2015/8/31 <重心の位置、高岡氏の著書を参照しながらの考察>
ある遠方に住む生徒さんから、タントウ功の際の重心の位置について質問があった。
ある講習会に出た時に、踵重心ではなく、土踏まずに重心を置くことで身体が安定するということを体験したとのことで、それまで踵重心と思っていたのは正しくなかったのではないか、という疑問だった。
私自身練習し教えるにつれ、それまで単純に考えていたことがそれほど単純でないことに気づく。クラスでは毎回毎回きっと違う言い方、更新バージョンで教えているから、生徒さんは(飽きはしないだろうけど)ついてくるのに大変かもしれない。
踵重心、と言っても踵は広い。
土踏まずの面積もかなり広い。
・・・とここから私の言葉で細かく説明していくと話が長くなるので、ここは、私よりも説明が数段理論的で正確な、ゆる体操の高岡英夫氏の著書から関係ある部分を使って少し説明してみたい。
高岡氏の著書は非常に多いが、その理論の軸になるのは『センター・体軸・正中線』(2005年)、『丹田・肚・スタマック』(2005年)、『上丹田・中丹田・下丹田』(2007年)の三冊。
これらに書かれている身体の使い方は太極拳の練習で習得しようとしているものと同じだと思われるので、習得のメソッドは違うけれども私も時に参照している。
東大の大学院で研究していただけあってとても理論的。身体に感覚がない人が頭だけで理解するのは到底無理だと思われるような内容。本を買ったのは良いけど、あまりよく分からない、と言っていた生徒さんも数人いた(本を読んで本当に理解したい人は高岡氏の教室に通うことになるのであろうけど・・・)。
さて、すごくかいつまんで説明すると、まず、高岡氏のいう身体のセンター(軸)は左上図のようなもの。
そしてその軸は抽象的な線ではなく、(私自身の体感を加えて説明すると)、高岡氏の言うところの「センター系筋肉群」=脊柱系深層筋群、横隔膜筋、腸腰筋、ハムストリングスが拮抗関係にある(身体の中で引っ張り合いしているような感じ)ことで実感として現れる軸だ。
ここで大事なのはセンターが膝の中ではなく膝の裏を通るということで、それによってハムストリングスがピシッと利き、大腿四頭筋の力が抜けると高岡氏は説明している。
そしてハムストリングスを効かせるために必要になるのが、左図の”裏転子”即ち、「尻の下半分と大腿裏側の上半分につながる縦長のベルト状の意識」だという。
大腿四頭筋を使っていては身体が緩むという感覚はとれない。緩むためには徹底的に腿の裏側を使う、裏転子の形成に努力すべきだということだ。
裏転子は股関節が相当緩まないと出てこない意識だが、これがハムストリングスを使えるかどうか、ひいては身体の軸、センターを作れるかどうか、そして身体が”松”できるか否かにつながってくる。もちろん、それにはかなり努力が必要ということで・・・。
(なお、裏転子にある大事なツボは承扶。ここに坐るのが坐胯。これは松胯よりもかなり難しい要領。これができれば裏転子は形成されているだろう。この部分を触って肉がぶよぶよしていて筋肉が感じられないようでは裏転子の形成はまだまだ先の話。太ももの前側の筋肉を緩める練習が必須。)
と、以上は主に第二冊目の『丹田・肚・スタマック』に書かれていること。
続いて第三冊目の『上丹田・中丹田・下丹田』ではさらに進んで、上のセンター軸を左の"足裏の4つの玉”の図の”3玉”の位置に持っていく練習を推奨している。(正確には第3軸という。高岡氏も次第に説明が細かくなり複数の軸を上げていくが、センター軸と置き換えても大差はないと思う)
通常、人は1玉か2玉までしか軸を乗せられない。
3玉に軸を乗せられれば達人の域、ということだ。
もし4玉になんて乗せられたら、達人中の達人?
ここで冒頭の生徒さんの疑問に戻るが、通常の人が踵、上の3玉や4玉の位置に重心を持ってくるとお尻が落ちてしまい(骨盤が後傾)、上でいう裏転子の意識が取れず、センターの軸は現れてこない。
一方、土踏まず(2玉あたり)に重心をとれば、骨盤は傾かないので比較的ハムストリングスが使えているようで足に安定感がでるが、実際にはお尻を使えないので裏転子の意識は現れない。ハムストリングスと腸腰筋、脊柱起立筋群の拮抗(ひっぱ合い)の感覚も生まれてこない。やはり、真の感覚としてのセンター(軸)は生まれてこないことになる。
(そもそも3玉に乗れないと、上の頭から足までを貫くセンター軸は現れないのではないかとおもうけど。私の本の読み込み方が足りないかもしれないのでその点はご了承下さい。)
太極拳の含胸、塌腰、敛臀、松胯といった胴体に関わる要領は全て”拔背”につながるが、拔背とは脊柱起立筋群がグンと立ち上がったように(もしくはグンと引っ張り下げられたように)感じる意識。
最終的には、高岡氏の言うように、首筋から尾骨までが引っ張られ(脊柱起立筋群の作用)、腹の中でも前後に引っ張り合いが生まれ(腸腰筋の作用だろう)、腿裏からふくらはぎ、足裏(踵から指先)までもが引っ張り合いになると、頭の先から足指先までが線、いや、強力なゴムを一生懸命伸ばし続けているような軸が生まれてくる。
このようなゴムをキュッと引き伸ばしたような身体は(太極拳では通常、”弓”のような身体という、身体は五弓から成る)弾力性があり締まりと緩みがある。伸ばすとすぐ切れてしまうようなゴム(身体)ではダメ出し、伸ばすと伸びきって戻ってこないような弛緩してしまったゴム(身体)も使いものにならない。
ここ数日、世界陸上を見ていたせいもあるかなぁ。弾性はとても大事だと思う。(肌にも身体にも弾力がなくなっていく、これが老化現象・・・。頑張れば少しは遅らせられるはず!)
(質問の結論を言えば、お尻が落ちないように、骨盤が後傾しないように、3玉より後ろに乗ることができれば太極拳の抜背が実現できる。が、3玉より後ろに乗った時は、つま先から踵までがぺた~っと地面に張り付くので、自分としては単なる踵重心には感じられないところ。足裏が前後に、ゴムを引き伸ばしたような状態になっています。踵の方に重心をずらしても決してつま先を地面から外してはいけません。そして骨盤を後傾させず重心を後ろにずらすには腸腰筋がかなり発達しなければなりません。お腹が凹んでいるようでは骨盤は後傾しています。それには股関節の緩み、股関節の開発?が必要です。)
2015/8/26 <跳ぶための条件、動きながら丹田に気を溜める、放松の意味>
今晩の練習は人数が3人と少なかったので、一人一人の課題を織り交ぜながら和気藹々と幾分研究モード。
テニス大好き女性とはのっけから二起脚の研究。上半身と下半身のつながり、それにはやはり、”あの”腰(肋骨と寛骨で挟まれた部分)の要領が肝要。これがないと上半身と下半身がバラバラになる。・・・と、そうそう、ハードル選手はこんな感じねぇ~、と話が進む。
そしてジャンプをするには踏み切る足の足首の折り込みがとても大事。足首が折り込めないと気が足裏まで落ちない。少しでも滞空時間を長くするには膝を曲げただけでは全くだめで、股関節→膝→足首、と足首が少し痛い(きつい)くらいに折り込んでから足裏で地面を押す。その後は気を足裏から頭頂まで抜くのだが、この時、百会が天を押すようにする。言い換えれば虚領頂勁の要領。
私もまだまだ完璧な姿からはほど遠いが、この数日涼しくなったこともあって、積極的に跳んでみている。
このジャンプの要領を練習してから、これから跳ぶつもりでタントウ功の姿勢をとってみる。
皆下っ腹に気の溜まる感覚がすぐにでる。
足裏まで気を落とすとはこういうこと、というのが身体で実感できる。
後は棒を使って、棒先に生命を与えるよう、丹田→脇→肘→手首→指→棒、と気を通す練習。
お互いに動作をチェックしてみる。できる人には他人の出来不出来が見える。できない人には見えない。見えないということはできていないということ・・・。練習継続していけばいつか見えるようになる。
結局指先なり棒先に気を通すには、丹田からそこに至る経路、いや全身を放松しなければならない。棒とギュッと握りしめて手首を硬直させていては棒先は活きない。棒を持ってみると普段は気づかない手首の硬さがよく分かる。
そして引き続き棒を使って、棒が腹の中にあるような一体感を持たせた上で動く練習。棒が腹から出ないように動いてみる(こうやって書くと???と意味不明に聞こえるが、やってみると感覚的にやれるから面白い)。
それから棒を置いて素手に戻る。
棒の代わりに手のひらを腹の中に入れる。手のひらを動かすと腹の中が動く。簡単な内功でこれを実感した後、24式を第10式までゆっくりやってみる。課題は手のひらをずっと腹の中に入れておくということ(手のひらと腹の中を連動させておくということ)。
ずっと注意しながらゆっくり第10式までやるとかなりキツイ(私でもキツイ)。
生徒さんは汗を流している人もいる。キツイ~、けど、腹がずっと膨らんだままだ、という感想。
このように手のひらを腹と連動させておくと丹田の気が逃げないどころか多くなるようだ。
皆下っ腹が膨らんで、わあ、妊婦のよう~!と笑いが起こっていた。
練習が終わった後、棒を握る手や腕の力が抜けず棒先を活かす動きがどうしてもできなかった一人の生徒さんが、妊婦のように膨らんだ腹で同じ動作を再挑戦。あら、今度は身体の無駄な力が抜けている、と他の生徒さんも驚く。私もへぇ~、と驚くとともに、納得。
そう、放松とは丹田に気を溜めること、だった。
放松=丹田に気を溜めること
この数式がぱっと分かるなら、きっともうできている。
分からないならまだその段階に達していないということだから、まずは丹田に気を溜める練習を徹底的にやらなければならない。
2015/8/24 <『内家十年不出门、外家一年打死人』>
すぐに続きを書こうと思っていたけれど、気づけば数日経ってしまっていた。
『太极十年不出门、八極一年打死人』は『太极十年不出门、形意一年打死人』とも言われるが、要は『内家十年不出门、外家一年打死人』ということで、内家拳(太極拳、心意拳、八卦掌など)と外家拳(八極拳、形意拳、少林拳など)では鍛錬の仕方が違うということだ。
内と外?
外とは単純に言えば、筋肉・骨・皮。これを鍛えて使うのが外家拳。
これに対し、まず意念や気、内臓、経絡などを鍛錬して徐々に外側を強くしていくのが内家拳。
だから、門から出て使いものになるのに外家拳では1年、太極拳では10年かかってしまうということになる。
気を長~くして、焦らずコツコツやっていくのがミソだ。
外家拳のマスターも40歳半ばにもなれば脚を上げるのも跳ぶのも20代の弟子に敵わなくなってくる。次第に自分の限界を感じ始めるころ、弟子に外家拳を教えた後で一人こっそり内家拳の鍛錬方法を使って自分の練習をするという。中国では幼少時代から青年時代に少林拳や長拳などの外家拳を学んで、30歳過ぎあたりから内家拳に転向する人が多い(私の師父もそう)。長年の武術の基礎、”外”がある上で、太極拳の”内”を学んでいく。
『内外双修』、内、外、どちらも必要だ。
『内家十年不出门、外家一年打死人』について陳正雷老師の面白いインタビュー記事があったので、時間があれば紹介したいなぁ、と思っています。
<補足>
先週の練習の気づきの重点は足首。
足首、こんなに使えていなかった~。足首だけでいろんなことができる!
足首が使えれば足首以下の足(足指、足裏、足の甲)、脛、ふくらはぎが最大限に使える。
そんな位置に立てるようにするには・・・・やはり、もっと後ろ!、だ。またまた、腰、腹、股関節の問題に戻ってくる。
2015/8/20
前回ブログを書いてからあっという間に1週間が経ってしまった。
春生,夏长,秋收,冬藏というけれど、まさに夏は万物が大きく成長する時で、私自身、この夏身体が大きく変化しているのを感じている。
ああ、身体はこうつながっていたのか~、と新しい感覚、発見があるのは嬉しいこと。しかしその反面、その変化に伴い以前感じていたこと、こうだと思っていたことが更新されてしまうので、教える際に生徒さんに混乱を引き起こしやすい。
1足す1は2、と決めて回答を固定化してしまえば混乱はないし物事は単純になる。
しかし、もしそこで、そもそも1足す1はなぜ2なのか?、と十進法を問いはじめ、1足す1は0にもなりうる・・・なんて物事を掘り下げ始めると物事は次第に泥沼化してくる。
私が大学1年の時に受けた数学のテストの問題は「0とは何か」というもので、あっけにとられたことがあるが、数自体を考え始めると0を考えなければならなくなり、そして無の概念に入っていく。とてつもなく深淵な問題に行きあたることになる。あの時は思いもよらなかったことだが、0や無、そして無限大とか永遠などというのは頭でいくら考えても分かる事柄ではなく(頭:マインドには境界がある)、それは自分を溶かして分かる(感覚として、あるいは直感として)ことなのだろう。インドで0の概念が生まれたが、やはりそれは論理の産物ではなく瞑想の産物だというのがうっすら分かる。
そんな論理的(頭)には分からないことを自分を溶かして知るようなところがこの練習にもある。いや、きっとそれがこの練習の醍醐味で、練習を長く続けていると、身体の使い方の要領として(表面上)言われていることの奥には太極拳などという小さな範疇には到底収まらないある意味の真理が隠されているのが次第に明らかになってくる。
もちろん、その真理のようなものは掴まえたら終わるのではなく、常に現在進行形で身体で掴まえ続けなければならない。すると真理と思っていたものもさらに広がり深くなるので、そこにさらに自分を浸し続けるようになる。
自分の身体の感覚の変化はものを見る目を変化させる。以前気づかなかったことが見えるようになる。そんな感覚を共有できるように教えるというのはとても骨の折れることで、教える側と学ぶ側の熱意と恒性、二人三脚が必要になる。古来、師弟関係の中でしか伝えられなかったというのはそういうことなのだろう。
ここで思い出すのは次のような言い方。
『太极十年不出门、八極一年打死人』
(内家拳である太極拳は使いものになるまでに10年はかかる、外家拳である八極拳は一年で人を殺せる。)
・・・と、ここまで書いて続きはまた明日。(実は夜遅くなってきたのでそろそろ休みます。)
2015/8/13 <バレエ鑑賞、雑感、雑談>
昨夜は世界バレエフェスティバルを見に行った。
チケットがとても高かったけれど、3年に一回の祭典。ここ数年バレエ界の事情に疎くなっていたから、成長株の若手ダンサーのことはほとんど知らない。約20年前にロンドンにいた頃、安いチケット(時に立ち見チケット)を買ってよくロイヤルバレエを見に行っていたが、ちょうどその頃唯一の日本人で踊っていたのが熊川哲也さんだった。小さいけれどよく跳び、よく回るなぁ~、と驚いた(このような動きは小柄な方が有利。カンフーは175センチまで、とかつて少林寺の先生が言っていた)。
それ以来、ヨーロッパの滞在中はちょくちょくバレエを見ていたが、日本に戻って来たら敷居の高さ(値段の高さ?)にバレエを見る機会がなくなってしまった。
が、やはり、ダンサーの肉体表現、即ち、肉体による言葉の表現、肉体による感情の表現、肉体による音楽の表現、そして肉体によるその場の(雰囲)気の表現…等々はとても魅力的。自己の内奥から出てくるものを、ストイックに鍛え抜かれた身体を通して表現する。いや、身体が自由自在に動くことでいつの間にか身体を忘れ、自分も予期しないような内側のものが現れてくる。・・・そんな点は、太極拳の行きつく先と同じではないか?
ということで、またまた新たな気持ちでバレエを鑑賞したくなった。
昨日の公演は全てのダンサーが世界から集まった選りすぐりのプリンシパルだから、4時間半に及ぶ長丁場の舞台中、全く息抜きの時間がなかった(トイレに行っても長打の列で15分では時間切れで入れない人も多かった)。ずーっと集中して終了した時はかなり疲労感があったが、あまりの感動にダンサーの出待ちをしたいという娘に従って、楽屋出口で列をなした。そのうち、一人、二人、とダンサーが現れ・・・(途中省略)、そして私がとっても好きなオペラ座の元エトワール、オレリー・デュポンが出てきた目の前で立ち止まると私も超感激!娘は娘で勝手に一番お気に入りの若手男性ダンサー(シムキン)を追いかけている。
30分以上群衆の中でワーワーやって夜11時を過ぎ、まだ出てきていないダンサーもいるけどもう帰途に着こうと上野駅の改札に行ったら、なんとそこにはオペラ座元エトワール3人(ルグリ、イザベル・ゲラン、デュポン)がいてJRに乗ろうと歩いていた。ドキドキしながら後ろをつけて歩いていくと、乗る電車は同じ品川方面行きの山手線。
ということで、同じ車両に乗り込み、すぐ横の座席に座り、ルグリ達と一緒に電車に乗り込んだフランス人のピアニスト(このフェスティバルのために特別に呼ばれた男性)とおしゃべりをした。目の前には憧れのデュポン。隣の隣にはルグリ。みなフランス語でしゃべりながら電車内で写真を撮り合っている。ダンサーの素顔を見られた貴重な時間だった。
・・・・ここまで体験できれば、あの3万近くするチケットも元が取れたかなぁ?
と、ただの雑談(自慢話?)になってしまったが、今回のバレエ鑑賞で気づいたことは以下の通り。
1.足を上げるにしても、ただ上げるのではなく、『節節貫通』、丹田→股関節→膝→足首→足指、と気を通しながら上げると本当に綺麗。
2.上半身の力が抜けていればいるほど高水準。
最近は男性ダンサーの『松(ソン)』の程度が高く、時に相手の女性ダンサーを上回ることがあるが、するとペアで踊っていても本来女性の引き立て役である男性ダンサーの方に目が行ってしまうことになる。
亡霊の役をやると(力の)抜け感?が身に着くかなぁ。
3.既に退団してどこかのバレエ団の監督などをしている大御所(マラーホフやルグリ)は、大して踊っていなくても注目してしまう。ただ立っている、ただ歩いている、ただ腕を広げている、ただそれだけで見とれてしまう。技術を超えた何か。気。オーラ。これも太極拳の修行の行きつく先。
4.胴体はこんなに短い?
冒頭の写真はマリア・コチェトコワ。
上側の青線より上は腕。下の朱線より下は脚。とすると胴体は2本の線で挟まれた中間の部分。こんなに短い!
もちろん人種による体型の差異は大きいが、胸の後ろには肩甲骨があるから、胸部は既に腕の一部と言える。胸を張り出してガチガチにしていたら肩甲骨を含めた肩関節が自由に動くわけがない。『含胸』は胸を腕化するためにも必須の要領。一方、下丹田(会陰を引き上げた先、関元のツボの高さ)は脚を操るが、脚はもっと上の腰(骨盤の上縁)から始まっている。会陰を命門に向けて引き上げておく必要がある。
肩から股関節まで、胴体が長方形の箱のようになってしまわないように、背骨をしなやかにして上肢と下肢を長く作りたいもの。
2015/8/8 <敏感さVS強さ、入静、目の深さ>
昨日と今日の練習で感じたこと。
身体の内部の変化に敏感な人は往々にして弱くなり、頑強な人は往々にして鈍感?
何かの本で読んだことがあるが、もともと男性は寒かろうが暑かろうが外に出て狩りをし獲物を掴まえなければならなかった。だからあまり敏感過ぎては困る。一方、女性は家で子供を育てる。子供を育てるには皮膚感や匂い、五感(そして第六感)をフル動員しなければならない。だから敏感に作られている。
女性がいなければ男性は放浪者として生きていけないこともない。女性は快適さを求める。快適な巣、家を求める。
この練習で体内の気の感覚をつかむのは断然女性が早い。
男性が3年かかるなら女性は1年、男性が1年なら女性は3か月で良いかもしれない。
男性の身体は骨と筋肉ががっしりしていて中身が詰まっていて、身体の中の空洞、隙間を感じにくいのだと思う。
だから伝統的に、ただ丹田を見て(内視して)立つ、というタントウ功が行われてきた。
身体も脳も心も静止させることで身体の深い奥の隙間のようなものの出現を待つ。
自分から作り出すのではない。待つ。受動的、女性的な姿勢が大事になる。
待てない人はこの練習には向かない。
けど、大抵は、ひたすらやりまくって、ある時、はぁ~、と諦めて、もうあまり丹田など気など意識しなくなったころに、気が付いたらそんな感覚が出てきた、という風になる。
待つということは、何もしないという怠惰なことではない。待つことを学ぶためには、かなり努力しなければならない。
初めからダラけてしまっている人に放松を教えても意味がなく、力がある(強張っている)からこそそれを抜く練習をする。
振り子が片方に大きく振れたら反対に行く。行き過ぎたらまた戻る。そうやって徐々に真ん中の感覚を掴んでいく。
(補足:女性は敏感さだけではただ文句の多い生き物になってしまう。努力して敏感さを包み込むような力をつけなければならない。)
今日は30歳の男性が初めてタントウ功で内に入れたようだった。他の武術で身体を鍛えているだけあってなかなか力が抜けない。いつもああでもない、こうでもない、と立っている。
今日は2時間以上立っていた。最初は立っていても身体が立っているだけで意識は頭の中でうごめいていた。意識を丹田より下、足まで導くことを教えたら、表情が変わった。目をつぶっていても、意識がどこにあるか、見れば分かる。
意が丹田まで落ちればしめたもの。静の状態に入れたとみてよい(入静状態)。ここに入ればタントウ功は瞑想と変わらなくなる。時間の枠にしばられなくなる。
静を知っているか否かはその人の目を見れば分かる。
静を知っている人の目は深い。
あの人の目は深い、と中国の人は言ったりする。そこには畏敬の念がある。
目は大きさが問題なのではなく深さが問題。
この練習を続けると次第に、看透、見抜く目が作られる。
2015/8/6 <諸々の気づきと宿題>
大暑というだけあって猛暑日が続き、取り合えず体力を落とさないことだけに専念。メモもしばらくお預けになってしまった。
その間も練習は進んでいるが、例のごとく気づきがぽんぽん浮上し整理できないまま頭に溜まってしまっている。
今日はただそんな要整理事項をメモ。
1. 今週の大ヒットはキャッチャーの構え。
テレビでたまたま98年の甲子園・横浜高校対PL学園延長17回のドキュメント番組が放映されていた。その中で松坂投手の球種をキャッチャーの構えで見破っていたというPL学園側の証言があり、キャッチャーの構えのクローズアップ映像があった・・・・初めてキャッチャーの構えというものを注意して見た!いつでも膝を地面につけられるようにした内ハの字の構え。私は断然股が開いた外ハの字が得意。男性は急所を守るためにも、そして、恐らく骨盤の形状からして、内ハの字の方が得意な人が多いよう(外ハの字のできない男性はとても多い)。女性は骨盤が開いているせいか、外ハの字はそれほど難しくない。
内ハの字では親指人差し指に重心が集まりやすく、外ハの字では薬指小指い重心が拡散する。
内ハの字は合、外ハの字は開。どちらが良い悪いのではなく、開合、どちらもできるようにする。
ただ、丹田に気を集めやすいのは内ハの字。
私はテレビを見ながら、上のようなキャッチャーの構えを真似てみた。ミットを差し出して、正面から150キロの剛速球が飛んでくる、なんて勝手に想像(何の経験もない私にとっては50キロでも100キロでも変わりはないのかもしれないけど・・・)。うわー、来る!、と思ったら自然に丹田にすべての力が集まった。すごいすごい!生徒さんに話してみよう~。
構えも大事だけど、来る~!という切迫感(意)がとても重要。
これはタントウ功も同じ。ただ形が正しいだけでは丹田に気を集められない。上半身の気を丹田まで下げ、下半身の気を丹田まで引き上げる(=会陰を引き上げる)。その上から下向き、下から上向きの二つのベクトルが丹田でうまく合体する、その切迫感が丹田を作る。
2. 陳式8法の練習
ポン、リュー、ジー、アン、の四正手の練習をした。
この後、ツァイ、リエ、肘、カオの四隅手を練習しなければならない。
基本のこの8つの動きが24式の中でどう表れてくるのか、気づけるようにする。
3.様々な手型。用途と養生における効能。
(様々な坐り型。これも面白そう)
4.足首の内旋と外旋。足首、踵、足指の構造。
踵に乗る、と言っても踵は広い。重心を踵骨と距骨の間の隙間(足根洞:照海と丘墟を貫通させるような空洞)に乗せるのが理想的なのかなぁ?
そしてそこをニュートラルギアとして、足首を”立てたまま”(=足裏が地面に張り付いたまま。土踏まずは上がっている)回旋できるようにする。→足の纏糸。足にも斜めの螺旋の線が入る?
→右の陈鑫の図を参照
足に浮腫みのある人は是非とも足首の回転(ネジネジ)を入れて練習してほしい(効果があるかどうか見てみたいので)。
5.ふくらはぎ、脛
ヒラメ筋の下にある腓骨筋を使う(→膝裏が使える→踵から背骨、後頭部を結ぶ直線ラインの形成に必須の条件)
長母趾屈筋・伸筋、長趾屈筋・伸筋、足指との関係。
6.涼しい気
『心静自然涼』(心静なれば自然に涼しくなる)
静かにする→清気が上がってくる(濁気は下がって湧泉から排出される)→清気は涼しい気だから涼しく感じる(清涼な気)
鼻の奥、即ち鼻筋の出発点=眉間=上丹田で呼吸?
まだあったような。
すぐに思い出せないのでとりあえずここまで。