2022/2/28<太極棒尺の内功レッスン>
オンラインで教えることが増えて、教える内容もバラエティに富んできた。一対一のレッスンならその生徒さんの要望や課題に即した内容になるのは当たり前。そして、グループレッスンになってもやはりそのグループに参加している人達の顔ぶれでレッスン内容は変わってしまう。やはり一人一人の生徒さんに役立つ内容のものにしたいと思う。ZOOMでグループレッスンをしているが、一人一人をチェックしながらレッスンするなら4人までかなぁ。
この一週間のレッスンで、私にとって目新しいものが2つあった。
そのうちの一つが太極棒。
太極棒はかなり前に教えて以来そのままになっていた。新しい生徒さんから太極棒をやってみたいという声があったので、内功のグループクラスで試すことにした。
皆はやる気満々で早速ネットで太極棒を探して注文したのだが、第一回目のレッスンには間に合わないので各自手作り棒で参加。
→正確には太極棒尺。棒と尺の2種類ある。
棒は握る。尺は挟む。
尺は気を通す作業、棒は煉る、チャンスーが得意。
(私自身はこれまでとても軽い尺を使って棒の練習もしていました。今回重くて太い棒を入手してチャンスーの動作をしてみたら予想以上に捻れてびっくり。)
前回の内功レッスンでは丹田回しを教えていたので、今回は棒(尺)を使って丹田の感覚を得る功法を紹介した。
三丹採気(上、中、下丹田、それぞれに気を取り込む功法)をしたのち、中丹田の立円を練習。徐々に下丹田へと広げていく。
上丹田から下丹田までつないで一つの円として回せば、周天の練習になる(左の馮老師のGIF画像 https://youtu.be/xoEiYIb2CwU)
下半身に気を通す内功(双腿昇降)は太極棒を使うなら左右分けて行う単腿昇降で行った方が感覚が取りやすい。
・・・が、ここでも注意点。
ただ棒を回しても何にもならない。丹田と棒の中心、そして棒(正確には尺)を挟んだ両手の労宮とを”合わせる”必要がある。尺の両側を握ってしまったら内気の感覚は得られない。手のひらをぴんと伸ばしてしまっても感覚はとれない。かといって手が萎れていても感覚がとれない。生徒さんの尺を持つ”手”を見れば、感覚を得られているかいないかは画面越しでも分かる。手が間違えている時は直してあげる必要がある。手の形を間違えていると感覚は得られない。手の感覚は致命的だ。
太極棒だけの話ではなく、套路の時の手でもよくある間違いは、手を放松しなければといって手がダラリとしてしまうことだ。もちろん、手指をピンとしていては気が指の末端まで届かない。かといってダラリとしても末端には届かない。
放松、というのは塩梅がある。
私がよく生徒さんたちに対し使う表現は、「血圧を測る時のような腕と手指」とか、「脈を測る時の手指」だ。
自分の脈を測る時、左の手首に当てた自分の右手の指はどんな風?
これが”松”の状態だ。
”松”の状態というのは、運動神経優位ではなく、感覚神経と運動神経が5:5の状態なのだと思う。
尺では周天系の練習だけでなく、ジーの練習もできる。
いずれにしろ、尺(棒)が自分の体内を動いているような錯覚を得られるかどうか。
尺が自分の体の外を動いていると感じるなら内側の気は分からない。
尺で練習してから、尺を持たずに素手で同じ動きをしてみると、尺を持った方が断然はっきり内気を感じることができるのが分かる。
意識を内側に向ける内功の練習として尺はとても有効だ。
第一回目のレッスンでは下の陳項老師の動画の動きをほぼ網羅した。
レッスン後、この動画を見た生徒さんが、以前この動画を見た時は気づかなかったが今見ると陳項老師の足が床に貼り付いているように見える、とコメントをくれた。
人はまず人の顔や手を見る。太極拳を鑑賞する時も初心者は手を見る。練習が進むと次第に腰を見たり足をこれまで見なかったものを見るようになる。
これまで見えなかったものが見えるのは進歩の証。
下の動画も見るたびに気づくことがあります。陳項老師とその生徒さんたち、同じ動きのうようで全く違う。具体劇に何が違うのかが言えるようになる練習をしていきたいもの。
2022/2/24 <肚腰呼吸から横隔膜の話へ>
( 肚腰呼吸の続き)
そう、太極拳の呼吸は吐いても吸っても横隔膜を下げている。肚腰周りは太いまま。
丹田呼吸とか臍呼吸とか言われるものだ。
が、この呼吸はそれを狙ってやるのではなく、タントウ功や内功、そして套路で気を下げ続ける練習をしているうちに次第にそうなってくる。
吸って胴囲が大きくなるメカニズムは単純だ。横隔膜が下がるから肺に息が入る。横隔膜が下がれば腹圧が高まる。それを前方だけに出せば腹が出るし、後方の腰にも入れれば腰回り一体が太くなる。昨日の古武術の先生の写真の通りだ。
では吐いた時は?
太極拳で発勁する時は必ず吐く。吐いて打つ。哈(ha)や哼(heng)といった発声を伴うことも多い。
吐いて打った時は肚腰は力が漲って内側から固く膨らむ。
←テニスでも同じ。
ちなみに・・・口が開いて舌が下顎の方にみごとに押し付けられる=哈(ha)の発声の要領だ。(私が何度も師父にやらされて最後までうまくできなかった発声)
この発声があると横隔膜がさらに押し下げられる。
とは言っても、横隔膜の動きはなかなか意識できないもの。吸っても吐いても肚腰の張ったまま、とは言っても、吸ってから吐くと、その切り替わりの時に横隔膜あたりが動いているような感覚がある。そこで師父に本当に吸っても吐いても横隔膜は下がっているのか?と問うてみた。すると「確かに吸っても吐いても下がっているが、横隔膜のどの部分を使うかで変わってくる」と何だか更に細かい話になってきた・・・
横隔膜はとても大きな筋肉。横隔膜で胸部と腹部が分かれている。
心臓と肺を除くほとんどの内臓は横隔膜より下の腹腔に収まっている。この腹腔が”丹田”、気を作り出し気を溜める場所だ。
この横隔膜をどのくらい動かすことができるか・・・それによって肚腰の柔軟性、息の深さ、パワーが変わってくる。
横隔膜を動かす(鍛える)一番の方法は呼吸。だからゆっくり大きく吸ったり吐いたりすることが必要になる。
今週のオンラインレッスンで、ある生徒さんの呼吸が浅いので、肚の側部にある帯脈穴を両手で推してもらい、そのまま肚が手を推すような咳をしてもらった。胸の咳ではなく、肚に響く咳。これをやってみると、どのくらい吐けば肚に響くのか=横隔膜が下がるのか、が分かる。
吸っても吐いても横隔膜が下がっている・・・これを極めているのが歌手だ。
ボイストレーナーのブログを見ると腹式呼吸や横隔膜について多くの記事が書かれている。
その中で、ああ、太極拳と全く同じだ、と感激したブログがありました。
紹介しますので一読してみてください。
『ベリメリちゃんのボイトレ講座』
https://www.vmms.jp/abdominal-breathing-exercises/
最後のまとめがすばらしい!以下要点のみ。
1. 横隔膜を沢山下げるにはインナーマッスルの強化が必要になります。
2. 声を出さずに下腹部だけに力がいれられるようにする。
3. お腹を引っ込めない。すぐにお腹が引っ込むような歌い方だと圧力が逃げてしまって横隔膜を下げる力は育ちません。
4. 咳は横隔膜の動きを伴います。
5. 横隔膜を下げることでてこの原理のように”何か”が上がってきます・・・(以下省略 これは難解)
2022/2/23 <古武術の肚腰呼吸から学ぶ>
NHKの『古武術に学ぶ体の使い方』は昨日の放映が第4回目。
第一回目の「正しい立ち方」についてはここで少しコメントしたが、第2回目の「腹式呼吸」についてはまだコメントしていなかった。
番組で紹介されていたのは、所謂、順腹式呼吸。
吸った時に胴回りが膨らんで、吐いた時に胴回りが細くなるものだ。
(←NHK同番組のテキストより)
吸う時に私たちの横隔膜は下がる(正確には、横隔膜が下がるから肺に空気が入る=吸う) それによって胴回りが膨らむようになる。
反対に吐く時は横隔膜が上がる(横隔膜が上がることによって肺から空気が押し出される=吐く)。その時、胴回りは細くなる。ゆっくり深く吸い、その2〜3倍の長さで吐く、と横隔膜がしっかり動いて上の写真のような”肚腰呼吸”ができるとのことだった。(速く呼吸すると横隔膜があまり動かずに胸だけの呼吸になってしまう。)
そしてとても大事なこと。
それは吸気の時に、腹だけをぽっこりさせるのではなくて、腰にもしっかり息を入れる、ということ。←の画像の腰参照。
だから、番組では「腹式呼吸」とは言わずに、「肚腰呼吸」と言うのだと説明していた。
これは太極拳の時の息の入れ方と同じだ。
腰に息を入れる、これがとても大事になる。
腰に息が入るから腰も柔軟になる。
練習の始めから命門を開ける(息を通す)ことを意識するのはそのためだ。
もっとも、太極拳の呼吸では、吸っても吐いても横隔膜が下がっている。
(古武術でも最終的にはずっと下げておくのだと思うのだけど)、この話の続きはまた明日。
2022/2/20 <突っ張ること 続き>
突っ張ること、は、引っ張り合い(対拉)だ。
引っ張り合いには二方向の対極的な力が必要になる。
この突っ張る力は丹田が大きくなって身体を包んだ時に起こるもの。もしくは、丹田が消えた時に起こる現象とも言える。この時身体は筒になる。仏教で言うところの空になる。自分でもどこから力が出ているのかが分からなくなる。自分と身体が分離する。
そんな経験をこれまでどこかでしたことがあるかもしれない。
身体が勝手に動いてやってくれている、自分は傍観者になる・・・
私は学生時代、卓球の試合でそんな状態になった経験がある。それはとても偶然的で、再度その状態を引き起こそうとしても起こせない。後から振り返ると夢かまぐれのようなもの。
けれど、師父との推手の練習で何度かその境地に入ると、それが全くの偶然でないことが分かった。様々な条件をクリアしなければならないがクリアすれば起こる現象・・・太極拳はそれを練習して得られるようなメソッドを有している、ということだ。ただの健康増進目的に止まらない、その先を掴みにいっている。自分と体を引き離す時点が訪れる。無為と言われるものが少し感じられるようになる。
この境地に入るための絶対的な条件が丹田がとても強いこと。丹田の気を身体全身に拡げられるということ。
だから、タントウ功や座禅で気を溜めることが必須になる。気が全身に拡げられないとその分を筋力でカバーしようとするので上のような自分と身体が引き離れる感覚は生まれない。いつまでも一生懸命運動をしなくてはならない。
太極拳のマスターが汗だくになっているのを想像できないのは、そんな太極拳の特徴からくるのかもしれない。自分と身体が引き離れると、必死、にはならない。
そんな状態で24時間365日過ごせたらどんなに良いだろう〜、と、そんな境地に至るには全く練習が足りないのを痛感するのみ。ただ、そこに至る道は、突っ張りの延長線上にあるのは分かる。
ということで、突っ張ること、貫通すること、と丹田の関係を文章ではなく図で表してみた。こう描いてみると、八卦の概念が出てくるのも自然なのが分かる・・
馮老師が別の弟子と同じ推手をしている画像があったのでそれも載せます。
勁が貫通していないとどこか身体に”角”が出る(円にならない)。下の左側の画像で弟子の肘が角張っていて、肘で勁が途絶えてしまっているのが分かる。右の画像の走円でも弟子はコンパスで円を描くように歩けていないのは(本来は二人が対角線上の位置で歩き続けなければならない)、腕が身体と繋がっていないため。前腕の感覚だけで腕を使っている証拠だ。套路ではなかなか自分の欠点、課題に気づかないが、対練をするとそれが浮き彫りになる。欠点に気づくことで更に進歩する。
2022/2/19 <突っ張るとは?>
太極拳の特徴の一つは”突っ張る”こと。師父がいつも言う”対拉”(引っ張り合い)だ。
たとえ今普及している太極拳の多くがそうではないにしても、本来、太極拳はそのようなもの。どんな分野でも達人と言われる人たちはそんな身体の使い方をしている。
力むと縮こまる。かといって、力を抜くと緩んで無力になってしまう。
意識を内側に移行して外側の力を抜き、徐々に内側の力=膨らみを増していく(ボールに空気を入れていくようなもの?)すると伸びがあって強い身体(中国語だと”柔韧性”)ができあがる。
だから、丹田を中心に練習をする。丹田に意識を置いていれば外側の余計な力は入らない。
では突っ張ることと丹田はどんな関係があるのか?
套路を教えていて、ここは足と手が引っ張り合いにならなければならないのになっていない、ということがよくある。それを生徒さんに説明しても今ひとつ分からない。勁を引き抜け、貫通させろ、などというともうちんぷんかんぷんだ。
まだ丹田が育っていないから仕方がないのかなぁ?と生徒さんを見て思うのだが、一度、勁を引き抜くなり、貫通させるなり、突っ張るなり、そんな状態がどんなものか体験させれば自分の丹田、体幹が弱いことに気づくだろう・・・
そう思って、ふと馮老師がやっていたある対練を思い出した。
早速、屋外で練習している生徒さんたちに試してもらった(下のGIFのような動き。GIFはhttps://youtu.be/-xQd1zxkAy8 より作成)
二人が手を合わせて回す、ただそれだけの練習だが、これがやってみるとなかなか難しい。まず、定歩でやって、要領が掴めたら丸く円を描きながら歩く。
定歩(右側の画像)でまずクリアしなければならないのは、腕を肩から回さないこと。肩から回すと相手に押されて身体がゆらゆらしてしまう。ちょうど上の画像の白いズボンの弟子のようになる。馮老師は丹田から手までを一本の棒のようにつないで回している。(正確には、丹田が足裏まで繋がっているから、結局、足裏から手までが引っ張り合いのようになって回っている)これに比べて、弟子の方は肩から腕を回している。丹田と手が繋がっていないから、身体が不安定になる。膝が不必要に曲がって力が逃げて外に逃げている。馮老師は突っ張って立っている。弟子は弛んでいる。弛むと足裏や丹田の力は手に伝わらない。
円を描いて動き出すと(左側の画像)、弟子のもたつきは更に顕著になる。下半身と上半身がバラバラになるから、あたかも警官に連行されて付いていかざるを得ないような足取りになる。
私が生徒さんたちと練習してみたときに気付いのは、二人でコンパスで円を描くように歩くためには、双方とも目線に注意をする必要がある。目線が狂うと足が正確に動かない。
引っ張り合い、貫通には2点が必要だ。
丹田だけの意識では突っ張ったり、引っ張ったり、勁を貫通させることはできない。
2点を同時に視野にいれるような目が必要になる・・・やっと目の”内収”の意味が分かったという生徒さんがいました。
人と力を交えないと知り得ないことがあるのは分かっていたけれど、ただ力を交えただけでも気づかない。気づく方向に導いて、かつ、あと一歩のときろで気づかせられるかどうか。
私自身、この単純な推手をやって気づいたのは、推手の『粘黏连随』は身体のポンの維持、突っ張りの結果そうなるもの、ということだった。相手の力を聴くことがポンに繋がる?・・・そう言われれば、タントウ功の三性帰一の一つは耳で丹田を聴くことでした・・
<続く>
2022/2/17 <二人の老師の発勁動作から学ぶ>
2/13のタントウ功の要領についてのメモはまだ肝心なところが書けていない。
昨日も師父に再度確認したのだが、<含胸ー抜背ー塌腰>の後に続くのは、<曲膝ー园裆ー松胯>。
<曲膝→园裆→松胯>の順であって、
<松胯→园裆→曲膝>でも<曲膝→松胯→园裆>でも<松胯→曲膝→园裆>でもないという。それは何百年とそう言い伝えられているのだという。
が、私の頭の中には以前読んだバレエのプリエの要領、そして幼児のジャンプやしゃがみ方の映像があって、自分で試したところ確かに、膝を曲げたら股座が開いて(园裆)、それから股関節を緩めた方が膝に引っかからないし、足裏にストンと気が落ちる・・・と納得したのでした。今週のレッスンでは何人かの生徒さんに試してもらっています・・・が、まだちんぷんかんぷんのような表情をしてるかなぁ。も少し教え方、伝え方を工夫しなければならなそう。
それとは全く別に、この前中国武術大好きな男子生徒さんから送られてきた動画が面白かった。https://youtu.be/yeaJJzZZKck
その生徒さんは歯科矯正の専門家でその観点からこの老師は噛み合わせがあまり良くないみたいですね、と冗談交じりにコメントを添えてくれていたが、確かに滑舌があまり良くない。奥歯の噛み合わせがしっかりしていないと首が立たないが、そのせいか虚霊頂勁ができていない。丹田の力はあるようだ。
発勁の動作を見たら、なんだか私が見てきたものとは違う。ぶち当たってる感じがする。馮老師や劉師父の発勁では打たれてもあまり”打たれた”という感じがない。なんか知らないけど倒された、という感じだ。一瞬何をされたか分からない、頭が真っ白になる感じ。
この老師は中正がとれていないからかなぁ〜、と動画をスローにして検証していたが、(私にとって)面白いことを発見した!
↓送ってくれた動画の中の発勁の示範
↓馮老師の発勁
ぱっと見てわかるのは、下の2枚の馮老師の身体の質が柔らかいこと。比較すると上の日本人の老師の身体は硬い。打つ時に身体に力がこもっているのがわかる。
では馮老師の身体は打った瞬間どうなっているのか?と見てみると、”打つ”というよりも、”突っ張って”いる。上の老師のように”打ち込む”のではなく、相手を”弾き出して”いるように見えないか?
そう気づいて、再度上側の老師の動きを見る。なんで”弾き出した”ように見えないのだろう? それは打った瞬間、身体のポン(空気の膨らみ)が消えて身体がへしゃげる(方言?凹むの意味)からだ。丹田がへしゃげるから身体に力が入る。丹田がへしゃげてしまう大きな要因は首から頭頂へと勁が抜けないからだろう。中正が消える、とはこういうことだ。
ただ、現在存在するほとんどの太極拳の老師は上側の老師のようなものだ。下の馮老師のようなレベルの老師は中国にも存在するかどうかとても怪しい。師父も中国にはもう真の太極拳の師父はいないだろうという。
↓スローモーションで検証
馮老師の発勁を見て気づくのは、相手に触れて推し出すその力を使って自分の身体や股座(裆)がぐ〜んと伸びること。当たって推し出す時には身体は後方へと動いているようにさえ見える。
上の馮老師の身体の動きで見えるのが、「中正」ではないか?
「中正」というのは静止状態では分かりづらく、動きの中で初めてはっきりするのではないか?羽生君のようにスピンしようとしたら・・・中正なしには成り立たない。静止状態は棒立ち状態で中正を練習しても役には立たないかも。やはり力を感じる場面での練習が必要・・・推手の練習はマストだ。
そして、中正を中正たらしめるのは、頭頂の頂勁。
そして、円裆。
この頂勁と円裆が上の二人の老師の違いだ。
上の二人を比較して、初めて、なぜ円裆が必要なのかがはっきりした。
円裆がないと、後ろ足の力がそのままダイレクトに前足に移動してしまい、上に乗っている胴体部が取り残されて胴体と下半身が断絶する。上半身が固まる。
円裆があって初めて上下相随になる。松胯だけでは上下相随にならない。円裆で上半身が落ち着く。余計な力が抜ける。
そういえば、古武術の立ち方の要領には「円裆」はなかったなぁ・・・
相撲は円裆が当たり前だけど。
<追記>
馮老師のスローのGIFを見るとよくわかると思いますが、太極拳では打つ直前に、必ずと行って良いほど、自分の片足を相手の両足のどこかに差し込んでいます。この、直前の足の差し込み、この歩法、が打たれた時にわけわからなくなる太極拳の”妙”の源だと私は感じています。打たれたり推された時に、打たれたのか足をひっかけられたのか良く分からないまま転んでしまう。何度も転ばないと学べない、と師父に言われましたが、やはり転ぶのは嫌だし、転びかけると身体が固まります。こういうのももっと練習しないと身につかないのだろうと思います。人間の体は、無意識で緊張するようにできている。ワクチン注射の時に全く緊張しないで打たれる、みたいな練習もありかも。知らないうちに打たれた方が体は緊張しない。結局は意の問題。
話は逸れたけれど、足を無意識で絶妙な位置に差し込む、これには勇気(胆力)が要ります。というのは、向かってくる相手の懐に入っていかなければならないから。こんな練習をするのは楽しそうだけど・・・師父を連れてこなきゃできないなぁ。
2022/2/16 <内功 基本の丹田回し三種 内功から套路へ>
今日のオンラインレッスンでは基本の丹田の回し方3種類を教えた。
丹田を回す第一の意義は、気を練って気の量を多くすることだ。「お金は少ないのもダメだが多すぎても厄介だ、けれど、気はどれだけ増やしても益しかない。」と説明されたことがある。気の量が多いと体を外敵(ウイルス 病気)から守るし何と言っても元気、パワーがある。気功法の導引術で行うのは気を全身に流すことだが、道家の内功では内側の気の量を積極的に増やす功法がある。意守丹田をして呼吸をそこに吹き込みながら両手の労宮を使って丹田を回す。両手の労宮と丹田の繋がりは必須だ。
気を練って気の量を増やすことができるようになるまでにはしばらく時間がかかる。タントウ功の要領を維持したまま、毎日3種類の内功を(効果が感じられなくても)続ける必要がある。毎日やることによってしか丹田の気の感覚を強めていくことはできない。
3種類の丹田の回し方は以下の図の通り。
竪円は女性は反時計回りを36回、それから時計回りを36回(男性は時計回り36回の後で反時計回り36回)、立円は前回転(逆回転)を36回、それから後回転(順回転)を36回、平円は女性は反時計回りを36回、そして時計回りを36回(男性はその逆)だ。
いずれも、初めの36回で丹田を広げていって、後の36回で元の丹田に戻ってくる、というようになっている。
混元太極拳の内功では、竪円は『収腹功』、立円は『双手揉球功』、平円は『帯脈磨盤功』という形で練功されている。馮老師の動作の真似をしただけでは気を煉るどころか、気を回すこともできないかもしれない。今日のレッスンでは労宮を使って丹田の気を回すことができるようになることを目標に様々な角度から教えたつもり。
タントウ功で丹田に少し気が溜められるようになったら、丹田と両手の労宮を合わせることを覚えるとその後の内功がやりやすくなる。労宮がうまく使えないと丹田の動きご体の動きがバラバラになってしまう。
そしていずれ、これらの内功の動きを套路に落とし込んでいくのだが、その時に套路の動作に忙しくて労宮の感覚が失われてしまうと、太極拳の特徴である、「丹田運動によって体が動く」ということができなくなってしまう。「意念は丹田から離れてはいけない」と言われるのは「労宮は丹田から離れてはいけない」とも言うことができる。手は脳の延長、意は脳からの司令だからだ。
レッスンの中では、丹田を回すとしゃがむ動作も楽になることを確かめてもらった。同様にジャンプや足蹴りでも丹田の回転が使われる。丹田の回転なしにしゃがむのはキツイ。丹田を回し続けていると体が落ちないので股関節や膝関節が潰れずに隙間を保って折りたたまれたようになる。
套路の中のどの式をとっても上の3つのどれかが使われている(か、まだここに書いていない斜めの円)。そのからくりを公開してしまったのが馮老師の混元太極拳だという。
例えば第四式六封四閉。馮老師の第四式は本来の陳式に比べて余分な動作が多いのがわかる(右側は陳家溝の陳正雷老師の六封四閉)。
馮老師のバージョンはメインの大リューをする前に2度竪円(収腹功)を使った動き(ジー)があり、大リューの直前にも小さな竪円を描いている。大リュー(低い姿勢かで右から左上にリューで吊り上げる技)は丹田の竪円で成り立っているということが分かる。。竪円で丹田を膨らまし、その膨らんだ丹田でしゃがむ、相手の手を吊り上げる。
ちなみに、同じ混元太極拳でも、内功で丹田を回す練功をしていないと、同じ第四式の動きが丹田の竪回転がなく、ただのしゃがんだ動きになってしまっていることもしばしばある(三枚目のGIF https://youtu.be/KHRcnCpks1g)。内功を套路に落とし込むところまで学ばずに馮老師の晩年の動きを真似てしまったものだと思われます。(この類の技から離れてしまった混元太極拳の動きをする人は多く、それが他の陳式から批判されるところ。)
ともあれ套路の中で丹田がどう使われているのかがわかるようになると(種明かしのようで)とても面白い(楊式でも丹田運動で動く限りは同じ原理)。まずは上のような内功の動きを体に覚えこませておく。するといつか套路練習で、あれっ?と、気づく時が来る。内功と套路が合わさる時がくる。悟性が働けば太極拳の練習はますます面白くなる。
2022/2/13 <タントウ功の要領とその順番>
古武術の立ち方を師父に見せてみた。
胯の緩め方が少なくて下半身を固めてしまっているのがよくない、そもそも全身が放松できていない、というのが師父の率直な意見だった。初心者を指導している場面だからそんなものなのだろう、と私は思うので、とりあえずスルー。
それよりも、太極拳の基本の立ち方の要領をも一度確認しようと、私が暗記している要領を頭頂から順番に言ってみた。すると、師父がその順番を直した箇所あり。
要領は覚えていたけど、その順番にどのくらい意味があるのかこれまで考えたことがなかった。ざっくり、上から下の順、そんな風にしか思っていなかったが、そうではないよう。
師父がこれまで何度もそらで言っていた要領、初めてちゃんと整理してみようと思った。
頭のパーツ、上肢のパーツ、胴体のパーツ、そして下半身のパーツに分けてみるとすっきりする。
出発点は頭頂の虚霊頂勁。
そこから下向きに要領をクリアしていって、最後は足指の要領で終わる。
実際にはそんな簡単にすべてクリアできない。が、これらの要領はいつでも帰ることのできる頼りになるものだ。
太極拳の套路は、活桩功と言われるくらい、站桩功を基礎にしている。套路中の動作がうまくできない時は站桩功の要領を見直せばいい。
↓套路中の動作は站桩功の要領をそのまま使っている。
そして、私が驚いた、この要領の順番。それは下半身の要領の順番でした。
曲膝→円裆→松胯
それから 会陰上提→十趾扣地
私は何度も師父に、「松股の後に円裆では?」と聞き返しました。「膝から股座に行ってそれから股関節、下から上っておかしくない?」と言ったのですが、「違う、曲膝、円裆、松胯、そう言われてきている。」との返答。太極拳の要領は漢詩と同じように中国の人は唄のように覚えている。そのまま順番になる。
これに対し、会陰の引き上げと足指が地に貼り付く、という要領は、どちらが先でも良い、と師父は言いました。これはどっちでも良いんだ・・・(なぜ?)
そして、あれ? 「斂臀」の要領も抜けてるような・・・
次回はそんな要領とその順番について続きを書く予定。今日はここまで。
2022/2/10<古武術の立ち方、骨盤の後傾?>
NHKで「古武術に学ぶ体の使い方」という番組が毎週火曜夜に放映されている。
今週は第二回腹式呼吸、先週の第一回は正しい立ち方だった。
太極拳と古武術、どこが同じでどこが違うのだろう? 古武術から学ぶこともあるのでは?と興味のある番組だ。
第一回の正しい立ち方。古武術での立ち方の要点は以下のように説明されていた。
①足を開いて体をリラックスさせて立つ。
番組では立つ前に軽くジャンプをさせて力を抜かせていた。
上体の力を抜くことで足がしっかりする。
②下顎を引いて首を上下に伸ばす。
首を上方向だけでなく、下方向にも伸ばして下さい、と言っていた。
←要は、引っ張り合い。太極拳の要領と同じだ。
③骨盤をゆるやかに後傾させる。
後傾させることで背骨を下に引っ張て自然に伸ばす。
←太極拳の塌腰,敛臀,拔背の要領だ。 この③が要となる要領になっていた。
④上半身と下半身のつなぎ目である胴回りを、骨盤を緩やかに後傾させて正しい位置に保つ。
←骨盤の後傾によって丹田を作る(帯脈をしっかりさせる)ということかと理解。
⑤(骨盤の後傾によって)膝が自然に曲がる
⑥ 胸を沈めてかかとを踏む
←含胸によって気が足裏に達する、ということだと理解。
以上を行うと、左の画像のように、「気をつけの姿勢」から「古武術の姿勢」へと変わる。
そしてここで一番重視されていたのが、骨盤の後傾、という要領。
骨盤を後傾”気味”にさせることで、背骨が下向きに伸びて、かかとが踏めるようになる。
ただ、それは気をつけの姿勢、というか普段の立ち姿勢で骨盤が前傾している人を前提とした話ではないか?
というのは、私も師父から「含胸・抜背」「塌腰・斂臀」と教えられて、それをそのまま生徒さんたちに教えてしまい失敗した経験があるからだ。失敗したのは、はじめから腰に湾曲がなくて(平腰)骨盤が後傾しているタイプの生徒さん。日本人の中には平腰、骨盤後傾の人が案外いる。骨盤が既に後傾している人にさらに後傾を教えることはナンセンスだ。その場合は、まず、自然な背骨のS時カーブを取り戻させる必要がある。
なおl、仙骨を入れるとか、骨盤を後傾させる、というのは、もう少し正確に言えば、上の画像にあるように骨盤の後回転だ。太極拳ならそれを丹田の順回転(→周天の順回転)で行う。順回転を使うのは足に気を下ろす時だ。打撃の時には丹田は前回転、=逆回転になる。順回転は丹田に気を溜める。逆回転は丹田から気を末端へと発する動きだ。二つの相反する動きが共に必要になる。いつも尻尾を下げていてはいけないし、いつも上げっぱなしでもいけない。臨機応変に尻尾を上げ下げする。ニュートラルは、骨盤が”立つ”ことだ。後傾でも前傾でもない。ニュートラルの位置にいられれば、そこから”ゆるやかに”後傾することも”ゆるやかに”前傾することも可能だ。
昔のブログで書いたことがあるが、お尻の肉をギュッと締めて走ることはできない。仙骨を内側に入れて走ることもできない。仙骨は固まらずフリーになっている必要がある。
このあたりのことは第一回目の古武術の立ち方の回では省かれていたが、おそらくそれは対象が初心者だからかな、とも思う。達人は仙骨を締めない。けど、脚、足に全く力がなく上半身に気が上がっている初心者はまず下半身を”締めて”でもしないと下半身の力が感じられないのかもしれない。
ちなみに、師父は最初から、脚も力を抜け、と言う。最初は中腰でどうやって脚(腿)の力を抜くのか? と自分のぶるぶる震える腿を見ながら思ったが、そのうち腿の力も抜けるようになってくる。腿に力が入っていると足裏に気は貫通しないのだ、と分かるまでにはそれなりの時間がかかる。骨盤を後傾させて腿を固めて足をロックすれば脚に力が漲った、と誤解させたら、どこかでその誤解を解いてあげなければならないだろう。でないと、車のハンドブレーキをかけたまま動くようなことになって関節が磨耗してしまいそうだ。
「骨盤をゆるやかに後傾」の”ゆるやかに”、がミソかとも思う。
深読みするならば、”明らかに後傾”ではなく、”微妙に後傾”
すなわち、「骨盤が立っている」状態の中での後傾。そうすると、腿が固まらず気が足に貫通する。これだと、太極拳の「斂臀」と同じになる。
↑http://www.megumi-shin9-0801.com/archives/1750
骨盤が後ろに倒れると腰の湾曲がなくなり猫背のようになる。(電車の中で座っている日本人のほとんどはこの模型のような姿では?)
骨盤が前に倒れると腰の湾曲が不自然にきつくなり狭窄症のようになる。
真ん中の骨盤の立った姿勢が理想的なのは言うまでもない。
この骨盤の立った状態も固定的ではなく、その中で多少仙骨は動かすことができる(これが内功や動功によって得られる功夫)。
背骨はバネばかりのようになっている。
古武術の立ち方で、下顎を引いて首を上下に伸ばし、骨盤の後傾で背骨を下に伸ばす、と言っていたのは、背骨のバネを引き伸ばす作業だ。 ちょうど左図のようになっている。バネを伸ばすには上先端が天井にくっついていなければならない。上先端が動いてしまうとバネにならない。同様に、頭頂が動いてしまうと下向きに背骨を引き伸そうとしてもバネは伸びずにバネが落ちてしまう。太極拳で馬歩や弓歩になった時に気が落ちずに体が落ちてしまう、というのがそういうことだ。
そして手を離せばバネは元の長さに戻ってしまう。
背骨も同じだ。引き伸ばした背骨は力を抜けばもとの湾曲、S字に戻る。
この引き伸ばしと収縮、この繰り返しで運動は成り立っている。
収縮したまま伸びなかったり、伸びたまま縮まらなくなる、というのが老化現象でもあるけれど、もともと太極拳はこの伸び縮みが売りの拳法だ。これが強く現れるのが胸腹折畳、弱く現れるのが開合だ。開合の実態は背骨のバネの伸び縮みだ。
・・・第一回の放送を見て、またいろいろ考えたのでした。
大衆に教えるというのはかなり単純化して教えざるを得ないもの。学ぶ側もある段階に来たら自分の状態に即して教えてもらう必要がある。私が私を教えてくれる師を探したように。
2022/2/7
「この一週間仕事が忙しくて疲れが取れないんですよ〜。あまり眠れないし。」
練習に来た生徒さんが浮かない顔でそんな風に言った。
歳とってくるとそれも仕方がない、ちゃんと練習に出て来ただけでも立派♪、と私は心の中で思ったはずなのだけど、口から出た言葉は、
「本当は疲れてないみたいですよ。脳がそう思ってるだけらしい・・・」
どこかで聞いた言葉を言っただけかもしれない。けれど自分の言葉を聞いて自分で全くその通り!と思ってしまう。
「疲れるのは退屈だから。フレッシュ感がないから。毎瞬毎瞬フレッシュな経験をしている子供達は疲れない。疲れる、と感じる間もなく次の瞬間に移っているのだから。疲れた、と思う間もなく眠ってしまうのでは?」
もちろん肉体労働やスポーツをたくさんやって体が疲れる、ということはある。が、肉体の疲れは眠ることで回復する。眠れないとしたら身体の疲れではなくて脳の疲れだ。
創造性に富んでいる人は疲れ知らずだ。退屈な作業でさえ遊びに変えてしまう。掃除だって楽しんでしまう。
私の母は今年80歳になったが、まだ現役の看護師だ。女手一つで私を弟を育ててくれたが、学校に通いながら夜勤を繰り返していた頃も、連日激務が続いていた頃も、今思い出すと「疲れた」という言葉を言ったのを聞いたことがない。今は一人暮らしだが帰宅するとご飯を作って片付けをしてそしてテレビを見ながらパッチワークをしたりしている。朝起きるとバシッと化粧をしてきちんと着替え、私がスエットでうろうろしているのとは全く違う。テキパキ仕事が早いのだ。次、次、次、とやることをこなしていく。「疲れた」と立ち止まる間がないのだ。
母の世代や祖父母の世代は皆そんなもんだったのではないだろうか?
今では、子供でも「疲れた〜」とか言ったりする。親が家でしょっちゅう「疲れた」と言っているから子供にも移ってしまうのではないか?
瞬間瞬間はフレッシュだが、私たちの目にはその新鮮さが見えない。だから、すぐにスマホを弄ったりテレビをつけたりパソコンで遊んだりする。いわゆる気晴らしだ。
疲れた〜、と言った生徒さんやその周りにいた生徒さん達が興味を持って私の話を聞いてくれていたので私の中からさらに湧き上がる・・・
ヴィパッサナー瞑想(観察瞑想)はまさにその瞬間瞬間の新鮮さ(無常)を見る方法だ。そして太極拳の核心も”観察”に他ならない。気は観察(内視)なしには操れない。最終的には”気”ではなく”意”を通すのだが、それには内側だけでなく外側の観察、広い視野が必要になる(目を内側の収めるのはそのため)。
太極拳の推手の練習は、瞬間瞬間の感覚を感じ取っていく練習だ。空手の突きのように一点を目掛けて打つものと対照的だ。標的に拳が当たるまでに無数の瞬間が積み重ねられているのが太極拳の拳。太極拳の拳が鉛のように重く感じるのはそのためだ。空手家の中にはどうやって自分の拳(突き)を重くして威力を出すのか?と試行錯誤する人がいるが、彼らは太極拳のような打ち方をすれば重さが出るということを知らない・・・ある太極拳のマスターはそんなことを言っていたっけ。
仏教的に言えば、「疲れた」という感覚自体が妄想だ。すでに、今、ここ、から離れてしまっている。武術やスポーツの試合中に、「疲れた〜」なんて思ったらその瞬間スキになる。今、ここ、から心が離れること、これを仏教では”妄想”といい、武術やスポーツの世界では”スキ”という。
この妄想なりスキのない状態で24時間生活できたらストレスゼロになる。ストレスを感じる”間”がないのだから。
小学校の4、5年の頃、冬休み明けにある学年別のマラソン大会が苦痛で仕方がなかった。瞬発力には優れていたけれど、持久力、忍耐力に自信のない私は長距離走が恐怖だった。6年の秋、10月ごろから3ヶ月先のマラソン大会のことを思って憂鬱になり始めた。夜寝る時になるとマラソン大会のことが頭をよぎって嫌〜な気持ちになっていた。うまく仮病を使って休めないか?なんてことまで考えていた。
が、ある夜、同じようにマラソン大会のことを想像していたら、「なんで私は3ヶ月先のことを想像して毎晩こんなに悩んでいるのだろう?」と別の疑問が湧いた。「毎晩悩んで3ヶ月も無駄にするのか?」と。
マラソン大会が明日だったら不安なのは一晩だけ。もし、今からマラソン大会です!”とすぐに走りださなければならないなら、不安を感じてる暇もない。ただ走り出すだけ。3ヶ月も前から不安がっている私はとてもおかしい・・・
結局、小学生だった私は、①冬休みに入るまではマラソン大会のことを考えない、②冬休みに入ったら、毎日マラソン大会のコースを一人で走る、と決めて、そのように実行した。不安を努力と練習で解消してその年のマラソン大会では初めて優勝することができた。けど・・・
今の私が見ると、なんだかかわいそうな小学生だなぁ、なんて思ったりする。努力したのは偉いけど、本当に心が強かったら努力に逃げないでマラソン大会に挑めたかも、と。頭の中でいろいろなことを考えて不安が過ぎる、というのはスキだらけの心。現実逃避の心だ。
そう言えば、私が太極拳を始めた理由は、心を強くしたい、からだった。身体はそこそこ強いと思っていたけれど、心が弱い、おおらかさが足りない。子供の頃の私はいつも眉間にシワを寄せていた・・・
と、話が随分脇道にそれたけど、太極拳の練習の中には、ただの気晴らしやスポーツとは違う意識の使い方でストレスを回避する手法が含まれている。上丹田がそのポイントになる。
「疲れた〜」と言っていた生徒さんを導くつもりで、上丹田の呼吸から初めて、目の使い方(眼法)を手や身体と関連づけて教えていった。途中、思いがけず、腕が胴体と合体して、二の腕と肘が繋がった。後で気づいたが、手は上丹田が制御しているから、上丹田の練習をしているうちに手まで繋がってしまうのは不思議なことではなかった。
『疲れた〜」の生徒さんからは、レッスン後、おかげで疲れがとれました!とメッセージが送られて来た。
よかった、よかった、上丹田を集中的に教えたのは初めてだったけどかなりうまくいった。が、哀しいかな、昨日のレッスン、すでに再現不可能・・・そうレッスンも毎瞬毎瞬のもの。一期一会。生徒さんたちとの真剣勝負。だからこその充実感なのでした。
2022/2/6
この3日間のレッスンも面白かった。毎回どんな内容になるのか私も予測がつかない。参加者の顔ぶれ、その時の雰囲気で内容が変わってしまう。自分の中から何が引き出されてくるのか・・・生徒さん達はその触媒になる。
金曜日のレッスンでは胆経で立つ、ということを復習。ヒップの環跳穴、太腿の風市穴、そして膝の陽陵泉穴、ここを繋いで弓歩で立てば、膝に力が溜まらずに足裏に抜ける。もしそうせずに太腿の前の中央の線で膝を曲げると膝上に力が溜まって足裏に抜けない。結果として膝に負担がかかる。
(下は資料画像 後日説明予定)
土曜日の午前は二の腕を回すということをやらせた。手のひらを上に向けた状態から手のひらを下に向ける。さあ、この時、二の腕を回せているだろうか? 二の腕を回さずに前腕だけで手の平を上に向けたり下に向けたりすることは容易だ。が、これでは腕は胴体と合体しない。丹田の気を手まで通すことはできない。
土曜日の午後の内功オンラインは下丹田メイン。丹田に気を溜めるには足裏の引き上げが必要だが(①)、下丹田が分かると瞬時に足裏が使えるようになる(②)。
レッスンでは、①、②が実際に体感として理解できるように導いていった。
今日の日曜クラスでは思いがけず上丹田で疲れを取る、ということをやることになった。昨日の内功クラスでほんの少し上丹田で気を採取することを教えた余韻が残っていたからだと思う。
生徒さん達が上丹田の意識を取れてきたところで、これまであまり良くできていなかった24式の第17式(退歩圧肘)をやらせてみたら、とてもうまくできるようになって驚いた。
”圧肘”は文字通り”肘で圧をかける”、ということ。
肘で圧をかける、というのができると、自分で”できた!”と手応えがある。
「これで良いのかなぁ〜?」と思いながら”圧肘”をしているとしたら、それはまだできていない証拠。今日の古株の生徒さん二人は、確実に”「できた!」という手応えを感じていた。できた時ははっきりとと正しいと分かる。(太極拳の練習ではそんな場面がよくある。分かった時には、分かった、とはっきり分かる。)
”肘”がはっきりと使える時、二の腕、肩も使えている。上丹田も使えている。二の腕、肘、など”手”の領域は実は上丹田が操っている・・・逆に言うと、上丹田がうまく使えないと手がうまく繋がらない。パソコンを打つ手、洗い物をする手、ピアノを引く手、すべてが関連してくる。この話題はまた後日。
2022/2/3 <膝下に気を通す スネは立つ!>
HPで参加者を募ったオンライングループレッスンの第一回目を行った。zoomの画面で一人一人チェックするにはせいぜい1グループ5名だろう。。。集めたのは4名の同世代の女性達、太極拳を十数年、数十年学んできている人達だった。
内功のクラスということで、最初は収功の動作を繰り返して”気を足裏まで落とす”ということを教えようとした。ただ、収功の動作は下げて上げての循環運動なので、動作を降気洗臓功に変えて、ただ百会から湧泉まで流すということをやってもらった。
一人一人の動作を見てみると、どの人も股関節ラインまでは全く問題なく気を下ろせている。股関節ライン、ヒップを通過させるのは難しいが、そこもクリアして太もも、膝上まで降ろせている人もいる。が、問題はその後。膝を通過してスネに気を通して足首、足裏まで通すのはさらに難しい。スネには足の指までつながっている筋がいくつかある。スネを通せないと足、足裏が使えない。
その後、膝下、足首まで気を通させようと導いてみたが、それはうまくいかなかった。今日、長年オンラインで教えている私の生徒さんに同じ動きを試してもらって、膝下を通せるかどうか実験したのだけど、その時に役立ったのは胆経の走向、腰や腹にある胆経のツボだった。
気を膝下に通すには”斂臀”が必要になる。
中腰で”斂臀”しないまま気を通していくと太もも、膝上までしか気が通らない。
股関節(鼠蹊部)を緩めようとしてお尻が後ろに出てし まうからだ(左のようなスクワットがその典型)。
こうすると鼠蹊部のすぐ上にある腹(丹田)も潰れてしまい、気は脚へと流れない。気はお尻(股関節)でストップしまう。(腿は固まってしまう。)
一方、左のような肩入れストレッチにすると、膝から下に力が出る。スネが使われているのを実感できる。
これは、股(裆)を大きく開いているために丹田を潰さずに上体をヒップラインまで沈めることができる。そのため気がヒップラインを通過しやすい。
そして両手で太もも、膝をグッと押し開けば股(裆)から太ももに螺旋の伸びがでて気が膝裏の方へ流れて行く可能性がある。
<イチローの肩入れストレッチ>
太ももが押し広げられて長くなる→ハムストリングス(太ももの裏側、この写真では太ももの下ライン)に乗っかるようになる。
こうなると、気は膝の”裏”を通過!
膝を通過させるには、まず膝裏を通す、というのが鉄則。
→ハムストリングスから膝裏を通って脹脛、アキレス腱へ。
←同じ肩入れストレッチでも、この体勢では気は膝上(太もも)までしか通らない。膝下、足は使えない。
<イチローとの比較>
①上体(丹田)が沈み込んで股(裆)を押し分けていない(上体が杭になっていない:上体を杭のようにして股を割っていくのが站桩功)
②股が開いていないから、太腿も伸びない。
③肩入れストレッチは手で太腿を押し広げられる。手は太腿を触るのではなく、腕をつっかえ棒のようにして両手でしっかり太腿を押し広げる→これによって股を広げることも可能→股(骨盤底筋)が太腿、膝裏まで繋がる(イチローの画像でオレンジの丸で囲んでいる部分。)膝裏まで繋がれば既に膝を突破している→スネに力が出る。
気になっていたのは、この時、ちゃんと”斂臀”になっているのかどうか、なのだけど、イチローの後ろ姿を見たら、ちゃんと、”斂臀”になっていた。
腰、仙骨が一直線でしっかり伸びている。
上の女性のイラスト画像のストレッチだと、おそらくお尻は出ているはず。
と、上で分析したようなスクワットでの論理は太極拳でも当てはまります・・・
←以前使った写真。
膝下が全く力がないのに驚く。
サバンナで襲われて立てなくなった動物の脚のよう・・・そんな冗談を生徒さんに言ってしまうのだけどそんな感じ。馮老師はちゃんと後ろ脚が突っ張っている。突っ張っって立つのが私たち動物の立ち方。
馮老師と当時の王老師。
膝下だけ見ても功夫の差は歴然としている。
膝下は寝てはいけない。スネと腰と首、この3つは体の枢軸、まっすぐに立つべき場所。
<下の画像>
現在の太極拳ではスネが寝てしまっているタイプがとても多くなっている。膝や股関節、腰を痛める人が多い原因だ。
上二段は膝下がたるんでいたり捻れていたりする。一番下の段はスネが立って足が地面を踏んで突っ張っている(反発力を得ている)老師達。
2022/2/1 <サマーナ気とアパーナ気 気を降ろすとは 股割りVS腰割り>
今日のオンラインレッスンも面白かった。
相手はヨガや座禅、内丹術などをやられている男性。下半身に働きかけるような功法が必要だとの自覚があって、タントウ功と動功を学びたいということだった。
まず立ち姿を見て、本人が言う通り、上半身に比べ下半身が乏しいことを確認。
ストレートにタントウ功に入るよりも、降気洗臓功で百会(頭頂)から湧泉(足裏)まで気を落としてから徐々にタントウ功の形を作っていった方が良さそうだ。
降気洗臓功をやってもらうと、頭頂からヘソ下あたりまではとても上手く気を下げていっている。ヨガ等の経験から気を通す感覚を持っているのだろう・・・が、骨盤に入ったあたりから手の動きが内側の気と離れてしまっている。言い換えれば、『ヒップ』から下の感覚が薄い。
久しぶりにヨガの5つの気のことを思い出した。内丹術はヨガから生まれたといっても過言ではない。古い気功の本にはアパーナ気やウダーナ気を漢字表記でそのまま使っているものもあるのだから。
上の図で示されているように、胸の気はプラーナ気、腹(胃)の気はサマーナ気、ヒップ・臀部の気はアパーナ気だ。
今日の生徒さんの場合はアパーナ気が弱い、そんな感じだった。
内丹術では、アパーナ気の部分が下丹田で”精”を養う場所、サマーナ気の部分が中丹田で”気”を養う場所、になっている。。そして通常は気海穴(ヘソ下のツボ、気が溜まる場所)、に気を集めて次第に気の量を多くして、サマーナとアパーナを合体させていく。
その工程は、左の図を見る限り、ヨガと同じのようだ。(というより、ヨガから内丹術が生まれたのだから当然か。)
サマーナ気に気の渦巻きがあって、それが下方向アパーナ気に合体していく。
なお、左の図にはサマーナ気から上方向への矢印も描かれているが、実際には、下向きの力が生まれただけ、自動的に上向きにも矢印のような力が生まれてくる。無理に上に上げようとすると必ず失敗する。これを「下一寸、上三尺」と表現したりする。内丹、気功法、これらを使う太極拳では、気を常に下向き、足方向へと下ろすことを忘れてはいけない。上方向に気を導く誘惑は頻発するけれど、その誘惑に負けない(と知りながら、いつの間にか気を上にあげようとしている自分がいたりする)。太極拳だと、技が技にならなくなる。もしくは気の量が多くなった時に無理に頭の方へ引き抜くと、脳卒中や心臓発作になりかねない。。。(私の勝手な推測だが、ヨガナンダが突然神と一体になって亡くなったのは、故意に、そう知りながら、一気に気を頭頂に上げたからではないかと思っている。)
脱線したが、要は、今日の生徒さんの第一課題はヒップ、下っ腹まで気を降ろさせて、足に気を通すこと、だった。
ヒップ(股関節)まで気が落ちれば、自動的に足裏が床に貼りつく。逆に言えば、足裏が吸盤のように床に貼り付いたら、その時は、アパーナ気が充実したということだ。太極拳なら「坐胯」ができた、ということだ。
ここで復習。
まずは「松腰」(サマーナ気、中丹田を養うための最初の手順。)
それから「松胯」(股関節を緩める)(サマーナ気を膨らまして股関節が緩められるようになった状態。)
それから「坐胯」(股関節に座る)(股関節を気が包んだ状態。サマーナ気とアパーナ気が合体し始める。ここまでくれば足裏は吸盤になる。ここからしゃがむのは簡単。膝を通過できる。)
最後に「坐臀」(お尻に坐る)(アパーナ気が骨盤底筋まで達した状態)
中丹田の気をヒップや臀の方に降ろして行く時に注意点、鉄則がある、
それは、中丹田の気(サマーナ気)を保持したまま、それを下方に広げる、ということだ。気を下ろす、という言い方は誤解を導きやすいかもしれない。
上の二人はプロ中のプロ。
元横綱はあそこまで落として腹を失わない・・・足の吸盤が半端ない。
二人とも状態はほぼまっすぐ。お尻を突き出さない。膝は素通りだ。
上のイチローの画像の出所のブログで見事に言い当てていた・・・(https://www.green-seitai.com/2017/04/18/%E8%85%B0%E5%89%B2/
そう、これはもはや”股割り”ではなくて”腰割り”。
上の私のイメージ図、”気を通す”と”体が落ちる”の違いは、「腰割り」か「股割り」かの違いでもある。
股(ヒップ)を割る(開く)前提として、必ず腰を割ること。腰を開くことなくヒップを広げてはならない。
同じことを以前メモで書きました。
腰を開く、というのを厳密に言えば、命門を開く、ということ。
松腰→松胯→坐胯
最初の松腰が命門を開くこと。
それを維持して次の松ヒップをする。
しゃがむ時もその順番です。
そう言う意味では、最初の”松腰”ができていない太極拳(?)が普及してしまったのは残念かも。(書いた後で気づきましたが、腰が緩まないと微笑することができないよう・・・上の親方やイチローは腰割りしながら雑談できそう。腰が緊張していると深刻な面持ち。)