2012年9月

2012/9/30 <①緩めて②ほぐす→機能美、自然美へ>

 

土曜の保土ヶ谷の室内練習は時に様々な実験の場所になる。

集まる生徒さん達も意欲的で、練習の材料となる話題や問題点を提供してくれる。

 

いろいろ練習していて、ある生徒さんから質問があった。

「どうしたら先生のように身体が柔らかくなるのですか?」というもの。

私の身体はもともと硬質で、小中学校の頃はマット運動も柔軟も嫌いだった。が、今生徒さん達を教えていると、普通の大人はとても身体が固いこと、そして自分の身体が昔より柔らかくなったことに気付く。

 

まず言えることは、人間は赤ちゃんの時の身体が一番柔らかく、年をとればとるほど固くなり、最後は枯れ木のようになって死ぬ。これが一般的な道筋。

だから、いくら顔を整形してしわを伸ばそうが、その人の歩き方、身のこなしを見れば、通常は容易に年齢が分かってしまう。

良い俳優さんはこの点をよく研究していて、役柄の年齢に応じて歩き方や動作を変えることができる。

 

太極拳の練習の根幹には道教の『不老不死』がある。

文字通りの不老不死は不可能だとしても、老いの速度を遅め、できるだけ若い状態に保つための智慧が集結している。

そのうちの一つが”身体を柔らかく保つ”こと。

それを更に具体的に言えば”背骨(頸椎から尾骨まで)の柔軟性を高める”こと。

 

赤ちゃんの時は背骨がとても柔らかい。しかし老人の背骨はただの棒のようになる。

背骨の理想的な状態は一つ一つの脊椎が動き、背骨全体がジャラジャラと、あたかも整体院で見かける吊り下げられた骸骨の模型のように緩んでいるような状態。

背骨が緩めば脊椎を走る大事な神経の伝達も良くなり全身の運動能力が高まるし、全身の血行も良くなり、もちろん内臓の働きも良くなる。そして背骨を緩める過程で肩関節や股関節も自然に可動域が増してくる。

 

ではこのような背骨の”しなやかさ”(中国語では”柔靭性”と言い、柔らかく粘りがある感じ、即ちしなやかさを指す)をどうやって手に入れるのか?

生徒さんの最初の質問は、「どんなストレッチをしたのですか?」という意味が込められていたようだが、実は自分の練習ではそれほどストレッチをしてこなかった。せいぜい少し足を伸ばすくらい。

やっていたのは、毎日の站樁功とその後の様々な腰回し。そして套路。この繰り返しで1年、2年経つうちにいつの間にか股関節や肩関節などの可動域が広がっていた。たまに開脚をしてみて、ああ、前より開くようになった~、と自分でも不思議に思ったほど(それは特に春先に顕著。春夏を越すと、また一段身体が開いている)。

 

結局、松坂牛などを育てる時もきっとそうなんだろうと思うが、良質の肉を作るには、①緩めて、②ほぐす、のが大事ということなのだろう。

注:①の緩める=站樁功、②のほぐす=動功、套路)

くれぐれも力を込めてはいけない!

 

站樁功で身体の力を抜く。

もっと正確に言えば、体中の力(意識、気)を丹田一点に集めることにより、他の部分の力を抜く。(本当に身体の力を全部抜けば立っていられません!)

こうすることで、体中の”通路”が開いた状態になる。

 

身体の内側を十分開いた状態にしたら、そこで、腰回し等の動功をする。

腰回しは様々な方向(立園、竪円、平円、斜円)があり、これら全てをやれば八卦全てが網羅され、腰は自由自在に動く(はず)。

腰(骨盤)を動かすのが背骨を緩めるには一番効率が良い。

先ずは腰から。

そして円運動は万能。開けたいと思うところがあればそこを意識して回す。歪な円の軌跡ができるだけ真ん丸になるように。円が本当の円になるよう日々努力する。完全な円が描けるようになるためには身体の高度な柔軟性が必要となる。

 

腰回しをするのが全身を緩める最も効率的な方法。その後で肩関節やら、首やら、脚やら、次第に末端に向かってほぐす部位を変えていく。

私自身の経験から思うのは、いきなりストレッチなどをしてもスジを傷めてしまったりして逆効果だということ。まずは緩めなければならない。

 

これに関連して、昨夜、水泳(背泳ぎ)の入江選手がジャニーズの嵐のメンバーとストレッチをしているのをテレビで見た。

入江選手の肩関節の柔軟性はものすごいのだが、嵐の一人が「どうやったらこんなに柔らかくなるんですか?」と聞いたところ、入江選手の答えは、「いや、気がついたら柔らかかったんですよね。」というもの。

きっと、背泳ぎの練習、即ち、水中で腕をグルグルしているうちに、次第に肩関節が開いてきたのだろう(もちろん先天的な要因もあるが)。

<水に浮かんだ”力を抜いた”状態で、”グルグル”回しの動功をすれば、関節は緩む>・・・そうだろうなぁ、と変に納得した。

 

蛇足だが、水泳選手の身体は美しいと思うが、これは別に”美”を狙って作った身体ではない。先日ブログに載せたボリショイのバレエダンサーの身体然り、機能性を高めっていった上で作られた肉体は何とも言えない美しさがある。

ただ”美”を狙って、ダイエットをしたり、ストレッチをしたり、筋トレをしたり・・・というのはそれほど美しい身体を作ることはできないように思う。その最たるものはボディビルダーの身体。人工的過ぎるのかしら?

頭で”美”を計算してパーツパーツを作り上げていった場合、それを統合するとどこか不自然さが残る。不健康さまで感じられたりする。

不自然、不健康は美しくはない・・・これは私達人間が奥底で共有する直観的な感覚だと思うところ。

古来から、真、善、美、が究極的には同じものを示すものとして捉えられてきたのもそのあたりと関連があるのだろう。

 

 

 

 

 

2012/9/26 <正しい養生法とは?「健身」と「健体」>

 

秋は肺を養う季節。

私の身近な人の中に最近肺の疾患で手術をした人がいたり、肺炎を患っていた人がいたり、そして声楽家を教えていると発声の時に如何に肺に負担をかけないかを教えていたり、と何かと肺の重要さを感じる今日この頃。

 

政界を見ていても、体調不良で一旦総理を退いた人が返り咲いたかと思えば、総裁選まっただ中で入院してしまう人もいたり、また、昔々お世話になった外務省の高官の方が急に倒れてしまったり・・・、と、やはり詰まるところは、金でも地位でもなく、”身体”!と改めて思う。

 

そこで久しぶりに中医学の経典である「黄帝内経」をひも解いてみようと思った。

ただ、そのまま本を読んでもドライ過ぎて良く分からない。ここは、中国の先生の講義を聞こう・・・と探すと、徐文兵先生という方の講義を見つけた。

今日は第一回講義を少し聞いてみた。

ああ~、と目から鱗のことあり。

その要点は以下のようなもの。

 

黄帝が岐伯先生に質問する。

「なぜ昔の人は100歳までゆうに生きて、且つ、100歳になっても動作が若い頃のようにきびきびとしていたのでしょう?」

黄帝内経ではここから、岐伯先生の答えが多岐にわたって述べられる。

 

その中での最も大事な要点は、「人間の本来の性質に従った養生を行う」ということなのだが、では何が「人間本来の性質か?」というところが問題。

ここで徐先生の以下のような解説あり。

 

人間の生命維持に必要な個所は体躯。四肢は末端に過ぎない。

これは、例えばトカゲは身に危険がある際、尻尾を切って逃げていく。つまり末端を捨てて身を取る。これは人間も同じ。

だから、年をとって生命力が落ちてくると、まずは体躯を守るのが先決となる。その分四肢に力が達さなくなる。だから”まず足から老いる”という現象が起こる。

 

このような人間の性質を踏まえれば、あるべき養生法が導き出されてくる。

歳とともに衰える四肢をどうするのか?

 

現代人はやたら走ったり、ジムに行ったり、と四肢を鍛える

しかし実は人が死ぬ大半の原因は四肢にはなく、脳や心臓、内臓などの疾患である。

(中国語でスポーツクラブは「健身房」と言うが、)結局皆がやっているのは「健身(身:体躯)」ではなく、「健体(体:四肢の意味」である。

 

正しい養生方法とは、体躯の力をつけることである。そうすれば自ずから四肢に力が漲る。これが古来から伝わる「站樁功」である。四肢を動かさずに内臓を動かし、体躯に力を集中させ、力をめぐらせる。

 

このような古来からの智慧を中国人自身が忘れかけているのは残念である。

 

以上ですが、古来からの智慧である「站樁功」を私自身ますます味わってみたいと思った次第。

 

 

 

2012/9/22  <内腿から作る体軸>

 

引き続き女性の股関節の考察。

よく見ていると、日本人の半分以上の女性は骨盤が開き気味のO脚。

これが日本人の独特の歩き方の原点かもしれない。

小さいころから女の子は股を開いてはいけないとか言われているうちに内股、O脚化するのか?同じアジア人でも中国人や韓国人の脚は日本人ほど曲がっていない。

 

内股、つまり太腿が内旋すると骨盤が開く。つまり、おしり、肛門、会陰(膣)が開く。力が上から下へと漏れていく。身体に力がなくなり虚弱体質になる。

大転子(骨盤と大腿骨の接合部)に負担が過度にかかる→O脚がひどくなる。行く末は、脚がまさにOの字になった変形性股関節症のおばあちゃん・・・。

 

本来は内踵から膝の内側、太腿内側(内転筋)が正面近くを向いて、力が会陰に入っていくべき。これなら脚、腰の負担も少なく、会陰や肛門も引き上がり、身体に上向きの中心軸ができる。体幹という言葉がはやっているけれど、会陰を引き上げたところにできる中心軸がその体幹の要。これで身体に力の柱が立つ。

このお手本はバレエダンサー。 (内太腿の筋肉に注目!)

 

下の写真はボリショイのバレエダンサー一団。脱ぐとすごい。感動的!(左から3番目が私の好きなOsipova。) 

 

これは日本人モデルの脚。(それにしても鍛えてないから筋肉もなく、あまり”使える”脚ではないなぁ~。)

 

写真によるO脚の考察。

 

 

2012/9/16<お尻の呼吸(骨盤底膜を使った呼吸)>

 

気温は高いが、身体は確実に秋の身体になりつつある。

立つと(站樁功をすると)、身体が夏の時のように外向きに開かず、少し内側に向かって“収めた”感じになっているのが分かる。汗は出るのに、身体の内部が収縮し始めている。

 

春、夏は身体の開く時期。この時に、少々気を漏らしてでも、身体を開く練習をする。

秋、夏は気を溜める時期。身体の力をつける。

 

今はちょうど夏が終わり、身体の”満開”が終わりしぼみかけたところ。でもまだ開き度は大きい。そこでその多少なりとも”開いた”状態を利用するつもりで、この数日生徒さん達には、”下”(=肛門や会陰)で呼吸する方法やそれを使った収功の仕方を教えていた。

 

これまでもよく生徒さんからどうやって呼吸をするべきか、という質問を受けてきた。この時真面目に『腹式呼吸』やら『逆腹式呼吸』やらを教えると、大体みな呼吸が不自然になり、頭がこんがらがってくるのは経験則として知っている。

実際一番よいのは、『自然呼吸』で、それは鼻や口で息をしていないような状態だ。それは別に腹芸のように腹の起伏で呼吸しているのでもなく、もっと下からスッ~と空気が入ってきているような感覚。よく観察していると、会陰が引き上がった時に息(空気)が下から入り、会陰を下げると息(空気)が出るようになっている。

 

そんな時、ある生徒さんの子供が小さい時にうつ伏せに寝て、おしりを軽く持ち上げて”気持ちいい~”と休んでいたことがあったとコメントあり。

確かにうつ伏せになって、お尻を上げると(肛門を開く感じにすると)、そこから空気が入ってくるような感じで気持ちよい。(実は先日屋内のクラスでみなで実験して、気持ちよさを味わってみた。)逆にお尻を下げると空気が出て行くような感覚になる。

このようにお尻の上げ下げで呼吸をすると、腹式呼吸など意識しなくても、下からすぐに下っ腹に空気が入ってくる。

 

対人競技一般に言えることだが、ことに武術においては”呼吸”はとても大事だ。攻撃は相手が息を吸った時、その瞬間を狙うと効果的。相手がスキをつかれたようになる。

これを逆に言えば、自分の呼吸を相手に分からせてはいけない。鼻や口などで息をしていてはすべてバレてしまう。しかも、鼻や口を使っている時点で気が上に上がっているから足元が既に浮ついてしまっている。

つまり呼吸は腹より下でしていなければならない。(もちろん、臍呼吸やら、皮膚呼吸やら、”呼吸していない”ような呼吸が最高なのだが、ヨガ行者ならまだしもなかなか一般的には達成できない。)

 

会陰の上げ下げで呼吸をするのは、骨盤底膜の上げ下げで呼吸をする方法で、ただ横隔膜を意識した呼吸よりもさらに深い呼吸ができる。このような呼吸の仕方は武術家だけでなく、ダンサーや音楽家、能などの日本の古典芸能に携わる人達にとっても大事な呼吸法だが、一般の人の心身の健康にとっても非常に有益なのは間違いない。

 

ふと、花に停まっている蝶々のお尻が上がったり下がったりしているのを目にした時、ああ、これが今日練習していたお尻呼吸だ・・・、と変な親近感を覚えたりした。

2012/9/12 <理想的な『骨盤』(腰・股関節)の在り方>

 

火曜、水曜と屋外で練習。

 火曜は私が日本に戻ってからすぐに教え始めた仲間達のクラス。もう3年以上続いていることになる。さすがに3年もやっていると、腰の使い方が随分慣れてきている。

理想の形にはなっていなくても、「こうあるべきだが、自分のこの部分がまだ開いていないので、こうならない。」というのが自分で分かっていたり、以前ぎっくり腰をしがちだったという生徒さんも、今は本人自身「腰に自信がある!」と豪語したり、站樁功の時に脚の痛さはなく、ただ気持ち良い、という人もいる。

 水曜にはまたこれも長く続いている70代の女性が2人練習に来たが、この2人も腰、股関節を緩める要領が掴めている。股関節やおしりがよく開き、站樁功が理想的な形でできている。

 

 太極拳の練習をし始めた時、最もよく分からない要領が『腰』と『股関節』の使い方。站樁功をしてまず皆が泣く(?)のが、空気椅子状態でどうやって耐えるのか?というところ。

 そういえばパリで練習していたころ、一緒に学んでいる日本人男性が站樁功をしているのを後ろから見ていたことがある。太腿の前側に力がかかり、脚がブルブル震えていて、私の方が見ていて気の毒なほどだった。それでも耐えて1時間。師父が「やめ!」というまで根性で頑張っていた。(一方、フランス人男性は、耐えることを知らないので、辛くなると、自ら「フィニ!(終わり!)」と言って、勝手にやめていた。)

 

 私も日本で教え始めた頃は生徒さんをただ立たせていたが、そのうち、もう少し説明したり、要領を掴めるよう手助けしないと、みなくじけてしまって太極拳の練習をしたくなくなるのではないかと危惧するようになった。それから今まで(そして今も)いろいろ試行錯誤で理想的な腰と股関節の状態、その作り方、について考えてきているのだが、分析すればするほど、全体がよくわからなくなってくる。こうするためには、これがこうなっていなければならなくて、そのためには、あれがああなって、であれのためにはあそこが・・・、と、結局繋がって最後は最初の「これ」に戻ってくるような感じ。

人体はパーツパーツに分けられるようで、実は全て連動している!というのを実感することになる。

 

 今日(水曜)の生徒さんの中には最近始めた熱心な人がいるが、彼女らの頭の中にはいつも「?」がある。これでいいのか?これは間違えているのではないか?本当はどうなのか?自分のどこが問題なのか?・・・真面目で熱心であればあるほど、頭の中は???。その場で解決することもあるが、腰や股関節あたりの話は、ただ要領では済まないことがほとんど。

 その一方で、この両日古い生徒さん達を見ていて、「ああ、時間が解決するんだなぁ」と思った次第。

 「静心慢練」(静かな心でゆっくり練習)とか、「欲速者不達」(速さを欲するものは達せず)というのは太極拳を学ぶ上でとても大事な姿勢だが、改めてそれを感じた。

地道に努力し続ける大事さ。

 ただ、間違えたまま地道に努力し続けては、良い結果は得られない。正しい方法、正しい方向に向けて、少しずつ進んでいく。

ここで、最近、『腰』と『股関節』のあるべき形について参考になる記述に出くわした。

 それは『骨盤』の理想的な在り方として表れていた。

 以下その概要。

 

1.『骨盤』につながっている骨は『腰椎』と左右の『大腿骨』のみである。(その連結部がそれぞれ『腰』、『股関節』である。)

2.『骨盤』は人体運動にとって最も中心的な骨。体積も最大で体重の圧力を最も受ける部位。この部分を如何に鍛錬するかがどんな運動にとっても重要事項になる。

3.このような『骨盤』は自由自在に、宙ぶらりんになっているかのように動くことができれるのが理想。骨盤に重力、圧迫感がない状態。そうなれば身体自身が軽く自由自在に動く。

4.そのためには、連結する『腰椎』と『大腿骨』をあたかも”取り外せる”ようにしたいもの。その前提は、骨盤の周囲の筋肉や靭帯を鍛錬してほぐし、しなやかなで弾力のあるものにしなければならない。

 

以上だが、理想は「骨盤の宙ぶらりん」、言い換えれば、「腰がない」ような感じ。

その方向に向けて、腰回しやら、ストレッチやら、套路やらをやっていけば良いと言うこと。

・・・そう言えば、子供の頃は「腰」なんてどこにあるかあまり分からなかった。背中がずっと下にいくとそこはおしり。腰は?みたいな。「腰」を意識する頃には既に身体の硬直化が始まっているのだろうなぁ。

 

 

 

2011/9/8 <今日の頭の中>

 

生徒さんと練習をしていると、思いがけない発見や考えさせられることが次から次へと出てくる。いつも頭には考える材料がある。

この3日間の練習でもまた面白い視点が出てきた。

まだ突き詰めていないが、どれも”重要”なポイントのはずと感じている。

 

今の頭の中にある視点は以下のようなもの。(自分の頭の整理のために書き出してみます。)

 

<後ろ向きに歩く練習の効用>

 

1.後ろ向きに歩く時に感じる会陰から命門への引き上げ線

 その”引き上げ線”を確実に感じた上で、前進歩行の時もその”線”を消さないようにする練習。前向きに歩いているのに後ろに引っ張られているような感覚。これが丹田に気を集め、かつ、中心軸をつくる鍵になる。(站樁功の時も同様。止まると感覚を保持するのが少し難しくなる。)

 会陰の引き上げの要領が分からない生徒さんに効果的。

2.後ろ向きに歩く時の膝の裏の伸びる感覚

 膝裏を使えるようになるにはかなり時間がかかるが、前進しても同様の感覚で膝裏が使えれば膝を傷めず、かつ、脚が柔軟に使える。(站樁功も同様)

3.後ろ向きに歩く時の首の”立つ”感覚

 頸椎がちゃんと背骨として胸椎や腰椎と一体化した感覚。前進しても、静止しても同じ感覚がとれるか?

4.後ろに後ずさりしながら腰回し

 すると腹の中に力が生まれる(丹田で気を煉る)のが分かる。

 

<意念>

1.顔を上に向け空を見た状態だと、「丹田(お腹)を意識する」ということがどういうことかが分かる。意識が上(空)と下(丹田)の2つのベクトルに分かれる。

これが”全て”(武術であれ瞑想であれ生活、生き方)のコツ。

外界を意識しながら自分の中心を外さない。

2.よ~く自分を観察していると、「意」は頭にはないのが分かる。頭は「考えている」。

「意」が全ての動作、発動の大元だが、それが頭にあるうちはまだ「意」になってはいないということのよう。

頭の内は「考えている」状態。これを「思う」→「想う」状態に凝縮していくうちに、頭から心へ落ちてくる。心まで落ちれば「意(念)」になる。腹(丹田)まで落とせるのか?(実験中)腹が据わっているというのは「意」が腹まで落ちていることなのか?

どちらにしろ、頭で考えていてはとっさの対処はできない。

 

 <胸(膻中のツボ)の位置>

 ほとんどの大人の胸は前に出ている(挺胸)。これでは腹式呼吸ができず、気が上がり、心臓や肺に負担をかける。ゆったりした感覚をとれない。背骨も固くなる。(ゆくゆくは左の写真の男性のような状態になる)

 胸の要領は、”胸の奥を後ろに引き、少し下げる(含胸)”。

 が、これは決して簡単ではない(私自身の経験)。最近、「左右の腋をつないだ中間点を意識する」という記述を目にして、この位置が正しい胸(膻中)の位置だと確信。

かなり深い。ここを意識できれば、その真下に丹田、会陰、真上に喉、印堂穴(眉間の奥のツボ、深くとった場合脳下垂体のあたりになる)、そして百会とつながり、会陰から百会の直線が貫通する。

 (でも、膻中を正しい位置にとる前提として、命門をちゃんと開き、丹田を正しい位置にとれていることが大事。やはり下から開けていくのが正道。開いてしまえば上→下、下→上は自由自在。上から下を開けていくのは可能なのか?たぶん無理。なぜ?身体の上部に余計な力をかけてしまうことになるから。)

 

他にもあったはずだが、書いているうちに忘れてしまった。

また明日生徒さんと練習したら何か思いつくはず。

 

 

2012/9/4 <大開大合、開合二つのタイプ>

 

昨日は60代の女性のグループ、今日は平均40代半ばの女性のグループを指導。

 

これまで随分女性の身体を扱ってきたので、今では大まかな身体のタイプがすぐに分かるようになってきた。細かな違いはあるが大まかな分け方もある。

昨日の女性3人は、身体が開き過ぎ、ほぼ正常、閉じ過ぎの3タイプをそれぞれ代表していて、教えていてとても面白い。

 

身体が「開いている」タイプの人は、骨盤が欧米人のように広めで股関節の外旋が難なくできる。肩関節も開いているから(骨盤と肩関節は連動している)、腕を後ろに回すのも得意。

が、「開いている」から気も漏れやすく、丹田に気がたまらない。便秘になりにくく、どちらかと言えばすぐにお腹を下す。通りがよいが溜らない。

両内腿の付け根の間に空間があるような感じで、歳をとって、股関節がガタガタ、かくかくするようになるのもこのタイプ。

男性には見かけることのないこのタイプの身体の人には、站樁功の時も、股関節を外旋させるのではなく、内旋させるようにしている。股関節は内旋、膝は微妙に外旋させ、脚の螺旋をかかせる。すると骨盤が安定して、会陰の引き上げや丹田に気を溜めることも可能になる。

 

逆に身体が「閉じている」タイプの人は、骨盤がぎゅっと締まった感じで、股関節の外旋も一苦労。股関節を外旋させても、お尻に力のかかっていく感覚がとれない。故にお尻や太腿裏側のハムストリングスで立つ感覚が分からない。

通りがあまりよくない身体。便秘がち。しかしその分、気が溜りやすく、丹田に力を集めることができる。身体に力がある(こもっている)感じ。

股関節も固めだから肩関節も固い。背中を使う感覚がとりずらい。

このタイプの人はまず身体を緩めて、徐々にほぐして関節や靭帯、スジ等を伸ばしていく。

 

比率的には「閉じている」タイプの方が多いが、思いのほか「開いている」タイプの人もいるので注意を要すると知るに至った。

 

というのは、伝統的な太極拳の練習方法は男性を念頭に組み立てられている。そして男性はみな「閉じ」気味で、天然で「開いた」タイプは(ほとんど?)いない。

然るに通常の練習では、站樁功も股関節を外旋させ、できるだけ骨盤を開くようにしている。「開合」の練習でも、どちらかと言えば「開く」のを意識的に練習している。(「合(閉じる)」のは、まあできるだろう、という感じもする。 )

 

しかし、これをそのまま「開いた」タイプの女性にやらせると、股関節がグラグラしたり、力をどうしても「合わせる」ことができなかったり、とうまくいかないことがあった。最初は理由が良く分からなかったのだが、徐々に身体のそもそもの構造が「開きすぎ」ていることに気付いた。

そう見ていくと、思っていたよりもその傾向のある生徒さんがいることを発見。練習方法を少し変えてみたところ、身体に力がある=丹田に気が集まる、という感覚がとれるようになった人も出てきた。生徒さん自身から、和服を着て帯をした時にこのような体軸の通った感覚があった、というコメントもあり。巷で売られている骨盤ベルトの類はこのタイプの人のためにあるのだと分かるとともに、とすると、このタイプで歳をときに股関節や大転子に問題の出てくる女性もかなり多いのだろうと思った。

 

身体は、開くときは大きく開くことができ、閉じるときはきちっと閉じられる、そのような伸縮可能な可動域の広い身体が理想(『大開大合』)。

どちらかに一方に固まったまま他方の極に動くことのできないのでは問題がある。

 

・・・と書いているうちに、そう言えば、遊ぶ時は遊び、勉強するときは勉強する、寝るときは寝る、食べる時は食べるといったメリハリのある生活態度や、ひいては、考える時は考え、考えない時は考えない、といった精神活動にも同様の原理が当てはまるなぁ、と、自らの現在の課題をまた思い出してしまった。

身体の修練が精神の修練につながる一例?

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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