加山又造展に行った。
2018/4/28
4/24の独り言に関連して、あの練習の時、丹田を回せばうまく進める、と分かったはずの生徒さんから、後で一人でやるとよく分からなくなったとの連絡あり。
そもそもなぜ 丹田を回すと股関節やら膝関節やら足首やらが引っかからずにスムーズに動くのか、言い換えれば、なぜ丹田を回すと気が『節節貫通』するのか、ここしばらく私の疑問はそこにある。
丹田を回せばできるのだから深く考える必要はない、できれば良し、という態度もあるけれど、私はやはりそのカラクリが知りたい。そこにはきっととても基本的な重大な原理が埋まっている、そんな予感、いや、絶対ある!というほとんど確信がある。
2018/4/28
<股関節に息を吹き込んで移動する、中丹田と下丹田を分けた意義>
今日の練習ではスパイダーマンのような低姿勢で片足に重心を置いた体勢から、股関節に息を吹き込んでもう片足へ重心移動する実験をした....生徒さん達は私の貴重な実験台(苦笑)
まず、重心のある側のお尻の股関節(環跳穴)に息を吹き込み続けてもう一方側へ移動する練習。
最初の姿勢で股関節に息を吹き込めば、途端に足裏に息が届き床が押せることを実感させる。息を吹き込み続ければ足裏はべったりと床を押し続けるから、この力だけを使って重心移動が済んでしまう。
太極拳で重心移動は最重要課題かつ最難関課題と言っても過言でないが、なぜ蹴り足だけで動けるのか、そうしなければならないのか、その含意がはっきり身体で分かるなら、その人のレベルはマスタークラスなのではないかと思う。
今日の練習では次に、前の股関節(鼠蹊部)に息を吹き込んで同じように重心移動してみた。鼠蹊部に吹き込もうとすると腹斜筋が使いやすく上体も立ち上がる。お尻側で重心移動しようとすると上体が寝てしまい、下手するとスパイダーマンがゴキブリマンのようになってしまったおじさんも、こちらならスッキリ重心移動ができている。
その後もいろんなことをしていたのだが、夜になって一人になってぼうっと歩いてたら、関節に息を吹き込むとは何のことやら? と疑問が湧いて、ああ、これが丹田回しと関係ありそうと思い始めた。息、丹田、関節....ポンの力....どう繋がる?と頭が回転していた時に、上の生徒さんから突然LINEのメッセージが入った。
なんだかgood timing! と、しばしチャット。対話をすると少しずつ頭が整理をされる....生徒さんの方はもっと直接的な回答が欲しいのかもしれないが、回答に至る過程にいろんな宝物を見つけることはとても多い。
今晩も然り。
なぜ丹田を回すのか、の前にどう丹田を回すのか、がはっきり彼には分かってなかった。というのは、彼の中で中丹田と下丹田の意義の違いが、あれほど教えたのに、本当には分かっていなかったから。中丹田だけ回しても無駄。足を使いたければ下丹田を巻き込む。ブルースリーも見せたでしょ?
にしても、中丹田と下丹田を分けた道家はすごい!
私も彼の疑問を通して改めて、なぜタントウ功の目標が中丹田と下丹田を連結させることで、それができれば後は自ずから通る、と言われるのか、もうすぐ掴めそうなくらい近くまで理解が進んだのでした。
(この辺りがまとめられたら凄いことになりそう)
2018/4/24
練習メモ書いたのでこちらはなし。
と思ったが、やはり面白かった今日の練習。(とりあえずLINEの仲間に練習風景の動画をアップしました。そのうち整理できたら練習メモに書きます。)
最初から「含胸してやればできる!」と教えたらすぐにできたのだろうか?
あれだけ試行錯誤して真っ直ぐ降りる要領を教えた末だからこそ、自分でそこにたどり着いたのだろうか?
先週も似たようなことがあった。
第二式で前方に大きく進歩する箇所。
練習ではどうやったら膝に乗らずに一気に足裏に乗って進歩できるか、腹腰の気を足裏に下げていく際に、股関節、膝関節、足首と順次回転させながら気を通していく動きをやってみた。とても難しい!その後、関節を忘れて、丹田を回す、それだけで進歩をしてもらう。いとも簡単に関節をクリアできる。「片足立ちになるのと同じですね。」となんだ、こんな簡単なこと?という表情。何度も試してもらって、ちゃんと進歩ができているのを確かめ、再度生徒さん達に、どうやって動いているのか尋ねたら、「丹田を回してます!」と答える。「それだけ?」と聞くと「はい、それだけです。」と、いとも簡単にやってのける。
最初から「進歩の時は丹田を回す」と教えたらどうだったのだろう?(正確には”進歩は会陰”が要領)。
きっと進歩を難なくこなしてしまっただろうけど、それでは太極拳の妙を味わうこともできないし、驚きも感動もないから浅い記憶にしかならず、その後これを自分で応用していくことができないだろう。すると、この、言われれば何てことのない要領が、実はどのくらいの重みと広がりをもつのか、知る余地もないだろう。
解決策を先に教えてしまうのではなく、まず自分の進歩の何が問題なのか、その問題点をはっきりさせ、次に、それを解決しようと試行錯誤させることで、最後に知った解決策が活きた記憶になる。
・・・学校の勉強で参考書ばかり読んでいてはだめで、問題演習をするのが大事なのと似ている。問題演習、全部解けてしまっては意味がない。解けないから勉強が進む。が、あまりにも手が出ないとやる気が失せる。
生徒さん達は要領を知って問題がクリアできればとりあえずは満足なようだけれども、私としては、なぜ含胸をすると太ももの筋肉を鍛えるスクワットにならずに昇降ができるのか、なぜ丹田を回すと関節に負担をかけないのか、そのからくりを知りたいところ。これこそまさに気の作用であり気の神秘!気の身体、エーテル体のフィジカル体に及ぼす作用・・・もう少しで解けそうなのだけど。
2018/4/24 <気沈丹田 下丹田!>
友人とのやり取りでひょんなことから月光仮面登場!
子供の頃そんな真剣に見ていたキャラでもないが、今改めてみると、ダサすぎる!
いや、服装だけでなくて、構えがダサい。
ブルースリーはどうだったかな?
と思ったのは、きっとこのピタピタ衣裳からの連想ゲーム。
あれは死亡遊戯・・・
と検索したら、うわっ、さすが!
月光仮面と全く違う!下丹田!
気が中丹田から下丹田に落ちているから、脚がしっかり地面に根付いている。
そうだろうなぁ、でないとあんなに華麗な足技は不可能・・・。
中丹田と下丹田、位置はそれほど離れていないが、用途は違う。
胴体は中丹田、下肢は下丹田。
中丹田がないと腰が立たないから直立歩行にならない。
下丹田がないと股関節が使えない。
だからこの二つの丹田は合わせて一つの大きな丹田へと育てていく。
この時のブルースリーの構えは足技を繰りだすつもりのもの。
気が下丹田に落ち、中丹田の気が減っている。
こちらは中丹田、ニュートラルな位置に気がある。
ここから下丹田に気を沈めれば足技になる。
詠春拳、パンチの時はどのように気を導引するのかしら?
太極拳ならやはり下丹田に落とすけど、外家拳は中丹田に留めて回転させる?(時間があれば調べます)
いずれにしろ、気は中丹田と下丹田を自由に行ったり来たりする・・・それは同じ。
下丹田に気を押し込むには、骨盤の中、股関節をこじ開けなければならない。
これができないと、月光仮面みたいなしゃくれた骨盤になって中正が崩れてしまう。
さすがブルースリー!と画像検索を続けていたら、あれ?これはおかしいでしょ?
下丹田が・・・ない?
代役、そっくりさん?
(その後、これはブルースリー本人だというコメントあり。ポスター用のポーズで気合いが入っていない?)
これは・・・素人?(苦笑)
2018/4/? <骨盤を緩める 腰、骨盤で呼吸する>
練習帰りの電車の中でグループラインをしていて、最近気になっていた大谷跳平選手のフォームを再度チェック。やはり股関節の開きが完璧。ただでさえ長い脚が更に長く見える。股関節が開くというのは股”関節”が回転している、ということ。ただ内腿の筋が伸びて180度開脚ができるのと全く違う。股”関節”の回転は骨盤を開いて回転させるような動きだから、骨盤の上の腰(腎)も一緒に回るようになる。これを逆さまから言うと、股関節を使う(=回転させる)には腰(腎、腰椎)の上の方から回転させなくてはならない(→だから、全ての動きは腰の回転から始まる:これがチャンス―の原理の寄って立つ身体の仕組み)。
大谷選手のフォームを見てから、ある巨人のピッチャーだの、その他のピッチャーだののフォームを画像検索で見てみたら、あら、みな脚を更に短く使っている(苦笑)。股関節が回転させられてない、筋肉の力での投球。股関節が完全に使えていないから肩関節も回転しない。これじゃあ、故障するはずだ・・とかわいそうになる。
が、それが普通。子供から大人になるうちに筋肉が強くなるからその分関節の可動域は減っていく。大谷選手のような関節を回せる隙間のある柔らかい身体はどうやって作られたのか・・・それを知りたい!
ある生徒さんが、仕事で緊張すると骨盤がギュッと締まる感覚がある、と言っていたけど、骨盤が締まると身体全体が締まってしまう。旧東ドイツでは女性の水泳選手を一度妊娠させてから堕胎させ骨盤が開いているうち肩関節やら全ての関節を開くトレーニングをさせて金メダルを取らせていたと師父が話してくれたことがあったが、なんて非人道的!と気持ち悪くなった私の反応とは裏腹に、とても合理的なトレーニングでその程度で金メダルを取れるなんて女性はラッキーだ、のように中国人の師父は淡々としていた。その是非はともあれ、骨盤を開くと体中の関節の可動域が広くなる、という事実は事実(一度出産したバレエダンサーの方が柔らかい踊りができるようになるのもその作用とか。)。男性の場合は構造上なかなか骨盤に隙間ができないから、これを得られるように特別に丹田という気の袋(=隙間)を作る術が生まれたのかもしれない、なんて思ったりもする(女性の場合は子宮が丹田)。
夜になってテレビをつけたらベルリンフィルのコンサートマスターをする樫本大進さんがN響とコンチェルトを弾いた時の録画が流れていた。彼の独奏をしっかり聞いたことがなかったので、テレビの前で胡坐をかいて大真面目に見る。
ああ、すごい。ニトリの家具が並ぶ中に、一台だけアンティークの超高級家具があるようだ。彼だけが跳び抜けて活き活きしている。バイオリンの音が伸びる伸びる。オケが止まって聞こえる。ただ坐って楽器演奏をしている人たちと、身体の奥から音楽を奏でている人の差は甚だしい。
よく見ると大進さんの腰、骨盤はとても緩い。”音(楽)も骨盤から生まれる”と思った自分にびっくり。いや、本当かもしれない。骨盤から生まれるのは子供だけでない・・・おそらくすべてが骨盤から生まれるのではないかしら?(前回のパリでは推手の時腕は骨盤から動かせと師父から指導あり。ああ、やっと今、意味が分かった!)
とても良い歌手は人魚のように尾びれを振って歌っているようにイメージするけど、大進さんの演奏姿はそれに似ていました。
動画検索したら、ベルリンフィルの人達と演奏しているものがあった。
さすが、ベルリンの首席演奏者達の集まり!テクニックが最高なのは当たり前にしても、本当にノリノリで活き活き。よく見たらやはり、腰、骨盤が息してる!(ただ頭を振っているのではなくて、骨盤、腰で歌ってるから頭が揺れている)。太極拳も同じ!
2018/4/20 <2週間分の総復習>
今日の御苑練習。ベテラン組集結だったこともあり、この2週間程のポイント総復習と新しいポイント。忘れる前にメモ。
➀初っ端、一人の生徒さんが腰のある部分に違和感があるというところから、腰回しでコリを解す(”解開”)要領を説明。ツボを左右に開くには腰の竪円、上下に開くには立円、満遍なく引き延ばすなら水平円、万能なのは斜めの円・・・ということで斜め円の練習→四隅勁へと発展。
骨盤の上縁と下縁を斜めにつなぐのが難しければ、肩関節と股関節をたすき掛けにするように廻してみる。その際、関節をぐるっと巻く・・・ここをミシンの糸掛けを例に理解させようとしたけどなかなか伝達が難しい。ここを巻けると勁が途切れない。再挑戦が必要な箇所。(*青字の部分は絵に描いて示してみるべき)
②関節を回す・・・大きく回すところから初めて徐々に小さく回す、最終的には電動ドリル!(自転?)(タントウ功は究極的には電動ドリル!)
関節を回す意義について再度理解を深める。
関節を緩めると回すの関係。ここに気づけば、どうすれば、腰を緩められるか、が分かるはず。
太極拳はまず、放松。放松の要は腰。まず腰を緩める。ここが緩まなければその先に進めない。
③関節を緩めればしゃがめてしまう。しゃがむ必要はない。
まずは腰を緩め、次に骨盤(股関節)を緩める。するとしゃがめる!
どうやって緩めるかはクラスで教えたので各自復習。
④骨盤が緊張しているVS緩んでいる、その下半身の感覚の違いをはっきり覚えておくこと。
骨盤が緩んうででいなければ下半身は使えない。
⑤横勁の導入。横ボーダーTシャツを着れば良く分かるが、腕と胴体が横にどうつながっているのかを認識すること。脇から腰へと勁が降りれば肩から肘へと勁が降りる。肘と腰が”合う”ことに気づくことが非常に大事。これなくしては腕は操作できない。(日常生活で応用できるか?食器洗いやパソコン打ちの時にできれば上級者!)
⑥前腕、肘→手首、拳、を通すには、腰から骨盤に気を落としていく必要あり。骨盤の中の股関節まで落とせば、突然足裏にズドーンと気が落ちるはず。(第13式、青龍出水の最後の動作で練習)
⑦上は横隔膜、後ろは腸骨と仙骨尾骨、横は腹斜筋、前は腹直筋、に内側から接するような大きな丹田(中丹田と下丹田を合わせたもの)を想定。これを身体よりも先にごろごろ回して套路を行う。気の身体(エーテル体)が肉体(フィジカル体)を引っ張っていく感覚を得る。
⑧丹田の大きさをどうとろうと、ごろごろごろごろ回していれば身体は勝手に動いていく。方向転換の時は特にこの丹田のごろごろが大事。これによって起式から収功まで一本の気の流れでつないでしまう。途切れない。
私の中でまだ整理できてない論点
関節の隙間と気沈丹田との関係。
関節の隙間と関節の回転の関係はクリアになった。
脊椎の椎骨33個、その椎骨間は全て関節。隙間を開けられるようにする。隙間から気が入り込む?(ここは再度チェック)
とりあえず思い出したのはこのくらい・・・。
2018/4/16 <関節に隙間、骨盤にも隙間>
昨日の日曜練習後、一人の生徒さんを残し、関節を開けていくことと丹田の気を沈み込ませることがどう関連しているのか、その実験を行った。
<整理>
➀身体の一部分に負担をかけないような動きをするには、丹田(エネルギーの貯蔵庫)から末端までエネルギーが貫通するような形を作ればよい。(身体の力の発生源が丹田であることの説明は今更する必要がないと思うけど・・・。パワーは筋肉から出る、なんて思っている人がまだいるのかもしれない。)
②→通常、エネルギーの流れが妨げられるのは関節部分。関節は隙間を開けて使う(隙間がな状態で関節を使うと関節が痛む)ことで、気(エネルギー=パワーの源))が『節節貫通』する。
③関節の隙間を開けるとは?・・・二つの骨を引き離すようにする→筋肉を伸ばして(引っ張って)使う。(筋肉をもりもりにして収縮させて使うと骨と骨が引っ付くように引っ張られて関節の隙間が狭くなる。関節の可動域が狭くなる。筋肉を短く使わず長く使う(伸筋優位にする)のが太極拳の特色(合気道も同じ原理だったはず)。
④動くときは中心の関節から順番に隙間を開けて関節に気を通しながら徐々に動いていく(太極拳をゆっくり練習する理由)。関節に気が滞った時点で動きは停止するはず。それ以上無理して進むと関節(例えば膝関節)に負担がかかるのが自分で分かるはず。
→この部分の課外練習を生徒さんが隠し撮りしていた動画あり。LINEの方に載せます。
⑤課外練習で分かったのは、動きながら丹田の気を骨盤に落とし込まなければ動き続けられないということ。骨盤は脚の付け根、股関節、クワ(胯)が含まれている。腰の気をクワに落とし込む、という表現で理解していたけど、これなら、骨盤に気を落とし込んで骨盤を気でパンパンにさせる、と表現した方が良いのではないか?(これはまさに独り言)。
帰り道、やはり、骨盤・・・と頭には骨盤ばかりが浮かぶ。
駅のホームに立つと目の前に骨盤の絵・・・。
結局は骨盤に隙間・・・と思う。
(→以下、同日の独り言へ)
2018/4/14 <太極拳で膝を傷める? 全ての関節を回す、まずは”腰関節”!>
太極拳の先生の中に膝を傷めている人が多いのは事実。股関節や腰まで悪くしている人も案外いる。昔お世話になった著名な気功の先生は太極拳も教えていたが、オフレコで、実は太極拳は身体に悪い、と言っていた。
2018/4/13 <百会を入れる→首は立つ、関節は全部回す、骨盤を立てる>
➀超話題の大谷君。頭がとても小さくて身体がとても大きい。幼児体型の私とは真反対の体型で、見ると羨ましさを超えて別の種の動物かと思えてしまう。通常大きいと敏捷さが減少するし、柔軟性も落ちそうな気がするが、彼の身体はゴム人間のよう。
今日初めて画像検索して彼の投球や打撃のフォームを見てみた。
あら、どの一枚をとっても中正を外しているものがない。
股関節の開きが半端ない、から、肩関節の開きも完全。四正勁、四隅勁が申し分ない。お手本的。
百会まで入っている。百会まで自分の中に入っている人、なかなかいない(私もできていない→中国の太極拳の先生達でもできている人何人いるだろう?)。首を立てている時点でもうアウト。百会までつながると首は”ない”に等しい。首は立ってしまう。「首を立てるVS首が立つ」
奥歯の合わせ具合がとてもよい→頭部が胴体ときちんとつながっている。
・・・・彼の写真を見てから、他の有名どこの選手の写真をみると、欠点が浮き彫りになって見えてしまう。比較というのは恐ろしい。
画像比較すれば生徒さん達によく分かってもらえるだろうけど・・・。後でやる気になったらするかなぁ。
②関節はぜ~んぶ回す、の練習は良かった。自分でもヒット作。
しゃがむ時にはすべての関節を回す! それも(恐らく)すべての!
・・・と言いながら私もその事実に驚く。
関節は回す。折らない!
(そんな一見単純な理:全ては円運動:をはっきり打ち出した太極拳・・・天才!)
③骨盤を立てる=お尻を使う=股関節を使う=ダンを使う(圆裆 裆劲)=骨盤底筋を張る=第1チャクラの力
胸を出さずに含胸のまま骨盤を立てられるのは超上級者。即ち、恥骨まで息を沈み込ませられる人。肚まででは足りない。恥骨! 恥骨が割れたか?と昔先生によく尋ねられたけど、その当時は意味不明。先生が収功の時に自分の恥骨が割れてパきっという音を聞かせてくれた。恥骨に力が届くようになるにはそれから数年必要だった・・・。
恥骨の音がするところまでいかなくとも、恥骨近くまで息を落とすことはそれほど超難関ではないかなぁ。今日Hさんが少し要領を掴んでた。
2018/4/12 <股関節が使えていないとは?>
先日新規で来た男性から、お尻、股関節が使えていないという指摘に対して、次回クラスでそれをもう少し説明してほしいというメールが来た。
何を説明してもらいたいのだろう?
➀股関節が使えていない、というのがどういう現象を指しているのか、②股関節が使えないとどういう不都合があるか、③股関節が使えるようにするにはどうしたら良いのか、どれだろう?
まあ、人間は立ち上がっているからお尻を使って歩くのはかなり難しい。腰を立てればお尻がおざなり、お尻を使うと腰が立たない・・・腰とクワのジレンマ・・・
(私が説明すると余計ややこしくなりそう・・・私の生徒さんに変わりに説明してもらった方が良いかもしれない 苦笑)
2018/4/10 <心と身体、丹田、気の身体>
昨年はかなりヨガについて自学した。息抜きはYouTubeでインドのヨガのグルの講話を聴くことだかったから、息抜きしながらかなりの知識を得てしまった。
ヨガの広大で緻密な理論体系をかじると、その影響を多分に受けている中国の気功法はその簡易版のように感じたりする。心意混元太極拳のベースにある道家の修行法もヨガのクンダリーニ覚醒とほぼ同じ。私達が下丹田やら中丹田と呼んでいるものもヨガのチャクラの概念からすればその一部分に過ぎない。中国はかなり大雑把だなぁ~、と笑いたくなるけれども、実はそのちょっとした曖昧さ、大雑把さがインドの論理的合理的な思考でにっちもさっちも行かなくなるのを防いでくれているような気もする。
まずは放松・・・力を抜く・・・・
老子や荘子、道家の放松にはヨガにはない気楽さがある。大真面目にやらない、ならないことで、身体や心に隙間が生まれて、それが”気”の充実につながってくる。
今年は仏教に移行し出した。
仏教は心を扱う。
私が太極拳を本格的に学ぶようになった理由は、お釈迦様が体験した究極的な境地を味わうには、まず肉体の修練から始める必要があると思ったから。今思うとなんとも大それた目標だが、当時は大真面目にそう思っていた。ある著名な気功法の先生は「気功法は悟りへのインデックス付きの道」と言っていたから、気功法でもある太極拳もただの強いだけの武術ではないはず、と思った。
そしてそれから随分身体のことをやった。
徐々に気づいたのは、身体はやってもやっても終わりがないこと。
死ぬまでメインテナンスをして、それでもいつかは老いたり病気になって滅びてしまう。
もちろん、死ぬ直前まで使える身体でいるのが望ましいし、身体で遊ぶこと自体も楽しいから死ぬまで鍛錬していてもいいのだけれど、丹田を見ることが癖になり、それを見ている自分が浮き出てくるにつれて、身体の奥にいる私、まずは”心身”と身体にセットになっている”心”についてもっと知りたくなってきた。
身体が開くと心が開く・・・
当たり前のように言われてきたが、最初から私の頭には「なんでそうなるのか?」という疑問があった。その反対もあるのか?心が開けば身体は開くのか?
心と身体の関係・・・
丹田を見て動き続ける練習が実はヴィパッサナ瞑想の一技法になるのだという確信を得たのは先週のこと。”感じる”部分に焦点を当て続けることでフィジカル体からエーテル体(気の身体)に次第に気づくようになる。
先週から、地球儀のような丹田を身体よりも先にゴロゴロと回すように、と、練習に来て間もない初心者までに要求したりしているが、丹田を先に動かすことでエーテル体にフィジカル体を先導してもらい滑らかでスムーズに、いずれはそれが高速の動きにつながってくる。
推手や卓球などの対人競技でにおいて、自分がエーテル体に留まっていれば自ずから相手のエーテル体を感じられるので、相手の動きが読めて先に動けるようになる。
「丹田はタントウ功をしなければ分かりませんか?」という質問を最近受けたが、タントウ功は居つく(身体が固まってしまう)からやらせるべきでないという老師もかなりいる。居つかないタントウ功をするにはちゃんとした要領を踏まえなければならず、そのためには師を必要とする。独学はとても難しい。
が、推手をしてみれば、タントウ功を正しくやっているのか否かは一目瞭然になる。
そしてタントウ功をしなくても推手の練習をすれば自分の丹田が分かるようになる・・・最近初心者には対人練習や対“樹”、対”物”練習で、丹田を気づかせるようにしている。タントウ功をするより分かるのは早い。
ただ、丹田に気づいたとしても、その後、そこに気を充填していくにはタントウ功なり坐禅の静功が必要(→なぜか?についてはまた時間がある時に)。
2018/4/8
染井吉野はあっという間に葉桜になり、この桜の期間、それほど練習していないようで実際には身体の変化が数多くある。春だから?
身体に変化があると、また気づくことが増え、するとこれまでの練習もまた変化してしまう。
毎回てんこ盛りの内容、それも毎回変わる(できるだけconsistencyを保とうとはしているけれども)。生徒さん達はついて来られるのか?いや、ついて来させる!と練習初めて間もない生徒さんも経験者と同じ練習をさせている(問題は套路・・・気の感覚は初心者でもカンの良い人はすぐに掴んでしまう・・・)
毎日の変化や気づきを文章に落とすのがおっくうでかなり溜まってしまった。
忘れるともったいないので項目だけメモ。
時間あればちゃんと書きたい(けど、説明するのにかなりの労力が必要なのでそのまま書かない可能性も大。もし、どうしても説明が欲しいところがあればリクエストして下さい。)
丹田を皮から引き離す→気の身体(エーテル体の気づきへ)
一粒の丹田⇔地球儀の丹田
丹田を先に回す (フィジカル体とエーテル体を分離する→静功、瞑想)
踵を活かすにはつま先を覚醒させる
つま先と手指先
指先と丹田
推手の聴く、吸う、
腰の際と腰の隙間
プラニックボディ(特にサマーナ中丹田とアパーナ下丹田。この二つをまず充実させる)
<一旦休憩>
2018/4/26
お義父さんのお見舞い。随分弱ってきた。人間水だけでどれだけもつのだろうか?
意識ははっきりしている。何かしゃべりたそうだけど声が出ない。
お義母さんはどうにかして少しでも長く・・・とそれだけを考えて悩みは尽きない。
どうしようもないことはどうしようもない。
夫婦が50年も一緒に生活すると気が交わってその境界線がわからなくなると聞いたことがある。片割れが逝ってしまうということは自分の一部が引き剥がされてなくなってしまうに等しいらしい。
正直言って、お義母さんのお義父さんに対する気持ちと、息子たちの父親に対する気持ちには温度差もあるし色合いも違う。お義母さんの想いには執着ががるのが外から見ると良く分かる。でもそれも仕方がない・・・と、ヨガのグルが言っていた上のようなお話をしたら、お義母さんは本当にそうなのよ、と涙ぐんでいた。
自分が自分の一部であるように深く愛した人、動物、植物、が逝ってしまうのは心が引き裂かれるように辛い。自分が逝ってしまうより辛いのではないかと思ったりする。
生きながら死んでいっていることがはっきり分かれば、死にまつわる混乱はなくなるのかもしれない。
死はまだ曖昧。はっきりさせていくような道を進みたい。
2018/4/24
練習メモ書いたのでこちらはなし。
と思ったが、やはり面白かった今日の練習。(とりあえずLINEの仲間に練習風景の動画をアップしました。そのうち整理できたら練習メモに書きます。)
最初から「含胸してやればできる!」と教えたらすぐにできたのだろうか?
あれだけ試行錯誤して真っ直ぐ降りる要領を教えた末だからこそ、自分でそこにたどり着いたのだろうか?
先週も似たようなことがあった。
第二式で前方に大きく進歩する箇所。
練習ではどうやったら膝に乗らずに一気に足裏に乗って進歩できるか、腹腰の気を足裏に下げていく際に、股関節、膝関節、足首と順次回転させながら気を通していく動きをやってみた。とても難しい!その後、関節を忘れて、丹田を回す、それだけで進歩をしてもらう。いとも簡単に関節をクリアできる。「片足立ちになるのと同じですね。」となんだ、こんな簡単なこと?という表情。何度も試してもらって、ちゃんと進歩ができているのを確かめ、再度生徒さん達に、どうやって動いているのか尋ねたら、「丹田を回してます!」と答える。「それだけ?」と聞くと「はい、それだけです。」と、いとも簡単にやってのける。
最初から「進歩の時は丹田を回す」と教えたらどうだったのだろう?(正確には”進歩は会陰”が要領)。
きっと進歩を難なくこなしてしまっただろうけど、それでは太極拳の妙を味わうこともできないし、驚きも感動もないから浅い記憶にしかならず、その後これを自分で応用していくことができないだろう。すると、この、言われれば何てことのない要領が、実はどのくらいの重みと広がりをもつのか、知る余地もないだろう。
解決策を先に教えてしまうのではなく、まず自分の進歩の何が問題なのか、その問題点をはっきりさせ、次に、それを解決しようと試行錯誤させることで、最後に知った解決策が活きた記憶になる。
・・・学校の勉強で参考書ばかり読んでいてはだめで、問題演習をするのが大事なのと似ている。問題演習、全部解けてしまっては意味がない。解けないから勉強が進む。が、あまりにも手が出ないとやる気が失せる。
生徒さん達は要領を知って問題がクリアできればとりあえずは満足なようだけれども、私としては、なぜ含胸をするエーテル体のフィジカル体に及ぼす作用・・・もう少しで解けそうなのだけど。と太ももの筋肉を鍛えるスクワットにならずに昇降ができるのか、なぜ丹田を回すと関節に負担をかけないのか、そのからくりを知りたいところ。これこそまさに気の作用であり気の神秘!気の身体、
2018/4/23 夜
動物能から高度な人間能への転換、というのは太極拳固有の話ではない。覚醒へと向かう人間の意識の発展への道。
太極拳やヨガでもまだ身体を主に使う段階では、意(will)→気(energy)→力(power)の流れをしっかり意識できるように練習をする。
意、気、力、この3つがしっかり区別して見ることができる(意識できる)、その間の隙間が見られるようになるのが第2身体と言われる気の身体(エーテル体)を扱う気功や太極拳の目標。
過去の生徒さんとの練習では、意が届いても気が届いていない状態、意と気が届いても力にしていない状態、意を通さずに力を出した場合、など、様々な状態を意識的に作ってみたりして、その3つの違いを分かるようにしようとしたこともあった。最近は丹田の気を大きめに膨らましておいてそれを身体よりも先に動かすことで、エーテル体がフィジカル体を連れていく感覚を掴ませようとしていた。これを知ると、同じ太極拳でも、フィジカル体だけで動いているものと、気で動いているものの差がはっきり分かるようになるし、自分でも2種類の動きをできるようになる。
ラジオ体操は専らフィジカル体の動きで行うが、これを気の身体が先導するように行うと全く違った趣になる。と、これを推し進めると、同じピアノ演奏でもフィジカル体でやっているものと、内側の気の動きで行っているものと、それまで見えてしまう。外だけの絵と内側から描いている絵。要は、その作り手、動き手であるその人自身がどれだけ自分の内側を開発しているか、その違い。
私自身は、意、上丹田の使い方の練習をし出した頃から、套路をしながら、はて?この意はどこからくるのだろう?とそんな疑問がずっとあった。経典をみてもそのあたりは詳しく書かれていない。ただ、この太極拳が”心意”混元太極拳、というから、心と意の関係が分かればはっきりするはず、とそのあたりをヨガの経典の方で探ったこともあったが、これを辿っていくと第5身体まで行かなければならなくなる。通常の太極拳の範疇を優に超えるところに、これからどう進んでよいのか分からず立ち止まってしまった。
そもそも2年近く前に愛猫が急に癌で亡くなった時から、通常私達の考える”太極拳”の限界を感じ始めていた。太極拳はどうやって元気になるかパワーを得るか、に焦点を当てている。どうやって死ぬか、死に対する指針が得られない(分からない)。死まで範疇に入れるならヨガやその支流からくる仏教に足を突っ込まなければならない。逆に言えば、死を堂々と見つめて死に向かって生きていくならそちらを学ぶべきだろう・・・結局死が怖くなければ他に何も恐れるものはないのだから・・・と、お寺の座禅会などにも行き出したのは昨年の話。
その後、やはり学ぶならお釈迦様本来の教えをそのまま説いているところ、と昔の縁を辿って信頼できる僧侶のところに赴き、法話を聞いたりするようになった。厳しいなぁ~、これじゃあ、人生何をやっても意味がない・・・と最初暫くはげんなりしていたが、少し進んで行くと、あれっ?思っていたほど暗くない、いや、きっと進めば進むほど明るく楽しくなりそうな予感。
やっと本格的にテキストを読みだしたらこれまた難しいのだけど、”心”についての分析は、さすが仏教!、太極拳にはあり得ない細かさと緻密さ。推手で手を合わせている間、これだけの心の動きがあったのか・・・と半ば感動してしまった。実際、ここまで心の中の動きの変化を見られたら瞑想もし易いし深まるだろう。
本を読みっぱなしでは頭に残らない。ノートをとらなきゃだめだ・・・学生時代に戻れ!
2018/4/23
昔から母親には片付けしなさい!そればかり注意されてきたけれど、結局身につかず。上京中の母も、「あんなに煩く躾けたつもりなのになぜだろう?」と首を捻る。私は「片付けよりもやりたいことがあるからじゃないかなぁ。」と適当に逃げようとしたけれど、横から娘が、「ママは頭の中がぐじゃぐじゃだから片付けもできないよ。」と一言。えっ?と彼女を見たら、「ママは天才肌だから。」と、一瞬、褒められてるのかけなされてるのか分からないから反応のしようがない。確かに一番ぐじゃぐじゃなのは部屋ではなく頭の中・・・。頭の中を整理すれば片付けもできるようになるかもしれない・・・と夜中にまた片付け本を注文してしまい、更に手を広げてしまった。いろんな種類の読むべき本、いや読みたい本がいっぱいある。宇宙は膨張時期というけれど、それと同調しているのかしら?宇宙の収縮期に入れば私は嫌でも断捨離するだろう・・・宇宙のミニチュア版としての個人の膨張期、収縮期というものもある。(日本は収縮期の人の比率が増えたから断捨離の類が流行った?いや、古来、お片付けが好きな民族?私には分かりません。)
英語でベビーシッターをしている娘が言っていたが、子供は片付けをしない!散らかすのみ。だから、お片付けの歌を歌いながら片付けを教えなければならないという。そういえば犬や猫、動物は片付けをしない。動物的本能には片付けはインプットされていない。使ったものを元の位置に戻すなんて非自然的なことは自然界にはないのではないか?前進あるのみで元には戻らない。元にもどったように見えてももうワンラウンド回っているからステージが変わってしまう。
使ったものを毎回新しい場所に置いて(置きっぱなしにして)いくと、生活が神経衰弱ゲームのようになる。前回どこで使ってどこに置いたのか、記憶を辿ったり、探し出せなければどこかで諦め代用品を考えなければならない。家から出る前にどれだけ頭と体を使わなければならないか分からない。ちょっとチャレンジングでエキサイティング。けど、ふと、何で毎日こんなに余計なことをしなければならないのか?と冷静になることもある。
動物の本能的な反応を高度な人間的反応に変換していくのが太極拳の練習。
腕を掴まれたら反射的に腕に力が入るところを、反対に力を抜かなければならない、等、反射的に起る肉体的反応を意でコントロールして智恵に基づいた反応に変え、それを無意識でできるところまで躾けていく。
としたら、私はもっとまじめに片付けに取り組むべきではないか?
本能に任せていてはだめなのではないか?
それを修行と思えばできないこともないのかもしれない。
が、その前に、やはり、”心意混元太極拳”の”心”と”意”の関係を知りたい!それが分かったら、きっと心と意を使って片付けができるはず!、とやはり片付けは後回しにして仏教の心理学本を読もうと、ああ、また手を広げてしまった。片付けはまだまだまだまだ先になりそう。
今日は上京中の母親と娘と一緒に東京都庭園美術館に行ってきた。
アールデコ・リヴァイバル。旧朝香宮邸の公開と同時に鹿島茂さんのフランス絵本の膨大なコレクションが見られる。
アールヌーボーとアール・デコ
なんとなくしか分かっていないその違い知るには良い機会、と懐かしい白金!(大学女子寮は白金にあった)に赴いた。ちゃんとオーディオ説明も聞こうね、とフランス好きの母親と娘にも促して邸宅の観覧スタート。いつのまにか3人バラバラになってしまったけど、最後カフェに集結した時は、各々、うん、これでアールデコは大体分かった、と満足げ。じゃあ、アール・ヌーヴォーは?とアール・デコとの比較で理解を深めようとしたのでした。
頭の中でざっくり整理。
アール・ヌーヴォーは19世紀末から第一次世界大戦前。1900年万博前後。世紀末、手の込んだ、曲線、有機的、エレガントで装飾的。クリムト、ミュシャ、エミールガレ、ルネラリック....
アール・デコは第一次世界大戦から第二次世界大戦の間。1925年万博前後。工業化、大量生産、直線的、無機的、機能的、シンプル.... 就職活動で資生堂を回ったのは、私の中での資生堂のイメージがまさにこのアールデコだったからだと今になって気づいた。私の好きな昔の上海のイメージもそのあたりからか?娘はギャツビーを連想していた。
家に戻ってから、改めてアール・ヌーヴォーとアール・デコの比較。
お昼、お気に入りの横浜駅の蕎麦屋に出て行って、さあ食べよう!としたその時、私の真っ青な服にこれまた色鮮やかな緑色の青虫がくっついてた。うわっ、と、思わず振り払った後で、はて、どうして? とやっと頭が動き出す。
(昨日の練習については同日の練習メモ参照。以下練習後の話。)
練習帰りの電車の中でグループラインをしていて、最近気になっていた大谷跳平選手のフォームを再度チェック。やはり股関節の開きが完璧。ただでさえ長い脚が更に長く見える。股関節が開くというのは股”関節”が回転している、ということ。ただ内腿の筋が伸びて180度開脚ができるのと全く違う。股”関節”の回転は骨盤を開いて回転させるような動きだから、骨盤の上の腰(腎)も一緒に回るようになる。これを逆さまから言うと、股関節を使う(=回転させる)には腰(腎、腰椎)の上の方から回転させなくてはならない(→だから、全ての動きは腰の回転から始まる:これがチャンス―の原理の寄って立つ身体の仕組み)。
大谷選手のフォームを見てから、ある巨人のピッチャーだの、その他のピッチャーだののフォームを画像検索で見てみたら、あら、みな脚を更に短く使っている(苦笑)。股関節が回転させられてない、筋肉の力での投球。股関節が完全に使えていないから肩関節も回転しない。これじゃあ、故障するはずだ・・とかわいそうになる。
が、それが普通。子供から大人になるうちに筋肉が強くなるからその分関節の可動域は減っていく。大谷選手のような関節を回せる隙間のある柔らかい身体はどうやって作られたのか・・・それを知りたい!
ある生徒さんが、仕事で緊張すると骨盤がギュッと締まる感覚がある、と言っていたけど、骨盤が締まると身体全体が締まってしまう。旧東ドイツでは女性の水泳選手を一度妊娠させてから堕胎させ骨盤が開いているうち肩関節やら全ての関節を開くトレーニングをさせて金メダルを取らせていたと師父が話してくれたことがあったが、なんて非人道的!と気持ち悪くなった私の反応とは裏腹に、とても合理的なトレーニングでその程度で金メダルを取れるなんて女性はラッキーだ、のように中国人の師父は淡々としていた。その是非はともあれ、骨盤を開くと体中の関節の可動域が広くなる、という事実は事実(一度出産したバレエダンサーの方が柔らかい踊りができるようになるのもその作用とか。)。男性の場合は構造上なかなか骨盤に隙間ができないから、これを得られるように特別に丹田という気の袋(=隙間)を作る術が生まれたのかもしれない、なんて思ったりもする(女性の場合は子宮が丹田)。
夜になってテレビをつけたらベルリンフィルのコンサートマスターをする樫本大進さんがN響とコンチェルトを弾いた時の録画が流れていた。彼の独奏をしっかり聞いたことがなかったので、テレビの前で胡坐をかいて大真面目に見る。
ああ、すごい。ニトリの家具が並ぶ中に、一台だけアンティークの超高級家具があるようだ。彼だけが跳び抜けて活き活きしている。バイオリンの音が伸びる伸びる。オケが止まって聞こえる。ただ坐って楽器演奏をしている人たちと、身体の奥から音楽を奏でている人の差は甚だしい。
よく見ると大進さんの腰、骨盤はとても緩い。”音(楽)も骨盤から生まれる”と思った自分にびっくり。いや、本当かもしれない。骨盤から生まれるのは子供だけでない・・・おそらくすべてが骨盤から生まれるのではないかしら?(前回のパリでは推手の時腕は骨盤から動かせと師父から指導あり。ああ、やっと今、意味が分かった!)
とても良い歌手は人魚のように尾びれを振って歌っているようにイメージするけど、大進さんの演奏姿はそれに似ていました。
動画検索したら、ベルリンフィルの人達と演奏しているものがあった。
さすが、ベルリンの首席演奏者達の集まり!テクニックが最高なのは当たり前にしても、本当にノリノリで活き活き。よく見たらやはり、腰、骨盤が息してる!(ただ頭を振っているのではなくて、骨盤、腰で歌ってるから頭が揺れている)。太極拳も同じ!
昨日あるドキュメンタリー映画を観に行った。観察映画ということでこれも長老から勧められたもの。
➀超話題の大谷君。頭がとても小さくて身体がとても大きい。幼児体型の私とは真反対の体型で、見ると羨ましさを超えて別の種の動物かと思えてしまう。通常大きいと敏捷さが減少するし、柔軟性も落ちそうな気がするが、彼の身体はゴム人間のよう。
今日初めて画像検索して彼の投球や打撃のフォームを見てみた。
あら、どの一枚をとっても中正を外しているものがない。
股関節の開きが半端ない、から、肩関節の開きも完全。四正勁、四隅勁が申し分ない。お手本的。
百会まで入っている。百会まで自分の中に入っている人、なかなかいない(私もできていない→中国の太極拳の先生達でもできている人何人いるだろう?)。首を立てている時点でもうアウト。百会までつながると首は”ない”に等しい。首は立ってしまう。「首を立てるVS首が立つ」
奥歯の合わせ具合がとてもよい→頭部が胴体ときちんとつながっている。
・・・・彼の写真を見てから、他の有名どこの選手の写真をみると、欠点が浮き彫りになって見えてしまう。比較というのは恐ろしい。
画像比較すれば生徒さん達によく分かってもらえるだろうけど・・・。後でやる気になったらするかなぁ。
②関節はぜ~んぶ回す、の練習は良かった。自分でもヒット作。
しゃがむ時にはすべての関節を回す! それも(恐らく)すべての!
・・・と言いながら私もその事実に驚く。
関節は回す。折らない!
(そんな一見単純な理:全ては円運動:をはっきり打ち出した太極拳・・・天才!)
③骨盤を立てる=お尻を使う=股関節を使う=ダンを使う(圆裆 裆劲)=骨盤底筋を張る=第1チャクラの力
胸を出さずに含胸のまま骨盤を立てられるのは超上級者。即ち、恥骨まで息を沈み込ませられる人。肚まででは足りない。恥骨! 恥骨が割れたか?と昔先生によく尋ねられたけど、その当時は意味不明。先生が収功の時に自分の恥骨が割れてパきっという音を聞かせてくれた。恥骨に力が届くようになるにはそれから数年必要だった・・・。
恥骨の音がするところまでいかなくとも、恥骨近くまで息を落とすことはそれほど超難関ではないかなぁ。今日Hさんが少し要領を掴んでた。
先日新規で来た男性から、お尻、股関節が使えていないという指摘に対して、次回クラスでそれをもう少し説明してほしいというメールが来た。
何を説明してもらいたいのだろう?
➀股関節が使えていない、というのがどういう現象を指しているのか、②股関節が使えないとどういう不都合があるか、③股関節が使えるようにするにはどうしたら良いのか、どれだろう?
まあ、人間は立ち上がっているからお尻を使って歩くのはかなり難しい。腰を立てればお尻がおざなり、お尻を使うと腰が立たない・・・腰とクワのジレンマ・・・
(私が説明すると余計ややこしくなりそう・・・私の生徒さんに変わりに説明してもらった方が良いかもしれない 苦笑)
ハマってしまったルドンの絵。
ものの見方を教えてくれたN長老に感謝・・・
太極拳の練習、ここまでやり込んでいなかったら、せっかくのN長老の講話も消化できずに終わっていただろう。太極拳の練習が身体だけでなく修練者の”目”や”感じ方”を変えていくのを自ら体験できて二重、三重の喜び。
天性でものの内側に潜む本質をつかみ取れる人がいる。
そしてそれを見せてくれる人(多くは芸術家)がいる。
けれども、私達の多くは生まれて目が見えるようになると他者も含めた外界の虜になって、眼は外ばかりを見るようになる。内側の風景を意識しすぎると俗世では落ちこぼれになる・・・から、目をキッと外に向け内側を見ないように突っ走るように・・・内側に入りだした高校生の頃、私は学校の先生からはっきりそう言われ、とりあえず就職するまでは周囲の人が思い描く”成功”路線を進もうと思った。大企業に入ってお金を儲けて、ある程度溜まったらパン屋を開いて、最後は出家、そんなビジョンだった。
所謂エリート路線を進んで外務省に入って万々歳!と周囲の人は大喜びしたのも束の間、そこからどん底が始まった。生きている意味が見いだせなくなった。
結婚しても、外務省を辞めても、子供を産んでも・・・何の解決にもならなかった。
かなり彷徨って、占いにもハマって散財したが、結局今振り返ると最も有益だったのは「好きなことをやりなさい。」というアドバイス。「でも、好きなことがないのが問題です。何が好きなことが分からないのです。」と当時の私は間髪入れず言い返したけれども、「じゃあ、あなたは今何をやってるの?」と聞かれ、「スポーツクラブで気功と太極拳をやっています。」「じゃあ、それを一生懸命やりなさい。」・・・これはただの気晴らし・・・と内心ぶつくさ言っていたけど、そのうちスポーツクラブで教えていた数名の中国の先生達と仲良くなったり(中にはカッコいい先生がいた)、立ち読みした少林寺の先生の本に感動して即入門したり、気功法の星野先生とも縁があり陳式心意混元太極拳を学び始め、そして主人がパリに赴任になって今の師である劉師父に出会い・・・と様々な人に出会いながらいつの間にか道ができてしまっていた。
と、数年前からおぼろげに感じていたのは、身体自体はやはり外側のもの。筋肉を見るのも骨を見るのも、もしかしたら丹田を見るのも、実は、目は相変わらず”外側”を向いているのかもしれない。自分はもっと奥にいる。目を内側に向けるということは究極的にはその見ている自分の中を覗き込むように見ること・・・ここまでいくと内側がなくなってしまう(発散してしまう)?
内側を見るというのは暗い作業だと思っていたが、最近推手をしながら自分の丹田を見る練習をさせていたら、相手の丹田を感じようとすると自分の丹田が感じられるという現象が皆に共通することが分かった。外界があるからこそ内側が分かる、そういうこともあるのかもしれない。外界の深さの分だけ自分の深さが見える、若しくは、自分の深さだけ外界の深さが見える・・・修行者は後者の道、自分の内側に入る修行をして結果的に外界を見透す目をもつ。芸術家の中には外界を見透す目を持っている人がいて、そのような芸術家は覚者に近い境地に至る・・・ルドンはその類の人ではないかしら?
どうやったら気の量が増えますか?と聞かれるが、昔の私なら、「タントウ功か坐禅をして下さい。」と言ったけれども、この世の中、とりたてて練功をしているわけでないのに、生き生きと気力が充実して健康体の人がいるのを見ると、練功以前に生き方、好きなことをして笑っていきいきするのが大事、なんて思ってしまう。好きなことに没頭して笑って、疲れて寝る・・・子供と同じ・・・生命の本質・・・ワクワクすると細胞が生き生きする、蘇る・・・
ルドンの絵、語りつくせないほどのものが中にあるけれども、奥の奥の”一粒の丹田”からそれが膨張して身体より大きくこぼれんばかりになった”満開の丹田”へ、彼の人生が豊穣になっていくのが見て取れてとても感動的だった。