2012/1/30 <手段が目的になる時>
カルチャーセンター。
軽く站樁功から始めるが、自分でも驚くほど、毎回指示が変わっている。
得たい結果はいつも変わらないのだけれども、そこに辿り着くための手段として「立つ」のが、ただただ漫然と立っていたのではなかなか効果が得られない。どうにかして、何等かの効果を感じさせたくて、私も毎回毎回、手を変え品を変え説明をしているよう。なかなか上手く伝わらないので、私も必死になってしまう時がある。師父は、しばらくただ立たせて待っていろ、というけれども、なかなか待てないところが私の欠点。
数十年前の中国では、厳しい社会主義体制の下、どれだけ働いても収入が変わる訳でもなく、確かに、練功をする人は1時間でも2時間でも、じっくりと時間をとって練習していたようだ。現在の中国は日本以上に競争が激しく、定年前からじっくり「立って」いるなんて怠惰だと思われるふしもなきにしもあらず。そんな時間があれば働いてお金を稼ぎなさい、ということになる。
そして武術学校に入学する者も、警官や役者になる等、将来の就職を念頭に置いている場合が多く、その場合はどうしても、站樁功のような最も地道な基礎訓練はいくぶんおざなりになる。そう言えば、今や、まじめに長時間站樁功をするのはドイツ人や他の外国人留学生である、と馮志強先生も話していた。
話を元に戻すと・・・、
やはり、站樁功はだれがやっても時間がかかる。人はまずある効果(身体を強くするや、病気を治すや、経絡を開通させる等)を得るために站樁功を始めるのだが、そのうち、立つこと自体が面白くなってくるとしめたもの。それは本当に定着してくる。
実際私自身、「立つ」だけでどれだけのものが得られたか、そして今後得られるか、は、筆舌に尽くしがたい。それは身体はもちろんのこと、身体以上のものがある。
立つこと自体に楽しみを見つけるところまで生徒さんを導きたいもの。
有る目的の手段にすぎなかったこと自体が目的となる、即ち、「手段が目的となる」、それは站樁功に限らず、生活上の全てのことに通じる、生きる楽しみを感じるコツ。
仕事をしても、掃除をしても、電車に乗っても、ご飯を作っても、すべてそれ自体が目的となる時、人生全て、意義だらけ、人生満開!という風になるのだろう。
2012/1/27
ママさんクラス。
初心者ママが多く参加。懇談会もあり、今日は20人近くの参加する賑やかなクラスとなった。
ただ、ベテラン生徒さんが一言。 「5、6人の少人数がいいなぁ~。」
確かに、私の眼が行き届くのもそのあたりかしら。
大勢の中に混ざって適当に練習して済ますのではなく、できるだけ私にきちんと見てもらいたいという気持ちで来る意欲のあるママ達。
私もしっかり教えられることを教えなければならないと思った。
2012/1/26 <声楽家のための練習>
声楽家のためのワークショップに向けての準備。
ベテラン弟子を連れて、声楽家の生徒さんのお宅に伺う。
様々な練習を試しながら実際に発声をしてもらい、声楽家に必要な練習方法を選択、整理するのが目的。
結果、太極拳の基本練習と発声法の共通性を更に発見。私としても通常の練習方法としても使える新たな練習方法を発見。
双方にとって有益な、かつ、とても楽しい研究の時間となりました。
常に新たな発見がある!これが人生の醍醐味。
以下、メモ。
声楽家のためのワークショップの準備メモ
声楽家に必要なことは、①気の量を多くする(声量、多彩な声色)、②通りをよくする。
1.気の量を多くする→気を溜める練習(静功)
(1)丹田の位置を見つける
坐禅からやってみる、正座の時の上半身、骨盤の状態を覚える、
腰を反らすことなく仙骨をたてる、坐禅で動いてみる
(2)溜める要領
まずは漏らさない(胸、あご、会陰)
丹田に集める
・下丹田、中丹田、前丹田、後丹田、それらの関係の説明
・呼吸の要領 上→下(鼻→丹田)と下→上(会陰→丹田)の接点で発火!
・「按」の要領、吐く時床に手のひらをつけて押す、会陰を引き上げる
・吸って気を中心(丹田)に集め、吐いて引き伸ばす(ひっぱり合いの力)
<吸っても吐いても、気を対外に漏らさない>
※吐いた時(声を出した時)、同時に息が下向きに会陰を打つのが大事
会陰とその両脇、足の裏との関係
・応用として小周天をしながら発声 (尾骨を上げて息を入れる)
・立って同様の感覚を得る
2.通りをよくする→身体を内側から開ける練習
・開合功 (動功として、そして静功として)
会陰を左右に開くところから、徐々に上に移動して丹田の左右の開合へ
・その他の動功
腰・胸・肩、それぞれを開く動功を選ぶ
(胸と肩について、纏糸功は初心者には難しいよう。別のものも探す)
・放松功 ぶらぶら、ゆらゆらしながら、かつ丹田を定める
3.人体の構造の簡単な説明
・経絡図
・身体の様々な場所で働く『引っ張り合いの力』。図に書いて説明。
<音が高くなればなるほど、意識は下に持つ。丹田内視の意味>
4.その他の気づいた点
・胸の開け方は、引いて下げる要領
・喉の開け方は、奥に引く要領
・前肩の調整、小胸筋を使えるようにするトレーニングを考える
・尾骨、仙骨の可動域を増やす
・足裏の使い方
2012/1/24 <寒い日の練習で分かること>
雪が積もった公園。足元が悪い。ここで歩く練習をしてみる。
左足を着地した時は、左半身が左足にきちんと真っ直ぐのる。右足を着地した時は、右半身が真っ直ぐ右足にのる。
当たり前のことのようだけれども、そんなに当たり前にはやっていない。氷の上や雪の上だと、滑らないために、そんなところをしっかり意識できる。
これがちゃんとできれば、片足立ちは簡単!
左右の重心転換は太極拳の基本。簡単なようで、これも案外難しく、奥が深い。
站樁功のバリエーションをやってみる。
ただ立つのが站樁功(静功)だけれども、開合功をとてもゆっくりやって、動いているのだか止まっているのだか分からないこらいに動いてみる。本当のスローモーション。こうなると静功だか動功だか分からない。
これを3回やっただけで、「暑い!」と言って上着を脱ぎだした生徒さんもいた。
スローモーションで行うと、丹田にとても力がこもる。丹田に力がこもると全身がとても熱くなる。発火する。(今後この練習を取り入れていこうと思った次第。)
冬の寒い日の練習をして皆驚くのは、站樁功の時が身体が最も暖かく、その後動功をしたり太極拳をして身体を動かすと、とたん寒くなってくるということ。
これは、站樁功では気を溜め、漏らす量が最小限に抑えられているのに対し、動くとまず気が使われ体内から体外に気が出ていってしまうから。もちろん、ある程度動けば、また身体の中から熱が産出されるが、そこにはタイムラグがある。
動きながら同時に丹田を練って気を産出できるようになるのはマスターの域。
2012/1/23
はじめて太極刀を教える。
パリで38式の刀の套路を一通り学んだが、その時は太極拳に付随するお遊び程度に捉えていて、内功や太極拳ほど気合いを入れて練習をしていなかった。
日本に戻ってきてからは、『内功・太極拳の套路・推手』、この3つを教えることを目標にしてきた。しかし現時点において、套路24式がやっと一通り教え終わり、48式はまだ半ば、対人練習である推手に至ってはまだ本当には教え始められていない。
しかし、こんな状況の中で、一人の男性生徒さんが、刀を学びたいと、自分で勝手に刀を買ってきてしまった。正直言って私は面食らったが、パリから戻ってきた勢いに乗じて、再度刀を復習し、彼に教えてみることにした。
今日は起式から第11式までを教える。全部で38式だから、1回で4分の1以上を教えることになる。
ただ、一つ一つの式が太極拳(24式)に比べて格段に短いので、一気にそこまで覚えるのも無理ではない。
左手での身体の持ち方(持刀)から始めて、右手での握り方(握刀)、そして、基本的な刀の使い方(刺す、切る、突く、押す、掲げる)等を教え、套路に入る。
私は以前よりも身体の力が増えているようで、楽に刀を振り回せるが、生徒さんは、ともすると刀に振り回されている。身体の力、体幹がしっかりしていないことが本人にも露わになる。
また、肩関節、肘関節、手首が緩んでいないと、自由自在に刀を使いこなせない。刀は龍や蛇のようにしなり、刺す時には一息に刺さなければならない。身体が強ばっていてもダメ。身体や腕の力を抜き、本当に筒のようにしなければ、刀は「活き」てこない。
とてもよい刀の演舞を見ると、刀の刃や刃先が生きているかのように動く。「これなら、本当に人を切れるだろうなぁ」と思えるのが本物。演舞者が、顔をしかめて、あたかも人を切っているような表情をしていたり、身体に力を込めて力がありそうに見せているものは、水準が低い。切れ味が命。
(そんな話を生徒さんにしていたら熱がこもってきて、刀を振り回す私は彼を突き刺さんばかりの迫力。彼の苦笑いを見て、私も自分の内から湧き出てくる戦闘本能に改めて気づき少し恐ろしくなったのでした・・・。)
そう言えば、食パンをスライスする時も、力を込めてギコギコするとパンがボロボロになってしまう。少し力を抜いてパンナイフを引けば、きれいに切れる。
練習を終えた男性生徒さんも大満足の様子。
私も教えてみて、武器(器具)を使った練習が思っていた以上に有益であることに感動!
是非これから機会があったら教えてみたいと思ったのでした。
・・・ただ、問題は、銃刀法との関連・・・。
馮志強先生が養生法として編纂した、太極棒というのがある。それならどこでも人目を気にせず練習できるけど、あの武術の格好良さがないなぁ。
2012/1/21 <四肢の軸>
今度は四肢の付け根の軸の図。
身体は四輪駆動。そして4本の軸がぶれてはいけない。
私達が四足動物だった頃を思い返せば、肩関節と股関節は基本的には同じ構造。関連している。
ポイントは、前面と背面のツボをつなげること。
つなげるためには、前面のツボ(中府と髀関のツボ)を後ろに(案外思いっきり)引き込まなくてはならない。
そうすると、肩関節、股関節が前後に貫通し、四肢が自由に使えるようになる。
肩(腋)のライン、股関節のラインが地面と平行になれば、そこに挟まれた胴体部分が直立し、内臓がきっちり収まる良い形になる。
日本人は総じて前肩が閉じていて小胸筋が使えず、猫背のようになっている。股関節も閉じている。四肢を自由に動かすためには、太腿と胴体の連結部分である股関節、腕と胴体の連結部分である肩と腋を開かなくてはならない。
開いたかどうかのメルクマールは、背面のツボである、肩貞と承扶のツボを意識して使えるようになること。この2点が使えれば、身体の背面の力を四肢に伝えることができる。
なお、「腋を閉めろ!」と良く言われるが、それは、前肩のツボである中府のツボを後ろに引け、ということだったのだと分かった次第。そうすれば、肩の力を使うことなく、身体の力を腕に伝えることができる。身体の力も抜けない。そう言えばお相撲さんの突きは、そんな形でやっているなぁ。
2012/1/20
<タントウ功のバランス>
タントウ功は、これだけやり込んでいる(つもりでいる)私でも、まだ新たな発見が続く。
初心者に教える時も、毎回同じことを言っているつもりで、微妙に言い方が変わっていたりする。教科書を見れば、簡単に要領を書いているのだが、実はそれほど簡単ではない。
そして、なんと言っても、太極拳の先生たちはぶかぶかの服を着ていて、站樁功の時、実際に身体がどうなっているのか、見ることはできない。関節の動きは秘密である、というのが武術の常識とも言われる。
そこで、今回は、言葉ではなく、私の最も苦手とする「お絵かき」で站樁功のバランスを表現してみました。
これだけ描くのに数時間を要してしまいましたが、腰の部分に様々な力が加わって力が倍増されているのがはっきりしたのは大きな収穫!丹田に力が集結するのも(私には)分かりました。
言葉の説明が必要であればまた後日に・・・(お絵かきで消耗(´ε`))
2012/1/19 <再度站樁功>
時差ボケが治ったのかどうか分からないまま練習。
パリで指摘されたことを再確認しながら、自分なりに整理をしていく。
站樁功は、股関節を更に後ろに引くことを指摘された。
これに関連しての整理。
①股関節を後ろに引いていくと、結局承扶のツボに座ることになる。→ハムストリングス(太腿裏の筋肉)や腰・背中といった身体の陽面が使えるようになる。
②站樁功の手順の整理。
(1)まずは身体の上から「松」(脱力)していく。沈肩にはもっとも注意する。
(2)股関節の緩め方:
★まず、恥骨を下向き会陰方向へ押し込む。
→気が任脈(身体前面の上下を走る脈) を下向きに通る。
→でっちりになるような感じ
(このままだと、気が会陰を通過して、今度は督脈を上に上がるようになる)
★でっちりにさせないように、おしりを少し上からかぶせる。
→これによって、「中正」(任脈と督脈のバランス)がとれる。
→気が任脈も督脈も下向きに走る
(3)そのまま脚にも気が下向きに流れるように放っておく。
(4)上から下向きに気が流れ、全身「松」ができたら、意念を使って気を導いていく。
例:任脈下向きから会陰を通過して督脈を上がる(逆回転)、
督脈下向きから会陰を通過して任脈を上がる(順回転)、
脚裏側(陽面)下向き、脚内側(陰面)下向き(順回転)
脚内側下向き、脚裏側上向き (逆回転)
③なお、気を丹田に溜めるには、上半身の気(任脈、督脈双方とも)を下向きに、脚は陰脈も陽脈も全て上向きに導くのが最も効果的。ただ、足の気を上にあげる時に、股関節を閉じないよう、開いたまま(後ろに引いたまま)上げることに注意する。股関節を閉じると、上半身と下半身が分断してしまう。
肩についても股関節と同様に前肩を後ろに引くことが必要。これは小胸筋が多分に関連。日本人に多い、前肩が前に入った猫背の形では、腕と肩が分離できない。腕を使うたびに肩が動き余計な負担をかける。まずは肩を正しい位置に戻さなければならない。肩の構造と股関節の構造は似ている。前肩を後ろに引く(胸を開かずに)ことによって後ろ肩が使えるようになる。
常に調整は続くということ。
2012/1/17
パリでの練習。とても短い時間だったが、師父に何点か大事な指摘を受けた。
一人で練習していると、自分の問題点に気付かないまま、気が付くとかなりの誤差が生じてしまう。実際に師父に見てもらって治してもらう必要性を再認識。パリまで来るのは大変だけど、いつもそれ以上の収穫がある。
以下、今回の滞在期間中に学んだことの私自身へのメモ。
1.下半身の力(気)が上半身に伝わった時、その気が多くなればなる程、肩はより沈めなければならない。気の量が多くなった分、それまでと同じ意識で練習していてはいけない。腕を上げても、回しても、肩が動いてはならない。→こうすることでより力がでる。中正保てる。気の量が増えれば増える程、注意しなければならないことが増える。ちょっとした誤差が身体に不調をもたらすことあり。
2.股関節を更に緩める。自分ではできていると思ってもまだ不十分。股関節を更に後ろに引き、上体はやや前傾姿勢。鼻の先が膝頭に合う。ちゃんとできれば股関節がないかのようになり、上半身と下半身の区別がなくなったように感じる。そうなれば足の力がそのまま手まで素通りして伝わる(もちろん、肩関節も”ない”かのようになっていなければならないが。)。
私のイメージでは、ジグザグの線は、つま先→<足の裏>→かかと→膝裏→後胯(太腿とおしりの接合点)→<内股>→前胯(股関節前側)→命門
そして<足の裏>と<内股>は地面に対して水平線
3.推手の時の肩。後ろに引いたとき前肩を開ける。閉じたままではダメ。開くことによって、後肩の力(つまり肩甲骨、背中側の力)が使えるようになる。引いたときの肘の高さは肩とほぼ同じ。腰の回転も注意。これはもう少しやり込む必要あり。
4.足裏の使い方。站樁功の時はかかとにのっているが、足はお椀を伏せたような形になり(土踏まずが上がっている)、足指が全て地面についていて、足指を使いたい時は、どの指でもいつでも使える状態。
土踏まずが上がれば、地の気が吸えるが、そのためには足の陰脈が通らなければならない。土踏まずは胃の反射区だが、ここは「後腎」とも言われるほど大事な場所。ここから腎経が出発し脚の内側を上向きに走っていく。
土踏まずは湧泉につながる。そして湧泉→親指、湧泉→小指、と湧泉、親指、小指で三角形ができる。親指は陰、小指は陽。
だんだん足指一本一本が独立して使えるようになる。
日本に戻ったらまた一つ一つ練習して身体に覚え込ませ、次回師父に見てもらうときには再度同じ点を指摘されないようにしたいもの。
2012/1/12,13 <纏糸功>
14日からのパリ行に向けて自主練習。生徒さんは一人だけ教える。
纏糸功の導入。所謂、ぐるぐる絡み付くような螺旋の動きを伴う練習。腕の動きは体幹と連結していなければならないが、なかなか要領を得ない様子。
体幹と四肢の連結部は肩と股関節。肩関節と股関節が固く可動域が制限されていたら、身体の力が手足に届くわけがない。だから肩・股関節を開くことがこれほどまでに重要視される。
腕と脚には、肩→肘→手首、股関節→膝→足首、と三つずつの節がある。左から、大→中→小となり、力もその順番に伝わる。
肩・股関節を緩めるには、站樁功や動功が欠かせないが、少し身体が緩んで来たら、纏糸功を取り入れていこうかと思う。
(14日から18日まではパリに行っているので、こちらの練習はお休み。)
2012/1/11 <スローモーションの練習>
日当たりの良い場所で円陣を作って練習。
しばらくご無沙汰していた生徒さんも顔を出した。身体がなまって仕方がない、と言う。何も言わずに太陽に向かって立ち出す。「やはり少し立たないと落ち着かない」と、最初あれほど立つのが苦痛だった人だとは思えない。
ベテランは24式の復習。何度同じところを復習しても、まだまだ学ぶところがある。
できた、と思っていても、まだ甘い!起点と終点の動作が”決まって”いたとしても、スローモーションで動かした時に、どこでストップをかけても”決まって”いなければならない。
点がつながって線になる。
一点も見逃さずに正確に動くためには、スローモーションでの練習が必須。
太極拳はスローなスポーツだと思っている人も多いようだが、それは勘違い。本当は、動く時には一瞬にして動かなければならない。しかし、どこにも隙がないように身体をしつけるために、套路はゆっくり動いて調整する。併せて、力を抜き、ゆるゆる練習することにより、発勁(力を出すこと)した時に身体を筒のようにして力を素通りさせ、最速のスピードがでるようにする。
雑な練習はできないということ。
2012/1/10
久しぶりの代々木公園。天気が良く、空も開けていて気持ちが良い。開放感がある。
ジョギングする人、犬の散歩の人、気功を練習する人、タップダンスの人・・・。日本では、他人の目を気にせず過ごせる場所がとても少ないから、ここはとても貴重な場所かも。ロンドンのハイドパークや、NYのセントラルパーク、(そして北京の天壇公園?!)に似てるような気がするのも、そういうところかもしれない。
賑やかで楽しく練習する。
48式は足技が佳境を迎えた。できない動作が目白押し!
お互いにお互いの動作のぎこちなさを見て笑いが絶えない。普段やらないことだらけ。
如何に身体が固くなっているか思い知る時間でもあるが、何故かみな楽しそう。
ストレッチは毎日お家でやりましょう、と皆に言う。「やっているんですがねぇ~、たまに」。たまに、では・・・ね。継続は力なりです。
2012/1/9 <基本の動功>
練習お休みして終日ホームページの整理をしたり、太極拳とピアノ演奏法の関連を研究模索。後者の研究結果はいずれまとめることにし、とりあえず、ホームページのコラム欄ににいつも練習している動功の要領をまとめました。どうぞご参照下さい。
2011/1/8 <太極拳の「入門」まで導く>
套路中心に教える。第9式まで学んだ生徒さん。次第に大事なのは手足の動きではなく、腹・腰の動きであることが分かってきた。彼女も、最初は良く分からなかったが、套路を学ぶのが面白くなってきたという。
確かに、太極拳の面白さは、学べば学ぶほど増えていく。
ただ、本場中国でも、「太極拳に入門するには10年かかる」と言われるほど、「入る」のに時間がかかる。まだ入門する前に、これは面白くない、と止めてしまう人がとても多いという。日本で広がっている太極拳は健康法として随分単純化しているので大衆受けし易いが、本当の太極拳の練習は正直言って万人受けするようなものではない。
特に站樁功が・・・!
そこのところをどうやってクリアさせて、太極拳の醍醐味を味わえるところまで連れて行くか、それが私の課題。
2011/1/7 <太陽のエネルギーを取り入れる>
保土ヶ谷の広場で教える。
寒い時は太陽がありがたい。太陽に向かって立つと、太陽のエネルギーがちょうど腹に入ってくるようになる。
以前生徒さんに、太陽を背にして立っても良いですか?、と聞かれたことがあるが、その時は、「太陽は陽で、身体の前面は陰、身体の背面は陽、北は陰ですから、陰陽陰陽と合わせて立つべきです」などと、教科書的な答えをした。
しかし、今日立ってみると、身体がその答えを教えてくれた。身体の前面(陰面)は太陽のエネルギーを吸収する。しかし、身体の背面を太陽に向けると、あたかも背中がカメの甲羅のようになって、太陽のエネルギーを跳ね飛ばしてしまう。背中は熱くなるが、身体の奥までは暖かくならない。
丹田に熱が伝わると、全身が暖かくなる。だからカイロも臍の下の中丹田や、腰の命門のツボに貼るのね・・・と思う。
動功も丹田を守って小さ目に動く。身体から気を漏らさず、丹田で発火させる。
最初寒そうにしていた生徒さんも終わるころには頬がピンク色になっていた。
2012/1/6 <腰で呼吸する>
カルチャーセンターで教える。
一人はとても呼吸が静かで、站樁功をしていると、生きているのか死んでいるのか分からないほど。呼吸が静かなのは良さそうだが、この生徒さんの場合は、息が細く浅い。これでは身体の中を活性化することはできない。実際彼女は新陳代謝が悪く、顔色も冴えず若い頃からずっと冷え症で悩んでいる。
腹式呼吸はみな頭では知っているが、なかなか実際にはできない。
呼吸はともすると、考えれば考える程、意識すれば意識するほど、訳が分からなくなる。
だから、通常、站樁功の時は「自然呼吸」と言い、鼻から細く吸って息を腹に届ける、くらいしか指示しない。落ち着いて来れば自然に深い呼吸になってくるとの前提だ。
しかし実際に教えてみると、たまに、いつまで経っても呼吸が浅かったり、不自然だったりする人がいる。そういう人には動かせて身体で感じさせるようにしている。
今日の生徒さんに対してもそう。
站樁功を少し中断させて、彼女の両手を持って、開いたり、閉じたりさせる。その時、身体の力も抜いて、身体を右重心にしながら両手を開いて息を吸い、重心を左に移しながら両手の掌を合わせるように閉じて息を吐く。私もいっしょに、吸って~、吐いて~と少し大げさにやる。次第に、両手を開いたときに、一緒に骨盤を左右に開きながら吸うようにさせる。両手を閉じた時は骨盤を閉じさせて吐かせる。このように意識を骨盤のあたりに移動させる。そうすると、骨盤が、吸って、吐いて、と呼吸をしているようになってくる。
ここまでくれば、息は深く入っている証拠。腰が息をする。これは腹が呼吸をすると言っても良いし、他にも、臍だの、命門だの、会陰だのが呼吸する、という言い方をすることもできる。
腰で呼吸できるようになると、本当に鼻から吸っているのかどうかも分からなくなる。
身体の中心である腰で呼吸すれば、呼吸によって先天の気が刺激され、身体は益々力がみなぎる。
実際、今日の生徒さんの顔が間もなく上気して生気が蘇ってきた、というのはその証拠。
2012/1/5 <ウサギとカメ>
私の一番古い生徒さんのうちの一人。以前子宮系の疾患で手術もしている方だが、太極拳の練習を始めてから状態が良くなり、今では検査の頻度も減らして良いと医者に言われている。
確かに股関節の可動域が狭く、骨盤も固く締まっている感じで、もともと内臓が”呼吸”しずらそうな身体であることは否めない。しかしこの2年半、週一回練習に来て、徐々に身体が開いてきた。
本人も認めるように、決して運動神経が良いわけではないが、毎回1つや2つ、自分で課題を見つけて練習していく。研究熱心。概して身体に問題のある人の方が真剣に練習する。
カメのようにゆっくりと、しかし確実に進歩している。『静心慢練』のお手本のような生徒さんだ。
もう一人の古い生徒さんは、公園に来る途中で階段を上がりきれなくて躓いて転んだ、といって少しむこうずねを擦りむいてやってきた。
前々から、彼女の歩き方に問題があることを指摘。かかとが全く使えていなくて、靴の減り方もいびつだった。
一番の問題は、足の甲側の足首のツボ「解谿(かいけい)」が使えていないこと。ここが使えないと足先が上に上がらず、躓きやすくなる。老人にありがちな問題。ここをしっかり後ろに引きこめないと、踵を使えず、地に足がつかない。浮いたような千鳥足になる。
生徒さんに練習の仕方を教えたが、普段から身体に覚えこませるような努力が必要になるところ。「覚えただけではだめです。自分でも普段から気を付けて意識して下さい。」と念を押す。
この生徒さんは要領が良く、物覚えも良いが、その後の「やり込み」に欠ける傾向がある。もう一人の生徒さんは、分かるのに多少時間がかかるが、その後自分でも練習をしている。その差は二人の身体の変化の差に出てきている。
うさぎとカメの話のよう。
2012/1/4
久しぶりに新宿の公園で練習。生徒さん達を教える。
新年最初の練習日に、常連さん3人と、チャーリーズエンジェル3人組+その娘さんが参加。
華やかな練習会になる。
練習場所をいつもの杉の木の下から日当たりの良い芝生に移す。日向で練習すると軽く汗ばむほど。
2012/1/3
今日は家を抜け出すタイミングを外し、家の中で站樁功を45分。
昨日卓球をしたのを口実に、軽く動功をして套路は省く。
お昼母親を送った後に、声楽家の生徒さん宅での新年の昼食会に赴く。
ピアニストや声楽家、音楽番組のディレクター、翻訳家兼詩人、太鼓・三味線の方、博識の謎の篆刻家などの顔ぶれ。話が次から次へと展開していく。音楽を中心に、文学や料理、踊り、伝統芸能、など様々な話題が飛び交う。私は文学に疎く、知らないことも多いが、どんな話題でも、何らかの意見、見方が提示できてしまったりするのは、これも自分の中心に太極拳があるからなのかしら。
2012/1/2
母親が泊まりに来ているが、お断りをして午前中1時間半公園で一人で練習。
48式の練習。「なんで二起脚(二段蹴りのような技)がうまくできないのかなぁ・・・?と」おぼろげに思いながらやっていると、ふと、他の得意な蹴り技の時には、丹田に力が溜ったままで蹴っているのを発見。その後、二起脚をもう一度やってみる。確かに、右足が着地した瞬間に丹田の気が逃げている。再度、意識的に丹田に力を込めたまま跳んでみる。良い感じ!これならできる!
それが分かっただけでも嬉しくて小躍りしながら帰宅。
もちろん分かっただけではだめで、後は身体に定着させなければならない。
夕方、大学の先輩とボーリング場で卓球をする。こんな場所で真剣に打ちあっているのも傍目にはおかしいかもしれない。けど、私達は一生懸命。20数年まともに打ったことがなかったが、打ち方に関しては、昔無意識だったところが意識的にできるようになったようだ。ミスをした時も、自分でどこが悪かったのか分かるようになっている。
球に目がついていくかどうかが一番の懸案だったが、それは問題なかった。視野が昔より広くなったように感じるのは、太極拳の練習で隅々まで意識をめぐらす練習をしているからだろう。自分が球を打っている瞬間に、相手がどこにいてどのような状態にあるかを見てとれる。昔苦手だったバックハンドも練習すればものになるかも・・・。
卓球をやりこんでみたい気持ちがムクムクと出てくるが、やはりここは、とぐっと気持ちを押える。夜坐禅を少しすると、体内の気がすごい勢いで動いているのが分かる。まるでやかんの中で沸騰するお湯のよう。そこを落ち着かせて規則的に気が流れるように内視しながらしばらく静かに座る。いっぱい動いた後の静功は、いつになく楽しい。
2011/1/1
元旦。
最近、特に気の感覚が高まっているので、この時期に練習を逸するのはもったいないと、大晦日はいつもより早めに就寝。朝家族より早く起きて練習しようという狙い。
7時には起きて準備をし家を抜け出し公園に向かう。ついでに少し足をのばして公園近くにある神社にお参りをし甘酒を飲む。それから公園で站樁功を始める。
空気が澄んでいて気持ちいい。一人の練習は静かで、いろいろなものが沈殿していく。動功も念入りに気を煉りながらできる。
2012年最初の練習としてはまずまず。