2016年10月

2016/10/29 <事務連絡>

 

➀お問い合わせをなさる方へ

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 最近お問い合わせを頂いた方の中で返信が届かない場合はお問い合わせフォームから再度メールを送信して下さい。宜しくお願いします。

 

②現在初心者対象に教える時間を別枠で設けることを検討中です。

 平日午前(新宿御苑)、土曜午前(保土ヶ谷)で新たに練習をしたい方がいましたらお問い合わせから連絡を下さい。

 

③遠方の方とスカイプを使ったレッスンも現在試行中です。各々の生徒さんが熱心に課題をこなしていることもあり、当初の予想よりも成果が上がっています。一つ一つ課題をクリアしていきたい場合はこのような練習方法も効果的だと感じています。興味のある方はご連絡下さい(若干数のみ空きあり)。

 

2016/10/22 <今日のタントウ功、連携中心点としての丹田、死のセンター>

 

 今日は土曜日だったが人数が少なめだったこともあり、しばし生徒さんのことを忘れて私自身タントウ功に浸かった。

 

 この1か月の間に、丹田に気を集め膨らませば上は玉枕、下は崑崙まで一気に通せるようになった。肩周辺、腕の付け根あたりは細かく見ればまだ開発の必要があるものの、大まかには踵から後頭部までがつながったことになる。

 これがつながるとピアノの弾き方が大きく変わってきた。坐り方もあの”韓国風骨盤起こし型”になり、丹田の力が脇を通って掌に伝わるようになってきた。脇から腕の陰面、掌側の感覚でピアノを弾けるととても微妙な音が出せるし、腕や手首に負担がかからなくなる。

 が、掌根の開きはまだまだで親指と小指を掌根を通して半円でつなぐ感覚が欠けている(これがないと不必要に弾いている最中に小指がピコピコ動いてしまう。指一本一本の独立に欠ける。ブラインドタッチでキーボードを打つときにキーを押している指以外は放松して動かないのが理想)。

 

 この指の開き(親指から小指をつなぐハリのある弧)は掌根の開きであり、それには手首の中を開く必要がある。そして手首の中を開くとは前腕の中の橈骨と尺骨を引き離すことであり、そのためには脇の中を開けなければならない。脇の中を開けるには胸の奥を開かなければならず、胸の奥を開くには丹田から開かなければならない。・・・・と指の話は遡ると丹田に行きついてしまった。

 そして話は更に遡り、丹田を開くにはその下へとつながっていく。それはお尻の環跳のツボを更に押し広げることにつながり、そしてそれは太ももの側面後ろ側から踵のアキレス腱外側にある崑崙のツボを広げるようになっていく。最後はその崑崙から踵の外側の部分をぐるっと回って足の小指までつながり、小指はピンと伸びて踏ん張るようにつながった。

 ああ、手の小指は結局足の小指とつながっている・・・・頭で考えると当たり前のようだけど、自分の身体の内部をつないでそのような感覚が得られたのは探検隊が模索の末最終目的地に到着したようでとても嬉しい。ここから推測するに、身体の表面に出ている部分は内側=丹田を通じてどのようにでもつなげられるのだろう。

 

 今週つとにそんな感覚が強まる中、今日のタントウ功はあっという間に丹田に”入って”しまった。

 すべての連携の中心地点である丹田に入る、というのは最も安全な地帯に入ること。ここに入ればもうなんの心配はいらない。

 究極の避難所だからここにいればもう怖いものはない。坐禅で入っていれば後ろで爆弾が鳴ってもビクともしない、と聞いたことがあるが・・・・今日初めてその感覚が分かった。なぜなら、その時私はもう、死の中に入っているのだから。

 そう、今日のタントウ功では初めて丹田が”死”だと分かった(感じた)。死のセンター、という風に言ったほうが良いかもしれない。眠りに入っていくのも同様だがその時往々にして意識が途切れてしまう。が、丹田に入っていくと死の中でさえ意識があるような感覚だ。もう死んでいれば本当に安心。何も自分を恐れさせないし乱れさせない。

 

 タントウ功から出てきて、いろいろ他の練習をして、しばらく時間が経ってから改めてあの感覚を思い出してみた。普段丹田は気を産出させるような”生”のセンターと捉えて練習している。しかしそれをもっとほじくっていくとそこに”死”があり、その”死”の丹田は”生”の丹田よりも深く大きく広いようだ。残念なのは死と生を両方同時には見られない(感じられない)ような気がすること。どちらかに焦点をあてれば片方は消えてしまうような気がする(試したことはないので憶測)。

 

 先週49歳を迎え、インドの四住期の思想では「学生期」「家住期」を終えそろそろ「林住期」に入る頃。俗世の生活を離れ本格的な修行を開始する時期。75歳までに解脱すればそれからは「遊行期」で身も心も軽くなって死を迎えていく。もう人生は秋。死が見え出すのもおかしくないのかもしれない。

 『死』の話題は忌み嫌われるけど、死をグレーでイメージカラフルなものとしてイメージするか、どうイメージするかは人それぞれ。ただもし”死”がなく永遠に生き続けなければならなかったとしたらうんざりするだろうと思う。”死”があるのを知っているから生きている間全力投球できる。

 以前、真剣に「あと3年しか寿命がなかったらどうするか?」とシュミレーションして通常ではできないようなことをやったことがあったが、本当は3年だって生き続けられる保証はない。昔平均寿命が50歳くらいだったというが、その頃の人が一生にやり遂げたことは現在90歳まで生きてやり遂げることと質的にどの程度の差があるのか?

 ゴールが遠いと今を疎かにしがち。急にゴールが現れてしまうとパニックになってしまう。

 死のセンターとしての丹田は無意識であっても誰もが携えて日々生きている。

 日々死を抱えて生きている、というのはいつでも休める空間があるという意味で、不思議な安心感を与えてくれたりする。

 

 

 

 

 

2016/10/16 <ポンの難しさ、両班の歩き方から>

 

 今日、昨日のレッスンでやったことから思い出したものをメモする。

 

1.ポンの練習 (タントウ功での手の位置の変化にともなう身体の変化)

 手を下げた状態の無極、または下環のタントウ功から手を臍前で上げる中環のタントウ功への移行。

 

 タントウ功では手をどの位置にどのように置くかで体内の気の流れや溜まり方、力のかかる部位、きつさなどが変わってくる。

 手を下げた型と腹前で上げた型ではどんな違いがあるか、それを各々に実感してもらおうと試みた。その途中のポンの動作を正確に行うことが体感のミソになる。

 

 眼(意:上丹田)→後頭部→大椎→肩先→肘上のツボ(三焦経の天井かと思う)→手首へ

 

 墜肘が最も重要になるが、墜肘のためには沈肩が必須。そして沈肩とは肩井のツボを下に引き込むことだが、そのためには首から肩先のラインをできる限り長くするようにする必要がある。

 そのあと、墜肘になるが、そのためには肩先から肘先までのラインをできるだけ長くする必要がある。結局、筋(筋肉の先端の部分)を次々に伸ばしていく(拉筋)ことによってポンが起こる。

 そしてこのように肩や腕を使おうとすると嫌でも腹の力が必要になる。

 ポンをするのにこんなに肚の力が必要なんて・・・苦しい・・・、という感想を持つ人がほとんど。

 

 肩先から肘上まで(二の腕)が引き伸ばされて力が出る感覚をはっきり知るためには肘技の練習が効果的。馮志強老師がよく行っていた前上方に向けての肘技(頂挑肘)を正確に行えるように練習。肘技には中丹田の力がマストなことが分かる。

 

 手を上げるためには丹田を大きく(上下にも左右にも)していかなければならない。即ち、身体のポンの力を増やす必要がある。

 実際には、丹田が膨らむ(身体のポンの力が増える)→手が上がる、というようになる。

 丹田の大きさ(や位置)が全く変わらないまま腕を上げると、体躯の力を伴わないただの四肢の運動になる。

 丹田を大きくするということと、命門以下会陰に向けて脊椎を一つ一つ開いていくのとはほぼ同義になる(これはある段階にくれば実感できる)。

 

 

2.両班の歩き方から

 ソウル観光でたまたま知った昔の貴族、両班の歩き方。

 偉そうに歩く、のがコツ、とガイドに教えられたが、これをするには強い腹と腰が必要だと実感。ジグザグに歩くのも太極拳と似ていた。

 

 そもそも日本人は歩くときに前に振り出した脚の膝を曲げてしまう癖がある。前に出した脚に胴体が乗って行く時、前足は真っ直ぐにして膝の裏に腹が乗るところまでこらえなければならない。

この時概して腰が反って、あたかも腰が”すっこ抜けた”ようになりがちだが、これを防ぐために腹(腹圧)で背骨を後ろに押しておかなければならない(命門を開くようにしておく)。こうすると腹腰が安定する。

 女性がヒール靴を履いて美しく歩くのも同じ要領。前足の膝が曲がっていては美しく見えない。

 太極拳では通常膝を曲げているが、膝裏を伸ばした時の感覚を失わないまま(膝裏で支えたまま)膝関節を緩めているのであって、膝小僧を突き出すように膝を曲げているのではない。

 この二者の違いははっきり身体で分からなければならない。

 一見似たようでも終着駅が全く異なるものになってしまう。

 

 膝裏の力を伴ったまま膝を緩めた状態

 =土踏まずが上がっている、会陰が上がっている、丹田が形成されている

 

 膝裏の力がなく膝小僧を突き出して(太もも前面を固めて)膝を曲げた状態

 =土踏まずが落ちている、会陰が下がっている、丹田がない

 

 丹田(胴体の中心中の中心)の力で身体を操るという太極拳の動きは前者でなければ達成できない。

 

 また、両班歩きを皆で試してみながら、ついでに腸腰筋で歩く感覚も掴めるように導いてみた。

腸腰筋は命門のあたりから骨盤を反って内腿付け根(小転子)についているから、その支点、終点の距離を引き伸ばすように使うと(これも『拉筋』)、腸腰筋にたるみがなくなり腹腰がしっかり安定する。太極拳で命門を少し押し出すようにするのと、脚の付け根を引き離して外旋(時に内旋)させるのは、腸腰筋をしっかり使えるようにする要領でもあることが分かる。

 太極拳は腹、腰、と言われるが、それは、太極拳は腸腰筋、という意味が含まれている。

 自分の腸腰筋がどう動けば"効いている”のかが感覚的に掴めるようになれば、後はその感覚をタントウ功や動功、套路に持ち込んでいく。左右二本の腸腰筋が常にピンとハリのあるような感じを維持したまま套路ができるようになれば太極拳の動きの核心は捉えたも同然かと思う。

 

 

<ここからは余談>

 今回再度ソウルに行って座敷で坐って鍋料理を食べる韓国女性を見る機会があった。噂には聞いていたが、片膝を立てたり胡坐で坐っていて、正座をしているのは日本人の私と母親だけだった。中には脚を前に真っ直ぐ投げ出して鍋をつついている女性もいた。

 が、すごいのは骨盤が起き上がった状態を維持して坐っているということ。

 私も片膝を真似してみようとしたが、タイトなジーパンを穿いていてとてもやりにくく、立てた膝を手で抱えないと腰が落ちてしまった。片膝で起き上がったままワイワイやっている韓国のおばちゃん達を横目で見ながら、どうなってるんだか・・・、と頭の中は???。

 おじちゃん達も骨盤が立っているんだからおばちゃん達も同様に立っていても不思議ではないのだが、どうしてこうも骨盤が日本人と違うのか?

 日本に戻ると疑問は裏返り、なぜ日本人はこれほどにも腰に力がないのか?と思うようになってしまった。骨盤を立たせておくには股関節が緩み腸腰筋がしっかりしていなければならないが、日本人は特にその点が弱い。

 

 そして興味本位で韓国女性の立膝についてちょこちょこ調べていたら次のようなことが分かった。

 昔韓国では身分の高い人の坐り方は男が胡坐、女が片膝。身分の低い人は跪坐(正座)。

 確かに中国語でも正座は”跪く(ひざまずく)”坐り方と称されている。これは身分の低い人かしょっぴかれた罪人の坐り方。

 実は日本でも室町時代などの絵には女性でも胡坐や片膝で坐っている姿が描かれている。千利休も片膝で茶を入れている絵が残っているとか。この跪坐が武士の中で流行ってきたのは江戸中期以降だとか。

 胡坐や片膝でご飯を食べるのは下品だ、とかいう意見もあるようだが、坐り方は風習や文化に過ぎず真理とは何の関係もない。

 が、身分の高い女性が片膝で坐ったのはその方が威厳があるように見えるから。スカートもきれいに見せられる(冒頭の写真)。なんだか羽を片方だけ広げたクジャクのよう。その前に跪く庶民達・・・。

 

 動物界でもやはりボスは身体が大きかったり大きくみせたりする。

 見下すように立つ、というのが支配階級。王様は冠をつけ背を高くみせ、膝を伸ばし、そびえ立つように立つ。

 これと反対に、膝を曲げ、腰を曲げれば顔も俯き加減になり、背も低い、身分の低い様相になる。・・・・・これが日本文化なのか?

 謙虚が卑しくならないよう、丹田で(腸腰筋を使って)真っ直ぐ立ちたいもの。

 真っ直ぐ立つからといって胸で立つと威張ったように見えるのでそれにも注意。

 

 

 

 こんな仏像もありました。

後ろからみるとやっぱり骨盤が起きて腰が真っ直ぐ。

 

 この坐り方の練習をすれば股関節(特に鼠蹊部)を緩め腰を引き伸ばし腹の力を養うことができます。

 そもそも坐法は練功の一つです。

2016/10/6 <昨日のメモの補足、肺について>

 

 昨夜メモを書きながら、腹式呼吸といっても腹に呼吸の息が入るわけではない、という事実を再認識。

 横隔膜(と骨盤底の膜)を動かすと腹圧がかかるから、感覚的には”腹に息が入った”ような気がする、一種の錯覚?

 

 今朝は家にいたので、録画していた林修先生の「今でしょ!講座:スーパードクター集結!」を早送りで見てみた。

 脳、肺、胃、心臓、腸の臓器別スーパードクターが出演していてどの先生のどの話も面白い。その中で(私好みの容姿の)肺のドクターが肺について解説しているのを聞いて昨夜のメモを思い出した。

 

 肺は左右あるが、その大きさは4.5:5.5で右が大きい。

 そして左肺には上下二つに分かれるような裂け目があるが、これに対し右にはは上葉、中葉、下葉、と三つに分かれる。

 

 ここで頭の中で推測が始まる。

     →胸式呼吸と腹式呼吸では空気の入る肺の部位に違いがあるのではないか?

 早速、肺の図を検索。

 上葉、中葉、下葉はどう配置されているのか?

 

http://www.hanakonote.com/kaibouseiri/hai1.html
http://www.hanakonote.com/kaibouseiri/hai1.html

 ナース用サイト(http://www.hanakonote.com/kaibouseiri/hai1.html)にとても分かりやすい図があった。

 ピンクが上葉、水色が中葉、緑色が下葉。

 なんと下葉は背中の方に位置している!

 

 タントウ功の際、息を、鼻奥=眉間奥→喉奥→胸真ん中→胃の中(胃は長い)→臍、と順を追って降ろしていくが、その時すでに上葉の上部から下部、右肺なら中葉まで息をいれているのだろう(ちなみに現在は私は息を入れながら降ろしている。最初のうちは息を下に吐き込みながらおろしても可)。

 そして臍あたりから命門の方へ気を移動させると背中側の下葉に息が入るような気がする。

 

 臍より気を下に降ろしていく、というのは、実際には呼吸の息(空気)を降ろしているのではなく、エネルギーとしての純粋な”気”を降ろしているのだと思う。

 気の一部分は呼吸によって取り入れるものだが、そうではない、エネルギー的なものがある、というのが実感できるところ。

 

 いずれにしろ、肺の上中下が意識できるようにするならば嫌でも肋骨も意識せざるをえないだろう。

 肺に上中下、があるなんて、テレビ番組を見なければ改めて思い出しもしなかった・・・。

 ちょっと頭の中がスッキリした(スッキリしたのは私だけ?)。

 普段ほとんど意識しなかった肺に親近感が出た。

 そういえば、秋は肺を養う季節でした!

 

2016/10/5 <肋骨と横隔膜、呼吸の仕組み、骨盤底(会陰)を使った呼吸へ>

 

 昨日の練習では息を思った位置に吸い込んで入れる実験をしてみた。その中で気づいたことをメモ。

 

 まずは脇の高さの肋骨を広げるように息を吸っていれる実験をしてみた。

 普段は腹に空気を入れる練習ばかりしているところに、いきなり肺の高い位置に空気を入れる練習・・・太極拳での身体の使い方に真向から背くような息の入れ方。

 なんだか慣れない、が、皆大体成功。

 息を肺に入れると肋骨が広がるのを確認。

 次に息を抜いてみる(吐く)。すると肋骨が元の位置に戻る(すぼむ)。

 もう一度吸って肋骨を広げる。そして吐いてすぼめる。

 この要領が掴めたら、今度は、まず肋骨を広げる→すると息が入ってくる(結果として吸ったようになる)。そして、肋骨を元の位置に戻す(すぼめる)→息が出ていく(吐いたようになる)

つまり、肋骨を操作すれば息は自然に出たり入ったりするようになっている。

 (これが胸郭が負圧になっていなければならないという意味。負圧だからその下の内臓も引っ張り上げられている。負圧、の感覚は胸の”空”として感じられると思う。)

 

 大事なことは、息は鼻でヒューヒューしたり口でぜいぜいしてやらなくて良いということ。

 鼻や口は息が通る通路ととらえるべき。呼吸は身体で操作する。

 

 肋骨の下方には横隔膜がついている。

 肋骨と横隔膜の関係は、

      肋骨が広がる→横隔膜が下がる、肋骨がすぼまる→横隔膜が上がる

というようになっている。

      横隔膜が下がると胸腔の容積が大きくなり肺が広がり空気が入る。

      横隔膜が上がると胸腔の容積が小さくなり肺がしぼみ空気が出ていく。

 図で書くと下のような感じ。(左から肋骨普通幅、肋骨広げる、肋骨すぼめる)

肋骨と横隔膜
肋骨と横隔膜

 ここからが本題。

 上の図3は肋骨をすぼめて息が出て行った状態(吐き切った状態)だが、このあと、もし肋骨を絶対に広がらないようにしたままにしたら私達は息絶えてしまうだろうか?

 

 タントウ功で立ち始めた時、まず、息を吐いて、吐いて、と腹の奥を息でこじ開けていくが、その後、息が入ってくるときに胸が上がらないようにする(肋骨が広がらないようにする)とどうなるか?

 生徒さんによっては苦しくてどうしても胸を上げてしまいたくなるが、そこを私がギュッと胸を押して上がらないようにすると、諦めたように最後は腹の下がぼっと開いたようになり息が身体に入ってくるようになる。

 

 この仕組みは(おそらく)次のようになっている。

 肋骨をすぼめたままにする=胸郭が前後左右には広がらない

 でも身体は息を吸いたい!

   →どうにかして胸腔を広げようと身体は方策を探す。

   →(肋骨がロックされて前後左右に広がらずとも)下向きには広げられる!

   →横隔膜が下に下がる。

   →この時骨盤底にある膜もふっと緩んで股関節が緩んだようになる。

 

 実は横隔膜と骨盤底の膜は連動して動くようになっている。

 練習をしていくと会陰の上げ下げ(骨盤底膜の上げ下げ)で呼吸をしているような気がしてくるが、それは横隔膜を間接的に上げ下げして空気を出し入れすることになっているようだ。

 なお、腹式呼吸とはいっても鼻から入った空気が横隔膜よりも下に入る訳はなく、それは肺の下部に入るとのこと。一方、所謂胸式呼吸では肺の上部に息が入る。

 肺の下部に息が入れられれば結果として肺活量は多くなるはず。

 以上を無理やり図にするとこんな感じ?

 太極拳の練習では、含胸、束肋で肋骨が広がらないようにした上で、塌腰、敛臀をさせて会陰を引き上げ骨盤底の幕をピンと張って引き上げさせるようにしている。

 会陰を引き上げることができるようになったら、そこから会陰を下げる練習をして、会陰を上げ下げ(=骨盤底膜を上げ下げ)しても、膜がハンモックように常に張りのある状態を保つようにする。この上げ下げで横隔膜が間接的に動くようになる。

 会陰の上げ下げがしっかり骨盤底筋の上げ下げにつながるようにするには腹圧が大事になってくる。

 このあたりについて参考になりそうな画像がありました。

 興味のある方はサイトを覗いてみて下さい。(左の図:http://ameblo.jp/garicia2/entry-12023680856.html右の図:http://www.miduhooste.com/mysite8/naizou.html)

 いずれにしろ、これらのサイトに書いてあること(ぽっこりお腹の解消?)も、タントウ功をきちんとすればクリアできてしまいます。

2016/10/1 <下丹田、中丹田の開発による身体の変化、肋骨へ>

 

 丹田が立派になってくるとこんな風になってくるのか・・・、と自分の身体を感慨深く見てしまったりする今日この頃。

 私くらいの年齢でこんなお腹の女性はなかなかいないだろうなぁ、と悦に入ったりするが、ウエストを細くしたい~、なんて思っている多くの女性が見たら驚愕の何ものでもないだろう。

 脂肪はほとんどついていないのだがウエストと腰骨回りが一緒の太さ。オリンピックの陸上を見ていると女性アスリートはほとんど”ずん胴”だが、まさにその通り。きっと腹横筋やら腹斜筋がとても発達したのだろう。腹腰はとても力があるのが分かる。

 

 丹田なんて何も分からなかった10年前。

 ただひたすら立たされて、練習して、丹田のことなんて忘れていたが、ある時下っ腹、正確には 臍の少し下、に以前よりも力があることをはっきり感じた。

 それは今思えば気海穴のあたり。気の海、と呼ばれるが如く本来気が海のように溜まっている場所だから少し練習すれば意識できるようになる。

 

 その後は関元穴(膀胱や子宮の高さのツボ)の奥、あるいは会陰を引き上げた先(子宮口の位置)にある下丹田を意識できるような練習をした。

 ちなみに女性にとっては下丹田は男性よりも意識しやすいかもしれない。その場合、下丹田を開発してからそれを上に引き上げて気海穴の方へもっていくことも可能だ。

 

 気海穴→関元穴へと気を下向きに動かして二つの点を気でつないだり、あるいは関元穴→気海穴へと精を気化させ動かしたり、腰を回す運動をしながら内側ではそんな精気を煉る練習をする。

 「そのうち下丹田と中丹田が一つの気の球のようになる。」

そう師父に言われた頃は、まだその実感がなく、ただ頭でイメージするだけだった。

 

 それから数年後、本当に下っ腹が一つの気の球のようになった時、初めて数年前に師父の言ったことがどういうことだったのかが分かった。

 (これまでの経験からすると、師父が先取りして指摘した様々な身体の現象はその後2,3年して実際に身体に現れてきている。聞いてその場では分からなかったことが2、3年後に突如分かる、という面白さ!分かったその瞬間、2,3年前に言った師父の言葉、そしてその場の風景が脳裡に突然フラッシュバックされるのだから、人の記憶、というのも不思議なものだ。)

 

 ところが、その当時は臍の少し下からの下っ腹が子供のように膨らんでいて、中丹田の核心である臍の周辺はまだ膨らんでいなかった(力がなかった)。

 「女性は臍まで気が上がらないのかもしれないのでは?」と師父に質問したのはその頃。それまで見た女性の太極拳の老師達の中に気が臍まで達している人がいないのに気づいてそう質問した。

(師父の返答は、大丈夫、そのうち。というものだった。)

 

 骨盤の形の違いから女性の重心は男性よりも低い。女性は気を上げるのが難しく、男性は気を下げるのが難しい。

 電車の中でつり革を持たずともビクともしないおばさんがいるのに、自分は手放しではゆらゆらしてしまう・・・と言っていた男性生徒さんもいたが、下半身がどっしりしているのは女性の特徴。

 男性は歳をとるとあっという間に脚が細くなってしまう。

 脚は細いのに骨盤より上の腹や腰に脂肪がついてヒップよりもウエストサイズの方が大きい、という男性も少なくない。下丹田<中丹田?

 一方、女性は骨盤が広いから、ヒップが大きくなる。ウエストがヒップより大きい女性はほとんど見当たらない。つまり、下丹田>中丹田。

 

 一応私も女性だから、中丹田の開発は思いのほか時間がかかり、気が臍まで上がって臍に力が出てくるようになったのは数年前。そのうち臍を突破し胃のあたりまで気が達してくると、恥骨から鳩尾までがなだらかに膨らみ、なんだか幼児の腹のようになってしまった。

 が、見た目は少しキューピーがかっていても、身体の使い勝手、調子はとても良くなった。

 胃に気が通ると、胃が気持ちよい!肝臓に通れば、肝臓あたりが清々しい!

 腸にきれいに通れば腸の絡まりがなくスムーズに流れるような軽快さがある。

 

 そして最近は胃の上部から左右に分かれて肋骨の意識が強くなった。

 一度肋骨が意識できるようになると、なぜこれまで肋骨を使わず立ったり歩いたり、手を使えたのか不思議なほど。

 そして何故多くの女性の肋骨が加齢とともに下がってくるのかも理解できるようになった。

 肋骨が活かす、これが先週あたりからの課題。

 生徒さん達を使って実験中。肋骨を引き上げる、これはバレエなら最初から要求されることだが、太極拳ではそうは言わない。

 太極拳で言われる肋骨の要領は、『逗乳束肋』だ。

 この意味については練習の時に少し説明したが、もう少し頭が整理できたら肋骨についても書きたいところ。

 

 

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練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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