2019/5/26
その気が内から広がって緩めているという感じもあるのですが、合ってるのでしようか?
松は外からゆるめることではないのではないか?』
2019/5/15
実は師父来日中の御苑練習時に大ニュースがあった。
なんと主人の次の赴任先が、またまたフランス、パリ!
7月にはソウルから直でパリに移るという。
「次はパリ・・・!」
練習中の師父と生徒さん達にそう伝えた時の皆の驚いた顔。
運命はなんて皮肉なほどにドンピシャなのか・・・。
ここ数年、正確には3年前に黒猫の死に直面してから死に対する考え方の大きな違いで私と師父の間には大きな溝ができた。いや、師父は溝ができたとは全く思っていなかった。私一人が溝を作った。死に対する太極拳の無力さを痛感し、そこからヨガや仏教、日本の親である中国の親、まで遡って試行錯誤した。ぐるぐる回って回りきって、やっと太極拳に戻ってきそう、となったところで師父の招へいに踏み切った。
3年間私がぐるぐるしている間に師父の功夫はさらに磨きがかかり、一度手は届かなくとも見える範囲まで縮まったと思った師父との距離はまた見えないところまで広がっていた。太極拳を教えながらも何を教えているのか分からくなるほど突っ込んでしまう私の癖で生徒さん達が大道を外してしまうのではないかと心配になり師父を呼んだことは大正解だった。武術家とはどういうものか、太極拳とはどういうものか、が生徒さんには分かったと思う。私は武術家を紹介する仲介者なのかもしれない。今は中国でも真の武術家を探すのは本当に難しい・・・武術を教える先生はたくさんいるけれども。
主人がパリに赴任するということは、私はもう一度師父について学べ、ということだろう。行かなくてはならない。ニュースを伝えた時の生徒さん達の表情は行ってしまうことを察知した表情だった。師父が来てせっかくやる気に火がついたのに・・・・。師父の表情は嬉しさと共に残される私の生徒さん達に対する心配で、印象に残るほど極めて微妙だった。
振り返れば2006年から2009年の三年余りを毎日師父との練習に費やし、その後帰国して教え始めちょうど10年になった。自分一人の練習に集中してオーバーホールするのにちょうど良い時期だろう。まだ教わってなかったことも学ぶことができる。
うちの娘も来年か再来年にはパリのファッションスクールに留学することを考えていたから好都合。
主人も激務だった韓国の任務から離れ少しはゆっくりして身体を休めることができるかも(?)しれない。
とても意外な展開だけれども、そうでてきたなら、そうするしかない。
知らせの後で犬の体調が崩れて私がいつ渡仏できるかが不明瞭になったけれども、行くべき時になったら行くのだろう。いつでも動けるように準備はしていかなければならない。
・・・と、そういうこともあって、練習のメモ的なものを書く気が湧かないまま一か月が過ぎた。箇条書きだけでもしておかないと流れてしまう。
この一か月間の練習で気づいた点の中には太極拳の核心、松、と関係するものが多い。
巷の太極拳で誤解されていることがはっきり分かった点
➀前クワを緩めるとは? 前クワの松の意味
②腕の松とは?
(松は脱力とか力を抜くとかではない。中国語で言えば 緊ー松ー懈。
緩んでも懈してはいけない。)
③拘束丹田(吐いて固める丹田)から磁力のある丹田(広げた吸引力のある丹田)へ
丹田で吸えないと気はたまらない。拘束丹田は吸引丹田を作るための準備段階。
黒い固めた丹田→白抜き丹田 にするにも、”松”が必要。
これが丹田呼吸になる。
④頭の松 検証中
⑤上腕と太ももの関連 これは各論
⑥女性は会陰を使わない(使えない)
⑦静功における止観法 何を止め、何を観るのか。
まだあったような気がするけれども思い出したのはこんな感じ。
2019/5/9
師父の来日中学んだことを整理する時間のないまま時間が過ぎている。身体で理解したものを言葉にして表すのがとても面倒くさく感じる今日この頃。
師父が去ってから飼い犬の肝臓病が発覚してあっという間に容態が悪化、連休中は生死を彷徨う日が続き奇跡的に命をとりとめた。その間、私達動物の”命”、生きようとする、意思よりももっと深いところ、私達にはどうしようもない根っ子のところにあるものの身体への執着、をまざまざと見ることになり、これが仏教の言うところの渇愛、存在欲、これを断ち切るためには本当に内側の奥の核心部分に到達しなければならないなぁ、丹田はその表面の入り口に過ぎない、などと自分が太極拳を何故学び始めたのかを再確認していた。
太極拳は生命力をアップすることを目標に練習するが、実はそれがいずれは如何に安穏に身体から離れるのか(如何に安らかに死ぬのか)ということにつながっていく。その道筋が見えてきたのは大きな進歩。死に向かうことに怖れがなくなれば他に恐れるものはなくなるだろう。
いろんな話は割愛して、とりあえず、生命力アップにも、身体のアライメントを整えるにも、自分の内側に入るにも欠かせないタントウ功の要領をまとめた図を紹介。これは今回師父に学んだものを私が頭で整理して図化したのだが、師父に見せたら、「聡明だ!」と笑って褒めてくれた。
このタントウ功はある意味秘伝。急速冷凍で効果を出す。きついけどやりがいはある。百会と会陰を最初につなげてしまうところがすごい。
バナナはまだ気の操作をしていない段階。
実際には真ん中のナスが第一段階。
前クワを緩めた右のナスが第二段階。
本当はその後に前クワを外さないで後ろのクワに坐れるところまで丹田の気が増えた段階が第三段階。ここまでいけばタントウ功は完成。
まずは第二段階までいって、この状態で丹田に気を溜めていく。
細かい説明はレッスンの時に。
2019/4/24 <檪ちゃんと手を合わせる>
一昨日の櫟ちゃんとのレッスンです。
お母様がFBにうまくまとめてアップして下さっていました。
コメントも正確です。
https://www.facebook.com/yuniko3/media_set?set=a.2194248420652707&type=3
劉老師が来た時に拍打功を学びました。
腕の力を抜いて両手をパーン!と叩く、最低300回、という単純な功法ですが毎日続ければ思いもよらない効果が出る。(瘀血が手のひらに紫になって出てくる?)
櫟ちゃんは両手を合わせることがとても難しい。自分で自分の身体を触って確かめることができない。ので、私が代わりに彼女の掌に掌を合わせました。
掌を合わせる、労宮はいとも簡単に丹田と繋がる。哲学的、抽象的な意味ではなく、本当に繋がるのが分かる。太極拳の防御が攻撃になってしまうからくりも防御の時に自分の手が相手の身体に触れることで丹田を効果的に使えてしまうから。労宮と丹田の繋がりがわかってしまえばいつでもどこでも掌使って自分の丹田を鍛えられます。
2019/4/18
劉老師による弓歩の指導の一場面。
以下はこの動画についてのLINEへの書き込み
劉先生の弓歩のレッスン。これも一種のタントウ功。
まずは例によって胸を入れさせて背中を開かせる→気が腹の方に落ちる。
その後、「お尻に座れ! 」と言ったのだけど、Oさんは身体を落として膝に乗ってしまった。先生は、「違う、違う、身体は下に落としてはいけない、気を下に落としなさい!」と指摘。
そこで先生は、身体を落とした状態と身体を落とさずに気を落とした状態を両方やって見せてくれてるのだけど、画面からはみ出てしまってる!
(身体を降ろすと膝に入る。)
「身体を下げずに気をお尻まで降ろすと、ここ、クワが松する。」
というところから劉先生の弓歩の姿が映っています。
これができれば前に移動しようが後ろに移動しようが問題なし。
”身体を落とさずに気を降ろす”
これが分かってできれば太極拳の門に入っている。
太極拳は門に入るまでが難しい。入門まで導くのが師の役割とも言われています。
私の生徒さんの中ではHさんが門に入ってる。その他数名が門にまさに入ろうとしているところ....劉先生の評価です。
来春までに入門済者を10人は作りたい♪
2019/4/16
劉師父の4日間のレッスンが終了し、今日師父は鄭州に戻りました。
やはりさすがの一言。
生徒さん達は本物の武術家とはどういうものかが分かったと思います。
皆ものすごい集中力で学んでいました。
師父の気場に包まれて、知らず知らずのうちに引き込まれていく。
気の量が多い、気場が大きい、ということはそれだけ人々に影響力を与えられるということ、太極拳はただの拳を学んでいるのではなく、道を学んでいるのだということを改めて思い知らされました。
中正不偏、中庸、太和を身体でできるようにしながら次第に心もそうなっていく。身体が心になる、身体が心である、心が身体である、それがどういうことかは(頭で考えると分からずとも)師父に接するとこういうことなのかと理解できたのではないかしら?
別れ際に涙ぐんでいる生徒さんもちらほらいました。
毎日やらなければならない練習を師父は何度も繰り返し繰り返し私達に言いました。
静功、坐禅、タントウ功、拍打功は特に強調していた功法。
師父との練習についてはまた書きます。
2019/4/9
2019/4/5
昨夜海外の生徒さんとビデオレッスンをしていてまたまた驚く言葉を聞きました。
「先生、とは言っても、太極拳は膝の裏を伸ばしてはいけないんですよね?」
弓歩、重心移動の話。
えっ?
そういわれてみたら、彼女が現地で習っている楊式太極拳以上に私の練習している混元太極拳の人達にわざわざ後ろ脚(蹴り脚)の膝の裏を曲げている人が多いような。
馮志強老師の真似?
丹田の作り方とも関係あるけど・・・説明はまた今度。