2013/10/30 <足の要領>
パリから戻ってきてタントウ功の教え方がまた変わった。
新しい発見、洞察があるとすぐに生徒さんに教えてみたくなる。本来はひたすら生徒さんを立たせなければならないのだろうが、すぐに横から口を出したくなってしまうのは悪い癖。
タントウ功はどれだけやっても分かりきらない深みと面白さがある。ああ、分かった、と思ってもまた新しい要素が付け加わる。
私自身の経験も変化の連続。言われた通りやってある程度できるようになると、その一歩先の課題が与えられる。
例えば、最初は何やらお尻を内に巻き込んで猫背の中腰で立たされているような感じから始まり、その数か月後には”もう少しお尻を上げろ”とそれまでと正反対の指示を受けたり、会陰を引き上げろと言われていたのが、いつの頃からか”引き下げろ”に変わり、胸は引込めろと言われながら、背中は丸くするな、とか、太ももは外旋しろと言われ続けて、でも内腿は内旋だ、というのが付け加わったりする。
なかなか全体像が掴めないのだが、矛盾点を統合する視点が得られる度に、ジクソーパズルが少しずつ埋まっていくような快感がある。
タントウ功は身体の中心、腰の要領から始めていく。丹田は腹、腰の部分にあるから、まずここを調整して気を溜められるようにし、その溜った内気を腹・腰から上向き、下向きに流すことによって、内側から身体の各部分を調整していく。
このような通常の練習の過程をとれば、腹・腰から最も遠い近い位置にある頭部や足の調整が一番最後となる。
私自身は学生時代に外反母趾になってしまい足の親指に力が入らなくなってしまった経験がある。今思えば中学時代からずっと練習していた卓球の際に誤った足の使い方をしていたのが原因だと分かる(踵をほとんど使わず足の先端部分に常に体重を乗せていた)。しかし一度歪んでしまった骨はなかなか戻すのは難しく、タントウ功は骨の位置までも変えるけれど、背骨とは違って身体の末端にある足の指の異常が果たしてタントウ功で治せるのかは私もかなり疑問に思っていた。
2009年春にパリから戻ってきた頃は足指には全く変化がなく、同じく外反母趾に悩む友人から、もし練習を続けて外反母趾が治るようなことがあったら教えてね、と言われたことがあったのを覚えている。が、それ以降の練習はやはり腹・腰中心で、特段足指に注意を払わないでいたが、一年ほど前から足を構成する骨の連結が緩くなり石か岩のようだった足が生き物のように動くようになってきたのに気付いた。足の指でグー、チョキ、パーとかする運動もあるようだが、そのような練習をしていなくても足の指すべてが独立して動くようになっていた。外反母趾で曲がった親指の付け根の骨はそのままだが、親指に意識を通せば親指をまっすぐにすることもできるようになった。これは私の中では大きな進歩だった。
自分の足が”活きて”生き返ったように感じると、俄然足に興味がでる。
タントウ功の時の足の要領は「扣kou」。お椀を伏せて被せるような感じだ。「抓zhua」、すなわち掴んではいけないという。これは前から知っていたことだが、半年前に師父にタントウ功の時の足を見せてもらったとき、私には指で地面をつかんでいるようにしか見えず、「扣」と「抓」の違いが見てとれなかった。
今回、足の要領につき再度師父に尋ねる。試行錯誤を重ねてかなり足への意識も強くなっていたのでこれまではっきり分からなかったことがはっきりする。
結論から言うと、タントウ功の時の足は冒頭の写真のような三本のアーチがちゃんと出るようにする。そのためには直立の状態からそのまま身体の重心を後ろにスライドさせ(しゃがんではいけない!)、おっとっと、と後ろに倒れそうになるところを足の裏で止めようとした時の足の形。それは下の写真のようになる(冒頭写真のような足とは対極にあるゴツイ足ですが・・・敢えてのせました)。
(続き)
後ろに倒れそうになるギリギリまで背中の位置を踵の方にずらし、足を丸めて(土踏まずが上がって)踏ん張ったその位置がタントウ功の際の上体の位置。背中の位置が通常よりもかなり後ろになり、体重が上の足の写真の「根節」に乗っているはず(普段立っているときは中節に体重がのっている人がほとんど)。この時会陰の位置も根節の上あたりなっている。この位置を変えないようにしながら、股関節を少し緩めて尾骨を少し下に垂らすように伸ばして身体を安定させる。
身体を後ろにスライドしていって土踏まずが上がると、内踵から内腿をつなぐ線が上に引き上がるように感じる。内腿が会陰の方に引っ張られて腿が長く伸びたようになっていれば正しい立ち方。誤った立ち方は太ももに力が入って太ももが太く短くなったような立ち方。直立の姿勢からそのまま真下にしゃがむと間違いなくこのような太ももの短くなったような立ち方になる。これでは会陰が引きあがらず丹田に気を溜めることができない(気がすべて下向きに流れてしまう)。
まずは身体を真後ろに引けるだけ引き、そこから少しだけ腰、お尻を下向きに伸ばしてバランスを取る。
・・・この話は長くなるので、また次回続けて書くことにします。
2013/10/24 <日常と非日常、循環、流れる、心の調整>
今日は一日家の中。タントウ功と昼寝、そして家の片づけ。
昨夜帰国したが、一週間日本を離れていただけなのに一か月以上もいなかったように思う。
毎回同じような感覚だが、異国の土地などに行き日常を離れると、一瞬一瞬が気づきだらけで時間が濃縮されるよう。刺激が多く意識が最大限に開くが、その分消耗も激しい。
刺激と惰性はどちらに偏ってもよくない。日々刺激ばかりでは消化する時間がなくて疲れてしまうし、日々惰性的に同じような生活をしていては進歩がない。適度な刺激、そしてそれを消化するための日常。そのバランスがうまく取れるのが最も良い。
スポーツでも日々基本の練習をしながら適宜試合をする。勉強でも日々の勉強をしながら適宜テストを受ける。楽器演奏でも毎日地道な練習をして時に人前で演奏したりする。これらはみな同じ道理なのだろう。
練習でも全く一人で練習していては、集中力はついても刺激が欠けがちだ。ここで先生がいたり、生徒さんがいたりして、人がら刺激を受けながら練習をする。また、時に推手などの対練をしてそこで気づいたことを一人の練習の中で消化し身体に染み込ませる。
練習は循環的にするのが一番で、ただ単品の練習をすると偏ってしまう。
タントウ功→動功→套路(拳、機械)→対練(推手、散手)、と静功の基本から始まって対人相手の実践練習に至るまで、即ち動きが極小から極大に至って初めて”陽極まれば陰に転ず”が如く、また最初の無極、タントウ功に戻る、という流れ。これが太極拳でいうところの無極から太極、そして無極に戻るという循環。
簡単に言えば、万遍なくやる、偏ってはいけない、留まってはいけない、ということ。
いつも流れていなければいけない。
循環、流れは太極拳の核心的要素だ。
気血は滞ることなく全身を流れていなければならない。これが詰まると病気になる。
同じように、感情、心も流れていなくてはならない。固執してはいけない。中医学では、ずっと何かを心配し続けたり、怒り続けたりすれば、いつかその無形の”結び目”が、身体の”結び目”(癌みたいなようなもの?)になって現れるという。
実際、”今”この一点に集中していれば、固執することはない、できない。”今”は一瞬一瞬流れているから、この流れに心を添わしていれば心も自ずから流れることになる。ここで、”今”が動いているのに、心が少し前の”今”の時点に止まったままだと、そこにズレができて宙に浮いた想念だったり固執が生まれる。理論的に言えば、心が常に今にあれば余計な思考活動ができず精神的なストレスとは無縁になる。
といっても、常に心を今に合わせておく、ということはそんなに簡単にできない。
生まれて数年間はそのような状態にあるのだが、人間の最大の武器でもある頭脳の活動が活発になると往々にして思考が独り歩きしてしまう。身体は今現在にしか存在できないのだが、頭の中はいとも簡単に過去や未来に動けてしまう。ここに人間の進化と脆さがある。ストレスを溜めるのも、精神的におかしくなるのも、この高度に発達した脳が原因だ。
以前ある生徒さんに、太極拳の練習をすれば精神的に強くなりますか?と聞かれたことがある。身体が強くなりますか?という質問であれば躊躇せずに、はい、と答えただろうが、精神的に、と言われると簡単には答えられなかった。
私自身、太極拳の練習を始めた大きな理由は精神面を安定させたかったことにある。精神的に強い弱いというのが”度胸”を指すのであれば、確かに強い方だと思っていたが、精神的な安定性という面ではとても危ういと思っていた。そしてその原因は頭が独走してしまうことにあるのも気づいていた。頭を独走させないようにする方法を見つけなければいつか発狂するのではないか、と思ったこともあった。
一般のスポーツに興じたり、興味のあることを勉強していればその間雑念が浮かばす精神的にも安定する。しかし何もなくなった”空白時間”が問題だった。それは暇だからだ、空白時間がないくらいに仕事や遊びを詰め込めばよい、というようなアドバイスを受けたこともあったが、それは私には逃げとしか思わなかった。友達とご飯を食べに行ったり、お酒を飲んだり、映画を見たり、ショッピングをしたり、所謂気晴らしをすればよい、という意見もあったが、それも結局は問題から目を背けるようなもの。今は気晴らしも必要だが、いずれは気晴らしをしなくてもよいような心を作りたい、というのが私の目標だった。
さてこの練習を始めて一番大きな収穫は”空白”が怖くなくなったことだった。今では落ち着けば空白時間を味わえるようになった(一旦慌てると味わえなくなる、ということは今回の旅行の初日に痛感した)。一旦タントウ功モードに入ればかなり長い間空白の中にいられるようだ。まだまだ道は長く遠いにしても、少しずつではあるが自分で自分の心や頭を調節できるようになっている。
生徒さんに精神面での質問をされて即答をしぶる理由は、私自身がその道の途上、実験段階にあるからかもしれない。肉体面ではかなり良い状態に至ってはいるものの、精神面では未だ自分自身をもって人のお手本と言える状態には至っていないというのが正直なところだ。
今回パリ滞在中に46歳の誕生日を迎えたが、この一年は肉体面のみならず精神面での鍛錬の方法についてより具体的に考え模索していきたいと思った。
2013/10/20 <パリの練習メモ>
今週のパリは最高気温が17度、18度でとても練習しやすい。それでも先週は最高気温が10度を少し上回る程度だったようで、街中はコートを着込んでいる人が多い。
こちらでは自分が習う以外にも師父がフランス人の生徒さんを教えるのを手伝ったりしている。これまで来た生徒さんは皆男性で、かなり大きな人達だが、一度動くと足腰の弱さが露呈する。見た目ほどの強さはなく、ベテランのフランス人男性は私と推手をして、何故こんな小柄な女性の力に押されてしまうのか?、と不思議がっていた。気(力)が足裏まで落ちているか否か、全身の余計な力が抜け全身が筒のようになり、足の力が腕まで素通りして届くようになっているか否か、そのあたりが大きな力の差になって現れる。もし同じ程度にこれらの条件をクリアしていれば、体重の重い方が大きな力を出せるはず(お相撲さんは体重を重くする理由)。
これまでの練習で発覚した私の課題メモ。詳しくは帰国してから。
1.タントウ功の時の高さ
更に高めから始める。まずは命門を押し出すように上体を真後ろにスライドさせる。それから少しずつクワ(股関節)に座っていく。まずは後方、それから下方。間違っても直立体制からそのまま真下にしゃがまない。
2.足裏の要領。足指は赤ちゃんの足指のように軽く曲がっている。足全体が”扣 ”(=お椀をかぶせたよう)になる。足指で地面を”抓”(=鷹の爪のように掴むこと)ではいけない。親指先を地面に接着させるようにすることで土踏まずが上がり湧泉ツボが使えるようになる。
3.脚の螺旋の勁。例えば推手の時、足はただ前後に動くのではなく、円を描かなければならない。重心が前後に動く際に胯、膝、足首も内旋一周する。足裏から生まれる力を腰に届けるには脚の螺旋の動きが必須。脚の三つの関節(胯、膝、足首)は回して使ってこそ脚の筋肉、経絡をすべて活用することができる。脚をただ前後、左右といった一直線上に動かしていては脚の一部分しか使うことができない。これは歩行でも同じ。歩行の際も脚の関節は旋回する。これがないと膝を痛めたり足首を硬くしてしまう(このあたりは靴メーカーがよく研究している)。
その他新しい推手を習った時に肩の使い方がまだ正確ではないのが分かったりしたが、全体的には脚、足について更に細かく、正確な動きを身に着けなければならないという印象。その場ですぐ直せるものもあるが、日本に帰ってからしばらく地道に練習しなければならないものもある。
明日は最後の練習。明日はどんな新しい課題が出てくることか。楽しみ~。
2013/10/17 <パリ到着に際して>
やっとのことでパリ到着!
今回もただ師父のもとで練習するためだけのパリへの移動だが、台風直撃当日朝の飛行機は定時に飛ぶはずもなく、11時出発予定が遅れに遅れ、結局飛行機に乗り込んだのは夕方5時過ぎ。それから滑走路の込み合いで離陸までにさらに1時間半。結局パリに到着したのは真夜中12時半だった。公の交通機関はもう止まっていて航空会社が市内までのタクシー代をくれた。さんざんな目にあったが最後は少しラッキー感が残る。
毎回毎回、パリに来る時にはハプニングがある。ハプニングがなかったためしがないのが却って自慢になるほどだ。
前回は成田エクスプレスが遅れて成田に到着した時には搭乗時刻30分前をきってしまいチェックインカウンターも閉まっていた。ゴリ押しで無理やり乗ったけど、今思えば必死のゴリ押し姿は美しさに欠ける。
その前は、成田に向かう電車の中で間違えて娘のパスポートを持って出てきたことに気づいた。馬鹿だ馬鹿だ、と頭の中で叫びながら家まで猛スピードで引き返した。
そのまた前は、横浜駅で成田エクスプレスに乗ろうとして手元から切符がひらひら舞い落ち・・・あれれ?鞄の中に落ちたかなぁ、と電車に乗ったが結局最後まで切符は見つからず成田空港駅で立ち往生。駅員が横浜駅駅員と連絡を取り合い、ホームやホーム下の線路を捜索していたがやはり出て来ない。”無賃乗車は理由にかかわらず正規料金の3倍を支払ってもらいます”という日英中国語で書かれた張り紙を前にして茫然。最後は往復で買ったチケットの復路分を見せることでどうにか改札を通してもらった。
せっかく買っていったお土産の高いお酒を飛行機の棚に置き忘れたまま出てきてしまったこともあったし、新しいジーンズの膝が少し硬いのが嫌で成田で飛行機に乗る直前にトイレでジャージに着替え、そのままジーンズを置き忘れてパリに行ってしまい、滞在中ジャージのみで過ごしたこともあった。タクシーでぼられたこと、パリでの鉄道の改札を通り抜けられないトラブルなど、その他小さなトラブルには事欠かない。
今回は台風接近のニュースを見て、当日朝家を出たのでは絶対困ったことになると慌てて前日のうちに成田のホテルに移動。ホテルのチェックインの際に50人以上が列をなしているのにびっくりしたが、翌朝案の定、暴風雨で交通機関がマヒしていたので今回ばかりは賢い選択をしたと自分を褒めていた。
11時発予定の便が12時に変更されていて、余裕で空港に到着。荷物を預けて出国ゲートをくぐろうとした時、アナウンスで私の乗る便が更に遅れ15時半に出発時刻変更されたことを知った。あと4時間以上待つのは暇すぎるなぁ~、どうしよう?と頭の中が高速回転して思いついたの成田山への観光。JR乗り場に行くとちょうどタイミングよく千葉行きの電車が動くところだった。これに飛び乗り成田駅へ。成田山新勝寺にお参り気分で人の少ない道を歩いて行った。大本山でこれまたちょうどお護摩の儀式(?)を行うところだったので、面白そうとこれに参加。不動尊は火、火で燃やして清める、これは丹田に熱を溜めて気化して身体を浄化するようなもの?、などいろいろ感慨深い。金属音、そして突然の太鼓の音、念仏の声、音の効果もすごい。・・・が時計を見ると時間が迫っている!
大慌てで成田駅に戻ったが、なんと電車が動いていない。空港に行く電車は1時間以上はないという。ガーン!、こうきたか~!と、タクシー乗り場に行くと人が列をなしている。タクシーも少ない。心中焦りながらタクシー待つこと20分、やっとタクシーが立て続けに現れた。空港にはぎりぎりに到着。出国ゲートから走れるところは走って搭乗口に向かう。セーフ!と思った時、またアナウンス。出発時刻は未定に変更。
それから待つこと3時間弱。荷物取り返して家に戻りたい、という強い衝動を何度も感じる一方で、いや、これは忍耐の訓練、と方や自分を戒めながら、立ったり坐ったりの繰り返し。自分の心の動揺を見るとまだまだ修行が足りないのがよくわかる。やけっぱちになる性格は根深いものがあるよう(学生時代の卓球の試合でもそうだった・・・)。
”忍耐”という言葉は私の辞書にはない、などと小学生の時すでに友達に言っていたが(なんと生意気なガキ!)、この練習を始めてかなりマシになったとはいってもまだまだ甘い。じ~っとできない性格だからこそ余計タントウ功をしなければない。太極拳に惹かれるのもそれが自分の対極にあるものだからかもしれない。
劉師父に以前ある生徒さんが「太極拳に向くのは性格が穏やかな人ですか?」と質問したことがあったが、「穏やかでない人こそこの練習が更に必要」というのが師父の答えだった。実際、馮志強老師も含めもともと性格が強烈な人が地道な練習をやりこんでいたりする。が、”剛”の人は”柔”を学び、本来”柔”の人は”剛”を学ぶというのが本当のところだろう。陰陽バランスをとる、というこの練習は誰がやっても得るところがある。パリでまた何が起こるか楽しみ。
2013/10/11 <書家から学ぶ、真似る、骨のある柔らかさ>
先日初めて主人の仕事での会食に”夫人”として参加した。
某一流レストランで行われた若手政治家主催の晩さん会だったが、そこには日本書道界の第一人者である石飛先生を始めとする著名な書家数名が招待されていた。
晩さん会はある仕事上の目的があって行われたものだったが、私は興味のある『書』の分野の一流の先生方とお話できる機会と、気が付けばかなり好き勝手におしゃべりを楽しんでしまった。
太極拳と書法はとても似ている。中国の太極拳の老師の中には書に長けている人も多い。
私も以前一時ではあったがかなり書に傾倒した時期があった。中国の王蘊章という先生の「毎日一題、毎日一字」という全150回に及ぶ講義を毎日のようにパソコンで見ながら、1文字ずつ練習していたりした。講義を聴くことで中国における書の発展、書の奥深さ、現代中国における書の行き詰まり、日本における書の展開、など、書に関わる多くの話題を学んだ。私は絵画のような書よりも、誰が見ても美しい字だと思えるような書が好きだが、この王老師はまさに書の基本、正確さを重視する書家で、現在の日本で自由気ままな書が人気を博しているような風潮に真っ向から反対していた。
今回お会いした石飛先生は、近代詩文書を提唱した(書の素材は日本語の詩文とすべしというもの)日本書道史上画期的な位置を占める金子鷗亭先生のお弟子さんだ。現在は石飛先生ご自身が書の第一人者であるといっても過言ではないはずなのだが、言葉の端々から師に対する敬服の念が感じられた。
石飛先生は今年72歳で立つと小柄だが、座っているととても姿勢が好く全く小柄に見えなかった。指の力が抜けていて、かつ、すべての指に気が通っているのがすぐに分かった。どのような所作も美しく見えた。その点は他の先生方を軽く凌いでいた。
私も私自身の観点(つまり太極拳の観点)から書に対する意見、太極拳との共通点などをを率直に述べたが、先生方は思いがけない書論議の盛り上がりに喜んでいろいろなお話をしてくれた。
その中で印象深かったのは以下の2つ。
一つは、”弟子は師のようになってはいけない”という命題について。教える側の立場から、”自分と全く同じにするように弟子を育ててはいけない”という言い方もある。
石飛先生もとても若い頃は師に対してやや反抗的で、師のマネはしたくない、と思ったころがあったそうだ。だが、ある時”完敗”を認めざる負えない状況に陥り、それ以降は心を入れ替え、ひたすら師を“真似る”ことに徹したらしい。真似て真似て、そして気が付いたら今の自分が出来上がっていたらしい。個性は追求するものではなく、自然に出てくるもの、まずは真似ることができなければその先には行けない、真似ることもできずにそれを”個性だ”というのは逃げに他ならない、そう言い切っていた。
これは太極拳の世界でも全く同じ。
もう一つは、石飛先生は今でこそ温和に見えるが、本来とても気が短かかった、ということ。実際、書家の中には気が短い先生がかなりいるという。”だからこそ書で修行しなければならない”、と先生は笑っていたが、これも太極拳の世界と同じ。馮志強先生も自ら認めていたが、私の師も含め、本来性格が荒く気の短い人はかなり多い(私もその一人)。
書でも太極拳でも一見流れるような優雅さがあるが、その流れはただの”ぐにゃぐにゃ”ではなくその中に”骨”がなければならない。
ただの道楽で適当に書いている書はそこに”骨”が感じられない。”この人には骨がある”という言い方のごとく、骨のある人であってこそ骨のある活きた字が書ける。性格の荒さ、気の短さはある意味エネルギー(気)の多さでもあるから、そのエネルギーを純化して”気概”に変え正しい方向に導けば、エネルギーの少ない人に比べて”骨のある”、よりインパクトのあるものが生まれる。
書道でも太極拳でも有り余るエネルギーを正しい方向に導くための修行法として使えるということを改めて確信したお話だった。
その他面白い話がたくさんあり、書のことだけでもいくらでも話が盛り上がりそうだったが、隣で主人は私がどこまで暴走するのかハラハラしていたようで、私としても主客は私ではないので少し控えたつもり。
書も太極拳も基本功が大事で、毎日毎日地道な練習を積まなければならない。
来週から1週間パリの師のもとで練習できるが、さらにしっかりと目に姿を焼き付けて正確にマネができるように頑張ろうと思った。
2013/10/5 <丹田に気を溜める要領、目と意念、正気>
保土ヶ谷の練習。
タントウ功から始めるが、ふと後ろを振り返るとずっと目を開いて立っている生徒さんがいる。ただ目を閉じるよう指示すればよいところ、また薀蓄を語り始めてしまう。これは癖。
目を閉じるというのは、目の後ろを後頭部の方へ引き込みつつ目線を丹田の方に持ってくるため。目と意念は密接に関連しているから、目線を丹田にくぎ付けにすることによって意念を丹田に集中させ、それによってはじめて丹田にエネルギー(気)が溜る。
目は呼吸するわけではないが、目の光を外向きに吐き出すのではくて、目で“吸う”ように光を内に引き込まなければならない。これは馮志強先生のタントウ功の要領でも「眼神の内収」と簡潔に表現されている。
たまに目を閉じてはいるが、瞼がぴくぴくしていたり、眉間にしわが寄っている生徒さんがいる。これは眼球が動いていたり、閉じた瞼の中で目は前方を見ている証拠。丹田の内視はできていない。目がちゃんと後頭部(玉枕のツボの位置)もしくは目と耳の交差点あたり(脳下垂体あたり)を経由して丹田を見ていれば、瞼も眉間もリラックスして広がったようになる。
丹田に気を溜めるというのがタントウ功の一番の目的だが、そのためには意念を丹田に集中しなければならない。体中に散らばっている力を丹田に集約する。それは体中の力を丹田に”引き込む”ということ。全身の放松というのは丹田に力(気)が引き込まれることで起こる現象だとも言える。
全身の力を抜く→丹田に気が溜る
丹田に力(気)を集める→全身の力が抜ける
という感じで以降循環になる。
が、大変なのはこの好循環に入り込むまでの過程。
この循環に入り込めなければ、永遠に「門」をくぐれないことになる。
中国では「太極拳は入門に10年かかる」という言い方がある。速成という点では少林拳などの外家拳に敵わない(戦ったら勝てない、という意味)。が、石の上にも3年、と焦らずゆっくりゆっくり練習をつめばそのうち外家拳の敵を倒し、10年後、20年後、と時の経過とともにその差は開いてくる(と言っても、通常外家拳の老師もある年齢を過ぎれば、若い弟子には外家拳を教えつつも自らは内功で丹田を練るような練習をするようになる。)。
外家拳の話だけでなく、そもそもスポーツとはやり過ぎたり、やり方を間違えればかえって身体を損ねてしまうもの。そもそもスポーツ(sport)は「気晴らし」「楽しみ」「遊び」という意味の「disport」の変化形で、養生法として成り立ったものではない。
武術や武道もスポーツとして行うのか、養生法として行うのか、実践として行うのか、試合で勝ったり大会で良い点数を取るために行うのか等々、目的をどこに置くかによってやり方、効果が変わってくる。
太極拳の世界の中でも教えるものによってその中心に置く意義は異なるのが実情だが、私自身としては心身の自然な健康状態を中心に据えている。身体にゆがみが詰まりがなく、精神が恬淡、闊達。練習すればするほど身体が固くなったり心が狭くなって社会から逸脱していくようなのは道を逸れている。道を究めようとしながらもマニアックになってはいけない。馮志強先生がよく口にしていた「正気」を養うとはそういうこと。「邪気」を養ってはいけない。
いずれにしろ、怪我のない円満な身体が第一。健康な体に健康な精神が宿り、そして初めて健康的なパワー(正気)が培われる。
身体が自然に健康である、というのは子供の時の身体。だから赤ちゃんや小さい子供の身体は太極拳で目指すべきお手本になる。丸くて柔らかくてお腹が膨らんで丹田に気が溜っている(お腹の膨らみは脂肪ではない!中に空気のようなものが入っている。それが”気”)。胎児の時に臍から栄養を吸収して腹に溜めこみ、母体から離れた時には腹にエネルギーのタンクを携えて出てきたような状態だ。その後口から栄養を吸収するようになる一方で、もともとタンクに入っていたエネルギー(先天の気、元気)は成長に使われ減っていく。成人になるまでにはお腹はぺっちゃんこになっているはず(脂肪で腹が大きくなるのは論外)。
考えれば、胎内にいる間は胎児は丸くなって臍から栄養を吸収するのみで、エネルギーが外に漏れることはない。エネルギーのベクトルは内向き。が、ベクトルは誕生した瞬間から外向きに転じる。目を開ければそこには外界があり、外界に向かって働きかけるようになる。興味の対象もすべて外側の世界にある。エネルギーは自分から外界に向かって流れ出ていく。そしてエネルギーが枯渇した時に死を迎えるわけだが(まあ、死因についてはいろいろあるからそう単純にも言い切れないがここでは話を単純化)、この外向きのエネルギーの流れを内向きに変えるのが太極拳を始めとする内家拳の核心。悟りを開くための修行もそうだが、外向きに流れ出るエネルギーを最小限に控えて(座禅が最適)、自分の内側にエネルギーを集結させる。エネルギーがある量に達すればそれは動き出し、内側から身体の関節を押し分けて進んでいく。この過程をうまく使えば内側から身体を開けていくことができ、気血の循環が好くなる。健康増進につながる。
これを行う方法がタントウ功や座禅だ。
冒頭の図は丹田(赤丸)にエネルギーを集約させるイメージを図にしたもの。
まずは①外枠の黒丸に破れがないようにする。
→ 目や鼻、口、耳、臍、臍、肛門などの外界に通じる”穴”をすべて閉じる。
開いていてはエネルギーが体外に漏れてしまう。
②エネルギーが上に抜けてしまわないように上から下向きに圧力をかける(青の下向き矢印)
→肩を下げる、胸を引く、命門を開く、腰を下に垂らす(塌腰)、尻を収める(斂臀)など
③エネルギーが下から抜けないように下から上に引き上げる(橙の上向きの矢印)
→ 会陰を引き上げる
面白いのは③の上向きの要領は会陰の引き上げしかないこと。(肛門の引き上げはこれに連結している)
これに対して②の要領はとてもたくさんある。上に書いた以外にも、冒頭で述べた目を後ろに引いて下向きに丹田に向かって下すのも非常に大事な要領だ。外形をちゃんと整えても意念が揃わなければ効果は半減以下になる。
ちゃんとやると次第に身体がただの管のように思えてくるが、外界と同じくらい自分の内側にも面白いものがいっぱいある。