2017/11/29 <太極拳の第一路と第二路の大雑把な説明>
夏の頃は、早く24式を卒業して48式を皆に教えてしまいたい、と思っていたのに最近足踏み状態・・・。最近入った生徒さんから、トウ路って何ですか?という質問があったので私なりに簡単に説明してみようと思う。
<今練習している24式について>
馮志強老師編纂による陳式ベースの混元太極拳24式。
これは日本で広く伝わっている楊式ベースの簡化24式と同様、太極拳の第一路というトウ路(套路:技をつなげて1セットにしたもの)から脚技等を外し、老人や女性、身体の弱い人、運動に余り慣れていない人でも手軽に練習できるように特別に編纂したもの。
<第一路について>
太極拳には第一路、第二路という古来から伝わる二種類のトウ路がある(二種類しかない!)。
第一路では”松”(ソンと発音、簡単に言えば余計な力を抜くこと・・・が、練習していくと分かってくるが、本当はそんなに単純ではない→丹田がなければ松はできない)を徹底的に求める。”松”がなければ、身体も開かない(松開)し、柔らかくもならない(松柔)し、大地に根付いた重さもでない(松沈)。
太極拳(内家拳)の最大の特徴は、”内側”(体腔?)の力で動き力を発すること。意→気→力。こと。拳は腕力、筋力ではなく、丹田(腹腔だの体腔だの)の力をズドンと貫通させることで威力がです。いわば身体を四肢も含めてパイプ状態にする。胴体部分についてはパイプどころかドラム缶(?)状態にする。
実はこのような身体のパイプ化、ドラム缶化、即ち、身体の内側の隙間を開けていくための練習は、五臓六腑の動きを活発にし、気血の流れをスムーズにすることになる。(太極拳の練習の基盤に中医学がある。武術のレベルを上げたければ、まず前提としてとても一般人よりもさらに健康な力強い身体が必要となる。)
太極拳、中医学における理想的な健康な身体のイメージは幼子。全身が一つで気に満ち溢れ眼が輝き、柔軟な詰まりのない身体。結局、第一路の練習ではそのような身体づくりを目指している。
<第一路:48式と24式>
そして第一路に含まれる技を重複しないように馮志強老師が編纂したものが48式。
48式が先にできて、その後この太極拳が広く普及し出した時に24式が作られた。
48式を練習すると分かるが、脚を上げたり、回したりすることで、”脚技”のためには全身、上半身、上肢をどう使わなければならないか、大事な練習をすることになる。24式でただ地面の上を水平方向に行ったり戻ったりしているだけでは動物的な身体運動としては欠落しているものがあまりにも多い。老人は仕方ないかもしれないが、中年、初老(?)程度ならまだあきらめずに身体全部を使ってみるべきだと思う。48式を練習すると、24式の水平ベクトルに上下のベクトルが付加され、自分の身体に対する視点も変わる。視野も広がる。
<第二路>
この第一路の後に第二路を練習するのだが、第二路は第一路で作った身体を元に、本来の武術に必要な発勁や跳躍、素早い動きなどを練習する。もし第一路を練習せずに第二路だけをすれば少林拳と何ら変わらないだろう、とある中国の太極拳の師が言っていた。外形は激しく力強い。が、力の使い方が太極拳の使い方になっている。24式で水平移動、48式で上下が加味され、46式では歩行、跳躍、回転が加わる。全方向への移動。第二路は実践への準備。
馮志強老師は第二路を編纂して46式とし、晩年、この第二路も第一路のように”松””柔”で練習することを推奨し、解説本やDVDも出していた。
つまり、この太極”拳”を練習するには、第一路の48式と第二路の46式をマスターすれば良い、ということになる。
練習項目の全体像は図にした方が良さそう・・・(今日はここまで)
2017/11/21
生徒さんとのグループLINEの投稿はこんな感じ・・・。
日曜に引き続き今日も気がついたら13時過ぎてました。
日曜は早い人は9時過ぎから立ち始めているからその人達にとっては4時間強の練習!毎日それだけ練習できれば凄いことになりそうですが、普通は定年後じゃないと無理...(苦笑) が、週一でもそんな雑事から離れた自分に向かう時間が取れるのは贅沢で幸せだと思います。平和。
今日は風が冷たく御苑をウロウロして最後は日本庭園に落ち着きました。日向は眩しく暑い。私は毎年冬に日焼けします。Oさんは今日十分光合成をしたと言ってました(笑)
途中でオーストラリア人が24式に飛び入り参加しましたが、すぐに脱落しました(苦笑)
今日は推手の基礎の『挽花』から単推手に入ったところで時間切れになりました。後で『挽花』の動画を探してアップしておきます。
24式は引き手に注意。
目線が頭の位置を決める。
目から尾骨=背骨、その自転。
..結局は、上中下の丹田を合して1つに纏めると外形はそうならざるを得ないようになっています。(松しないと丹田ができないし丹田作ると松になってしまう、引き手もあるべきところにないと丹田がしっかり入らない、目線も然り)
内→外、そして外→内。結局、内⇔外 だから内外双修。
(実際に身体で分かった時、もしくは分かりかけた時に初めて言葉が理解できる。)
2017/11/15 <手と目の合、眼法の奥深さ>
ある生徒さんのビデオレッスンで、それまでに教えたタントウ功や内功を、彼女が地元で習っている楊式ベースの簡化24式に応用させようとしていた時のこと、画面を見ていて何かがおかしいと気づいた。
丹田の動きも合っているし、身体の動作も悪くない。何が変なのか?
じーっと見ていたら、そう、彼女の顔!いや、目がおかしい、とても不自然、死んでいる。
きっとそう習ったのだろう・・・本当に目が手を追っている!
目と手が合う。
でも、目を手に合わすのか、手を目に合わすのか?
私達が動こうと思う時、まず動くのは”意”。頭の中。脳。上丹田。
上丹田は目の奥、両目を引いて脳の中で2の目が一つに合わさったところ。
両目を一つにする作業が『凝神』。
タントウ功の時もまず凝神をしてから、それを腹の底へ向かって下げていくのだが、初心者のうちは他の要領の取得にいっぱいいっぱいで目の要領までは追いつかない。
ある程度腹の丹田が分かり、勁が胸、肩近くまで繋がってきてやっと首や目が練習の視野に入ってくる。
話を戻すと、動くときにはまず動こうとする”意”が生まれ、上丹田がそちらの方向を指し示すようになる。上丹田自体は外からは見えないが、それは通常目の動きとして現れる(実践なら意がどう動いたかを相手に見せないように故意に目を動かさないこともあり得るだろうが)。
そして上丹田が動いた方向に身体が動くから、身体が上丹田(目)を追う流れになる。
拳を打つのは一瞬の出来事。目が目標物を定めたらその方向に瞬時に拳が出る。よって目と手が合う、ということになる。
つまり、目(上丹田)→手 手は目に随う。
目が手を追っている場合、目が浮いていて隙だらけの拳になる。自分の気場を広く保てないし、視野も狭く、相手を制すことができない。とても間抜け(?)な拳になる。
目は背骨の一番上についている。
私の感覚では目から尾骨までが一本のしなる棒のよう。
目が動けば背骨がすべて連動する。
だから目の在り方を調整したければ、やはり根っ子のところ、骨盤や腹から調整を始めなければならないことになる。
私の生徒さんの中には指揮者がいる。彼にとっては眼法の大事さは一般人の比ではない。
私が一番好きなソ連時代の指揮者、ムラビンスキーはまさに目でオーケストラの団員一人一人を制していた。そんなことを思いながら、指揮者の生徒さんの目の使い方を指導していたら、やはり、視野が広がらないのは腰の隙間の問題、と彼自身が気づいた。結局タントウ功をもう少しやり込まなければならない。
今眼法が完璧に分からなくても(私自身、眼法の面白さに気づいたばかり)、少しやってみると、これまでの(腹、腰の)練習の重要性が更に分かる。すると同じ練習でも意識、やり方が変わる。
これまで眼法は左顾右盼(左見て右見て)くらいのことしか知らず、何の話だか?と思っていた。しかし、少しやり始めると、眼法の射程範囲はとてつもなく広い。
最も単純なのは首。
目が手を追っているようでは首の位置が決まらない。
手が目を追うようになって(=凝神ができている)やっと首の位置が決まる。
その他にも、顎の引き具合、耳の通りも目で調整される。目が決まらなければ百会の感覚も出てこない。
目から尾骨までの貫通感・・・目は魂の窓、というのもそのあたりから出てくる話だろう。
昨日はお互いに構えて向き合った生徒さんの目の中をじっと見入ったら、彼の気が腹までしか届いておらず股関節を制していないのが分かってしまった・・・けど、どうしてそれが分かるのか自分でも分からず、生徒さんと面白がっていた。
目は本当に不思議・・・
瞬きが多かったり、目がさまよってしまうのは目が丹田に繋がっていない、いや、丹田ができていない証拠。
以下私のお遊び・・・
指揮者、コンダクターは軍隊の指揮官同様。(前を向いていても横を制せる・・鷹のよう?)
アーティスト(作曲家)達とは眼が違う。(あくまでも自論、偏見?です)
(ムラビンスキー数枚、そして友人のショスタコヴィッチ、そして偶然あったドビュッシー、チャイコフスキー・・・やっぱり目が・・・と見てたら、あれっと、眼力すごいのが・・・トスカニーニでした。)
2017/11/11<最近練習で取り扱ったトピック>
練習メモを半月近く書かずじまい..
生徒さん達とのLINEで気づきを簡単に呟いて終わってしまう。
文章だけで説明するのが極めて困難な領域に入っているのも確か。
この半月、何をやったのか、記憶を辿って見出しをメモ。
・推手 四正手 ポンはリューで、リューはジーで、ジーはアンで、アンはポンで『化』することを理解する。相手の力を『落空』する感覚を学ぶ。
・無極タントウ功 (法隆寺の百済観音像を見て再確認)
・タントウ功の時の会陰の要領
①(下丹田=子宮口、前立腺の位置まで)引き上げる
②(下丹田から会陰まで)引き下げ ③そのまま足裏(湧泉)まで気を通す
④ 会陰を引き上げ、足裏(湧泉)から下丹田まで気を吸い上げる
以下、引き下げ(下丹田→足裏)、引き上げ(足裏→下丹田)を適宜繰り返す
・会陰の引き上げがちゃんとできるようになっっとたら、引き下げの練習をする
ヒント:ジャンプの時の会陰の使い方
引き下げができてやっと足が根付く
・恥骨の意識
特に女性は恥骨をぴちっと締めておく。
恥骨に力がないと任脈が通らない。
・理想は筋肉に乗っからないように立つ(筋肉を緊張させない)→経絡運動
背中側の督脈、腹側の任脈、ど真ん中の正中線、の3つのラインで立てる(動ける)のを目標に一本一本通していく。最初は督脈、そして、任脈、最後に正中線、の順番で練習するのがよいかも?
・眼法 眼は意の問題。眼で手を追ってはいけない。まず意=眼が手の動く方向に向かわなければならない。眼→手であるべき(実践をすれば自明の理)
視野を広くするような立ち方
→両肩と両クワを広げる(4つのパネルを外に引き出す 無極→太極へ ここは説明が必要?)
・手(労宮)と丹田を一体化させ、手で丹田を導けるようにする
・丹田呼吸は会陰呼吸から入ると分かりやすい どこで呼吸するか 細胞レベルでの呼吸もあり
その他まだまだあったと思うが、この半月の収穫はタントウ功の全体像が色々な角度の練習からかなりはっきりしてきたこと。
会陰の引き上げ、引き下げという角度から。そして無極タントウ功での丹田の一粒の気という角度から。
奈良東大寺で見た広目天の目から、凝神(上丹田に気を集める)の要領がはっきりしたのも嬉しかった。凝神が分からないと眼法は成り立たない。眼法は意の使い方そのもの。眼を正しく使うにもタントウ功が必要になる。
これらを文章でまとめられるかどうか、まとめるのかどうか?
まとめるとタントウ功だけで一冊の本のボリュームになってしまいそうだ・・・。