2014/12/25 <気を溜めて背骨を調整する、溜めて使う>
背骨を抜きにして私の身体を考えることはできない。
背骨は私達の姿勢のみならず、内臓の状態、精神状態を大きく左右する。
私達は四足から立ち上がり、立ちあがった当時は骨盤の立った、お尻のプリッとした、背骨に程よい反りのある立ち姿だった。
しかし成長するにつれて、足裏から頭頂まで一本筋の通ったあの当時の姿勢は次第に崩れてくる。
10歳にもなればズレが見え始め、20歳になった頃には本当に理想的な姿勢を維持している者はほとんどいなくなる。
姿勢を正そうと努力するのは、何か運動をしたり特別な鍛錬、習い事をする人、もしくは既に腰、肩、膝などに支障の出てしまった人で、ともすると自分の背骨や姿勢など、大きな注意も払うことなく歳をとってしまう。
ふと街でガラスに映った自分の立ち姿を見て愕然とする、ということもよく聞く。
顔は毎日鏡で見ていたとしても、自分の立ち姿や歩き姿を毎日チェックしている人は少ない。
太極拳でも姿勢はとても大事で、この姿勢を調整するために最も大事な練習がタントウ功だ。
ただ、タントウ功による背骨の調整(といっても実は身体全体の調整だが)の考え方は、ダンスや運動科学的な観点からの調整法とは大きく異なる。
求める理想的な背骨の状態は同じでも(脊椎間に隙間がある蛇腹状で可動域が高く、かつ、その蛇腹が立ちあがった蛇のように真っ直ぐになる)、その調整を筋肉や骨という”外”で行うか、『気』という”内”で行うかという大きな違いがある。
最近生徒さんから、運動科学的には腰椎に反りがある方が股関節の自由度が高くなりパフォーマンスが良くなると言われているところ、太極拳ではお尻を入れて腰の彎曲を減らすようにするのは矛盾するのではないか、という質問があった。
筋肉や骨の観点から言えば、多くの運動科学研究者が指摘するように、骨盤の上縁と背骨の交わる腰椎4番あたりに弾力のある反りがあるのが理想的だ。そうなれば尾骨から頭頂までのつながりができ、背中全体で四肢を操ることができる。
しかし、後に書くように、腹の気が減ってしまっている一般の成人が腰の反りを実践すれば容易に腰を痛めてしまう。
また、短距離アスリートのようにお尻を上げた状態は速く走れたにしろ、エネルギーの消耗が激しく長距離を走ることはできない。
気を漏らさないためには幾分お尻を収めた方が良いし(斂臀),走ったり跳んだりするにはお尻は上げなければならない。
ようは、背骨は自由自在に動かせるようにする、ということだ。
どちらかが良くてどちうほうらが悪いではなくて、矛盾することを両方行う、というところに太極拳の醍醐味があるのかもしれない。陰陽の原理。
最近の私の身体の感覚では、尾骨を上げながら(肛門を後ろに向けるような要領=松胯)、反りそうになる腰を、上から被せるように塌腰、あるいは命門を押して開けるようにする。つまり、尾骨から上に向かう逆転のベクトルの上に胸椎から尾骨へと降りる順転のベクトルを被せるような要領だ。こうすると腰椎4,5番あたりに心地よい収束間が出るとともに腹の気が充実する。
下に腹の『気』の量による背骨の変化のイメージ図を書いてみた。
図1は幼児期の身体。
丹田の気が多く(元気が多い)それが腹や背中を推している(支えている)。
図2、図3は成長して丹田の気が減ってきた状態。
図2-1では腰椎の彎曲の力に負けて減った気の袋が腹側に偏ってしまっている。結果、腰が必要以上に反って腹が出た姿勢になる。
図3-1では腹の凹みに負けて気の袋が背骨側に寄っている。前肩、猫背の人の状態だ。骨盤が後傾し股関節の可動域が失われる。膝への負担が大きい。
この2つの対照的な典型的な姿勢を調整する方法は、どちらも丹田の気を増やすことだ。
図2-2、図3-2はそのイメージ図だが、丹田の気の量が増えると凹んだ腰や腹を押し出すように背骨が調整されていく。
最終的にはこの気のクッションが胴体の芯の役割をする。
気を増やす、溜める、というのは貯金をするようなものだ。
お金がないのにお金の使い方を考えても仕方がないのと同様、気の量が足りないのに身体をどう動かそうかと運動の仕方を考えてもあまり意味はない。
まずは溜めて、そして使う(賢く使う、できれば増やすように使う)。
冬は”藏”という季節だけあって、私自身”気”が漲る感覚が実感しやすい今日この頃。
溜めて、使う、この両輪で練習していくのが陰陽原理に基づく太極拳の練習だと、やっと実感できてきたところ。・・・中国に伝わるこの知恵、恐るべし!
2014/12/22
寒くなってきたので推手の練習を始めた。
推手をすると元気が湧き出てくる(くれぐれも戦闘モードにはならないように)。
(生徒さんへ:推手について全く聞いたこともないという人のために、仲間のページに参考動画をアップしました。年末年始のお休みの間に是非見ておいて下さい。)
2014/12/14 <24式動画>
最近撮影した24式のビデオをアップします。
たまに撮影すると自分の進歩や課題がクリアになります。どうぞ参考にして下さい。
なお生徒さんの練習用に分割したものも準備中です。
2014/12/9 <胯と肩、四正勁、羽?>
この一週間で起こった自分の身体の変化。
まず股関節、について先週初めに突然新たな感覚が生まれる。
股関節、と言われているのは大腿骨が寛骨に入り込んでいるその球状の関節一帯だが、それが、”お尻にある”という感覚へ変わった。これまで股関節はどちらかといえば鼠蹊部に近いところにあるような感覚だったが、それが、確実に身体の後ろ側(背中側)にあるのを実感。
タントウ功をしている自分の身体をよく観察すると、それは車輪状になっていて、その車輪の後ろ半分の弧に自分の身体を預けているよう。とても楽ちん。
・・・ああ、これが『坐胯』。師父が言っていた『松胯』の次の段階に違いない。
それから2,3日後、肩関節についても股関節と同様に背中側の車輪がはっきりとしてきた。
そうなると、肩と股関節、合わせて4つの車輪がすべて同方向(タントウ功で順回転させている場合は上から下方向)へ回る(落ちる)感じだ。
図で表すと下のよう。
そしてこの感覚を維持したまま練習を続けていると、2日後には肩とクワ(股関節)が連動していることを実感。連動、揃っている、そのような感覚。所謂『外三合』のうちの、肩とクワの『合』が身体ではっきり分かる。
このことを師父に伝えると、それは『四正勁』が出てきたということだと指摘される。
ああ、ポン、リュー、ジー、アン、の四正手のことだ。じゃあ、ツァイ、リエ、肘、カオ、の『四隅手』は?と、今まで頭の知識として知っていたことが、やっと身体で分かりかけた嬉しさに矢継ぎ早に質問。やはり、それは対角線の勁。そういえば、ツァイの時はどちらかの足が前になっているなぁ・・・とか頭の中に套路の中の様々な動作が浮かぶ。
この四正勁の感覚が出た後、恒例の夕方の座禅で肩甲骨の付け根が隆起するような感覚が出てくる。
肩については数か月前から胸の奥が開いて肩に連結するような感覚を覚えていた。そして先週初めには肩から上腕にかけて、缠丝、螺旋の力がググッと入るようになり、胸から指先までが螺旋勁で一つにつながるようになっていた。
そんな胸の奥の空間からつながった腕は、実際のところどこから腕なのか、目をつぶっていると分からないほどだ。座禅で自分の身体を眺めると、それはミシュランのタイヤのあの白いムクムクの着ぐるみのようなもので、全身が風船のように膨らんでいるだけでどこから腕や脚が始まるのかは分からない。まさに全部が胴体化。
そしてこの状態に、上に書いたような”お尻の”股関節が加味されて、肩甲骨の隆起が起こるような感覚がでてくる。
昨日の座禅では、このまま肩甲骨に力を入れれば羽が生えてきそう!、と真面目に思う。
こうやって羽は生えるのね~、と座禅の後に妙に納得して、帰宅した主人や娘にそう言うと、かなり冷やかな対応でこちらの興奮も冷めてしまった。
羽が生えることは、やっぱりあり得ない。けど、そんな人はいたような・・・そう、ティンカーベル!
昨日からティンカーベルはえらく身近な存在になったりしたのでした(そろそろ頭がおかしくなったかという家族の反応もありますが・・・。)
ここで、そう言えば、と思い出して探し出したマリインスキーバレエ団の代表的なダンサー、 ウリヤナ ロパートキナの短い動画があります。肩関節の可動域が増えるとこんな感じに腕は動きます。すると白鳥になる・・・腕が羽のようになる、ということでしょう。
下は練習風景の抜粋。その下は彼女の瀕死の白鳥の公演。肩関節が360度回転?!
2014/12/4 <スキのない身体=球体=豊満=太極>
今日は室内練習。
生徒さんのタントウ功の形を直そうとした時、ふと、ある本に載っていた無極と太極の図が頭に浮かぶ。
ある本とは太極拳のバイブルの一冊とも言える名著、陈鑫による『陳氏太極拳図説』。
この本を購入したのは良いのだが、句読点もない古文のような文章は私には読み切れず、ただ図を眺めて楽しむ程度。太極拳のレベルといい中国語のレベルといい、この本を読み切る境地にはまだほど遠いよう。
今日はタントウ功の説明をする時に、定式の形(套路の中の各式の決めポーズのようなもの)を使って、このような”中定”のポーズは、四方八方敵に囲まれていても、どこにもスキのない形なっていなければならないという話をした。そして実際に一人の生徒さんにポーズ作ってもらって、どこにスキがあるかを皆で指摘してもらった。
面白いのは初心者でも簡単にスキを指摘ができることで、理屈が分からなくても何となく分かるという。
理論的には、身体のつくるポーズが球になっていれば完全無欠、スキなし、球から欠けたところがスキになる。
身体は球体の”豊満”が理想。
・・・・こんな話をした時に頭に浮かんだのが”太極”のポーズの図。
そう言えば、タントウ功の立ち始めは、”無極”になっている。そして立ち始めて、”太極”になる。
24式の時は起式の始め、”無極”で立ち、よし、行こう!、という時に”太極”になり、それから動きは始まる(陰陽が分かれる)。
無極→太極→陰陽分離→→無極、というようなことは冯志强先生の本にも書いていたが、あまりにも抽象的で、それが太極拳とどう関係するのか、身体とどう関連するのかはあまり分かっていなかった。
今日は自分の中で少し理解が進んだ。
そう思って改めて二つの図、そしてその解説文を読んでみた。以前は歯もたたない文章だったが、少し噛めるような・・。
どんな本も自分のレベルでしか読めない。名著があったとしても読み手のレベルがある域に達していなければ宝の持ち腐れになってしまう。
まだまだ頑張らないとなぁ~、と思った次第。
下の左が”無極”。右が”太極”。
違いは? 太極では脇、股間、そしてボタン(身体の中心軸?)が開いている。無極の時にあった丹田の気が体中に回って全身を膨張させたような様相。
髪の毛がなくなってしまったのは何故?・・・・これが良く分からん。
2014/12/1 <内気を育てる、精神を引き上げる、外から内へ>
生徒さんを教えていると、自分一人の練習だけでは気が付かなかったこと、考えもしなかったことが多々あることを知る。
昨日はある生徒さんのタントウ功の立ち姿があまりにも寂しそうに見えて、これはどうしたものか?と心の中で?マークが浮かぶ。外形はそれほど問題がない。でも何かが違う。
そもそもタントウ功は内気を育てるためにやっているのだから、立てば立つほど内気が充満して身体が膨張するかのようになる(ポンの力:張り出す力が増す)。これが立てば立つほど身体が小さくなっていくように見えるとしたら(立っている本人に自覚はないかもしれないが)、どこか立ち方が間違えている。
身体をゴムボールに例えるならば、元々中に70%の空気が入っているなら、立つことによってそれを80%や90%へと増やしていくのがタントウ功の目標。もし立った結果空気の量が70%以下に減ってしまったとしたら、それは立っている途中で空気が漏れているということだ。
空気はどこから漏れるか?それは穴。人間なら眼、鼻、口、耳、臍、前陰、後陰の七つの穴(眼と耳を2個ずつと数えて九個の穴ともいう)。
だからタントウ功の時はこれらの穴を塞ぐという要領がある。頭部にある感覚器官はすべて脳の中心に向けて収めお休みさせなければならない。会陰や肛門を引き上げるというのも同様の意味。
(”塞ぐ”、というのは正確には、”内収”:内側に向かって引き込む、という意味のはず。)
しかし、穴を塞ぐだけではボールの中の空気の量が増えることはない。ではどうやって増やすのか?・・・ボールの場合はおそらく外から空気を注入するしか方法はないのだろう。しかし身体の場合は、体内の2つの気を混ぜ合わせることによって発火(発気?)させることが可能だったりする。この要領は「心の気を下げ、腎の気を上げ、その2つの気を混ぜ合わせて・・・」というような記述に表されている。
通常初心者の練習では、まず心の気を下げることを特に注意する。胸式呼吸から腹式呼吸が行えるようにする。もし頭で考え事をしているような状態なら、まず頭の活動を止めてその分のエネルギーを(胸を通り越して)腹まで下げられるようにしなければならない。
そしてこれができるようになったら、腎の気を上げることに注意を払う。会陰を引き上げるのはそのための最も大事な要領だ。
下げるものと上げるもの、この2つがミックスされて初めて気が産出される。
冒頭に書いたような、身体がしょぼっとしたような寂しそうな立ち姿のケースは、上げるベクトルが弱い時に起こる。丹田に意識を集中させようとして頭や心を腹まで落としたのは良いが、引き上げ力が少ないために意識が下に沈殿してしまい、所謂”意気消沈”してしまう。これが座禅なら居眠りしてしまうかもしれない。居眠りくらいなら笑えるが、下手にやるとうつ病気味にもなりかねない(うつ病の人には静功はさせない)。
ここで”引上げ力”についての私の考察。
冯志强先生の本の中では引き上げる場所は、会陰、舌、百会、となっている。
が、その外形と背中合わせのようにして内側の要領で非常に大事なのは、精神、気持ちを引き上げること。少しワクワクしたり、やる気になるようなことを思い浮かべるのも、気を増やし活性化させるのにとても有益な手段だ。間違えても辛いことや不快なことを思い浮かべて静功をしてはいけない。”善”の快活な気(正気)を使う。(昔インドで実践されていたタントラの修行では、修行僧が裸の女の人を囲んで座禅(瞑想)をしたという。精神的、肉体的に少し興奮させてから、そのエネルギーを着火剤として使って体内の気エネルギーを増やしていった。)
これに関して、顾留磬著の『陳式太極拳』 では「虚領頂勁」について、「頭頂の力(勁)がうっすらと(虚)引き上がる(領起)」というのは、即ち、「精神が自然に引き上がると同時に、気が丹田に向かって下に沈むこと」と説明している。
ここでも注目すべきなのは、”精神が自然に引き上がる”という記述。
私が思うに、外形的に引き上げるべき上の3点は涌泉の引き上げ(会陰の引き上げに連動)や、微笑(舌の引き上げ=上あごに貼り付ける要領)にもつながってくる。
そして中でも微笑には精神を引き上げる作用が高い。笑うことによって癌を克服した人の話を聞いたことがあるが、さもありなん、と思ったりする。
人は不機嫌だと口角が下がって口がへの字になってしまう。反対に、機嫌が良いときは口角が上がり微笑したようになる。これは内側の状態が外形に現れるということだが、これを逆に使って、そのような外形を作ることによって内側の状態をもたらす、ということも可能だ。ちなみに太極拳では、『形不正、心不正』(形が正しくなければ心は正しくない)という。
多少不機嫌でも微笑していると少し気持ちが変わってくる。百会に気を通すためには左右の眉の間を開けるようにするが(上丹田を開けるため)、このように眉の間を開くようにすると更に気持ちが高く、開いてくるようになる。
現代は心の病を治療するためにカウンセリングを受けたり精神科に通ったりするのが主流のようだが、まず身体を鍛え調えて身体をあるべき正しい状態にする、というのも昔から伝わる心の整え方なのだろう。
そういえば、「健康な身体に健康な精神が宿る」・・・昔よく耳にしたフレーズだ。