2013/6/4 <馬のお尻が理想?、仙腸関節を緩める、お尻を張り出す>
先日たまたまテレビで安田記念レースで優勝したロードカナロアの走りを見て、競馬については無知だが、その美しい身体、走りっぷりに久々に惚れ惚れ、かなり感動してしまった。
これが人間だったらどんな感じなのだろう・・・、と想像すると、やはり黒人系短距離アスリートを想像してしまう。
少し興味があって馬主のブログなどもちょっと覗いたが、馬主が馬を買う時はその馬の骨格や筋肉のつき方、性格など、様々な要素を考慮するようで、あるブログでは、肩と腰の比率はどうあるべきか、背中はどうあるべきか、とかなり細かく馬の見方を書いていた。
私はとりわけ馬のお尻に惹かれ、あんなお尻になりたい、と新たな目標を立てた。
実際、馬のお尻はお尻というべきではなく、あれは太腿だ。私達がよく目にするローストチキンレッグの太い部分に相当する。
じゃあ、私達人間は?と振り返ると、運動選手でもない限り、一般の人はお尻がただの肉の塊になってしまっている。歩き姿を後ろから見た時に、股関節から下の部分は前後に動いていても、お尻の筋肉はほとんど動いていない。その傾向は歳をとればとるほど顕著になる。子供の時丸かったお尻が、次第にひしゃげた丸になり、おしりが中心に寄ったような形になる。そして老人になったころには萎んでしまう。
「老化は足から」という言葉があるが、それは太腿やふくらはぎの筋肉の力の問題よりも、お尻の筋肉の退化が一番大きな問題だと私は見ている。お尻が使えないままスクワットをしたり、ウオーキングやジョギングをしても、股関節で上半身と下半身が断絶しているため丹田の気が足の裏まで落ちず、無駄に脚の筋肉や関節に負担をかけることになり、しまいに膝を傷めたりしてしまう(このあたりの詳しい筋道についてはここでは割愛)。
歩行を含め日常的な動作でお尻を使っていれば、歳をとったからと言ってそんなに簡単にお尻の筋肉が退化することはないはず。もし私達が4本足歩行をしていれば、きっと老人になってもかなりお尻は立派だろう。二本足で立っているがために、お尻を使わなくても歩けてしまう。それが足腰の退化になり、気が付けば上半身と頭が目立つ「上実下虚」の身体になってしまう。
若い女子学生で脚が立派なのを見ると、うん、いい、と妙に嬉しくなってしまうのは私だけではないと思うが、歳をとればとるほど脚を太くするのは難しくなる。特に内腿とハムストリングス(太腿裏)の退化は著しく、格好を気にする女性の場合は男性のように大胆に脚を使えないためか、お尻と太腿の境目が30歳前に既になくなってしまうのが大半のようだ。
私もこの練習を始める前は確かにお尻と太腿の境目がそれほどしっかりしていなかったような気がするが、立ち方を学んで次第に脚が全面的に使えるようになってきたらお尻の形も変わってきた。
それでもロードカナロワなどの競走馬を見ると、まだまだ、お尻の横の張り(胆経)の部分が足りないなぁ、と思う。
人間は老化とともにまず陽経の中でも最も外側にある膀胱経(身体の背面を上下に走る経絡)が衰え、次に胆経(身体の側面を上下に走る経絡)が衰える。この二つの陽の経絡は身体の運動に特に大事な経絡だ。だからこそ、站樁功でも太腿裏側や外側をまず使えるようにするのだが、そのためには、太腿を意識するのではなく、お尻の仙腸関節や環跳のツボを意識することも必要になる。
站樁功の要領として、①お尻を中にいれて腰を伸ばす(塌腰)一方で、②股関節を後ろに引いておくという一見矛盾したものがあるが(2013/1/25メモなど、以前ブログで何度か書きました)、最近また別の角度から表現することも可能だと感じてきた。
まず、①の時の”お尻”というのは、仙腸関節でお尻を三つに分けた時(右の腸骨、中央の▽形の仙骨、左の腸骨)の仙骨部分を指すということ。そして②の股関節を後ろに引く、というのは、恥骨が前に飛び出ないようにする、ということ。
即ち、①後ろから前に向けて少し仙骨を押え、②前から後ろに向けて恥骨を少し押える、ということで、骨盤が真っ直ぐ立つとともに丹田に力が集約する、ということだ。
しかし、これを可能にするには、仙腸関節が少し緩んで、その部分でちょっと切り離れるような”隙間”が必要だ(”関節を緩める”というのは、その部分で骨と骨が離れるかのような”隙間”を開ける、ということ)。
ではその隙間はどのように開けるか、というと、站樁功の時に、右尻一帯(右太腿、右腰含む)は右へ、左尻一帯(左太腿、左腰含む)は左へ、と踏ん張りながら引っ張り、仙腸関節を左右に引っ張り開くようにする。
実はこのようにすると、左右のお尻の盛り上がりの中心が外側に移り、お尻は左右にボンと開いたような形になる。 誇張したイメージだろうが、身体の側面の腰骨あたりにお尻の盛り上がりが来たように感じる時は、右左の腰の横に車輪を付けたような感覚になる。そしてこのようなお尻はとりもなおさず、あの、左右のお尻がはっきり分かれた、かつ、おしり中心部分に締まりのある、競走馬のようなお尻に他ならない(これも大げさ?)。
仙骨と恥骨で前後から丹田部分を挟み込むことによって丹田に力が出る(パワーの源)が、だからといって大臀筋などの臀部の筋肉を硬直させては脚の自由な動きが阻まれる。
気を溜めるための仙骨と恥骨の軽い締め、と、気を足裏まで流して自由に脚が動くようにするための(腕のように動くのが理想)臀部の筋肉の緩め、これは締めと緩め、陰陽のバランスだなぁ、と感慨深く思う。
改めて站樁功を別の角度から考察しみると、仙腸関節を緩める(開く)という、大事な要素があることが分かる。これもまた、毎日ちゃんと意識的に立っていればいずれ漬物のように身体が漬かってきて徐々に効果が現われてくる。結果だけを求めず、過程の試行錯誤や変化を楽しみながらできればとても良いと思う。
薄着の季節になり(特に女性)のお尻の形が露わになるが、これも勉強と思って年齢を問わずいろいろ観察したりしている。
下は走る馬。お尻も肩もムキムキ。
こう見ると、騎士は四つ足姿に近く、①命門が開き腰が伸び、かつ、②お尻が左右に張り出ている。上で書いた要領そのまま。
気功法でも動物の動きを真似るものがあるが、動物から学ぶことはとても多い。この練習も私達が二本足になって失った四本足の動物の運動能力(敏捷性、直観力、第六感等を含めて)を少しでも取り戻そうとしているような感がある。
站樁功の要領として、①お尻を中にいれて腰を伸ばす(塌腰)一方で、②股関節を後ろに引いておくという一見矛盾したものがあるが(2013/1/25メモなど、以前ブログで何度か書きました)、最近また別の角度から表現することも可能だと感じてきた。
まず、①の時の”お尻”というのは、仙腸関節でお尻を三つに分けた時(右の腸骨、中央の▽形の仙骨、左の腸骨)の仙骨部分を指すということ。そして②の股関節を後ろに引く、というのは、恥骨が前に飛び出ないようにする、ということ。
即ち、①後ろから前に向けて少し仙骨を押え、②前から後ろに向けて恥骨を少し押える、ということで、骨盤が真っ直ぐ立つとともに丹田に力が集約する、ということだ。
しかし、これを可能にするには、仙腸関節が少し緩んで、その部分でちょっと切り離れるような”隙間”が必要だ(”関節を緩める”というのは、その部分で骨と骨が離れるかのような”隙間”を開ける、ということ)。
ではその隙間はどのように開けるか、というと、站樁功の時に、右尻一帯(右太腿、右腰含む)は右へ、左尻一帯(左太腿、左腰含む)は左へ、と踏ん張りながら引っ張り、仙腸関節を左右に引っ張り開くようにする。
実はこのようにすると、左右のお尻の盛り上がりの中心が外側に移り、お尻は左右にボンと開いたような形になる。 誇張したイメージだろうが、身体の側面の腰骨あたりにお尻の盛り上がりが来たように感じる時は、右左の腰の横に車輪を付けたような感覚になる。そしてこのようなお尻はとりもなおさず、あの、左右のお尻がはっきり分かれた、かつ、おしり中心部分に締まりのある、競走馬のようなお尻に他ならない(これも大げさ?)。
仙骨と恥骨で前後から丹田部分を挟み込むことによって丹田に力が出る(パワーの源)が、だからといって大臀筋などの臀部の筋肉を硬直させては脚の自由な動きが阻まれる。
気を溜めるための仙骨と恥骨の軽い締め、と、気を足裏まで流して自由に脚が動くようにするための(腕のように動くのが理想)臀部の筋肉の緩め、これは締めと緩め、陰陽のバランスだなぁ、と感慨深く思う。
改めて站樁功を別の角度から考察しみると、仙腸関節を緩める(開く)という、大事な要素があることが分かる。これもまた、毎日ちゃんと意識的に立っていればいずれ漬物のように身体が漬かってきて徐々に効果が現われてくる。結果だけを求めず、過程の試行錯誤や変化を楽しみながらできればとても良いと思う。
薄着の季節になり(特に女性)のお尻の形が露わになるが、これも勉強と思って年齢を問わずいろいろ観察したりしている。
下は走る馬。お尻も肩もムキムキ。
こう見ると、騎士は四つ足姿に近く、①命門が開き腰が伸び、かつ、②お尻が左右に張り出ている。上で書いた要領そのまま。
気功法でも動物の動きを真似るものがあるが、動物から学ぶことはとても多い。この練習も私達が二本足になって失った四本足の動物の運動能力(敏捷性、直観力、第六感等を含めて)を少しでも取り戻そうとしているような感がある。