2018年10月

 

2018/10/30

 

 下肢の三節回しを引き続きやっていますが・・・

 やればやるほどそのが重要度が分かり、これができずにして二本足で立ち上がっていたこと、立ち上がっていることが恐ろしくなってくる。

股関節、膝、足首(踵)が回転できない場所で立ち上がっている、ということは、土台が傾き崩れたまま建物(胴体)を積み上げているようなもの。

土台となる下半身がしっかりしなければ、そのうえに乗る胴体が放松するはずがない。

結局、腰に負担がかかったり、肩、首に負担がかかる。

腰痛や肩こり首こりが絶えないのは下半身、土台の軸のズレだったのか・・・と今更ながら知る。

 

 まずは膝回し。

 ここで、膝裏の、委陽、委中、陰谷、この3つのツボでしっかり回れるようにしつける。

 この3つのツボを外さないように膝を曲げるのが非常に大事なところ。

 この3つのツボを外さないように膝を曲げ続けていけば、太腿の筋肉を縮めて太い塊にすることなく、余裕でしゃがみ切れてしまう。下に坐っていけばいくほど、腕が上がってしまう、はず。下にしゃがんでも腕がなんら影響を受けないとしたら、膝裏を使ってしゃがめていない。

 ・・・・これは太極拳の中腰体勢の基本となる。

 だから節節貫通となって、最終的には足と手が繋がってしまう。

 

 基本功ではそんな身体づくりを目指す。

 丹田の気の量がないと膝裏のラインで立ち上がることはできないから、丹田の気を徐々に増やしていくことになる。

 タントウ功で身体の内側が貫通した身体を作るのだ・・・とやっと全体像がクリアになった。

 

 今日のビデオレッスンの生徒さんには、踵、膝裏、股関節の球を回した後に、そのうえの、お尻、腰、腹、胸と、胴体部分を下から繋げていくことに挑戦してもらった。

 馮志強老師の18の球が一斉に回る、という話。ここに来てやっと現実味を帯びてきた。

 球とは紛れもなく、関節。

 関節は球のごとく回る。折れないし折らない。

 股関節とお尻の球の違いが分かるか?お尻が回ればそのうえに腰がある。そして腹は腰の前。そして胸(胸椎)はその上、そしてその上に首の球。

 胴体部分の関節、は腰、腹、胸、首。これらも関節。回る!

 

 関節を意識できるか?

 まずはそこが最初のハードル・・・。

 

 

2018/10/26

 
<LINEへの投稿>
 
 今日の練習もたくさん言うことがあって時間が足りませんでした。口が2つあれば同時に2つのことが喋れるのに、と、途中もどかしく感じたほど(苦笑)
下肢の三節の回転は太極拳の、というよりも、実は人間の下肢の使い方の基本。関節は回転=隙間なしには機能しません。関節を折りたたむものとして使っていると直ぐに磨耗して傷んでしまいます。
1つの関節を動かす((回す)とジャラジャラと連動して身体中の関節が動く(回る)ことになる。これが太極拳で言うところの『節節貫通』です。
 パリで映した劉師父の準備運動。
 実はこれがチャンス―の基礎になる。
 下肢の根節(クワ、股関節)、中節(膝)、梢節(踵、足首)を、中節から順番に外旋、内旋100回ずつ、クワ外旋内旋100回ずつ、踵外旋内旋100回ずつ廻す。
 膝がちゃんと回るか(膝裏の3点、委陽、委中、陰谷をちゃんと使えるか)がポイント。
 回す、のは見たほど簡単ではない。こんなに後ろですか~?というのが生徒さん達の共通した感想。結局、タントウ功でしっかりとした丹田を作る必要があることが分かることになる。
https://hanakomama.jp/topics/25156/
https://hanakomama.jp/topics/25156/

2018/10/25

 

  帰国してから通常の練習に戻り生徒さんを教えていると次から次へと課題が出てくる。

 劉師父がいとも簡単に普通に、なんの凄さもなくやっていたことが、いざ私達が再現しようとするととてつもなく難しいことになってしまう。

 

 劉師父の動画を見て、どこが凄いのか分からない、とか、動作が地味過ぎて内側(内気)の動きが分かりません、という感想を発したのは5年近く練習をしているベテラン系の男性生徒さん達。

 本当に功夫の高い老師は、普段の練習の時はとても謙虚な動きでどこが強いのか分からない。陳項老師もそうだった。(玄人ではなく一般人から見て)初めから明らかに強そうな人、は、実は弱い・・・というのは時代劇でも同じでは?武術の中でも特に太極拳はそんな感がある(少林拳等の外家拳との大きな違い)。

 私のバイブル漫画の『スワン』の中で、マーゴットフォンティーンか誰かが「技を隠すには技を見せる以上の努力が必要です」と言ったセリフをよく覚えているが、派手に技術をアピールするよりも正確さを極めることの重要性に気づいた真澄が一見地味な踊りでコンクールに臨む姿は印象的だった。

 

 そして今回の師父との練習で、形を正確に作るためには、それを内側から形作るための内気が必要なこと、即ち、外形というのは外枠の線をなぞるのではなく、内側から内気で身体を膨らませて正しい形を作るのだということ、それはあたかも、動物型の風船を膨らまして動物型に仕上げるに末端まで空気を吹き込むようだ、と分かった。だから、内気の量を増やしておかなければならないのだ!(→冒頭写真を参照!)

 一般の人用に広まった太極拳の練習では内気を増やす練習はしない(できない?)から、とりあえず外形を正しく動かす練習をする。これは太極拳の形を使ったゆっくりとした体操になる。

 が、真の太極拳は内気で行う。内気が身体の形、動作を作る。内気が足りなければ身体という風船が膨らまないから関節(骨と骨の隙間)も開かずに動けば動くほど磨耗してしまう。

 

http://korikiku.com/?p=2514
http://korikiku.com/?p=2514

 

 ところで、一週間旅行をして日本に戻って愕然としたのは、私達日本人の萎んだ身体だった。まず、肩がない!

 肩が肩先まで(上腕骨とのつなぎ目、肩ぐうや巨骨のツボまで)意識を通している(=空気を吹き込めている)人はまず皆無(が、外人でも完璧にはできていない、がまし。沈肩が本当にできるのは修行している人だけ・・・?)一般的な日本人は腕が肩井あたりからぶらさがっているような感覚のよう。だから前肩、猫背で貧弱な身体になる。

 

https://www.oricon.co.jp/news/52765/full/
https://www.oricon.co.jp/news/52765/full/

 

 ・・・が、という私自身が若い頃卓球ばかりしていたせいかどうか、えらく猫背で前肩だった。その頃はそんな意識はなかったけれどこも、太極拳の練習をする課程で星飛雄馬の大リーグボール養成ギブスをつけているのではないかという想いを随分しながら(苦笑)、徐々に徐々に肩の位置を矯正していった。それでもまだ劉師父から見れば沈肩が不十分。沈肩とは肩をただひげダンスのおじさんのように下げることではなく、肩関節を全て(幾つある?その全て!)を開けた状態だと分かったのはつい最近・・・。

 

 そして、肩関節、を開くにも内気が必要。中でも、肩の末端まで空気を吹き込むには相当な腹の気(丹田)が必要になる。

 大谷選手やイチロー、松井選手がバッティングの時になぜ揃って頬を膨らましているのか・・・ やってみると分かるが、こうすると首や胸、肩関節まで息が入って膨らみ、重い球に対抗できるような身体になる(本当は肺を空気でいっぱいいっぱいにしている)。

 肩に空気がはいるような呼吸も必要なのではないか?(とすると頭を上げても少し後ろに引く必要あり。携帯見て立っていては肩に空気がはいらない・・・)

 

 ・・・このあたりはタントウ功で徐々に躾けていく予定。

 

 その他、お問い合わせで馬歩の時の足先が前を向くのか外を向くのか、という質問がありましたが、これについては脚の三節の旋回、チャンス―で説明した方が良さそう(文章よりもデモンストレーションした方が分かりやすいはず。近いうちに説明の動画が撮れれば撮って見ます。)

 似たような質問に、手足の順纏、逆纏の関係、というのもありました。

 そして、坐禅の要領。坐禅とタントウ功の要領は同じか?なぜ坐禅をするのか?坐禅の効用は?というような問いもまだちゃんとは答えていないでそのまま。ただ、これは答え出すと本一冊書けそうなテーマ・・・。

 

 丹田呼吸、即ち、丹田を臍の方に膨らまして(前丹田)、それから中間、そして後ろ丹田(命門)へ、というのをやって見せろと師父に言われ写真を撮ったりしていました。

 

 それはそのうちLINEの仲間のページにアップするかどうか・・・。

2018/10/19

 

 昨夜ソウル経由で帰国。

 たった1週間の旅だったのに1か月は留守にしていた気がする。そのくらい密度が高かった(チコちゃんで、大人になると時間が経つのが早くなるのはなぜか?、というのをやっていたけど、まさに子供の時は時間の流れが遅いというその状態!)

 

 後半3日間の劉師父との練習では非常に細部に至るまでチェックを受けたが、ここまで正確にやって初めて真の功夫になるのか、とその正確であることの難しさを痛感した。正確であることには派手さがなく、一見ふつうにしか見えないのだが、いざ真似してみようとするとできない。漫画のスワンの中でもそのようなことが描かれていた場面があったことを思い出した・・・どんな芸術、職人技でも同じだろう。

 

 細かい練習内容については追々にして、48式の動作を直された時に、私の動作がなぜいけないのか?を私に納得させるために師父がやってくれたその動作の実践的用法。太極拳はその動作の実践的意味が分かっていないと原理を外してしまう。それにしても、強い!(強くなければ太極拳とは言えない、と私は師父に出会った第一回目の練習で言われました。”強さ”は武術家(あるいは男性?)にとって一番得たいもの(らしい))

2018/10/17 続き

 

 そして最後はマウリッツハイツ。

  もちろんフェルメールの絵、2点。
 
 この2点を鑑賞するためにデルフトに行ってきたばかり。
 そしたら、なぜフェルメール、そしてレンブラントが光にこだわったのか、分かってしまった!
 
 パリに出てくる前、ちょうど上野でフェルメール展が始まったので、それならマウリッツハイツに行く前に見ておこうと予約をして見に行ってきた。9点集まった!という史上稀なる展覧会、ということだが、貴重過ぎるのか、9点が一つの真っ暗な部屋に閉じ込められ、人だかりの中、監視されながら見る絵は呼吸もままならない。ただ息を呑むばかり。絵はこんな風に鑑賞するものなのかしら?と、狐につままれたような気持ちで会場を後にした。
 が、ここハーグの美術館はこじんまりとした宮殿を美術館にしたもの。明るく柔かな光の中で見るフェルメールの絵はとても自然で、見て微笑ましい気持ちにさえなった。デルフトでフェルメールハウスを訪れた時、初めて彼の作品の中にはウィットがあるというのを知ったが、そういう目で見ると、午前中に見たエッシャーにまで繋がってしまう?、オランダ人はそもそも陽気・・・(ゴッホはパリに行っておかしくなった?)なんてと勝手に想像して可笑しくなってしまった。
 
 ハーグからデルフトへはトラムで20分足らずだが、その途中、線路に並行して水路が流れているのを見ていた。と、あれ?と今更ながら気づいたのは、水位がとても高いこと。オランダは土地が海面よりも低いのだから当たり前といえば当たり前なのだが、改めて見ると、日本なら避難勧告がでかねない水位の高さ。ちょうど午後の日差しが水路の水に反射して明るく輝いていた。
 デルフトも水路が張り巡らされた町。日光が水に反射してとても明るく感じられる。
 そう言えば、私がロンドンで2年研修をした後オランダに移動して感じたのは、明るい!ということだった。緯度は高いし天気も変わりやすいのだが、ロンドンのような陰鬱感、パリのような陰湿感がない。その時は国民性?とか思っていたが、いや、それはこの”水”、水に反射する光のお陰かもしれない。
 そう気づいてハーはりグのビネンホフの前の池を見ると、や。はりキラキラしている。子供の時に好きだったキャンディキャンディの終わりの曲で”キラキラ光る~風の向こうで~”の時に画面に宝石のようなキラキラが出るのがとても印象的だったが・・・似てる。キラキラがさらに目立つ理由は緯度が高いから日光が傾斜して水面に反射するから?
 フェルメールも、そしてレンブラントも、デルフトという当時の大海洋国オランダの最も先進的な場所に集まった画家達がその”光”をどうにかして絵に描き込もうと一生懸命になったのも不思議ではない気がする。ここには至る所に光がある・・・・パリではフェルメールもこうは描けなかっただろう。
 人は時と環境の産物、改めてそう思いました。
 デルフトの風景は柵も何もないので一人ビッタシくっついて見ることも可能。真珠の耳飾りの少女だけ柵があったが、それでもかなり近くで見える。乳母車で普通に見に来られる、それほど絵が身近にあるのは羨ましい。
  
2018/10/17
 パリに戻って練習始まったら既にオランダが遠い過去になりつつある....
  とりあえず写真だけアップ
   2日目夜明け前に(といっても7時!)ホテルで自転車を借りて昔住んだ家、そしてその向かいに広がる森(クリゲンダールの森)に行く。これがこの度の最大の目的。
   出勤の前によくジョギングをしに行った....
   太極拳の練習をすることさえ不自然に感じられた森の中。キリがない感動でいつまでもここにいられる、し、いたい。けれどもその日の中で回らなければならないところがまだある....
   後ろ髪を引かれながら自転車を飛ばしてホテルに戻る。その後、贅沢な朝食→エッシャー美術館→フェルメールの故郷デルフトへ→フェルメール ハウス→ハーグへ戻る  生ニシンのサンドイッチ!
   
2018/10/14
  思い出のハーグは思い出以上だった。
  20年以上経っても変わらない街に対して自分自身は本当に変わったと再確認。見る目が違う。
  何故か格安で泊まれた憧れのホテル デサンデ。ここは昔から憧れていた格式の高いホテルだった。当時既にアメリカ系列の高級ホテルがハーグに進出して来ていて偉い人はそちらに泊まっていたが、私は曽祖母の兄にあたる元東京芸大の総長の正木直彦氏の自伝で、1900年のパリ万博時に三年間パリに派遣され滞在していた期間にハーグを訪れこのホテルに滞在した際、お金が全然足りなくて大使館に助けて貰ったとエピソードを知るに至り、いつか泊まってみたいとずっと思っていた。
  今回ハーグで一泊するのにネットで検索したら、何と値段が通常の五分の一以下、パリの三つ星程度の値段で泊まれる。これは絶対に行かなければ、と心踊る。
  果たしてホテルはクラッシックで、でも重苦しくなく、ゴージャスだけどフランスのような煌びやかさがなく、私が最も好きなタイプ。家の部屋がこんな風だったらこんなガサツにはなっていなかった....自分の荷物を部屋で開けてひっくり返した途端、部屋の格調高さに"ヒビ"が入ってしまったのには愕然とした。いや、私がこの部屋に入った時点で既にヒビが入っていたのかもしれない....。朝の朝食時にホールに集まった人々は全て西洋人。中国人が1人もいない場所なんて今時滅多にないのだけど....
  格式高くてもフレンドリーで素朴さが残るのはやはりオランダ人、オランダの風土だからだろう。
  自転車もすぐに貸してくれました。
  これで今回一番行きたい場所に行ける!
  下の写真、ホテル、そしてホテル周辺の光景。
思い思いの自転車姿の人々が目立つ中、東インド会社の名残りがちらほら....エキゾチックなアンティーク、ブティックのマネキン、夜の街でポーズをとる鮮やかな色の女性、そして夕食に食べたのは、やはりインドネシア料理♪
  
2019/10/13 その四
 ロッテルダムからハーグへ
 車内→市内中心 ビネンホフ→ホテル デサンデ(インドホテル)
2018/10/13 その三  
 パリからハーグへ。
 その途中。
電車出発して1時間半でBruxelles。落書きだらけの電車が隣を走る。
そしてなんか暗い駅....と思ったらアントワープ。それっぽい感じ。
そしてタリスをロッテルダムで降りる。ここで国内線に乗り換えるのだけど、この先の作戦練るため暫し駅で休憩。
国内線の切符をどう買うのか、トイレはどこなのか、軽食はどこで取れるのか....構内をうろうろ。
2018/10/13 その二
以下LINEへの投稿
 昨日の疲弊極まり熟睡。7時ぴったりに目が覚めました。時差ボケ、ゼロ?
 午前中北駅に向かってそこからオランダ行きの新幹線(タリス)に乗る。
 ホテルから北駅までスムーズに行けば40分、だけど何が起こるか分からないパリの交通。
30分は早めに、と1時間早くホテル出ましたが最初のトラムの駅で、あ〜〜。
   トラムいつ来るか分からず(苦笑)
掲示板になんて書いてるか分からなかったけど、皆が待ってるから来るんだろうと信じて待つことにした。
  
   その後不思議なほど順調に北駅に到着。中国人が私にロンドンに行くユーロスターはどこだ?と聞いてきた(苦笑)
人助けしてる場合ではないのだけど。
   私の電車の乗り場はまだ決まってない模様。早く着いた!
  どこかで待とう....と辺りを見回したら人が箱の上に集まって座っている場所あり。
   
2018/10/13
 昨日パリ入り。
空港では市内行きの電車のチケットを買った直後にロストバゲッジのためパリ行きの電車は全てキャンセル、とのアナウンス。駅中が大きなスーツケースを持った人々で大混乱。別ターミナルからパリ行きの電車が出てるという情報が入り、そのターミナル駅へ移動する電車のホームに人が殺到した。私も遅れまいと頑張りながら、疎開するのか? と第二次世界大戦やロシア革命の頃の、電車に人がしがみついて乗っている画像が脳裏に浮かぶ。
  汗だくで電車に乗り込み、どうにかパリ市内に入りホテルに着いた時には着陸から4時間以上経っていた。
  いつもながら当てにならない交通....
  まあ、人生は本当はこんなものかもしれない(苦笑)
  

2019/10/10

 

 最近一番私の中でヒットした書籍がありました。

それに関連した10/8のレッスン後のLINEへの投稿・・・

 

 『今日は平日、日曜、水曜の生徒さんがちらほら集まったミックス感のあるレッスンでした。最初どこに焦点を置いて良いのか戸惑いましたが、やはり基本中の基本、最も難しい、"腰"(中国語の腰!)を使う要領。

太極腰、という言葉もあるくらい、太極拳はこの腰(=後丹田、命門、腎)が要。これ無くしては太極拳になりません。

 

会陰や湧泉を引き上げるのはそのための要領ですが、それを更に極端にやると、爪先立ち、トウシューズで立った感じです。

今日は爪先立ちからやって、その"腰の高さ"を落とさないように片足の足裏をそろそろ降ろして虚歩になり、さらには虚歩の足の裏までも下げていく、そんな練習をしました。

結局は、薄皮一枚!

 

薄皮一枚、という言葉は最近目にしたある本でうまく説明していました。

太極拳の要領が、薄皮一枚だ、と一度でも身体が分かったら、その後の練習がとても楽になります。』

 

 『身体の使い方が太極拳と同じ観点から書かれている本です。凄い!と思って見たら、同じ学部卒....先輩なのか後輩なのかは分からず(苦笑)

 

 私がこのくらい明確に説明できれば・・・と羨ましくなるような本ですが、この本の内容と太極拳の原理がぴったし合うことが、生徒さん達にもピンと来るかしら?

 太極拳の原理は日常生活に生かせなければ太極の理念に沿わない。今時太極拳で本当に闘おうなんていう人はいません。本当の太極拳の醍醐味は身体、心、その先(超越!)へと繋がって”真理”に目覚めていくところにあるはず。それにはまず出発点の身体を正しく理解しなければならない。

 と、まずは身体の使い方の”真理”からスタート。という意味で、この本やゆる体操の高岡氏の初期の書籍などは太極拳を学ぶ私にとってもとても参考になります。

 

 今ここでこの本の中身を紹介する時間がないので(旅行の準備をしなきゃ!)省きますが、重要なポイント何点かは近いうちに極拳に引き戻して説明できたらと思っています。

 大事なキーワードに、”薄皮一枚”とか、”トンボの眼”とか”身体は水風船”とか、”感覚器官の緊張をとる(眼、鼻、耳、口等)”とかがありますが・・・・

 そうしたら、以前から不思議に思っていたこれらの人達の口の謎が解けました!

 

 

 

2019/10/10

 

 私の問題意識の移り変わりはとても早くて生徒さんもなかなか付いてこられない(苦笑)

 →最近のLINEの投稿を少しまとめてアップしました。

 時間の節約のため、ほとんどコピペです。 →ラインの仲間のページへ

 

 

2019/10/10

 

 明日には日本を発ってソウル経由で久しぶりにパリの師父のところに行く。ついでに若い頃暮らしたオランダのハーグに行こうと欲張ったのが混乱の原因。短期間の旅行でどう予定を詰めるのか目下奮闘中・・・。

 オランダと言えば・・・

 先週上のでフェルメール展が始まったばかりだが、オランダにいた20代の頃の私は絵画に全く興味なし。ゴッホもフェルメールもどうでもよくて、ひたすら平らな路を自転車で走り回り、お気に入りのカフェで定番のアップルパイを食べ、朝は林の中を走り、昼休みは初めて飼った子猫にえさ(牛生肉のミンチ!)をあげ、ついでにスポーツクラブに行って泳いだり踊ったりしていた。明るい水色の絨毯の弾き詰められたアパートの部屋の中でオランダのしっかりとした明るい色の家具に囲まれて暮らした思い出は、ロンドンやパリでの暮らしよりもトーンがずっと高く、私の人生で最高ランクに位置する。何もかも達成しピークに達したと同時に絶望して辞職を決めたのはこの時。オランダがなかったら私はぐずぐずと仕事を続けたかもしれない。仕事には上下はなくて、大使であろうが靴屋であろうが自分の好きなことをしなくてはならない、と、当たり前のことを普通に教えてくれたのはこの国だった。自然でいることの心地よさ。自分でいることの心地よさ。上下関係がないことの心地よさ。男性も女性も大きくて男性と女性が身体的にも対等に見えて、日本のような陰湿な性感覚がないさっぱり感。オランダ人の開放的で明るい進取の気質。そんなオランダの自由さ、ナチュラル感に私はピタッとハマり、いつも間にかそれまで抱えて来た日本的な悩みが取るに足らないものになるくらい勇敢になっていた。

 その頃の仕事は化学兵器禁止条約の発効前の準備開合に出席することだったが、会議場の大きな円卓について真っ赤な顔をしてったいるのは決まって私とオランダとドイツの外交官だった。真冬の零下の時でも車を使わず会議場まで自転車を必死に漕いでくる。環境に優しい健康的な暮らし方を志向する国。私はエコロジストではなくて単に車嫌いというだけだったが、会議場で赤い顔の三人が顔を見合わせて笑っていたのをよく覚えている。

 オカルトに興味を持ったのはロンドン+オランダ。

 週末のアンティークマーケットはミステリアスな物を探しに良く足を運んだ。開放的な国だけど、どこかに敬虔さ静謐さが垣間見られたりするのは、先日フェルメールの絵を見てそうか、と腑に落ちた。

 ロンドンにいた時に大学の教授がイギリス人が唯一尊敬する国はオランダだ、と言った意味はオランダに住んでよく分かった。ものの考え方、開き具合がイギリスよりも更に先を行っている。北欧は行ったことがないけど行ってみたい地域。個人が個人としてしっかりとものを考えられる、流されない、といったところは日本と真反対。なぜそうなるのか・・・と歴史や生活の仕方を調べていけばそこには因果関係があるのだけれども、その頭の理解に止まらず、そこを実際訪れ自分の身をそこに置いてみるとその場の”気”を全身が掴むから頭の理解が一気に深まる。そういえば、以前カラマーゾフの兄弟を何度トライしても読めなかったのが、一度サンクトペテルブルクに行ったらどのセンテンスもありありと情景を示す活きたものになって、面白いほど夢中になって読めてしまったという経験がある。ただ行っただけでこんなにも理解が進んでしまうのか?と自分でも驚いたが、おそらく、見知らぬ土地の一人旅で全身のセンサーがビンビンに敏感になってその土地のあらゆる情報を知らない間に吸収してしまったのだろう・・・覚醒状態か?。慣れてしまったり、人と一緒にいると、そうはいかない。

 いつもフレッシュでいられるなら、毎日が驚きの連続!(→子供!)なのだけども、歳をとってくると何をみても感動しなくなる。旅行に行くのはそのフレッシュ感を呼び戻したいからなのか?

 

 それにしてもパリは観光シーズンなのか、手頃なホテルの空きがない!

 ただ1泊のオランダ旅行の計画に没頭していたらパリのことがおざなりになって今になって焦ってる・・・明後日から泊まる場所、見つけなければ。思い出に浸ってる場合ではない!

 

 

2019/10/6

 

 先日、坐禅とタントウ功の要領は同じですか?という生徒さんの質問あり。

 実はタントウ功は坐禅をしてみるとその要領がはっきりする。クラスではタントウ功を教えるために坐禅をさせてみたりする。

 また、別の生徒さんとビデオレッスンしていてタントウ功の要領、気を溜める状態に入るまでのプロセス、溜め出してから先のプロセス、が今一つ分かっていないのだなぁ、と思った。そういう私もやっと全体像が見え出したばかりなのだから無理はない・・・。

 全体像を言ってしまうと自分の位置するレベルでの練習に集中できない可能性が高いから、通常師は先のことは話さない。ただ今すべきことを言うだけ。次の段階に移行できるレベルに達したら、しらっと、その次はどうしろ、と言う。あら?これまでさせてきたことと違うじゃないか?と思うこともあったりするが、その先に進むと、なぜ師がそこで支持を変えたのかが分かる。師の言葉、指示の意図がはっと分かるまでに2、3年経っていることもしばしば。本当はそんな練習だ。

 ただ日本で普通に暮らしながらそんな練習をするのはなかなか難しいから、私はできるだけ生徒さん達を最短であるレベル(理が分かって自分で練習ができるようになるレベル)に達せられるようにと思って、頭の理解の助けを使おうとしている。

 坐禅とタントウ功の比較、という角度、そしてタントウ功のプロセス、進度のレベル分け、この2点についてきちんと文章でまとめる必要があるかもしれない、と思い始めた。が、少し荷が重い(苦笑)

2019/10/2

 (グループLINEへの朝の投稿)
今日は清々しい練習日和。
最近教えている内功の中に、日月旋転功というのがあります。心と肺の気を回すものですが、これには
肋骨の解放→肩甲骨の解放→肩関節の解放→肘の位置の新たな認識→上腕"肱"の意識の目覚め→腕に対する誤解が解ける
そんな働きがあります。
これを呼吸面から見ると、肺にいっぱい空気を入れる重要さ→腹式呼吸に対する誤解、というのが見えてきます。
たまたまYouTubeでこんな動画に今朝巡り合いました。
この人何者?私より日本語上手。
秋は空気が澄んで肺を養う時期。
参考にしてみて下さい。
https://youtu.be/VG31bqKCuJE

動画適宜アップ中! 

YouTubeチャンネル『スタディタイチ』→こちら

『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

⭐️どのレッスンも単発参加OKです。お問い合わせへ

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

お問い合わせはこちらから

 

2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

発表の抄録、資料はこちら