2020/4/30
これまでに内功15法のうち主要な動功12法を紹介しました。
あとは保健按摩をして収功、そのまま丹田を見守る、の3ステップで全過程終了。
12法の順番に関して、私が紹介した順番が馮老師の表演と異なるけどどちらが合っているのか?という問い合わせがあったので動画で少し説明しました。
ざっくり言えば、内功の、①降気洗臓功②三丹採気功③三丹開合功、この3つは一番最初にこの順番にまとめてやる。そのあとは④双手揉球功で丹田の気を立円で回す練習をし、⑤日月旋転功と⑥収気帰丹功はオプション、⑦帯脈磨盤功はマスト、⑧单臂伸缩功と⑨单腿升降功はできたらやる(私は⑧をやってから⑦をするのが好み)、⑩双腿升降功はマスト、そして太極拳の套路を練習しない人は⑪環形伸縮功と⑫環形開合法を必ずやる。もちろん全部するのが良いのでしょうが、私自身12法続けてやってみたら功法数が多過ぎて途中で混乱しました(↓下の動画 苦笑)。内功に特化する人なら全部するべきでしょうが、套路も練習しなければならないという場合は内功は多くても5つくらいまでにした方が継続しやすいかなぁ、と思います。
とは言え、絶対にこうしなければならない、というのはないので、まずは一通り試してみて手応えのありそうなものをいくつか絞ってやってみてもよいかと思います。しばらくして別のものをやりたくなったらやればいい。内功をやって収功したらそのままタントウ功をしたくなってしまうようになれば練習が進んでいる証拠。
2020/4/29 <乾坤開合功>
保健功を除けば最後の内功となる12番目の『環形開合功』を紹介します。
実際にはこの功法は『乾坤開合功』という名で呼ばれることも多く、乾=天、坤=地、ということから、天地の開合(天を開いて地を合する、天を合して地を開く)を意識して行います。自分の身体は天と地にを繋ぐもの、その身体の中心は中丹田であることを意識して開合を行うのがポイント。途中お相撲さんの土俵入りを思い出させるような動きです(と書いた後で、横綱の土俵入りの動画を見てみたらまた面白い現象を発見→最後に余談として付け足し)
説明は動画の中でしたので参照して下さい。
手を交差するかしないか、手を開くか拳を握るか、意識を手足に置くのか丹田に置くのか、それらを変えることによって気の流れが変わったり、引き込む気の量が変わったり、丹田の大きさ(広がり)が変わったりすることを感じられればと、少し欲張って説明しました。
内功は丹田の気が育つに従って次第に効果が現れてくるものなので、最初は手応えがなくても毎日続けて練功して下さい。内功は歯磨きのように毎日やる必要があります。たとえ毎回全部できなくても毎日そのうちのいくつかをやって、最後に収功したまましばらくタントウ功をすることをおすすめします。内功で丹田を使って動いた後にタントウ功をすれば丹田に気の溜まる感覚が強く得られると思います。
一日に一回は心身をリセットして素の状態に戻す癖をつければしないと気持ち悪くなる。それは毎日お風呂に入らないと気持ち悪いのと同じ。そして浄化プラスアルファで丹田に気を蓄えられたなら心がしっかりして日常生活でのブレが少なくなるのは必至。
<余談> 横綱の土俵入り
大鳳、北の湖、千代の富士、貴乃花、白鵬、(そして還暦の北の湖)と並べたら、大鳳、北の湖は腹、丹田、千代の富士から後はお尻(胯)から背中、脚、の筋肉力を使ってる。土俵入りにも型があるようだから型の違いかもしれないけれど、出来上がったからだをみると、筋肉系の人たちは首の付け根や肩周りに筋肉が盛り上がるようについて首が短く窮屈な感じ。白鵬がその代表例。
一方、丹田の腹を使った大鳳は、立ち上がる時も姿勢がまっすぐで前かがみにならない、そしてすらりとした感じ。肉がごつごつもりもりしていない。立ち上がる時も上半身に力みはなく、丹田から気が足裏に向かって落ちているのが分かる。顔も涼しいまま。上虚下実。北の湖も腹を使っているのだけど、身体が重すぎて追いつかなそう。下半身に負担がかかり過ぎて痛めそうだ。
千代の富士はキン肉マンの代表。顔にも力が入っている(まあ、それがウルフでかっこ良いと当時は私は思っていた)。貴乃花も丹田の人ではなかったようだ。白鵬は丹田無関係で立ち上がってきてる。そして還暦の北の湖、丹田ブレてる(引退後鍛錬を続けてはいなかったかな?)
昔のお相撲さんの方が丹田を使っていたのかしら?
丹田を使うと身体に伸びやかさと柔らかさでる。どこか冷静で涼しい感じが残る。筋肉に頼り過ぎると身体が硬く縮こまる。心も身体も熱くなり勝負一辺倒になりそうな。
2020/4/27 <環状伸縮功 周天の練習>
内功の11番目、『環形伸縮功』の動画をアップします。
功法のネーミングに注意! 環形”前後”功、ではなくて、環形”伸縮”功です。
では、何が伸縮するのか?
もちろん、丹田です。
丹田が膨張したり縮小したり、それに伴い身体が伸びて大きくなったり縮んで小さくなったり。
中国語の説明では
「身形犹如龙身前后环形伸缩展蓄,如在大海波涛之中隐现起伏」
身体はあたかも大波中から龍が立ち現れてくるかのように、蓄えたエネルギーが展開しまた戻ってくる・・・左の馮老師の動き、確かに龍っぽい。
エネルギーの展開と蓄積、それが伸縮となって形に現れ何度も繰り返されます。
実はこの伸縮は気の周天です。
任脈督脈を一周させる周天は、たとえ静功(坐禅やタントウ功)でやったとしても、この伸縮功と同様に丹田の伸縮として行われることになります(気は電車の線路のような軌跡として動くものではないので。)。内功で身体を動かしながら足裏を使って丹田の気の圧を操作することを会得すると静功で周天する時に役立ちます。
丹田の気の操作は集約すると、前丹田→(中丹田)→後丹田→下丹田→前丹田、という順回転と、前丹田→会陰→後丹田→(中丹田)→前丹田、という逆回転、この2種類です。これがしっかりできるようになるのが第一歩、それから気の量をさらに増やして回転をさせていくと次第に中丹田と下丹田が一つにまとまるようになり(精気が一つになる)、腹腰から全身に気を届けて気で身体を動かすことが可能になってきます。
動画である程度説明したので見てください。上の馮老師の龍のような意気込みと身体のうねりを真似して何度もやってみて下さい。
(馮老師の内功の動画はyoutubeスタディタイチ・チャンネルの再生リスト「内功」にまとめています→こちら)
2020/4/26 <太極拳の目標?>
昨日のブログを読んで、似たような境遇にある複数の方からメールをもらった。
共通するのは、皆、点数をつけて競い合うような大会に参加しているということ。
試合に出ることを目標にすると熱意も違うし一生懸命練習するので早く進歩するのは確かだけど、その試合の基準が太極拳の真価を測るものではない別物であった時は大きく道は逸れてしまう。
競わせて進歩させる、というのは人間社会の常套手段で、子供の時もそうやって勉強させられる。勉強が好きでダントツでできてしまう子は試験に照準を合わせる必要もなく突破してしまう。が、ほとんどの子は試験に向けて勉強せざるを得なくなる。点をつけられ競争させられ親から目標を埋め込まれ、気がついたら塾に放り込まれ頑張る轍に入れ込まれ・・・そして頭の中が知識と理屈でいっぱいになって晴れて某一流大学に受かったとしても、社会に出ると、発想力がないだの、独創性がないだの、社交性に欠けるだの、いろいろ批判されてしまう。振り返れば、自分で判断できない子供の時に与えられた狭い目標に向かってしっかり努力してきただけなのだけど(苦笑)
そんな例があるにしても、大人になってからの目標は自分で作るもの。自己責任で目標を立てなければならない。立てる目標によって進む道が変わってしまう。得る資質も変わってくる。どんな目標を描くことができるか? 結局はヴィジョン(vision)の問題。どのくらい視野を広げ高い目標を思い描くことができるのか? 現時点で思い描ける最高のvisionを目標にして、進みながらさらに高いvisionが見えたらそれに変更していくしかないと思う。
私が日本で武術(少林拳系)を習っていた30代、やはり試合にでて試してみたい、という気持ちがあった。運動能力にはそこそこ自信があったし、努力すれば成果が結果で表れるだろう、と思っていた。最初に大会に参加したのが中国鄭州で行われた世界武術大会での団体演武。次回は個人演武で参加したい、なんて少し思っていた折、そこで行われていた個人試合を観覧していて、だめだ、40歳過ぎての武術はどうやってもそれ以下には敵わない、と気づいてしまった。先が短すぎる・・・この時、まだ可能性があると思ったのが唯一太極拳だった。太極拳に転向することを決めたのはその時。当時の老師には「あんなかっこ悪い太極拳をやるのか?」と皮肉を言われたが、歳とってやる少林拳の方がイタいと思ったので何の未練もなかった。
そして太極拳へ。幸いすぐにそれまでにお世話になったことのあった気功の星野稔先生の教室で混元太極拳が学べることを知りその教室に通い出した。陳式は陳式で北京体育大学出身の若い先生のクラスに参加したりしていたけれども、その先生がよくキレては壁を蹴るのを見て行くのをやめてしまった。星野先生の気功の本の中に「気功はインデックス付きの悟りへの道」という言葉あって心に深く染み入っていたし、同じく、同先生が紹介していた混元太極拳も道家の修行法が根幹にあるというのが一番の魅力だったから、私にとっての太極拳や気功は、”身体の修養から初めて心(精神)、そしてその奥の魂(のようなもの)まできれいにする”、ものだという位置付けがその頃にはできていたように思う。このあたりで、”競う”という感覚が以前より随分減って、それよりも、本当の気功、本当の太極拳を知りたい、という目標に目標が変わっていた。
そんな願いが通じたのか、パリで偶然にも劉師父と知り合い一から叩き直されて1年半ほど過ぎた頃、今でも覚えているが、ふと、パリの試合に出てみたい、という気持ちが起こった。少し自信ができた頃だったのかもしれない。早速それを練習の時に師父に言ったら、師父が一言、「まだそんなものに興味があるのか?」と不思議そうな顔をした。えっ?と師父の顔を見返して、しばし、どういう意味だろう?と考えたが、その時ははっきり分からなかった。帰り際に師父が、「どうしても出たかったら出てもいいけど、どうせ出るなら40歳になった時に40代の部で参加した方が有利だと思うからそうしたらどうか?」と言ってくれた。けれどもやはり「まだそんなものに・・・」の言葉が引っかかって出る気が失せてしまった。
師父の「まだそんなものに・・・」の意味(感覚)は、その1年半後帰国する頃にははっきり分かるようになっていた。ああ、まだ幼かったんだなぁ、とそんなことを考えた自分を少し懐かしく恥ずかしく感じてるようになっていた。それは子供の時にどうしても欲しいと思っていたおもちゃが大人になると不要になって、そんなものを欲しがっていた子供の時の自分を少し懐かしく思う感覚と同じかと思う。matureになった(成熟した)、というのがぴったりの表現かな?
人は大体自分に欠けているものを目標にするようだ。
随分昔、お問い合わせで「太極拳は痩せますか?」というメールをもらった。当時の私は揶揄っって出されたメールだと判断して返信を出さなかった。痩せる、なんてそんな目的で太極拳をするなんて太極拳を冒涜している、みたいな感覚があったのだと思う。が、師父はその時、「ちゃんと、”痩せますよ”と返事してあげなさい。」と私を諭していた。顧みると、その時の私の心は師父ほど相手を呑み込めず、心の底でイラっとして相手を弾いていた。
道教のイメージは何でも呑み込む大きなお腹。太極拳の理念がそれだ。全部を包み込んでしまう、相手の打撃も包み込んで自分のものにして返してしまう、”対抗”しない、円や球で包み込みトンがったものを嫌う。身体でそれを学んでいるうちに、心もそんな風に以前より丸く大きくなっていく(から不思議)。まあ、私の場合、スタート時点が人一倍負けず嫌いで戦闘心が強いから、今やっと人並みになった程度の気がするけれど(苦笑)。寛大になってイラっとすることが減れば減るほど修行が進んでいる証拠。どんなに技がすごくてもイライラしている老師は修行者とは言えない。
ともあれ、練習とともに目標は変化する。
身体の調子が悪い時は身体の調子を調えて元に戻すのが目標になるだろう。
身体の調子が特段悪くない人は別の目標になるだろう。
けれども覚えておいた方がいいと思うのは、進めば進むほど、目標はさらに高くなること。それは肉体次元の目標ではなくなる。いつまでも肉体に縛り付けられていては無意味なことを知ってしまう。それは肉体と気の練習(中丹田と下丹田)を通過して意(上丹田)から先の練習に入っていった時に自然に分かってくることのようだ。
まだまだ限りなく先がある、無限、と思って練功できるものを”道”と呼ぶ。
2020/4/25 <内功:「足で踏む」の意味>
昨日アップした内功⑧の動画を見て、読者の方から読んで嬉しくなるメールをもらいました。
太極拳歴は私より長意と思われる、日本の大きな太極拳の組織で熱意をもって太極拳を探求し続けている女性から。教室でどれだけ指導を受けてもなにかしっくりこない。疑問が残る。そこで個人的に模索をして陳式へ、そして私のブログに行き着いたらしい。
私の練習メモはあっちに行ったりこっちに行ったりで付いてくるのはなかなか大変だろうと思うのだけど、そこを彼女は理解しよう、消化しようと頑張ってきたようだ。太極拳に対する疑問、問題意識がとても強いのは、本当の太極拳、巷に広がった”あの”太極拳ではない、もっと深遠なるもののある真の太極拳、その核心を知りたいからに他ならないだろう。
昨日紹介した『旋肩探臂功』は肩と腕の練習法のように見える(聞こえる)。が、これが”内功”である、と言うことは、丹田の気の運用の練習であることは言わずもがな、だろう。しかも内功練習も後半になり、ここで初めて太極拳の歩法である弓歩が登場した。弓歩の要領については以前動画も撮ったけど、この馮老師の内功を最初からやっていくと、ああ、こうやってそれまでに育てた丹田の気を使って弓歩で動けるようにするのね、と感心してしまう。確かに、腕をこのように使った方が弓歩の前後移動はやり易い。
太極拳にはつねに”対拉”(引っ張り合い)がある(*ここはもっと説明が必要かも)。
そして一番大きな分かり易い”対拉”は足裏と手先。
足裏がさらに下へ下へと地下深く踏んでいけばいくほど腕は伸びていく。
(足裏がさらに踏んでいく、という感覚は、外側の筋の感覚で言えば、ますますアキレス腱が伸びていく、ということになる。実際にはアキレス腱が伸びきらない中でマックスに伸びる感覚だと足裏から地面に気が注入される。)
太極拳は伸びて力を出す。ここが通常の体操と逆の力の使い方になる。長くする。縮めない。伸びやかな動き、寛容な心になる。力を入れてぎゅっと固めて身体を使っていたら心もきつくなる。それでは修行にならない。天人合一なんて不可能(そんなことを考えて太極拳をする人も減っているのかしら?)
今日もらったメールを読んだら、一般の教室で先生が正しい言葉を使っているのに、先生自身が意味を知らないために間違えて教えていることがあることにまた気づいてしまった。これまでにもそんな話をいくつか聞いていたからもう驚かないけれども。
メールをくれた女性の教室の先生も、しきりに「足を
”中丹田、下丹田が一つになった丹田の気を足裏に降ろす、押し込む
はい、その通りです!
”また、そのちゃんとした「足が踏むこと」ができること(反弾力)
足裏に降ろすことで、脚、腰、腕が伸びていく...よく感じられるようです‥"
本当に分かっているのが分かる表現。
彼女自身もとても嬉しくてメールを書いてくれたようだし、もらった私もとても嬉しい。
知りたいことを知った嬉しさと、伝えたいことが伝わった嬉しさ。
そして知りたいことが伝えたいことだった、という一致があるから嬉しさ極まりないのだけど、さらに一歩踏み込んでみると、実は”知りたい”という片方の気持ちが他方の”伝えたい”という気持ちを引き出しているような気がする。
弟子がいなければ師は存在しない、という言葉を師父から聞いたことがある。
いわゆる”先生”と”生徒”は一方的な関係。先生が教え生徒は学ぶ。そこが師弟関係と大きくことなるところ。
ブログやメール上のやりとりだけで、ここまでできるというのは驚き。すべてオンライン化しない方が良いとは思うけれど(苦笑)
2020/4/24 <旋肩探臂功>
内功の第8番目。
弓歩の姿勢から肩を旋回させて腕(臂 bi)をつないで(探して?)指先まで気を通す。
ただの腕の曲げ伸ばしでも腕の旋回でもない。
『旋肩探臂功』とは本当にうまく表現したものだと思う。
『单臂伸缩功』では内側の勁の伸びが感じられないだろう。
探臂:(探りながら)手を差し出す、という意味だが、この内功の中には、腕を伸ばしながら腕を探す、あるいは、腕を探しながら腕を伸ばす、というような感覚が込められている。
このあたりの微妙な感覚が取れたら、これが体操ではなく内功だということ、すなわち、丹田の気の運用であることがはっきりする。
動画の中で強調したのは
(命門を開いて)中丹田と下丹田の気をまとめて足裏に押し込む
→足が地面を踏み続ける間、地面から戻ってくる力を使って脚や腰、腕が伸びていく
という流れ。
これまでの①から⑦の内功で育てた丹田の気を使って大きく動く練習になる。
この内功をやれば 知らず知らずのうちに弓歩の重心移動が上手にできてしまっているかも?
<補足:練習の進んだ生徒さんへ>
足を踏み続けて気が上がっていく(根節の催)が分かるようになったら、指先のビームを少し意識する。気の行き先を決めないと流れが途中で止まってしまう。これが『梢领中随根节催』の”梢领”。”中随”は腰を空、開けておく、ということ。足裏から指先までうまく通った時は腰は空のはず。(丹田は感じられない)
2020/4/22 <雁の飛び方からタントウ功を見直す 按、気沈丹田と虚霊頂勁>
昨夜は『世界で一番美しい国』とタイトルのついた、フランスの自然の中で住む動物たちのドキュメンタリー番組があった。CGかと思うような映像でびっくりしたが、あとで調べて分かったのはこれは2013年の番組の再放送だった。パリにいるとフランスにこんな大自然があるとは気づかないけど・・・それは東京にいると日本の大自然に気づかないのと同じかぁ。
それにしても動物は羨ましいくらい美しい・・・身体が縮こまっていない。自然な美しさ、機能美がある。
番組の初めの方にでてきた雁の群、その飛び方には見入ってしまった。あ〜、この飛んでる姿を90度回転させて垂直にペンギンのように立てたら、開合功。
羽を降ろす時にぐっと腹底に気を沈みこませている→すると命門が開く→首は前方向に伸び、身体全体がさらに浮上する。
羽が上がった時、気は中丹田に戻る。
下げると下丹田そして後丹田(命門)へ。この繰り返し。
開合功をきちんとできるようになると、合で中丹田、開で中丹田から下丹田と後丹田まで気の球ば膨張するようになるのと同じ原理だ。
面白い! タントウ功の原理そのものだ。
中丹田から下丹田に気をさらに沈めるから、結果として首がさらに伸びるようになる。
気を沈めれば沈めるほど頭頂が出てくる→虚霊頂勁が分かりやすくなる。
百会まで気を通すために丹田から上むきに頭に向けて気を流してはいけない、だからこそ、個人は「虚」と表現して「実」と表現しなかったのだ、ということが実感しやすくなる。
首は尾骨と関連する。
このあたりは動物は自然にやっている。私たちも幼い頃はそうしていたのだけど、俗世間でもまれているうちに心や身体は自然でなくなってしまう。太極拳はそれをまた自然に戻そうとする試みに他ならないということを再認識したのでした。
調子に乗って遊び心で動画も撮ったので軽い気持ちで見て下さい.....
2020/4/21 <手首を開く要領>
一昨日(4/19)のメモの最後に手首や足首を開ける話を書いたのは、その日のZoomを使った練習で生徒達の開合功の動作を見た時に、手首がほとんど使えていない(手首に気が通っていない)ことが気になったためだった。
以前、師父から「十字手は万能の手だろ!」と言われた時は呆気にとられたけれども、そう言われれば太極拳は開合拳、そして開合の”合”は両手が合わさる時に感じられるようになっている。両手が合わさる形が最も明瞭に現れるのが、両手首を合わせて両手を❌にしてしまうこと。十字にして掌を自分の方に向けると順(気が丹田に戻る)、それをひっくり返して両掌が外側に向くようにすると逆(気が末端に流れる)、発勁が可能になる。十字手にすると丹田の力が入りやすいから丹田と手(首)の連結が分かりやすい。
・・・と、そこから手首、手の使い方について、動画を撮りました。
(肩を開けて肘まで繋げるには“肱”の使い方が重要だということは以前ブログで書きました。そして今回はその先、)肘から先、手首を開けるには橈骨と尺骨を引き離すように使うのが要点。
これは何も太極拳に限った話なのではなくて、どんなスポーツ、楽器演奏、日常動作にも共通する要領なのだけどその教え方は様々かもしれない。太極拳だとチャンスーで相手に持たれた手を解く時にそれができていないと技にならないからその時に気づいたりする。普通は、「節節貫通、指先まで気を通せ!」の一言で終わってしまいがちだけど、関節関節が関門となるので、それぞれの関節をどう突破するのか意識して練習しないといつまでたっても進歩がみられない。意だけではなく気を通す。なお、気が通った時、気が貫通した時は物理的な実感があるから自分で分かる。あるいは、気が通らないなぁ(もう少しなのに〜)、と分かる。自分で気が通ってるか通ってないかわからない、という時は(多くの場合)まだ通っていない。子供みたいに通っちゃってるけど意識できない、という状態は我々大人には想定しずらい。通すために、いちいち”開ける”前作業が必要になる。意と気を別々に扱える(昨日の動画で気と身体をずらす練習を見せたけれども、それと同じように意と気をずらして使う練習をするとさらに”気”の感覚がはっきりする。でもそのためにはまず肉体と気を引き離して見れるようになるのが第一歩。)
楊式太極拳では”拳”よりも”掌”が多いけど、その時は特に注意して手首を開く練習をすればよいと思う。左の図の1と2の骨を開くようにすると、掌根のA~Hまでの骨が開くように作用する。このA~Hがばらばらになって初めて指が開く仕組みになっている。
手首や掌根を開かずに、初めから指を開こうとすると手首が閉まってしまうから要注意。実は”拳”の時も手首は開いている。拳は強く握らず空拳にする、すると手首は開いておける。賢い!
前腕のこの二本の骨が交差しないよう、平行にして引き離して使うのはピアノでもパソコンでも洗い物をする時も同じ。手や腕を痛めないために必要な要領です。やろうとしたらきっと丹田から肩→肘へと気を注ぎ込まなければならないはず。ぜひ試してみて下さい。
動画の最後の足首、足(フィートの骨)を開くところの説明は少し不十分かもしれません。スルーしてもらって構いません。足首、足は非常に大切なので、また改めて説明する機会があるはず。
2020/4/20 <脚はどこから? 脚に気を通す内功 気と身体のズレ>
内功の続きの動画を一つ飛ばしてその5を撮ってしまいました。その4はあとで埋めます。
下半身に気を通す功法2つを先に紹介します。
で、どこからが下半身か?
真夏は家の中で全裸でタントウ功をするように言われて仕方なくやっていた頃、最も大きな気づきはパンツを履かなければ上半身も下半身もない、ということだった。
パンツを履いた瞬間から上半身と下半身が分かれる。
それも、どんなパンツを履くか、で随分感覚は変わってしまう。
ハイレグパンツを履けば、脚は腰骨のあたりから伸びているように感じるし、ブルマ型パンツを履けば股ぐりのところからが脚のように感じる。私は苦手で履かないが一分丈や三分丈を履くともっと短く感じるだろう。
結局、どこからが脚かは自己申告制、各自の感覚によるものではないか?
バレエダンサーのように胸下、鳩尾ライン(左図の⑤)から脚にしてしまうこともできるし、裆のライン(①)から脚を作ることもできる。
日本人は腿を鍛えることに重きを置くきらいがあるから脚はどうしても短く作る(①か②)の傾向があるように思う。が、これでは胴体部と繋がらない。太く重い脚になる。
これまで何度も書いたように、太極拳の腰は③から⑤(薄黄色の位置)。胯は①から③(薄水色の位置)。①のラインは裆にあたる。
そして太極拳が最初から最後まで練習するのは、この腰と胯、その連結。
そのために丹田に気を溜めて、④の命門ラインから②の尾骨、そして①の会陰へと気を回して貫通させる。
太極拳をする人にとっての脚は少なくとも④のライン(命門、腎のライン)から始まる。
腰を回すのはすなわち足先まで回すことに他ならなくなる。
下の動画で紹介した2つの内功をするにあたっては、よ〜く注意して手を使って気を④、あるいは⑤近くまで導いてください。足裏から③まで上げただけでは不十分です。臍よりも上、そして左右に分けた時には肋骨に少しひっかかるところまで引き上げます。
なお、昨日紹介した馮志強老師のあの足さばきの凄さは、頭頂から脚になってるからだとも言える。(脚も胴体になってしまっている、とも言えるし、全身が脚になってる、とも言える。すなわち、身体に上半身だの下半身だのの境目がない、ということ=周身一家。)
紹介した双腿昇降功を呼吸をつけてうまくやれるようになると、脚が首や胸あたりから始まる感覚が得られる可能性大。身体と気を同時に下ろすのではなく、先に気を降ろして身体がそれを追いかけてなぞるように、気と身体(力)のズレが感じられるようになれば内功の効果がでます。集中してやってみて下さい。
2020/4/20 <肩を開いた状態から含胸をする>
4/17のメモに書いたツィスカリーゼの立ち方(→左の写真)に関して、説明補足する動画を撮ったのでアップします。
肩が開いた状態を保持したまま、含胸→塌腰→丹田、の流れ。
タントウ功、動功、太極拳、いや、人間の姿勢の基本です。
2020/4/19 <馮老師の足(feet)>
今日は日本の生徒さん十数人とZOOMを使って練習してみた。
お互いに外出規制中だからやりやすい。内功をやりま〜す!、と呼びかけて、やり始めたら案の定そこからバリエーションの連鎖。なかなか終わらない。皆室内で汗をかいているのが分かる。室内でほとんど動く場がなくてもきっちりやると内功はきつい。1時間半やっても私はまだ教えたいことが残ってた・・きりがない(苦笑) 来週もZOOMで遊ぶかなぁ。
その後、グループラインに送った動画を載せます。
ツィスカリーゼのFeet(足)の強さの分かる写真が脳裏にこびりついていて、馮老師を見ても足(feet)ばかりが気になる。動画の真ん中あたりで、馮老師が陳項老師の足を素早く払う箇所があるけど、あの足の素早いこと。そして足の力のすごいこと!頭頂から足先までが一つの気、丹田になっているのが分かる。
グループラインにはこんなコメントを載せました。
「馮老師の足がどこに差し込まれるか良くみてみて。
膝下の差し込み方、体重の乗り方が陳項老師より格上(演武ではあるけど)。
だから足首以下の一瞬の払いで相手を倒してしまう。
頭頂から足裏までが一つの球の中にあるお手本。
足首先だけ物凄い力が出るように、今日少し教えた手首先だけでも同様に大きな力がでる。
テコの原理。
馮老師の足払いがカッコ良すぎ。
足に着目してると足(feet)から力が出てるのがよく分かります。feetのバネ。」
少し付け加えると・・・
Feet(足)の開発度は足首を見れば分かるし、同様に手(指)の開発度は手首にかかっている。
今日生徒さんに指摘したけれど、内功の開合功をした時に、その手首の使い方を見ればレベルがすぐにわかってしまう。手首と足首の中を開いて気を通せるようになるために、丹田側から開発すると手なら肩と肘、足なら胯と膝の関所をまず貫通させなければならない。最終ゴールになるから開発に時間がかかる。けれども、末端から開発するならスタート時点、だから両方向から練習することが必要。
手や足から開くための練習は、拍手功、そして震脚。生徒さん達にはすでに教えているけれど、拍手功や震脚でどこが開いてどこに気を通せるのか分からないでやっているんじゃないかしら?と今更ながら不安になった。拍手功や震脚は10分くらいでできるから欠かさず毎日やってほしい。手首や足首が詰まると血圧が高くなったり冷え性になったり健康上とてもまずいことになる。手足の指の先が陰陽の転換点だからそこまでちゃんと気血を運ばなければならない。手首や足首は思っている以上に締まっていて通りが悪くなっているのは私自身経験済み。(手首や足首が開いているのが分かる幼児の手や足の写真を見せたいのだけど、どこにいったか探し当てられないのが残念。足首の感じは上の馮老師の動画でも分からないことないけど見辛いかも。)
なお、上の動画の中で馮老師が両手をパーに開いて技をかけているのも手首を開けて全身の気を貫通させる=周身一家にする一つの方法。テニスの選手とかよくやってる→右の錦織君)
明日は脚から足まで気を通す2つの内功の動画を撮ろうかなぁ。
気を通す時は丹田発で最後まで丹田を忘れないことが大事。
2020/4/17 <ツィスカリーゼ見まくった結果気づいたこと>
笑いながら動画を見ていて、それでふと気づいたのは彼の通常時の立ち姿。
それは左の写真のような感じ。
だからオカマっぽく見えるのだけど、ムムム・・・これは・・・?
真似して見ると分かるけど、このように肩を外旋させて手のひらが前を向くようにすると、力が丹田に集まる(下手すると腰が反ってお尻が出そうになる:←彼はちゃんと命門を開いてまっすぐな背骨を保っている)腕に力こぶができない。女性がハンドバックを腕に引っ掛ける時のような姿勢だ。
じゃあ、逆に、肩を内旋させて手のひらが後ろを向くようにしたら?・・・ボディビルダーのポーズだ。こうすると腹筋を割ってシックスパックにできそうだし、力こぶも入る。筋肉に力を入れることができやすい姿勢→丹田よりも筋肉に重視。各々の筋肉がそれぞれ鍛えられていて、強い筋肉達の群雄割拠状態。(だから胸の筋肉だけピクピク動かしたり、太ももだけピクピク、など見せることができる。)
一方、上のツィスカリーゼの女性形の立ち方は腹部の力が末端に流れるように伝わっていてそれぞれの筋肉の独立運動が見られない状態。流れるような立ち方・・・日本の女形に見られる身体の使い方だ。(俗に言う伸筋優位の身体の使い方、ボディビルダーは屈筋優位)
そしてここで思い出すのが経絡図!
ああ、経絡図は女形の立ち方で描かれているのだ・・・
これも真似をしてみると分かるけど、このように①肩を外旋させて手のひらが前に向いた状態で、②胸がまったくつきでず(含胸)、③両肩甲骨の間がゆったりと開き(抜背)、④腰が反らない(塌腰、命門を開く)、⑤足裏にどっしりと体重が乗る、という状態で立てるようになるには丹田を沈み切らせないとならない。ある程度訓練をした人ではないと自然にはとれない姿勢だ。
ということは・・・
伸筋優位な身体を使い方をするには気沈丹田が不可欠。また、伸筋優位=気を使って身体を使うと同義?
屈筋優位で身体を使うということは筋肉、力で動くということに他ならない?
まあ、師父に伸筋優位だの屈筋優位だの聞いても太極拳の語彙ではないから分からないといわれそうだけど、太極拳を深めると”秀”(秀美の秀)になると言っていたムキムキマンになることはあり得ない。腹筋も割れない。ツィスカリーゼのお腹は中年になってかなりゆったりしたかなぁ(笑)
そして極め付けのこの足(feet)の強さ。
太極拳でもその功夫は最終的には足に現れることが次第に分かってきた最中、思った通り、彼のFeetはとても強い。(男性ダンサーでも女性のようにトゥで立てる人はとても少ない。トロカデロバレエ団の男性ダンサーが苦労している動画を見たことがある。)
丹田とFeetの関係は細かく解説できないけど、大きな関係があるはず。
グルジアダンスやコサックダンスではこの足と足首の強さで膝から下りて膝で立ち上がる動作を繰り返している。Feetだけで跳び上がれたられたら舞い上がったかのように跳べる。
足首から下に注目♪
日本人の彼、頑張ってるけど、屈筋つき過ぎで重い。筋肉ではなく丹田で身体を持ち上げなきゃ・・・言うのは簡単だけどやるのは大変。師父なら「もっと放松しろ」と言うかな? なんでも放松一言で済ませてしまう(苦笑)
2020/4/16 <内功前半の復習>
これまで説明した功法①から⑦までを続けて行った動画をアップします。
この先⑧から⑫は前半これまでに得た基本的な丹田の感覚を失わないように動くことが大事になってきます。それがないとただの体操になってしまい内功になりません。
是非①から⑦まで動画を見ながら一緒に動いて復習して下さい。
・・・動画に簡単な字幕をつけていて気づきましたが、うっかり③三丹開合功をすっとばしていました。適宜補充してやって下さい(苦笑)
内功は丹田の感覚が分かってやると意義が感じられる。
思えば私が劉師父に出会う直前、パリで太極拳の先生が見つからないことにがっかりした私は思い切って北京に行き馮老師の三女の老師にマンツーマンで一週間習ったのだけれども、そこで学んだのがこの内功一式と24式太極拳だった。内功はメモをとりながら自分なりには一生懸命学んだのだけど、正直言って、何も残らなかった(苦笑)。当時の私には動きが地味すぎて物足りない。今思えば当時はまだ丹田やら気やらの感覚がなかったから仕方なかったのだろうけど。
ただ、欲を言えば丹田の感覚が得られるような練習、導きをして欲しかったかなぁ。一週間もあれば丹田への入り口は教えられるのだから・・・(うまくやれば1日かからない。15分でも導けてしまう。入り口まで連れていくのが老師の仕事。その後その入り口を自分で再現して持続、発展させるのは生徒さんの仕事。)。
動画はレッスンで生徒さんを導く時のことを思い出しながら撮ったので、動画を見ながら一緒にやれば少しは丹田の感覚が得られるはずと期待しています。
折しも外出自粛時期なので家で毎日やって見て下さい。もちろん屋外の方が息が深くなり身体が開きます。やってみた感想、意見があれば是非メールを下さい。
2020/4/15 <内功その3>
混元太極拳内功十五法のうちの、以下の3つの功法を説明しました。
⑤日月旋転功
心と肺の機能を高めるのが目的。
動きの結果として 胸腹折畳→肋骨を緩める、含胸がやりやすくなる。
肩甲骨の動きもよくなる。
⑥収気帰丹功(引気帰丹功)
気を丹田に戻す功法→2020/4/6 のメモで紹介しました。
⑦帯脈磨盤(小と大の2種類)
説明は動画を見てください。
動画の中で
中医学における五臓と六腑の捉え方
なぜ運動をする前に帯脈を開く必要があるのか、
帯脈と中丹田の関係
等についても簡単に言及しています。
2020/4/14<無極象図vs太極象図 円裆へ>
昨日動画を撮りながら、突然頭の中に陈鑫の『太极拳图说』のあの2つの図が浮かんでいました。
調べたら2014/12/4付のブログで私はこの図を紹介している。けど当時はこの2つの図の違いの意味が分かっていない・・・こんな風に書いている。
「下の左が”無極”。右が”太極”。 違いは?
太極では脇、股間、そしてボタン(身体の中心軸?)が開いている。
無極の時にあった丹田の気が体中に回って全身を膨張させたような様相。
髪の毛がなくなってしまったのは何故?・・・・これが良く分からん。」
確かこのブログの後、グループラインで一人の生徒さんが鍵になるようなコメントをしてくれて、そこから理解がぐぐっと進んだのを覚えている。
<左側の無極の男性 VS 右側の太極の男性>
無極には丹田があるが太極にはない
・太極になるとボタンが開いている/脇が開いている/股が開いている
・無極にあった男性を囲む円が太極では消えてしまっている
・無極は髪の毛があるが太極では髪の毛がなくなってしまっている
→私の解釈
丹田が大きくなって身体を膨張させ頭頂・足裏も突破、髪の毛もふっとんだ。
自分の丹田が自分を包んでそれが限りなく大きくなっていった時、自分と外界の境界線もなくなった。
最終的には腰が空=ない、どころか、丹田がない、と師父から聞いたのはこの図の意味がなんとなく分かってからまだ先のこと。
タントウ功で丹田が大きくなって自分と同じ大きさくらいになったことがあるが、その状態だと頭も骨盤も足裏も同じ位置で一体化して感じになる。目が元の丹田の位置にあってそこに頭も足もあるから視野に自分が全て入ってしまう。視野に全てが入っていると意と気と力の間に時間差がなくなる。想ったらもう打てている、ことになってしまう。
その時は丹田がもうなくなっていることには気づかなかったが、その時の自分は丹田に包まれているようだったから普通考える腹に位置する丹田はなくなってしまっていたはず。この状態をさらに推し進めれば、丹田は無限に広がって宇宙大になることも可能だろう。天人合一になるのは丹田が育って自分より大きくなって天をも含んでしまうからかもしれない。天が降りてくるのではなく丹田が天を征服(?)してしまうのか?
ともあれ、この太極の状態になっている男性の股間に注目。
この股間の開き=円裆、がないと骨盤底筋が張らないから会陰がしっかり引き上げられない。
会陰が引き上げられないと丹田を着火できない。丹田を育てるには意念の火と会陰の引き上げで活性化された腎(腰)の水が必要だ。(内功動画で説明した周天の基本:会陰→命門→丹田)
昨日の動画で、開脚をした方が肛門や会陰を引き上げやすい、と言った後で、両足をぴったり揃えて立って見せたところがあるけれど(動画の5'10~5'20"あたり)、ここがまさに上の無極VS太極おじさんを思い浮かべていたところでした。
手すりを掴まず両足ぴったり揃えた状態で電車に乗ったらバランスをすぐに崩してしまうけれど、その時一生懸命股間を開いて会陰を引き上げれば、無極が陰陽二義に分かれて(左右の足に力が分かれて)少しはバランスがとれるようになる。
両足の足幅が狭いと骨盤底筋を引っ張り辛い(円裆がし辛い)ので会陰の引き上げが難しい→腰(命門・腎)に気を繋げない→丹田が育てられない、ということになる。足幅が狭くてもそれができる人はマスター♪
尻尾があればそれをぐっとあげれば骨盤底筋を引っ張れる。動物が痔にならないのは尻尾があるからだとテレビでお医者さんが言っていたことがあった。円裆は決して両脚を左右に開くだけでない・・・ 前後にも引っ張らなければならない・・・説明が足りないかなぁ。円裆もおそらく多くの太極拳愛好者が間違えたイメージを持っていそうだ。続きはまた。
2020/4/13 <内功 その2>
混元太極拳の内功十五法のその2の動画をアップします。
今回は
③三丹開合功
④双手揉球功(劳宫旋转功)
どちらも基本的な功法です。
・命門を開いて胴体を幹にする
→開合は左右だけではなくバームクーヘンの内⇄外の開合
・会陰を引き上げ命門と繋げる要領
・円裆になってしまう理由:会陰や肛門が引き上がる構造
(おしりはすぼめない、お尻の桃(?)を割る→骨盤底筋をピンと張る:)
・意と気と動作を合わせる
→意を繋いで気を煉る要領→丹田呼吸
などについても言及しています。
字幕をつけたので参照して下さい。
(例によって声が小さめなので)
2020/4/12 <大師のお手本>
昨日私が撮った内功2つをを馮志強老師が示範している動画を紹介します。
内功のレベルが上がれば上がるほど、他人が外から見てもその人が何をやっているのかますます見えなくなる・・・初心者がいきなり大マスターの真似をしても何も得られない理由がそこにあります。大監督に学ぶよりコーチに学んだ方が分かりやすい。けれども、そのコーチの先、最終的な目標がどこにあるのか、少しはその雰囲気、味わいを知っておくことが必要だと思います。
ということで、大マスターの動き、雰囲気、息遣いを見てください。
半年後、1年後にまたこの動画を見た時に、今見えなかったものが見えたとしたら進歩しているという証拠。
2020/4/11 <内功の動画 その1>
何人からリクエストされていた内功の動画を撮りました。
まずは三丹採気からやりなさい、と師父に言われたこともあり、馮志強老師の内功十二法の順番に従って、①降気洗臓功と②三丹採気功をやってみました。
②から周天の練習へと繋がる立円の回転も紹介しました。
最初のうちは気だけを動かすことができないので、身体も動かしながら気を動かしていくのが良いと思います。そのうち身体と気を引き離すことができるようになったら、身体を動かさずに中の気だけ動かせばよいです。太極拳の中身は気功だとはいっても外の筋肉や骨が動かないのでは話にならないので、太極拳では内外双修といって内側の気と外側の筋骨皮は共に練習します。
中庭が静かで声が響きそうだったので小声になっています。
字幕を少しつけたので参照して下さい。
2020/4/9 <師父の餃子作り>
「外出禁止の間、家でちゃんと餃子を作りなさい。」と師父が動画と出来上がり写真を送ってきてくれた。
「師のすることは何でも見ておきなさい。」と一緒にいる時は何でも見せてくれた師父。餃子作りは10数年前の第一回目のパリ滞在の時に何度か見せてもらって習ったのだが師父の域には程遠く・・・私にはあんなに正確にはできない、と半ば諦めてしまった。
が、今わかるのは、師父は動作がとても正確。私の太極拳の動きに対しても、少しのズレも許さない。師父が「非常に良い」と言う時は本当に良い、という意味で、そう言われることはそう多くない。よく言われるのは「可以」で、「良いだろう」くらいの感じ。「不好」「不行」(ダメ)と言うのも日本人にはありえないストレートさ。不好、と言われるのに慣れてしまうと、また言われた!とそのあり得ないストレートさに笑いが込み上げてきて何の躊躇もなく「え、ダメ?どこが悪いですか?」とストレートに聞き返すことができる。聞けばまた教えてくれる。日本では下手に質問すると嫌がられたりすることがあるから、そういう点では本当に楽チン。
今日のグループラインである生徒さんが書いていましたが、真の武術家は武術をしていない時でもそんな雰囲気がある。立ち居振る舞い、雰囲気が違う。私自身はとても武術家とは言えないしそうなるつもりもないけれど、どこかそのエッセンスのようなものを得たいと思っています。
餃子作るかなぁ・・・豚のひき肉どこでゲットしよう?
2020/4/8
今日からパリ市内は10時から19時まで運動目的の外出は禁止。最近ジョギングをする人が随分増えていたし、子供が春休みに入って親が一緒に外で遊ばせる姿も多くなっていた。
今日の日中は警察の取り締まりも多く道は閑散としていたけど、19時過ぎたら近所の公園の周りはジョギングする人達が列をなしていました(左の写真)。
スーパーやパン屋に入る時は2メートル近く距離をとって列に並ぶのだけど、夜になってやっと外出できる!と飛び出してきたジョギング愛好者達はそれどころでない様子。抑えるとリバウンドする、ダイエットと同じような状態にならなければ良いけど。
法律で縛ると法律に違反しなければいい、という態度になるのは仕方がないかなぁ。私も買い物行くふりして歩きながら腰回ししてました。人と警察がいない道を選んで(苦笑)太極拳の練習は歩きながらできることがいろいろあるので便利♪、と書いて一旦ストップ。「いや、寝ても立っても食べてもしゃべっても何をしても練習になる!」と私自身に思い起こさせました。
ああ、「坐立行卧不离练功」24時間全てが練功になる、知っていたけどお題目のようにしか知っていなかったことに気づいてしまった!
1秒1秒、今、まさに今、この文字を打っている今、が練功の中にいる・・・ずっと練功の中にいたら24時間どころか人生全て練功の中で過ごすことになる。
外界で何が起ころうと全てが練功として吸収されてしまう。練功のメニューは変わっても私には影響がない。
・・・マジでそうかも、いやそうに違いないそうだろう・・・そんな意味の言葉だったのか?「坐立行卧不离练功」は。座っても立っても歩いても寝ても練功から離れない=常に練功する、というそんな平坦な意味ではなかったよう。次元が変わる。次元を変えられる、外界と私の間に常に練功のクッションがあれば。なんだか不思議な感覚。練功に自分がしっかり守られている。何があっても練功が自分を守ってくれる。究極的には死でさえ練功になるだろう(最大の練功になるだろう)。暫しこの感覚を維持していたい。
2020/4/7
昨日撮った『引気帰丹功』の補足。
太極拳の呼吸の基本(吸→蓄→吐→松)を加味しました。レベルが上がりますが、丹田に引き入れた後、命門で吐いて、腎で吸えたら完璧です。
そして肩と胯の合についても補足。雲手(運手)にもそれらの回転がある。実際にはこのような回転は露骨には見せないし見えないけれど(隙間となって意識されるようになるから)、まずは回転できるように練習すべき。
2020/4/7 <生徒さんとのやりとり>
最近毎日のように動画をとっているけれども、動画を撮る時は無意識で自分の生徒さん達を思い浮かべているようだ。これも教えたい、あれも教えたい、と欲張って、かえって生徒さん達を混乱させてしまうのが私の欠点だが、慣れている生徒さん達は必要な一部分だけ吸収してほとんどはスルーさせているようだ。が、それでもスルーさせたところがどこか奥に残っていることがあるらしく、随分後になって、「先生、ここはこうですよね?」と既に私が教えたことをあたかも今自分が発見したかのように報告してくれることがある。それはとても喜ばしいこと。私がそう言ったからそうなったのではなく、そうなんだと自分が気づいた、というのは悟性の現れで、それがあると練習が楽しくなる。進歩も速い。日頃から問題意識を持って練習することが大事。
今日は私の生徒さんからそんなことを示すメッセージをもらいました。
昨日の『身体を膨らまして上肢を繋げる』という動画を見て気づいたのだと思うのだけど、そのメッセージを紹介します。
ちなみにこの生徒さんは私のところに練習に来ることを決心するまで2年もの間ひたすらこのブログを読んでいたそう。理由は内容が難しいから私の生徒さん達のレベルがさぞかし高いと思って躊躇していたらしい。実はそんなことは全くない(苦笑)今でこそ数年かけて育てた生徒さん達が多少いるから、少し高度な話をしても話が通じるけれど、以前は話ができる生徒さんがいなかった。太極拳の深い話ができて、練習相手にもなってくれるような生徒さん=仲間を作りたくて一生懸命教えてきたのだけど、ここにきて私自身がパリ留学(?!)してしまい生徒さん達は置き去り状態。時間のあるこの時期に動画やビデオレッスンなどで少し補習をしたいところ。
ちなみに、私の古株生徒さん達の共通した課題は上肢を胴体(腰)に繋げること、すなわち胆経を繋ぐこと。膀胱経を使ってのタントウ功、動功を経て、胆経に移動中。が、なかなかこれが難しい。膀胱経を繋いだ立ち方で丹田に気をしっかり溜めたら、それを素にして(腰)を前に押し出して胆経も繋いでいくのだが丹田に相当気が溜まっていないと胆経を繋いだと思ったら膀胱経が外れてしまう。そんな試行錯誤の生徒さんのメッセージ。(タントウ功の立ち方をなぜ膀胱経から胆経に移動させていくのかについてはどこかで説明しなければならない。でもまずは膀胱経をちゃんと繋いである程度周天ができるようになっていなければならない。)
<以下LINEのやりとり>
<生徒さん>
図の?部分が上手くいかなくて、どうしたらいいのかと考えていたところに、あの動画レッスン!
縦方向に繋ぐことびかり考えていて行き詰まってましたが、体の前後に膨らます(横方向)ことで縦方向、、、胆経を繋げられるんですね。もう目からウロコで、今ワクワクしてます。
今日の練習で何度も試してみようと思います。動画見ながらだとできたような錯覚かもなので(苦笑)
<私>
そんなに役立ちましたか?
問題意識ある人だと得るものが違うのでしょうね。良かったです。
縦の次は横、横に広げていきます。
そー言えばそう言って教えてあげたことがなかったかなぁ?胆経も横に広げる感覚の方がわかりやすいのかもしれませんね。
<生徒さん>
そう言われてみると、縦の次は横と、何度も教わってたような、、、
私はまだまだ基本ができてないし気が少ないので、縦方向ばかり気をつけて練習してました。縦から横、前があって後ろ、、、なんて大事なことを忘れてたんでしょー!
先生、ありがとうございました🌷
LINEのやりとり、以上!
身体を膨らませるには、シーツを張る、テントを張る、ように、縦横斜め、いろんな方向からピッと張らせることが必要。基本の丹田回し(腰回し)の動功(水平円、立円、竪円、斜円)はそんな役割がある。基本の動功も改めて動画に撮った方がよさそうだなぁ。
2020/4/6 <引気帰丹功 身体を膨らまして上肢を繋げる>
ドイツに住む友人から外出禁止期間中にできる手軽な練習方法はないかとメッセージが入った。肘を痛めているとのこと。
昨日撮った”肱”の動画をそのまま送ろうかと思ったけれど、(前回日本で会った時の彼女を思い浮かべて)丹田の気が減って背中が丸くなってきたような人がいきなり肱(上腕)と胴体を繋ぐことはできないだろうなぁ、と、まずは腹の気を増やして丹田を作る基本的な動功を紹介することにした。
『引気帰丹功』は文字通り、気を引っ張ってきて丹田に戻す功法。腰(命門)までしっかり届かせて、命門を開きながら徐々に腹も膨れるように動作を繰り返します。
上の動功をして丹田に少し気が溜まったら、本当のオススメはそのままタントウ功に入ってしまうこと。そうすれば気が確実に育てられる。
他の動功や套路をするにしても、先に丹田に気を溜めておく必要がある。”拿住丹田練功”(丹田を掴み続けたまま練功する)には丹田に気が溜まっていないと始まらない。
そのあと、肱と太ももの連動性、肩と胯、肘と膝の合が分かるような応用的な動きも紹介しました。ここでも胴体、頚椎から尾骨ラインまで、気で身体を膨らませられるかが問題になる。完璧にできなくても挑戦してみてほしい。全身運動になります。(私はしゃがんだあの体勢のまま24式をやって師父に見せて驚かれたことがあるけど、しゃがんで動いた方が”周身一家”=全身一つの感覚がよくわかります。)
2020/4/5 <肱と胴体をつなぐ 肘、胆経、そして丹田を外さない呼吸>
今日はzoomを使って東京近辺の生徒さん達とおしゃべりをしてみた。
テレワークが主流となってきてるこのご時世、そうなると国内だろうが海外だろうが距離は変わらない。
おしゃべりの最後にせっかくだから一人の生徒さんの動きをチェックさせてもらった。
套路のどこでも良いから少しだけ見せて、といってやってもらう。
第五式单鞭をやってくれたが、出だしの左肘を見ただけで、あ〜、甘い!と思ってしまう。
ポンが足りないのだけど、それは単なる外形の話ではない。内側が繋がっていないのが原因。
少し教えてあげれば分かるはず・・・と、簡単な肘回し的な動作から説明。
太極拳の套路の中には、肱(gong) という文字の使われている式がいくつかある。すぐに思い出すだすのは、掩手肱捶 や 倒卷肱。
肱は上腕骨のこと。
太極拳の腕の使い方の要になる部位。太極拳の腕の特徴的な使い方(人体的にはとても自然な使い方)だ。
推手を練習もこの肱の練習だと言い換えることができる。
巷の人を見ていると、上腕骨をきちんと使いこなしている人はとても少ない。
歩き姿をみれば一目瞭然。
肘の使い方でわかってしまう。
上の図を見れば分かると思うが、上腕骨がきちんと使える、ということは、肩関節と肘関節がきちんと使える、ということに他ならない。そして肩関節がきちんと使える、ということは、肩甲骨がしっかり機能しているということ、そして肩甲骨がしっかり動く、ということは、肩甲骨が肋骨に貼り付いていないこと、そしてそのためには、→肋骨がしなる(含胸)→背骨がしなる→脊椎がバラバラに→丹田という重みのある不動点の形成、・・・と結局そこまで遡ってしまう。
肱、すなわち上腕骨で打てる、ということは、既に肩や肘の要領がクリアされている、ということでレベルとしてはとても高い。含胸、沈肩や墜肘はもはや問題にならない(当然できてしまっている)。
が、含胸、沈肩、墜肘などの感覚がはっきり分かっていない段階でも、上腕骨の胴体(腰)との繋がりが分かれば、その時の感覚を元に含胸や沈肩の感覚が会得できるだろう。(私が今回使った肘回しの動作を使った練習の場合は墜肘の感覚は得られない。肘は上腕骨と前腕を構成する骨の間にあるから、墜肘の感覚を得るには、前腕の動き、すなわち肘から手首までの使い方を会得する必要がある。)
肱を胴体と繋げると、感覚的には体側と繋がったようになる。肘は腰、腎と繋がったような感覚になる。肱の回転は、大腿骨の回転と連動していく。
以下かっこの部分は読み飛ばして構いません。興味ある人のみ参照してください。
(これらは胆経のラインの繋がりとして意識できるので、肱を意識する段階にきたら、タントウ功をそれまでの膀胱経を重視した姿勢から胆経へと変えていく。具体的には上体、特に骨盤をぐっと前に移動させる(走るのが遅い子供を早く走らせるために、コーチが後ろからお尻を押しながら走ってあげる、というのを見たことがあるが、まさにそんな感じ。腰が前に出ると丹田が使えるが、丹田に十分な気がないと腰が沿ってしまうので、タントウ功の最初の頃は少し後ろ目に立って丹田に気を溜めるようにする。膀胱経重視→胆経重視 へと立ち方を変えていくタイミングは通常指導者が指摘してくれるのだけど、胆経で立てるようになっても立ち始めは膀胱経で立って気が溜まったら徐々に立ち方を変えていく。)
文章で書くとややこしいので、とりあえず動画を見て真似してやってみて下さい。
途中で息について説明していますが、息を間違うと肱が繋がらずただの肘回しになるので十分に注意。太極拳の息は吐こうが吸おうが丹田から外しません。
2020/4/3 <開合と呼吸 太極拳のルール>
太極拳の開合と呼吸に関する基本的なことを動画に撮りました。
太極拳はその昔、開合拳と呼ばれていたこともあったとか。
太極拳は開合の繰り返し。開合なくして太極拳は成り立たない。
開ー吐く 合ー吸う
開は丹田→末端 合は末端→丹田 への気の流れ
吐いて開、吸って合
試してみれば分かるけど、そうするにはある程度丹田に気が溜まっていなければならない。
丹田に気が溜まってないうちは、開きながら吸って、合しながら吐いて、徐々に丹田に気のタネをつくていく。呼吸をひっくり返せそうになったら、原則の ”吐いて開、吸って合” に転換させる。
開の中に合あり、合の中に開あり、と言われるのはこの呼吸と開合の組み合わせが前提。
これで気を練っていけるようになる=丹田の気が増やせるようになる。
この開合を練習していけば丹田呼吸の要領が分かるはず(と期待)。
2020/4/2
Sadhguruは3/22から毎日LIVEで講話をしてくれている。ただのヨギーではない、ここまで広く深い叡智のある人物は世界でも稀だと思う。政治家も彼にアドバイスをもらいに行く。インド人なら誰でも知っている人物ではないかなぁ。英語圏では知名度が高いけれど日本ではそれほどでないのはやはり言語のせいかと思う。世界のレベルはまだまだ高い。
今日のライブで感動的なシーンがあったので、その部分だけ紹介します。
Stay at Homeで私たち人間は面白くないけれども、外の鳥や動物は私たちが家に留まっていてくれてかえってエンジョイしてるらしい。普段人間はどれだけ他の生物を生き辛くさせていたのか?(苦笑)
2020/4/2
呼吸と気の運行は・・・実は関係ない、と師父と確認をとったら、しばらく呼吸の話はお預けにしようかと思い出した。呼吸は追いかけ過ぎると逃げていく(不自然になる)。不自然になると気は扱えない。
再度原則に戻ると、気は呼吸で動かすものではない。
気は意で導くもの(以意通气)。それも導くものであって動かすものではない。
気を無理に動かそうとすると(運気)気が詰まって動かなくなる(気者滞)。
気は行かせる(行気)。もしくは”通す”(→”通す”には先に通路を開けて置く必要がある。通路が開通していれば意で気が通ってしまう。通路が開いていない箇所、関所については、頑張って気でこじ開けようとせずに通路自体を開くように=その部分の力を抜いて内側の空間を空けるようにして気を通してあげる。この、他律的なところ、自力でごりごり推し進めなられないところが、太極拳的なところ。)
気を動かそうとして詰まって痛い思いをするのは練功者皆が通る道。
気が溜まって動かせるようになると動かしたくなってついつい気自体を背骨沿いに上げていったり、気が詰まって気持ち悪い場所から気を逃がそうと意識をその場所に持って行って気を動かそうとしてしまう。そして、結果は、うまくいかない。帰って詰まりがひどくなってしまう。
そんな時、指導者や共に学ぶレベルの似た者がいれば、一言アドバイスをくれるはず。
「気を追ってはいけない。どんなに気が動いても丹田を外してはいけない。」
(が、悲しいのは、何度同じ注意をされても、また知らないうちに気を追って動かそうとしてしまうこと。気が動かせるようになると(そんな気がしてくると)ついつい動かしたくなってしまう。私も何度も失敗して痛い目にあったし、師父の失敗談も聞いたことがある。痛い思いを通じて身に刻み込まれる教訓。)
そう、気を動かそうとすることの問題点は、気を動かすことに集中して丹田がおざなりになることにある。丹田には常に意という火を注ぎ続けなければならない。心の火と腎の水を合わせる(相済する)ことで気が発生する、という言い方がされたり、意の火を丹田の水につける、みたいな言い方がされる。(実際にはそんな抽象的な表現ではどうして良いか分からないから、練功の現場では師が弟子にもっと実際的な方法を教えることになる。)
「丹田呼吸ができてしまえば、気を動かすのは簡単、問題にならない。」と私が昨日書いた点、師父も全くその通りだと言ってくれた。
その上で、「気をどの向きに動かすにしろ、吸ってでもできるし吐いてでもできる。吸う吐くは関係ない。ただ、例えば、采(cai)は吐かないとできない。」と話してくれた。采? ああ、確かに、吸ってはできない。ポンは吐いても吸ってもできる(会陰を引き上げるのがポンの核心)。リューは・・吸っても吐いても可能。ジー、アン、リエ、肘、カオ、どれもどっちでもできる。采だけかしら、吐かないとできないのは? 考えたことがなかったけれど。発勁(寸勁)は吐かないと無理、のはず。明日師父に確認してみよう。
結局、繰り返しになるけれど、丹田呼吸、すなわち、吸いながら吐いている、吐きながら吸っている、という状態が生まれるところまで漕ぎ着ければその後の道はそれほどややこしくない。
そして今更ながらだけれども、丹田呼吸は気が丹田に十分に溜まった時に自然に起こる現象。
(逆に言えば、腹に十分気が溜まっていないのに丹田呼吸が発生することはない。)
としたら、どうやって丹田の気を増やすか、話はいつものそこに帰着する。
①丹田の気を十分に増やせば→
②丹田呼吸発生→③気の動きが発生(気を導ける、気の動きをコントロールする)
この中で手間と時間がかかるのが①の過程
上手に気を育てなければならない(昔流行ったたまごっちみたい?親鳥が卵を孵化させるのと同じ?孵化してしまえばあとは自然に成長が進む)。
この①の孵化期には、時に呼吸を工夫したりして火加減を変える。呼吸はその程度の役割。
丹田の気が多くなってくると自然に息の入り方も変わってくる。呼吸よりも息が大事だとわかるようになってくる。
息? そう息。胎息、丹田呼吸を絞って言って臍呼吸にした時の息・・・吸ってるか吐いてるかわからないような・・・また師父に確認したいことが出てきたなぁ。