2012年 5月

2012/5/30

 

常連メンバー。48式の練習の前に24式をやってもらう。

これまでそれ程運動をしたことがない彼女達。練習後のカフェでのお茶&おしゃべりを一番の楽しみとしながらも、週一回の練習がもう2年以上続いている。

彼女達の動作を後ろから見ながら、ああ、随分身体が動くようになったなぁ、と感慨深く思う。自分の身体の感覚に注意できるようになり、何だかうまく動かない、どうすればよいか、と、私に聞いてくることもしばしばある。

 

身体の中に意識を向けるようになれることが練習ではとても大事。内側に意識を向けながら、併せて外界にも意識を向ける。ベクトルを内向きと外向きの2方向にとって、自分の中心を定める。

外ばかりに目を向けていては、相手(社会)に翻弄され、自分を見失う。

内ばかりに目を向けていては、独りよがりになり、相手に対処できなくなる(社会から隔絶してしまう)。

だから意識は内向き外向きに併せてもつのが肝要。

その意識の矢の両方向の引っ張り合いによって、自分が立つべき場所にちゃんと立てるようになる。

 

身体の使い方においても、常に身体の中で「引っ張り合い」の力が働いているのが太極拳の特徴。腕を上に上げれば重心は下に、右に上げればそれにつり合うように左に身体を引っ張る、身体が右に旋回する時は左半身はわずかに左旋回して均衡を保つ。…常に至るところに引っ張り合いがある。引っ張り合いは均衡を産み、自分の中心がブレなくなる。

(このあたりの詳しい説明は文章ではしにくいので、練習で実際に身体を使ってやりましょう!)

 

なお、今日練習時に少し話題になった日光のお猿さん。テレビで見ていて、私達が練習で得ようとしているのは、あの猿の下半身の使い方?と思ったのでした。

彼らのおしりはちゃんと割れていて、人間ならおしりと言われる部位が太腿になっている。そして股関節がちゃんと緩んでいるので、ハムストリングス(大腿部の裏側の筋肉)が主導で使える。だからジャンプもできるし身軽。

数枚お猿さんの写真を貼り付けます。

 

2012/5/28 <自律神経を調える>

 

 夕方激しい雨が降った後、近所の公園で一人で練習。

 日中は大風だったので站樁功ができなかった。(夕食の用意もあり)練習の時間があまり長くとれないので站樁功はするつもりがなかったのだが、やはり、ちょっと、と立ち始める。

 (注:大雨、大雪、大風など、天候が大荒れの時は静功はしない。自然に自分を合わせる練習なので、却って自分の中が乱れてしまうから。動功、太極拳はOK。通常の雨の日は、却って気も静まり、静功にも良い。)

 みるみるうちに気が沈み、肩が下がって重心も下がる。身体が緩まっていくのが分かる。

 

 ここで一言。

 練習後で『副交感神経が人生の質を決める』という小林弘幸さんという方の本を呼んだのだが、その中に、いきなりストレッチをしてはいけない、という項目があった。身体が緩んでない時に局部的に筋肉を伸ばすと、全体の身体のバランスを崩す、ということ。

 私も師父から、ストレッチは站樁功の後、と教えられている。まず站樁功で身体を緩ませてからストレッチをするのが効率的だから、という理由と、無理やり伸ばしても却って傷めるだけ、という理由もあった。

 自律神経を整えるためには、交感神経と副交感神経のバランスをとることが最も大事だが、それは緊張と弛緩のバランスをとることでもある。実は、「松song」は、単なるリラックスではなく、緊張と弛緩のバランスをとった中庸の状態。『太極拳は松に始まり、松に終わる』というほど、『松』は最終目標でもある。

 太極拳の練習が自律神経を調えるのに効果的、とは良く言われるが、この本を読んでそのメカニズムが大雑把ではあるが具体的に理解できるようになった気がする(今ここでは具体的に書きません)。今後その点を意識して練習してみようと思った次第。

 

 さて、雨上がりの夕方の公園でしばしいい気分で站樁功をしていたら、左手にチクっ!見るとシマ蚊が止まっている。すぐに叩いて処分するが、随分血を吸われている。今年初の蚊の攻撃。もうこの季節が巡ってきてしまった!と、站樁功を続ける気が失せてしまった。

 その後、48式の練習に移る。公園の遊具のある方まで場所を移して、なるべく蚊に襲われないようにする。しかし、2回目を練習していたら、目の前を蚊がウロウロしているのに気付く。すかさず右手で掴み処分。また続けて動いていたら、今度は左耳あたりに蚊のいる気配。今度は左手で掴み、また処分。・・・と2回目の套路をやり終えるまでに、右手で4匹、左手で1匹、掴んでいた。掌を開けると黒い粒がいっぱい・・・なんか気持ち悪いような、でも、敵を全て退治したことを少し得意に思うような、複雑な気持ちで練習は打ち切り!・・・やはり蚊はいやだなぁ。

 

追伸:48式の40式までをアップしましたので、48式奮闘中の生徒さんは見て下さいね。

 

 

 

2012/5/27 <スポーツと養生>

 

 昨日は午前保土ヶ谷クラス、午後ママクラス、今日は新宿屋外で生徒さん達を教える。

 

 私は教えていると、どうしても各々の生徒さんの身体の不自然な動きの箇所に目がいってしまい、どうすればそれが正せるのだろうかと頭の回路がフル回転し、その場で様々な動き、練習方法を試すことが多々ある。だから、毎回、同じようなルーティーンの練習をしているつもりで、結構即興的な練習になっている。

 自分一人の練習なら問題とも思わなかったところを改めてよく考えなければならないことも多々あり、生徒さん達の身体を借りてどれだけ勉強、研究できることか。これは教える醍醐味だと思う。

 

 昨日、今日の生徒さんの中には、身体を鍛えてきたがために、却って筋肉が太く固くなってしまい、関節の可動域が狭くなっている人が複数いた。そのうちの2人は正座ができない。聞くとジムに行ってマシーンで鍛えていたり、または以前力を使うスポーツを相当やり込んでいたりと、一般の人よりも運動をしてきたという共通点がある。

 

 スポーツと一言で言っても、その種類は数知れないほどある。バレーボールやサッカー、テニスなどの球技もあれば、走る、跳ぶ、投げるの陸上競技、相手と対戦する格闘技もあれば、一人で行うゴルフや乗馬やボーリング・・・。どれも必要とされる身体の資質、使う身体の部位が異なる。そして私達は、無意識的に、自分の身体の条件に比較的適したスポーツを好んでやるのだと思う。身体の固い人はマット運動や体操競技はやらないだろうし、走るのが遅い人はサッカーは好まないだろうし、跳躍力のない人はバスケットや三段跳びはしないだろうし、リズム感のない人はダンス(これはスポーツ?)はやらないだろう。力に自信のある人はバーベルを上げるかもしれないし、持久力のある人はマラソンや山登りの方を好むかもしれない。

 一般的には、スポーツをすれば身体に良いと言われているが、必ずしもそうとは言えない。スポーツはあくまでも娯楽。養生が第一目的ではない。

 身体を動かせば気持ち良く、楽しいし、ゲーム性があったりもする。夢中になって身体を動かしてしまい、気がついたら怪我をしていたり、どこかを痛めていることもある。スポーツ選手が必ずしも健康、長寿ではないというのも不思議ではない。

 

 実際、スポーツに興じている間は意識が外向きに使われ、自分の身体の内部の動きに無意識になっている。もちろん、一流選手は練習中、ありったけの意識を自分の身体の動きに向けて調整をし、本番では自分の身体が無意識状態でも最も良い状態で動くようにしつけるのだが、普通の人はなかなかそこまで意識をめぐらすことができない。

 

 また、身体の形にしても、ある職業を長年続けていると、それ風の姿、格好になっていくように、長年一つのスポーツをしていると、そのスポーツ特有の体つきになってくる。重量挙げの選手の身体で長距離を走るのは大変だろうし、短距離走の選手、マラソン選手、水泳選手、サッカー選手・・・・とそれぞれ特徴のある体つきがある。

 この週末に教えた筋肉の固くなった生徒さん達は、いずれも、”力を込める”運動をしてきた人達。筋肉をギュッと締めて力を出すタイプの運動をしていると、筋肉は太く固くなる。これは気の流れを悪くし、本人も身体が重く固く感じるようになる。外が固まってくると、次第に内臓の方の自然な運動も阻害されるようになる。養生の観点からは好ましくない兆候だ。

 

 太極拳が面白いのは、養生とスポーツが両立しているところ。自然な身体、人体に自然な動きを求めるため、どんなスポーツや日常動作にも応用可能だという利点がある。

 

 筋肉を太くつけない、というのはイチロー選手も実践していることで、一度彼の自宅にある特注のマシーンをテレビ番組で見たことがあるが、どれも普通のジムにあるマシーンを改良して、腕や脚の動きに螺旋を描かせて、筋肉を細長くつけさせるようにしていた。私はこれを見て、ああ、これは纏糸勁(絡まるような動き)と螺旋勁だ!と、感動したことがある。

 腕と脚の自然な動きは螺旋を描いている。螺旋は体幹の力を手足に届けるための道筋でもあるし、螺旋を描けば腕、脚の裏面(腕なら所謂”二の腕”、脚はハムストリング)も全て稼働させることができる。とても合理的。

 

 蛇足だが、太極拳はスローで、ともするとヘビー(重い)もしくはトロい(鈍い)感じがすると思われているかもしれないが、本当は”電気のように速く”、”羽のように軽く”なければならない。

 その”速さ”と”軽さ”を可能にするものは、実は、站樁功の際に練習するあの下半身(腰)の型に隠れている。

 その型の外形は、骨盤が立ち、会陰が真っ直ぐに地面に向いているのだが、身体の内部では、胸(肺)の気(空気)が腹部に落ち、一方、会陰が引き上がって胴体を下から支え上げている。胸から腹(丹田)に向かう下向きのベクトルと、会陰から丹田に向かう上向きのベクトルが丹田で出会い均衡するところで止まっているのが站樁功の形ともいえる。

 そして、胸から丹田への下向きベクトルは体をしっかりと大地に根付かせ安定させ、”山のようにどっしりとした”状態を可能にする。

 他方、会陰から丹田への上向きベクトルは、脚にかかる胴体の重さを軽減させ、脚を軽くさせ、走ったりジャンプを可能にさせる。”羽のように軽く素早い”動きを可能にするのはこの会陰の力。

 ただ、私が見るところ、巷で見受ける太極拳では往々にして腰を落とすことに重点を置き股関節の緩めが不十分なたため、骨盤も真っ直ぐ立たず、会陰の引き上げも不十分なまま、太腿前面を目一杯使って太腿を太く固くし、結果として、素早く軽い動きが不可能になってしまう練習をしているようだ。

 

 站樁功の形の意義は、どんな動きでも瞬時に発生させられる、あたかも車のギアの”ニュートラル”の状態だというところ。つまり、そこから瞬時に跳び上がれもすれば、真下にしゃがみこむことも可能。とっさに前に飛び出したり、後ろに下がったり、はたまた腰を回転させて相手の打撃を躱したり、と、自由自在に動きだせる。これがテニスや卓球のレシーブの時の構えと酷似しているのは何の偶然でもない。

 

 ただ、あの恰好で立った時に太腿の前側が痛かったり、ブルブルするようだと、”ニュートラル”の位置にはまだ入りきっていない。さらに股関節を緩める(開く)練習が必要ということ。

 お相撲さんが最初の一年は”股割”で泣く、というのもその”ニュートラル”状態を達成するまでの努力が、特に男性の場合、並大抵ではないことを示すもの。毎日のコツコツとした努力が不可欠だが、太極拳の練習においては、これが最初の難関で、かつ、最後の最大の難関でもあるので、生徒さん達には頑張って練習してもらいたいところ。

 これができるようになると、その後の身体の使い方が全く異なってきます。努力以上の収穫あり!

 

2012/5/23 <春は気の上昇に注意。気は電気?>

 

 去年もそうだったが、春になると体内の気の量が増えるのが分かる。

 

 去年は3月半ばから増えた体内の気が肩や首に向かって上昇し、カフェで座って友人とおしゃべりしていたりすると、おしゃべりに夢中になって前のめりになり、更に気が上昇して、気がついたら肩や首に気が詰まって激痛が走るようになっていた。站樁功をすれば気が落ちて痛みが和らいだが、その後動功をするとまたまた肩や首に気が上がってしまう。そのうち、首を回すのも大変なくらいになってしまった。

 師父には電話で相談していたが、「気を落とせ」の一言。自分では落としているつもりなのに、事態は悪化の一途をたどり、座っても眠っても痛みに悩まされた。

 7月になってパリに行き師父に会い、思いっきり站樁功の姿勢を直された。気が上がるとともに知らず知らずのうちに胸が開き、さらに気が上がる、という悪循環になっていたようだ。ちょっとした誤差が数か月のうちにかなりの誤差になってしまっていた。師父と一緒に練習していれば、こんな事態には陥らなかったのに、とかなり悔しい思いをした。内功を本格的に練習する時は必ず師についてやること、と言われる所以はこういうことだと実感した。(注:そこまで心血注いで練習しない場合は、(収穫も少ないけれども)危険性もほとんどありません。念のため。)

 その後日本に帰ってかなり慎重に練習し、少しずつ状態を戻していった。肩こりと首のこりがどうやって起こるのか、何が問題なのか、については、身を以て体験したおかげで、かなりよく分かるようにはなった(これが収穫!)。

 

 そんな去年発生した肩、首の問題が全部は解決していないうちに、今年の春を迎えてしまった。師父からは、「気の量が多くなればなるほど、その分、気を沈めるためにより多くの力を注がなければならない」と注意を受ける。普段も、胸を絶対に開かない!と何度も自分に言い聞かせる。会陰を引き上げるというよりも、下にひっばり込むようにして、上半身の力を下方向に引っ張り続ける。

 そして、確実に丹田により多くの気が溜るようになり、4月終わりには頭まで気が充満する感覚が生まれる。

 最近では、站樁功の時、気は以前のように経絡のような線上で通るのではなく、面で一気に通った後、ほどなく体内に充満するようになる。身体が充電中!という感じ。頭の先、手足の指先まで気が詰まっている。

 

 この前の日曜日は声楽家を対象にした初めてのワークショップを行った。説明を40分くらいした後、様々な動きをさせて、①気が上がっている、下がっているの違い、②丹田の位置、③気を丹田に溜める感覚、④身体の中に息を通す、というような感覚を体験させることを目標とした。

 全部で2時間のワークショップだったが、私も全力でしゃべり、動いた。

 その後、数人で打ち上げに行ったときのこと。私の前に座る生徒さんが、私の差し出した手から”気”が出ていると指摘。私自身も注意して自分の指先を感じると、確かに各指先の周囲にビリビリとした電気のようなものを感じる。皆が面白がって、一人一人、自分の手を私の指先の近くに持ってきた。「うわ、来た!」「うそでしょ、私も!」と、その場にいた人が代わる代わる試してみたのだが、どの人も、電気を感じるという。電気も気?いや、電気は気?理屈は良く分からないにしても、皆が感じるし、私自身も電気を感じているからオカルトでもなんでもない。なんでこんなに電気を帯びているのかしら?と不思議に思う。(その後家に戻ってから娘に試した時も、ビリッと来る、と驚かれた。)

 

 それから少し調べたが、そもそも人体の細胞は電気を発しているとのこと。大雑把にいうと、細胞か活性化されると発生する電気の量も増えるようで、低周波を使った治療法はその原理を利用して細胞を活性化させるものらしい。

 私が思うに、最近自分の体内の気の量がかなり多く充満状態になっていたことに加え、あの日はいつも以上に興奮していたことが、細胞の異常な活性化による発電につながったのではないか?

 ある資料によると、通常、人体内の生体電流は200μA(マイクロアンペア)ということで、人間がぴりぴりとわずかに感じる電流は1mA(ミリアンペア)といわれているそうだ。とすると、私の身体はその時1mAくらいの電流が発生していたのかしら?細胞がすごい勢いでパクパクしていたのかしら?・・・そんな想像をしていたら、自分の細胞が健気で愛おしく感じられたりする。

 体中の隅々、即ち、細胞一つ一つ全てに意識、そして気を通す、というのがこの練習の大事な目的(効用)であることに鑑みると、自分の練習は一応正しい方向に行っているはず、とちょっと自信を持ったりした一件だった。(節電のご時世、もっと頑張って、”自己”発電したら?などと私の娘は皮肉を言っていますが。)

 

(なお、私は理系科目が苦手なので、生体電流の話についての解説を文章で読もうとしたら、頭が回らなくなってしまいました。もし、なぜこのようなことが起こるのか説明できる人がいれば、話を聞きたいところ。)

2012/5/18 <『上虚下実』のためにも腰回し>

 

今週は火曜、水曜、金曜に生徒さんを教える。

5月に入ってから、頭痛やのぼせを訴える生徒さんが少なくない。

 

冬至に芽生えた陽気は、春分の日に陰気と同量にまで成長し、夏至に最大を迎える。5月現在、陽気がかなり強い状態。

植物がすくすくと上に伸びるのと同様、人間の体内の気も、放っておけば頭に向かって上がっていく。すると、頭が重く、足が軽い、『上実下虚』になる。これは、頭でっかちで、下半身が弱い状態。本来あるべき姿の『上虚下実』をひっくり返した形になっている。

 

『上実下虚』(上が重く下が軽い)状態の典型的な例は、酔っ払い。脚がふらふらして足元がおぼつかない。頭がぼおっとしている。顔が赤い。冷静な判断はできない。自分の中心を見失っている。心拍数が増え、呼吸も乱れる。心臓や肺の疾患も『上実』の現れである。

これは身体にとって異常な状態。

 

正常な状態は『上虚下実』。頭が軽くすっきりしていて、足がしっかり大地を踏みしめている。大地に向かって「濁気」が落ちて行き、代わりに頭に向かって「清気」という涼しい気が流れていく。胸が自然に少し後ろに引かれ、中心が丹田に収まる。冷静な判断、とっさの動きも可能な状態。

 

季節的には春から初夏にかけてが最も気の上がりやすい時。

これに加齢の影響が加わる。

10代半ばまでの若者は『上虚下実』だが、その後性的な成熟とともに身体の中心が次第に上がっていく。20代半ばになると既に『上実下虚』になっていることも往々にしてある。

 

練習で腰回しを飽きるくらいやるが、これは、重心を下に下げる作用もある。

平円を描く腰回しでは、まず站樁功の基本姿勢をとって(足を肩幅に開き、股関節を緩め、会陰を引き上げる)、できるだけ頭頂を動かさず、会陰がいつも地面に向いているよう(骨盤底を地面に対して平行にしたまま)腰を回す。

ここでもう一つ注意すると、会陰を引き上げ、女性なら会陰から子宮まで(膣)を軽く引き上げ、かつ、絞ったまま回転させる。そこが身体の核心。(男性も原理は同じ。)ここの動きが外に波及して内側から腰を回すようにする。これが内功の鍵。

 

始めはお臍と命門ツボ(第2腰椎下)を結んだ帯脈に沿って回す。ここが腰が最も湾曲している場所。腰を後ろに回した時に命門ツボがちゃんと開くようにするのがコツ。ここが固まっているとぎっくり腰になる。ここが腰使いの一番基本となる場所。

 

この後、最近は少しずつ回す腰の位置を下げていく練習をしている。さらに腰からおしり全体の可動域を増やすのと、重心を下げるのが目的。

あたかもフラフープをしているかの如く、そのフラフープの位置を少しずつ下げていくように想像して腰を回していく。

 

命門ツボの位置→腰陽閑(第4腰椎)→腰兪(仙骨中央)→長強(尾骨下端)→股関節

 

股関節でしばらくグルグルして太腿の断面の外周一周が全て使われていることを確認する。

この後、遊び心で、想像上のフラフープを太腿→膝に落とし、また膝でしばらくグルグル。膝裏がよく使われているところを確認。フラフープが膝裏に当たっている時の感覚をよ~く掴んでおくと、立ったり動いたりする時のあるべき膝(膝裏)の使い方が分かる。つまり、膝はけっして膝頭(膝小僧)を使ってはならず、「膝を曲げる」というのは、実は、「膝裏を折りたたむこと」という、脚の裏側を使うための一つの大事なコツが分かる。膝裏がが常に後ろに引っ張られていること、これは膝を傷めない秘訣でもある。

その後、フラフープをふくらはぎ、そして足首にまで落とす。そして足首でぐるぐる。これをやれば、百発百中、気は足まで落ちている。足裏がべったり地面に貼りつく。上半身が軽く感じられるはず。足首でフラフープを回す時も、アキレス腱の操作に注意を払う。この部分の可動域が広いと身体のバランスがとりやすい。起き上がり小法師のような動作(The Matrix(マトリックス)の映画の有名な、後ろに倒れそうで倒れないシーン?)も不可能でなくなる。

 

こんな練習を最近試しているのは、そのまま立たせただけではなかなか気が下に沈まない生徒さんが思いのほか多いため。骨盤が締まっていて開きが悪い場合は、ちょっと動いて身体の風通しを良くしてから立った方が効率が良さそうだ。

 

ここで、遅ればせながら、最近みた韓国のKARAの腰の動きがあまりにもお手本的だったので、写真を下に載せます。一番左の子の命門ツボがちゃんと開いているところに注目。右の方は、仙骨ラインの腰回し。一番右のの子の尾骨が上がっているのにも注目。尻尾を上げると会陰がより引き上がります。動物でも尻尾があがっているのは元気な証拠。人間も然り。

多少歳をとっても、このくらい腰が自由自在に動かせるようにしておきたいと、変な目標を作ってしまいました。

 

 

2012/5/12 <内転筋・脚の纏糸勁>

 

午前保土ヶ谷。午後ママクラス。ともに少人数を教える。

 

最近自分の15歳になる娘の体型が変化し、みるみるうちに太ももとお尻にお肉がついてきた。彼女はダンスを習っているのだが、そこのお肉が取れないという。

彼女は股関節が固く閉じているから、脚の後ろ側(ハムストリングス)をとても使いづらい。いくら運動をしても、太もも前面の筋肉が鍛えられるだけ。かえって脚は太くなる。

これは日本人にとても多い。

今日のクラスにもそのような生徒さんが半数はいた。

 

もともと欧米人よりも骨盤の開きが狭いのに、女の子は小さい頃から股を開いてはいけないと教えられたり、最近では、アニメの影響か、かなり内股の若い女性も多い。

股関節は内転すると(内股にすると)、普通は肛門や会陰(女性の膣)が開いてしまうので、私から見ると、こんなに気を漏らしてよいのかしら?と心配になってしまう。だらしなくなる原因でもある。

逆に、股関節は外旋させると、肛門や会陰が引き上がるようになる(しかし、この時、おしりの筋肉を締めないこと!)。そして、重心が後ろ側い移動し、太ももの裏側の筋肉を使うように立つことができる。太腿とおしりの境目がはっきりする。会陰から頭頂にむけての下から上への軸が通り、真っ直ぐ感もでてくる(バレリーナを想像)。

 

最近私が強く感じるのは、股関節を少し外旋させて、内転筋を正面に向くように使うことによって、太ももが腹部とつながるということ。

脚を前に90度(かそれ以上)に上げて静止してみると分かるのだが、まっすぐ膝を真上に向けて脚を挙げて静止すると、すぐに太腿がブルブルしてくる(これは大腿四頭筋を使った状態)。しかし、股関節を少し外旋させて(膝を少し外に向けて)太腿の内側を上に向けて脚を挙げれば、注意すれば、太ももの内側と腹部がつながり、腹筋で脚を上げてられるようになる。もっと注意していれば、実は会陰を引き上げていれば、ずっと脚を上げたままでいられることが分かる。

 

太極拳の特徴は丹田の力を手足に届かせて技を使うことであるが、その前提として、丹田の位置する胴体と四肢が連結していなければならい。その連結部が肩関節と股関節。この関所が肥えられないと、丹田⇔四肢の行き来ができない。

(ここから下の図を参照)

そして、一般的には、脚の付け根は股だとイメージされているが、実は、左脚と右脚の接合点はお臍の少し下あたり。そうなって初めて脚と胴体がつながる。おしりも太ももの一部だと分かる(馬を参照。馬にはおしりがない。おしりみたいなところは実は太もも)。

このとき鍵を握るのが内転筋。この筋肉(正確にはその付近の他の筋肉も含む)はお臍の両脇に向かって繋がっていく(下の図の赤い線)。

逆に、大腿四頭筋の力はは骨盤の外側に向かって流れていく(茶色の線)。しかも大腿四頭筋に力をかけると膝のお皿を直撃して膝を傷めやすい。

 

だから、いくらウォーキングをしても、大腿四頭筋ばかり使っていては内臓を鍛える効果は薄い。脚を前に出す時は内転筋から(腹部とつなげて)出し、重心移動に伴って、股関節を力が外回りに移動、前に出した脚が後ろ足になる頃には、お尻と太ももの境目に力が移動し、そこを使って(踵から直線に上がった点:承扶のツボ)後ろ足を蹴り、次第に前に出て行くときに微妙に股関節を外旋させ、太もも裏から股の内側を通って、前に着地する時は内転筋に力がかかるようにする。

こうすると、歩行によって、股関節(太腿の付け根の外周)を一周するように力が移動し、結果、太ももの全ての筋肉が使えるようになる。

歩行は、決して、脚を前、後ろに動かすことではない。兵隊さんはこのように歩いているが、これでは体が硬直してしまう。全く実践的、機能的ではない。

良い姿勢、ちゃんとした歩行法を身に着けようとして、体が固く硬直してしまうワナはここにある。

脚と腕は胴体に埋め込まれている。出発点は胴体内部にある(脚は下腹部、腕は肩甲骨)。

 

太極拳の練習をしていると、昔学校で習ったこと、当然だと思っていたことが、必ずしも正しくないことが分かることが多々ある。目から鱗もいっぱい。これが面白い。

常に疑問と実験、検証、の繰り返し。止まることはできない。

 

(下の図の青線と緑の線は纏糸勁の基本。站樁功、歩行の際の脚の勁(力・気)の通し方の一例。)

 

 

2012/5/10 <心の若さ>

 

二日続けて20歳過ぎの若い女性を教える。

最初彼女が教わりたいと私のところに来たときは、大学を1年で辞めてふらふらしていて、単に暇つぶしかおしゃべりがしたいだけのように感じたので、「将来のことを考えると太極拳を学ぶよりももっと大事なことがあると思うけど。」と彼女に言って、あまり真剣に取り合わなかった。もし公園でみんなと一緒に身体を動かしたいなら、後ろで見よう見まねでやってもらうことにし、彼女が来ても適当に対処していた。

そのうち1、2か月経って、彼女が、「本当に習いたいのだけど、いくら支払えばよいですか?」と真面目な顔で聞いてきた。「本当にやりたいの?」と聞くと、「はい。」と言う。それから、ちゃんとレッスン料をもらって私もちゃんと教えるようになった。

 

10年近く外国で暮らしていた帰国子女で日本の大学に行ったけど馴染めない。ぽわっとしていて、つかみどころがない。運動したこともないようで、身体もなんだか、ぐにょぐにょしている。私にとっては初めてのタイプ。

取りあえず私は彼女には套路(24式)を早く覚えてもらうことにした。若いから、站樁功や動功はちょっと後回しにしても良いかと思ってのこと。

他の生徒さんが習っている箇所を後ろで真似させたりして、あまり手取り足取り教えず、できるだけ自力で覚えてもらおうと思った。

先週、彼女一人の時間があったので、一気に第1から第5式までを教えて覚えてもらう。

大体は覚えられたよう。

そして昨日、遅れてきた彼女を他の生徒さんの後ろで動作を真似して練習させる。ふと彼女の動作を見ると・・・あれ、ぐにょぐにょしていない!

彼女の身体に中心軸が現われてきた。これなら、太極拳に見える。

 

私は驚いて、彼女に何を変えたのか聞く。彼女は、「この前教わった、会陰を引き上げることを普段もやってみました」と答える。

そう言えば、以前練習の帰り道、彼女がタリーズのバイトの面接に落ちたという話を聞き、「それはそうだろうなぁ、私が面接官でも絶対落とすだろうなぁ」と思わず言ってしまい、彼女から「どうしてですか?」と聞かれたことがある。私は、「タリーズなんて、テキパキ仕事ができる人でないと採用してくれないでしょ。そのダら~っとして眠たそうな目ではちょっと・・・ね。」と答え、その次の練習の時に、会陰を引き上げて、精→気→神、と目に輝きを持ってこさせることを少し教えてみた。彼女はちょっとやってみて、驚いたことに、そのコツをすぐに捉えたようだった。

その後まもなく、彼女は銀座の料亭のバイトの面接に通ったと報告してくれた。(そして来年は大学に復学することに決めたとのこと。)

 

今日の練習で、彼女の進歩に正直言ってびっくりした私は、試しに、と思って、推手を教えてみる。単推手と双推手。私はこれまで適当な相手がいなくて、自分自身があまり練習できていない。はやく生徒さんに教えて自分の相手をしてもらいたいところ。でもまだそこまで教えられる生徒さんがなかなかいない。

案の定、覚えるのが早い。しかも、身体の力がそこそこある。

若さと彼女の呑み込みの速さか?身体の中の感覚をじっと捉えることもできる。

 

彼女のことを知っている私の友人が彼女のことを「スポンジのようだ」と形容していた。

スポンジだから、吸収が早い。

歳をとるとスポンジではなくなる。たくさんの経験、たくさんの知識などで自分の意見、見方が固まってきて、それに合うこと(人)は取り入れるが、合わないものは無意識で拒否してしまう。

歳をとって物覚えが悪くなるのは、単に身体の機能の老化だけではないという話を聞いたことがある。マインド(心や頭の中)が重くて新しいものが入らないのも大きな原因。

歳をとっていくと身体は硬直し、心は頑固になりがち。 (私の勝手なイメージだが、年齢とは関係なく、概して頑固な人は体が固そう。でも体が固いからと言って必ずしも頑固ではないかしら?)

 

太極拳の修錬の中には心身を若く保つことが含まれるが、心を若く保つコツは、余計な知識を捨て、心と頭を軽く、白紙にすること。 ”小賢しい頭”をなくすこと。

歳とるごとに、より軽く、より柔軟に・・・今回の若い彼女との出会いは私に心の面での若返りの大事さを教えてくれた。

(最初の私の彼女に対する偏見は、すでに心の老化現象だったのかも?

××ちゃん、ごめんなさいね。)

2012/5/7 <馮志強老師 逝去>

 

 一昨日5月5日に馮志強老師が亡くなったことを今日になって知った。(http://www.hunyuantaiji.com.cn/

 馮老師は私の師父の師の師。血縁なら曽祖父にあたる関係だが、直接教わったことはない。

 私が本格的にこの太極拳を学ぶ以前に、東京の代々木体育館で表演されたのをまだ小さい娘を膝に抱いて真正面から見たことがある。その際、第2式の最初にくるっと両手で円を描いた時、あまりにも絶妙に円を描いたことに思いがけなく感動し、胸の奥の方が熱くなったのを鮮明に覚えている。 

 その後、パリで劉師父から馮老師の陳式心意混元太極拳をきちんと教わることになったのだが、日本に戻ってから、パリに渡る以前に最初にこの太極拳を私に教えて下さった日本人の女性の先生の呼びかけで、馮老師に教わるための北京への団体ツアーに参加した。それは約2年前、2010年3月のこと。馮老師はたまたまちょっとした手術を受け自宅療養中とのことで、実際に教わることはできなかった。が、馮老師はわざわざ日本から来た私達に悪いと思ったのか、自宅に招待してくれた。下がその時の写真。

 自宅には奥さん以外に、娘さん4人が勢ぞろいしていて、楽しくおしゃべりをした。私は馮老師の隣に座っていたのだが、馮老師の話は通訳が日本語に訳す前に分かってしまうので、ある話をした時に、私一人が先に吹き出してしまい、横の馮老師に肩をポンポン叩かれて、「そうそう、面白い話だろう?」と2人で笑い合った。本当に良い思い出。

 

 私にとっての馮老師は現在の太極拳界で唯一と言ってよいかと思われるような、”俗離れ”した感のある方だった。負けず嫌いでケンカ早く、酒飲みで、ものすごく強い。中心がしっかり定まっているのに、それでいて飄々としていている。太極拳の特徴である「沈重かつ軽霊(軽くて素早いこと)」という矛盾する要素を自らの中に併せ持っていた。「自由自在」の域に達した方だった(その点で、私は馮老師とピアニストのホロヴィッツに共通点を感じている)。

 独特の風格を持ち、カリスマ性のある魅力的な老師だった。この先、太極拳界で、同じくらい強い(腕っぷしの強い)人は出てくるかもしれないが、馮老師ほど超然とした人はなかなか出てこないだろう。

  

 以下、今日私が練習に参加している生徒さんに出したメールから引用し、馮志強老師に哀悼の意を表したいと思います。

 

『一昨日五月五日に私達の学んでいる陳式心意混元太極拳の創始者、馮志強老師が他界しました。馮老師は最後の第十八代陳式太極拳伝承者で、太極拳界に名を残す多大な貢献をしました。
私個人としては、その俗世を超越した風格にとても魅力を感じていました。
太極拳の練習が、身体から始まり、精神に及び、精神をも抜けて、単なる『意』になり、それをも抜けて『無為』に至る、というような、私自身の目指す道の師といえるような方でした。なかなかその域に達する太極拳の老師はなく、馮老師はただ強いだけでなく、その意味において別格でした。
今、中国の太極拳界では馮老師の他界のニュースを受け、文字通り喪に服しているようです。各先生方も通常のホームページのトップをそのニュースに変えて、他の情報を流すのを自重しておられるようです。

私としては、馮老師の創り出した壮大な太極の世界を更に学んでいくとともに、興味を共にする仲間と分け合えられるよう、努力していきたいと思う次第です。

是非、この馮老師の太極拳を学びましょう!』

2012/5/6 <虚領頂勁>

 

久しぶりに新宿で教える。公園は天気も良く、子供達の数も多い。

いつもの場所に着くと、すでに太極拳を学ぶ他のグループがサークルになって練習をしていた。

 

私と少し早めに来た男性生徒さん、2人で站樁功を始める。

私は他の生徒さんが来るまでにちゃんと立っておきたかったので、すぐに目を閉じて、体の中の感覚に集中する。

春になり冬の間溜めてきた気が”芽吹いた”ようになってきたこと、中国に行って新たな発見があったこと、そして、最近のピアノの発表会の演奏を師父に見てもらって身法につきあるコメントをもらったこと、等の要因が相俟って、この連休に入った頃からやっとこれまで長い間の課題であった、”気が会陰から会陰から百会(頭頂)に貫通する”感覚が得られるようになった。

今日の站樁功の目標はその新しい感覚をさらに定着させること。站樁功で定着させて、それを、歩いても、動いても、いつでも保持できるようにしていく。

 

結局、この、”気が会陰から百会に貫通する”という感覚は、丹田に溜めた気を会陰に落とした力で噴水のように身体を上昇し、背骨(頸椎を含む)を全て貫通すれば頭頂に至るのだと分かる(これは督脈を貫通した場合。そのうち、もっと体の内側を真っ直ぐに貫通するようになる)。途中に”開いて”いない場所があると、気はそこで詰まってしまい、それ以上上昇しない。通路を徐々に徐々に開けていって、だんだんと気を通していくのだが、腰から上に行けば行くほど通路が狭くなり、気が詰まりがち。私の場合は、頸椎で詰まってしまい、ここを通すのにかなりの時間がかかってしまった。途中、パリに行って師父に姿勢や動作を直してもらってやっと出口が見えたのだが、一人で練習していると、ちょっとした誤差が気が付くとかなりの誤差になり、元に戻すのに多くの時間と労力が必要だと思い知った次第。

 

さて、太極拳のとても大事な要領に『虚領頂勁(shu ling ding jin シューリンディンジン)』というのがある。

これは『首(領)を緩ませ(虚)、頭頂(頂)に少し力(勁)を及ぼす』という意味だが、巷ではよく、” 頭頂が上に吊り上げられている ような感じ”、と表現される。

しかし私は、”首を虚にする(緩ませる)ってどんな感じ?”、はたまた、”頭頂に力がある、ってどういうこと?”、”頭が上から引っ張られている感じと、頭に力がある、は同じなの?”と疑問が尽きず、この基本中の基本である『虚領頂勁』については実感が伴っていないため、何度師父に聞いても、様々な文献を見ても曖昧さが残ったままだった。

 

今、この実感が得られるようになって分かるのは、その頭頂に届く力は会陰から来るということ。よく見る間違いは、(一流でない)体操選手やバレエを練習する人などに多いが、首に力を入れて首筋を思いっきり立てて、不自然な程に、ピンと背筋を伸ばしている様。これでは首、そして全身が緊張してしまう。首は下(会陰)から上がってくる力(気)を通すために空洞でなければならず、その前提として首から下の部分は既に空洞化していなければならない。すべて空洞であって始めて会陰から頭頂まで力が”抜ける”。

 

・・・とすると、この『虚領頂勁』の要領は、体の姿勢の要領のほぼ完成時にやっと得られる感覚ではないか?それを初心者に第一に要求しなければならないのは、仕方がないけれど、酷だなぁ~。でもすべての要領は、それが体得できて、初めてその意味が理解できる。要領を聞いただけですぐに体得できるとすれば、その人はもうその域に達していたということ。通常は、要領は聞いただけでは、(頭は分かった気がするかもしれないけれど)本当には分からない(例:にんにくを食べたことのない人に一生懸命説明をしても分からせることはできない。)。できて初めて分かるもの(食べれば即座に分かる)。体験、体感第一ということ。しかし、体感するには、そこまで身体を開発していなければならない(それが、ただ食べれば分かる、といった単純なものとの大きな違い。)だから、毎日少しずつ努力して、以前分からなかった感覚が分かるようになった時には、大木な喜びがある。・・・・・

 

練習が終わって歩きながら、またその感じを再現。

ああ、サッカー選手が飛びながらヘディングする時はきっと会陰から頭頂まで力が貫通しているのだろうなぁ。頭突きも同じか~。会陰から力を回せばさぞかし威力のある頭突きができるだろうなぁ。・・・こんな想像をしながら道を歩いている自分が可笑しくもあるのだけど、また新たな発見をした嬉しさがある。

 

2012/5/1

 

 昨日は最近習い始めた男性の練習日。以前武術を学んだことがあるようで、外形的には太極拳の動き、動作をすぐに真似することができる。ただ、肝心の、”力を丹田から発して手足に流す”という所がないので、太極拳を学ぶからには是非ともそこを分かるようにしたいと思って教えている。本人もその点を学ぶつもりで私のところに練習に来ている(はず)。

 

 彼のように、きちんと本物を習いたいという人は、タントウ功をちゃんとさせなければならない。妥協はしたくない。

 しかしこれまでいろいろな生徒さんを教えてきて大変だと思うのは、本来ならこう練習するべき、という私の理想のプランがあっても、それを必ずしもそのまま生徒さんが受け入れられるとは限らないということ。

 師父の話では、師父がその師父について学んでいた頃は、”付いてこられないなら、それまで”、というような”淘汰”の教え方をしていたようだが、さすがに現在では中国本土においてもそのような教え方をする老師はますます減少しているようだ。教えて生計を立てようとするならある程度の生徒さんの数が必要で、”淘汰”させている場合ではない。

 そこで、学びに来る人を、”弟子”と”生徒”に分け、その教え方も変えている。”生徒”には”弟子”に対するほどの要求をしない。教え方には明確な区別がある。”生徒”であっても、やっているうちに本当にちゃんと学びたいと思うと弟子入りすることになる。弟子になれば師の言うことをそのまま受け入れてやらなければならない。1時間立て、と言われれば1時間、3時間立てと言われれば3時間、何の反論もなくただ言われたままにやる。それは師を信頼して、自分を失くして、ただやること。

 

自らを振り返るに、何を学んでも、一番上達、進歩が速かったのは、何の疑問も持たず、ただ先生に指示された通りやった時だった。先生を信頼して精進すれば、心がブレることなく専念できる。

物事を成し遂げられない人は往々にして、この先生はダメなのではないか、とか、この場所、環境がダメなのでは、とか、時間が足りないとか、何やかんやと理由をつけて、実際に”するべきこと”をせずにいる。

 

ただ、以前は、”するべきことをしない”というのは意志が弱い証拠、と思っていたが、最近は、”しないのは、それが本当にしたいことではないから”というように思うようになった。

人は本当にしたいことは、やってしまうもの。逆に言えば、したくないことはしない。実に単純!

とすると、教える者としては、どうすれば生徒さんをやりたい気にさせるか、ということを考えなければならない。

 

今日の男性生徒さんは、タントウ功をしなければならないと分かってはいるものの、どうすればできるかが分からず、ひたすら”どうすれば(how)・・・?”を考えている状態だった。だが、実際には頭を使っても分からず、ただ、無心になって、身体にやらせなければならないことが多々ある。(例:岸部でひたすらどうやれば泳げるようになるのか考えても永遠に泳げるようにはならない。ただ川に飛び込んでしまわなければならない。)

頭を落とせば身体が自然に調整をしてくれる。

 

立ち始めてから最初15分くらいは、なかなか身体がしっくり来ない様子。私も横から、”なかなか沈殿してくれないなぁ”、と彼のどこをいじればよいのか(もしくはいじらない方がよいのか)を考え始めた。間もなく、彼に対しては、タントウ功の際の骨盤底の状態の全貌を説明しておくのが役立つのでは、と思いつき、彼に改めて骨盤低がどうあるべきかについて地面に絵を描いて少し詳しく説明をし、再度立ってもらった。

そのうち他の生徒さん達が来て彼のことを放っておくことになったが、しばらくして彼を見ると、身体が落ち着き、入静状態に入っている!これは彼にとっては初めての経験なので、そのまま放っておく。時々彼の状態を横目で見ながら、他の生徒さん達を教えていたが、1時間くらい経ったところで、彼の眉間に皺が寄り始め、入静状態から出てきたことが見て取れた。そこで、しばらくしてタントウ功を終えてもらったのだが、彼は全部で1時間20分近く立っていたことになる。彼に感想を聞くと、1時間立っていたというような感覚はない、という。時間が短く感じられるのは、入静状態にあった証拠。これは大事な経験だ。

 

今後毎朝出勤する前に30分は立ちたい、と言ったのは、少し、タントウ功に対して自信がついたからかしら?このまま立つのが好きになってもらえればよいなぁ、と思った次第。

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『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

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練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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