2019/10/30
第7式斜行を使って弓歩での体重移動を説明してもらいました。
丹田を使って常に中正を失わず体重移動できるようになるには相当な練習が必要ですが、それに少しでも近づくようにタントウ功の個々の基本の要領を見直しながら練習し続けることが大事。
関節は回る。関節は折り曲げない。普段の歩行でも膝は回転(前進なら内回転)している。チャンスー、螺旋は人体のとても自然な動き。
(以下はLINEで書いたコメント)
下半身の動きは 拧腰旋膝(順、外回転) 拧踝旋膝(逆、内回転)
どちらも膝は踵や腰の捻り回転につられてぐるっと一回転回る。
歩く基本でもあるけど、膝や太腿には力を入れない。
膝や太腿で踏ん張らない。腰と踵で踏ん張る。
これができたら太極拳の真髄を掴んだのも同然
(なぜならそれをするにも丹田が必要....と分かるはず)
2019/10/28
劉先生に習っている様子を動画に撮ったものは今後ここにアップします→「パリでの練習動画」
私の生徒さんのために、と動画を撮ったのですが、撮ってみると実際には私の復習のための動画になってしまったようです。套路は奥が深い。基本功を実践にまで結びつけるのはまだまだだ(苦笑)。
2019/10/28 <お問い合わせの質問に対しての回答>
先日、このHPの中の『站桩功の考察』の記述についてお問い合わせのメールがありました。
質問は、「無極タントウ功
この部分は随分前に書いたもので私自身それ以来読み直していない。馮志強老師のテキストの記述を参照して書いたから間違えてはいないはずなのだけど・・・と読み直したら、確かに2.の虚霊頂勁と6.の松胯 屈膝、二箇所に”膝と股関節を緩める”という記述がある。
ふ〜ん、文字をよく読んでいるなぁ、と感心しつつも、この記述はその状態になった時(虚霊頂勁の状態になった時)は身体の各部はこのように調整されていた(膝と股関節が緩んでいた)という経験から書かれたもの、言い換えれば、Qになった時にはPだった、という身体の感覚を書いたもので、必ずしも、PをすればQになる、というものではないからタチが悪い・・・と太極拳を文章で学ぶ難しさを思い出してしまった。
ともあれ、虚霊頂勁をするには、まず、まっすぐ立って頭のてっぺんまで気を上げて(頂勁)頭を”実”にした上で、それから頭に上った気を下に引き抜いて頭を”虚”にしなければならない。そのためには少し股関節と膝を緩めなければならない。膝と股関節を伸ばした状態では気が頭に上ったままで”実”のまま。これではその先の丹田が作れない。
(虚、霊の深い意味、頭頂の上、外にある2つのチャクラについては割愛。余談ですが下敷きで頭頂をこすってその後下敷きを引き離すと髪が立ち上がるけど、その時の感覚が虚霊に近そう。)
6の松胯屈膝はその上5の要領で中丹田に気が落ちたところを、下丹田にさらに押し込む際に必要となる要領。2の膝と股関節の緩みはちょっとしたものでよいけど、6では本格的に意識的にさらに深く行う。この時くれぐれも会陰を落としてしまわないように。会陰の引き上げを失って股関節を緩めて膝を曲げると丹田が形成されず、(丹田の浮き袋がないので)膝や股関節に負担がかかりそれらを痛めることになります。6の股関節と膝の要領は、5で中丹田を作ったのを前提にそれを失わないように(会陰を引き上げ続けて)慎重に気を下丹田に沈めていきながら行います。
2019/10/23
あれから二週間弱。やっと体力(気の量)があの日直前の状態に戻った。
師父に一ヶ月分の功力(功夫の力、量)を失ったとがっかりさせた出来事、それは、ある夜主人の仕事の会食に付き合った時、うっかり歯医者で処方された抗生剤とお酒を同時に服用してしまったことで引き起こされた。
今月初め、一本残っている親知らずが動きだしているのか奥の歯茎に違和感があり歯医者に行ったところ、CTやレントゲンをとった上でそれでも原因が分からないということで、とりあえずしばらく抗生剤を飲んで下さいと言われた。処方された抗生剤はトローチと同じくらい大きく、見た瞬間、こんなのを飲んで良いのか?と疑問に思った。けれども、私に向かって、何度も「食事をしている時に服用するのですよ。食前でも食後でもありません。」と念を押した歯医者の顔が何度も頭に浮かんで、仕方がないかなぁ、と嫌嫌ながら飲むことにした。
飲み始めて3日目、主人がこちらのアメリカ大使館のカウンターパートの夫妻(女性が外交官、男性は主夫、と言っても米大使館では配偶者の仕事を大使館内で見つけて働けるようにしてくれるらしい。)と日本食レストランで会食をするとのことで同行。が、抗生剤の服用のタイミングが気にかかる。どうしよう?食事の間に気づかれないように飲んでしまわなければいけない。歯医者は食前でも食後でもいけないと言ったのだから・・・、と考えたあげく、ズボンのポケットにトローチのような抗生剤を裸のまま忍び込ませて出発した。
日本食が好きだという相手の旦那さんに合わせてレストランを選び、コース料理を頼んだ。ワインと日本酒 計4種のペアリング付き。どうせ私はあまり飲めないからどれも一口ずつだけ・・・と、会話と食事が始まった。会話がこなれてきた頃、隙を見てポケットの抗生剤を素早く口に入れて飲み込んだ。これでOK♪ と気がかりが減って一安心。終了したのは23時でそれからタクシーを呼び店の前で立って車を待っているその時だった。何だか頭がぐるぐる回っている気がする・・・料理があまり美味しくなかったからかなぁ、なんて今思えば酷いことを考えたりしながら壁にもたれてどうにか立っていた。早くタクシー来ないかなぁ〜。
やっとタクシーがきて急いで乗り込む。お店のあるオペラから内までは自転車でも15分かかるかかからないかの距離。が、パリの道は一方通行が多く、大通りに出るまでにタクシーは細道をぐるぐる回る。そのうち私の目も回ってきた。ただでさえ車に弱くすぐに酔ってしまうのにこんなにぐるぐるしたらダメかも・・・やっとオスマン通りに出てギャラリーラファイエットが見えた時にはいつもの車酔いの程度を超え、頭の中の平衡感覚がなくなり三半規管が機能していないのがわかった。もうダメかも・・・、と隣の主人に言って、急いで車の窓を全開にする。そこからはデパート街の照明と車のライトが横滑りする夜の暗がりの中に頭を出して何度も嘔吐を繰り返した。タクシーの人に申し訳ない・・・どうしよう・・・と思いながらも身体の奥から込み上げて来るのを止めることができない。家はすぐ近くなのになかなか着かない。そしてやっと着いたけれども立ち上がれない。立ち上がると頭がくらくらで倒れてしまいそうになる。まるで酔っ払いのようだ、運転手は酔っ払いだと思っただろうなぁ〜、とその時やっと、もしやあの薬?プラス酒?と朦朧としながら気づいた。
主人に助けてもらいながらどうにか家に入り、玄関先でまずは服を脱ぎたい!とよそいきの服を脱ぎ捨てた。その中には前日に買ったばかりの黒のベルベットのジャケット。日本ならメルカリやヤフオクで安く買うのに・・・と悔しい思いで(?)定価で買ったイタリアのジャケット、きっと汚してしまったに違いない。おニューなのに。が、服にこだわってる場合じゃなかった。とりあえず着替えて歯を磨く。それだけでも大変なことだった。フラフラでベッドに倒れ込んだ。そうだ化粧・・・もう一度起き上がってふき取りだけやる。これが限界。
一晩寝れば治るだろう、と思っていたけど甘かった。水を飲んだだけでも吐いてしまう。下からも出てしまう。師父に連絡をして事情を話して練習に行けない、と言ったら、できればナイロン袋を持って練習に来なさい、という。たくさん水を飲ませて吐かせたいらしい。でも立ち上がるとふらふらで外出どころではない。師父の提案はスルーする。大使館の医務官に電話をして事情を話したら、吐き気止めと胃薬を出してくれるという。毎度のことだけど、師父の言うことと医者の言うことは相反する。師父は吐いて全部出せ、と言う。医者は吐かないように薬を処方してくれる。私の直感は師父を支持。そう、吐くことを恐れてはいけない。身体の自助作用なのだから。
吐くものがないのに吐くと緑色の液体しか出てこない。もう空っぽなんだと分かる。
その日は朝も昼も夕方も、2、3時間づつ、ずっと寝ていた。その夜も寝倒した。
三日目、まだ恐る恐るしか歩けなかった。前日は何も食べられなかった。そろそろおかゆのようなものは食べられるかと口に入れるともう嘔吐感がなくなっていた。良くなっている。が、まだ恐る恐るしか歩けない。その日も練習はお休み。
その翌日に公園に行く。私を見て師父が、また痩せたなぁ、と言う。体力なくなると口数も少なくなる。余計なことも考えないし、余計なこともしない。自分がとても静かな人になった気がする。肉体の力が落ちた分、相対的に意、肉体の中にある自分の意識、の力が強くなったよう。いや、本当は肉体の力の減退とともに意の力も落ちているのだけど、肉体の力の激減に比べたら意はそこまで急激に失われていないので強くなった気がしているのだと自覚ができる。修行で苦行をしたり断食をして肉体の力を失わせると一時的に意が強くなって悟りに近くなった錯覚を与える、というカラクリと同じだ・・・。
余計なことができないから余計な反抗もしないし、とても従順な私。
師父は私以上に心配していたようだ。というのは、なんと、中国にいた頃、抗生剤とお酒の組み合わせて知り合いが3人命を落としていたから。(抗生剤を点滴や注射で入れて、そのあと会食で酒を飲んだという例。皆男性でお酒もそこそこ飲んだらしい。)私は全部でグラスに半分くらいのお酒の量だったけど、あの時、料理が美味しくてお酒がもう少し進んでいたら、本当にやばかったのかもしれない。
その後はいかに体力を戻すか。食べる!
師父は私のために牛テールのスープや牛すじ、雑穀のおかゆ、そしてウコン丸ごとを用意してくれた。食べるのがこんなに大事だと思ったことはなかった。が、一週間、身体の気の損失を補う食品を多くとっていたら、みるみるうちに回復。いろんなことに対するやる気も戻ってきた。ハァ〜。
昨日は踵のホールドの良い新しい靴で師父と転腿をしたら、自分の脚の力がこれまでになく強くなっているのにびっくり。私が優勢?なんて錯覚をしたほど。
身体が弱って気の量が減るとどんな症状、どんな感覚になるのか、身を以て知った一連の経験でした。
もう同じ間違いは繰り返しません・・・薬も酒も薬=毒。触らぬに越したことなし。
2019/10/7
2019/9/27
この10日間も毎日毎日新たな気づきがあったのだけど、言葉にしてみようかと思ったその時に言葉に変えないと言葉にする契機を失い記憶は自分の身体に残って行くのみ。真のマスターはブログなんて書かないし、HPを開設するはずがない。見せてくれるかせいぜい短い単語で示してくれるのみ。そのくらい言葉はこの世界から乖離している。
が、もし誰もその体験を言葉にしなかったならば、本当に貴重なものは伝達することなく消えてしまうだろう。言葉にしても本当には伝達できないことを知りながら敢えて言葉という記号に変えて伝えようとする努力、それは何も太極拳に限ったことでなく、まさにお釈迦様や老子がそうだったのだと、沈黙に浮かぶ意識的な言葉の美、というようなものがあるのを知る。
とは言え、私にはまだまだそんな言葉の使い方ができないので、ああやこうやとまどろっこしい説明をするしかない。言葉にする前には頭の中に画像があるのだが、もしその画像がそのまま頭の中から取り出せたら言葉にするよりももっと分かりやすいのに、と思う。画像を言葉にする作業は立体を線に、あるいは繭を糸に変えて行くようなもので、リニアに変えてしまった瞬間にそこに時間の流れと因果関係が現れてくる。本当は全部同時なんだけど・・・いや、全部同時にに違いない!
師の中には全てが同時に現れているのだけど、弟子はそれを分けてい一つ一つ学んで行くしかない・・・
で、今週は東京に残した生徒さんとの間で、太極拳の一つの大事な要領、『円裆』(丸い股ぐら)が問題になったので、それについて劉師父と話をした。
円裆の反対は尖裆。股が三角形でとんがっているのはいけない。
生徒さんは円裆を集中的に練習してたら腰が痛くなってしまったと私に連絡をして来た。
ああ、股を開こうとして、会陰を引き上げ(提会陰)仙骨を入れる(斂臀)を忘れていたに違いない、とピンと来た。以前ヨガを真剣にやった女性に腰痛の人が案外いるのに驚いたことがあるが、それも同じこと。股だけ開いて提会陰と斂臀を忘れると、会陰から腰への気の繋がりを失うので腰が弱くなってしまう。180度開脚で内腿の筋だけ伸ばしてもなんの意味もなく、会陰を引き上げ腰からつなげて骨盤の中から股関節を回転させて身体を割らないと使える身体にはならない。
この辺の、円裆、松胯、提会陰、斂臀、命門を開く、塌腰などの一連の要領を総動員して繋がらないと想定された効果が出ないどころか身体を痛めてしまう。一つの要領をクリアしたら次の要領の練習、という訳にはいかないのが太極拳の面白さ。一つの課題に長い間取り組まず、適当に回しながらぐるぐる様々な課題を練習して行く。AのためにはBが必要でBのためにはCが必要・・・最後にZのためにはAが必要、と戻って来てしまうのだから。いや、AのためにはBが必要でBのためにはAが必要、と隣り合わせでもそんな風になってしまっていることもしばしば。鶏が先か卵が先か、そんなことばかりが起こる。リニアなものはないと思っていた方が安心。
(似たようなことで、もっと後ろ後ろ、とおもったら、前だった、とか、もっと左左、と思ったらもっと右だった、とかそんなこともしばしば起こる。思ったのと反対になる。感覚と客観のズレもしばしば起こる。)
円裆について劉師父の説明を動画に撮りました。
これを見てなぜ円挡にしなければならないのか分かるかしら?
円裆にしないと気が下(会陰、骨盤底筋)まで沈みこませられない。
が、逆にいうと、気を下に沈み込ませると円裆になってしまう。
円裆は正面から見て馬に乗っている時のように股座が丸い、というだけでなく、後ろから見ても、またを下から覗いても丸い。そのためには会陰の引き上げが重要(提会陰とともに”閉二便”:小便と大便の穴を閉める)。会陰を開いて円裆にすると気が下から漏れて腰を失ってしまいます。
下の動画ではその流れで 拧腰坐臀という打撃の時によく使う腰の使い方に言及・・・師父に師範してもらったのを撮ったらもっとカッコ良かった。が、完璧でなくても私の身体の方が動きは見えやすい、かな。教材向き(苦笑)
2019/9/17
劉老師は文化大革命前の生まれ。武術のメッカの鄭州で警察がまだ十分機能していない時代、本当の実践(決闘?)を随分やってきた。今でも鄭州に行くと、若い頃にお世話になったという男性達が、師父を見るなり「大哥,大哥,(兄貴、兄貴、)」と寄ってくる。弱いものイジメは許さない。敵討ちで一人または少人数で、複数、大人数を相手に闘ってきて負けなし。が、相手に負傷を与えたことも多く、その反省もあって今では全くと言って良いほど実践に興味がない。自分の身は守らなければならないが、手を出せばどちらかが傷つく。腕っ節を強くする武術から心身の修養に転換して行くのは自然の流れのように師父を見ていると感じるけれど、現代の中国国内の武術は必ずしもそうなっているようには見えない。
とは言え、太極拳の練習で実践、技撃を知らないと、なぜ気を丹田に落とし込むのか、なぜ含胸抜背なのか、なぜ虚霊頂勁なのか、という基本的なことも真には納得できない。技を習うと、ああ、だからそうなのか〜、といろんなことが腑に落ちる。そして套路での意識も全く変わる。技を知らずにしている動きは踊りに過ぎない。套路は技をつなぎ合わせて後世に伝えるもの、技、技、技、のオンパレード。
ビデオレッスンで生徒さんに套路を教えるときに最も困るのが技の説明。技は相手がいないと説明できない。
と、そう、せっかく劉師父と毎日一緒に練習しているのだから、師父に頼んで一式、一式、時間のある時に技の説明をしてもらって動画にしてはどうだろう?
ということで、昨日、第二式金剛捣碓の説明をしてもらいました。
昔教えてもらった技じゃないのも教えてくれた。私は技を習うのは大好き。教わるたびに、太極拳ってほんと、賢い!と身震いするのです。
師父に技かけられて飛ばされている自分を動画で見ると、これはお笑いか?と思ってしまうけど、師父の表情を見て分かるように、真剣な練習です!
技を知ると動作が理解できるはず。
ただ、技を師父のようにかけようと思っても、基本功やって丹田の力と節節貫通ができていないとかかりません。真似てかからない経験をすると、ああ、功夫が足りない〜、と分かります。
せっかく教えてもらった技がかかるように、またまた、タントウ功や坐禅、動功、といった地味な練習をすることになります。技の練習をいくらやっても技にならないことが分かるためにも技を学んで試してみるべき。・・・練習方法も、サークル(円)、さすが太極拳!
(パリでの練習の光景は下の動画のチャンネルにアップして行く予定です。劉師父にリクエストあれば・・・可能ならやってもらいます。)
2019/9/13
今週頭に師父から、21日でここまで身体が変化したのは予想以上のできだ、と言われ、褒められたことよりも師父が日数を数えていることに驚いた。
が、師父からすれば、日本でついた私の身体の歪みを取るために毎日1時間は私と一緒に転腿をし、その後も基本功をじっと見てチェックして直してくれている。ここまでつきっきりで教わってそれで変化がなかったら申し訳ない。私はただただ、師父が言ったこと、直したことをそのままダイレクトに身体で聞いて身体に覚えてもらうことを心がけている。頭を使ったら覚えられない・・・いや、身体で覚えるのは得意のよう。師父に言わせれば、私の身体は頭より賢いらしい。
前日何を注意されたのか思い出せなくても、動いて練習しているうちに身体が思い出してくれる。
昨日から24時間経っても身体は覚えているものなんだなぁ、と不思議に思う。
こうして昨日の記憶を持った身体に今日の練習を重ね、その重なった記憶を持つ身体にまた翌日の練習を重ねていくという作業を繰り返すと、身体の記憶が立体的に書き換えられ新しくなってくる。
身体の癖、神経の癖、意識の癖、癖を元から変えていくにはそのくらいしつこく同じことを繰り返すのが必要なのだと身を以て知る。
師父の予定では約一ヶ月はひたすら同じ基本練習を繰り返し、ある程度大きな癖(背骨、骨盤の歪み、左右の体重のかけ方の偏り)を正した後に初めて套路のチェックをするらしい。タントウ功もそれまでお預け。代わりに基本功の合間、24式や48式を一通りやり終えた後に長めに意守丹田をやっている。
生徒さん達との間ではしばしばLINEで様々な論点を出しているけれども、ブログで詳細を説明する余裕がなかなかない。
書かなきゃ、と思っている話題は、舌の位置の誤解、陰圧の意味、男性の提会陰の段階(女性は厳密には提会陰できない)、沈肩の段階、旋腰・転腰・拧腰の違い、旋腰の効用、など色々ある。
今後書く時間があるのかは疑問。
書きたい、と思った時に書かないと、みるみるうちに書く意欲が消える。
食べ物と同じ、フレッシュなうちに書いてしまわないと・・・。
そういえば、時機、という言葉を師父が話していたことがあったっけ。太極拳とどんな関係があったかしら? 明日また聞いてみよう。