2018/10/30
下肢の三節回しを引き続きやっていますが・・・
やればやるほどそのが重要度が分かり、これができずにして二本足で立ち上がっていたこと、立ち上がっていることが恐ろしくなってくる。
股関節、膝、足首(踵)が回転できない場所で立ち上がっている、ということは、土台が傾き崩れたまま建物(胴体)を積み上げているようなもの。
土台となる下半身がしっかりしなければ、そのうえに乗る胴体が放松するはずがない。
結局、腰に負担がかかったり、肩、首に負担がかかる。
腰痛や肩こり首こりが絶えないのは下半身、土台の軸のズレだったのか・・・と今更ながら知る。
まずは膝回し。
ここで、膝裏の、委陽、委中、陰谷、この3つのツボでしっかり回れるようにしつける。
この3つのツボを外さないように膝を曲げるのが非常に大事なところ。
この3つのツボを外さないように膝を曲げ続けていけば、太腿の筋肉を縮めて太い塊にすることなく、余裕でしゃがみ切れてしまう。下に坐っていけばいくほど、腕が上がってしまう、はず。下にしゃがんでも腕がなんら影響を受けないとしたら、膝裏を使ってしゃがめていない。
・・・・これは太極拳の中腰体勢の基本となる。
だから節節貫通となって、最終的には足と手が繋がってしまう。
基本功ではそんな身体づくりを目指す。
丹田の気の量がないと膝裏のラインで立ち上がることはできないから、丹田の気を徐々に増やしていくことになる。
タントウ功で身体の内側が貫通した身体を作るのだ・・・とやっと全体像がクリアになった。
今日のビデオレッスンの生徒さんには、踵、膝裏、股関節の球を回した後に、そのうえの、お尻、腰、腹、胸と、胴体部分を下から繋げていくことに挑戦してもらった。
馮志強老師の18の球が一斉に回る、という話。ここに来てやっと現実味を帯びてきた。
球とは紛れもなく、関節。
関節は球のごとく回る。折れないし折らない。
股関節とお尻の球の違いが分かるか?お尻が回ればそのうえに腰がある。そして腹は腰の前。そして胸(胸椎)はその上、そしてその上に首の球。
胴体部分の関節、は腰、腹、胸、首。これらも関節。回る!
関節を意識できるか?
まずはそこが最初のハードル・・・。
2018/10/26
2018/10/25
帰国してから通常の練習に戻り生徒さんを教えていると次から次へと課題が出てくる。
劉師父がいとも簡単に普通に、なんの凄さもなくやっていたことが、いざ私達が再現しようとするととてつもなく難しいことになってしまう。
劉師父の動画を見て、どこが凄いのか分からない、とか、動作が地味過ぎて内側(内気)の動きが分かりません、という感想を発したのは5年近く練習をしているベテラン系の男性生徒さん達。
本当に功夫の高い老師は、普段の練習の時はとても謙虚な動きでどこが強いのか分からない。陳項老師もそうだった。(玄人ではなく一般人から見て)初めから明らかに強そうな人、は、実は弱い・・・というのは時代劇でも同じでは?武術の中でも特に太極拳はそんな感がある(少林拳等の外家拳との大きな違い)。
私のバイブル漫画の『スワン』の中で、マーゴットフォンティーンか誰かが「技を隠すには技を見せる以上の努力が必要です」と言ったセリフをよく覚えているが、派手に技術をアピールするよりも正確さを極めることの重要性に気づいた真澄が一見地味な踊りでコンクールに臨む姿は印象的だった。
そして今回の師父との練習で、形を正確に作るためには、それを内側から形作るための内気が必要なこと、即ち、外形というのは外枠の線をなぞるのではなく、内側から内気で身体を膨らませて正しい形を作るのだということ、それはあたかも、動物型の風船を膨らまして動物型に仕上げるに末端まで空気を吹き込むようだ、と分かった。だから、内気の量を増やしておかなければならないのだ!(→冒頭写真を参照!)
一般の人用に広まった太極拳の練習では内気を増やす練習はしない(できない?)から、とりあえず外形を正しく動かす練習をする。これは太極拳の形を使ったゆっくりとした体操になる。
が、真の太極拳は内気で行う。内気が身体の形、動作を作る。内気が足りなければ身体という風船が膨らまないから関節(骨と骨の隙間)も開かずに動けば動くほど磨耗してしまう。
ところで、一週間旅行をして日本に戻って愕然としたのは、私達日本人の萎んだ身体だった。まず、肩がない!
肩が肩先まで(上腕骨とのつなぎ目、肩ぐうや巨骨のツボまで)意識を通している(=空気を吹き込めている)人はまず皆無(が、外人でも完璧にはできていない、がまし。沈肩が本当にできるのは修行している人だけ・・・?)一般的な日本人は腕が肩井あたりからぶらさがっているような感覚のよう。だから前肩、猫背で貧弱な身体になる。
・・・が、という私自身が若い頃卓球ばかりしていたせいかどうか、えらく猫背で前肩だった。その頃はそんな意識はなかったけれどこも、太極拳の練習をする課程で星飛雄馬の大リーグボール養成ギブスをつけているのではないかという想いを随分しながら(苦笑)、徐々に徐々に肩の位置を矯正していった。それでもまだ劉師父から見れば沈肩が不十分。沈肩とは肩をただひげダンスのおじさんのように下げることではなく、肩関節を全て(幾つある?その全て!)を開けた状態だと分かったのはつい最近・・・。
そして、肩関節、を開くにも内気が必要。中でも、肩の末端まで空気を吹き込むには相当な腹の気(丹田)が必要になる。
大谷選手やイチロー、松井選手がバッティングの時になぜ揃って頬を膨らましているのか・・・ やってみると分かるが、こうすると首や胸、肩関節まで息が入って膨らみ、重い球に対抗できるような身体になる(本当は肺を空気でいっぱいいっぱいにしている)。
肩に空気がはいるような呼吸も必要なのではないか?(とすると頭を上げても少し後ろに引く必要あり。携帯見て立っていては肩に空気がはいらない・・・)
・・・このあたりはタントウ功で徐々に躾けていく予定。
その他、お問い合わせで馬歩の時の足先が前を向くのか外を向くのか、という質問がありましたが、これについては脚の三節の旋回、チャンス―で説明した方が良さそう(文章よりもデモンストレーションした方が分かりやすいはず。近いうちに説明の動画が撮れれば撮って見ます。)
似たような質問に、手足の順纏、逆纏の関係、というのもありました。
そして、坐禅の要領。坐禅とタントウ功の要領は同じか?なぜ坐禅をするのか?坐禅の効用は?というような問いもまだちゃんとは答えていないでそのまま。ただ、これは答え出すと本一冊書けそうなテーマ・・・。
丹田呼吸、即ち、丹田を臍の方に膨らまして(前丹田)、それから中間、そして後ろ丹田(命門)へ、というのをやって見せろと師父に言われ写真を撮ったりしていました。
それはそのうちLINEの仲間のページにアップするかどうか・・・。
2018/10/19
昨夜ソウル経由で帰国。
たった1週間の旅だったのに1か月は留守にしていた気がする。そのくらい密度が高かった(チコちゃんで、大人になると時間が経つのが早くなるのはなぜか?、というのをやっていたけど、まさに子供の時は時間の流れが遅いというその状態!)
後半3日間の劉師父との練習では非常に細部に至るまでチェックを受けたが、ここまで正確にやって初めて真の功夫になるのか、とその正確であることの難しさを痛感した。正確であることには派手さがなく、一見ふつうにしか見えないのだが、いざ真似してみようとするとできない。漫画のスワンの中でもそのようなことが描かれていた場面があったことを思い出した・・・どんな芸術、職人技でも同じだろう。
細かい練習内容については追々にして、48式の動作を直された時に、私の動作がなぜいけないのか?を私に納得させるために師父がやってくれたその動作の実践的用法。太極拳はその動作の実践的意味が分かっていないと原理を外してしまう。それにしても、強い!(強くなければ太極拳とは言えない、と私は師父に出会った第一回目の練習で言われました。”強さ”は武術家(あるいは男性?)にとって一番得たいもの(らしい))
2018/10/17 続き
そして最後はマウリッツハイツ。
2019/10/10
最近一番私の中でヒットした書籍がありました。
それに関連した10/8のレッスン後のLINEへの投稿・・・
『今日は平日、日曜、水曜の生徒さんがちらほら集まったミックス感のあるレッスンでした。最初どこに焦点を置いて良いのか戸惑いましたが、やはり基本中の基本、最も難しい、"腰"(中国語の腰!)を使う要領。
太極腰、という言葉もあるくらい、太極拳はこの腰(=後丹田、命門、腎)が要。これ無くしては太極拳になりません。
会陰や湧泉を引き上げるのはそのための要領ですが、それを更に極端にやると、爪先立ち、トウシューズで立った感じです。
今日は爪先立ちからやって、その"腰の高さ"を落とさないように片足の足裏をそろそろ降ろして虚歩になり、さらには虚歩の足の裏までも下げていく、そんな練習をしました。
結局は、薄皮一枚!
薄皮一枚、という言葉は最近目にしたある本でうまく説明していました。
太極拳の要領が、薄皮一枚だ、と一度でも身体が分かったら、その後の練習がとても楽になります。』
『身体の使い方が太極拳と同じ観点から書かれている本です。凄い!と思って見たら、同じ学部卒....先輩なのか後輩なのかは分からず(苦笑)
私がこのくらい明確に説明できれば・・・と羨ましくなるような本ですが、この本の内容と太極拳の原理がぴったし合うことが、生徒さん達にもピンと来るかしら?
太極拳の原理は日常生活に生かせなければ太極の理念に沿わない。今時太極拳で本当に闘おうなんていう人はいません。本当の太極拳の醍醐味は身体、心、その先(超越!)へと繋がって”真理”に目覚めていくところにあるはず。それにはまず出発点の身体を正しく理解しなければならない。
と、まずは身体の使い方の”真理”からスタート。という意味で、この本やゆる体操の高岡氏の初期の書籍などは太極拳を学ぶ私にとってもとても参考になります。
今ここでこの本の中身を紹介する時間がないので(旅行の準備をしなきゃ!)省きますが、重要なポイント何点かは近いうちに極拳に引き戻して説明できたらと思っています。
大事なキーワードに、”薄皮一枚”とか、”トンボの眼”とか”身体は水風船”とか、”感覚器官の緊張をとる(眼、鼻、耳、口等)”とかがありますが・・・・
そうしたら、以前から不思議に思っていたこれらの人達の口の謎が解けました!
2019/10/10
私の問題意識の移り変わりはとても早くて生徒さんもなかなか付いてこられない(苦笑)
→最近のLINEの投稿を少しまとめてアップしました。
時間の節約のため、ほとんどコピペです。 →ラインの仲間のページへ
2019/10/10
明日には日本を発ってソウル経由で久しぶりにパリの師父のところに行く。ついでに若い頃暮らしたオランダのハーグに行こうと欲張ったのが混乱の原因。短期間の旅行でどう予定を詰めるのか目下奮闘中・・・。
オランダと言えば・・・
先週上のでフェルメール展が始まったばかりだが、オランダにいた20代の頃の私は絵画に全く興味なし。ゴッホもフェルメールもどうでもよくて、ひたすら平らな路を自転車で走り回り、お気に入りのカフェで定番のアップルパイを食べ、朝は林の中を走り、昼休みは初めて飼った子猫にえさ(牛生肉のミンチ!)をあげ、ついでにスポーツクラブに行って泳いだり踊ったりしていた。明るい水色の絨毯の弾き詰められたアパートの部屋の中でオランダのしっかりとした明るい色の家具に囲まれて暮らした思い出は、ロンドンやパリでの暮らしよりもトーンがずっと高く、私の人生で最高ランクに位置する。何もかも達成しピークに達したと同時に絶望して辞職を決めたのはこの時。オランダがなかったら私はぐずぐずと仕事を続けたかもしれない。仕事には上下はなくて、大使であろうが靴屋であろうが自分の好きなことをしなくてはならない、と、当たり前のことを普通に教えてくれたのはこの国だった。自然でいることの心地よさ。自分でいることの心地よさ。上下関係がないことの心地よさ。男性も女性も大きくて男性と女性が身体的にも対等に見えて、日本のような陰湿な性感覚がないさっぱり感。オランダ人の開放的で明るい進取の気質。そんなオランダの自由さ、ナチュラル感に私はピタッとハマり、いつも間にかそれまで抱えて来た日本的な悩みが取るに足らないものになるくらい勇敢になっていた。
その頃の仕事は化学兵器禁止条約の発効前の準備開合に出席することだったが、会議場の大きな円卓について真っ赤な顔をしてったいるのは決まって私とオランダとドイツの外交官だった。真冬の零下の時でも車を使わず会議場まで自転車を必死に漕いでくる。環境に優しい健康的な暮らし方を志向する国。私はエコロジストではなくて単に車嫌いというだけだったが、会議場で赤い顔の三人が顔を見合わせて笑っていたのをよく覚えている。
オカルトに興味を持ったのはロンドン+オランダ。
週末のアンティークマーケットはミステリアスな物を探しに良く足を運んだ。開放的な国だけど、どこかに敬虔さ静謐さが垣間見られたりするのは、先日フェルメールの絵を見てそうか、と腑に落ちた。
ロンドンにいた時に大学の教授がイギリス人が唯一尊敬する国はオランダだ、と言った意味はオランダに住んでよく分かった。ものの考え方、開き具合がイギリスよりも更に先を行っている。北欧は行ったことがないけど行ってみたい地域。個人が個人としてしっかりとものを考えられる、流されない、といったところは日本と真反対。なぜそうなるのか・・・と歴史や生活の仕方を調べていけばそこには因果関係があるのだけれども、その頭の理解に止まらず、そこを実際訪れ自分の身をそこに置いてみるとその場の”気”を全身が掴むから頭の理解が一気に深まる。そういえば、以前カラマーゾフの兄弟を何度トライしても読めなかったのが、一度サンクトペテルブルクに行ったらどのセンテンスもありありと情景を示す活きたものになって、面白いほど夢中になって読めてしまったという経験がある。ただ行っただけでこんなにも理解が進んでしまうのか?と自分でも驚いたが、おそらく、見知らぬ土地の一人旅で全身のセンサーがビンビンに敏感になってその土地のあらゆる情報を知らない間に吸収してしまったのだろう・・・覚醒状態か?。慣れてしまったり、人と一緒にいると、そうはいかない。
いつもフレッシュでいられるなら、毎日が驚きの連続!(→子供!)なのだけども、歳をとってくると何をみても感動しなくなる。旅行に行くのはそのフレッシュ感を呼び戻したいからなのか?
それにしてもパリは観光シーズンなのか、手頃なホテルの空きがない!
ただ1泊のオランダ旅行の計画に没頭していたらパリのことがおざなりになって今になって焦ってる・・・明後日から泊まる場所、見つけなければ。思い出に浸ってる場合ではない!
2019/10/6
先日、坐禅とタントウ功の要領は同じですか?という生徒さんの質問あり。
実はタントウ功は坐禅をしてみるとその要領がはっきりする。クラスではタントウ功を教えるために坐禅をさせてみたりする。
また、別の生徒さんとビデオレッスンしていてタントウ功の要領、気を溜める状態に入るまでのプロセス、溜め出してから先のプロセス、が今一つ分かっていないのだなぁ、と思った。そういう私もやっと全体像が見え出したばかりなのだから無理はない・・・。
全体像を言ってしまうと自分の位置するレベルでの練習に集中できない可能性が高いから、通常師は先のことは話さない。ただ今すべきことを言うだけ。次の段階に移行できるレベルに達したら、しらっと、その次はどうしろ、と言う。あら?これまでさせてきたことと違うじゃないか?と思うこともあったりするが、その先に進むと、なぜ師がそこで支持を変えたのかが分かる。師の言葉、指示の意図がはっと分かるまでに2、3年経っていることもしばしば。本当はそんな練習だ。
ただ日本で普通に暮らしながらそんな練習をするのはなかなか難しいから、私はできるだけ生徒さん達を最短であるレベル(理が分かって自分で練習ができるようになるレベル)に達せられるようにと思って、頭の理解の助けを使おうとしている。
坐禅とタントウ功の比較、という角度、そしてタントウ功のプロセス、進度のレベル分け、この2点についてきちんと文章でまとめる必要があるかもしれない、と思い始めた。が、少し荷が重い(苦笑)
2019/10/2