2011/12/2 <体操と内功の違い>
子連れママクラスで太極拳を教え始める。これは2年参加し続けているママ達の希望でもある。
そもそも助産婦さんに頼まれて、産後間もないママ達の教室を開いてほしいと頼まれて始めたころは、堂々と「太極拳教室」と銘打っていた。しかし、それが「太極拳体操教室」になり、最後は「体操教室」になってしまった。やはり子連れでやってきて、子供がいつ泣くか暴れるか気が気ではないママ達に、「意念」を使う太極拳の「内功」はなかなか教えられない。「内功」も意念抜きでやれば所謂「体操」に過ぎない。
「体操」は筋肉皮骨の活動、即ち、太極拳の観方では、身体の外側の運動である。「内功」は人間のエネルギー(気)そのものを増やし、それより内臓や気血、細胞構造にまで働きかける運動である。
「体操」でも少しは体の中にまで影響を与えられるが、その効果が現われてきたころにはかなり体力(エネルギー)を消耗してしまう(スポーツをしたからといって必ずしも健康になるとは限らない、というのはここにある)。それに対して「内功」はエネルギー(気)を閉じた身体の回路内で運行させながらエネルギーを増幅させる運動である。運動した時は、見かけの地味な動きににも拘らず独特の疲労感があるが、その後休息をしっかりとれば、運動以前のエネルギーが湧き出てくることが感じられる。つまり内功は、先天の精・気を刺激して、その後のエネルギー(気)の総和を増やすメカニズムと言える。
結局、太極拳の眼目は、「如何に体内のエネルギーを①増やし②循環させるか」にある。そのエネルギーが「気」である。
養生の面から見れば、エネルギーが多く循環が良ければ自然に健康となり、エネルギーが少なかったり、滞っていれば病気になる。それだけの単純の道理。
武術の面から見れば、エネルギーが多ければ技にそれだけ威力があるということ。そしてエネルギーが全く漏れなく中心から手足の末端まで運搬できれば、技の威力が最大限に発揮されることになる。そのエネルギーの通路を開き、太くするには站樁功(静功)が効果的。その通路をエネルギーが反れることなく伝わるよう訓練するには動功や太極拳の套路の練習が効果的。
・・・うまくつくられているものだと、書きながら思う。
今回ママクラスでも太極拳を習いたいという声が出てきたのは私にとってとても嬉しいこと。ベテランママ達がほんの少しだが、「内功」の味を味わいだしたのが見て取れた。
(といっても、10人のママに10人のベイビーのクラスはてんやわんやの大騒ぎ。私にとっては多くの敵に囲まれている中、全てに注意を向けながら自分を保つ練習のよう。これも与えられた練習の機会。単に疲れる~なんて言ってられません。これは自分への言葉。)
2011/12/3 <足の裏のポテンシャル>
保土ヶ谷に2人。
声楽家の生徒さんは股関節が随分開いた。あんなに辛そうだった站樁功が楽々行えている。本人も進歩を感じ、毎日でも(私と)練習したいと意欲がみなぎっている。
先週アキレス腱の上部を使うことを教えたので、今日もその部分をうまく使って立っている。しかし、気が踵上で止まっている。この状態だと、まだ地面に「対抗して」立っているようになる。立つ時は足裏が地面に吸い込まれるような感じになるのが本当。つまり、気が、命門から太もも、膝裏を通って踵に届いた後、更に足裏に潜り込み、脚掌まで届かなければならない。ここまで来て初めて「気が足まで達した」といえる。この状態になれば、足裏は自由自在に地面を操れる。
先日大学時代の卓球部の先輩を教えてから、しばらく遠のいていた卓球が懐かしくなって最近の選手の映像を見たりしたが、現日本チャンピオンの水谷隼選手の身体は柔らかくしなやかで、まさに太極拳のお手本のような打ち方をしていた。その中でも最初に目に留まったのが彼の足首の柔らかさ、それに伴う地面の足裏の貼りつき方にあった。足裏が柔らかく、手のひらのように使えるのは達人の証拠。そもそも四足だったころを思い出すと(?)、手のひらと足の裏は同じ構造。同じように使えて然るべき、というのが太極拳の考え方。
そう言えば站樁功の時、気が足全体(甲も裏も含めて)に回ると、足があたかも、トイレが詰まったときにスポスポやるあの道具(名前が分かりません!)のようになり、土踏まずが自然と上に持ち上がってくる。初めてそれが起こった時、まさに足裏が「地の気を吸い上げる」ことを実感。土踏まず、ってこの意味があったのね~、とそれまで意識したこともない自分の土踏まずに親近感を感じた。
足裏のポテンシャルも、すごいものがある。
2011/12/4 <「虚領頂勁」><ゴールのない道>
内輪で「チャーリーズエンジェル」と密かに呼んでいる、かっこいい女性3人組が久しぶりに練習に来た。みな背が高い。私は見上げて教えている。
三人三種三様の動きで練習に励んでいた。終わって「気持ちいい~!」を連発。普段仕事に追われて運動など時間のない人達。身体が開き、心が開き、爽快感を感じているのがよく分かった。今日は気温も高めで天気も良く、紅葉が鮮やか。魅力的な人達と接することができるのも役得!
自分の練習について。
今年3月以来、背骨を通じて上昇する気の量が格段に増加し、首を通過しきれない気が左肩一帯で詰まり、相当な痛みとなって残っていた。7月にパリに行って師父に再度立ち方や動きを直してもらい、それ以降痛みは激減したが、まだ、首が貫通していない感じだった。師父は後頭部の玉枕のツボを意識して抜くことをアドバイスしてくれたが、そのツボが実感としてなかなかつかめなかった。それが、最近、声楽家の発声レッスンを見た時に、はっきりと場所がつかめるようになり、それから一気に頭へ気が抜けだした。
今日はそれが頭頂に届き、やっと頭頂から踵までの正しいラインがつかめた。このラインにいれば、身体のどこにも負担をかけない。肩がこることもない。春以降大きな悩みだった、首から頭頂までのライン。後頭部が普通の感覚よりも少し後ろに引かれる感じにすると、首や肩の気がスッと落ち、全身が一つになる。(ある時、一人の男子学生が鞄を背中側に回し、鞄の持ち紐をおでこにかけて坂を上っている姿を見たことがあった。このようにすると頭頂部から腰までが一線となって使えるため、手で持つよりも、かなりの重さの荷物を低負担で運ぶことができる。今日つかんだ、頭と首のラインはそれに似ているように思う。)
「虚領頂勁」という、頭頂部に関する太極拳(站樁功も含む)の大事な要領がある。これは「頭頂部は、虚だが上向きに引っ張るような力があるべき」というような意味だが、これまで今一つしっくりせず、何度師父に説明を聞いても、「はあ~。分かるような分からないような。」という感じだった。それがやっと今日、”これ”だったのね、と分かる。でも意識をしないとまた元の普段の頭の位置に戻ってしまう状態。徐々に直していこう。
内気によって身体の中から骨の位置が徐々に変わっていく。その過程では苦痛があることも否めない。しかし、人間本来の自然な姿勢を取り戻すためにはそのくらいの努力がいるのかもしれない。ここまで来るのに毎日練習して6年もかかった、と師父に言ったら、10年以上かかる人の方が多いのだからあなたは進歩が速い方だ、と言われた。
確かに外側からいくらいじっても、「永遠に」(とは師父の言い方)そのような身体の感覚はとり得ない。「石の上にも3年」、「急がば回れ」。慌てず着実にゆっくり一歩一歩進みながら、その時その時の新たな感覚を楽しんでいくのだろう。所詮、ゴールはないのだから。
2011/12/5
カルチャーセンターの日。暖房のせいで気持ち悪くなった。やはり寒くても外がいい!
卓球部の先輩とのやりとりで、おしりの使い方、「斂臀(リエントゥン)」(所謂負け犬のおしり)と「氾臀(ファントゥン)」(所謂でっちり)について説明をしたが、却って混乱させてしまったよう。おしり、腰については一度整理してコラムに書くべし。
2011/12/6 <中心軸><目線・視野を広げる>
一つ喜ばしいことあり。
今年70歳になるチャーミングなお嬢様のような女性。脚や頭がふらふらし自分の身体に自信 が持てなくなっていた。医者に検査に行ったりしたが、どこといって悪いところはなく、本人もどうしてよいか分からないまま、練習に参加するようになった。
私が見たところでは、下っ腹(丹田)の力がなく、脚と胴体の連結部分の筋肉(腸腰筋など)がうまく使えていない。站樁功も股関節が安定せず不安げなので、先月あたりから坐禅と坐ってやる動功を家で行うよう教えていた。
先週彼女の動きに変化が見られた。足がしっかり地面につき、ふらふら感がなくなったと言っていた。そして今日、その安定した状態で腰回しをしていた時、彼女が丹田の感覚を掴みかけているのを発見。そのまま手の形を平手から握りこぶしに変えさせて、うすを引くような形で動かせてみる。すると、「ああ、このあたり(下っ腹)に軸があるのが分かるわ~。」と一言。
そうそう、それが体のコア(核)。丹田を練ることでその軸がよりはっきりしてくる。この動功は単に腰回しではなく、丹田の気を練る動功。これが掴めれば、どんな動作をしても同様の気を練る感覚を探すようになり、次第に内気が増え、身体の中から力が湧いてくる。
彼女の顔に自信がみなぎったようだった。練習後公園を去る後姿も堂々としていた。
私は”この感覚”を掴ませた時がとても嬉しい。やりがいを感じる。これが太極拳の真髄にあたるもの。(なお、彼女の場合は坐禅と坐ってやる動功が効果的だったよう。下っ腹に力が入るようになったと言っていた。この練習方法をもう少し取り入れるべきかしら。)
ベテラン生徒さん達は引き続き48式の練習。
今日は目線について指摘。様々な動作とともに目がグルグルしていては、隙だらけで相手にやられてしまう。次第に目線にも注意を払わなければならない。相手を打っているからといって、手先に目を集中させてはいけない。正面の相手を見る時は、決して相手の顔をみるのではなく、それを通り越して背景を見ていなければならない。凝視すれば視界が狭くなり、横からや後ろからの不意打ちに対応できない。前を見つつも、或いは右を見つつも、背中も目のようにして、四方八方を感じていられるようになるのが理想。とりあえずは、目を前に出して一点凝視することをやめ、少し後頭部方向に目をに引いて広い視野の中で対象をその中に含めるように見ることを注意したい。
これは体の一部としての眼の使い方の練習だが、これによって物の観方を含めた精神面まで”広く”する効果があるようだ。視野が広ければ心も広くなるのだろう。これも、身体から心に影響を及ぼす一例。
2011/12/7 <正気を増やす>
もう一年以上続いている、自称”おばあちゃん”。髪を染めず白髪なのでそう言えばそう見えるが、実は体も精神も中年以上に逞しい。
今日もゆらゆら動功をしている。「何でも適当だからねぇ、私は。」と言うが、70近くになってもオープンカレッジに通ってエッセイを提出したり、ピアノの発表会に出たり、同居している息子夫婦や孫のごはんの用意をしたりと精力的に動き回っている。「やれば、私はしつこいから。」と何でも細く長く続けるという。「ストレス?そんなのあんまりないよ。」。・・・きっと長生きするだろうなぁ、と周囲のみながそう思う、実に闊達なお方。
力が抜けていて、しかし、「自分には厳しいよ」とも言うように自律性があってピリッとしている。戦後の貧しい日本の中で育ち、女手一人で苦労して3人の子供を立派に育て上げ、そして今、日々満喫した生活を送っている。やはり苦労を掻い潜ってきたからだろうか、力が抜けていても決してだらしなくない。何か凛とした感が漂う。
「私は自分が思ったことをそのまま言うよ。人が自分のことをどう思うかなんて気にしない。合う人は慕ってくるし、合わない人は離れていく。」(と言っても、彼女にはしっかり思いやりがある。人を傷つけることはしない、言わない。)
こういう人は透明感がある。
歳をとればとるほど濁ってくる人もいれば、歳をとればとるほど透明感のでてくる人もいる。それは内側からにじみ出てくるもの。化粧や服装、ダイエットではどうしようもないもの。
太極拳では「邪気」に対して「正気」という語を使う。練習によって「気」を増やすにしても、それは「正気」でなければならない。タントウ功の眼目の中には「僵力(強ばった力)」を落とすのと同時に、「邪気」も落としていくことが含まれている。練習すればするほど邪気が増えてしまうのは道から外れた証拠(ものすごい能力を持ちながら邪気いっぱいのマスターも少なくはない!)。
北京の馮志強先生の武術館を訪ねた時も、その前面の壁に大きく「正気を増やすこと」という意味の書が掲げてあった。その時は「正気」とはどんな気?と少し漠然としていたが、その後今日の”自称おばあちゃん生徒さん”と介するようになり、また師父からもちょっとした説明を聞いて、ああ、「正気が多い」とはこういう感じなのだろう、と具体例から意味がつかめるようになった。
太極拳の練習によって「正気」が増えたり、心が広くなったり、という精神面での変化も現れるが、精神面になればなるほど、やはり静功(站樁功や坐禅)の練功の重要性が高まってくる。太極拳の練習の段階も、身体を鍛える段階の頃は動く練習が多いが、レベルが上がれば上がる程動きが小さく、かつ、少なくなり、次第に動功よりも静功主体となるという。
しかし少し考えてみれば、これは自然の流れ。老人になってまで若者と同じように動きまくるというのは、現在の”アンチエイジング”の風潮の是非はともあれ、自然の摂理には反しているのだろう(あら、最後に話が逸れたかも?失礼。)。
2011/12/8 <「承扶」とハムストリングス>
保土ヶ谷で声楽家の生徒さんと二人で練習。雨がいつ降り出すか分からない上、かなり冷えていたので、文字通り”本腰入れて”立つ。幼稚園生の団体がお散歩でやってきて、私達の周りをグルグルしているようだったが、無視。「あれ~っ、動かないよ~。大仏さんみだいだー。」と言っていた幼児もいたような。
站樁功をやると一番身体が温まる。しかし生徒さんはまだ手先にまでは気が回らず、身体の中心部は熱いのに手がかじかんで冷たいと言う。そう言えば私のパリでの最初の冬の練習がそうだったなぁ、と当時と思い出す。手袋をしてはいけないと言われ、しかし気温は零度近く。しかも風が吹いていて天気は毎回ほとんど悪い。「手が死にそう~!」と何度かとても辛かった。ふと横に立っている師父をみると、オーバーの袖が微妙に長く、手が半分以上袖の中に隠れている。それを見てから私も長めの袖の服を着て、その中に手を少し隠して立つ、というような、姑息な手段を使った。そして、二年目の冬。また来た~、と手の寒さを懸念したが、もうそのような辛さはほとんど感じなくなっていた。三年目になると零下6度くらいでも手が出していても大丈夫だった。このような経過を通じて、丹田の気の量自体が増え、それがちゃんと末端まで届くようなったのを身をもって知ったのだった。
今日はその後様々な動功をバリエーションをつけて練習してみる。その度に身体のどの部分に”効く”かを丁寧に分析をする。手の形を変えて腰回しをするだけでも身体の感覚は随分違う。彼女は太極拳のこのような練習が即、声楽の練習につながるので、その熱心さは普通の人の数倍。その分身体の変化がとてもはやく、それまで使えなかった身体のいろいろな部分が使えるようになっている。
そして今日はさらに、おしりと太ももの接合点(承扶のツボ)を教える。ここを意識できるようになれば、気が一気に踵まで落ちる。このツボはおしりと太ももを一体化させるための鍵となる場所。太腿裏側の力をしっかりおしりに固定させるので片足立ちの時も欠かせない。站樁功の時も、そこに「ちょこんと座る」感覚。もちろん套路の時も。
家に戻ってから少し調べてみる。すると、このをツボを使うことによって、筋肉的には「ハムストリングス」(大腿二頭筋と半腱様筋、半膜様筋)を使うことになることが分かった。さらにウィキペディアで「ハムストリング」を見たら、この部分はトレーニングが難しいとか。練習していて、このツボがとても大事だとは感じていたけど、知らないうち「ハムストリングス」を鍛えていたわけねぇ~、とちょっと得意な気になったりした(のはまだ修行が足りない証拠?)。
(ご参考までにhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0
この図の、おしりと太ももの境目の皺のところに線が引っ張ってある、そこが「承扶」のツボ。)
2011/12/9 <ハンマー投げ、外縁→内縁(丹田)→外縁>
赤ちゃん連れクラス。腰の運動がやたら多いこのクラスに最初の頃は?だったおママ達も、随分慣れてきた。今日は、ただの水平腰回しから一歩進んで、外周から少しずつ内へ内へと意識と力を入れる場所を移動させていき、所謂「体幹」を感じさせることを試してみた。胴体の最も外の輪っか(円)を意識して運動すれば、各関係部位の可動域が増し柔軟性が増す。そのまま波紋の内側の輪に移るように身体の内側の円に移動していく。最後にたどりつくのが丹田。
生徒さんの手の先に私がおもりのようになって、腰を回して半円を描かせてみる。そう言えば、これはハンマー投げの途中の動作のよう。
室伏選手の画像を見てみる。やはり、思ったとおり。
http://www.youtube.com/watch?v=5MN8wcB-jNU
この画像の1分10秒あたり(7回振り回して飛ばすが、その4回目のあたり)が、ちょうと、丹田に入ったところ。
それより前は、外から丹田に力を溜める過程、その後は丹田に集まった気(力)を外(腕)向けて放出させていく過程。外→内(中心)→外。開→合→開、の現れ。
2011/12/11 <室伏選手のトレーニング>
生徒さんに套路メインで教える。
5式最初の円を描く動作がとても分かりにくい。左手は円で、右手は無限大?
套路は円の連続。円には基本的には立円、平円、竪円、斜立円があり、これで、八卦が網羅される。これに順回転、逆回転がある。このような構造に気が付くようになるのは、ある程度練習が進んでから。まずは覚えなければならない。がんばれ!
先日からハンマー投げの室伏選手のことが気にかかっていたところ、こんなトレーニング方法の映像を見つけた。
http://www.youtube.com/watch?v=qOyDKzxvLbA&feature=related
48秒から52秒あたりのボールを腹に押し込んだまま中腰でグルグル回るトレーニングは、まさに丹田1点で回る練習、そしてこの練習は、最後の2分以降のギャラリー前でデモンストレーションしている実践的な動きにつながる。
12/9のメモで引用した室伏選手の試合の時の映像では、この丹田で回る動きが一瞬しかないが、彼のトレーニングを見ると、どれだけこの”一瞬”をつかまえようとしているかが良く分かる。それほど丹田にきちんと入るか入らないかは重要なキーであるということ。
これはどんなスポーツ(に限らないが)でも同じである。
丹田一粒がほんの少し動いただけで、外周はものすごい速さで動くことになる。丹田の力をそのまま末端(手や足)に伝えるためには、腕、脚も含めて身体は”筒”になる必要がある。だからあれほど”脱力(松)”が強調されるのだ。
脱力を重視しない一流選手はいない。
2011/12/12 <ピアノで腕の螺旋運動>
自主練習。その後ピアノのレッスンを受けに行く。
鍵盤を押して音が出たあとの、そこに漂う余韻、響きに注意する練習。鍵盤を垂直に打った時と、奥に押し込んだ時、或いは次の音につなげようとしながら打鍵した時はそこに漂う余波が異なる。また、上手な飛び込みのように当たる指の面積をごく小さくした場合、下手な腹ぼてのようにバシャっと打った場合、それも同じ音とは思えないくらいの差がでる。
そう言えば、先日音楽サロンに参加したときにピアノの先生がお二人いたが、彼らが言っていたのは、ピアニストの中にも、腕から弾いている人、上半身で弾いている人、足の力まで使って弾いている人がいるということ。それは「音色」を聞けば分かるとか。
先生は、「こういう音が欲しいという気持ち、イメージで音を出そうとすればそのような音になりますよ。」と言う。とりあえず納得したようなふりをしたが、心の中では、「いくらイメージがあっても、そのイメージを体現できるだけの『技術』がなければどうしようもないのでは?」と思ってしまう。そして先生の弾き方をよ~く見る。
明らかに異なるのは小指と親指。一音だけをとても丁寧に弾いてもらう。そして気づいた。ああ、小指で弾く時は小指の『点』で弾くのではなく、小指先端に向けて、手のひらの外側から手首を抜けて肘から腋に至るラインすべてが『線』となってつながっている。親指もしかり。・・・そしてこのラインは紛れもなく経絡の流れと完全に一致している!ああ、そうだったのね、と目から鱗。
小指側は小腸系。打鍵の点は「少沢」そして手首の「陽谷」、肘の「少海」、後肩の「天宗」が連結して動かなければならない。
親指側は肺経。打鍵の点は「少商」、そして手首の「太淵」、肘の「尺沢」、前肩の「中府」がすべてつながっている。
そしてこれらの点をつなげるには、螺旋運動が必要。だからピアノを弾く時は手首、肘、肩にいつも大なり小なりの円運動がある。
纏糸と螺旋は太極拳の基本の運動形式。力は螺旋を描いて伝わっていく。
腕の纏糸功をピアノの練習でできるとは!一挙両得。一石二鳥。
長らくご無沙汰していたピアノの練習を再開したのは、太極拳の練習がどのくらい有効かを検証するのが目的だったが、いつの間にか、ピアノの練習を使って太極拳の練習をするようなことになりつつあるような・・・。まあ、相互作用があるということ、かしら。
2011/12/13 <開脚は基本中の基本>
初心者2人は第7式「斜行」の練習。ここの左手と右手がバラバラの技を同時に行う箇所は、これまでどの生徒さんも少し戸惑うのだが、今日の二人は思っていたよりも早くクリア。覚えようと一生懸命努力してきただけあるのか、新しいことを覚えるのが前よりも楽になってきたような感がある。
ベテラン組は48式を先に進む。
48式は24式の第21式(撃地捶)まではほとんど共通。
その後、第22式「翻身二起脚」、第23式「獣頭式」、第24式「旋風脚」、第25式「右蹬脚」、第26式「小摛打」、第27式「抱頭推山」となる。そして今日は第28式「前後招」と第29式「双震脚」。
48式は足技が多いので、股関節を更に開くよう、ストレッチ等の基本的練習が必要。脚が上がらないことには、どうしようもありません。
2011/12/14 <立つのは究極の贅沢>
予定変更して家で練習。1時間45分立つ。1時間以上立つのは久しぶり。やはり師父も言う通り、一時間越えてからの5分、そして更に5分の間に起こる身体の変化・感覚は、何とも言えない妙がある。感覚が深まれば深まるほど、止めたくなくなる。止めるのがもったいなくなる。
古武道の甲野善紀さんが絶賛する意拳の達人、光岡英稔師範も、かつて1日8時間立っていたそうだが、それも驚くことでないのが分かる。
問題は”そこ”=入静状態にどうやってはいるか。
前提として身体が緩まなければならないし、思考も止まってしまわなければならない。
テンポの速い現代生活とは真反対。「こんなことをしているのは時間の無駄ではないか?」という疑問が出てきても不思議でない。実際、あの中国本国でも、昔のようにじっくり時間をかけて練習する人が減っている。如何に金を稼いで成功するか、ということを第一に考えている人達にとっては、このような練習は時間の浪費でしかないようだ。他方、欧米先進国では中国に行ったり、中国人の師についたりして、真面目に昔ながらの練功をしている者が出てきている。
思うに、世の中のほとんどの物事はコツ(センス)と努力によって成果がでる。しかし、站樁功や坐禅のようなものは、成果を追い求めれば成果は遠のき、コツを掴もうとすればコツを掴み損ね、進歩を速めようとすれば遅くなり、結局、何をどうあがいてもダメなのが分かり、ただ諦めて立ち、そもそも何のために立っていたのかを忘れ、自分を忘れ、時間も忘れ、そして立つこと自体がじわじわとした喜びになった頃、初めて何か言葉にできないものが開示される。それは心身を超えていく。「天人合一」という言葉もよく使われるが、本当は、”本当に”言葉にならない感覚なのだと思う。
ともあれ、何もせずにただ立つ、というのは究極の贅沢なのかもしれない。
2011/12/15 <外旋しながら内旋:どっしり身軽>
一番のベテラン生徒さん。最近忙しくてあまり練習に来ていなかった。
自分では身体の感覚が鈍いと豪語している。でも私から見れば全くそうではない。
今日も套路の中のある定式(各式の最後のポーズ)をさせた時、「ああ、股関節は開いているけど、その中は締めているのね。」と、それとなく、私からすれば、”すごい秘訣”に言及した。
太極拳では最初から股関節を外旋させる練習をする。外旋ができないと、脚の可動域も限られ脚が自由に動かないだけでなく、おしりや太もも裏側を始め身体の背面の力を有効活用することができない。バレエのアンデオールや武道で俗に言う”股割”をするのもそのためである。
しかし、実は、練習はそこでは終わらない。股関節を外旋させると、おしりが少し中に巻き込まれまれ(『斂臀』)、力が腰から足に向かって落ちる。すると、地に足が着く、という表現のごとく、どっしり立つことができようになる。
が、これでは素早く動くことはできない。そこで、股関節の外旋を残したまま、そのさらに内側を内旋させるようにして、会陰が下っ腹奥に向けキュッと上がるようにする(くれぐれもでっちりにならないように)。すると会陰から上体を持ち上げるような上向きの力が働くようになり、脚が軽くなる。素早い動きが可能になる。
太極拳では(いや、太極拳だけではないはず!)、「身重如山」と「身軽如羽」が同時に要求される。即ち、どっしりしながら、身軽でなければならない。それを実現する鍵となるのが、「外旋しながら内旋」である。
こんな秘訣をさらっと言ってのけた生徒さん。教えながらますます理解が深まるのも、生徒さんのおかげ。
2011/12/16 <甩手(シュアイショウ)>
ママさんクラス。
脚を少し開いて立った状態から、身体を真っ直ぐ立てたまま腰を右方向へ回し、そして左へ回し、と、竹とんぼを飛ばす前のような動きをする。その時、腕はぶら~んとして上体に振り回されるままにする。
これは甩手(シュアイショウ)という練習方法の一種だが、「松」の練習としてとても効果的である。中国では様々な甩手功が養生法としてやられていて、早朝の公園でもその光景が良く見かけられる。動作が簡単で、老人にでも簡単にできる。
私も太極拳を本格的に学ぶ前に気功法の一種として甩手を学んだことがあったが、その時は、大した効果も魅力も感じない練習だった。しかし、今、改めてやってみると、なかなか奥が深い。
「上虚下実」(下半身がしっかり、上半身は軽く)、や「放松」(脱力)、そしてほとんどの人の悩みである肩こりや背中の凝りにも効果的。腕の力を抜いて、「縄」や「鞭」のようにするにも良い練習である。
今日の生徒さんの中にも、この練習がえらく気に入って、「気持ちい~い!これならいくらでもやってられる!」と、なかなか次の練習にうつらないママがいた。
やはり、苦しい練習よりも気持ち良い練習がウケます・・・。
甩手ももう少し研究してみるべきかしら?
2011/12/17 <五弓:背骨は弓>
保土ヶ谷。
生徒さんに、頭から尾骨までつながる背骨をどんな線としてイメージしているか質問してみる。「直線じゃないのですか?」との答え。確かに、「背骨は真っ直ぐ!」というのが教科書的な答えだが、もし本当に背骨を地面から垂直な直線だと思っていたら、案山子のようにただただ立っているだけで、何の動作もできない。
背骨は静的なものではなく、動的なものである。
背骨は時に龍や蛇のようにうねり、時にはチーターが疾走する時、カンガルーが飛び跳ねる時のように伸び縮みするかのように動く。もちろん回転もできる。自由自在に動くのが理想である。
太極拳では身体は5つの「弓」からできているという。四肢が4つの「弓」で、残りの最も大きな「弓」が背骨である。そしてその背骨という弓は、通常、陰面(胸・腹の面)の面積が狭く、陽面の背中側の面積が広くできている。これが基本姿勢。よほど特別の時でないと、胸や腹を開いて陰面を拡げることはない。
私の見るところ、日本人の太極拳の先生は、総じて身体の「中正」(中心線を通すこと)を重視して教えるため、背骨は真っ直ぐだが、実践には使えないような背骨の固い形になりやすい。反対に中国人の太極拳の先生は、まず、背骨の柔軟性を教え込むので、あるところまでは形に「ゆがみ」がでるが、上達とともに次第に「中正」ができるようになってくる。背骨を、脊椎一つ一つがブロックのように積み上がっていったものと捉えるので、その一つ一つを動かすことによって、様々な背骨のラインを作り出すことができるようになる。直線はその様々なラインの一つに過ぎない。
外側から見て同じように見える真っ直ぐの背骨でも、その背骨を剣道の竹刀のような「木製の棒」のように捉えるか、或いは中国武術で使われるような、ペラペラした薄くしなる金属製の刀のように捉えるかで、動きも変わってくるはず。
2011/12/18 <意の力>
ここ半年ほどお休みしていた若い女性。先週から復帰。
私の生徒さんの中では口数が少ない彼女。以前教えた時、私は今一つ手応えを感じられなかった。先週突然練習に来たときは私も正直言って少し驚いた。
なぜまた練習に来たのか、私も聞かなかったが、先週来た時に以前よりも意欲があるのは見て取れた。今日はやる気もあるし、彼女から質問もしてくる。そしてしょっぱなから、私の言うことが、すぐに身体で感じ取れられた。これもクリア、あれもクリア、というように、私が次々教えることを体現できる。彼女がぽつりと、「昔分からなかったことが、今日は次々分かるようです。」と言う。私も「身体、冴えわたってるね。」と驚きを隠せない。
お休みしていた間、とりたてて何か自分で練習していたわけではないという。
「頭が冴える」時があるように「身体が冴える」時もあるのかなぁ・・・と、因果関係がいまいち分からないのが気持ち悪い。
帰り際、「ギターも腰が大事とギターの先生に言われました。」とまたポツリ。そう、彼女はギターのセミプロ。ああ、だからまた太極拳を習いにきたのね、と心の中で思う。
自分の最も好きなことのためなら、練習の意欲も高まるのだろう。身体が冴えているのも、きっと、その意欲の賜物。
そう、心(意)は強力!
2011/12/19 <歳をとって得るものと失うもの>
カルチャーセンター。何もしなければ、歳をとればとるほど、背骨の柔軟性がなくなる。関節の可動域が狭くなる。気が付けば、昔できたいろいろな動きができなくなっている。
小学生の頃にできた様々な動き、いつからできなくなるのだろうか?
鉄棒の逆上がり、その連続周り、雲梯(写真参照)、跳び箱、開脚前転、側転、ブリッジ、逆立ち・・・。
腕で自分の体重を支えることができないし、背骨を丸くすることができない。肩関節の可動域も狭まり、ジャンプもできなくなる。
でも、それは突然できなくなるわけではない。ただ、長い間、”しなかった”から ”できなくなった”、のだろう。なら、”していれば”、ずっと、”できる”はず?
クラスでは皆笑いながら、そう言えば、昔はこんなことしたよね、あんなことしたよね、と今できなくなったことについて何の悲壮感も漂っていない。それは皆同じように歳とっていくからなのだろうか?
屈託なく笑う年配の人達を見ると、こちらも気が軽くなる。
歳とってたとえ身体が重く不具合が出てきたとしても、心は軽くなっていきたいもの。
練習では専ら身体を鍛えているように見えるが、本当は”身体”を入り口として、”心”の鍛錬をしていくことがより重要なのだろう。
歳をとれば身体が衰えていくのは自然の摂理。その摂理の中で身体を慈しみ手入れをしながら、徐々に心を鍛え高めていく。
人の一生とは、身体の衰えと引き換えに徐々に美しく磨かれた心を手に入れていく過程なのかと私は思う。
そう考えると、歳をとるのも意義があり、楽しみがある。
2011/12/20 <楷書→行書→草書>
前半:人生の先輩組、後半:ベテラン組。
後半、24式を今日一通り学び終えた生徒さんがいる。これからしばらく通うことができなくなるという。
状況が許さないのであれば、それは「縁」でもあり、仕方がないことなのだが、私としては、せっかくやっと24式の形を覚えたところで止めてしまうのはもったいなくて残念なところ。形を覚えてからが太極拳の醍醐味を味わえる。それを味わい始めた生徒さんは、その生徒さんに対し私と同様の感覚を持っているようだ。
太極拳は「内家拳」の一つだが、とても「内」や「中」を重視する。外側、即ち「形」はもちろん大事であるが、次第に形を抜けていく。
太極拳の先生も、まだ新米の頃は、形も標準的で書道で言うなら「楷書」的。そのうち練習が更に進んで、身体の中の気の流れに沿って身体を動かすようになってくると、外の形は多少崩れ、「行書」的になってくる。そして更に年季が入ってくると、動作は「草書」的になる。
少し話がそれるが、初心者が学ぶ場合、必ずしも「大家」に学んだからといって良く学べるわけではない、というのもそんなところに一因があるのだと思う。初心者は「楷書」から学び始めるのが筋である。
まずは形、動作の正しさから学び始めるが、次第に身体の内側の感覚に集中して動いていく、それが太極拳の醍醐味。武道でも芸術でも、「形から入り形を抜ける」というのは共通している。言い換えれば、まずは技術を身につけなければならないが、技術の習得それ自体が目的なのではなく、技術はその先の「表現」や「実践」のための道具に過ぎないということ。
できれば深く学ぶ楽しさをも伝えたいもの。それにはまず自分が深めなければならない。
2011/12/22 <卓球が原点?>
中学時代の幼馴染と久しぶりの卓球。
私達の故郷は香川県の高瀬町。松崎キミ代さんという1959年、61年に世界チャンピオンとなった卓球選手の出身地だ。そのため「卓球の町、高瀬」とも呼ばれ、その中学の卓球部に入れば当然のように県大会で優勝することになっているくらい、卓球の盛んな場所だった。
今日の幼馴染は中学2年の夏の県大会でシングル優勝したことがある。私はその時ベスト16で彼女に負けた。しかしその後彼女の卓球熱は冷め、卓球よりも他の楽しいこと(?)に目が移り、それに反して私は(今思えば)かなり真面目に練習を続けた。
その後、ラッキーなことが積み重なり、全国大会で3位という成績をとり、その成績が評価され、1982年、中学3年生になった時に日本の中学生の代表団の一人として、初めての海外、北京に10日間程卓球をしに行くことになった。
それはちょうど30年前。
そして、その北京での10日間での経験が今の私にとても大きな影響を与えている。
そもそも太極拳にすんなり入れたのは、卓球に似通うことがとても多かったから。速さこそ違うものの、身体の使い方がとても似ていると最初から思った。だから呑み込みも早かった。
そして上のような経緯で北京に行った時、滞在していた北京体育学院の宿舎の窓から朝6時前に外を眺めたら、地平線沿いに小さな2人の人影がゆっくり動いていた。何をしているのだろう?とじっと見ていた。あの壮大な果てしなく広がる地の際に、あのゆっくり動く人影。中3の私はその頃まだ気功とか太極拳は知らなかったと思うが、その光景はずっと頭に残っていた。
その光景が何だったかはっきり分かったのは、きっと気功や太極拳の練習を始めてからだろうと思う。あの早朝の凛とする空気の中で、他に何の道具もなく、ただ自然だけを相手に瞑想的に動く、その美しさに無意識的に魅かれていたのに気付いた。
北京では中国人のコーチに学んだ。その時、日本ではタブーとされていた動き方を教わった。それは所謂「ナンバ歩き」ちっくなもの。右のフォアハンドの時に右脚を踏み込んで右脚で戻ってくる打ち方。身体を回転させることなく威力のある球を打つことができる。
今、太極拳を学んでみると、右腕・右脚を同時に使うストレートのラインは基本中の基本であることが分かる。所謂「ナンバ歩き」的なストレートのラインは、右から左に斜めに打つラインに比べて、溜めがいらず、構えから打点までの距離が短く、瞬発的な威力を出すことができる。もちろん、太極拳にも斜め打ちや上から下、下から上、など様々な打法があるが、卓球においても、ドライブ打ちには斜め上のライン、しのぐ時のカット的な下へのラインなど、やはり、多彩な打ち方ができるのが一流選手の条件なのだろう。
ということで、十数年ぶりに卓球をしたわけだが、自分のこれまでのフォームが正確さを欠いていることも発見。幼馴染の身体の動きも調整したり、目の使い方を再確認したり、とこれまで気が付かなかったことにたくさん気が付く自分に驚く。
そして、今の私の太極拳の練習ではなかなか「対戦」ができないところ、その「対戦」の感覚を卓球で少し味わった。その中には普段奥底に眠っている闘争心が起こしてしまうことも含まれるが、もっと面白いのは、あの、「駆け引き」の感覚(実はこれがとても好き!)。「対戦」になると「駆け引き」がとても大事。そう言えば、太極拳は基本が一癖ある「騙し技」。心理戦もある。そのあたりも使えるのかしら・・・?と「策略家」の私が大活躍。賢さ、狡猾さ、機転が利く、裏をかく、権謀術・・・諸葛亮?なんだか頭の中がパンクするほどいろいろなことに思いを馳せ、収拾がつかなくなってしまいました。(中国武術は特にズルさが必要。正々堂々、真正面から当たって砕けろ、みたいなのは?)
明日は頭をすっきりさせ、ちゃんと太極拳の練習に戻ります。
2011/12/24 <戸外の練習で抵抗力をつける>
保土ヶ谷。室内のクラスだが、戸外があまりにも気持ちよく、皆外で立つ。
室内で立つと気持ち悪くなりがちな生徒さんも、外なら平気。呼吸も深く自然にできる。
やはり、太極拳は本来外で練習するもの。自然に身体をさらして、その時々の気候に身体を合わせる。暑いのも寒いのも、みな身体に味わってもらう。すると屋外の樹のように強くなる。自然に抵抗力がつく。
そういう意味では現代の生活はとても不自然。私自身、以前オフィスで働いていた時に、ふと、「真昼間なのに、いつも電灯の下で暮らしているのはおかしくないか?」と思ったことがある。太陽の光の下で暮らす時間がとても少ない。外にいる時間がとても少ない。
せめて練習の時だけでも、外の空気の気持ち良さを味わいたいもの。