必要です。

   大人はしゃがむという動作を下半身の動作だと思いがち。

   かがむ、とか、しゃがむ、という動作は全身の動作です。

 

   太極拳の弓歩や馬歩も全身動作です。下半身だけではどうにもならない・・・

   腕は上半身の動き、脚は下半身の動き、といつまでも上半身と下半身を分断して考えていると太極拳の動きにはなりません。

   

   最近、腰の王子の「ここからクルン♪」体操が、実は下半身で腕を回す練習でもあることを知りました。実はあの体操は太極拳の腕の動きにそのままなっています。

   『力は踵から出る』、すなわち、拳の力は踵、足から繋がっている。

   膝から下でしゃがめるようになると、とたんに質が変わります。

 

   下半身の力、というとすぐに股関節や腿を思い浮かべますが、脛から下を開発しないことには土台ができません。

 

   ということで、またここで問います。

 

  そもそも、AさんとBさんは、何を違えて描かれたものでしょう?

  上半身は全く同じです。下半身のどこを意識的に変えて描かれているのか? そこがポイントです。

2024/9/12 <背屈と底屈は下肢を制す 脛下で膝が曲がる しゃがみ方 その1>

 

  足の背屈・底屈が子供の時と同じくらいできれば、膝が痛むことはないだろう。

  股関節や腰が悪い人も必ずといってよいほど背屈と底屈が苦手だ。

 

  背屈と底屈は赤ちゃんの時に訓練してきたもの。手足のグーパー、グーパー、そしてずり這い、ハイハイなどで足の指や足底筋膜を鍛えている。これができるから赤ちゃんはその他の筋肉が未発達でも立つことができるようになるのだ。

 

背屈と底屈、というのは、左の図の「足底筋膜」を伸ばしたり、縮めたりすることに他ならない。

 

「足底筋膜」は踵の骨と中足骨の先端を繋いでいる。

だから、背屈や底屈をする時に、足の指を使って反らしたり、戻したりしてはならないのだ。

 

 

 太極拳の虚歩というのは、背屈と底屈に他ならない。

 この時、背屈の虚歩(踵をつけてつま先を上げた形)にしろ、底屈の虚歩(踵を上げてつま先を地面につけた形)にしろ、いずれにしても、踵がスッこ抜けてはならない。

 というのは、背屈で足底筋膜が伸びたにしろ、底屈で縮んだにしろ、踵の骨にはアキレス腱が付着していて、どちらもアキレス腱に連動し、それは膝裏まですぐに連動する。膝裏までいけば、そこにはハムストリングスが付着していて、それは坐骨まで繋がってしまう。

 つまり、足の背屈底屈という形は膝裏の操作の準備であり、すぐに坐骨まで、ということは股関節まで連動させてしまう形なのだ。だから、虚歩の足は相手にとって脅威になる。どこからどんな脚技が出てくるか分からない。(太極拳の中で虚歩は技を隠した”暗脚”になっている)

  


 太極拳の虚歩というのは、背屈と底屈に他ならない。

 この時、背屈の虚歩(踵をつけてつま先を上げた形)にしろ、底屈の虚歩(踵を上げてつま先を地面につけた形)にしろ、いずれにしても、踵は絶対にスッこ抜けてはならない。

 というのは、背屈で足底筋膜が伸びたにしろ、底屈で縮んだにしろ、踵の骨にはアキレス腱が付着していて、どちらもアキレス腱に連動し、それは膝裏まですぐに連動する。膝裏までいけば、そこにはハムストリングスが付着していて、それは坐骨まで繋がってしまう。

 つまり、足の背屈底屈という形は膝裏の操作の準備であり、すぐに坐骨まで、ということは股関節まで連動させてしまう形なのだ。だから、虚歩の足は相手にとって脅威になる。どこからどんな脚技が出てくるか分からない。(太極拳の中で虚歩は技を隠した”暗脚”になっている)

 

  背屈と底屈の練習の仕方もいろいろあるが、それは割愛して、話を進めて書いてしまいます・・・・

 

  背屈をすると、膝の裏は伸びる。”膝の裏を伸ばして背屈をするように”と言われることもあるが、本当は、”膝の裏が伸びるように背屈をする”。背屈で膝の裏が伸びる=連動するようになれば足から膝までは、まさに腰の王子が言うように 『foot』になる。膝から下は足の指で操作できる。

  背屈で膝の裏が伸ばせるようになったら、底屈も膝の裏が抜けないようにやる。すると、底屈で膝の裏が動くのが分かるだろう。実は、底屈をすると膝が抜けて膝が曲がる。

これを”膝抜き”と呼んだりするそうだが、これこそが『提膝』だ。

  膝は太腿で操作をするのではなくて足➕脛で操作する。

 

 膝を上げようと思って太腿で上げるからおかしなことになる。

 膝を曲げるのに太腿を使う意識は子供にはない。

 膝下を曲げればよいのだ。

 

  

 

  

←https://youtu.be/IcUvn7C9BHc?si=HSgnK5iii9ETlCBZ

 

 子供達が頭を倒さないようにしてそろりそろりとしゃがむ練習をしています。

 

 前にいる二人組の右側の女の子が上手です。降りる時に脛が前に倒れてしっかり背屈になっています。

 

  彼女の相手(黒いタイツの子)は途中までは良いのですが、最後にそれ以上脛が動かなくなってお尻が落ちてしまいました。(背屈:足の中の骨が使い切れていない)

  その後ろの二人組のグレーのタイツの子は、完全に尻餅をついています。

  よく見ると最初からつま先が浮いてしまっています。足がうまく使えていません。

  足の中が使えないと背屈ができないので脛が動きません→膝を動かせないので上体が落ちてしまいます。

 

  最近の子供はしゃがめない子が増えたといいます。もしかするとそれを憂えた大人立ちがこんな運動を子供達にさせているのかもしれません。が、実は私たち大人こそ、こういう練習が必要です。

  大人はうまくできても前列の黒タイツの子程度です。

 

  例えば https://youtube.com/shorts/-rPDnkMWXCc?si=LJcC-i7UXegDqsMb

  やはり背骨が硬いかな。もっと放松して自然に座れるようにしたいところ。

 

  私は絵を描くのが苦手なので伝わるかどうかわかりませんが・・・

  

 

 左のような、AさんとBさんがいます。

 途中までしゃがんでいるところを描いています。

 

 さて、この二人がそのまましゃがんでいったらどうなるでしょうか?

 

 少し考えてみてください。

 続きはまた書きます。

2024/9/10 <全てを緩めては行けない 健康法の原点>

 

 あるシニアの友人が子宮脱になったという話を聞いて、最近考えていたことの回答が見つかった。

 

    オンラインで教えている生徒さんの多くは現地で簡化24式を学んでいる。

 昨日のレッスンでは背屈・底屈を丁寧に教えていたが、そこから発展して、搂膝拗步の拗步の仕方を細かく見せてもらった。レッスン後もいくつか動画を見てみた。

 

 簡化の教える時には、「腰を緩める」とか「腰を落とす」、そして「付け根を緩める」(股関節を緩める)といった、”緩める”や”落とす”という言葉がよく使われている。

 なるほど〜

 ”緩める”とか”落とす”とだけ言われるものだから、ますます体が落ちていくのかも。

 肝心なところまで緩んでいるのだ。

 それは、そう、会陰や肛門だ。

 ここは絶対に緩めない。引き上げておく。

 引き上げができれば引き下げもできるようになる。

 引き下げは”緩める”のとは違う。

 

 結局、『放松』の仕方の問題。

 私が師父にタントウ功を学び始めたころは、師父は女性の生徒さんには最初から恥骨を持ち上げろ、と言っていた。私は日常生活で気づいたら引き上げる、落ちていたら引き上げる、という練習を癖がつくまで繰り返すように言われた。

 ただ当時の師父は男性に対しては、全身がある程度緩んでから、会陰や肛門を引き上げるように教えていた。最初から上げさせると力が抜けない、という理由だった。

 が、最近師父と話していたら、今は男性に対しても最初から提会陰や提肛を要求するらしい。そこだけ閉めて、それ以外の全身は緩める。そうすれば丹田に気が溜まる。

 

 実は、『提膝』も一番大事なのは会陰、下を引き上げることだ。

 ここが引き上がらないと腿上げになってしまう。

 

 下げたまま太極拳をやると、痔になったり膝や股関節を壊す結果になりやすい。

 ”緩める”という下向きのベクトルばかりが強調されるが、実は、その反対の”引き上げ”という上向きのベクトルの要領も多いのだ。

 

  先週は、眉毛を上げると提膝が簡単、腰椎が伸びる、と面白おかしく伝えたが、眉毛を上げると会陰は引き上がる。

  提膝には足の背屈底屈が正しくできる必要がある、と今週は教えているが、足の背屈底屈も会陰と連動する。もし足首を動かしても会陰の奥が動かないとしたら、背屈と底屈は正しくできていない。

 

  昨夜のレッスンで搂膝拗步をしてもらった時、「踏实」というような要領がある、と生徒さんから教わったが、この足を前に踏み込んで、しっかり踏んだ時は、必ず会陰は引き上がっている。というのは、しっかり踏んで足裏から地面へと気が流れる時は土踏まずは必ず上がっているからだ。土踏まずが下がっている時は会陰が落ちている。夕方になって足がむくんで大きくなるのは、体の力が減って会陰が下がってくるからだ。

 

  簡化でほとんど見られない『圆裆』も、言われてみれば、会陰を引き上げた結果できるものだ。ただ股を開いただけではどれだけ開いても『圆裆』にならない。

 上のいわゆる”師”というレベルの人たちは必ず会陰がものすごく引き上がっている。

上の崔老師や馮老師は、ぴちぴちのズボンを履いているから股間が見やすく、キュッと引き上がっていて美しい。下の劉師父は前後開脚をしているが、前後開脚をするには会陰をかなり引き上げる必要がある。

 私は以前、馮老師は睾丸を動かしてみせたことがある、と聞いたことがあるが、それを劉師父に言ったらそれは周天をしていれば自ずからできるようになる、と言っていた。私の勝手な憶測だが、男性は股間に意識がいくことが多いだろうが、女性は股間に比較的無意識なのでは?問題があって初めて向き合うようなところがある。日頃から背屈や底屈をしながら内側の筋肉を動かして子宮が落ちてこないようにするのはどうだろう?

 

 加齢とともに内臓は落ちていく。太極拳が養生法と言われるのは、下を引き上げないとできない拳だからだ。会陰の引き上げというのは、健康法の原点だ。会陰を引き上げないでスクワットをしていたら意味がない・・・筋肉をどれだけ肥大化させても内臓を養うことはできないのだ。

 放松(力を抜く)というのはただ力を抜くのではなくて、体の内側が伸びるようにすること。それには上向きと下向きのベクトルが必要になる。ただ下に引っ張っても内側の隙間は開かない。

 

  ↓先月使った画像。

  上段のヨガのポーズ。

  左は会陰が引き上がっている。右はほとんど引き上がっていない。やはり左が良い。

  (引き上げないと背骨が伸びない。実際、左の方が背骨が伸びている。)

  下段の練功服の広告写真。ただの真似っこのポーズだと分かるのは会陰がみな落ちているからかも。

2024/9/8 <『提膝』から学ぶこと>

 

 今週は引き続き『提膝』絡みの練習。

 『提膝』を教えようとしていたら、結局、下肢全ての関節を総動員しなければならないことに気づいてしまった。

 

 結論から言えば、『提膝』がきちんとできるなら、

 

 ①骨盤(寛骨)と大腿骨を分離して使えている

 ②膝のお皿が大腿骨と分離して動いている

 ③足首の背屈と底屈が足の指の力ではなく距骨の動きで行われている

 

 つまり、股関節、膝関節、足関節が全て構造通りに動いている、ということだ。

 

 教えていて気づいたのは、練習をするなら、③の足首の背屈・底屈の練習からすべきだということだ。いきなり①をやろうとすると、そもそもそれができているのかどうかが自分で判断できない、という生徒さんが多い。

 面白いのは、「できているのかどうか分からない」という時は、ほとんどの場合ができていない。できている時は、できているのが分かる。(「私は悟っているのでしょうか、どうなのでしょうか?」と聞く人は悟っていない、というのと同じ?)

 

 ①ができているのかどうか判断する一つの方法が、②だが、これも、膝のお皿が動いているのかどうか分からない、という人がいる。この場合は、単純に膝回しをしてもらう。普通、膝回しをする時は膝のお皿と大腿骨や脛の骨の間に隙間をとろうとしているはずだ。膝をゴリゴリさせて膝回しをする人はいないだろう・・・

 

 

 『提膝』は歩行時の後ろ足の蹴り足の動きに他ならない。

 

https://www.tokushukai.or.jp/treatment/orthopedics/shitsugai-kansetsusyo.php

 

この図には、

「脛骨大腿関節」=いわゆる”膝関節”

と、

「膝蓋大腿関節」(膝のお皿と大腿骨の隙間)

の2つの関節が記されています。

 

詳しい解説は上のリンクの説明を読んで下さい。

 

膝のお皿が動く、というのは、「膝蓋大腿関節」が機能しているということです。

 

前腿(大腿四頭筋)の膝上あたりにいつも力瘤を作ったようにしていると、お皿が固定され動かなくなってきます。大腿骨も前へ前へと押し出されるので、次第にお皿と大腿骨の距離が近づき、膝を痛める原因になります。

  膝のお皿は上向きに引っ張っておく必要があります。

  大腿四頭筋(前腿)は上向きに引っ張る、ということです。

 

③の足首の背屈と底屈は、正しく行えば膝関節と連動します。

 

”正しく”というのは、距骨と脛骨・腓骨からなる「距腿関節」を動かす、ということです。

詳しくはこちらのサイト参照

https://mysole.jp/kyokai/column/archives/571/

 

残念ながら、左の図のように、つま先を剃り上げて背屈をすると、距腿関節はほとんど動きません。背屈が距腿関節で行われると、脛の骨が後方へ動くので、膝の中で膝が伸びるような動きが連動します。

 

 

 そして、その背屈を前提として、反対向きに動かせば(底屈をすれば)、膝の中で膝が曲がるような動きが出ます。

 

  この連動を使った有名なポーズが、マイケルジャクソン ポゥ!です。

 

  足首の底屈と膝の屈伸が連動すれば、自ずから、股関節も連動し体が安定します。

 

  底屈を足の指でやっているようでは連動はしません。

 

 

           

 

 

上の画像は、私が2024/6/11のメモで使ったものです。

 

  背屈・底屈に着目した場合、ここにでている大人は誰も正しく足首を使えていません。

”足の指を使って蹴る”という意識をもつと距骨はすっ飛ばされてしまうからです。

距骨は踵の骨の上にあります。

踵の中を使うような意識が必要です。

大人達の膝が不自然に伸びているのは足首と膝が連動していない証拠です。

 

  それに比べて、左上の子供が歩いている姿はお手本。

膝が連動で曲がって前に振り出されています。

 

  足首の距骨の運動で膝の屈伸が起こり、それによって大腿骨が振り出されると自ずから大腿骨と寛骨が分離して動きます(股関節が関節として機能します)。

 

  

 

 

左は2024/6/14のメモで使った画像。

 

ここで岡田くんは「お尻を落とすことで膝が前にでない」と説明しましたが、

言い換えればそれは、「骨盤を動かさずに大腿骨を動かす(屈曲をする)」ということです。

   

「膝を曲げると膝が前に出る」と言っているのは、「骨盤を動かして膝を曲げると膝が前に出る=膝のお皿と大腿骨が引っ付いてしまう=関節として機能しない」ということ。

 「尻を落として打つの武術的」の中の「尻を落として」というのは、「骨盤を立てたまま=仙骨を伸ばして気を下ろして」ということ。「尻を落とす」時は大腿骨を前方に押し出さないこと。大腿骨はそのままで、尻だけ落とす(つまり、骨盤と大腿骨を分離する)ということです。結果、大腿骨の付け根を後方に引いたようになるので、大腿骨の付け根から膝までの距離は長くなります=坐骨、ハムストリングスが使われます。

 

 そして、「お尻を落とした」時、カチッと足首の関節がハマる、といった関係になります。

 

 そういう目でみると、ボクシングの世界チャンピオンの形は本当に完璧です。

 

 今週は、上の①②③をそれぞれなんとかして理解させるのが私の課題。

 ①が分かる方法は今日の練習で発見したので試してみます。

 

 <追記>

  岡田くんと二人で写っている画像の二人の後ろ足をみると、世界チャンピオンの方がしっかり床を蹴っている(推している)のがわかります。岡田くんの後ろ足は膝で少し力が漏れているかなぁ?きっと腰の問題・・・(世界チャンピオンと比べるのは酷ですが、ついでに書くと、チャンピオンは命門(腰)が開いていて、足の力が背骨を貫通しています。岡田くんは命門が甘い。)

2024/9/3

    股関節を緩める前には必ず腰を緩める必要がある。腰と股関節は密接な関係がある。師父はいつも腰と股関節をセットで扱う。

 それは何故?

 腰の王子も、腰痛の原因は股関節がうまく使えないことだ、として、おじぎ体操を推奨する。

 今週のレッスンでは、生徒さん達に尋ねてみよう。
 
 なぜ股関節がうまく使えないと腰痛になるのか?
 そしてまた、なぜ腰が緩まないと股関節が使えないのか?

 自分でよーく考えてみるのも練習になる。

2024/9/2

 

  今週のレッスンの題目。

  先週からの流れで 『提膝』がらみ。

  提膝というのは、結局『単腿』(片足立ち)。

  ただ、”片足立ち”といっても、重心は体の中心。文字通り、”片足だけ”で立っているわけではない。

  結論から言えば、左右の腸腰筋が働いて重心を体の中心に通して立っている。

  

  <下の画像>

  右 https://mainichigahakken.net/health/article/32-1.php

  左 https://ourage.jp/karada_genki/exercise-stretch/346820/

  

 

  上のような片足立ちは太極拳では行わない。(やっても実際の運動の役に立たない。)

  というのは、

  左側は片足のみで立ってゆらゆらしながらバランスを取る練習。太極拳やスポーツでは(サッカーをイメージすると分かりやすい)、ゆらゆらするような立ち方はするわけがない。

  これに対し右側は、片足で立った時にバランスをとるために、上げた足の足首と前腿にロックをかけている。これは上げた足を固めることによってバランスをとっているのだが、こうすると、上げた足の股関節やその他の関節は自由に動くことができなくなる。上半身も固まっている。『抬膝』の典型的な姿だ。

 

  では下のような片足立ちはどうだろう?

  https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/column/20/060500006/010600037/

  

  こちらは上に比べて随分安定している。特に右側の足のあげ方は足首も抜けていて上半身も放松していてとても良い。このように上げるには腸腰筋を使う必要がある。腸腰筋は左右についているので、右を上げようとすれば左は降りる(連動する)。

  ただ、右側の膝上げは、「90度に上げよう」と思ったせいか、膝を上げる軌跡を間違えてしまっている。『提膝』なら膝は胸に近づくように上げる(そうすると腸腰筋が使える)。

  左の画像に比べて右の画像の上半身の胸が前に出て放松がなくなってしまったのは、足の上げ方を間違えたせいだ。

  『提膝』であれば、上半身は放松したままのはず。

 

 

  と、このあたりは復習。

 

  気づいたかもしれないが、提膝の時は足首の力を抜くのがポイント。

  ここが固まると膝も固まる。膝が固まると膝のお皿が滑ってくれない。

  膝が上がる時にお皿が上に滑らないと、寛骨(骨盤)が太腿と一緒に動いてしまう。

  寛骨と大腿骨が引っ付いて動いてしまうということは、股関節が使えない、ということだ。

 

 

参考までに。

 

左はバレエの基礎レッスンだが、そこでは、股関節から足を上げる訓練を徹底的に行う。

つまり、骨盤を動かさずに大腿骨だけを動かす練習だ。

 

やってみると分かるが、そのためには、体幹部にかなりの力(内力)が必要だ。太極拳でいうところの、「丹田を失わない」ということと同義だ。

 

ゆるい体で足を上げると骨盤と大腿骨は分離できない。

 

ただ、”蹴り”の場合は、ただ太腿で蹴っても大した出力にはならない。

骨盤と太腿を分離して太腿を出した上で、その上に骨盤の力、そして胴体の力を乗せていく(加えていく)。

 

  力を乗せていく(連動させていく)には、まず、分離させておくことが必要。

 ←このような上げ方は(本当の)太極拳ではあり得ない。高く上げようとして骨盤を必要以上に動かしてしまい、相手を蹴るという、”出力”ができない状態になってしまっている。

 観客に見せる(何を?)ための太極拳?

 

 

 本当の蹴りを見たくなってブルースリーの動画を探しました。

 太極拳の蹴り方とは少し違うけれども、骨盤と大腿骨の分離は当たり前。でないと、こんな蹴りはできません。

 片足立ちのオンパレード。

 普段私たちが両足でしか立っていないのとは対照的。蹴りをしようとすると嫌でも体幹部を使います。腰は要。

 脚が腕のようだ・・・爽快!!

 

 (大腿骨と骨盤を分離することで、脚を使う時に大腰筋にスイッチが入ります。普段の歩きも同じ。 このあたりをレッスンする予定。 )

2024/8/31

 

  提膝の大元は虚歩だ。

  虚歩から膝の位置を高くしたのが提膝だ。

 

  どうやって正しく虚歩をするのか?

  虚歩を間違えると提膝はできない。

 

  簡化24式の起式、并歩から左足を虚歩にして膝を上げ、そして開歩になって着地、この部分に『提膝』が含まれている。

 

ランダムに動画を拾ってみました。

左上:https://youtu.be/XM5xnwPcNR4?si=T7WOB9cbu_4H0Ce8

右上:https://youtu.be/0DEc7anh2Ts?si=la8536eGjM4YL15a

左下:https://youtu.be/ILMj840r3sU?si=LpUxMcMI-my7X5pU

右下:https://youtu.be/RxQhocwB568?si=vy3aGTVIRMSr0uJ_

 

 この部分の動作は、相手と搭手(手を合わせた)状態で、相手に気づかれることなく回り込む時などに使われます。片足を動かした時に、合わせた腕や手を通して相手に察知されてはいけない。つまり片足を動かした時に体が動いてはいけません。

 骨盤が動くと体が動きます。

 だから、こここそ、大腿骨から動かす必要がある。

 

 上のクリップを見ると、右下の老師以外は、皆、左足を上げようとした時に体が右に動いています。これは骨盤が動いている証拠。骨盤から足を上げようとすると上げる前に体は反対側に移動させなければならない。骨盤を止めて太ももの付け根から動かせると、左足を上げようとする=虚歩になる(足首の底屈運動が起こる)と同時に、右足は地面を踏む(右足首の背屈)になる。右足と左足の入れ替え運動だ。

 

 右下の老師は左足を上げようとして背が低くなっている。これは骨盤を落としてしまっているせいだ。これでも正しく動けない。

 

 虚歩のなり方、虚歩については改めて書く必要があると思うが、とても大事な点は、虚歩になる時は距骨が滑る必要がある、と同時に、膝蓋骨も滑る。

 提膝の時も膝蓋骨が上向きに滑る。

 膝蓋骨が滑らないと腿上げになる。

 

 股関節を緩める、というのは、寛骨と大腿骨骨頭の距離を開ける、ということだが、そうすると、必ず、膝のお皿は上方に滑る。

 膝のお皿の滑りが悪いと膝を痛める。

 と同時に、動く時に、膝のお皿が動くように動く、というのも大事だ。

2024/8/27 <提膝 骨の上端と下端、隙間の武術>

 

 『提膝』(膝を吊り上げた(結果吊り下がる))と『抬膝』(膝を上げる)の違いをはっきりさせようというのが先週からのレッスンの目標。

 実はこの違いが太極拳の核心に関係する。

 今すぐにできなくても、頭で理解をして、あとは、”それ”ができるように訓練していけばよい。

 

 ちなみに、『提膝』と『抬膝』の中国語での違いをchat GPTで調べたら、『抬膝」は日常的に行われる膝盖を持ち上げる簡単な動作、『提膝』は武術など特定の運動で行われる膝を意図的に上に引き上げる動作、とのこと。

 ん〜、”意図的に引き上げる”というところに恐ろしげな含みが入っていますが・・(苦笑)

 

 とりあえず、よく見る『抬膝』は下のような動画で紹介されていました。

 下の左側:https://youtu.be/jnMTejEW8VY?si=RgaChW7CRjEs0vE_

 右側:https://youtu.be/yjrNmL8R4H8?si=Eyp-pZgPpLSypasG

 

https://youtu.be/0D0SIcjLwNA?si=RcP1sW4wx-HQeKcD

 

この椅子に座ってやる方法は、医者がよく勧める方法。

大腿四頭筋を固める方法です。

ここを固めると大腰筋が使えない・・・結局、腰が使えず全身の連携が途切れます。

 

  では『提膝』は? 

  とざっと動画を調べても的をついたものは出てきません。

  唯一、やはり、ここでも腰の王子が核心をついた話をしています(提膝について語っている訳ではありませんが。)

 

  結論から言えば、『抬膝』では股関節が使えていない。

  というのは、寛骨(骨盤)と大腿骨を一緒に動かしてしまっているから。

  (股関節が使えないということは、大腰筋が使えない、腰も使えない、ということ)

  

  「いや、膝を上げれば股関節は屈曲運動しているではないですか?」と思うかもしれないのですが、王子が動画で説明しているように、”膝”を上げよう、と意識した時点で、膝(という本当はないもの)を固めてしまっている→股関節も固まってしまう=寛骨と大腿骨骨頭が一緒に動いてしまう。

 

 では『提膝』は?

 『提膝』を行うときは、ダイレクトに膝を上げようとはしません。

 「膝が上がるように」します。

 

 どうやって膝が上がるようにするのか?というと、

 背骨を長く下に伸ばして骨盤を立てたまま股関節屈曲をする、という感じです。

 言い換えれば、気を腹底の方まで沈めながら、含胸・抜背・塌腰をするということ。

 <骨盤を立てたまま=骨盤を動かさずに、大腿骨を動かす>というのがポイント。

 

 (提膝で発勁をする際は、大腿骨を動かした後で寛骨を動かして、力を加えます。速い動きではそれを瞬時に行います。)

 

上で紹介した王子の動画で説明していることですが、

<膝を上げよう>とすることは、<大腿骨下端と脛骨上端をくっつけて上げよう>としていることに等しく、その場合は、”必ず”、股関節を構成する<寛骨と大腿骨骨頭>がひっついてしまい、膝を上げようとすると骨盤までずるっと動いてしまいます。

つまり、<膝を上げよう>とすると股関節(という隙間)は使えません。

 

股関節に隙間がないと骨盤はブレて、上半身と下半身の連動は断絶します。

  全身をいかに連動させるか(周身一家)を核心としている太極拳にとっては避けなければならない動き方です。

 

  王子の説明であるように、<大腿骨の上端を動かすことによって、大腿骨下端を動かす>ことができれば、全身の連動を開始させることができます。大腿骨の上端や大腿骨の下端という”骨の端っこ”を意識できるならば、隣り合う次の骨の端っこも意識できる=動かせるはず。すると骨が次々に連動して全身に連動がかかる。これが全身の連動の原理です。

  太極拳は”隙間”を重視しますが、それは<関節>が骨と骨の隙間だからです。隙間が見れるなら、2本の骨の端っこと端っこが意識できる。まさに王子の言うところと同じです。

 

  『節節貫通』、というのは、関節が貫通する、という意味ですが、これによって『周身一家』が完成します。

  が、まずは、<関節>、すなわち、骨と骨の隙間、が意識できるようにならなければならない。<内視>の練習が必要になるのはそういうことだからです。

  

  タントウ功や内功には必ず『内視』の練習が含まれています。

  套路でも内視をし続ける必要がありますが、最初は静止状態や簡単な動きの中で内視を失わない練習が必要です。

  内視によって丹田を作り、丹田が失わないように動く=内視を外さない、練習をすることで、関節などの”隙間”も見えるようになります。

  丹田自体が大きな隙間。

  腹の中に伸縮可能な隙間を開けておくと、体の中の関節も隙間として見えてくる(意識できるようになる)。勁もその隙間を通れるように隙間を開けておきます。「気を通そうとする者は滞る、意で通そうとすれば通る」という言葉は、勁を通す際に陥りがちな過ちを正してくれます。気を通そうとすると隙間がなくなります。意で隙間を開けて気を通す。「気を運ばずに、気を行かせる」(運気ではなく行気)というのも同じことです。

 

  結局、太極拳は”隙間”の拳。少林拳や長拳、空手などと違う、内家拳の特徴です。

 

2024/8/23 『<抬膝』と『提膝』>

 

https://youtu.be/6DSK3bUjehk?si=xyhcI_rm3fPCcf3g

 

いわゆる”カンフー”系でやられている右のような膝上げは、正確には『抬膝』です。

『提膝』では軸脚が地面を踏むと連動してもう片足が上がります。”足踏み”現象が起こります。左右の腸腰筋の連動です。胴体で立っているという感じで、腸腰筋を通って腕と脚もつながります。

”平衡を保つ”といった感覚は、前提としてぐらぐらするからですが、きちんと『提膝』ができると足を上げ始めた瞬間から連動がかかるのでぐらぐらしません。平衡を保つというよりも、体内の気を膨らましておく、という感覚。

2024/8/19 <大腰筋と内転筋の連動、『提膝』の意味>

 

 股関節を屈曲させる時には、お腹から内腿に走る縦線(ライン)が消えないように・・・と生徒さん達に教えている。

 

 言い換えれば、股関節から脚を使わない、お腹から繋げて使う、ということだ。

 

 実は、これは大腰筋を使って脚を動かす、ということに他ならない。

 お腹から鼠蹊部を縦断して内腿に達する線・・・これは、大腰筋と内転筋を連動させる、ということだ。

 ←https://sennrioka-nakamoto.net/archives/3413

 

腸腰筋(大腰筋➕腸骨筋)が内転筋につながっていく様が見られる。

 

太極拳で丹田で脚を動かす、というのは、まさにこの筋肉の連動を引き起こさせている。

 

 

 この点については、腰の王子のブログが非常によく説明してくれている。さすがだ!!

 

  https://ameblo.jp/tategoshi-japan/entry-12412434109.html?frm=theme

 

  大腰筋と内転筋を繋いで立たなければしっかり立てないということだ。でないとぐらぐらする。

  片足立ちでぐらぐらするのは、足を上げた瞬間、大腰筋がOFFになるから。

  太極拳では足を上げる時には、まず膝を上げる(提膝)。

  太腿を上げるのではなく、”膝”=大腿骨の下端、をちゃんと上げられれば、大腰筋にスイッチがはいる。

 

  ここで問題なのは、どうやって、(大腰筋にスイッチが入るように)膝を上げるのか?ということ。

 

  ここで太極拳の要領に使われている語句がヒントになる。

  『提膝』という言葉の意味だ。

 

  普段は<膝を上げる>と訳しているが、正確にはそうではない。

  <膝を上げる>と中国語で言うなら、【抬起膝盖】だ。,<持ち上げる>には『抬』(tai)という漢字を使う。

  なぜ 『抬膝』ではなくて『提膝』なのか?

 

  『提』は、<提げる>という意味だ。

  ショルダーバッグは「提包」だ。

 

 私の頭の中には、酔っ払ったお父さんがお土産を提げて帰ってくる、といった場面の画像が・・・

 

  適当な写真が見つからなかったので、左のようなカプセルトイの画像を載せます。(https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2311/04/news046.html)

 

 

    つまり、『提膝』は「膝を提げる」という意味。

 

    「えっ?どうやって膝を提げるの?」と聞かれそうですが、ふふふ・・・それは今週のレッスンで生徒さん達にやってもらいます。

   試しに家で主人にやらせてみました。

   まず、膝を上げてもらう。それから、私が補助をして、「膝を提げ」させました。

   「どう違う?」と聞いたら、「最初のは腿に力が入る、後のは腹筋に力が入る」と思った通りの答えが返ってきました。

   すごいすごい!

   

 

   これを体験すると、上で紹介した腰の王子のブログの中に埋め込まれている動画の中で、王子が大腰筋を使う要領は、一言、「△△」と言っていたのが腑に落ちるでしょう。

   レッスン楽しみ〜。

    

2024/8/17<股関節の緩み お腹を伸ばせるか、腸腰筋が要>

 

  今日のレッスンでも鼠蹊部を緩める練習。

  ヨガのチャイルドポーズから始まって、正座、正座からの膝立て座り、立ち上がり・・・と基本的な動きを、”下腹部を引き伸ばして太腿(内腿)につないだまま行う”という注意のもとにやってもらいました。

 

  私はヨガのプロではないのですが、”股関節の屈曲”という観点から見た場合、下の2つのチャイルドポーズは全く質が異なって見えます。

  

、ちょうよう  左側が正しい股関節の屈曲。このように屈曲できる人は、必ず、伸展も得意。

  右側は屈曲が不完全なので、伸展は不得意。

 

  ヨガのポーズも太極拳と同じで、そのポーズを作る過程がとても大事です。(過程で経をつないでいきます。ポーズを作った後で繋ぎ直すことはできない。)

 

  左側の説明はhttps://yogajournal.jp/pose/80

  なるほど。

  まず、足の両親指をつけるのが一つのポイント。

  そして、「ああ、そうだよね」、と思わせる記述が、最後の文章。

  『両手の中指をまっすぐ前に向け、お腹を内側に引き入れて背骨を長く伸ばす

 

  ”お腹を内側に引き入れて”:そう、これができないと股関節の屈曲は不完全。

  そしてこの”お腹を内側に引き入れる”には会陰や肛門を引き上げる必要があります。

  すると、伸ばした両手の中指と会陰や肛門が引っ張り合いになって背骨が伸びる・・・

  太極拳の『抜背』になります。 

  ということは、背骨を引き伸ばさないと股関節の屈曲は不完全ということ・・・

 

  これに対して右側ポーズ。この説明はhttps://www.hotyoga-caldo.com/home/pose024.php

  なるほど。ここでは、背骨を伸ばしているわけではなくて、背中や腰を丸くしてリラックスさせているとのこと。ならこれで良いのかも。

 

 

  私が今日生徒さんにやってもらおうとしたのは左側の要領。

  お腹が伸びるのが分かるはず。

  実は、種明かしをすれば、有名な「腸腰筋(大腰筋と腸骨筋)」を使う、ということです。

  太極拳が『腰と胯』を最大の武器としている(そのために丹田を使う)というのは、言い換えれば 『腸腰筋を武器とした武術』ということのはず。

  腸腰筋を人一倍使う、いや、常に使う、指一本動かすにも腸腰筋を使わせよう、というくらいの拳だといえるでしょう。

 

  だからか腸腰筋が抜けているようなものをみると、あれ?と思ってしまう。

 

 

  このチャイルドポーズは立位になるとお辞儀になります。

  あ〜、だから、腰の王子はおじぎ体操をやたらマニアックに教えるのね・・・

  狙っているところは同じ。

 

  

  

  が、動画を見ても、肝心なところは全て伏せられています(苦笑)

  講座をとらないと教えてくれない・・・

 

  ただ、私たちがおじぎの姿勢でどうなりがちで、本当はどうしたいか、ということは、下の動画の方が説明してくれています。(最初のイラストで全てが説明されています。イラスト上手!羨ましい。)

  しかしながら、どうすればそうできるのか、については少し曖昧。(最終的には”脱力”)。その点、王子はものすごく細かく眼目を定めています。が、それを一つずつクリアしていくのはなかなか大変。

  私自身は現場で生徒さん達を導いて、狙ったところが少しでも使えるように頑張ります。少しでも”そこ”が使えれば、その感覚を生徒さんに覚えてもらう。いつも無意識で動いた時の感覚と、”そこ”(この練習なら腸腰筋)が使えた時の感覚の違いを脳で認識する。そこから徐々にそこに入れるように練習すればよいと思います。これまでついた癖をとるのはなかなか大変ですが、差異が分かれば癖をとるための道が開けます。

 

  腸腰筋を使って足の上げ下げをする練習は室伏長官が簡単なエクササイズを紹介してくれています。できているか否かが分かりやすいのがグッド。動画の前半の動きです。

  腸腰筋を使って足の上げ下げをする練習は室伏長官が簡単なエクササイズを紹介してくれています。

  足を下げていく時に腰が浮かない、というのがポイント。お腹に力を入れるというよりも、お腹を下向きにどれだけ引き伸ばせるか、がポイントです。お腹が伸びて鼠蹊部を縦断して太腿まで繋がればOK.

できるか否かが分かりやすいエクササイズ。下の動画の前半の動きです。股関節の屈曲、伸展、股関節の緩みを作るには腸腰筋の活用がマストです。

2024/8/16 <股関節を緩めるとは? 正しい中腰? 定義>

 

  今週は「股関節を緩める」ということを少し違った観点から教えようとしています。

  

  太極拳で「股関節を緩めて!」というと、それは膝と股関節を曲げること(=中腰姿勢になること)と思いがちです。 

  でも、膝と股関節が曲がっていれば股関節は緩んでいるのだろうか? 

 

  <中腰について 脱線>

  中腰は「膝と股関節を曲げて腰を落とした姿勢」と定義されるようだが、アレキサンダー・テクニックの教師の方のブログには、おやっと思う図がある。

https://miwazado.com/advantageuse/ch7sec4.html

 

説明は専門用語が多く全ては理解できていないのだが、左図の右側のような姿勢は太腿(膝)に余計な負担をかけるので良くない、体の前面と臀部を使って中腰姿勢になるべきだ、ということが書かれているようだ。右側の姿勢は「モンキー」と呼ぶそうだが、実際、多くのスポーツでとられる「アスレティック・ポジション」(前傾姿勢)はこの「モンキー」姿勢だ。(テニスやスキー、レスリング・・・)

 

    ということは、太極拳のようにわざわざ背骨を垂直に立てるような姿勢は、よほど気をつけて行わないと体に負担をかけるということ。ただ”立つ”練習があるのは、この立ち姿勢をマスターするためだろう。つまり、訓練が必要だということだ。

 

 

  本題に戻る。

  では中腰姿勢になれば股関節は緩むのか?

 

  私が少し考えて出した結論は、「股関節を緩める」というのは、「その状態なら、股関節の屈曲、伸展、内転、外転、内旋、外旋が全て可能である」というもの。

  車で言えば、ニュートラルの状態。そこから前進もバックも可能だ。決してエンジンを切っているわけではない。

 

 

←https://asmake.jp/blog/3954.html/

 

例えば左のような前肩姿勢。

前肩になれば、必ず骨盤は後傾する。

 

骨盤が後傾すれば、股関節の伸展は不可能だ(腿を後ろに上げる=蹴る ことはできない)。

つまり、この姿勢は股関節が緩んでいない。

 

一方、上に載せた、アスレティック・ポジションの中腰姿勢では、背骨に対し骨盤が真っ直ぐ入っているので、前にも後ろにも脚が上がる(屈曲・伸展が共に可能)。必要なら内転・外転・内旋、外旋もできるだろう。

このような状態なら股関節は緩んでいる。

 

師父は、準備体操で、提膝の状態で、膝を回すことで股関節の内旋、外旋をさせる。それはちょうど、肩関節を回す時に、肘を折って肘を回すのと同じだ。(膝=大腿骨下端を回すことで、股関節=大腿骨上端が回る)。

そして、内功では常に股関節を回転させる。套路でも、股関節は常に回転させる。

 

  股関節を回せる状態にしておけば、股関節の屈曲やら伸展やら、全ての動きが可能(腰の王子も同じことを言っていたことがあります)。

 つまり、「股関節の内旋・外旋ができる状態にする」というのが、「股関節を緩める」ということだということです。

 

  とはいえ、レッスンでいきなり内旋外旋から入ると理解し辛いかもしれないので、レッスンでは、<伸展>(大腿骨を後ろに上げる動き)で股関節を緩める感覚を導くことにしました。<伸展>で股関節の隙間を見つけることができれば、その延長線上にある屈曲もどんな屈曲が正しくて(緩んでいて)、どんな屈曲が正しくない(緩んでいない)かが分かるようになります。 

  今週前半のオンラインレッスンではそれを教えましたが、手応えは十分ありました。

2024/8/14

 

  そもそも、「股関節を緩める」(松胯)とはどういうこと? 

  

  そもそも、起式で松胯がきちんとできているのだろうか?

  松胯の定義は?

 

  少し考えてみるとよいかも・・・

     

2024/8/13 <股関節の緩め方に注意!>

 

  今日のオンライングループレッスンの内容。

 

  一つ目は、鼠蹊部(前胯、股関節の前側)を”緩める”(=松song)ということの理解を深める練習。

 

  太極拳の基本姿勢は股関節を”緩めた”状態だが、この、”股関節を緩める”というのが曲者。間違って、老人のような股関節の使い方をしているケースはとても多い。膝を痛める原因だ。

  

 下は加齢による歩き方の変化を示したイラスト。

←http://jusei.or.jp/?p=2771

 

加齢とともに歩幅が小さくなるのは結果であって、歩幅を大きくすれば姿勢が戻るわけではない・・・

 

脚力をつければ良いというものでもない。

 

問題は、加齢とともに私たちの体は萎んでいくというという事実だ。萎む、というのは、体を内側からパーンと膨らませていたもの、すなわち、体の中の気の量が減る、ということだ。

 中国では古来より、この”気”をとても重視してきた。生まれた時に気が最も充満していて、次第に少なくなり、ついに無くなってしまった時に命が尽きる。長寿を何よりも尊いとする文化だから(私の偏見です)、気をいかに増やすか、無くならないようにするか、ということが内丹・外丹術として研究された・・・

 

  ↓老人の典型的な姿勢

 

  背中が丸くなったり、膝が曲がったりするのは、体内の気の量が減って萎んでしまった結果の現象だ。

  ちょうど、植物と同じ。人間も蕾から満開になって、そのあと萎んで枯れていく、その過程をたどる。この萎んでいく時に、できるだけ、萎まないように内丹を煉って気の量が減らないように頑張る・・・これが内功だ。

  日本人は若いうちに既に腹圧が減ってしまっているようなところがある。

  いつもお辞儀をするからなのか、謙遜するからなのか、よくわからないが、中国人・韓国人と日本人はそっくりだが、姿勢が全く違う。中国人や韓国人はもっと偉そうに胸を張って歩いている。中国でもそしてフランスでも、店に入った時は見くびられないように、自分を大きく見せるようにする。(私が癖で、「すみませ〜ん」とお辞儀をしながら店に入ったら、現地の友達にそんな入り方をしてはいけない、と中国でも、フランスでも直されたことがあります。)すぐに腰が曲がってしまう(丸くなってしまう)のも、常に身を低くしようとする文化のせいかもしれません(最近の子は違うのかな?)

 

  太極拳の話に戻すと、中腰姿勢になる時=股関節を緩める時には、決して腹圧を抜いてはいけません。丹田が分かる人なら、”常に丹田を失わない”ということです。(ただ、丹田を固めて作ってしまわないこと拘束丹田に注意!参考:

https://www.undoukagakusouken.co.jp/seminar_SI.html   このページの「下丹田 初級」の説明)

 (腹圧を抜かない、というと、ただ吐いて腹圧を上げるような気がしますが、ただ吐いて腹圧を上げると最後に息が止まり、腹が固まります。ウッとなったら拘束丹田になっている。息が止まらないように吐いたり吸ったりしながら丹田を作ります。)

 

  まずは、股関節を緩めた時に一緒に腹圧が抜けてしまいがちなのに気づくこと!

  腹圧を抜かずに(お腹を凹ませずに)しゃがめるように研究します(これが幼児のしゃがみ方)。タントウ功や坐禅、内功の時にもそれをチェックします。そして普段の生活でも、屈んで物を拾う時など、お腹が凹まないように注意してやってみるとよいかと。

 

  今日の練習では、腹圧や丹田の説明はゼロで、ただ、腹から鼠蹊部を縦断して太もも前側に繋がる内側のラインを見つける練習をしてもらいました。脚を後ろに上げると比較的簡単に見つかります。うまくいけば、足が扣になる!

  この内側の繋がるラインが見つかったら、それを失わないように、中腰姿勢になる練習をする。丹田から脚を使った感じが分かれば、それまでの姿勢がおかしかったことに気づく・・・実際、今日の生徒さん達は皆、その違いに気づいたようでした。

  あとは、それを定着させていくこと。

 

 二つ目は、腕立て伏せで腕の生え方を知る。そしてそれと同じことを股関節で行う、という課題。これについてはまた今度書きます。

 

 <付け足し>

 高齢者系の中腰姿勢は、特に太極拳の衣装の広告で顕著に見られます。若いうちはまだ先天の気が多く残っているので、太ももを鍛える感覚で練習していれば良いかもしれませんが、遅かれ早かれ限界が来ます。太極拳の全身の勁をつなげる動き方はできないので、太極拳風のスポーツ競技の域は出ません。

 

2024/8/10 <引き上げと引き下げ、内臓を引き上げる!ヨギーでもある師父?

 

   太極拳で難しいのは、体を落とさずに気を落とすこと。

   

 太極拳の基本姿勢が中腰なので、気は落としやすい。

 しかし、体まで一緒に落ちてしまうと、背骨が伸びず(脊椎間の関節の隙間が開けられず)脊椎一つ一つを動かすことができない(背骨運動ができない)。

 太極拳は四肢運動ではなくて背骨運動。そのための準備が基本姿勢。

 頭頂を下げず(顶劲)気を下ろすことによって背骨の関節の隙間を開けていく。

 

 

<参考>

 

バレエの場合は中腰にならずに(股関節や膝を緩めることなく)背骨を伸ばしていく。結果、背が高くなったようになる。左の図を参照。https://miyanishizono.com/lesson/ballet-for-athlete-2019-2

 

これに対し、太極拳の場合は頭頂の位置を変えずに膝や股関節を緩めることによって、下向きに背骨を伸ばすような形になる。

 

 

同じように背骨を引き伸ばすが、その方法が異なっている。

 

  バレエの場合は、まずは”引き上げる”ことが強調される。

  太極拳の場合は、まず”落とすこと”が強調される。

 

 が、最終的には、どちらの場合も、引き上げと引き下げは同時に必要になってくる。

  上げているだけでは地面の気を掴むことができない。浮いてしまう。

  下げているだけでは、足裏から地面の反発力を得て勁力を得ることができない。

 

 というよりも、そもそも、引き上げるには地面を踏まなければならないから引き下げが前提で、落ちずに下ろすには引き上げておく必要がある。(片足立ちで膝を上げた状態からゆっくり足を下ろしていくには腹の中を引き上げておく必要がある。)

 

  実は丹田を作ると、引き上げと引き下げが同時にできる。

  というのは、丹田は下を引き上げて、上から息を下ろす、つまり、↑と↓が同時に存在しないと作れないからだ。

 

  『気沈丹田』というと、気を”沈める”のだから、当然下向きに気を下ろすのだが、それを”丹田”へと沈める、というと、”引き上げ”という上向きの力はマストになる。引き上げずに下ろすと、”漏れる”。

  加齢とともにただでさえ漏れているのに、太極拳の練習をしてさらに漏らしていたら意味がない。気が漏れるのは九窍(9つの穴 口・両目・両鼻孔・両耳・尿道口・肛門)から。練功の時は尿道口と肛門を閉める。その他の穴は閉めずとも内側に引き込んでおく。9つの穴から気を引き込めば丹田に集まる。

 

 先週までやたら”帯脈”を強調したが、帯脈を使うにはかなり引き上げる必要がある。脚をウエストの位置まで引き上げておくような感じだ。

 坐禅をしっかり組めれば会陰が腰まで引き上がる感覚が得られるが、そうでなければ体験するのがなかなか難しいかもしれない。

 

 オンラインの生徒さんから、引き上げができません・・・・という声があったので、どうしたものか?と考えていた。

 すると、バレエの先生がこんな言葉を発しているのに出会した。

「お腹を引き上げる、程度では足りません。お腹の中の内臓を持ち上げて、それから骨盤自体を持ち上げて下さい!」

 

 骨盤自体を持ち上げる、なんて考えたことがなかったので、早速師父に意見を聞いてみた。師父は、「骨盤自体が持ち上がる、というのはよく分からないが、少なくとも、内臓は引き上げる。」といって、お腹を出して、小周天をやってくれた。

 そのお腹を見ていたら、あれっ?と気づいた。これはいつぞやヨガの先生がやっていた動作と同じだ。ヨガでお腹をペタンコになるまで引き上げる練功があるが、それと原理は同じだった。やはり、気功法のルーツはヨガ。クンダリーニをあげるヨガの行法が内功に取り入れられている・・

 

 会陰や肛門を引き上げる、というのがよくわからなかったら、内臓を引き上げる、ということを試してみたらどうだろう?下に私が信頼するヨガの師の動画を貼ります。冒頭の動作が小周天を早くやっているものです。真似してお腹がペタンコになるまで引き上げてみる、そして放松、これを繰り返せば”引き上げ”の練習になるかと。内臓は落ちてくるので、引き上げる練習は必須。

  この動画を師父に見せたら、「冒頭の第一番目は小周天、それから帯脈回し、どちらも大変良くできている!」との評価。その上で、「この動画の中のヨガのポーズは、最後の一つを除いて全て自分が若かった頃にはできました。」と一言。え〜〜〜!と驚いた私。こんなポーズが全部できるなんて、どんな体?私には想像できません。どうりで師父の体があんなにも自由自在・・・とうてい及びません・・・

 

  

2024/8/3 <レッスンの振り返り 帯脈 後半>

 

  帯脈に関するレッスンの動画の後半をアップしました。

  拍打功や套路への応用、提膝(膝上げ)との関連についても説明しています。

2024/7/31 <レッスンの振り返り 帯脈 前半>

 先週のレッスンの振り返り動画を撮りました。

 長い動画なので前半、後半に分けました。

 

 前半は、「帯脈」を起動させる重要性を理解させようと試みたレッスンの要約版です。

 帯脈は中丹田の中にあります。中丹田の中心は臍ですが、そこを取り巻くラインなので、人体の赤道とも言えるのが帯脈です。

 

 「胴体を手のように使う」というのが太極拳の本来の姿。

 「全身が手になる」と言います。『周身一家』を具体的に表現した言い方です。

 

 胴体を動かすための取っ手が帯脈。

 

 女性の重心は気海穴で、骨盤の中にあるため、帯脈は女性にとっては思っているよりも上の方に位置するので起動させるのは少し大変です。かなり”引き上げ”が必要です。

 男性の重心は臍なので、帯脈を起動させるのは女性ほど難しくないかと思います。

 

 動画では便宜的に帯脈を起動させる方法を紹介しています。

 

 私が面白いと思ったのは、帯脈が意識できないと(帯脈で胴体をホールドできないと)、お尻が下がって股がはっきりしないということです。男性よりも女性のお尻が垂れてお尻と太ももの境目がはっきりしなくなる(坐骨、承扶穴が曖昧になる)のは、女性の重心が男性よりも低い位置にあるため帯脈が意識し辛いからかと思います。

 私自身の経験としても、気を中丹田に溜めるのはなかなか大変で、下っ腹に気は溜められても、胃の位置(臍から鳩尾の範囲)を気で満たすことができず、師父に「女性には無理ではないか?」と弱音を吐いたことがあります。特に日本人の女性は胃が凹んで下っ腹が出ている、というお腹が多いのでは?

 

https://halmek.co.jp/beauty/c/bbody/3861

 

このようなぽっこりお腹を凹ませるのに、ドローイン(内側に引き込む)という方法を使うのが一般的ですが、それでは中丹田は弱いまま・・・根本的な解決方法にはならないかな?

 

 

 

 

  そして帯脈が落ちてしまう(というよりも帯脈の身体意識がなくなる)と胴体と腿の境目の意識がなくなる、というのもレッスンでは実験して体感してもらいました。

 

  まずは、その問題点を意識すること。

  帯脈を使えるのはかなり高度で私もまだ完璧ではありません。

  けれども、その体の位置に対して注意を向けられるようになることはとても大事です。

  でないと股関節がきちんと使えないからです。

  丹田を作らずに太極拳をしていると体は落ちてしまう、というのはそういうことのようです・・・逆に言えば丹田を作らなくても帯脈が意識できていれば体は落とさずに気を落とすことができます。

 

  まず入り口は動画をご覧ください。

  動画の最後の方には、「お尻を入れるとは?」についても説明を試みています。

  結論を言えば、帯脈を保持したままお尻を入れる必要があります。帯脈を失ってお尻を入れても意味はありません。

2024/7/29 <拍打功のレッスン風景動画から>

  

   最近の屋外でのレッスン風景。

 この日は師父にやれと言われた拍打功を生徒さんたちに教えていました。

 「誰がやっても思いもよらない利益がある」と何度も言っていた師父。どんなメリットがあるのか?と私が尋ねると 「どんな利益があるかは言えない。自分でやって私に報告しなさい。」

 とりあえずやってみる。 

 肘、脇、鼠蹊部、膝の裏、いずれも凹んでいる場所。ここを手のひらを窪ませて打つ。

 窪みを窪みで打て、と師父は言った。

 私の癖で、なぜ? と聞きたくなったが、やってもいないのに聞くのはおかしい。とりあえずやってみよう。

 

 私ひとりでやっている時はこんなもんかな、と思っていたけれど、生徒さんに教えてやらせると、<思いもよらなかったこと>に幾つも気づくのだ。

 「力を入れて打て!」と言った意味も、「窪みで窪みを打て!」という意味も、生徒さんたちの動作を見たら謎が解けた・・・

 練功というのは単純なものが多いけれど、奥が深い。

 

 

  この動画を見たら、昨日のメモとの関連がありました。

  私自身の立ち姿です。

  昨日紹介した師父との推手の動画はコロナ期、そして帰国してまもなく撮ったと思われる動画、そして最近撮影した上の動画の中の私。立ち姿が変わったのが分かります。

 

 こういうものは比較をすると分かりやすい。

 2021年の私の無意識での立ち姿(太極拳中ではありません)は、頭が前に出て、胸が前傾、骨盤後傾で膝が曲がっています。(師父との推手の時は出っ尻でした)

 が、最近の動画をみると、随分真っ直ぐ立つことができるようになってきている!

 足の裏の踏んだ力がそのまま真っ直ぐ頭頂に貫くような感じになりつつある・・・虚霊頂勁ができるようになってきた!

 

 虚霊頂勁は基本姿勢を作る時の第一項目なのだけど、それはなんとなくイメージでそうするだけで、本当の虚霊頂勁を作るには、沈片や含胸や抜背、斂臀・・・などなんやかんややって足裏にきちんと勁が落ち、今度はその踏んだ力が地面で反発して頭頂の方に登ってくる必要があります。最初の項目だけど、本当は最後の項目になる、という。(というのは、基本姿勢の要領は円でつながっているから・・・太極拳らしい!)

 

 2021年の写真を見て思い出すのは、そういえばよく師父から「頭はもっと後ろ!」と言われたこと。でも、頭を後ろにしようとすると、胸が出てしまい、こんどは「含胸をしろ!」と言われる。そして含胸をすると頭が前に出る、この繰り返し・・・

 胸郭の上に真っ直ぐ頭蓋骨を乗せているのは幼い子供くらいで、小学生低学年ですでに頭は前に出てしまう。最近の子はゲームやスマホで早いうちから遊ぶから、頭が前に出て前肩になるのは私たちが子供の頃よりも更に早期だ。

 大人で頭蓋骨と胸郭と骨盤を並べている人は必ずと言ってよいほど何らかの修行(練習)をしている。毎日忙しくて体のケアをしていなければ老化による気の量の減少とともにすぐに姿勢は崩れる。生まれた時はマヨネーズの容器にいっぱいいっぱいマヨネーズが入っているが、生後活動をしていくうちにマヨネーズの量は減っていく。マヨネーズが半分に減った時、マヨネーズの容器も真っ直ぐに立たなくなる。体の内側の状態も同じようなものだ。だから歳をとるとともに外側の体は縮んでくる。高齢になると、お腹がぺったんこになって内臓がどこに行ってしまったのだろう?と思うような状態も珍しくない。

 

 冒頭の動画の中で紹介していた拍打功。自分で自分を打つことで、体は奮起する。うまく打てば体の内側は充実して(腹に気が溜まり)シャキッとする。

 そしてなんといっても、私が得られた効果は、肘を打つことで頭蓋骨と胸郭、脇を打つことで、胸郭と骨盤、鼠蹊部を打つことで、骨盤と足首、のアライメントを整え、最後に膝裏を打つことで脛を真っ直ぐにし足首や足の中の関節、ショパール関節、やリスフラン関節がしっかりする(足が扣になる)。もしかしたら、この拍打功で随分形が整ったのかも?

 

 <付け足し>

 私が保存版とみなしている腰の王子の動画があります。

 https://youtu.be/WyNFimfigpk?si=B_sBUA6U9zUVIhn_

 

 ここで腰の王子は、体を変える入り口を5つ挙げてくれています。

 

 姿勢(形)、呼吸、脱力、重心、身のこなし(体の使い方)

 

 この五つはどこから入ってもいい。得意なところからやればいい。 

 この五つはつながっていて、たとえば脱力を極めれば姿勢も整ってしまう。

 普通は一つだけを極めるのではなくて、複数併用して体の開発をしていきます。

 

 太極拳の練習で言えば、

 タントウ功では姿勢、呼吸、脱力、重心の練習になるけれど、丹田に気を溜める意識でやると、姿勢よりも呼吸と脱力の練習になる。

 套路は身のこなしが大事になるけれど、身のこなしが分かるには、技を意識できないとただ体を動かしているに過ぎなくなる。多くの場合は套路は姿勢、形の練習になっているような気がします。

 推手は脱力と重心。

 そして拍打功は姿勢と重心が整うような。

 

 

 

2024/7/28 <師父との推手の動画から学ぶこと>

 

 数年前、パリで練習していたころの懐かしい動画が出てきました。

 師父と推手(単推手と四正手)をしている短い動画。

 

 今見ると、私と師父の違いがとてもはっきりわかります。

 

 

  推手はそれによって自分の内側の勁を通したり調整したりすることができます。と同時に、相手の勁がどのように使われているのか探る練習にもなります。

 

 最初の単推手はどれだけ放松して腕を重くしていけるか、が一番の課題になります。

 二人の実力差が大きければ、レベルの上の人が下の人に合わせてあげる必要があります。でないと推手が成立しないからです。それなりに合わせてあげて、相手を導いてあげるのも推手の練習になります。相手の実力が上がれば、自分にとっての良い練習相手になるので、お互いにとってメリットがあります。

 やりずらいのは、両方とも初心者の場合。お互い何をやっているのかわからないまま推手をすることになりがち。

 

 上の動画ではもちろん師父が私に合わせています。合わせながら、腰回し(丹田回し 帯脈回し)をやっていたようです。動画の中の会話で、師父は「あなたには私の勁がどこから発しているのか分からないだろう。」「それは私が腰を回しているからだ。」と言っている場面があります。逆に言えば、師父にとって、私の勁がどこから発しているのかは簡単に分かること・・・それが分かると簡単に相手の隙が見えて崩すことができるのです。

 

 この動画の前半を見て思ったのは、私は師父のように真っ直ぐ、すなわち、骨盤の上に胸郭、その上に頭蓋骨、と三つの球を並べたまま動けてはいないということ。が、実は、そのように体を整えるには気の量を増やしたり、内側のつながりを変えたり、と基礎的な訓練をもっと積む必要があります。結局、パリから日本に戻ってきてからこの数年間は、根本的な練習ばかりに取り組んできました。推手はそれによって自分の欠点、課題がわかりますが、推手によって体の根本的なアライメントを変えるのはほとんど無理と言えるからです。

 

  下↓は私と師父の体のアライメントの違いを示した画像

 

  師と呼ばれる人たちは、皆、頭蓋骨、胸郭、骨盤が真っ直ぐ揃っていて、頭頂から足裏へとズドーン、と真っ直ぐ重心の線(ちょっと適当な言い方です)が落ちています。

  普段の立ち姿、立ち居振る舞いで、普通の人とは違うのがすぐに分かります。

 

     下は馮志強老師とその弟子の長女ですが、やはり同じような差異があります。

  

 上の画像のように分析すると分かるのは、女性は骨盤が大きく、重心が骨盤の中にあるため(男性は重心が骨盤よりも上、臍あたりにあることが多い)、臍下丹田だけを意識すると、左右の腸骨を張り出すように使ってしまい骨盤が広がったようになってしまう、ということです。大腿骨骨頭を引っ張り出してしまうので、股関節、膝、足首に捻れが起こるという問題です。

  女性は骨盤は裹(小包をぐるぐる巻きするように纏めて使う)、男性は骨盤を内撑(内側から外向きに張り出して使う)というというのが鉄則だと師父から教わりましたが、太極拳に限らず、踏ん張ることの多いスポーツ競技をする女性は、男性のように腹(ここで言う腹は中丹田、鳩尾から骨盤までの腹)を使わずに、骨盤の位置の腹(ここは下丹田)を使う傾向が高く知らず知らずのうちに会陰が緩んでしまう危険性があります。(この問題についてはまた改めて説明します。)

 

 本来は丹田を作っても、左の馮老師のように、骨盤は丸く纏まっている必要があります。

 馮老師の会陰は腰(命門)の高さまで引き上がっています。

 すると骨盤の一番下から一番上までが一まとまりになる・・・そうなれば股さばき、脚さばきが軽快になります。

 それは最初に挙げた私と師父の動画を見ても同じ。

 師父の足は軽快に重心移動していますが、私の足は止まっています。

 上の馮老師とその長女も同じです。

 地面に気を下す時に、真っ直ぐ下ろせないと、膝や足首は硬直します。

 

 このあたりについてはもう少し説明が必要かもしれません・・・

 とりあえずメモしておきます。

 

2024/7/25 <師父の開脚>

    オリンピック開会式目前。
 パリの劉師父の基礎功。

   師父は毎日基本のストレッチ(圧腿)は欠かしません...
   以前よりより更に柔らかくなったようだ。完敗です。
  毎日タントウ功は1時間半、坐禅は2時間。そして内功と套路一通り。
  師父は天性が素晴らしい人だけれども、毎日の努力と積み重ねも尊敬に値する。
  いつも晴れ晴れとしている。
  賞賛と憧れと反省が入り混じった気持ちです。

2024/7/22 <太極拳への入門 その2>

 

 <昨日の続き>

 中国にはこのような言い方がある。

         『师傅领进门,修行在个人』

   (師は入門へ導く、その後の修行は各々による)

 

 もともとは道家の修行の話のようだが、今では広く、「学校の先生は教えてくれるけれども、その後は自分で努力して勉強しないと身につきません」という感じで使われているようだ。つまり、教えてもらっても努力しなければ身につかない、という意味。

 

 ただ、修行に関しては上のような解釈では単純過ぎるかな?

 私がこの言葉を師から学んだ時は、もっと意味深い感じがあった。

 

 まず、①入門するには師の導きが必要だということ。

 裏返せば、独学では入門できない、ということだ。

 学校の勉強なら先生がいなくても本を読んで理解して進めることができるかもしれないが、修行の世界ではまず独学はあり得ない。お釈迦さまも修行時代は何人もの師について修行した。修行の世界に入るには師が必要だ。

 

 そして②修行の方法を学んだら、自分で修行する必要がある。

 お釈迦さま(ゴータマ・シッダールタ)の例で言えば、彼は何人もの師について修行したものの、最後まで導いてくれる師はいなかった。最後はそれまでの師の教えを捨てて一人で修行をし解脱に達した。最後は自分の努力だ。

 

  ここでこんな疑問が湧くかもしれない。

  どの師の教えも解脱に導いてくれず、結局自分一人で修行して解脱に達したのなら、最初から一人で修行した方がゴールに達するのは早かったのではないか?

  

  その答えは、 『师傅领进门,修行在个人』という言葉の中にあるだろう。

  師はあくまでも、その道に入れてくれる人、なのだ。

  師は最後まで導いてくれるとは限らないのだ。

 

  しかし、その世界に入る、入門する、というのはとても難しい。

 

  もし自分がピアニストになりたかったとする。あるいは、サッカーの選手でもよい。

  この場合、然るべき時に、然るべき師と出会わないならば、将来その夢は実現しないだろう。

  逆に言えば、然るべき時に然るべき師と出会ってしまうと、その道への扉が開いてしまうのだ。

 

  ただ有名な先生、コーチにつけばいい、というのではない。

  自分に合う、自分の能力を引き出してくれるような師、だ。

  大谷翔平選手も師に恵まれていたはずで、相性の悪い師についたり、価値観の違う師についてしまうと、自分の目指す道には入れず別道に外れてしまう。つまり、入門できずに終わってしまう。

 

  然るべき時に然るべき師に出会えるか、というのは、縁の問題でもあるのだけれど、そういう師に出会えたら、一生懸命学んで吸収する必要がある。時間は永遠ではない。いつその縁が終わるかは分からないのだ。

 

  私自身で言えば、もしパリに行かなかったら、日本でずっとウロウロと太極拳をやって、これでもない、あれでもない、と欲求不満になってそのうち止めてしまっただろうと思う。というのは、日本で出会う太極拳が、解脱や悟りと全く無関係だったからだ。健康のためでもなく、競技会のためでもなく、最終的には解脱や悟りに繋がる修行としての太極拳を求めて、師が見つからない・・・と絶望した時に現れてのが劉師父だった。

  

 

 

 

2024/7/21 <太極拳への入門 その1>

 

  はっきり言ってしまえば、国家に制定された太極拳をやっている限り、太極拳に”入門”することはできない。

  

 そもそも太極拳は自分達を守るための武術として家の秘伝として継承されてきた。次第にそれが様々な流派として枝分かれしていったが、太極拳の核心=幹は変わることなく、文字通り”枝”が分かれただけだった。核心部分は師弟関係で教えられ、”生徒”には教えられなかった。

  先週紹介した中国のテレビ番組『太極拳秘境』は、中国には未だ、<現在広く普及している国家制定太極拳ではない、知られていないもの、秘密にされているもの>、が、残っている、ということを私達に教えてくれるものだ。

  国家制定太極拳は、<国民の健康のため>という目的と<競技として>という二つの目的のために制定された。この番組で各流派の師を訪ねて回っていた邱慧芳は中国でも有名な太極拳の世界冠军(チャンピオン)だが、これは<競技太極拳>のチャンピオンということだ。言うまでもないが、本来の太極拳にはチャンピオンはいない。

 

 およそ武術や武道には秘伝というものがあり、それは師弟関係において伝授されていくものだったが、今ではお金を出せば誰でも学ぶことができるような感じがないともいえない。

 昔聞いた話では、少林寺武術の秘伝を学ぶために中国に渡った日本人のグループは、一人50万円支払ってタントウ功のやり方を教わったという。

 これはとてもトリッキーだ。

 

 私も似たような経験をしたことがある。

 それは劉師父に巡り合う直前の話。

 主人の転勤でパリに住むことになり、せっかく始めた混元太極拳の練習が中断されて悔しい思いをしていた時のことだった。パリで太極拳の先生を探していろんな道場に行ってみたが、総じて日本のレベルより低い。中国人の先生もいたのだが、体育大学卒の制定拳を教える人しか見つけられなかった。しかも、フランス語・・・

 パリに入ってから半年も経たずに、私は北京の馮志強老師のところにいって一週間集中レッスンを受けることを決意。中国語でメールを書いて問い合わせをした。すると、事務局から、馮老師本人は忙しくて教えられないが、その三女の先生が代わりに教えてくれるとの返事が来た。

 今思えば、あの大先生、マスターの、馮先生本人が、一人の太極拳の初心者を教えるなんてあり得ない話だ。しかし、若い時は恥知らず。なんとしても本当の太極拳を知りたい・・・当たって砕けろ、の精神だった。

 北京では三女が午前中一週間に渡って内功と24式をマンツーマンで教えてくれた。午後は道場にいた若い男性の生徒さんが追加でレッスンをしてくれた。

 太極拳漬けで一週間過ごし、何か学んだ気がして満足してパリに戻った。

 パリでは混元を教えているフランス人の先生のところで学ぼう・・・そう決めて2度ほどその先生のところに行った時にその先生の中国人の師のワークショップがあるから来ないか、と誘われて行って出会ったのが劉師父だった。

 北京から戻って1ヶ月も経っていなかった。劉師父の動きを見た瞬間、あー、本物だ、とすぐに分かった。私がずっと探していた師がこんなところにいたんだ・・・

 そして劉師父とのレッスンが始まったのだけど、次第に気付いたのは、私が北京で教わった内功や套路は、教わっただけでは何の秘伝やらエッセンスやらは身につかない、ということだった。

 秘伝は、知識ではないのだ。

 身につくには、手取り足取り時間をかけて直してもらわなければならないのだ。

 

 上に書いた少林寺でタントウ功を学んだ話も同じだ。

 一日でタントウ功を学んでも、10中8、9はものにならない。

 やり方だけの問題ではないのだ。やり続けるうちに変化が出てくる。その変化に応じて、その次の段階に行くように師が一言、導いてくれる。少しずつ導いてもらう。師から学ぶのと、弟子を育てるのと、それは二人三脚だ。全く放って置かれて一人で学び切れる弟子は滅多にいない。腰の王子の話の中にも師匠の話はよく出てくる。師匠のよく分からない言葉で頭がクエスチョンマークでいっぱいになりながら、進んでいく。学校の先生のように分かるまで教えてくれる訳ではないのだ。

 ではどこまで師は弟子を育てるのか?

 それについてのことわざがある・・・<続く>

 

 

  

 

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『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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