2021/1/31 <脱臼しやすい肩関節 腕と胴体をしっかり繋ぐ 脇を締める 沈肩+墜肘>
肩関節は、それが私たちの自由自在に動く”手”に繋がることもあって、進化の過程で関節の安定性よりもに可動域に重きを置くような構造になったという。身体にある関節の中で最も脱臼しやすいのはそんな構造にあるそうだ。(http://www.hitsujigaoka.com/shoulder/dislocation/)
私たちの腕は普段とてもゆるく肩関節に付いているような状態だ。だから、もし手を差し出して握手をしている最中に急に相手が自分の手を引っ張ったら(リューされたら)・・・あっ!と腕を引っ張られて肩関節から抜けそうな体勢になる。身体(胴体)はこちらに残って、腕から先が向こうに引っ張られたような形だ。
では、もし相手をキックしようと右脚を上げたところをその足をとられて引っ張られたら?(提収のシーン)
きっと、おっとっと、と左足でけんけんしながら身体は相手の方に近づいていかざるを得ないだろう。(提収だとここで相手に両手でドスンを胸を推されて尻餅をつく羽目になる。)
伸ばした腕を引っ張られた時はとっさに胴体は引かれまいとして胴体と腕が引き離されたようになる。これに対し、伸ばした脚を引っ張られた時は胴体も一緒に引っ張られてしまう。脚と胴体の間には引き離れる隙間が存在しないかのようだ。
これから分かるのは、肩関節は股関節に比べて外れやすい、関節としてはとても緩い構造をしているということ。
しかし、肩関節は骨と骨のアライメントという点において不安定な構造をしているが、その周りの靭帯や筋肉の働きで安定性を増すことができる。だから、私たちは「ここは気合いをいれて(腕を使う)!」という時は、無意識に脇を締めるのだ。
脇を締めるシーンはとても多い。走る時はもちろん、ラケット競技でも水泳のストロークでも気を登るのでも、そろばんもそうだったし、パソコンでも気合いをいれて速打ちするなら脇は締めているだろう。
脇を締める、というのは別に脇を胴体に密着させることではなく、それによって腋下に深さと広がりが出て、体側がキュッと立ち上がるようなものだ。これをすると息が丹田に落ちるし肩も下がる(胸ではなく腹で咳をしようとすると同じような状態になりそう→腹で咳をするのは息を腹まで吐いて腹圧を高める練習として有効)。
そして脇を締めるとそれまで存在感のなかった肘が突如ニョッと顔を出す。それは腕をまっすぐ下に垂らした状態で脇を締めるとよく分かる。最初は真っ直ぐで目立たなかった肘の後ろの肘頭が脇を締めると角度がついてこっそり肘鉄をやっているような風になる(満員電車の中で後ろの人にこんな微妙な肘鉄(肘のアン?)をやり続けたら相手をとても嫌な気にさせるだろう・・・)。
こんな肩や肘の状態が「沈肩+墜肘」で、一体その時、肩や背中や腕、いや、全身の筋肉や骨は解剖学的にどんな状態になっているのだろう?というのがここ数日の私の疑問。
バレエで「肘が下がってはいけない」というのと、太極拳で「墜肘」というのは文字で見れば真反対のようだけれども、腕を胴体と一体化させる、腕が身体を引き上げ脚の動きを助けることができる、という効果の点では全く同じだ。「墜肘」は決して「肘を下げる」ということではないのは明らか。
私のこれまでの「沈肩+墜肘」のイメージは普段の師父や以前見た馮老師に共通した姿で、普通に立っている時に横からみると上腕が体側(胸郭)よりも後ろに垂れていて腕自体はぶらぶらしている。けれど、いつでもどの方向にでも肘鉄(肘技)を繰り出せそうな姿勢・・・だから後ろから不意打ちできない雰囲気だ。街行く人々の歩く時の姿はただ腕が適当にぶらぶらしているだけで、肘打ちが即座にできそうな人は見たことがない。
また、冒頭に設定した、急に伸ばした腕を引っ張られるシーンにおいて、師父などは、腕とともにそのまま胴体が相手に寄って行ってそのまま相手に肘技か肩技をくらわすことになる(腕をリューされた時の典型的な防御→攻撃の仕方)。つまり、腕と胴体がしっかり密着していて、肩関節が股関節のようになっているということだ。
脇を締める、というのは特に剣道をイメージするとわかりやすいかと思うが、同じようなことを太極拳の「沈肩+墜肘」でやっている。その効果は、腕が胴体としっかり密着する、ということ、その結果、最終的には足裏の力が手先まで繋がる、節節貫通となる、ということだ。
では、その「沈肩+墜肘」をどうやって作り上げるのか?
生徒さんたちに教える際になにか一発で分かる秘訣みたいなものはないのかしら? といろいろ調べてはいたのだけど・・・
最終的には気が満ちれば自ずからそうなる、松→松沈の延長線上に「墜肘」がある、というのが今日の師父の回答でした。
・・・けど、これじゃあ禅問答みたいだ。
自分自身の感覚としても身体の内気がある程度ないとそうならない(身体のポン、膨らみが必要)ということは分かるけれど、なぜ内気が必要になるのか、というところを生徒さんが理解できるところまで(「ああ、ここで内気が必要になるんだ、けど、今はその内気が達さないからその状態にならないのだ」、と類推で分かるところまで)導けないものなのだろうか?
沈肩にしても墜肘にしても、息がそこを通らなければならない。外から肩を沈めたり、肘を墜落させても”それ”にはならない。やはり呼吸は決定的だ。
肘の話をしていたら次第に師父が調子付いていろんな肘技を私にかけだした。久しぶりの技の話で面白く、それらを教えてほしい、と言ったら、それらは通常、推手の展開で練習するようなものだという。結局、沈肩や墜肘は、推手をすれば自分ができているかどうか、自分の甘さも痛感できるし修正もできる。一人で套路だけ練習していても本当にできているのかどうかはなかなか分からない。「身体は接触させて初めて学べる、当たり前だろ!」 「前肩カオと後肩カオでは相手に与えるダメージが全く違うというのも、自分で木を相手にカオを練習して分かったことだ。」・・・話はだんだんズレていった(苦笑)
最終的には推手で相手と接触してお互いに相手の、そして自分の力(勁)を知ることが必要。これで太極拳の練習は客観性をもつものになる。でないと、抽象的な観念論のようなものになりかねない。師父といる間に練習すべき課題がはっきりしたようだ。日本に戻ったら生徒さんたちに教えて皆で推手で遊べる(遊びながら学ぶ)くらいにはなりたいもの。その頃にはコロナ騒ぎまも収束してる、はず。
2021/1/29
横浜の自宅は空き家にならないよう、娘の彼氏が愛猫と一緒に住んでくれている。
以前私がピアノを弾いたことのない彼に、「たまにはピアノを弾いてあげてね。ピアノは放っておくと狂うし傷むみたいだから。」と冗談のつもりで言ったのを真に受けたのだろうか? 今日彼は自分がピアノを弾く動画を撮って送ってきてくれた。
弾いているのはドビュッシーの月の光。娘が大好きで一生懸命練習していた曲。が、何個も♭があって楽譜を読むのに苦戦していた。結局転調するところでギブアップ、続きは私が弾いてあげていた。
彼氏はピアノは弾いたことがない。けど、耳で曲を知っている。楽譜もどうにか読める。大学もオンライン授業でほとんど家にいるから時間もあったのかな? 頑張って出だしの9小節を何度も繰り返し練習したらしい。
動画を見てびっくり。これまでたくさんのピアニストの演奏を聞いてきたが、彼のような本当の初心者の演奏にはピアニストにない純粋な気持ちがにじみ出ていた。心の中には歌がある。心の中にあるものをそのままピアノで表現したい。けれども指はそこまで器用じゃない。下手すると間違えた鍵盤を押してしまう。間違えないように意識を最大限に集中させる。心(感覚)と頭(意識)のハーモニーが見て取れる。とても新鮮♪ 忘れかけていたものを思い出させてくれた。
訓練を繰り返して技術に長けてくると、無意識で身体を操れるようになる。鍵盤を弾くのも、キーボードを叩くのも、車を運転するのも、そして太極拳の套路をするのも、半ば機械的に身体が勝動いてくれるようになって、それをしながら別のことを考えることもできてしまう。意識が100パーセントでなくなる。
ピアニストになってしまえば上の月の光は技術的には簡単な曲。そうなると、そこに余計な感情や表現が盛り込まれて、時には大げさな身振り手振り、悲痛な顔の表情までセットになってくる。酔った状態だ。
酔うと(陶酔すると)意識は減る。意識が100パーセントだと酔えない。
個人的には人が陶酔する姿を見ても美しいと思えないので、できるなら”意識型”の表現、意識を拡大してくれるの表現に触れたいと思っている。それに触れることによって目が開く、目がはっきりするようなものだ(陶酔すると目が奥に行って眠りに落ちるとか夢の中にはいっていくような感じになる)。
ミケランジェリとかホロヴィッツ、そして指揮者のムラヴィンスキーが大好きなのは決して陶酔しないから。常に意識100パーセント。私自身ピアノを弾いたり套路をしていて時々気づくのは、今、ここに集中しているつもりなのに、時折フラッシュバックのように別のことが頭に浮かんでいるということ。馮老師も含め、どの分野でも巨匠と呼ばれる人たちはそんな隙間がない、意識で照らされ続けているはず。
もっとも、そもそも武術や武道の場合は隙のない意識を目指すもの(陶酔していたら討たれてしまう)。道のつくもの、茶道や合気道や柔道・・・はどれも”意識を開く”道。 芸術の場合は陶酔型もあるし意識型もある。テクニックが難しいと陶酔してられないから意識的になる。テクニックが簡単だと陶酔できやすい。私がいつも自分の実力より上のテクニックが必要な曲ばかり選んで練習しようとしていたのはその方が集中し続けやすいからだったからなのかなぁ?
今日の娘の彼氏の動画は、陶酔せずに心の中のものを”そのまま”出してくる(表現、という言葉自体がすでに態とらしく感じてしまう)、という大事なことを思い出させてくれた。内側のものをそのまま外に出すには内側と外側を結ぶ通路が開通していなければならない。彼の場合は、心の中のものが手首まで達して来ているのだが、その先の掌や指が開発されていないから思ったようには指先に達していない。けれど、彼の思いは十分感じ取れるし、しかも、その不自由さがとても感動的なのだ。不自由さの中に意を感じるからだと思うが、それは、私自身が練習している左手だけのシャコンヌと同じだろう。
と、娘の彼氏の月の光を聞いたらホロヴィッツのトロイメライが聞きたくなりました。テクニック的に全く問題のない人が意識で弾く演奏。1986年モスクワ、60年ぶりの祖国。気沈丹田で静功をしているようなホロヴィッツの姿、そしてそれを食いいるように見る観客、涙を流す男性・・・普通のコンサートとは雰囲気が違います。(以前ロシアで演奏会に行った時にも感じたのは、ロシア人の観客はただ楽しみのために鑑賞する、という感じではなかった。もっと切迫感のある、それをどうしても必要としている、そんな感じがありました。戦時中は音楽がとても大事だったというから・・・?)
ともあれ、巨匠83歳、亡くなる3年前の演奏。シンプルに戻っていく・・・ある年齢を越えたら初心に戻っていく・・・彼氏の月の光でホロヴィッツのトロイメライを思い出したのはそのせいかもしれない。
ん?息はどうなってるだろ? まあいいか(苦笑)
2021/1/27 <息を止めない 秘伝か?>
呼吸についていろいろ質問したこともあって、今日は隣で師父が「吸」「吐 」の号令をかけながら一緒に24式をやることになった。
起式のポンはやはり「吸」。実践の技ならポンは「吐」だけれども24式ではそのままジーに続くので、ジーを技とみなして「吐」。ポンとジーの連続技なら「吐」「吐」。だけど通常套路をそうやってやる人はいない。
第三式懒扎衣の定式に向かう右手の左から右への弧を描いた動きは「吐」。定式(最後のポーズ)で吐いた気が丹田に落ち着いて(気沈丹田)、それから第四式へと向かうその瞬間に「吐完(吐き切る)」とともに放松が入る。 そうしたら次は当然「吸」、丹田を回すところは「蓄気」、そして西へジーの時は「吐」。そして次の動作に向かう瞬間に「吐完」(放松)。
至る所で、吸→蓄気→吐→吐完(吐き終わる、吐き下ろす)→吸→・・・・ の流れになっているのが分かる。
師父と呼吸が反対だったのが「蹲」(しゃがむ)の時。私は最近はもっぱら吐いてしゃがんでいたが、師父は「吸」だった。
「吐」でしゃがむ(身体を降ろす)と一気にしゃがめるが、立ち上がって来る時に吸わざるを得ず動きがそこで分断される。しゃがんで立ち上がるまでを一つの動作としてつなげるなら「吸」でやる必要がある。吸えばその後しばらく腹に「蓄気」して気を運用することができる。吸いながらしゃがむと、立ち上がる時は腹の気が身体をぐっとプッシュしてくれる。これが「蓄気」の作用だ。尤も「吸」の時に腹まで吸えているのが前提となる。
「蓄気」には 「腹に吸」えなければならないし、腹に吸うには、「吐完」=吐き終える、吐き降ろす、吐き切ることが必要になる。 「吐完」にはその前段階の「吐」が必要で、この構図はやはりあの「デルデル呼吸」の2段吐きと同じになる。
吐→吐完→吸→蓄気
という順番に並べた方がよいかもしれない。
意識的に吐かないと腹の呼吸筋が作動しないということに関係すると思うが、私は自分が「吐いているのか」、それとも「吐き終えようとしているのか」を注意して見た方が良いと思った。「吐いている」だけでは腹まで達していないことが多く、次の「吐き終えようとする」時にギュッと腹圧がかかって腹に気が落ちるのが分かるからだ。もしくは、昨日のメモの最後に追記で載せた画像の馮老師の口のようにして細く長く吐くか・・・・ただ、あの画像を師父に見せたら、あの口は静功の時の呼吸だ、と言っていた。静功の時の呼吸を套路や推手の時にも行なえるのは理想的だと思うが、それは非常にレベルの高いこと。
一連の観察を通じて思い知ったのは、自分がいかに息を止めることが多いかということ。それは太極拳の練習の時よりも普段の生活時に甚だしい・・・・が、私だけかな?と思って周囲を見てみると、息を吐ききっている人など小さな子供以外はほとんど見当たらない。街でせかせか歩く人たちは皆胸のあたりに息を詰めているし、メトロの中だって腹まで息を入れている人は見当たらない。優雅に歌を歌ったり楽しく口笛を吹きながら料理でもすれば腹で息ができそうだが、そんな余裕がなくてせかせかしているとやはり息は詰まっている。
デルデル呼吸を試した生徒さんから、「初めはあまりうまくいかなかったけどけ2回目はアレ?って思うほどうまくいきました。何故今まで息止めてたんですかね?」というコメントをもらった。
「何故今まで息止めていたんですかね?」
彼女のその一言があまりにも絶妙で頭の中で何度も反芻してしまった。
ほんと、何でだろう?・・・
その後彼女が「犬や猫はどうなんですかね?」と聞いてきたからうちの犬や猫の排泄を見てみたら、やっぱり息んでるように見える。2段吐きしてるとも思えない。 犬が唸っている時は息を堪えている。動物たちも少しでも緊張していると息は通顺(通りの良いこと)ではなさそうだ。野生の動物も常に危険に晒されている。としたらやはり息を堪えたり息を止めることもよくあるだろう。
としたら、「息を止めない」という練習は実は簡単そうでとても難しい、動物の性に反する、あるいは超えることをしようとしているのかもしれない。「深呼吸」なんて使い古された言葉で何の新鮮味も感じないけれど、実態は”秘伝”そのものなのかも?
あまりにもシンプルで私達が見落としてしまいがちなところに”秘伝”ともいえるものが隠れている・・・公に大公開されているから却って見落とされてしまう。
呼吸を調えて、息を乱さずに生きられるようになったら、もう覚者だ!
<追記>
デルデル呼吸の2段吐きについての考察
なぜ一回で吐き切らないかというと、一回で吐くと胸→腹→骨盤底筋 の胸→腹 までしか吐けないから。吐いて、さらに吐くと腹の筋肉が動いて骨盤底筋まで起動する。
吐くと「松」する。
デルデル呼吸では「吐くと緩むから出口も緩む」と言うが、吐いて緩む(松する)には、ほっとした時のように舌を下げておく必要がある。
が、(排泄時を含め)腹圧を高めようとする時は、舌は上顎の方に上がっている(下げると空気が抜けて腹圧が高まらない)。舌を上に上げたまま吐いて腹圧を高めると骨盤底筋がギュッと収縮して持ち上がる。こうなると出口は閉まる。通常は身体の7つの穴はどれも閉めておくからこの状態が正しいのだが、排便の時はその出口を開く必要がある。
デルデル呼吸では1回目に吐いたあと、続けて吐いて横隔膜、多裂筋、腹横筋、を収縮させながら底辺の骨盤底筋にある出口(肛門)は緩めてしまう→左の図
確かに、歯磨き粉のチューブは蓋を外して絞るからペーストが外に出てくる。蓋をしたまま絞ったらいつまでたっても出てこない(当たり前)。
これがデルデル呼吸の素晴らしさは、吐く息を二段階にすることでしっかり吐きながら腹の円柱の上(横隔膜)と横(腹横筋・多裂筋)で腹を絞って腹圧を高めるかのように見せかけて下の出口(肛門)から抜いてしまう、そんな技の妙。
面白いのは、出口を緩めるには舌を少しずつ下げていく必要がある。舌を上げたままでは緩まない。
原則として吐くと横隔膜と骨盤底筋は上がるのだが、この2段吐きの際に緩めたのは肛門。骨盤底筋が上がったまま肛門を緩めているのか? そのあたりははっきり見極められていない。にしても、舌と骨盤底筋は絶対にリンクしている・・・
もしや?と思って、「骨盤底筋と舌」と検索したら案の定、いくつかのサイトがヒットしました。尿漏れと舌の位置の関係、あっかんべーで舌で骨盤底筋を引っ張り上げる、など。
https://mainichigahakken.net/health/article/40-3-1.php
https://ameblo.jp/karada-link/entry-12600472311.html
ふ〜む、私達の生理的な身体の運動は太極拳の動作よりも解読するのが難しそうだ・・・。
2021/1/26 <動きながら自分の呼吸を観察して気づいたこと>
今日は師父と一緒に套路をしながら自分の呼吸を観察してみた。
吸って吐いて、というのは今までも注意してやったことがある。しかし、どの程度吐いているのか、どこまで吸っているのか、そしてどのくらい溜めているのか、という細かいところまでは意識して套路したことはなかった。
やってみて気づいたのは、吐くのが中途半端。吐いた途中、丹田に届く前に息を止めてしまっていることもあって、あれ?これはまずいだろう?、と、途中から意識的に丹田まで丁寧に吐くようにした。丁寧に吐くと唇の形がいつもと変わって、套路をしながら、こんな口の形をどこかで見たなぁ? と馮老師の動画の一場面が頭に浮かびそうになったが、とりあえず呼吸を見守り続けなければ、と観察を続けた(→翌朝ざっと調べて出てきた画像は追記へ)。当たり前のことだが、呼吸は鼻から腹底の間をエレベーターのように上下するだけ。手の方に流れたりはしない。では、これまで手足に流れていると思ったものは何なのか? そんな疑問も湧いたがあとで師父に聞こうとそのまま套路を続けた。
知りたくなったのは、自分が無意識に息を止めるのはどのような時なのか?ということ。しゃがんだ時に息を止めるのではないかと思ったけど、実際にはうまく息を吐きながら繋いでいた。では、ジャンプする時は? と二起脚で見てみようと心に決めて、二起脚にさしかかって右足を踏んで左足を上げた時、瞬時に、「以前だったらこの瞬間息を堪えて(止めて)いたなぁ。だから跳んだ瞬間に自分の上げた左足をしっかり目で目撃できなかったのだなぁ。」と感じた。怖い時に目を瞑ってしまう、そんな時は当然息も止めてしまっている。自分の動き全てを目撃する(意識的に行う)には呼吸は止めてはいけない、ということなのだ・・・発勁できる箇所で発勁しない時もそうなのか?とまた疑問が湧いた。
套路の練習が全て終わって、忘れないうちに、と師父に呼吸に関して疑問点を尋ねた。そしたら師父は開口一番、「あなたは発勁の吐く時の『哈 ha』ができていない。『哼 heng』に近くなっている。舌をちゃんと下げて『ha』と言って丹田に気を落とさなければならない。」と言った。そう、発勁の時は舌貼上顎ではない。これも中途半端だった。
そして呼吸は止めてはいけないことも確認した。太極拳の呼吸は一般的に、吸気→蓄気→呼気→吐き切る、の4ステップで行われるが、息を止めることと『蓄気』は別物だ。吸って息を止めると胸に息が溜まって『憋气』(息苦しい感じ)になるが、『蓄気』の場合は吸った息が腹に入って腹で息が気に転換していく。
最後の「吐き切る」がなぜ必要なのか?といえば、腹を使って呼吸をしている場合、「吐いた」後、そのまま「吸う」ことはできないからだ。「吐く」から「吸う」に転換する間に必ず「さらに吐く」という感じの息(=吐き切る)が必要になる(今日の套路でも確認した。) あら〜、ここでも二段階で吐いていた・・・・デルデル呼吸と同じだ・・・
私たちの通常の呼吸なら吸って吐いて、吐いて吸って、の繰り返しだが、腹を使って内気をつくりだしながら呼吸をするなら、上記のように 吸って→蓄めて→吐いて→吐き切る、になる。吐き切ることで骨盤底筋を作動させるから、そのあと吸う時は会陰を使って吸うようになる。蓄気には骨盤底筋の働きが不可欠なのがここでも分かる。
そういうことで、気を溜める、気を煉る練習をする前提として、まず、「吐き切る」ことができるようになる必要がある。口笛を吹くように長く細く吐いていけばうまくいくと思う。静止状態でできるようになっても、私のように、套路の時にその息を忘れてしまっていることもある。日常生活でも (ん? 今、パソコンを打っている最中も)ちゃんと吐き切ることができていたら、ストレスはほとんどゼロなのでは?なぜなら、吐き切ると頭の中、身体の中がすっからかんになるのだから、考え事をしてる時は吐ききれないだろう・・・吐き切ることは私の新たな課題になりました。
今日の呼吸を観察する練習を通じて知ったのは、呼吸をregulate、調整する大事さ。中国語では『勻』という感じを使う。それには唇のコントロールが必要ではないかなぁ〜・・・口笛を吹くのも唇のコントロールが必要。管楽器を吹く人ならよく知っている話だろう・・・そのうちもう少し深掘りすることになりそう。
呼吸のコントロールができるためには貯水池ならむ貯気池が必要。今日師父は、発勁で『ha』と息を外に出してしまうにしても、3回くらいは連続で発勁できるだけの気は丹田に溜めている、と言っていた。私は一回発勁したら息を吸わないと再度発勁できないなぁ。
呼吸が乱れない、コントロールが効いている、ということは、丹田の貯気池にいっぱい気が溜まっている証拠。呼吸がコントロールできるということは意識が目覚めているということ。呼吸を見守ってコントロールする練習は日常生活でできるものだが、それは身体を名一杯動かす練習よりも骨が折れる。体力をつけ運動能力を高める練習とは次元の違う練習に入っていく。動きながらの瞑想になる。
2021/1/25 <まず吐いてから溜める 臍と気海と関元の距離は思った以上に大きい>
息を吐き切る、といってもその感覚には個人差がある。
太極拳の基本功となるタントウ功ではまず第一段階として、(全身放松して)足裏まで気を落とすことから始めるが、この<足裏まで気を落とす>というのは<足裏まで吐ける>ということで、それは<息を股関節、関元穴まで吐き切る>ということとほぼ同じになる。
足裏まで気を落とす、というタントウ功の第一段階では意識的に会陰を上げようとはしない。というのは特に男性に多いことだが、会陰を上げろと指示された瞬間に上半身に力が入ってしまうからだ。上半身の力が抜けて下半身が重くなる。身体は泥、あるいは液体のように重くなったように感じることもある。両足がべったり地面に貼り付いたらこの第一段階目はクリアする。
第二段階でやっと丹田に気を溜め始める。
ここで会陰を引き上げると連動して足裏の土踏まずも持ち上がる(土踏まずを持ち上げて会陰を引き上げても良い)。
ここから下半身の気の流れが足裏→丹田、下→上となる。上半身の気の流れは相変わらず上→下。丹田が上半身、下半身の気の合流点となる。
第三段階以降は、溜まった気を練り丹田の気の量を積極的に増やしたり、意を用いて導くようになる(行気)。
初心者は第一段階をクリアするのに何週間か数ヶ月かかるかもしれないけれど、一旦クリアすれば、それまで60分かかって足裏に気が落ちていたところが40分に短縮、そして30分へ・・・と練習毎に第一段階をクリアする時間が短縮されていく。
もしタントウ功に1時間時間を割けるとしたら、一段階目をクリアするのに必要な時間が短縮されればされるほど、第二段階の気を溜める時間が増えることになる。
築基功としてタントウ功をやっていた頃は、師父から1時間から1時間半タントウ功をするように指示されていたが、決めた時間が来て収功しようとすると師父がやってきて、あと10分延長しろ、と言うこともしばしばあった。それは、「せっかく長い時間をかけて第一段階をクリアしてやっと第二段階の気を溜め始めるようになったのに、今やめてしまってはもったいない。」という考えに基づいていた。
熟練してさっと足裏に気を落とせるようになれば、すぐに気を溜め始められる。
自分で足裏に気が落ちたのかどうか、最初はわからないこともある。指導者が「足裏に気が落ちましたね。」と言ってくれれば、自分で、「ああ、このような状態のことを”足裏に気が落ちた”と言うのだ。」と認識が可能で、脳で認識し記憶できれば次回同じような状態になった時にこれがそれなのだ、と再認識し、そのうち自分でその状態を再現できるようになる。しかし独りで練習していると客観的な認識を得られないので自分勝手な判断をしてしまうこともある。
一つの判断方法として言えるのは、自分の呼吸を観察した時に、息が細く深く、ヘソ下指4本分あたりにある関元穴のあたりまで届いていれば足裏まで気が落ちているはずだ。
関元穴は子宮の位置、そしてほほ股関節の高さに位置する。
以前のブログで書いたと思うが、股関節と踵は直結する(カエルの図を載せた)。
練習で何度も感じてきたことだが、気(息)を股関節に吹き込めば簡単にしゃがむことができる。股関節=踵へとワープする。
が、問題は、股関節まで息を吐き込むには、私自身の感覚で言えば、”勇気がいる”のだ。
套路の中でしゃがむ時(低姿勢になる時)に、思い切りや勇気がなくておどおどしていしまうと、息が上の方に残ってしまってしゃがんだ瞬間に”しまった!”と太ももや膝に乗っかってしまう。股関節を曲げてしゃがむべきところが膝を曲げてしゃがんでしまうのだ。
使いたいその箇所に息を届けられるか?
身体の使い勝手はそれで決まってしまうのではないかと思ったりする。
話の流れでついでに書くが、任脈のヘソ(神闕穴)の少し下にある気海穴は最も気が溜まっている場所だ。腹に力を入れるとぐっと盛り上がるのはこの気海穴(だから気の海)。
第二段階目で丹田に気を溜める時は通常この気海穴を起点にする。ヘソのツボとはそれほど離れていないけれども、ヘソまで気が満ちてヘソを前後に動かせるようになるには女性の場合はかなり時間がかかると思う(体験上)。男性の場合はそれほど難しくないかもしれない。
逆に、男性の場合は上の関元穴を膨らます(息を届ける)方が難しいかもしれない。
いずれにしろ、これら任脈上のお腹のツボは距離的にそれほど離れていないのだけど、息を届けるとなるとかなりの距離がある。
どれだけツボを内側から意識的に使えるようになるか、それは自分の身体をどれだけ細かく操作できるようになるか、ということ。脳での認識と身体の感覚を一致させながら少しずつ開拓していく。タントウ功は無闇矢鱈に身体を動かさずに身体を内側から開発していく・・・神経とエネルギーの流れを使った極めて現代的なテクニックのようにも思える。
先週のズームレッスンでは腹圧をかけるエクササイズを皆に試してもらったのだが、腹圧をかけるのは太極拳の練習なら気を煉る時。気をある程度溜めた後の話だ。
太極拳では常時パンパンに腹圧をかけて動くわけではなく、いろんなかけ具合をしながら動いていくのだが、注意しなければならないのは、高血圧や心臓、肺の疾患がある人はまず吐く練習をするということ。吐き抜けないのに腹圧をかけるのは危険だ。留学中の若い頃、ホームステイ先で便秘になったのだが、それでも出されたものを食べなければと頑張って食べていたら顔が真っ赤に火照ったことがあった。それを見たそこの奥さんが漢方のような下剤をくれてそれですぐに治ったのだが、下が詰まっているのに上から物を詰め込むと上から溢れ出る・・・パイプが詰まっているのに水を注ぎ続けたら溢れてしまう・・・身体も同じ仕組みだ。
まずは上から下の流れをよくして開通させてから、その中で少し堰き止めてみたり溜めてみたり動かしたりする。
流れをよくするにはゆっくり吐く、ゆっくり吐きながら動功や套路を行う。
下の記事では太極拳の師範でもあるという雨宮医院長の呼吸に関する話や簡単な体操が紹介されているが、通りをよくする、第一段階目の練習はこのようにゆっくりしっかり吐き切る類のものだ。
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXNASFK0902S_09072012000000?page=2
太極拳で用いられる内気や内勁はこのような吐く練習を経て丹田に気を溜めることから生まれてくる。
タントウ功の第一段階目で足裏に気が落ちた時、よく注意していれば、足裏に気が落ちる頃に自然に骨盤底筋が起動して会陰が勝手に引き上がって吸い始めるのが分かる。自分は吐いていたつもりなのに同時に吸っているような。こうなれば自然に第二段階に移行して丹田に気が溜まり始めている。
もし、足裏に落ちているのにいつまでたっても骨盤底筋が起動せずに下から吸った感覚が得られないとしたら、吐いている過程で腰が落ちてしまっている(膝に乗っている、斂臀が足りない、身体が落ちている、頭が落ちている)可能性が高い。その時は指導者から立ち方を直されるとともに土踏まずと会陰を上げるように指示をされるだろう。
以前バレエダンサーがラジオ体操をしたら?というようなタイトルを見たことがあったけれど、同じように、ラジオ体操を第一段階の状態(呼気重視 気を溜めない)でやるのと第二段階(気を溜めたり煉る状態)でやるのとでは随分違う。套路も第一段階的にやってから第二段階的にやったり・・・ただ、真冬に外で第一段階的な呼吸で套路をやったらしばらく寒いだろうと思う。このあたりの話についてはまた次回に。
2021/1/22 <ただゆっくり長く吐く 内側の観察 デルデル呼吸>
太極拳の呼吸云々の前に、是非やってみると良いと思うのは、ただ吐いてみること。
呼吸法というと腹式だの逆腹式だの腹圧だのややこしく考えがちだが、ただ自然に長く細く、ストローを使って吐いていくように吐いてみる。
ず〜っと吐いていくと自分の体はどうなっていくのか?
自分で自分の体の内側を観察してみる。
最初は喉のあたりで吐いていたのが次第に胸になって胸がしぼんでいく。ああ苦しくなった〜、と思ったらあら不思議、そこから胸より下の胃のあたりが動き出して呼気をバトンタッチしてくれる。腹の出番なのね♪と見守ると、萎んでいく場所が徐々に下に移動していく。臍付近まで萎んだ時に二度目のああ苦しい〜。ここでギブアップか? と思いながらも少しだけ、と踏ん張ると、そこから突如、会陰もしくは骨盤底筋が下から盛り上がってきて、そこから下から吸い上げて吐き続けるような呼吸に変わってしまう。こうなると苦しさはなくなってかなり長い時間吐いていられる(下は吸っている?)。
上のように書いてみるとよくわかるが、同じ呼気でもギアチェンジが3回ある。喉から胸に移る箇所、胸(胸郭)から腹に移る箇所(みぞおちのあたり)、そして骨盤を越えて下腹移る箇所だ。(右図でそれぞれ横ラインを入れてみました。)
喉から胸に以降する時は通常特に苦しさがないと思うのだが、そこから先はちょっとした関門になる。
というのは、鳩尾より下で(下に)吐こうとするなら呼吸筋、特に腹横筋が働いてくれる必要があるからだ。
緑線を突破してからはウエストが絞られていく。腹横筋が頑張っている。
これでしばらく進んで骨盤に引っかかった頃(ピンク線)ににもうこれ以上ウエストが絞れなくなる。代わりに骨盤(お尻)が膨らんでいく(会陰が引き上がる)。
そんな線引きをしてみると、道教の修行の見取り図では中丹田、下丹田を上の図のように捉えているのが納得できる。
そんなただゆっくり長く吐いた時の身体の観察を踏まえた上で、次のサイトで紹介されている『デルデル呼吸』をやってみるととても面白いことが分かる。
https://kenka2.com/articles/183
軽く吸ったあとに2段吐き。
これまでの話に沿って説明すると、一段階目は吸った時に収縮した横隔膜が弛緩して戻るだけの反射的な吐気(上の図なら緑線まで)、そして、それから行う二段階目の吐きでは腹横筋が作動して腹が絞られていく(緑線からピンク線まで)。
そしてそこからが面白い。
デルデル呼吸は便を出すためのもの。
ピンク線から下、会陰や肛門は松して緩めたままにしておかなければならない!
考案者の荒木先生が書いていらっしゃるように『息を吐くことで出口が緩む』というのが自然な身体の反応。吐くは”松””開”、逆に吸うのは”緊””合” というのは太極拳の原理そのものだ。
デルデル呼吸、排便の時に誰でもやっている方法ではないか?と思ったのだけれども、実際に試してみて、あれっ?と気づいた。息む時に無意識に息を堪えている・・・。
二段階目に絞って吐いた時に無意識的に会陰や肛門が引き上がって出すまいとしているような動きをとっていた。上の記事には『私が100人の病院関係者にとったアンケートでは、8割以上の人が「息を吸ったところで止めて」息んでいました。』と書かれていたけれど、私も似たようなもの。
なぜ出そうとして出口を緊張させているのだろう???
その理由は(まだ)わからないのだけど、とりあえず指示通り、二段階目に絞って吐いた時に意識的に肛門を緩めてみた。結果は荒木先生の体験談そのもの。驚いた。
このデルデル呼吸の2段吐きを使うと、師父が言っていたように、大は小よりも素早く用を足せてしまうかもしれない。「トイレに長い時間入っているのは小の時で、大は時間がかからない。」そう師父から聞いた時、大が出る瞬間の時間は小よりも短いけれど、そこにたどり着くまでの準備で時間がかかるのだから・・・と思ったけれど、デルデルを使うと準備の時間もあっけないくらい短くなってしまうのだ。せっかくトイレに入ってゆっくり落ち着いたのにあっけなく終わってしまうとなんだか物足りない、と思うのは私だけ? ・・・最近は公衆トイレで携帯を弄って遊んでなかなか出てこない若者が多いと娘から聞いたけど分かる気がするのです。密室で誰にも邪魔されず一人でいるのはホッとする。まさに松するひととき。ただ用を足すだけではないトイレ時間・・・
と、話がそれましたが、私が大事だと思ったのは、自分が無意識に息を堪えたり緊張させたりしている瞬間を目撃すること。意識的に緩めることができれば、意識的に締めることもできる。師父が「会陰は引き上げておくべきだが、その中でも松緊がある。いつもキツくしておけば良いというものではない。身体が硬くなってしまう」そう言っていたのを思い出したのでした。
2021/1/21
①今更ながら呼吸について勉強して知った基本中の基本の事実。
「呼吸の7割を担う筋肉は横隔膜」
「横隔膜は吸う時に収縮する吸気筋。無意識的に吐くと下がった分が戻る(横隔膜の弛緩)」
「安静時は吸気筋(横隔膜、外肋骨筋、内肋骨筋)は働くが、呼気筋は働いていない。」
「意識的に吐いた時は筋肉の運動が起こる→腹横筋など腹筋群」
(例えば https://namimail.net/archives/376 )
そして、横隔膜の膜は私たちがリラックスしている時は下がっているけれども、緊張すると上がって肺を圧迫し、一回の呼吸で得られる酸素が減ってしまうという事実。(https://www.joho.or.jp/column/column-10)
都会生活でせかせか生活していると横隔膜は上がりっ放しなのか?と心配になってしまう。
②望まれるのは横隔膜が下がった位置にあり、そこから筋肉がしっかり収縮して吸気を行えること。
ではどうすれば横隔膜がそのような位置になり、そこからしっかり動いてくれるようになるのか?
いろいろ検索した中で見つけたワコールのサイトの中にある柿崎ドクターの記事にその答えとなるような方法が挙げられていた。
https://www.bodybook.jp/doctor/117661.html
左のような図で説明されているゆる〜いエクササイズだが、やってみるとじわっ〜っと気持ちいい。言われれば確かに横隔膜が下がっているし、なんか気持ち良いからゆっくり呼吸をしてしまう。そのうちお尻の中がほわ〜んと痒くなったり・・・これを生徒さん達にやってもらったら、骨盤の中が痒い、と表現した人もいたけれど、それは骨盤底筋が動き出したからに違いない。
上の柿崎ドクターの記事に書いているように、横隔膜がしっかり働くにはサイド(腹横筋と多裂筋)と底(骨盤底筋)がしっかりしていなければならない。この体勢をとらせることでサイドと底を良い位置にくるようになっているから横隔膜も下がって気持ちよく動いてくれる。
・・・と、この体勢、どこかで見たような?
そう、骨盤を立てるエクササイズ(2021/1/6のメモ)に似ている。
命門を開いたまま敛臀と泛臀を行った形だ。
お尻の下に5センチから10センチの厚さのタオルを入れているのもミソで、試しにタオルを外してやったら骨盤底筋が作動しませんでした(腰が落ちてしまって仙骨が伸びた感がなかった。やはり呼吸でも仙骨の伸びはキーになるよう)→横隔膜も下がらない。気持ち良さも低減。
この微妙な腰や腹、骨盤の中の気持ち良さ、広がり、呼吸、リズムを味わってそれを立位で再現できるようになれば理想的。
屋外の緑の多い場所で落ち着いてタントウ功をするのはそのような状態に次第になっていくのを待っていたのかなぁ、と思う。
これはとても自然な方法。時間を気にぜずにゆったりやる。
一方、このような自然な他力的な(無我的な)練習で手応えのない人は積極的に呼吸法を試すことも悪くはないかと思う。前回言及した「腹圧呼吸」などはその例だ。
ただ、「腹圧呼吸」の難点はリラックスできないこと。前回紹介したスタンフォード式のものは実際に本を読んだわけでなく紹介する記事を読んだだけで断言はできないが、もしあの記事の中のイラストの指示のように吸気から始めるのだとしたら太極拳的にはお勧めはできないと思った。
吸う前には必ず吐く、吐いてから吸う、が健康上も大事なことだし太極拳の原則だ。
たくさん吐けるようになればたくさん吸える。
まずはちゃんと吐けるようになる。
腹圧はその次の段階の話。
もし未だ吐ききれない人が吸う練習を始めると体が緊張してガチガチになって動けなくなってしまう。
太極拳では第一路で放松してしっかり吐く練習をする。
しっかり足裏まで吐けるようになると足裏から自動的に息が戻ってくる(呼気が骨盤底筋にバウンドして吸気として戻ってくるような感じ 骨盤底筋は足裏と連動)。
これができるようになると、套路で呼吸をひっくり返すことができるようになる→第二路(炮捶)の練習に進む目安になる。
しっかり吐く、ということはコアの筋肉の腹横筋をしっかりと使うこと。
太極拳をちゃんとやっていれば自然にコアの筋肉は強くなるから、いわゆる体幹トレーニングをやってもそこそこできてしまう。太極拳を長年やっているのに体幹が弱いとしたら呼吸の仕方の指導(すなわち丹田に気を溜めるための指導)をしっかり受けていない(指導者側からすればしっかり教え込んでいない)可能性がある。
・・・ということで、私も日本にいる生徒さん達に今更ながらどのくらい腹圧がかけられるのか簡単なテストをしています・・・
次回のzoomレッスンでは皆の状態を確認した上で、腹圧と丹田の回転の関係、腹圧トレーニングをせずに太極拳の動きで自然に腹圧が高まってしまうようにするための要領を整理できたらと思案中。
2020/1/19 <静かな息→息の溜め→丹田・腹圧 >
太極拳の練習では呼吸、息については細かい指示はない。
大事なのは均等で乱れのない、相手に察知されないような静かな息だ。発勁する時は発声して呼気を強くするが、それ以外は静かだ。ブルースリーのように始終発勁して声を上げるようなことはしない。
随分前の話だが、第一路の48式で蹴ったりしゃがんだりがとても調子よくできて自分自身うまくできたと悦に浸っていたら、すっと師父が来て、「呼吸が乱れてる。どんなに跳ねても息は乱すな。」と叱られたことがある。言われてみて、確かに顔は上気して、運動しました〜、いい汗かきました♪ という感じになっていた。言われてはっとした。 それからしばらくしてまた48式を師父と一緒にやった時、直後に師父が近づいて来た。「ああ、やばい!」とっさに乱れている息を隠そうと必死に堪えた・・・師父は何も言わずに通り過ぎていったけど、絶対バレている、そう心の中で思った、そんな記憶がある。
朝の電車に乗り遅れまいと猛ダッシュで飛び乗った後、シーンとした車内でどうやって猛ダッシュしてなかったかのように呼吸を収め平静を取り戻すのか・・・一度ハアハア呼吸を乱してしまうと元に戻すのはとても難しい。走っている最中にできるだけ呼吸を乱さないよう、取り乱さず、クールに息をするしかない。
静かな息、とは言っても、それは弱い息ではない。
自転車を今にも止まりそうなぐらいとてもゆっくり操縦する時は、息を飲み込んだかのように腹の奥の方でし〜ずかに呼吸しなければならないが、その時の息は静かだけれども全身の息を一点に集めたかのような集中度、強さがある。(息を止めてしまうと腕がガチガチになってバランスを崩してしまうしペダルをうまく漕げない・・・子供の頃自転車の競技会に参加した時にかなり練習しました。)
かなりやりこんだ卓球でも今思えば息はとても大事だった。台について相手の構えを見た瞬間に、「この相手なら大丈夫」、「この相手には敵わない」とはっきりわかることがある。これは犬同士でも同じだと思うのだが、目の鋭さ、落ち着き、雰囲気などで自分と相手のレベルを瞬時に比べ、一戦交えずに勝負が決まってしまうこともしばしばある。このような表面に現れる目の鋭さ、落ち着きの内側には必ず息の溜めがある。目線を反らさず対峙している間は呼吸はしない。我慢できなくなって目線をそらした瞬間に息は漏れている。隙が出る。”息を漏らさずに呼吸する”そんな場面だ。呼吸は腹の奥の方で行われていて鼻や口や肺の動きに現れない。腹の動きもほとんどない。そんな呼吸のことは丹田呼吸とか臍呼吸とか呼ばれてきた。
現在。呼吸についての科学的な研究も進んで、大事なのは腹圧(IAP)を高めることだ、という見解が一般的になった感がある。丹田もそのようなものなのかなぁ、と思う(丹田は動かすことができたりなくすこともできるから全く同じ概念ではないだろうけど。腹圧を高める場所が丹田で腹圧が高まった時に丹田が感じられるようだ。)
太極拳の練習をして腹圧を高めようと思ったことはないけれど、タントウ功のある段階で息をひたすら吐き続ける練習や吸い続ける練習をさせられたこともあったし、上述のような息を上げない練習、内功で吸気と呼気の割合を変えてみたり套路も呼吸を意識的に変えてやってみたり、そんな練習をしているうちに一般の人以上は腹圧が高くなったようだ。実際、気功を学び始めた頃、星野稔先生の教室で六字訣を息の続く限り発声するということを繰り返し行なっていたが、いつも最後まで残る声は星野先生の声で、私は星野先生の半分くらいの時間で息が途絶えてしまった。なんで先生はあんなに息が長いのだろう?と不思議に思ったものだ。けれども、同じ練習を今生徒さんたちとやってみると、私の息が皆より長くなっている。吐きながら吸っているような技(?)を身につけたからだろう。正直に吐き続けたらすぐに息が枯渇してしまう。
吐きながら吸っている、というととても奇妙に聞こえるが、腹圧を下げないように吐いて吸っている、といえば何も不思議なことはない。ある程度は腹圧の話でクリアできるのではないか?
タントウ功で自然に気を溜めて徐々に腹圧が高まっていく(丹田が形成されていく)というのが理想的だけれども、その過程の要領を外すとうまく丹田が作れない(ただ力を込めただけの石のような丹田を作ってしまったり、逆に、腹がいつまでたってもゆるゆるで気球のようにならないということもある)。少し腹圧について学んでみると、太極拳の練習が順調に進んでいるのかどうかわかると思う。自転車で止まりそうなぐらいスローで進むにもかなりの腹圧が必要で、腹圧が高いからこその静かな息なのだ・・・
腹圧(IAP)と検索すればたくさんヒットします。タントウ功よりずっと即効性があるさまざまなエクササイズがあります。尤も、タントウ功は腹圧だけを狙っているのではないから仕方がない・・・ 腹圧を高める要領が分かったら、それをタントウ功や坐禅、そして動功、最後に套路に埋め込んでいけば良いのでは?(と簡単に言いましたが、丁寧に時間をかけて落とし込んでいく必要があります。)
腹圧について 例えば https://www.lifehacker.jp/2018/05/book_to_book_stanford.html
冒頭から、腹式呼吸と腹圧呼吸の違いが書いてあってわかりやすい。
2021/1/17 <「踵まで息を吐き切る」のに必要なこと>
ブログの読者からとても嬉しい報告メールを頂いたのでその一部を紹介します。
『北川先生、こんにちは。
本当に素晴らしいブログを書いてくださり感謝でいっぱいです。
ここしばらくのブログを読ませていただいて、私史上最大の身体認識の更新が出来ました。
それは、息を吐き切った時の息の出口が踵だった…!!!ということです。座っているときも(正坐であっても) 息を踵まで吐き切る。というのが本当の息を吐き切るということだった。思えば《踵で呼吸をする》という言葉に初めて出会ってから、これは何のこと?と思って探求を初めて十数年経ちました。やっとこの言葉を体感することが出来ました。本当にありがとうございます。これは日常のありとあらゆる動作をするとき意識しようと思っています。歩くときも息を踵まで吐き切って一歩一歩歩くと、まるでジェットエンジンが踵についているようで面白いように進みます。普段私たちは一息一息踵まで息を吐き切って生きている人はどれだけいるのでしょうか。せいぜい胸あたりくらいでしょうか。踵まで息を吐き切っていないから、下丹田が使えない。私も収臀が甘いのは息を踵まで吐き切っていないからだとやっと理解しました。・・・・』
2021/1/14 <球体であること 腰を落とさない>
1/7付のメモで股(裆)に力があるか否か?と5人の太極拳の老師の写真を載せたが、私の目では馮老師と陳項老師以外は裆の使い方のお手本にはならないと感じた。今では陳式でも参考になる老師は少なくなっているのだが、世界的に最も普及している楊式ではさらに太極拳の原則が曖昧になってしまった感がある。が、それは無理もないことで、そもそも師弟関係を結んで一対一で学ぶような技芸を広く一般的に普及させようとすれば一対一でしか学べないようなものは落とさざるを得ない。一般の人が真似できるような形だけが伝達されることになる。結局、伝言ゲームの末端に位置している私たち愛好者は出発点の真正な形から随分変化してしまったものを学ぶしかない。その中で太極拳の真髄を知りたいと思う人たちは、手探りで大元の”真正な太極拳”を追い求めて行くしかない。それはある意味で探求の道になる。
探求の過程で、この人は知っている、と思えるような老師に出会えれば幸運だが、それでもある段階からは自分自身で経典などを紐解いて何が本当なのか何が間違っているのかを自分で見極めていく必要がある。太極拳のシンボルは陰陽図。それに相矛盾するものは太極拳ではないのだと私は思ってきた。どんなに素晴らしい動きでも、突出するような形、直線的な形は太極拳ではないだろう。
私も若い頃はただのカンフーファンだったから、ジェットリーのように動くのがカッコいいと思っていた。真似ごとをしていた時期もある。何が外力で何が内劲かという区別があることさえ知らなかった。が、太極拳を真剣に学び出すとまず内劲で動くことを学ぶことになる。今になって分かることは、太極拳の形が球体なのは内劲で動くからということ、外の形は内側の現れなのだ。外側からどんなに球体に似せようとしても球体にはならない。内側からの膨らみによってしか形は球体にならないということだ。
様々な老師の画像や動画を見てなぜ内側が分かるのだろう?と不思議に思うが、、実はダイレクトに内側を透視をしているわけではなく、外に現れている形が内側を示しているから内側(の力の使い方)が見えて(わかって)しまう。ある段階になれば誰でも見えてしまうことだけれども、そのような見える「目」を養うにはやはり本物を意識的に探して見ようとする努力が必要だ。
・・・と、中国のサイトで「楊式太極拳 大師」と画像検索して、これと思う画像があるかぼうっと見ていた。現代の楊式の形は大部分が直線的で背中が棒のようになっている(弓のようなしなりがない)・・・球の人はいないのだろうか? いや、いた! 見るからに大師なのは中央の白黒写真の老師。別格なのがすぐに分かる。集めた写真は下のようなもの。
と、上の画像を見ていてふと思い出した言葉があった。
「腰が落ちてはいけない」
これはスポーツの世界ではよく聞く言葉。腰が落ちると身体が落ちてしまって速く動けなくなる。「腰を落とさない」というのは言い換えれば「骨盤(仙骨)を伸ばして立てる」「命門を開く」と同義で、内側からの内気で腰が膨らんでいる(ポン)の状態だ。同じことを異なる言葉で表している。
ちなみに「腰を落とさない」と検索すればたくさんのブログがあるのが分かる。
左は陸上における「腰を落とさない」の記述(https://rikujo-ch.com/2020/05/21/sprint-ashihakobi/)
なぜ腰を落としてはいけないのか、調べれば他のブログにもいろいろ説明がある。
私が学生時代にやっていた卓球もそうだし、バレエでももちろんそう。歩くにしても腰を落としてしまうと膝に負担がかかってしまう。裆の力がなくなる(骨盤底筋が緩む)のは言うまでもない。
ところが、なぜか現在広く普及している太極拳は腰が落ちてしまっている形がメジャーになっている。とても不自然な形で動いていて、大会などでは不自然な形で普通の人以上に動けることが評価されているようにも映る。
ちなみに私の師父は「気は落としても身体は落とすな」と言う。
上の中国サイトにある画像を「腰が落ちている」「腰が落ちていない」という観点から振り分けると、それは「骨盤(仙骨)に伸びがあるか否か」「虚霊頂勁=身体に上下の伸びがあるか否か」という振り分けに他ならないことが分かる。
腰が落ちてしまうと全身の縦のベクトルは下向きにしか走らない(内気で身体が膨らんでいない=ポンしていないのだから当たり前だが)。上の陸上のブログにもあるように、「地面からの反発力を得られない」ため、上向きのベクトルを得られない。結果として身体に上下の伸びがなくなる(弾性がなくなる)。そんな形で高くジャンプさせたりしゃがませたりしたら筋肉や関節に相当な負担を強いることになる。
一般大衆化する前の楊式太極拳は上の白黒画像の3人の老師と推手をしている左側の女性のように腰は高く全身は球状だった。今の標準は不自然なくらい腰が落ちている。おそらく塌腰 敛臀を強調し過ぎて、円裆や提会陰を使って「抜背」が下だけでなく上にも引き抜くこと、結果として全身に張力(引っ張り合い)が働くことを軽視した結果だと思う。が、この問題もまずは腰や仙骨の伸び、骨盤の弾力性、という観点から調整すれば腰が落ちず股関節も使いやすくなり、背骨の伸び、全身の伸びが得られるようになると思うところ→だから「丹田」!(裏からいえば)ということだ。
2021/1/13 <日常的に骨盤を立てる 仙骨を広げる 丹田との関係>
「骨盤を立てる」「仙骨を伸ばす」ということについてしばらくメモを書きましたが、それを読んで実践した生徒さんからこんなコメントをもらいました。
『北川先生、ヤツギバヤのHPでのご指導、ありがとうございます。
骨盤立て、まだ良く分かっていませんが、本日こちらは雪、先程まで雪かきしてました。
骨盤を立てる意識を持って、雪かきをしてみました。
今まで、雪かきの後は、腰痛あるいは腰の負担感が強かったのですが、本日は全く大丈夫でした。
というより、普段、掃除機かけるだけで腰痛を起こすくらい、私は腰が弱いのです。
私にとっては画期的一大事です。
思わずご報告させて頂きました。ありがとうございました。』
なんと、骨盤立てを意識して雪かきをしたとは!
いや、言われてみれば、掃除機だってゴミ出しだって子供を抱えるのも皆同じ。およそ全ての動作は骨盤を立てて行わなければならないのでした。
そうでなければどこか身体に負担をかけてしまう。
骨盤を立てるテクニックに気をとられてなぜ骨盤を立てなければならないのか、日常生活にまで引きつけて考えるのを暫し疎かにしていたかなぁ。
報告をしてくれた生徒さんに感謝です。
そもそも私たち人間は二足で立ち上がっているという構造上、胴体の重さは背骨の土台にあたる仙骨にのしかかり、そこから重さが左右の腸骨に分散され両股関節、足裏へと抜けるようになっている。胴体の重さがうまく仙骨に乗らずに腰で止まってしまったら腰を痛めることになるし、仙骨に乗った体重がうまく両股関節に分散させられないと股関節や膝を足首を痛めてしまうだろう。それを適正な位置に保つのが、骨盤を立てる、仙骨を立てる、仙骨を伸ばす、広げる、ということ。
左の図はバレエのチャコットのサイトで掲載を続けているダンサーの藤野暢央さんのブログのものだが、そこでは同様のことを別の表現で説明してくれている。
https://www.chacott-jp.com/news/useful/lecture/detail011886.html
「仙腸関節の隙間にいかにゆとりを与えるか?」
「骨盤内部から仙腸関節を押し広げるように仙骨が広がるイメージ」
「脚が長くなる」「背筋が押し上がる」
そしてご自身の身体で仙骨の広がった状態を見せてくれている(左の写真)
太極拳はバレエと違って基本姿勢が股関節を緩めているから、背骨はもっと緩んで腰椎のカーブもほとんどなくなる。
が、仙骨、骨盤を立てるということについて言わんとしていることは全く同じだ。
仙骨を伸ばす、広げる、というのを、太極拳では『斂臀』と『円裆』の組み合わせで表現していると思うのだが(正確には『斂臀』と『泛臀』の組み合わせだろうが、中国でも『泛臀』はそれほど強調されていない)、これをもし『円裆』を無視して『斂臀』だけをやってしまうと、上の写真の左側、仙骨をギュッと押し込んでお尻を締めた形になり兼ねない。お尻の肉を締めると股間、骨盤底筋=裆の力が使えなくなる。仙骨の伸びが失われ衝撃を吸収できない。飛んだり跳ねたりできなくなる。
そして興味深いのは「骨盤内部から仙腸関節を押し広げるように仙骨が広がるイメージ」という表現。
”骨盤の内部”から広げる・・・それは太極拳的に言えば「丹田を使って仙骨を押し拡げる」ということになりそうだ。
ただ、タントウ功ですでに股関節を緩めて立っている時は、 丹田の気を命門の方に寄せて命門を開いた時に(腰椎の湾曲を少なくさせた時、寝た時に背中がべったり床につく感じ)それと連動して仙骨も押し拡げられることになると思う。(腰を緩めて命門を開いて斂臀、それから円裆、と上→下の順番。それとともに息も腹から股間に向けて深く入るようになる。)
仙骨を見れば(意識すれば)丹田は見えない(意識できない)し、丹田を見ていると仙骨は見えない。
太極拳には上は虚霊頂勁から始まって、今回の斂臀や円裆、下は足の扣までいろいろな要領があるけれど、練習では意識する場所を各所変えていったりするけれども、最終的には意識するのは丹田一箇所。丹田で全ての要領をクリアできるようにしていく。
全ての要領は丹田のためにある。逆から言えば、各要領の裏側には丹田がある。
沈肩の裏は丹田。舌貼上顎の裏も丹田。曲膝の裏も丹田。松胯の裏も丹田。全ての要領は丹田に繋がる・・・だから全ての要領の裏側は丹田・・・これはもう、だまし絵状態?
全ての要領が丹田に結びつけば、丹田さえ見ていれば全ての要領は意識する必要がなくなる。
丹田一箇所で全てをクリアできるようになったら、きっと最後は、その丹田をも無くしてしまう・・・そんな状態になったことが遠い過去にあったかも?自分の身体がないかのように動けた、後から振り返るとミラクルのようなひと時。
と、向かう道筋は分かってきたのだけど、各所の要領を丹田に結びつける作業がなかなか終わりません・・・が、これが完結したらそこから先は自動で起こっていくような予感。
一つ一つ丁寧にクリアするしかなさそうです。
2021/1/10 <内転筋=裆で骨盤を立てる まとめ>
2020/1/5以降のメモの流れは
①骨盤を立てるとは?
→仙骨を立てる=仙骨を引き伸ばす
→腸骨側からtuck in(斂臀) 坐骨側から出っ尻(泛臀)のためのエクササイズ
②内転筋の股間に近い部分(裆)を使うと骨盤が立つという事実
→内転筋の感覚を得るためのエクササイズ
③そして①に②をはめ込むことで腹筋に頼らずに仙骨を伸ばすことができる
→斂臀+泛臀+裆 を同時に実現するエクササイズ。
というようなものでしたが、整理とまとめも兼ねて動画を撮りました。
前半は上のエクササイズの説明、後半はその太極拳への適応例です。
裆にあたる内転筋を使うには股関節から内踵まで気を流して内踵を使う必要があります。立位でやるとわかり辛いのですが、寝た姿勢でタオルを挟むと簡単に分かります。寝て得た感覚を立って再現すればうまくいく・・・感覚を失わないようにうまく立ってやってみて下さい。太極拳でなぜあれほど内踵が強調されるのか、動画で紹介したような動きを試して分かればしめたもの。
内踵がないと内腿(裆)がない
内腿(裆)がないと骨盤は立たない(仙骨は伸びない)
仙骨の伸びと丹田は表裏の関係
仙骨の伸びがなければ太極拳はただの体操になってしまう
動画で説明したエクササイズで内腿(裆)の力を感じとったら、その時、腹はどうなっているのか、仙骨はどうなっているのか確認するとよいと思います。仙骨は腹の気で伸びている・・・タントウ功や坐禅で得る感覚と同じ。
2021/1/8 <裆の力を感じるエクササイズ 裆劲に必要な要領とは?>
今日のzoomグループレッスンの内容の一部と補足。生徒さんたちへの課題・・・
仙骨をストレッチして骨盤を立てるためには股間に近い内転筋の力を使うとよい。
それを前提として、そのような内転筋の感覚を得るための簡単なエクササイズを今回もやってもらった。
なお、内転筋の中で股間に近い部分に力が出る時は会陰が引き上がり骨盤底筋にも力が出る。このような股間の力を太極拳では裆劲という。したがって下の内転筋エクササイズは「裆劲の準備のエクササイズ」とも言えると思う。
エクササイズの方法は、仰向けに寝て両足首を揃えたまま膝を立て(右図)、太ももの間にタオルを挟んで”Vラインの内転筋” を起動させる、というシンプルなもの。
そう言って早速皆にやってもらって、おもむろに質問してみた。
「さて、太ももにタオルを挟んだだけで股間に近い部分の内転筋は起動したでしょうか?」
前回のレッスンでは要領を教えながら一緒にこのエクササイズを試したのだが、生徒さんたちはその後自分一人で試してみたのだろうか? 誰も質問に答えられないくて、真には理解していないことを確認。今回再びこの同じエクササイズをとりあげる価値はある。
答えは、息を深く吐きながらタオルを挟まなければならない。
この息がないと体幹の一部である股間(裆)の筋肉は作動しない。体幹(コア)を使うには必ず”息”が必要だということは頭の片隅に置いておくべき。
では次の質問。
このエクササイズではタオルを太ももで挟んでいるため、息を深く吐くと自動的に股間まで息が届くしかけになっている。
が、もしタオルを挟んでいなかったら同じようにVラインの内転筋、股間の感覚は得られるだろうか?
タオルを挟んでいるか否かで感覚の取りやすさは全く違う。一歩先に進みたい人はそういうことも考えて試してみるべきかなぁ。裆を使うのにいちいちタオルがなければできないのは困るし、実際、太極拳の場合は開脚の姿勢で裆劲を使うことがほとんどだ。
この後のエクササイズの展開としては
①タオルを挟まずに冒頭の図のような体勢で裆劲を得る
②同じように寝た姿勢で、(タオルを挟まず)両足をセパレートしても同様の裆劲を得られるようにする
③立位になって両足を揃えてタオルを挟んで裆劲を得る (寝てやる形を立位にしたもの)
④ ③からタオルを除いて裆劲を得る
⑤立位で両足を開いて裆劲を得る
⑤ができれば太極拳で裆劲を使うことができるようになる。
原型のエクササイズを立位にした③は比較的簡単かもしれないが、その他については息を恥骨まで吐き込む という要領以外に、もう一つ重要な要領を使う必要がある。そのもう一つ重要な要領に気づくかどうか?
今日のレッスンの参加者はぜひ上の5つのエクササイズに挑戦してみてください。(ブログの読者の方も試してみて重要な要領に気づいたらメールを下さい。)
なお裆の力が太極拳の中で具体的にどのように使われているのかはそのうち動画で示せたら良いとは思っています。
裆の力は女性も男性も高齢になればなるほど重要になってくるので、日頃から衰えないように意識的に使う必要があります。寝る前にタオルを挟んでもよいし、昨日紹介した動画のように座って鍛える方法もあります・・・
2021/1/7 <内転筋で丹田を起動させる 内転筋で骨盤を立てる 股間の力>
前回のメモの最後に、腹筋をぶるぶるさせずに両足を伸ばしていく方法について示唆したが、それはとりもなおさず丹田を起動することに他ならない。
丹田の気を使った時は腹の中が「空」のように感じる。力を使っている気がしない。フン!と腹に力を込めた感じとは真逆で、これでいいのか?と思ってしまう。(この点について今日師父に尋ねたら、丹田の気を使っている時には丹田は感じられない、腹や腰は”空”、それに対して、丹田に気を戻した時(帰丹田)は腹に実体感がでる、ということだった。混元太極拳では毎式ごとに最後に「帰丹田」を行っているはそのため。丹田の気に関する最も基本的な原理を今日初めて頭の中で整理ができました。)
丹田の気を使えば表層の筋肉だけに頼ることなく身体の中心に近い筋肉を内側から作用させられる。
ではどうすれば丹田の気を使えるのか?というと、そこが微妙なところ。意識して使おうとすると腹が固まって却って気の流れが滞ってしまう。太極拳でも「踵から力を出す」という表現があっても「腹から力を出せ」という言葉は(聞いたことが)ない。腹や腰(中節)は”随(う)”という言葉で表現される。
しかし最近、整体系の勉強をしていたら、身体の別の部位を使えるようにすることで間接的に丹田の気を使ってしまうことができることを発見!
早速何人かの生徒さんに試してもらったところ手応えはまずまず。私自身も感覚的に丹田を使うよりもそちらを使った方がしっかり正確に丹田(下丹田)が使える。
その部位は『内転筋』。
けれども、私たちが”内転筋”と思って使える場所とは少しズレているかも?・・・そこがポイント。
左の図は https://skatto-seitai.com/archives/202
上のブログを見ていただければ内転筋についてだいたいのお勉強はできるはず。
この中で骨盤を立て丹田の気を使うのにとても大事になるのが股間に近い部分をキュッと使えるようになること。
最もわかりやすいのは、仰向けに寝て両足首を合わせたまま両膝を立て、両腿の間にタオルを挟んで息を吐きながらさらに挟んでいく、そんな動作。息を吐きながらタオルを挟んで行った時に力のかかる場所、そこが要。かなり股間に近くて、Vゾーン、と表現してくれた生徒さんもいました。
ここに力が入ると、腹や骨盤がしっかり安定するのが実感できます。
そしてタオルを挟んで得た股間に近い部分の感覚を維持したまま前回の例のエクササイズをやってみると・・・両足を伸ばして行く時に股間が頑張ってくれるので腹筋が辛くない。
<ここからは箇条書き>
股間=恥骨に力がある=任脈の末端(曲池穴)まで気が通っている
周天の準備としてタントウ功をする(築基功 百日扶基功)時の目標が、督脈側なら命門から長強穴まで気を通すこと、任脈側ならヘソから曲池。この間が開通すれば、へそより上は自然に通る、下一寸上三尺といわれる。
すなわち、恥骨に力がある、ということは周天可能(気を回すことが可能)ということ。
子供を見ると恥骨あたりのお腹に力がある。
歳をとってくると力があるのは臍付近・・・下の下っ腹にどれだけ力を保持できるかが練功のポイント。エクササイズで一時的に恥骨あたりに力が出ても、起き上がってしばらくすると消えてしまう。立位で維持するのは難しい・・・これが太極拳の練習。
下の動画はO脚解消のためのものですが、そのポイントになるのはまさに内転筋。
こちらパリで観察して気づいたのは、脚の長いスタイルのよい男性はそこそこいてもよくみると結構O脚が多い!歳をとればとるほどO脚の確率は増えます。任脈の最終地点まで気が落ちなくなって股間に力がなくなり脚は開きやすくなる・・・その分、腹が出ます(苦笑)
O脚でなくても動画のように座れば骨盤底筋に力が出て骨盤が立ちます。
動画では、①腹筋を使う ②股関節の回転を使う ③座ってやる と3種類紹介されている。
③は両足が開かないように両手で押さえる一方で、両膝を開こうと一人二役のエクササイズ。で両膝を開こうとした時に両腿の付け根(股間)がぺらっとめくれるように開くのが分かれば成功。膝を開こうとしているのになぜ股間が?なんて疑問は置いておいて、これが太極拳の 『圆裆』の核心になるのでとても重要です。
内転筋の上の方が外旋する→すると股間、骨盤底筋に力が出る→これによって会陰の引き上げが可能になる
そんなつながりです。
③で脚の付け根の感覚を掴んでから②をやると②の効果が分かりやすいかなぁ。
②の股関節の使い方は、楊式太極拳の起式で閉歩から左足を上げて左に広げて着地するところに使われているはずだと思うのだけど、それをちゃんとやっている老師の動画を探しだせるかどうか?
興味本位で股間の力に注目してみた動画の断片・・・
左上の馮老師は理想形でそれを標準と見做してはいけないのだけど、馮老師の股さばきを見たあとで、女性を見ると股間がとこにあるのか分からない。白い練功服の男性も股間近くの内転筋は使えてなさそうだ(太ももの上側が盛り上がっている=内転筋が使えていない)。右下の陳項老師はさすが。 ひょっとしたら今では内転筋を使って圆裆ができている太極拳の老師は少数派なのかもしれない。仙骨が伸びずに重心が落ちてしまいもはや機敏には動けない形(やりこむと身体を痛めてしまう可能性大)
<お口直し>
ここ数日はまっている羽生くんの最新演技。内転筋、股間の力、という目で改めて見てみました。アイススケートはここが弱いと股裂きの刑にあってしまいそう・・・(苦笑)
羽生くん、上半身の筋肉がとてもしっかりしたのが目立つけど、太ももの裏の筋肉もすごい(骨盤が立って体幹が使えている証拠)。
太極拳の演舞を氷上でやっても滑らなさそうなのは上の馮老師と陳項老師。(自分でやるところを想像)・・・やはり股間付近の内転筋の力が地上以上にものすごく必要になるだろう。
(↓ https://www.youtube.com/watch?v=XxxlkINbMls よりGIFを作成)
2021/1/6 <敛臀と泛臀を両立させる方法とその適用例>
<昨日のメモのリキャップ>
仙骨の上半分を上から下へ(敛臀)
仙骨の下半分を下から上へ(泛臀)
この二つを同時に行うと仙骨が引き伸びて立ったようになる。これが骨盤が立つということ。
今日はどのような動作でこのような感覚が取れるのかという話。
便宜的にヨガのガス抜きのポーズ(簡易版)のイラストを使って図示しました。(イラストはhttps://www.seirogan.co.jp/bf/yoga/basic.htmlより)
斂臀と泛臀のエクササイズは両膝同時に、手を使わずにやります。
①寝っ転がって膝を抱えて身体に引き付ければ背中から腰がべた〜っと床につく。
この時仙骨の上半分は、隣に接する腸骨のtuck inの動きに連動する(緑の矢印)。これが斂臀。
②そして脛を床に並行に維持したまま抱えた膝を伸ばしていくと、お尻は次第に床に近づいていく(オレンジの矢印)。これが泛臀。
そしてこの2つを両立させるのは、①をやって②をやる際に、背中や腰が絶対に床から浮かないようにする、すなわち、斂臀を維持するということだ。
上の図は片足バージョンだが、本当は両膝を抱えてやってみた方が①②を同時にやった時に何が問題なのかがよく分かる。
①から②で膝を伸ばし脚を伸ばしていくうちに腹筋が震え始めるはず。
が、これを腹筋ブルブルで支えていたら仙骨は気持ちよく伸びない。腹筋をブルブルさせずにもっと楽に行う方法があって、それこそが仙骨を伸ばす、骨盤を立てるコツなのだけど、それは追々説明します。
上の図を少し回転させると、膝上げ(提膝)、それから上げた足を下ろす動作になる。下ろす動作を発勁でやれば震脚になります。
震脚も含めた発勁は、この①で溜めた気を②で爆発させるの丹田の爆発力で可能になる。
①→②に移行した時に、昨日揚げた右図のブーメランの角度が瞬間的にさらに開くような感じだ。
「よーい、ドン!」、でかけっこをする際でも、「よーい」の時は斂臀、「ドン」の時に後ろ足を後ろにけることで泛臀を作っている。
猫を見ていても敵に飛びかかる前は斂臀、飛びかかる時は泛臀だ。
気を丹田に溜めるには斂臀が必要だが(上図の膝を抱えた感じ)、これでは手足が使えない(ダルマさん状態?)。四肢、末端へ丹田の気を送り出すには泛臀が必要になる。
目指すのは斂臀と泛臀を両立させながら、溜める時は斂臀が強め、使う時は泛臀を強める。両者の割合を変える。決してどちらかをゼロにしない。発勁の時でも完全に斂臀を失ってはいけない。どちらかをゼロにしたとたん丹田が消滅し中正も失われる。
(箱根駅伝を見ていても、最後までペースが乱れず余裕がある人は最後まで斂臀を残していられる人だ。疲れてきて斂臀が外れると(=息が腹底まで届かなくなると)泛臀のみの走りになって死に物狂いの形相になってしまう。ランナーは泛臀は当たり前なので、どこまで斂臀を維持できるか、巷ではそれをスタミナと呼ぶのか?
太極拳の中には片足立ちがよく出てくるけれども、その時に、猫背になったり、あるいは抜背や斂臀にならないような足の上げ方(膝ではなく腿を上げてしまった場合など)をすると骨盤力が使えなくなる。床に寝っ転がって膝を抱えた時のような背中のべったり感を立位でもキープする必要がある(要は命門を開く!→塌腰 敛臀、結果として後頭部から踵までが一直線になる)。
タントウ功で丹田に気を溜めていくと、順次、敛臀そして泛臀をしていくことになるのだが、上のようなエクササイズを行って骨盤の立つ(仙骨が引き延ばされる)感覚を味わっておくとタントウ功での微調整がしやすくなると思う。
ただ、上のエクササイズには注意点あり。
寝て行う上のエクササイズで両足を床に水平のまま伸ばしていった時、腹筋がブルブルするような身体の使い方では仙骨は伸びない(骨盤が立ったとは言えない)。
腹の中の空間が拡がって(=丹田に気が溜まって)楽に両足が伸ばせるポイントを探す必要がある。
そのポイントを探すコツについては次回に。
2021/1/5 <骨盤を立てるとは? 仙骨の伸ばし方 敛臀&泛臀の理解>
しばらく首や肩に注目していたが、複数の生徒さんから仙骨が気になると言われたこともあって関心は”骨盤”に移行。
仙骨は背骨の土台でありながら、同時に、骨盤の要、楔でもある。
いわば縦ベクトルと横ベクトルの交わる要所。
頭の重み、身体の重みが背骨を伝わって降りてきたのを支えるのが仙骨。
仙骨で受けた重みは左右の腸骨に分散され、そこから股関節を経由して両足へと流れていく。両足にしっかり落ちれば地面からの反発力=上向きの力、が働き、身体は張力を得ることになる。
「骨盤を立てろ」と言われるのはなぜか? それはとりもなおさず上のようなメカニズムを働かせるため。それが良い位置にないと自らの頭や身体の重さでどこかに余計な負担をかけることになってしまう。
では「骨盤を立てる」とはどうすることか?
これについては様々な見解があるようだが、その中で私が腑に落ちたのは次のような表現だった。
「骨盤を立てるとは仙骨を引き伸ばすように立てること」
左が骨盤の図(https://www.nozomi-clinic-japan.com/senchokansetsu.html)
私たちが真剣モードで身体を動かす時は無意識的に腹に気を落とすのだけれども、そのとき背骨の湾曲は少なくなり真っ直ぐ(弓状)に近づく(よーい、ドン!で走る時をイメージ)
そんな弓状の背骨になる時、左図の仙骨の上部は後方へ、尾骨に近い部分は前方へ移動する。仙骨がそう動けば、骨盤も前側が多少上がったようになるだろう。
そして今回解剖学的なお勉強で知った新事実・・・
仙骨は5つの骨からできていて、子供の頃はこれらが別々の骨だった。今では5つの骨はしっかり癒着している。が、仙骨を立てようとする時は、左図のように、緑色の下向きの力と、橙色の上向きの力のような、相反する力を加えるということだ。すると仙骨は引き伸ばされたように立ってくるという。
が、私は上の説明を聞いた時、矢印の向きが反対では?と思ってしまった。緑の矢印は上向きで橙の矢印や下向きででは?(左図の右側)
人によっては、単純に下向きに伸ばせばよい(左図の右側)と思う人もいるかもしれない。
しかし、よく説明を聞いたら、伸びるのは仙骨の前側だという。そして自分の身体で、3パターンをやってみたら、確かに仙骨が伸びるのは一番最初の図。私が直感的にそうだと思った仙骨の真ん中から上下に力を分けるようなことはしようとしてもできるはずがなかった・・・。そして上から単純に下に引っ張り抜くような力をかけると、仙骨が際限なく寝てしまってズボンをお尻の割れ目より下までずり下げているような格好になりかねない・・・
何人かの生徒さんに上の図を見たら、直感的にすぐ理解できた人もいたからそのあたりは個人差もあるのかもしれないが念のため(自分自身のためにも)図を描きました。(フリーハンドで仙骨を描けないのでブーメランの写真で代用)
仙骨は仙腸関節で腸骨に繋がっているから左の①の下向きのベクトルは分かりやすい。一方、②の上向きのベクトルに関しては、坐骨側には尾骨や恥骨があり骨盤底筋群が仙骨に繋がっている(肛門挙筋や××筋や△△筋・・・とりあえず図を見ます。)
と、ここまできて、なぜ太極拳の要領に「敛臀 」と「泛臀」という相反するものがあるのか、はっきり頭で理解できたのでした。
”仙骨を入れろ(内収)”=斂臀、という一方で、”尾骨を出せ、お尻を上げろ”=泛臀、と言われる。
練習では、まず斂臀をして、それから気が股関節よりも下に落ちたら泛臀をすることになる。(瞬時に同時にできるのはマスタークラスだと思います。)
そして泛臀は会陰の引き上げが核心的な要領になるのも今回のお勉強で確認できました。
(ちなみに、私が見る限り、巷に広がっている太極拳は敛臀の段階で止めてしまっている。泛臀がないと骨盤がしっかり立たず身体が落ちてしまう。それが股関節やひざ関節を痛める原因になっているのだと思います。)
仙骨の”前側”を引き伸ばすことで腹腔(腹の空間)が拡がるので、丹田がしっかりする感じがするのでしょう・・・それに、お勉強したところによると、多くの骨盤底筋が仙骨の前側に付着している・・・
以上、「骨盤を立てる」ということについて理論的な説明を自分なりに整理しました。
では、実際にどのようにしてそのように骨盤をたてるのか?
それについての考察は次回書きたいと思います。
2021/1/1 <肩包体 いつも腰で打つのか? 相手に合わせる身体 >
一昨日12/30付のメモで紹介した高岡英夫さんの提唱する『肩包体』。
このような身体の捉え方に興味を持った生徒さんがいたようなので、元旦から動画検索・・・イチローの打ち方はどうなっていたのだろう?
そうしたら打って付けの動画がありました。
イチロー選手と川崎選手と松井選手のバッティングをスロー再生で比較したもの。
動画を見て、ああ、なるほど、と納得しました。イチロー選手と川崎・松井選手の違いは明らか。
上2枚がイチロー選手、左下が川崎選手、右下が松井選手。
イチロー選手が「肩包体」で打っているのに対し、下の二人は(セオリー通り)腰で打っている。
↑ 似たような高さの球を打っているイチロー選手(上段)と川崎選手(下段)
川崎選手は打ち始める時にバットを肩甲骨より下の背中の位置に合わせ(1枚目)、下半身と腰の捻りでバットを振っている(2枚目、3枚目)。打球直後の姿勢は腰にウエスト絞りのような捻りが入っている。
これに対し、イチロー選手は全身の関節をうまく使って中正を損なわずに球にバットを合わせ(1枚目)、腕を肩の高い位置から落とすことなく体を水平に回転させている(2枚目、3枚目)。打撃直後も中正のまま、重心は完全に前足に移動している。
こう見ると、川崎選手は絞るように捻って打っているのに対し、イチロー選手は身体を水平に回転させている。
身体の内部の回転はおそらく左の図のようなものだろう。軸(ピンク線)を回すことにより緑線のようにスライスされた身体が回る。
そしてこの緑の回転面はそれぞれ独立している・・・どこからでも回転させられる・・・ピンクの軸には目盛りがあってイチロー選手はそのどの目盛りも意識して動かすことができるのだと思う。
このような身体を作ると、相手(飛んでくる球)に自分を合わせることが可能になる。
どんなにタイミングを外されても瞬時に身体の中がバラバラに動いて全体で中正を作り出すことができるのだ。
師父が以前、「肩を支点にして打てるならそこから打てばいい。いつも足裏(踵)や腰を使わなきゃならないなんて思っていたら臨機応変な動きはできない。」と言っていたし、ピアノでも、ヴィヴィアン先生から、「手首から先だけで弾いたり、肘から弾いたり、いろいろな弾き方があります。いつも全身で弾いていると聞いている方も疲れてしまいます。」と言われたことがあった。
上の松井選手は腰から打つお手本のようなフォームだが、これはいわば全身の力を使った打ち方。投手の一球入魂に対してこちらも”一発勝負だ!”とでかいのを狙う。
付け加えていえば、川崎選手が中正を崩しているのに対して松井選手は軸がブレていない。前脚の回転が川崎選手よりスムーズで、腰で打つ大技の模範的な打ち方になっている。
イチロー選手の打ち方は、緑の輪っかを全部揃えて打てば松井選手のような打ち方をすることも可能だが、相手(球)がどう出てこようとも吹っ飛ばすような馬力がないと不利になる。
そして二人の比較で気づいたのは、松井選手のようにお手本的に腰で打った場合、体重は完全には前足に移動しない。これに対し、肩を独立して動かせるイチロー選手の場合は打ち終わった時に完全に前足に体重が移動しきっている(左の写真)→ここからすぐに走リ出すことが可能。イチローの場合は打つことに全てを賭けているわけではなく、その先の走ることも念頭に置いた打ち方になっている。
松井選手の打ち方は極真空手、イチロー選手の打ち方は合気道や太極拳的。筋肉パワーで勝負しないならその分身体をきめ細かく意識して使えるようにする必要がある。脊椎33個、身体の関節をどれだけ意識して動かせるか・・・イチローのトレーニングはそれを裏付けるようなものだ。
こう見てくると、「肩包体」というのも、結局は、自分の体をより細分化して意識的に使えるようになった時に現れてくる感覚なのだと分かる。とってつけたように「肩包体」を作るのではなく、頚椎から胸椎の上部にかけて意識的に内側から動かせるようになってくると現れてくるものなのかと思う。太極拳や気功で使う「周天」でいえば、関門である首の「大椎穴」を突破できるかどうか・・・本来なら、坐禅やタントウ功で丹田の気を溜めてその気で関門を突破させるのだろうが、そこまで根気よく静功を続けられる人は本場中国でもなかなかいないようだ。 ということで、最近私は科学的アプローチも併用すべきではと模索中です。