2018年5月

2018/5/31

 

 この一週間は大腿筋膜張筋に注目。これと中殿筋を合わせればお尻側面、股関節の車輪になる。

 この車輪がスムーズに回転する(=これらの筋肉が緩む)ことが股関節の緩み、骨盤の緩みにつながる。

 

 大腿筋膜張筋を緩める重要性は行きつけの整骨院で知った。

 太極拳は脚を外旋させて足を八の字にして立つことが多いので、どうしてもこの筋肉が緊張しがち。意識的につま先を揃えて立つ、内旋させてみるなどして、この筋肉が緩む感覚を掴めれば、不思議不思議、緩めて立つだけで、下っ腹に気がじゅわっと滲み出て来て溜まってしまう。

 

 先週金曜日に初めて生徒さん達にそれを教えてみたら、皆その感覚の微妙さに何とも言えない感じだった。本来タントウ功は、この何とも言えない、何もしていないような、微妙な無為感の中で立っていることではないか?ただ緩めて、ただ立つ。下っ腹が勝手に充実して、足裏がしっかり地面に貼り付いてしまい、いつの間にか脚が消えてしまう。

 脚で立っている気がしない・・・脚の力を抜け!とよく師父に言われたけど、きっとそれはこんな感覚だったのだろう。

 

 土曜日にも試したら、やはり同じような感覚をとれた生徒さんが多かった。

 不思議なぼっとした立ち方。ある人が、これは会陰が下がっているのではないですか?と聞いてきたが、実はここに入ると会陰の感覚が消えてしまう。それは会陰を引き上げたり、引き下げたり、よりも高いレベル。会陰から下腹に向かって風船ガムを膨らませたようになっていて、その膨らんだ風船で身体が浮いている(支えられている)。会陰はもはや風船の口に過ぎない。

 こうなると、なぜ身体はいつでも自由落下が可能。でも落下しないのはやはり風船で浮いているせい?

 

 日曜の練習ではその感覚をうまく掴んだ生徒さんの数が少なかった。

 なぜだろ う?私が疲れ気味で導くだけの気力が足りなかった?

 火曜の出来もそこそこ・・・

 そして昨夜水曜練習。うまくいくかなぁ?とあまり期待せず、教えてみた。

 大腿筋膜張筋を緩めて立ってみる。気が真ん中に集まるのは実感できるかしら?

 私の中では既に下のような図式が出来上がっていたのでそれを説明。

 

 

 

 <左の図>

  骨盤左右にある大腿筋膜張筋や中殿筋を緩めてそのあたりの輪郭を消す

  →すると、足裏がペタッと床につく

  →脚が消えているのを確認

 

 <右の図>

  その時に骨盤の中で起こっている現象

  骨盤の輪郭を消すことにより、気が下腹の中心に集まる。

  要は、骨盤を緩めれば=松腰・松胯をすれば、丹田に気が集まる、という原理そのもの。

 

  この感覚を推し進めると、股関節の左右の大腿骨の骨頭を縄で縛ったような感覚になる。丹田はまさにその縄の縛り目。こうなると脚は二本ではなく、Uの字の一本の脚になる。丹田を動かせば自動的に両脚は動いてしまう。

 

  昨夜のレッスンでは、ただ立って緩めた時の感覚の掴み具合はそこそこだったが、その後、24式を通した時に、体重移動をする直前に軸足側の大腿筋膜張筋を緩めるよう、いちいち声をかけてあげたら、生徒さん達が今までにはない動きやすさを実感できたのが分かった。それはまさに丹田の気で動く感覚。その感覚が掴めただけでも大成功!

 

  静功でつかんでから動いてみるのもよし、動いて感覚を掴んでから立ってみるのもよし。

  気で立つ、気で動く感覚は、輪郭を消すことでとらえやすくなる、と思いました。

 

 以下資料。

 

https://selfbox.jp/news/181

https://kintorecamp.com/tensor-fasciae-latae/

http://www.nmnweb.net/exercise/makuchokin.html

2018/5/31

  先日画像だけ貼り付けて放っておいた大腿筋膜張筋の話は練習メモに書きました→https://www.studytaiji.com/2018/05/14/2018-5/

 

 

<お知らせ>

 6/2(土)~6/7(木)まで留守にします。HPの更新やメールのやり取りができなくなると思いますのでご理解下さい。 練習は6/8(金)から再開予定です。

 

 

2018/5/27
金土日、3日間の練習で新論点がボロボロ出現。
自分の中で各々がまだ繋がっていない。本当は繋がるはず。
とりあえずメモ。
1. 大腿筋膜張筋と中臀筋を緩める
→ 下腹部にジュワジュワっと気が発生
→脚が無くなり、ただ足裏バーン!とした感覚になる。足裏は薬指と小指のラインの面がしっかり地面に貼りつく。
(体側部 胆経を繋ぐ時の要になる部分ではないか?)
→スクワットがスクワットにならずに何度でも昇降できる。(ここは股関節の外側の車輪)
→脚を開かないニュートラルな立ち方 (子供の立ち方に注目、無極
→脚を開いてもここを緊張させないよう、脚を丹田から外旋させる。
  も少し深めないと....今日はチンプンカンプンの人も案外いた。一昨日は100%、昨日は70%、今日は20%の出来具合....私の教え方と生徒さんの熟練度とそして....  まあ、分からない時は深追いしないで他のことをやっていてまた数ヶ月後、数年後に戻って来れば良いかなぁ。
2. 肩の要領
 肩はどこ?
 と聞かれて腋下を触れたらすごい!
 本当は肩甲骨と鎖骨の枠全てが肩。
 肩をどう意識しているのか?どう意識すべきなのか?
 これは図が必要。
 必殺、物干し竿....チャンスーをかけると沈肩、墜肘の感覚。首、肩、腕の繋がり具合がよく意識できる。実は上肢は目(上丹田)から付いている....と発見できたら首は立てずに立ってしまうことまで分かってしまう。
 
3. 股関節
1の論点に関連して、大腿筋膜張筋を緩めると、実は気が腹の内側に寄ってくる。この状態を保持して動くなら、外枠を緩める→内側を締める、に転換した方が動きやすい。両脚の大腿骨骨頭が丹田に結び付けられて、両脚は逆Uの字型の一本の鉛の棒になっている。丹田動かせば両脚ともに動いてしまう。右足と左足がバラバラに動くことはない。股関節はちゃんと内側に突っ込んでおく。外旋は浅く抜けてしまうような股関節、内旋は深く突っ込むような股関節になる。必要以上に捻らない→丹田で捻る。
4.裹臀
裹guo  包帯でぐるぐる巻きにする要領
全身一つ、周身一家、にするには、全身をぐるっと巻き込む要領が必要。
タントウ功も坐禅も同じ。
外側巻くと内側は会陰→百会と気が貫通する。
コイルと磁石と電気のあれそのもの。これも図が必要。
5.眼法
 視線を間違うと技にならない。
 リューをしながら目が手を追っていた生徒さんがいてびっくり。
手と目は合だが、目が手を追ってはいけない。
手が目を追う。実践知っていれば当たり前だが、套路しかやってないととても不自然な視線になっている場合が多々あり。目が手を追うと舞踏になってしまう。 
  まずは上丹田から動く(脳、意から動く)。ここは通常引き込んで使う。相手も引き込めるし、気も引き込める。ここで気を引き込めると体内の気量も増える(凝神聚气)。上丹田はまだまだ探求したい場所。
6.別膝 (膝を差し込む技)
 48式に入ると腿法がいっぱいでワクワクする。
 足が絶妙な位置に運べていてこそ、腿法が成立する。無造作に着地しているような足、実は目が付いているように正確な位置に着地している。
 私達は目が上の方にあるので他人の動きも上半身、腕や頭の動きが目に付きやすい。腰以下は盲点。自分自身の動きについても如何に下半身が無意識かは、腕なし套路をしてみるとよく分かる。下半身がはっきり迷いなく動かなければ太極拳にならない。重心移動が曖昧なのは致命的。

2018/5/24

 私のピアノはともすると気晴らしかスポーツになってしいがちなのだけど、太極拳の練習のお陰でそれも少しずつ変わりつつある。と言っても、基本的には身体の開発への興味は抜けないので、今年の発表会も技術的に自分の実力より上、難易度の高いものを選んでしまった。
  超絶技巧練習曲....リストはそう名付けたが、ショパンの練習曲と同様、単なる無味乾燥な練習曲なんかでは全くない。超絶テクニックがテクニックを超えたところで浮き出てくる曲の深みと空間、そこまで高められる曲だ。
  と、頭では知っていても、実際には、及ばぬテクニックに四苦八苦して曲を歌わせる余裕など全くなくなってしまうのが現実。間違わずに正確に弾けるだけでもピアニストの域。が、この世にはそんなテクニックを悠々と飛び越え、自分の感性の世界に浸って弾ける突き抜けたピアニストが存在する。
  その一人がキーシン。私が練習している曲については彼が群を抜いた演奏をしている。他のピアニストが弾くとまずは難曲、という印象を受ける。が、彼が弾くと、まずは、歌、に聞こえる。難曲であることが前面に出てこない(実はそれが卓逸したテクニックの証拠)。そして毎日ルーティーンのように彼の録音演奏を聞いていたその矢先、なんと、この秋にキーシンが来日するというお知らせあり。これは是非とも行かなければ・・・が、チケットが、高い!
 
 咄嗟に日本国外の方がチケットは安いに違いない、と頭が回転(それにかこつけて旅行する? )、キーシンのスケジュールを調べてみた。すると、なんと、ずっと世界中を回ってる。これじゃあ放浪の旅。家に帰れない、いや、そもそも家は何処に....? 来年の公演日程、そして弾く曲までもが決められている....急にキーシンが可哀想になってしまった。そう言えばホロヴィッツもミケランジェリも演奏会が大っ嫌いでよくドタキャンしていた。気分も乗らないのに弾かなければならない、それも、生活の糧のために....としたら、芸術家ではなく労働者。自由こそが芸術家の生命。けれどもやはり食べて行くには....  ジレンマは私達以上に切実だろう。
   今回の来日公演のポスターに写る少し老けた彼の姿。なんだか複雑な気持ちになり、思わず少年キーシンの動画を探した。ひょっとしたらきちんと見るのは初めてかも....と動画を開いたら、そこには神と繋がる、"神童"がいた。神童とは文字通り、神と繋がった子供を指していた・・・単なる一芸に秀でた子供ではなかった・・・ショック・・・。
  12歳のデビュー時のキーシン。
 繋がったままの演奏。
 逆に言えば、まだ身体に力がなく、自力では演奏できなかったのかもしれない。何かの力を借らざるを得ない。
 誰が教えたということもなく、自然に上丹田を使って繋げてしまう。
 天から降りてきた子供、天使、がピアノを弾いているよう。穢れがなく初々しい。

2018/5/20

 

 昨日今日とドイツ在住で一時帰国中の女性が練習に参加。ドイツでは簡化24式を学んでいるという。

 ドイツへはオランダに住んでいた頃ほんの少しだけ国境を越えて立ち寄ったことがあるが、ほとんど知らないに等しい。スピリチュアル系のものに関心が深く、日本人と似て真面目で辛抱強いと聞く。馮志強老師は晩年、日々せわしくなる中国でゆっくり昔のように功夫を積み上げる中国人が減ったことを嘆き、「今ではタントウ功をしているのは時間とお金に余裕のあるドイツ人だけになってしまった。」と言っていた。(日本人には時間がない・・・)

 

 ドイツ人はスピリチュアル的なもの、思索的なものを好むきらいがある。(昨日独り言に書いたルドンの言葉はまさにその理由を述べていた!)ヘルゲルの弓道もそうだったが、太極拳をスピリチュアル的に捉える人も多いようだ。

 フランスでは柔道は国技と言われているほどmartial artsに対する関心は高かった。太極拳の人気も高いが、そもそもは男性優位のマッチョなラテン民族。太極拳をスピリチュアル的にやる人もいるが、武術として捉える比率はドイツより高そうな印象がある。スペインにいけばさらに武術志向になる。

 日本ではどうなのだろう?日本には武術をより精神化させた武道があるから、わざわざ中国武術を学ぶ場合はやはり武”術”を学ぶという多少マニアックな世界に足を突っ込むことになる。もしくは、日本の武道の原点中国武術に求めれば、そのルーツをたどることになる。が、一般的に太極拳を学ぶ日本人の多くは健康法として学ぶだろう。スポーツとして楽しむ比較的若い人達は大会に出てアクロバティックな動きを披露する。

 

 ・・・と、太極拳もお国柄、というのがあるのかもしれないと思い、暇つぶし的にフランスとドイツの混元太極拳の演武を探してみた。その中で面白い気づきがあったので少し紹介。

 

 まず最初にフランス人の先生の演武。

 内功は?にしても、全体的な動き、心の落ち着きがとても良くて内気の動きがなくても太極拳だなぁ、と思わせてしまう。

 フランスで子供を学校に通わせると、”expression!"とその重要性を叩き込まされる。特に子供のバレエスクールではそう。技術よりもまずは表現力、技術を詰め込ませて個々人の個性、表現力が失われるのを嫌う。表現力、これはフランス人をフランス人ならしめるのだなぁ、とつくづく思った。とても自由。

 この先生は中国人の師について学んだようだが、とても良いなぁ、と思うのは、時間を気にしない!そう、画家のルダンも、私の最も好きなピアニスト、サンソン・フランソワも、時間を感じさせない。フランス人は日本人に比べたら時間にルーズだが、逆に言えば、時間なんて気にしていては芸術は開花しない。本当にマイペース。自分の時間の流れで進む。そしてそれがまさに気功法。中国も昔は悠久の時の流れ、と時間を気にしないような時間の流れの中でこのような練習をしてきたのだろうが、今ではなかなかそうはいかない。

 

 下はドイツの内功の先生。HPを見る限り学者のような理論抜群の先生が放松功を教えた動画。

 ここで気づくのは、頭が全く放松できていないこと。強張った瞬きの多い目はその証拠。

 身体は放松して見せても、肝心の脳が放松できていなければ放松の核心を逸している。

 

 昨日独り言で引用したルドンの言葉通り、太陽の光の少ない北の国の人は一人で思索にふけりがちで頭を緩め辛い?

 頭(脳)は意識的にスイッチオン・オフができるようになるのが目標。考えなくてよい時には考えない。考える時には考える。それがきっちりできれば、理論的には、ストレスゼロ!

 

 

 思考から抜け辛いのは思索的な人(当たり前か・・・)。いつも考える癖をつけると、考えないことができなくなってしまうのかもしれない。

 先週たまたま見ていたドイツ人ヘルゲルとその師匠の阿波研造の写真。

 ヘルゲルの立ち方を見て、これじゃあ無理だ、骨盤が使えてない、頭でしか考えられない・・とすぐに分かったが、二人の目ざしが真反対。

 

 

  阿波研造の目は遠くを広くみる透明な目。緊張がない。頭の中が広がり脳の空間ができる。前頭葉だけでなく脳全体を使って射ることができる。野性的な脳の小脳、後頭部まで使い切る

 片やヘルゲルの目は的一点を見る集中の目。脳は狭く線で前頭葉に集中する。後脳が使えない。身体の緊張も解けない。

 

 

  思索には人間の人間たる脳である前頭葉の働きが必須だが、ここに集中し過ぎると精神のバランスを崩す。固まった目は異常。目は柔らかくしておくと脳も固まらない。

 頭の中をぽか~っと空けておく。(集中の真反対、頭の中をポン、膨張させておく)その快感、コツを知ってしまえばそんなに難しいこととではないのだけれども。(その状態を持続させておくのはかなり難しい。)

 頭の中を空けて初めて頭の中の気血の流れが良くなる。(頭痛は頭がギュッと締められたようになる。それは気血の流れが悪い証拠。両目で第三の眼を見ようとする、眉毛を上に上げようとすると頭の中が開く方向に動く。)

 

 この辺りは今日の練習で少しやった、上丹田と百会の使い方の話。

 恐らく、首の付け根、大椎の力を抜けるか否かが脳を開けるか否かに大きく関わっていると思う。大椎の力を抜くとどこがどうなるのか、は、今週生徒さん達を使って実験してみよう!

 ・・・ヘルゲル、やはり首も硬直している・・・

 

 この下はスウェーデンの先生。ビジュアル的にきれい。ぽぉ~っと、7頭身?8頭身?いいなぁ~と見てたら、その他ノーコメント(脳が開いたまま・・・ひょっとしたら口も開いたまま・・・?)

 

 

 

 その後youtubeを自動再生させていたら、こんな動画になっていた。

 妖怪?いや、これはなんかの大会の第一位の演武らしい。こんな不自然なことをしていたら身体も壊すだろうし、均整が全くとれていないし、美しくないし・・・どうしてしまったのだろう?

 本場の中国も混迷している。外国人の方が本質を掴もうと頑張っているかもしれない・・・。

2018/5/17

 

 腕の動きの中で忘れられがちなのが、上腕。私達はともすると前腕ばかりに気がいきがち。

丹田から手先まで勁をつなぐ際、この上腕に勁が通せるかどうか、肩と肘を使えるかどうか、がとても重要性になる。

 待ち行く人の歩き姿を見た時、肘をきちんと使っているような人はまずいない。

 もし肘のツボを外さずに歩いている人がいたら、絶対に、何かこの手の訓練をしている人に違いない。

 肘と腰はセット。肘が分からなければ、腰の力は手までは届かない。

 それを知るには肘法を練習するのが効果的。

 足裏から腰や肩を通って肘まで勁をつなぐ感覚がわかれば、肘が理解できる。

 肘技は見た目ほど簡単ではない。

 肩関節が硬いとそこで勁が止まってしまう。脇、肋骨、いわゆる胆経が特に大事になる。

 

 下は馮志強老師の肘法の写真。足裏から勁が繋がっているのが見えるかしら?

 まさにタントウ功そのもの。

 

肘法の画像検索をしていたら何故か自分の以前の練習メモに載せた左の写真に出くわした。

 梅路見鸞の姿。(2015年2月の練習メモ)

 本当にほれぼれする立ち姿。

 周身一家、はどの武道にも共通する。

 

梅路見鸞は弟子に、「底をつくるな」と言ったらしいが、その意味について解説しているHPがあった。http://rkyudo-sports.com/cate10/en153.html

 

以下そのHPから抜粋。

 

 道場で弟子に弓を引いていくときに、梅路氏は「底を作るな」と話しています。これは、弓を引くときの筋肉が動き続けなければいけないという意味です。

  普通の人は、どうして腕の長さが決まっているのに、弓を引く時の筋肉がずっと動かなければいけないのか不思議に思うかもしれません。

  この言葉にはきちんとした根拠があります。

  「肘」「脇の下」「胸」の筋肉を究極まで働かせることで、自分で意識しなくても無心で矢を放つことのできる動きが存在します。

 具体的には、「肘」「脇の下」を用いて、最大限まで弓を引き続けます。そして、みぞおち部を中に入れるようにして脚の立つ力を働かせると、「胸の筋肉を開く」運動が起こります。すると、自分で意識しなくても手の甲が斜めから横に向きます。』

 

 

 肘法の時はまさに脇の下と胸!そしていつまでも筋肉が流れ続けて(伸び続けて)いる。固めない。このHPで説明されている通りだ。

 胸の開き方が自分では良く分かっていなかったけれど、”みぞおち部を中にいれるようにして脚の立つ力を働かせる”?・・・試してみよう!

 

 弓道の要領は太極拳にそのまま応用しやすいのではないかしら?

 と調べたら、このHPにはこんなページがありました。

 参考になりそうです。

 

 弓道の「胴づくり」から、首肩を有効に使う

 →http://rkyudo-sports.com/cate11/en166.html

 

 弓道の「弓懐」動作より、腕の使い方を向上させる

  →http://rkyudo-sports.com/cate11/en167.html

 

 指の使い方から腕と上半身の動きを向上させる

  →http://rkyudo-sports.com/cate11/en168.html

 

 眼と頭の使い方 →http://rkyudo-sports.com/cate11/en169.html

 

 丹田 →http://rkyudo-sports.com/cate11/en385.html

 

 ・・・とまだまだありました。

こちらを参照して下さい。私も見ていこうと思っています。http://rkyudo-sports.com/cate11/

 

https://kenka2.com/articles/422
https://kenka2.com/articles/422

2018/5/14

 

 昨日の練習は ”股関節を探せ!”。

 股関節、股関節、とこれまで何度聞いたか分からない単語だが、いざ、股関節はどこ?と聞くと、はて?と適当に”そこら辺”を指す人が多い。

 こんなことでは・・・

「ボーっと生きてるんじゃねーよ!」

チコちゃんに叱られます(笑)

 

 まずは解剖学やら何やらの図を見て、皆に大腿骨の骨頭の位置を確認してもらう。

 思っているより身体の中心側。

 

http://kompas.hosp.keio.ac.jp/contents/000175.html
http://kompas.hosp.keio.ac.jp/contents/000175.html

 

 太極拳は中腰で脚を開くものだから、大腿骨を無理に外に引っ張って、骨頭の部分に不自然な捩じれを作って骨頭の先にあるぼこっと出た骨部分(大転子)に体重をかけてしまうことが多い。すると左のように折れるまではいかずとも、骨頭と寛骨の臼の部分との間でいろいろなものが擦れたり磨耗したりして股関節が損傷してしまうこともあり得る。

 

 もし、大腿骨を外旋させても股関節がビクとも動かないほど強固(?)ならば、その負担は膝関節側にかかってくる。太極拳で膝を傷める人が多いのはそのため。

 

 関節は回せ!というのが太極拳の教え。そして関節は回すに尽きる!

 

 関節が360度本当にぐるぐる回るわけではないにしても、あたかも360度回ったかのように回す。(でないと、抜け技はできない。クラスでは何度も試してみました。)

 どうやって360度回すかというと・・・

 

 と、ここまで書いて生徒さんに尋ねてみることにしました。

 

 股関節ではとてもやりにくいので、持たれた時の外し技で良く使う、手首か肘。

 この関節を360度、途中で切れ目なく回すにはどうしたらよいでしょう?

 

 

   回答がいつくるか分からないので、結論を先取りして書いておくと、

 手首や肘が360度回転するための原理をそのまま使って、股関節、膝関節を使えば、痛まないどころか、柔軟になって可動域も広がります。

 (二人組での転腿の練習を思い出すと良いかしら。纏糸功の基本原理。)

 太極拳の動きは本来関節を養う動き。

 そのためには、まず・・・。

 

2018/5/12

 

 運動は関節の回転運動によって行われる。

 そして関節を正しく動かすためには、関節についている筋(筋肉の端っこ)を意識し、そこを操る必要がある。

 が、私達の身体は、例えば、自分が、ここが肘だ、と思っている場所と、実際の場所には通常ズレがある。実際に身体を掌で触れながら練習するのは、この脳の認識のズレを修正するためでもある。

 太極拳の練習ではツボを知らざるを得ないから、一つ一つツボを意識する時に、脳にその感覚を覚え込ませ、徐々に自分の身体をマッピングできるようにしていく。意識できるツボが多くなればなるほど、身体は細かく操れるようになる。

 

 関節の中で非常に意識し辛いのが股関節。

 寛骨の陥没部に大腿骨の骨頭がハマり込んでいる、その場所。

 脚は、そこから操る。”そこ”=その骨頭の球。

 筋肉の力を使って大腿骨の途中の部分から大腿骨を動かした場合は、次の関節(膝関節)に負担がかかるような動きになる。膝関節を正しく使うためには、その前に股関節を正しく使わなければならない。(図で説明できれば良いのだけど・・・時間があれば挑戦してみよう。)

 

 まずは股関節を探し出す。

 どこに股関節があるのか?

 図を見て、そして自分の身体を触ったりゆすったりして、その骨頭を探し出そうとしてみる。

 女性に多いのは股関節ではなく、腰骨の方に出た大転子に体重をのせてそこを動かそうとしているケース。歳をとって股の締まりが悪くなり股関節が外れそうなくらい蟹股になっているお婆さんをよく見かける。おじいさんはそうはならない。これは骨盤の形状の違い。女性は本当に注意しないと骨盤が開いて重心が下がり股が開いてしまう。(男性は反対に骨盤が開かないので脚に気が落ちづ、下半身がますます貧弱になり上半身、腹が重くなり、身体が硬くなる。)

 

 股関節を探すにはまず解剖図を見て、頭の中で自分の身体のイメージをさせると良いようだ。

そこから身体をいろいろ動かしてみて確かめてみる。

 太極拳をやって膝を傷める人が多いのはまさに股関節が正しく使えていないから。

 

 今週は股関節探しからやってみよう・・・・これも発展性のある話題。何が出てくるやら(笑)

 

 調べるといろいろ参考になる動画やサイトがあります。

2018/5/11
ルグリの踊りが忘れられず、あれから彼の若い頃の踊りをYouTubeで見ていた。
確かにオペラ座らしい正当な素晴らしい動き。
でも今ほどの柔らかさと余裕はないかなぁ。
やはりエトワールという重圧の中で踊るのと、今の立場で余興的に踊るのは心持ちが全く違う。それは踊りにも現れる。
心が放松しないと身体も芯からは放松しない。
心の余裕が動きの余裕に繋がる。
オリンピックの体操選手などの身体は開いていても硬い。身体がどれだけ開いて曲がろうとも、内側に隙間がない身体は硬い。柔らかい身体は内側に気の流れる隙間のある身体。気を通して身体をするする、どこにも当てずに動かす....心の余裕....歳を取るのも悪くない。
ルグリは53歳。
高く跳んだりめちゃくちゃ速く動いたり、アクロバット的な動きをするのが踊りではない。
彼の動きを見るとそう確信する。
ただの力任せや美のバランスを逸した病的な動きは優雅さに欠けて踊りには見えなくなってしまう。
秀美、は太極拳を形容する言葉だと師父から言われたことがあるが、その意味がやっと分かりつつある。

2018/5/10

 来日中のウィーン国立バレエ団の公演を見た。
 オペラ座でエトワールを23年務めたルグリが芸術監督となり8年。その成果を見せる公演。
 今日はルグリの師であるヌレエフを讃えたガラプログラム。コンテンポラリーから古典まで数多くの作品がある中で、ルグリ自身も2演目を踊った。
 最初のルグリの登場。
 ポーズをとって静止した時に、既に、ハァ〜っとため息が出る。身体の開き具合、松の具合が他の団員と全く違う。派手な動きもなく、女性ダンサーを引き立たせるように踊るのだが、踊らせてあげている彼自身が踊りになっている。
 男女2人が踊る時、概して女性が主、男性は引き立て役の従になってしまいがちなのだが、ルグリの場合は引き立て役でありながら引き立っている。
 太極拳で防御が攻撃になってしまう、そんな感じ?
 いや、引き立っても女性パートナーを凌駕しない程度に自分を抑えている。そこには、女性をうまく踊らせながら、自分の踊りも突出しない程度にコントロールして見せる、そんな他の若いダンサーにはない、余裕と貫禄、そしてエレガンスがある。
 余裕と貫禄、そしてエレガンス、それはまさに太極拳の理想とする境地そのもの。
 一体どこからそれは来るのだろう? と見ると、やはり"松"。全く力みが感じられない。
 しかし軸は誰よりもしっかり。どの瞬間を捕まえてもサマになっている、中心軸が通っている。女性をリフトしている姿勢も美的。
 いや、実は、そこに"軸"があるのも感じられないほどの自然な軸。それは若手の一生懸命軸を作っているダンサーと比べれば違いが丸わかり。
 軸を作っている段階はまだ身体に緊張があり動きぐ硬い。
 軸ではなく、丹田、身体のエネルギーの中核ができ、それを身体全体まで膨張させたり、腹奥一粒の大きさまで縮小させたりすることができるようになれば、丹田から末端に、そして末端から丹田に、放射線状に軸が自然に形成されることになる........と、理論上知っていたが、それをルグリの動きで目の当たりにしてしまった。
 今日の公演で特に目が行ったのが、男性ダンサーの女性ダンサーのサポートの仕方。二人の間の関係。
 このダンサーと一緒に踊ったら踊りやすいだろうなぁ、と思わせる男性ダンサーもいれば、この人と踊ったら踊りにくそう、という人もいる。見ればすぐ分かる。もちろん相性というのもあるのだろうけど、相性以前に、基本的な身体の使い方、センサーの形成ができているかどうかが問題。
ルグリの女性のサポートは本当に隙なく行き届いていて、この人と踊ったら実力以上の踊りができるだろうと思った。何が違う?と、後半再度ルグリが出た時はオペラグラスを借りて、よ~く見てみた。
 ああ、女性との距離が近い。というか、あっという間に女性の身体の中(気場の中)に入り込んでしまう。他の若い男性ダンサー達は、そこまで入り込まない(入り込めない?)うちに女性を持ち上げたりサポートするから丹田の力が使えず筋肉でギシギシした動きになる。
 すっと女性の気場に入り込んでしまうその様は、太極拳で技をかける前に知らないうちに相手の中に身体が入り込んでいるのとよく似ている。太極拳は決して遠くから殴ったりしない。まずは近づく、いや、相手の中に入り込む。離れていると打たれたり蹴られたりするが、密着すれば相手の使える技はとても少なくなる(片や太極拳側は密着戦が得意)。
 そして、すっと、相手の気づかないうちに相手の中に入り込んでしまう、その鍵は足運び、足の速さ。師は足技を教えず、というほど、太極拳は足運びが大事。それが正確に素早くできるには、丹田が足(踵から足先まで)を正確にコントロールしなければならない。丹田なしに足を正確にコントロールすることはできない。
 太極拳の実力がどのくらいあるかは、足運びをみれば明らか。
 そして一般的に相手の中に入り込む時には自分(の意識)を消さなければならない。自分が小さな穴に入っていくがごとく自分を極小にする(無の方向?)か、あるいは、存在を拡大して相手を自分の一部にしてしまうか(空の方向?)。でないと相手の気場にぶつかって入り込めなくなる。
ルグリの場合はふわっと相手を包み込むような大きな気場を形成しているように見えた。
 そしてそんな気場の形成や素早い足運びには丹田が不可欠だが、その丹田がルグリの場合は常に女性の丹田と繋がっているように見えたのは驚きだった。
 彼が女性ダンサーと踊る時、私にはルグリと女性の丹田が常に伸縮性のある糸かゴムかバンドのようなもので結ばれているようだった。たとえ二人の身体が離れてもまだバンドは繋がっている。二人が近づく時にはあたかもそのバンドが縮む力で二人が引き寄せられていくかのようだった。
ルグリは二度、別々の女性ダンサーと踊ったが、どちらとともそのように見えた。
 丹田がセンサーとなってお互いの丹田に呼応して踊る。身体はその丹田についてくる。すると身体は松している。
 ・・・ルグリの踊りはまさにそうなっていた。
 丹田がセンサーとなるには、丹田がある一定以上のエネルギーを持ちそれがブラックホール的な磁力、吸引力をもつ必要がある。丹田が吸う!
 丹田に吸引力ができれば、身体中に散らばった力を丹田がバキュームのように吸い込むので、身体は丹田が回転すればするほど松することになる。この吸引力を相手に向ければ、相手と離れていても丹田で吸い続けて繋がっていることができる。
 これを頼りに動けば身体はワンテンポ早く動き始められるし余計な動きがない分動きの速さも増す。近づいて二人の丹田が一個のように機能すると、それを見ている人は夢をみているかのような一体感、合一感を味わう。が、その後には必ず離別があり、総じて男女ペアの踊りは常に、開の中に合あり、合の中に開あり、の行ったり来たり。それがエネルギーレベルでの波として捉えられていれば(エネルギーの家は丹田)、身体の動きは決してバタバタせずとても滑らかなものになる。
 松しないと丹田は形成できないし、丹田が吸えるようにならなければ本当の松はできない。
 丹田は育てて成長させるもの。
 ただ息を吐いて作ったような静的な丹田から、丹田自身が生命体のように吸ったり吐いたりできる動的な使える丹田へ。その移行に必要な練習が、煉気、煉功なのだろう。
(cf 内丹術:丹田を鼎炉、気を材料として、意識と呼吸をふいごとして丹を煉成する ウィキペディアより)
 松の意味の理解が、また進んだ(複雑になった?)。
<軸の考察 縦軸(背骨系)VS 放射線、水紋(丹田系)>

2018/5/10

 

先週話題にした、松したらどうなる?の話題。

メールで見事に説明してくれた弟子がいました。私が説明するよりも理路整然としている。

他の生徒さん達にその文章を紹介したら、とても参考になったという声が予想以上に多かった。

私以外の人が、私と同じような感覚を得られるようになると、それをまた違った角度から、違った言葉で説明できるので、恩恵を受ける人の数もぐんと増える。体験は共有者が増えれば増えるほど、後から入った人も、その人達と共に練習することで、体験がごく当たり前のことのようになって自然と進歩してしまう。(強い部活に入れば強くなってしまう、そんなもの?)

 

そもそも私は共感者、体験の共有者を増やしたくて、かなり突っ込んで生徒さんを教えてきた。

私だけ分かって皆が分からない状態だと教えていても面白くない。

教えていて生徒さんがある感覚を得た時、得ていってるのが分かった時、この上ない嬉しさを感じる。

それを原動力に教え続けて来て、生徒さん達の中に内側の感覚がある程度分かる人達がかなり多くなった。そろそろ生徒さん同士でも教え学び合える程度になってきたのではないかと思う。

一緒に学ぶ仲間がいるというのはとても心強いもの。

老後も一緒に套路やったり推手やったりして遊べたらどんなに良いだろう(笑)

 

弟子のメールはLINEのページに紹介します。

その最後のメールで彼は、私が見落としていた大事な点を指摘してくれました。

まだ私の中で完全に消化できていない部分なのでメモのためにここに貼り付けておきます。

彼と同じような問題を持つ人はどのくらいいるのかなぁ?

 

返信ありがとうございます。

松腰すれば全身の松に繋がるかは、その人の普段の姿勢によるのではないかと思っています。
私は力を抜くと猫背になるので、腰から上も引っ張り上げてないといけない感覚があります。

太極拳を始めたばかりのとき、松腰の意味を掴むのが難しいのは、丹田に「集める」と聞くと収縮する意味に取ってしまうので、脊椎の隙間が伸びるのと反すると思うからではないかと思います。自分はそう感じていました。今は「丹田に集める」は、丹田が膨らむイメージを持っているので、脊椎の隙間を伸ばすことと矛盾していないと感じています。他の人がどう感じているかわかりませんが、松する意味の答えがすんなり出てこなかった理由はこの辺りにあるのではないでしょうか。

 

 

<私の疑問点>

➀松腰から始める、と言っても、松腰が必ずしも全身の松にはならないという点。

②松すると猫背になるとは? →虚霊頂勁、提会陰ができていない。前肩、胸が閉じてしまっている? 肋骨が下がる?

③丹田に気を集める・・・収縮→膨張?

 偽の丹田(拘束丹田)と真の丹田

 

 ②も③も土踏まずが上がっているか否かでチ簡単にェックできそう。

 (土踏まずを上げたままだと猫背にはなれない。土踏まずを上げたまま拘束丹田(動けない丹田)を作ることはできない。)

  土踏まずが上がっている=会陰が上がっている

  要は、会陰が引き上がっているか否かで道が分かれてしまう。

 

 

 

2018/5/9

 

今日のピアノレッスンでは、高速で和音を飛び飛びに弾く時に、音を出す前に自分の指が触れているのをいちいち確かめるように、と、音を出す直前に鍵盤の上で手を止める練習を随分やらされました。一秒間に左右交互に飛び飛びで4個から6個の和音を弾くだけでも難しいのに、一つの和音を鳴らす瞬間に指が正しく和音を掴んでるか鍵盤の上で確認しなければならないなんて・・・・。私はそれができていないから、行き当たりばったり、運に任せた演奏になるとのこと。

 

仏教の共一切心心所、どんな心にも絶対はいっている要素は

触→受→想→意志→一境性→命根→作意 と七つあったが、一つの情報が入るたびに瞬時(本当に信じられないくらいの瞬時!)にこれだけの作業は必ず行われている。(このサイトが簡潔にまとめている。http://abhidhammattha-sangaha.blogspot.jp/2016/03/blog-post_99.html)

本を読んでそれを知った時はそれなりに驚いたが、今日、まさかピアノのレッスンでそこを指摘されるとは思わなかった(ピアノの先生は仏教のそんな心の分析は知らないが、ピアニストなら絶対にやっている作業。)

 

先生の指摘は、つまり、私には 触→受 の意識が足りないということだと理解。

触受の隙間を開けようと演奏すると、腕、身体、手指の動きが更に俊敏になるから不思議。

とてもシャープな意識にならないとやってられない。シャープになって意識が拡くと時間が引き伸ばされたようになって1秒間の中でも余裕が生まれる。

ものすごい集中力が必要、けど、不可能ではない。

 

10分程先生と一緒に細かく割った練習をして、それから同じパッセージを弾くと、自分でも驚くほどの正確さと速さで弾けてしまった。

何で今こんなに弾けてるのか分からない?

と弾きながら驚いてそう言ったら、横から先生が「気合いでしょう。」と一言。

 

確かに、気合い

周身一家、どんなに手が鍵盤から離れても丹田が手指(先)までいつも繋がっていて、丹田がいつでも指を引っ張り戻せる状態。丹田が末端を引っ張り戻す、”合”の練習が足りなかったのが速さが出ない理由だった。テクニック的に難しい曲はどうしても”開”が多くなり、”合”の余裕がなくなる。・・・・ああ、太極拳と同じ。

合には丹田の吸引力がいる。

 

レッスンの最後、曲の出だしが乗れずに引き直したくなってしまうという私の癖について、先生からまたまた不思議な一言。

「最初から取り戻す練習をして下さい。」

何となく分かりそうで分からない、禅問答のよう。ただそれ(最初から取り戻せないこと)がピアノに限らず私自信の問題点であることは良く分かる。

 

ピアノ演奏は太極拳以上に神経を使う。

ピアニスト達はよくこんな練習を一日7時間も8時間もできるもんだ・・・・。尊敬。

 

 

2018/5/31

  先日画像だけ貼り付けて放っておいた大腿筋膜張筋の話は練習メモに書きました→https://www.studytaiji.com/2018/05/14/2018-5/

 

 

<お知らせ>

 6/2(土)~6/7(木)まで留守にします。HPの更新やメールのやり取りができなくなると思いますのでご理解下さい。 練習は6/8(金)から再開予定です。

 

 

2018/5/27
金土日、3日間の練習で新論点がボロボロ出現。
自分の中で各々がまだ繋がっていない。本当は繋がるはず。
とりあえずメモ。
1. 大腿筋膜張筋と中臀筋を緩める
→ 下腹部にジュワジュワっと気が発生
→脚が無くなり、ただ足裏バーン!とした感覚になる。足裏は薬指と小指のラインの面がしっかり地面に貼りつく。
(体側部 胆経を繋ぐ時の要になる部分ではないか?)
→スクワットがスクワットにならずに何度でも昇降できる。(ここは股関節の外側の車輪)
→脚を開かないニュートラルな立ち方 (子供の立ち方に注目、無極
→脚を開いてもここを緊張させないよう、脚を丹田から外旋させる。
  も少し深めないと....今日はチンプンカンプンの人も案外いた。一昨日は100%、昨日は70%、今日は20%の出来具合....私の教え方と生徒さんの熟練度とそして....  まあ、分からない時は深追いしないで他のことをやっていてまた数ヶ月後、数年後に戻って来れば良いかなぁ。
2. 肩の要領
 肩はどこ?
 と聞かれて腋下を触れたらすごい!
 本当は肩甲骨と鎖骨の枠全てが肩。
 肩をどう意識しているのか?どう意識すべきなのか?
 これは図が必要。
 必殺、物干し竿....チャンスーをかけると沈肩、墜肘の感覚。首、肩、腕の繋がり具合がよく意識できる。実は上肢は目(上丹田)から付いている....と発見できたら首は立てずに立ってしまうことまで分かってしまう。
 
3. 股関節
1の論点に関連して、大腿筋膜張筋を緩めると、実は気が腹の内側に寄ってくる。この状態を保持して動くなら、外枠を緩める→内側を締める、に転換した方が動きやすい。両脚の大腿骨骨頭が丹田に結び付けられて、両脚は逆Uの字型の一本の鉛の棒になっている。丹田動かせば両脚ともに動いてしまう。右足と左足がバラバラに動くことはない。股関節はちゃんと内側に突っ込んでおく。外旋は浅く抜けてしまうような股関節、内旋は深く突っ込むような股関節になる。必要以上に捻らない→丹田で捻る。
4.裹臀
裹guo  包帯でぐるぐる巻きにする要領
全身一つ、周身一家、にするには、全身をぐるっと巻き込む要領が必要。
タントウ功も坐禅も同じ。
外側巻くと内側は会陰→百会と気が貫通する。
コイルと磁石と電気のあれそのもの。これも図が必要。
5.眼法
 視線を間違うと技にならない。
 リューをしながら目が手を追っていた生徒さんがいてびっくり。
手と目は合だが、目が手を追ってはいけない。
手が目を追う。実践知っていれば当たり前だが、套路しかやってないととても不自然な視線になっている場合が多々あり。目が手を追うと舞踏になってしまう。 
  まずは上丹田から動く(脳、意から動く)。ここは通常引き込んで使う。相手も引き込めるし、気も引き込める。ここで気を引き込めると体内の気量も増える(凝神聚气)。上丹田はまだまだ探求したい場所。
6.別膝 (膝を差し込む技)
 48式に入ると腿法がいっぱいでワクワクする。
 足が絶妙な位置に運べていてこそ、腿法が成立する。無造作に着地しているような足、実は目が付いているように正確な位置に着地している。
 私達は目が上の方にあるので他人の動きも上半身、腕や頭の動きが目に付きやすい。腰以下は盲点。自分自身の動きについても如何に下半身が無意識かは、腕なし套路をしてみるとよく分かる。下半身がはっきり迷いなく動かなければ太極拳にならない。重心移動が曖昧なのは致命的。

 

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『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

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練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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