2022/7/31 <お化けの手>
太極拳は決して動画では学べない。
劉師父はそう言い切る。
数学や国語、社会や理科など、学校で学ぶような科目はオンラインで授業を聞いて、問題を解いて添削してもらえば学ぶことができる。が、体育はどうだろう?
体を使うものは動画で動きを学んで真似することはできるが、それが実際にちゃんとできているのかどうかをチェックして直してもらう必要がある。ラジオ体操ならだいたい真似できれば良いのかもしれないが、太極拳などの体の内側を開発するようなものは外形からでは届かないところがどうしてもでてくる。そういう意味では動画を見るだけでは学べない、というのは本当だ。
腰の王子の講座は基本的に情報発信的にできている。実際にレッスン会場に行っても手取り足取り一人一人直してできるようにするような時間的余裕もない。だから情報発信をする時にとても細かな説明がある。雑談が多くなるのも、その周辺を伝えるためだ。どうにかして、普通は伝わりづらい”極意”的なものを伝えようとしているのが分かる。
ざっと見るとただの簡単な体操に見えるものが、実はものすごいところを開発させている。が、これに気づくには問題意識が必要になる。私は長年太極拳をやってきたから、無意識的に太極拳と照らし合わせてしまう。すると、太極拳の練習の中での曖昧だった点が次々と浮き彫りにされるとともにその真の意味が明らかになっていくようなのだ・・・・
この数日間でもいくつか気づきがあったのだけど、その一つはこの動画。 https://youtu.be/N-ie6mt9-PQ
お化けの手をして脇を締めたまま肩を回せばしっかり肩甲骨が回る、という動画。
が、この動画の真似をしていてあれ?と驚いた。この手首は師父のぐっと折り曲げた手首と同じ。そしてこの腕の回し方は起式と同じ・・・。
実はこの”お化けの手”は手首にエネルギーがあって、手首が肘・肩菅瀬wつとダイレクトに連動した形。
タントウ功をかなりやり込んで手首を気が通ると手首にエネルギーを溜めることができる。(左の師父の画像)。
この手(首)はこのままポンの技になる。(下の上段左の馮老師の動き参照)
チャンスー技の時もしばしばこのお化けの手(大事なのは関節の連動)になる(下の上段右の馮老師の動き)
上の下段左が王子のお化けの手。その右の一般の人の作るお化けの手とは違うのが分かるだろうか? ポイントは手首だ。
この手首が肘、肩とダイレクトに連動して、肩甲骨をぐるっと回させることができる。
肩甲骨が回れば広背筋経由で仙骨、そしてハムストリングス、足裏へと連動。こうしてポンは威力をもつ。
上の下段右のような、ボ〜ッとした手首と手では関節が連動しないので腕が胴体と一体化しない。
”お化けの手” で思い出したのはサンソン・フランソワ。フランスの名ピアニストだ。
一時期彼にハマって彼の伝記を読んだら、彼は「ピアノを弾く時は力を抜いて”お化けの手”で弾くべきだ」、と言っていた。
2022/7/26 <含胸と上部胸椎の伸展>
「含胸をするにはまず上部胸椎(首根っこ)の伸展ができなければならないのでしょうか?」
という質問をもらった。
これは「ちゃんと直立で立てないと含胸はできないのでしょうか?」と尋ねているのと同じなのだが、答えは是(yes)だ。
←これが”お化けの手”
(https://youtu.be/5WDrp5VmBAU)
脱力をしているから手首にエネルギーがあって指がしっかりしている。
(もちろん、脱力するためには体幹がしっかりしている必要あり)
体幹部がしっかりしていないとお化けの手では弾けない。
ピアノ界でもひと昔前のピアニスト達のように体幹がしっかりして味のある演奏をしていた演奏家が減り、小手先(指先)で器用に弾く演奏家が増えたという
←ランランのショパンの演奏(https://youtu.be/6mUA6JtLqkI)
手首にエネルギーがなく、指で弾いている(指が力んでいる)のが分かる。彼が腱鞘炎を患ってしばらく演奏活動をやめていた理由が分かるような体の使い方だ。
ただ、腰の王子も言うように、現代人は総じて小手先で動くようになっている。江戸時代の人たちはそうでなかった?とか。
と、話は膨らんでしまいそうですが、”お化けの手”の裏には体幹部の開発が隠れていたのでした。
ただ、上の肩甲骨回しのテクニックの動画の中で、王子は、脇を締めるように指示しています。なんなら脇にノートでも挟んで・・・。
腕と脇をくっつけた状態で回せばお化けの手が適当でも肩甲骨は回る。
腕を脇から離して回した時はお化けの手がしっかりできていないと肩甲骨がぐるっと回らない。いっそのこと手首をぐっと強く折って回せば肩甲骨まで連動するかも
当たり前だが、まだ寝たきりの赤ちゃんは含胸をするしないの次元にいない。
常に体が丸くまとまっている。
同様に、腰が曲がってしまっている老人も含胸とは無縁だ。
すでに胸が落ちて固定されていたら、そこからさらに胸を引く余裕がない。
含胸は胸に空間をとって気を腹底に落としている状態。「よ〜い!」の姿勢、これから動くという時の気を溜める姿勢だ。
この「よ〜い」の姿勢がうまくできると、「ドン!」で体がバネのように動いてくれる。
「よ〜い」は合で体の中心(丹田)に気が集まる。この時は含胸
「ドン!」で胸が開いて前方に飛び出て行ったら(ど根性ガエルのぴょん吉みたいに?)、これは”開”で気は体の中心から末端へと流れる。この時の胸は胸椎伸展の胸だ。
太極拳は開合拳と呼ばれていたくらい、開合の繰り返しだが、開は胸椎伸展、合は含胸になる。これを「胸腹折畳」と表現することもある。胸が出れば腹は凹み(開)、胸が凹めば腹が出る(合)。24式などの套路もそのような「胸腹折畳」を意識して練習することもある。その折りたたみは体のポンプとなる。水泳の平泳ぎやバタフライも同じような体のポンプ運動=屈伸運動がある。腰の王子も言うように、動物の最も基本的な運動の仕方だ。
太極拳では胸椎の伸展を練習することなく、すぐに含胸を練習させる。
一方、腰の王子は最初から胸椎の伸展を練習させる。
「胸椎はそもそも後弯しているから、前弯させる余地がある。そう使ってほしいということだ。だから胸椎を伸展させる練習をする。」というのが腰の王子の理屈だ。
同様の理屈から、前弯している腰椎は後弯にもっていくような使い方が期待されている、と言っていた。
背骨は弓みたいなものだから、そのたわみがどのくらいあるかでパワーや弾力性が決まってくる。含胸は胸椎のたわみを作り出す方法だともいえる。
ここから下は息抜きに集めた画像。
私の記憶にある馮老師の立ち姿、歩き方は幼児のそれのようだった。
胸椎上部(鎖骨下のあたり)が開いているから、肩も開いて腕がブラブラ、肘が曲がって肘のありかが常にはっきりしている。
子供と比べてみました。
立ち姿の中にはイチローと劉師父も混ぜました。
ちゃんと胸椎伸展すると頭の先から足裏まで一直線にスクッと立っているのが分かります。(踏みしめていない。バランスで立っている感じ。)
2022/7/25 <どこがおかしいのか? 股関節と骨盤の動きの連動>
2022年の4月分の自分のメモを整理していて、あれっと目が止まった。
4/16、4/20付のメモでは太極拳でよく言われる、「仙骨を入れる」とか「骨盤を後傾させる」ということを一生懸命分析している。
これだけ一生懸命分析していた理由は、現在の太極拳界でやられている仙骨や骨盤の操作が不自然でおかしい、と思っていたから。これでは到底動けない、という形で動いている。スポーツとしてはあり得ない形だ。太極拳をやりこんで股関節や膝を痛める人が多いのも頷けると思っていた。
4月のメモを書いた時は、骨盤を後傾させるのではなく、骨盤を垂直に立てるのだ、という観点から、骨盤の上半分と下半分を分けて考察していた。
自分で読んでもぐちゃぐちゃ難しい・・・(苦笑)
が、今なら何が問題なのか簡単に言える!
4/16のメモで使った画像はこのようなものだった。
どれも骨盤の後傾を見せているが、このままでは動ける体にはならない。
というのは、骨盤を後傾させることで前腿、膝に乗ってしまい、ブレーキをかけてしまっているから。
骨盤の後傾のさせ方が間違えている・・・と当時は思ったのだけど、腰の王子の関節の連動理論を知ったら、答えは簡単、股関節の外旋が足りないのだった。
すなわち、骨盤の後傾は股関節の外旋がセット。股関節の外旋なしに骨盤の後傾をさせると糞詰まりのようになって前腿に乗ってしまう。骨盤を後傾させる時に股関節が外旋すれば後傾させた力(エネルギー)はハムストリングスを経由して足裏に落ちる。
(後に加筆
注:骨盤後傾をしようとしながら股関節を外旋させると、仙骨の下半分が前方に巻き込まれるのが防げる。つまり、以前詳細に分析したように、仙骨の上部は前方に押し込まれながら、下部は後方へ押し出されたようになり、仙骨が立つ、ということになる。以下の記述もそれを前提に読んで下さい。)
足裏に気を下ろす時は股関節外旋➕骨盤後傾だ。
逆に、足裏から腕を含めた上半身に気を上げる時は股関節内旋➕骨盤前傾だ。
双腿昇降功という内功でまさにその動きを練習をしている。
骨盤後傾➕股関節外旋で気が足裏に降りるのは順缠丝劲
骨盤前傾➕股関節内旋で気が足裏から手の方(上向き)に流れるのは逆缠丝劲。
←https://youtu.be/XFa7UQGrM8A
このズボンだと股の動きが見えやすい。
左足に着目すると
まず後方左足へ体重移動=左股関節外旋・左骨盤後傾→気は左足裏に降りる(蓄気)
それから股関節内旋➕骨盤前傾で足裏で地面を推すと同時に気は両手のジーへ(発力)。
この時右股関節は外旋して右足裏に気が降りて体をしっかり支える役目を果たす。
つまり、前後や左右の体重移動で打つ(発力)する時は、後ろ足の股関節内旋・骨盤前傾、前足の股関節外旋・骨盤後傾、になる。
歩行時も着地の時は股関節外旋・骨盤後傾(小指球側に着地)、それから母指球で地面を推す時に股関節内旋、骨盤前傾になる。左右それぞれその繰り返し。
骨盤が前傾しているのに股関節を外旋させたり、後傾で内旋させたりすると、股関節のアングルが狂って脚が捻れて股関節や膝、足首を痛める。(私が卓球で脚がねじれてしまったのもそれが原因だと判明。原因が分かれば治し方も分かりやすい。)
これに対して、股間節が外旋や内旋をしているのに、骨盤の後傾や前傾がないとしたら・・・股関節の動きが他の関節に連動しない。。
よく見る太極拳はどうなっているのだろう?とその観点から見てみると
https://youtu.be/ALQUtJWPt5wより→
股関節の外旋も内旋も使われていない?
骨盤の前傾、後傾の動きもない。
あるのは 膝の屈伸だけ?? (これはまずい)
背骨が硬くなって膝の屈伸しかできなくなったお年寄りのような動きに見えてしまう(もともと年配の人たちの健康体操として政府によって編纂されたものだから仕方がないが、本来の太極拳の良さは体幹部の可動域にあるから随分異なるものだと思った方がよい。)
関節の動きが連動することで全身は一体化する。
これを馮老師は18個の球の連動と行ったが、腰の王子はそれをもっと詳細に分析してフィジカルコードとして論じている。
そのうちの一つが股関節と骨盤の連動。馮老師の18個の球で言うなら、股関節の球と臀の球の連動なのかもしれない。
骨盤が後傾すれば股関節は外旋、背中は弓なりになり肩甲骨が少し上に上がって肩関節は内旋、前腕は回外する。昨日書いた座禅の時の腕になる。
2022/7/24 <関節を意識的に使う>
左のようなタントウ功の時も同じ腕の作り方。
作れてしまえば勝手に気は丹田に集まる。
今までは丹田にある程度の気が集まらないとこのような腕にはならないと思っていたが、先に腕を作ってしまって半ば強制的に気を沈めてしまうということも可能なのかもしれない。
両手を前に差し出して物を抱えるような腕の形は日常的にもよく使うもの。
←簡化24式の攬雀尾などでも同じような腕の形が使われている。
この時この前に出た左手(腕)が相手の拳などをブロックできるくらい節節貫通していなければならないが、実際、外から押してみるとすぐに腕がひけてしまうようなケースが多い。
が、不思議不思議、ちゃんと、肩関節内旋、前腕回外をして形を作ってもらうと、こちらが押しても腕はびくりともしない。体と一体化するのだ。
これは、関節を意識的に使うことで、関節同士の連携を作って体を一体化させるというからくりだ。
適当に見よう見まねで上のような腕の形を作ると、前腕や上腕、手などの骨の棒のみを操ってそれぞれをつなぐ”関節”に無意識であることから頼りない腕になってしまう。体と腕が連動しない。
四肢を胴体化するには意識的に関節を使うことが必須だ。
関節を意識して使えるようになって初めて節節貫通して胴体と四肢が一体化する。
そうすれば太極拳の様々な技が可能になってくる。
今日の御苑では肩関節の内旋から肘を使う技(圧肘)、そして手型を使って相手を引っ張る技を試してもらったが、似たようなものが馮老師の動画で示範されていた。
関節の連動、そして胸と腹の折りたたみ(上部胸椎の伸展と含胸)が太極拳の技の真髄だと分かります。この話題はまた後日。
2022/7/23
脳裏に焼き付いていた画像。
やっとその意味が分かった。
腰の王子が、胸椎の伸展を声高に強調するのはそれが首を立てることであり、それが腰を立てる、つまり、二本足で立つための要だから。
上の左はインドのドラマ『マハーバーラタ』の中の幼少期のクリシュナ。いっときこのドラマにハマったが、その際にそこに出てくることもたちの姿勢、体型に驚いた。肩の位置、腕の垂れ方が日本人とかなり違う。(本当に小さい頃はこうだったに違いないが、小学校に上がる頃には失われてしまうようだ。)
この肩、腕のつき方、立った時の姿勢は馮老師に似ている。劉師父も普段立ったり歩いたりしている姿勢は上の二人のようだ。
これが頭から足裏まで軸が通った姿勢だろう。
そうずっと思っていたが、今よくわかるのは、それは肩が云々というよりも、胸椎がちゃんと伸展しているから。
最初はただ腹が出ているだけ、と思っていたが、いや、上の二人は腹が出ているのではなくて胸椎が伸展している。
その一方でこんなブログを発見。日本人と欧米人の体型の違いを、使う道具の違いから裏付けていました。
https://al-jabr.co.jp/archives/10301
参照
私自身の経験でも、イギリスやフランスにいた時に使っていた缶切りは押して使うもので、最初はおやっと驚いたが、慣れてしまうと力があまり要らない。日本に戻ってきて、引くタイプの缶切りを使ってみると、なんだか体が縮こまるなぁと感じていました・・・
(ベッドのことは正直言ってよく分かりません。)
インド人の体型は私から見れば欧米系で極東の日本とはかなり違う。同じアジア人といっても、全く違う。
が、胸椎の伸展は二本足で立つために必須の要素。
上の画像の左側のような前肩猫背の姿勢は本来の日本人の姿勢ではなく、後天的な癖でそうなってしまったための姿勢だろう。
←https://ameblo.jp/tategoshi-japan/entry-12418272177.html
(腰の王子のブログより)
江戸時代の力士たちの写真だそう。
全体的に見て、みなすくっと真っ直ぐ立っている。
肩がしっかり開いて肩が下がり、脚が真っ直ぐ。
上半身の力が抜け、足裏に力が通っている(腰の王子がいうところの、脛骨直下点に体重が乗っている)。
上虚下実。
体にこわばりがなく、歪みがない。
こんな風に真っ直ぐに立てるようになりたいもの。
そのキーの一つが胸椎伸展。
胸椎が開く、脊椎が開く、ということ。
ただ胸を張ろうとすると胃のあたりを突き出していることがある。胸椎を伸展するためには鎖骨の下あたり、肋骨の上から三本目までを開くような意識が必要だ。
上にあげた、欧米人と日本人の女性の体型の違いで明らかなのは所謂”デコルテ”。日本人は早いうちからここが落ち込む。大きなペンダントは欧米の女性がつけると胸に”貼り付いている”が、日本人の女性だと往々にして首から”ぶら下がって”しまう。
鳩胸は良くない、と昔聞いたことあるけれど、一体鳩胸とは?
女性が着物を着る時には上の馮老師やクリシュナの姿勢ではまずそうな気がするが。
文化的なものは必ずしも体の本来の自然な動きを敬うものではなさそうだ。
2022/7/19
今朝書いたメモに関する王子の公開動画がありました。
首根っこ、首がすわれば腰が立つ、という話です。
首がすわる、というのは、上部胸椎がまっすぐ入る、ということで、そのためには上部肋骨が開く必要がある、ということ。
上部肋骨が開けば首がすわる→腰が立ってしまう。
下部肋骨を開くと上部肋骨が開かなくなってしまう。
太極拳で「束肋」というのは、下部肋骨の話だった・・・
確かに、師父や馮老師などは上部肋骨が開いていて胸の位置が高い・・・上が開くと下は自然に閉じるということ・・・
胡座は股関節外旋。骨盤は後傾が自然。
ここで骨盤を立てようとするなら、上部肋骨を開く必要がある(私の感覚では、鎖骨を眉毛だとすると、左右の眉毛を両側に開いて眉間を広げるような感じ。本当の眉毛もそのようにすると印堂穴が開く。)
2022/7/19 <周天と立腰体操三種の神器>
明日の夜のグループオンラインレッスンの内容を考えてみた。
普段はメンツやその時の状況に応じて行き当たりばったり的(苦笑)
王子を見習って計画してみよう。
レッスンメンバーの顔ぶれ。
一人はパワーはあって、どうしても前腿に乗ってしまう。猫背で肩こり。(これは前腿体重の人の運命)
もう一人はパワーが弱い。呼吸が深くいかない。胸が落ち込んでいる。肺、胸郭に力がないかなぁ→太極拳で含胸の前提となる胸を取り戻す必要あり。
三人目は膝に問題あり。股関節、背骨が硬い。力が抜けない。最近は自分で立腰体操の三種の神器を練習している様子。
王子のセミナーで学んでいることを太極拳にひきつけながら教えれば何をやっているか理解しやすいだろう。
三種の神器のおはようおやすみ体操は、究極的には太極拳の立円の練習だ。任脈督脈を開通させる円(周天)だ。座禅もタントウ功もこの円を開通するのが大きな目的となっている。
(←http://y.qichejiashi.com/tupian/9314407.htmlより)
まずこれを開通させないと始まらない、みたいに言われるものだ。
腰の王子はこれを「おはようおやすみ体操」(立位もある)で開通させようとしている。とても奥の深い体操だ。
が、その前提として、「大腿骨はだいたいこのへん」体操で胸椎の伸展を十分行い、「コマネチスリスリ」体操で、股関節の屈曲と伸展を限界まで行わせる。胸椎の伸展ができないと結局左の図の夹脊が通らないし、股関節の屈曲と伸展(骨盤の後傾と前傾)が十分できてゴロゴロ転がるようにならないと、左の図の会陰のあたりの弧線(股)が開通しない(尾闾が開通しない)。
。
図の夹脊と尾闾は周天の関門だが、腰の王子は、首根っこ、腰根っこといって、赤ちゃんが二足歩行に移行する時に反り上げなければならない部分を重視する。両者とも同じような場所だ。
が、周天では下から上に向けて開通させていくのが普通だが、王子は、まず首根っこ、すなわち、胸椎の伸展を重視する。というのは、赤ちゃんはまず首が立ってから腰が立つからだ。首を立てることなしに腰は立たない。腰が立たなくなるのは首が立たなくなるから、という私にとっては目から鱗の理論だった。胸椎の伸展が不十分になると首が自然には立たなくなるので首の筋肉で立てなければならない。これが首こり、肩こりの原因だ。こうなってくるとそのうち腰にも支障がでる。腰が自然に立たずに腰を立てなければならなくなるからだ。腰を立てるようになると腰が固まるので、股関節も固まってくる。こうなれば膝に負担がかかりそのうち膝が悪くなる。
つまり、すべての始まりは胸椎の伸展がなくなること。だからそれを取り戻しましょう!という考え方だ。
ではどうやったら胸椎の伸展が取り戻せるのか?
ここで登場するのが、上丹田。
そう、上丹田につながる目鼻口、ここがポイントだ。太極拳の眼法の意味がはっきりしたのは立腰体操のおかげだ。そして発声。息。六字訣と同じ原理だ。どんな声をどんな音程で作るのか、これで首から下の体の動きが変わってくる。
このあたりは実際に講義を受けて自分で気づくしかないが、目が落ちてしまっている私たち大人は目で体を引っ張れなくなっている。それを取り戻そうとしているのが立腰体操。目を落とさない!
と、こんなことをちゃんとやっていくと、三種の神器だけで2時間はかかってしまうかも(苦笑)
いや、もっと奇抜な足指の動きを使った全身の連動をやるかなぁ。
回旋も胸郭の感覚を取り戻すのに役立つ。椅子からの立ち座り、正座からの立ち座りは腿裏お尻の底(オケツ)を目覚めさせてハムストリングスを使えるようにするのに良いなぁ。
と、やはり計画が立てられないではないか!
明日皆の顔を見てから決めるかなぁ。教えたいことがいっぱいあり過ぎるのが問題。
2022/7/17 <『柔』と『軟』 軸、背骨の開発>
太極拳では柔らかさが求められる。
『松』(余計な力を抜くこと)は『柔』に向かう第一歩だ。
ただ、『松』したからといって必ずしも『柔』になるわけではない。
『松』し過ぎると(力を抜き過ぎると)、『柔』ではなく『軟』になってしまう。
『軟』はふぬけ、ふにゃふにゃしていて芯がない。力がない。それでは困る。
『柔』には強さがある。弾力がある。
『柔』と『軟』は似ているけれど、漢字を使う私たちには感覚的にその違いが分かるだろう・・・・豆腐は柔らかい、とは書かないはず・・・
柔らかい拳を打てる老師はそれほど多くない。
というのはその前提として背骨を開発して脊椎をバラバラに動かせる必要があるからだ。これは内功の領域だ。
太極拳の入門的存在の簡化24式はなんとなく『松』してやわらかく動いたとしても発勁が可能になるようなエネルギー(気)の蓄積ができない。『軟』の域を出ない。対照的に、武術太極拳という領域でアクロバティックに動くようなものは『剛』を目指している(から太極拳とは言えない?)
『柔』の太極拳を見たくなったら、やはり馮志強老師とか劉師父とかになってしまう。そもそも柔らかく動ける身体をもった大人なんてなかなかいない・・・子供や動物の動きを見た方が手っ取り早い・・・
そんな中で、腰の王子は柔らかさを極めた身体を持っている。かつ、そのノウハウも教えている。脊椎一本一本を独立して動かすことができるべきだという。例えば、「胸椎1番は前転、胸椎6番は右へ、そして腰椎3番は後方回転」と言われたらそれが同時にできるだろうか? そんな話だ。
私たちの体は中心に近づけば近づくほど動かすことが難しくなる。手の薬指は簡単に動かせても、腰椎1番だけを動かすのはとても難しい。ということで、太極拳の練習も、手から腕へ、そして肩、胸、そして背骨へ・・・と内側に進んでいく。丹田を使った練習は内側から脊椎を操作するのを可能にする一つの方法だ。
柔らかい体は健康にも良い。
関節を痛めないし、内臓のマッサージにもなる。
前回紹介した日本舞踊の武原はんの動きもとても柔らかかった。決して軟弱ではなかった。
他にも『柔』の動きの例はないかなぁ? と思っていたら、腰の王子が「マイケルジャクソン ポー!」で骨盤後傾を作っていたのを思い出した。実際、マイケルジャクソン、ポー!のポーズを私ははっきり知らない。ということで、初めてマイケルジャクソンの動きを真面目に見てみた。
なんと、バックダンサーより数倍上手い!(そんなことは周知の事実だったのでしょう)。軸の通り方がものすごくて、周りのダンサーの軸がブレてるように見えるくらいだ。
武原はん(さん)と同様、普通の人ではあり得ないような姿勢で中正を保っている(軸が通っている)。簡単そうに見えて無茶苦茶難しいのは、脊椎一本一本が独立して動かなければならないからだ。
下の動画では、日本人のダンサーさんがマイケルジャクソンの動きを解説してくれているが、それを見ると、いかに凄い動きをしているかが分かる。「ダンスの基礎がものすごくきれい!」と何度もコメントしている、それが印象的だった。”きれいな基礎”と表現しているのは、きれいな動き=正確で精密な動き、を可能にするような身体を開発している、ということに他ならない。つまり、基礎として”そんな身体”があれば、”そんな動き”が可能、ということだ。
はじめに、基礎=”正しく動ける身体”、ありきだ。
”そんな身体”がなければ”そんな動き”は不可能。
だから、まずは、”そんな身体”を作りましょう。
というのが、本来の太極拳の練習の仕方であり、腰の王子が提唱していることだ。
動きを真似すればできるようになる・・・というのは”そんな身体”に近い身体を持っている場合に可能だ。
「套路を1万回行うことは一度立つことに敵わない」という言葉を教わったことがある。動きの真似を10000回するよりも、一度タントウ功をして内側を調整した方が早く進歩する、ということだ。中国的な少し誇張した言い方だとは思うが、背骨の開発をすれば簡単に動きを真似できるようになる、というのは真実だ。
マイケルジャクソン、今更ながらすごいなぁ〜 失神した人がいたのも分かる気がしてしまう。(太極拳の演舞を見て失神する人はいないと思うが、私は馮志強老師の演舞を真正面から見た時、一つの大きな円をくるりと描いたその時に涙が出たことがありました・・・)
2022/7/15 <日本舞踊の武原はん>
腰の王子は「江戸時代の日本人の身体使いを戻せ!」と、日本人本来の身体の使い方を取り戻させようとしている。ともすると中国や欧米などの海外に目がいってしまう私にはとても新鮮だ。
youtubeの公開動画の中で「良い動きをする人の動きはしっかり見ておくべき!」と王子挙げてくれた人の中に、日本舞踊の武原はん、という方がいた。(https://youtu.be/L571z_EThgU)
動く浮世絵、と言われるそうだ。早速動画をチェック。
その他にも良い動きをする人が紹介されていたが、共通するのは、身体の中心、脊椎を操作できる、ということ。武術においても、脊椎を一本一本独立して動かせるようになると、どこから力が出ているのか相手がわからなくなる。スルリと躱せる。丹田に気を溜めて周天を行っていたのもそんなことを可能にするためだった。筋トレやストレッチではそんな身体は作れない。
武原はんの舞を見たら(私の好きな)バレエが異常に手足を広げるアクロバティックなパフォーマンスに思えてしまった。前者は芸術、後者はエンターテイメント、なのか? 王子が絶賛するだけある。太極拳の『綿綿流長』の究極が見える。息が分からない。
↓同じ舞を踊っている別の方と比べるとそのすごさが浮き彫りに・・・
( 左:https://youtu.be/6ZnJO9BvFoY 右:https://youtu.be/b3DImWkpvS0 )
普通の師範程度だと動きが雑に見えてしまう。
左の武原はんは終始中正がとれているけれど、右の方は膝が折れ曲がって中正が崩れている・・・右の方は前腿膝に乗ってしまってハムストリングスを使っていない(から中正がとれない)。武原はんはお尻からハムストリングスを使っている。
ポーズのところで止めて・・・と思ったら、武原はんの方は、所謂”ポーズ”がありませんでした。ポーズになりそうでならずに進んでいく・・・(右の方はちゃんと決めポーズがありました)。
馮老師の動画からポーズを切り取ろうとすると流れてしまうのに似ています・・・綿綿流長。
そして、中正、というのは体軸がまっすぐ、という意味で、必ずしも垂直の線(垂軸)と一致しないことにも注意。下の左側の武原はんは身体と傘は斜めだが、中正だ。右側は垂直だが中正ではない(軸が貫通していない)。
2022/7/11 <背骨の湾曲は”首根っこ”と”腰根っこ”でできている>
太極拳の背骨の要領、<含胸・抜背・塌腰>は背骨を弓状に引き伸ばすような要領だが、これは本来の背骨の湾曲の存在を前提にしている。本来湾曲があるところを引き伸ばそうとするから体にバネのエネルギー(弾力性)が生まれるようになっている。ゴムをグッと引き伸ばすと、そこから収縮するエネルギーが生まれるようなものだ。
これはなにも太極拳に限ったことではなくて、およそ人が力を出そうとする時に必要とされる動きだ。例えば、ジャンプをしようとしたら、一度体を引き伸ばしてから身を屈めて圧縮をかけてからジャンプをする。伸縮を最大限に行うことによってパワーが生まれる。
そのためには本来的な背骨の湾曲が必要となる。
もし腰椎の前弯(反り)がなくなっていたら、塌腰(腰を引き伸ばして湾曲をなくすこと)、をすることはできない。すでに塌腰の状態になっている?、と思うかもしれないが、反った腰椎を塌腰するからこそエネルギーが生まれる。最初から腰が丸くなっていたら塌腰する余地はない。
同様に、もし、初めから胸椎が陥没して背中が丸くなっていたら”含胸”をする余地がない。含胸は胸椎がちゃんと伸展して肩甲骨と肋骨の間に隙間ができていることを前提としている。
そもそも背骨の湾曲、といってもメインは胸椎と腰椎の湾曲だ。
その中でも、湾曲の主役、動きの主役は胸椎だ、と最近知った。
腰の王子が、「首根っこ」「腰根っこ」という2点は、私たちが立ち上がって二足歩行をする時にクリティカルな場所だ。首根っこを作るのは胸椎の伸展、そして、それによって腰椎の反り、腰根っこが出来上がる、というのは赤ちゃんが立ち上がるプロセスだ。
↑ あかちゃんがうつぶせ寝から行う<胸椎の伸展>。
これをしっかり行うことで「首根っこ」を作り、次の立ち上がりへと導いていく。
←https://youtu.be/LsYLTQEuIRI より
彼が挑んでいるのは、腰椎の伸展(反り)で腰根っこを作ること。
頭から首根っこの力を使って骨盤をコロコロ回転させ、どうにか腰を立てようと頑張っている。
もう少しで腰が入って”腰根っこ”が作れるのに・・・とじれったい感じ。
腰根っこが入るには、まず首根っこが必要。
腰は腰だけでは立たない・・・腰の王子の「立腰体操」は”腰を立てる体操”ではなく、”腰が立ってしまう”体操。目、頭などの上丹田(意識)、首根っこ、胸椎が非常に重要視される所以だ。
首根っこ、腰根っこができれば背骨には自然な湾曲ができる。
結局、太極拳をするにしても、まずはこのような首根っこと腰根っこを取り戻すべきだろう。立腰体操3種の神器はそのためのものだが、それらの体操はタントウ功や内功にとても似ている。タントウ功、内功をその観点から見直すのも面白い。
2022/7/5
最近はもっぱら腰の王子のセミナー動画で学んでいる。
面白おかしく奇妙な立腰体操も、そこに盛り込まれた狙い、意図を知ると、そのきめ細かな配慮にびっくりする。身体の開発だけに数十年費やしてきた王子の知恵が盛り込まれている。
結局、私が太極拳で学びたかったことは、修行法としての体の開発。智慧の開発に繋がるような体の開発だった。健康法やスポーツとしてのものではなかった。が、実際には体を開発してしまえば健康法になってしまうし、運動能力も上がってしまう。
体の開発という観点で太極拳の練習をすると、そこにまた故人の知恵が散りばめられているのに気づく。套路をそのように練習するならば体の開発がちゃんとできるようになっている。何千もあるといわれる立腰体操を総動員させるような効果があるかもしれない。
すべては<気づくか否か?>
「股関節の外旋は肩関節は内旋、股関節の内旋には肩関節の外旋が対応する」
体の自然なつながりはそうなっている、と王子のセミナーで学んで、しばし頭が混乱した。
例えば太極拳の雲手(運手)。手足ともども外旋の動きだ。
もっとも、一つの円の中には(その円が外旋であれ内旋であれ)、順纏と逆纏が含まれている。
←右手の外旋円の中には、緑の矢印の順纏(肩関節は外旋)、赤の矢印の逆纏(肩関節は内旋)が含まれている。
「右の肩関節が外旋(順纏)の時に右の股関節は外旋(順纏)ではないのか?」
頭で考えるとそう思う。
が、実際にゆっくり動いてやってみると、あれ、腕と脚は微妙にズレている。雲手であれば、腕(肩関節)が外旋する前に股関節が外旋し、肩関節が外旋する頃には股関節が内旋を始めているのだ。これは運手に限らず至るところで起こっていることで、もし、腕の回転と股関節の回転を揃えてしまうとぴったり揃えてしまうとどこか不自然、ラジオ体操のようになってしまう。
上段の馮老師の動きをよ〜く見ると、腕と脚が微妙にズレているのが分かる(腕と脚が引っ張り合いになる→中正)。これは内功の練習でも練習することで、気の量が増えると自然に自分の体の左右、前後の引っ張り合いで動くようになる。動物的な活きた動きになる。
下段は簡化の雲手だが、簡化はどうしても規律にしたがった動きの練習に終始してしまうので、これ以上の発展性はない。王子の言う所の、体の連動を無視した動きになるので、膝や腰などに負担をかけてしまう。
師父は本来体の持っている活き活き感、ダイナミズム、生命力を発揮していく運動こそが太極拳だということを常日頃から言っていたが、腰の王子も全く同じようだ。だからこそ、本来の自然な体ならこう連動する、という正しい連動を取り戻すことを重視する。体をゼロにする、ということだ。太極拳の『無為』もそういう意味で『ゼロ』に近いだろう。自然な体になれば健康にもなるし太極拳も上達してしまう。不自然な体操を強いられたら体は歪んでしまう。ヨガが雑技のようになれば体にとても悪いだろう。太極拳も注意しないと不自然な動きになりがちだ。注意する必要がある。