2015/3/28 <行気と運気>
ずっと前から一度生徒さんたちに見てもらいたかった動画があった。
『行気』は何も太極拳に限ったものではない。
どんな分野でもある境地に達した人は『運気』ではなく『行気』で物事を為している。
いや、厳密にいえば、『行気』は気を行かせる、Let it go の意味だから、物事を”為す”とは言えない。物事が為されるようにしてあげる、というように表現するのだろうか。
私達は成長の過程で努力をすることを学ぶ。自分の力で成し遂げること、自分がする、という意識が強くなる。自分が主導権を握り何もかも操れるような感覚になってくる。青年期が過ぎ、成人になり、次第に、自分には到底どうもできないものの存在を感じるようになる。・・・そのうち、全ては自然(存在)のなすがままに動いていて、自分のできることといえば、せめてその自然の流れを邪魔しないことだ、と気づいてくる。
このような境地に至った時、太極拳はとても意義深いものになる。
自分で気を動かす(『運気』)のではなく、気を行かせる(『行気』)。
この『運気』と『行気』の違いをはっきりと身体で分かるようになると太極拳の面白さが格段に増す。ああ、こういうことだったのか~、と感動さえ覚える。
”行かせる”、そのために自分のできることは障害物を取り除いて通路を開けておくこと。あの苦しい練習(特にタントウ功)もひとえに(気の)通り道を作るためのものだったのか、と後になって意味が分かってくる。
馮志強老師は常々、気を運んではいけない、と言っていた。
『用意者通、用気者滞、用力者折』(意を使うものは通り、気を使うものは滞り、力を使うものは折れる)とも表現される。
と、言葉で説明すると難しいが、動画を紹介するので見てみて下さい。
5歳の女の子の歌です。身体の奥から喉に音が上がってくるのを待っている、喉を開いて下から音が出て来させようとしているところが『行気』だなぁ、と思う。
成長して自我が強くなってくるとこのような歌い方は次第にできなくなってしまうのでしょうが・・・。
無我で生まれ自我を育てそれをピークにした後、また無我に戻っていく、太極拳はその最終段階の練習だと実感するところ。
2015/3/26 <腹と手のひら、内もも(腎経)、腰と腹→背骨の動き>
このままだとまたお流れになってしまいそうなので、ちょっとメモ。
今週の関心事。
1.腹の重要性。
腰痛の最大の原因は腹(肚)。
腹の気が少なくしぼんでいると(前かがみの感じ)、腹のクッションがないので腰だけで頑張ることになる。
逆に背中を反り気味にして腹を前に突き出していても、腹に力がなく腰が固まってしまう。
腹と腰は陰陽、裏表の関係にあるが、どこで折り合いをつけるか?
腹にも腰にも力がみなぎるのはどのような状態か?
あるクラスでは腕立て伏せの姿勢でそれに近い感覚をとってみた。
またあるクラスでは、電車でドアに向かって立った場合を想定して、後ろに倒れそうな時に手のひらをドアに貼り着けることによってバランスをとる、その時の腹の感覚を体験してもらった。後ろに倒れそうな時、ドアに貼りついた手のひらが、あたかもドアを吸うようにしてバランスをとる、そんな感覚。→手のひらと腹の密接な関係
2.手のひらの重要性
手のひらを使うと腹が使える。
練習ではいろいろな動作で実感してもらった。
太極拳のリューは決して綱引きを引くように腕を”掴む”のではない。手のひらを使って押し出すようにする。指は添えていていざとなったらツボを攻める。
手の基本形は、パン生地をこねる形。ひげダンスの腕。おねえの仕草。タイ(インド?)の踊り。
指で掴めば体中の筋肉は緊張する。掴む時は、手のひらから掴む(指は手首から出発しているとの意識)。実際的には労宮の開合で掴む。所謂”指”だけでグー、パー、をしてはいけない。
パーからグーへは、まず労宮で”吸う”(=閉じる)ようにしてから徐々に指が閉じていく。
グーからパーへは、まず労宮で”吐く”(=開く)ようにしてから徐々に指が開いていく。
手の開合一つをとっても、『節節貫通』。関節一つ一つ順番に動かさなければならない。(→中枢神経から末端に向けてきれ~いに通していく。神経の調整でもある。)
3.太もも内側後ろの筋肉の開発
普段は腎経を通す練習としてやっている。しゃがむ動功は実はしゃがむ練習ではなく、脚に勁を通す練習。陽経三本で下がり、陰経三本で上がる。が、まずは一番外側、太陽の膀胱経(二列あるうちの外側)で下がり、一番内側の、少陰腎経で上がってくる練習。
腎経はひざ裏の一番中心より(陰谷穴)を通るが、それはそのまま上昇して会陰に入っていく。太ももの中を潜っているような線なので感覚をとりずらいが、太ももの内側の後側、ハムストリングスの一番内側を通る(具体的な筋肉名は調べなきゃ。)。
太極拳に欠かせない左右や前後の重心移動の時は、太もものこのラインで移動できれば完璧。膝を痛めないし疲れない。どれだけ低い姿勢をとってもそこでじっとしていられる。相撲部屋にもすぐ入れる(?)
脚の要領についてはまだ未整理。ただ経絡の走向が鍵になるのは腕、全身と同じ(太極拳は経絡運動だからそれも当たり前、か。でも練習すればするほど経絡の重要性が分かってくる)。
いずれにしろ、太ももの内側(ふくらはぎの内側も然り)はとても大事。ここがしっかりしている人は身体の軸がしっかりし内気が充実する。
歳をとると(腹は出ても)脚の内側は痩せていく。ここを痩せさせないように立つべき。
以上、取り急ぎのメモ。
なお、1に関連して、腰と腹の関係は固定的なものでなく動的にとらえる必要がある。丹田が決してある一点に固定されないのと同様、腰と腹はともに力がある(力が抜けない)状態で動けなければならない。これはとりもなおさず太極拳の動きの中軸である背骨の運動になる。
この点に関連して、前回紹介した湯老師の教材の中に脊柱の訓練法の予告編動画があったので載せてみます。このように動くには腰も腹も使わなくてはいけません(これを立ってやっているのが太極拳・・・)。
2015/3/2/23 <腰はこう動く>
昨日ある生徒さんに頼まれて以前入手した教材を整理していたら、ちょうど練習していた”腰骨の上に腰を乗っける”動画を発見。(腰回しの立回転です。)
私自身がこんな動画をとって見せてもよいのだが、一応女性なので写し方によっては成人指定にもなりかねない(?)。
腰はこんな風に動きます。最後の付け足しの肩甲骨の動きはすごい!
風呂場で坐ってでも練習できそうですね。
2015/3/19 <気の増やし方、内功、精気神説>
「気はどこから集めれば良いのですか?」
という、掲示板のほっちさんの単純な質問は、(本に書いてあるように)形式通りに答えればそれで良かったのかもしれないが、本に書いていることを自分の体験、感覚に照らし合わせて更につきつめて考えていたら、結局最後は生命の神秘に突き当たってしまった。
そういえば、こんな話があった。
ある有名な科学者が(名前は忘れた)小さな子供に、「なぜ葉っぱは緑色なの?」と聞かれて、クロロフィルが太陽の光の中の青と赤の色を吸収して緑色を跳ね返すから・・・、で、なぜ青と赤を吸収するのか・・・、と、どこまで答えればよいのか途方にくれ、結局、「葉っぱは緑だから緑なんだよ。」と答えにならない答えを言ってしまったところ、子供が、「そうだね。」とそれで納得してもう他の遊びをしていたとか。
自然界においては、どんな単純な問いも、本当に答えることはできない。
物質だって、電気だって、エネルギーだって、突き詰めて、それは何なのか?と研究していくと分からないことだらけ。未知を暴いたと思ったらまたそこには未知が広がる。
が、私達は、とりあえず、「それは何か?」を突き詰めずとも、それを前提にして”使う”ことができる。
”気”というのも本当にはだれも定義できない。
でも、意識できる人には意識できる。それは、例えば”心”が定義不可能でも、私達がみな、”心”を意識できるのと似ている。
元気がある時と元気がない時の差異が、まさしく、体内の気の量の差。
大病をした人は身体から気がなくなって、すっからかんになった感覚を知っているから、気が増えてくるとそれが簡単に意識化できる。”気”がいっぱいあれば、身体に活力があり、精神的には気力がある。気は一種の動力だ。
ではそんな元気(気)の元は何なのか?
これを中医学では父母から与えられる先天の気と、出生以降に食べ物や空気から取り入れる後天の気に分けて説明する。
先天の気は成長とともに徐々に使われて減少していく。これを補うのが後天の気だと言われる。が、冒頭のほっちさんの素朴な質問に内在している、「ただ呼吸して食べているだけで、減っていく先天の気を補充していくことができるのだろうか?先天の気の減少に追いつかないのではないか?」というような疑問は拭い去ることはできない。
馮志強老師のこの太極拳は道教の修行法を取り入れた内功を非常に重視しているが、この内功はまさしく、上のような疑問の上に成立したようなところがある。どのようにして先天の気を補充するか?うまくやれば、永遠の命を得られるのではないか?
中国で漢方が発展した背景には秘薬を求めて様々な実験を繰り返した古来の道教の修行者の姿がある。水銀を使った秘薬をまで使用したり、所謂『外丹術』が行き過ぎた反動もあり、そのような”秘薬”を外から取り入れるのではなく自分の体内で生み出そうとする『内丹術』が現れた。
この『内丹術』をベースにしているのが、私達の練習している内功だ。
精を煉って気に変化させ(煉精化気)、気を煉って神に変化させる(煉気化神)。
『精気神』説に基づくこのような練功をすることによって、後天の気を格段に増やすだけでなく、先天の気を補充し、ともすると眠ったまま使われないでおかれてしまうような先天の気を呼び起こして活性化することができる。
これは一種の錬金術でもあり、生命の神秘的な構造に分け入っていくことになる。
まずは気が溜まる感覚が得られるようになるのが第一歩。
中丹田に充実感が出てきたら下丹田とつなげる練習をする(気と精をつなげる)。
(ただこの練功に関しては本を読んで自習することは不可能なので、本当に突き詰めて練習したい場合は、師弟関係を結んで師の監督下のもと練功を進めていくことになる。)
タントウ功でどのように気を作り出すか、精気神を使ってタントウ功の要領を再度まとめてみるのもよいかもしれないなぁ。(タントウ功でやることが多くて生徒さん達はきっと混乱しているだろうけど。)
2015/3/15
昨日のメモの続きや、今日のほっちさんの掲示板の”気”に関する質問に対しては、少し整理してから書きたいので後回し。
今日は今日の練習について忘れる前に簡単にメモっておきたい。
日曜日は生徒さんが多いので一人一人に対する指導がしづらい。内容も広範囲におよび散漫になりがち。
クラスで何をしゃべったか、私自身思い出して復習したいところ。
<全体>
・命門の位置の確認 思っているより上。
命門はいわば”腰”の中心点。
→『刻刻留心在腰间』『命意源头在腰际』
中国語の”腰”は日本語の”腰”と位置が違うことに注意
・タントウ功からすぐに24式に入る入り方
腰だけで動く 腰回しの要領
→手の動作なしで動く練習 マッチ棒のようになって動く
→練習すすめば、タントウ功のまま24式をやる。
”意→気→力(意到気到力到)”の”意→気”の部分の練習
(意と気と力が時間差で感じられるか?)
<以下私へのメモ>
この太極拳は”心意”混元太極拳。意で動く。気で動いてはいけない(気で動くと滞る)。
馮志強老師のテキスト19Pの記述は再度検討
(意によって気を行かせる、気は意に従う。意を用いて練習し、意を用いて運ぶ。決して気がどのように動くか考えてはいけないし、更には気をどのように運ぶかなどとは絶対に考えてはいけない。)
<個別>
・M君 歩幅狭めはそのまま。腹の気を増やすことに重点を置く。鼻先と丹田(恥骨)を合わせる。第4式の左手で丹田を回す動作がしっくりくるような”腹”をつくるのが目標。
・Kさん 喉のツボ(天突)を引く要領を身に着ける。上あご→舌(先のほう)→喉(舌の根っこ)と唾液を導く。喉を通過させるには喉の奥を開けなければならない。そのためには天突を引きこむことが必須。 足の指を放松したまま”扣"(お椀を被せるようにする)。足指を”抓”(つかむ)はいけない。 全体的には身体に緩みが出てきた感があります。
・Mさん 今日の立ち方は今までの中で最も美しいと思いました。動き出すと多少ゆらゆらしていたと、パートナー(?)が指摘していましたが。収功の時に胆経を通すやり方を教えましたが、この時に肩や脇、体側まで調整できるのを覚えておいて下さい。
・Hさん 帰り道に話した通りです。スキーのウェーデルンの話は参考になりました。背中側の二本の線に命門の点を足してください。命門の点は会陰を引き上げた先にあります。会陰と命門をつなぐ線も模索してください。
・N君 タントウ功の時に前の丹田に溜めたら(気海の奥あたり?)それをくるっと徐々に回して後奥にしまい込む、あの要領を定着させて下さい。あそこが筋肉的にどこにあたるか?なんて考えながら立たないように。分析を忘れてただそこにいて下さい(意を注ぎ込むことで気を沸き立たせる)。
・Tさん 病み上がりでしたが全体的にはよく動けていました。次回任脈を通す立ち方を教えます。腕の経絡を通すにも丹田の気を増やす必要がありますので。48式にも挑戦していきましょう。
・Jさん 会陰や肛門の引き上げた線が命門に届くようにして、それを外さないで動けるようになる訓練期間。お尻にどっこいしょ、と坐りきってしまわないよう、腰(命門)で身体を引き上げる感じを追加してください。つま先立ちして立った時の身体の引き上げ感、がヒントです。
・MKさん 命門と会陰を意識して引き上げる要領はJさんと同じ。加えて、胸のツボ(ダン中)を引いて胸の中に空間をとれるように練習していく必要あり。胸の要領は次回また説明します。24式の型を使って様々な動作をしながら身体を開発していくのはよい練習になると思います(”静”の練功をしたら”動”の練功でバランスをとる)。
・Tさん 初めての参加でどう練習をしてよいのか分からなかったかもしれません。回数を重ねていけば次第に分かってくると思います。24式をきちんと覚えたい場合はそのように教えますので言って下さい(意欲に応じて教えます。これはどの生徒さんについても当てはまることですが。)。
・MTさん アキレス腱からふくらはぎにかけての、所謂”脚の腰”は開発の余地がありありです。
次回、歩きながら片足で片足のその場所を打つ練習をしましょう。
24式を習い終わって48式の練習に入っている生徒さんについては、来週から3回でざっと動きを教える予定です。
第22式翻身二起脚から第33式金鸡独立
第34式十字摆莲から第40式左蹬脚
第41式连珠炮から第48収功
・・・と予定していますが・・・。
2015/3/14 <腰痛の原因、空気の抜けたタイヤ>
前回はBeyonceの動画を使って腰と股関節の動き方のお勉強(?)をした。
そしてこの動画を見て、こんな動きは到底できない(太極拳の方が楽~!)と思った人もいたと思うが、それ以前に、それよりも腰痛をどうにかしなければ、という現実的問題に直面している人も少なくはないはず。
腰痛を抱えている人はかなり多いようで、巷には腰痛解消のための情報があふれている。
様々な体操が紹介され、、整体、各種マッサージ、飲み薬まであったりする。
骨なのか、筋肉なのか、いわゆる老化なのか、酷使なのか、運動不足なのか、姿勢なのか、一体何がまずいのか?
最近私が強く実感するようになったのは、「気が足りない」という根本的な現象。
若者は”元気足”(先天的に備わっている気が満ち足りている)、と耳にタコができるほど師父から聴くが、ほとんどの身体の問題が”気”が”足”か”不足”かで済まされてしまう。
以前は、ふんふん、また気の量の問題ね、と軽く聞き流していたこともあったが、最近は私自身の実感として丹田の気が身体のクッションとなり潤滑油となり、はたまた軸にもなることが分かってきた。
腰痛に関していえば、丹田の気が充実していなければ、いくら体操しても整体に通っても腰痛は完治しないのではないかとまで思うところ。
腰痛と丹田の気の量にどんな関係があるのか?
そもそも、”腰が強い”、というのは、”弾力があって折れない”ということらしい(辞書に書いてある)。これは、うどんの腰が強い、という表現に現れている。そしてここから発展して、”腰の強い人”というのは忍耐強い人、という意味らしい。つまり、折れない!、これが強い腰の条件!
ある日英辞書で、腰が強い麺、を『firm noodle』と訳していたが、硬い麺と腰が強い麺が別物であることは私たちがよく知っている。麺と同様、腰も、決してfirm(硬い)であってはいけないのだ。(英語には適当な単語がないのでイタリア語の、al denteを使わざる負えない、ということか?では、理想的な人間の腰も、アルデンテの腰、と表現されるのだろうか?・・・なんてブツブツ言っていたら、ここで主人が横から「al denteは歯ごたえがある、という意味だよ」と一言。歯ごたえがある”腰”?これはあり得ない。”アルデンテ”と”腰が強い”、は意味が違う。”腰が強い”を正確に英語や他の言語に翻訳するのは難しそうだ・・・。)
硬い腰、や固い腰、は筋肉を固めてでき上がった腰。
一件頑強そうに見えて、衝撃があれば折れてしまう(三匹の仔豚の煉瓦のお家?)。
筋肉を固めていては前のBeyonceのような腰や股関節の動きは不可能で敏捷性に欠ける。
欲しいのは柔らかくて折れない弾力性のある腰。
これを作り上げるの”気”。胴体(丹田)の中の空気状のクッション。
この感覚をどう説明してよいかわからず、ふと浮かんだ喩えが自転車のタイヤ。
タイヤの中に空気がいっぱい入っていれば自転車を乗り回してもタイヤを痛めないが、もしタイヤの中の空気が抜けていてぺしゃんこになっているのに自転車を乗り続けたらタイヤは傷だらけになってしまう。
身体はこのタイヤのようなもの。
若い時は先天的な空気がたくさん入っているから、どんな風に動こうが、無理に引っ張ろうが伸ばそうがダメージは少ないが、随分空気が抜けてしまった中年以降に同じような運動をしていたら空気のクッションが減っている分、筋肉やスジ、骨を痛めてしまう。
腰痛も腹部分の気(空気)が減ってしまってクッションとして腰を守ってくれないことが根本的な問題だというのが私の最近の見方。
だからただやたらに腰回しをしていても効果は薄いだろう。
ではどう練習するのが良いのか?
次回に続かせます。
2015/3/10 <脚を使う、下丹田、会陰の引き上げ、お尻>
この前の日曜日は半ば無理やりに48式を通してやってみた。
その意図は、太極拳はただ左右や前後に水平移動するものではないということを知ってもらいたかったから。
初心者がまず練習する24式は第一路の架式の中から足技を除いて編纂されたもの。
もともとは第一路の中で重複する動作を省いて編纂された48式しかなかったのだが、この太極拳を広めるにあたって女性や高齢者にも受け入れられるように、と足技を除いた24式が作られたと聞いている。私の師父が学んでいた頃はだれもが48式から練習していたということだ。
足技には蹴ったり、跳んだり、しゃがんだり、回転させたり、という、どれも日常生活ではほとんど使わない動きがある。子供の頃なら跳んだり跳ねたりいろんな足の使い方をしていたのだろうが、大人になるとただ前向きに両足を交互に出して歩くだけ。カニ歩きもしなければ後ろ向きにも歩かない。スキップなんてしようものなら精神異常者かと思われるだろう。床拭きもしゃがまずにモップで済ませる人が多いだろうし、ましてや小学校での廊下の雑巾がけの時のように蛙飛びをしながら拭き掃除をする大人は皆無。足首やらなんやらが固くてしゃがめない、というのは和式トイレのトレーニングがなくなったせい?
結局、私達の身体は使わない部分は使えなくなってくる。
老化は脚から、というけれど、ただ歩いているだけでは老化は防げない。
積極的に上げたり、回したり、しゃがんだり、普段ではやらない動きをする必要がある。
馮志強老師の本には、下丹田が足、中丹田が胴体、上丹田が手腕をそれぞれ操ると書かれている。
下丹田は会陰を引き上げた先、前立腺しくは子宮の場所。陸上選手の練習でよく見る腿上げの連続をするときに力が必要になる場所だ。骨盤が後傾して(腰が滑ったようになって)腹に力が入らないと太ももの力でドタバタ上げるようになって見苦しくなる。
ここで大事なのは、塌腰(腰をS字カーブを緩めるように腰を下に伸ばす要領)をしたとしても、骨盤は後傾してはいけないということ(松胯を維持するということ。塌腰と松胯は拮抗関係にある。)。骨盤が後傾すると会陰を上げることができない。会陰が上げられなければ下っ腹(下丹田)に力が入らない。
脚が良く使える人、即ち、股関節のよく使える人はお尻がプリっとしている。
例えば、しゃがむ動作でも、胴体を真っ直ぐにしたまま股関節を折りたたんでしゃがむんでいくとお尻の筋肉で身体を支えたようになりお尻はでっちりのようになる。もし股関節を使わずに膝を曲げてしゃがんでいくと、お尻の筋肉は使わない代わりに太もも前側と膝に負担がかかるようになる。お尻が下がるのは股関節がフル回転していない証拠だ。
と、こんな股関節にまつわる話を娘にしていたら、じゃあ、これはどう、と彼女のお気に入りのビデオクリップを紹介してくれた。少し前に流行った曲、踊りらしい。
これだけ腰や股関節が動けば・・・(体型は真似の仕様がないが、せめて動きは・・・)。
GOOD! 目が釘づけ!
(途中腰を回しながら片足でしゃがんでいくところがある。48式にも応用可能?こんなダンスに挑戦するのも楽しそう。ハードさは半端ないだろうけど。)
2015/3/9 <音楽を使った練習から、身体の疎きの制御、神経の練習>
一昨日、音楽を使って24式の練習をしてみたら、という話が出たので、昨日の屋内練習では初めて音楽をかけてやってみた。
この10数年、音楽に合わせて套路練習をしたことがなかったので、とても久しぶりの体験。
そういえば、と、昔北京の馮志強先生の武術館で第三女の秀茜さんに一週間個人レッスンをしてもらった時に当時套路練習に使っていたCDを頂いていたことを思い出し、押し入れから探し出し会場に持参した。
音楽をかけるとリラックスできるし、套路も覚えやすいだろう、と気軽に思っていたところ、いざ、やってみると以前では到底想像もできない意外な感覚が起こった。
私が頂いたCDには『天籟篇』とのタイトルがあるだけで、だれの音楽か詳細は全く分からないのだが、これは太極拳の演武に使われるあの手の中国風の音楽ではなく、もっと宇宙音に近いような、メロディがいささか分かりにくい音楽だ。家で視聴していなかったので会場でその音楽を聴いたときは、あら、どこから演武を始めるのかしら?、と私自身音楽に自分を合わせるのにしばし時間がかかった。
チャンチャカ、チャンチャカ、リズムが刻まれているベースの上に少し明るめの二胡の音が流れていく、これが太極拳の練習でよく使われる音楽の特色だが、この私のCD音楽はボーーーっという曖昧な筒のような音が鳴り響くなかにゆっくりと間延びしたメロディが流れている。
いざ24式をやり始めると、そのゆ~っくりした音楽に自分の身体を合わせ続けるのに大変な意識の集中が必要になることが分かってきた。
耳を澄ませて、その音を逃がさないように身体に伝えていく。全身が耳になる?
流れて動いていきそうな身体をグッと引き止める。それにはいつも以上に丹田(腰)の力が必要になる。
自分の身体の感覚を探っている間はない。
耳で受けたもの(知覚神経で受けたもの)を身体に伝える(運動神経に伝える)。
身体の”制御”の練習だ。
音楽なしで套路を練習すると自分の身体の中の感覚(丹田の感覚)に応じて動くので、内側(丹田)があまり動かない時はゆっくり、内側が活性化してくると少し速く動いたり、と、緩急がある。
また、24式の前半部分(第10式くらいまで)はまだ丹田が自動的には動かないので、あたかも自転車のペダルを踏んでタイヤを回すが如く四肢の力を使って丹田を動かすようなところもあるが、ひとたびタイヤ(丹田)が回り出せば坂道を降りる自転車のごとく、丹田が四肢を操るようになる。後半部分になるとともすればそれがヒートアップしてしまって動作がかなり速くなってしまうことも無きにしも非ず。
しかし音楽にずっと”合わせる”と、そんな自分の内側の感覚に酔うことはできなかった。気の練習というよりも神経の練習なのか?
まだ自分の中で全てが整理できた訳ではないが、これに類似したこと数個思い出した。
まずはバレエの練習。
パリに滞在していた頃、娘はバレエを習っていて私は欠かさず見学に行ってた。現地では生演奏で練習させるところがかなりあり、彼女のスタジオもそうだった。かなり老いた男性が名人芸のようにダンサーに合わせてピアノを弾いてくれていたが、特に子供のレッスンでは生演奏で練習させることが重要とのことだった。当時は生演奏なんて贅沢!、くらいの感覚だったが、後々知ったのは、こうやって、ダンサーは、音楽が踊りに合わせてくれる、逆に言えば、踊りが音楽を導く、という感覚を自然に身に着けるということだった。
案の定、こうやって数年学んでいると、録音で踊るのがいかに窮屈かが分かるようだ。
これはダンサーでない私がパリで行われたヨーロッパで活躍する若手ダンサーのガーラを見に行った時に感じたことだった。通常オーケストラに合わせて踊っているような古典の演目を録音で踊っていたダンサーの大変そうなこと。男性ダンサーは思いっきりジャンプをしても音楽に合わせて慌てて着地をしなければならない、女性のスピンも音楽の終わりに合わせて終わるように終始制御をかけていた。
日本に帰ってきて外国講師の多い生演奏のバレエスタジオを娘と一緒に見学に行った時のこと。
上の観覧席から下のダンサー達を見ていて娘は、どの人が外国帰りでどの人がずっと日本で練習している人かを指摘していた。どうして分かるの?と私が聞くと、外国でやっていた人(=生演奏で練習していた人)は、身体が音楽の前を行っているけれど、録音でしか踊っていない人は音楽に身体を合わせようとしているから(彼女からすると)テンポがずれている、ということだった。
そう言われてみると、身体が音楽より少し先に動いている人もいる。私からすればこちらの方がテンポがずれているよう思うのだが、こちらが、踊り主導、音楽が踊りに合わせる生演奏での踊りのようだ。私にとって、音楽と身体が合っているように見えたものは、すでに身体が音楽に合わせようと制御がかかってしまっている踊りだった(日本人の手拍子に合わせて歌うような感じ)。
ただ、コンテンポラリーでは音楽に敏感に身体を反応させて音楽を身体で表現する、というのがあるから、この場合は古典の演目とは違った息を少し詰めたような神経のピーンと張った静寂、というのを感じる。
音楽に合わせなければ主観的に自由に動けるがともすると”随”しがちで(流れがちで)、音楽に合わせると客観的に制御しつつ動くのでともすると身体の自由な動きが阻まれる。
おそらく、理想とする動きは、この自由さと制御のバランスのとれたところにあると思うのだが・・・。
また、昨年、初めてピアノ伴奏をした時のことも思い出した。これまで独奏したことのなかった私に、モーツァルトのバイオリンとビオラのコンチェルトの伴奏をしてほしいという依頼があり、面白そう、と簡単に引き受けたのだが、これが思いの外難しかった。自分の音でさえちゃんと聞けているかどうか?なのに、二つの楽器の音を聞いてこれに合わせて弾いていかなければならないから、”耳”の作業が普段以上に必要だった。そこに、バイオリンとビオラの音がピアノの私にはどのように聞こえているか、と、意見を求められたりして、弾きながら、そんなにいっぱい他の音が聞けないなぁ~、と独奏だけの練習では耳の開発はまだまだ覚束ないことを認識した。
結局、耳→脳→手(身体)。
耳から脳への知覚神経、そして脳から手への運動神経、このような神経系統の練習をしているようなところがある。
そしてこれはまさしく推手で練習すること。
太極拳での『聴力』は必ずしも耳で聴くだけでなく、全身で聴く、という意味がある(推手の場合は接した手で聴く)。この”聴く”というのは、知覚神経の末端の感覚器の感受性を高め(かつ、全身を感覚器にさせる)、それを中枢神経まで伝える神経系統の連絡をスムーズにする練習ということ、だから、気功の上に神功(神経の練習)がある、ということだったのか~、と一人で納得した次第。
太極拳の練習は神経の練習というようなことを王長海老師が最近出した本の冒頭部分に書いていたように思うが、やっと”神経”まで射程範囲に入りだしたなぁ~(と嬉しい)。
(なお、身体の正常な働きの維持を支える三つの要素(免疫、神経、ホルモン)の関連については現在医学界で研究中ですが、この練習では下の丹田と上の丹田をつなげてホルモン調整をし、上の記述のように神経系統の開発ができるということで、あと残りの免疫は射程範囲に入っているのかなぁ~、とぼおっと考えています。)
2015/3/7
今週何をやっただろう?
思いつくままにメモ。
1.胆経の開発
タントウ功で膀胱経から胆経へと移動。身体の側面を使った立ち方。
→帯脈の開く感じ、
→帯脈、脇下、前鋸筋から腕へのつながり
→太もも側面を使って立つ、片足立ちでは特に有効(陽陵泉、足の薬指まで使えれば理想的)
2.任脈を使った立ち方
鼻先を恥骨に合わせる (印堂穴もしくは祖窍で丹田を見る)
督脈を使って立つよりも更に重心をかなり後ろにしないとできない。
→身体の前後の幅は思っているより広い
身体前面の任脈、会陰と百会を結ぶ中心軸、背面の督脈。
この三つの軸、それぞれを通した時の感覚の違いが分かればとてもよい。
様々な動きはこれらの縦軸の変化で行われている。
3.股関節を開くという意味
鼠蹊部にはいくつかのツボがあるが、内側の恥骨に近い位置のツボから身体の側面に向かって緩められるようにする(緩める:手で押してみた時に手が沼にのめり込んでいくように感じられれば緩んでいる。逆に、緩んでいない状態は、手で押した時に鼠蹊部のスジに当たって突き指するような感じ)。難関は衝門。ここを突破すれば胆経が使える(身体の側面、中殿筋が使える)。
ここから先はお尻側の股関節(大腿骨の骨頭の後面)の開発。股関節がお尻にあるという感覚になればちゃんと立つことができる(股関節が鼠蹊部の方に位置するという感覚では正しく立てない)。
大腿骨の骨頭の後面とお尻の肉が分離していることが分かれば(骨肉分離)、お尻の中で股関節が回る感覚が分かるようになる(そういえば、ボルドーもお尻をプリプリしながら歩いていたっけ。)
普段の私達の生活では足を後ろに振り上げたり回転させたりすることがないので、特に股関節の後側(大腿骨骨頭の後面)はお尻の肉に癒着してしまっていて関節が回転できなくなっている。お尻の肉を固めれば固めるほど股関節が使えなくなる。お尻の肉が柔らかくないと股関節、脚は使えない。(肛門を引き上げる時にお尻の肉を固める人がいるが、これはご法度。)
4.内的感覚
眼を閉じて指先を感じる練習。これを維持して動いてみる。ゆ~っくりとしか動けない。
つねに”通した”状態を維持できるように身体の動きを調整してみる。内視によって自分の動きを制する練習。鏡を見て外から形を直すのは外形を外から整えるに過ぎない。内的感覚によって動きを調整できるようになるのがこの練習の醍醐味。
5.腰の力について
これは別記する予定。
6.気を漏らさないとは
意を丹田から外さない練習。
7.腰をなめらかに使って動作を一筆書きのようにつなげる練習。
(48式でやってみた。野马分鬃の連続練習で効果的に練習できた。)
8.双腿昇降で三陽(膀胱経、胆経、胃経)を下げ、三陰(腎経、肝経、脾経)を上げる練習。
→腎経に注意。これを使って立ち重心移動できれば理想的。身体が軽いのを実感。
とりあえずここまで。
2015/3/1 <今日のクラスの復習、整理>