2022/8/29 <演奏姿勢のお手本 サンソン・フランソワ >
ショパンやドビュッシーならこのピアニストが好き!というのが多いのが、サンソン・フランソワ。フランスの天才ピアニストだ。独特の感性、誰にも真似のできない弾き方。
小柄な人だが、全身を一つにして弾いている。
坐り方が正しく全身が一つに繋がっている。
(←https://youtu.be/NoHM3-F8AmI)
虚霊頂勁
沈肩・墜肘・松腕・垂指
含胸・抜背・塌腰
园裆・曲膝・松胯
坐位でも立位と要領は同じ。
坐位で「园裆・曲膝・松胯」は当たり前ではないかと思うかもしれないが、ここは案外見落とされている。これが不十分だと、坐骨から恥骨にかけての裆でしっかり坐れず、脚と胴体が繋がらない(胴体が立たない=腰が立たない)。腰の王子の立腰体操の三種の神器はこの部位の鍛錬だ。名ピアニストはみな腿裏、股、お尻、恥骨、この辺り一帯がしっかり座面について起き上がり小法師のようになっている・・・
裆でしっかり坐れると胴体が立ち上がり、脇も立つ。すると腕が繋がり、手指へと連動が届く。
「肘が落ちない」というのはその現れ。「肘が落ちない」ことを前提に「墜肘」を行うと気が腹底に沈み落ち着きがでる。サンソンフランソワ の演奏姿でそれを見ることができる。
←『松腕・垂指』
松腕の”腕”は中国語で手首のこと。
これが腰の王子の言うところの「お化けの手」。サンソン・フランソワも「ピアノは幽霊の手で弾く」と言っていた。完全に放松しているということ。日本の武術だと「指抜き」とか言うのかもしれない。太極拳なら「無骨」という。
骨がないような体は柔らかくてしなやかだ。
手のひらに隠れている中指骨が完全に分離して動いているのがプロのピアニスト。サンソンフランソワ の場合は中指骨にとどまらず、手首に近い掌根の手根骨たちもバラバラに動いているようだ。そんな風になるには腕の中、肩の中、背骨の中もばらばらにしておく必要がある。
このような天才アーティストは。とりたてて身体開発をせずとも、「こんな風に弾きたい」という思いによって身体が開発されてしまう。気持ちが身体を操るのだ。
この高い木になっている実を食べたい、と頑張って首を伸ばしていたらキリンのようになった・・・そんな話と同じ? 腰の王子の立腰体操もそんなメソッドを使っている。だから”切実に””ありありと”思い浮かべてそれぞれの体操をやる必要がある。気持ちが身体を引っ張る。第3身体(感情の体)が第2身体(気の体)を動かし、第2身体が第1身体(フィジカルな体)を動かす・・・
ただこのようなアーティストは第1身体よりも第3身体で生きている感が強いため、感情の波や不摂生で早々に健康を害してしまうこともありがち。ショパンもサンソン・フランソワも短命でした・・・が、後世に残したものは大きかった。
2022/8/27 <ピアノの発表会を終えて>
昨日、3年ぶりにピアノの発表会に参加しました。今年の曲はショパンの幻想ポロネーズ。ところどころ危なっかしいところはありましたが、どうにか切り抜けた感じ(苦笑)いつも実力ギリギリの大曲を選んでしまうので、ピアノの先生に最後まで心配させています。
幻想ポロネーズはどんな曲かと言うと
(以下 https://flip-4.com/189より)
『「ポロネーズ第7番変イ長調Op.61」は幻想ポロネーズとも題されています。ショパンが、恋人ジョルジュ・サンドとの別れ、そして自身の病気と闘いながらかきあげた曲で、実質、ショパンのいわゆる「大作」としてはこの曲が最後の作曲である、と言われています。
非常に難解で弾きづらい楽曲となっています。難易度も高く、弾きこなすには相当の練習が必要でしょう。あのリストでさえ、「ショパンは気が狂ったか」と言ったそうです。
10分以上の大作ですが、腕に自信があれば是非、チャレンジしてみてください。』
名曲ですが、ポロネーズ第6番の英雄ポロネーズほどメジャーではありません。
どこか暗く、崩れ落ちそう(塌腰 の”塌”という漢字を思い出します)な半音階で下がっていく旋律が散りばめられています。絶望の中で哀愁と力強さが同居するような、そんな曲だと思います。テクニックも去るところながらその雰囲気を出すのは難しい・・・歳をとってからの方が弾きやすそう、そう思っていた曲でした。今年弾いてみる気になったのはどこか自分の心の状態と合っていたからかもしれません。
とはいえ、人前で弾くとなると雰囲気で適当に弾くわけにもいかず、ちゃんと暗譜してミスタッチを減らすようにするという基本的なところで随分時間がかかりました。腰の王子の三種の神器のおかげか、ある時、アレっと思ったら横腹と腕が繋がるようになり、その後、股関節(鼠蹊部)から指までが繋がることが多くなりました。調子が良ければ足指から手指が繋がる・・・繋げれば難解なパッセージが軽々とひとつかみで弾けるようになる・・・一流のピアニストたちの体の感覚の一部を味わった感じのすることもありました。
一曲を弾き込むことで学べることが多くある。24式を一万回やれば自ずから通る、という言葉と同じだ・・・
「ちゃんと坐れれればもっと簡単に弾けるようになる」
今回の一番大きな気づき。
「ちゃんと立てれば太極拳は簡単に学べる」 というのと同じこと・・・
ちゃんと立ったり、ちゃんと坐る、ということができるか否か。それが、マスター(プロ)と素人の違いなのでしょう。
ちなみに、”ちゃんと”立つ・坐る、の”ちゃんと”の意味は、体が隅々まで繋がっている、ということです。太極拳でいうところの『周身一家』。指を動かす時は腹(丹田)経由で足裏まで繋がっているよな感覚・・・
現状を踏まえて次回に向けての課題がはっきりしたのでした。
2022/8/22
腰の王子の立腰体操三種の神器がなぜ三種の神器なのか?
それはこれらの中に、四足歩行から二足歩行に移行するのに不可欠な身体の使い方が含まれているからだ。
太極拳を含む武術は身体をまるごと一体化して使うことをその技の中核に据えている。力だけで勝るわけではない。それが”技芸”、どこか巧みな技として映る所以だ。
そして、身体を一体化して使う=身体の全てのパーツを連動して使う、というのはもともと四足動物時代にやってきたこと。二足歩行になって縦長になったためにそれらの連動が切れてしまった。例えば手足(前足と後ろ足)の連動は四つ足の動物なら考えなくても当たり前にできるが、私たちは手足を連動させて動かすことはかえって難しいだろう。
そもそも、四つ足の時は手足をバラバラに動かすことができなかったのを、私たちは前足を自由自在に動かすことができるように立ち上がって前足を手として独立させた。連動を断ち切った。年齢を重ねるごとに、本来持っていた身体のひとまとまり感が薄れ、身体のパーツがバラバラにになりがちだ。
本来の身体のまとまり、連動を取り戻す練習が太極拳や腰の王子の立腰体操だとも言えるだろう。
立腰体操の三種の神器、最初の「大腿骨はだいたいこのへん体操」では赤ちゃんがうつ伏せの状態からずり這いをする時の背骨の体操=背骨の伸展を練習させている。
中でも胸椎上部の伸展は首を立て肺を鍛えるのに必要で、腰の王子が特に重視する場所。大人になって姿勢が悪くなる原因がこの胸椎の伸展が失われるからだとのこと。
2番目の「コマネチスリスリ体操」はずり這いからお座りができるあたりの練習。背骨の伸展に加えて、骨盤の後傾の動きが入る。
この練習でお尻の底(股)や腿の付け根(太極拳で言うところの裆)が鍛えられる。
(←https://youtu.be/rtuT3G64gyM)
腰とお尻がゴロンと動く。その時に親指の力を使っているのが見える。内股、内腿の力を連動させているということ。ゴロンと座った時には、内腿からお尻の底、腿裏(ハムストリングス)、小指側へと連動がかかっていく。このクルンと回転してお座りする腰やお尻の動きがスリスリ運動で再現できるか?
そして3番目の「おはようおやすみ体操」へ。
これがおすわり、はいはいから立ち上がるための練習。
立ち上がるには骨盤が前傾して腰が立たなければならないが、それには骨盤と胸郭と頭蓋骨の連動が必要になる。腰を立てるのではなく、2番目の体操までで練習した股を含む骨盤の前後の動きを動力として、それまでに鍛えた胸椎の連動を使って上半身を立ち上げる。
この体操は奥が深いので全てをここでは説明しないが、まずクリアしなければならないのは、骨盤の回転と股関節の回転だ。これが”回転”にならずに、折れ曲がって伸びる、という屈伸運動になってしまうといつまでたっても胸郭や頭蓋骨と連動しない。
実際、「おはようおやすみ体操」が難しいのは、これらの3つの玉をうまく連動させるところだ。骨盤と胸郭の連動、胸郭と頭部の連動、それらを分けて練習すると見えてくることがある。骨盤の胸郭のつなぎ目は腰、胸郭と頭部のつなぎ目は首だ。腰や首をつなぎ目の滑車として使えるかどうかが身体を一体化して使えるかどうかの大きな鍵になる。骨盤や股関節を回転させた時は(股関節を回転させると骨盤=胯も回転する)腰も連動して動くということに注意が必要。腰が滑車の役割をしないと、骨盤から下と腰から上は分断されてしまう。
これら3つの体操がちゃんとできれば、お尻の底と腿裏が土台となり、脊椎が伸展して立つことができるようになる。
そのまま太極拳ができればすぐに内側の練習ができるだろう・・・
面白い動画がある。馮志強老師が外地で個人レッスンをしている映像
この男性、どの動作を見ても、すぐに背が小さくなってしまう。下に落ちてしまう。
横の馮老師と比べると違いが明らか。
教えてる馮老師も、男性の脚、膝?を見て、なんかオカシイなぁ?という感じ。
そして、少し直し出した。
膝が前に出過ぎ?
いや、問題は、お尻の底、腿裏が使えていないこと。股関節を折って使っているだけで、そこに”回転”が入っていない。
股関節と骨盤の”回転”がないと、前腿に乗っかってしまい上半身が分断される。結果、上半身が一塊の重い物体になって骨盤に乗っかってしまう。脊椎の伸展がなくなり、頭頂の頂勁もなくなる。すなわち、「大腿骨はたいたいこのへん体操」で練習したことが水の泡になる、ということだ。
脊椎の伸展がちゃんと行われて頂勁がおこる。これを「大腿骨はだいたいこのへん体操」で確認してみる。脊柱の伸展がちゃんと行われるにはお尻の底がこの上なく安定している必要があるのが分かるだろう。
このお尻の底のコロコロは椅子に座った状態で練習するのが分かりやすい。もしくは四つ足姿勢。
上の男性の欠点を直すのはなかなか時間がかかる。馮老師が一回のレッスンで直せるものではないし、そもそもそれを直そうという気配がない。これを直すには弟子入りしてタントウ功をずっとやらなければならない。ただの生徒にはそこまで手取り足取りは教えない。それが太極拳の世界の現実だ。
私だったら、腰の王子の三種の神器をやらせてみるかなぁ。それで気づかないなら悟性不足。「門まで連れていくのは師の役割。門に入るのは弟子の役割。」そんなことになるのだろう。
2022/8/17 <黒柳徹子の若い頃の姿勢にびっくり>
先週日曜日は立腰体操の一部を紹介。
知っておくとよいと思ったのは、腰の王子の身体開発メソッドの全体像。
立腰法、立甲法、立脛法、歩法、立坐法、そして神触法がある。
身体開発をどこから行うのか、その切り口がいくつかあるということだ。
そもそも腰の王子が立腰体操を世に広めようと思ったのは、現代日本人の姿勢がとても悪くなってしまっていることに危機感を覚えたからだという。腰がしっかり立っていない。世界の中でこれほど姿勢が崩れている国はいないのでは?と私も思う。
<ちょっと脱線>
ここ数日ハマっている黒柳徹子のyoutubeチャンネル。そして知ったのが彼女の若かりし頃の素敵な姿。こんなに堂々と立てる日本女性はなかなかいない!しかも着物!
着物を着たら身体を伸び伸びさせずにおしとやかに縮こまっていなきゃならない、と思っていた私は目から鱗。
こんなに堂々と振る舞えるなら着物も悪くない・・・
エピソードでは、この振袖のおかげでチャップリンの目を引いておしゃべりができたということでした。
姿勢は気持ちの表れ。自信がみなぎっているのがよくわかる。これは攻めの姿勢。
これも黒柳徹子の若かりし頃。
肩や腕の位置を含めて、しっかりした立ち姿。脚が写っていないけれども、しっかり地面に立っているのが想像できる。
現代の日本の若い女の子はこんな風に立てるかしら?
一昔前の女優さんたちはどこか上品だった感じがするけれど、それは細くても足腰がしっかりしていたからかも。
二枚の写真、共に、肩の位置、首の位置が外人並。
腰がしっかり立っていないと、肩はこんな風にちゃんと引けない・・・
と、ここから腰の王子の立腰メソッドの話を戻すと・・・戻せるかな?(続く)
2022/8/12 <墜肘の意味と効果>
とっても分かりやすい『墜肘』の意味、効果がわかる動画を見つけました。
「肘が地球の中心に下りていく感じが続けば続くほど、背中にハリがでます。」
<墜肘の意味・方法>
肘が(地球の中心に向かって)下り続ける
=肘が墜ちる(広辞苑によれば『墜ちる』は重量感のあるものが落ちる感じ)
→肘が落ちてしまってはいけないことに注意 (落ちてしまったら、下り続けられない)
(確認:肘を墜とすと、丹田が形成される
肘を落としてしまうと、丹田が形成されない)
<効果>
背中にハリがでる
=命門が開く=広背筋が使えて仙骨までつながる=全身がひとまとまりになる。
2022/8/8 <めまいから復活 観の目と見の目>
先週初めにめまいと強い吐き気に襲われ丸一日水も飲めなくなった。熱中症かと思って家で安静にしていたのだけど一向に良くならず、結局夜になって救急車で病院へ。
救急車の中で症状を確認、脈拍や血圧を測る。ちょっと姿勢を変えただけで目が回って吐きそうになる。これまでの車酔いの比じゃない。絶対に熱中症・・・そう思っていたのに、救助スタッフは、「では耳鼻科を探します!」と言って病院を探し出した。あれ?熱中症では? と尋ねたら、「脈拍60ですので熱中症ではありません。意識もはっきりしていて他に問題がないので、耳からくるめまい症だと思われます。」との返答。ただ夜間の耳鼻科は見つからず向かうことになったのは脳神経外科病院。
救急車で運ばれるなんて初めてだったが、ずっと寝ていれば次から次へとことが進んでいって無駄な時間がない。脳外科医にいったものだから、まずはCTスキャンとかMRI検査で脳内の異常がないか確認。問題なし。とりあえず点滴を・・・が、脂肪が少ない上に丸一日水分をとっていなかったので血管が細くなって針が入らない、とあせる看護士。左腕に5箇所くらい突き刺してそれでもだめで、結局最後は医師がきて右腕に一発で針を入れた。さすが!
そのあと病室に連れられて入って、点滴をして夜を明かすことになった。その時点で病名は分からず。
翌朝、主治医が来て、頭位めまい症だと教えてくれた。三半規管に耳石が入ってしまったためにおこるめまいだとのこと。そのうち治るでしょう、と言う。
朝になったら病室に続々と老人の患者が入って来た。脳疾患から手が不自由になっていたり歩けないおばあちゃん達。病室内で若いスタッフに叱咤激励されながらリハビリをしてたりする。会話がおもしろい。おばあちゃんは家に残ったおじいちゃんが心配だとかなんとか、リハビリよりも話している時間の方が長い。スタッフは辛抱強く相槌をうっている。
私は家に帰れるくらいは体調が戻ったので、薬をもらって夕方に退院した。
家に戻ってからどうにか動いていたが、やはり軽いめまいと気持ち悪さが続いていた。
退院して4日ほど経った時、生徒さんの一人が私と同じめまい症になったことがあるが、体操で治ったと教えてくれた。えっ?体操? Youtubeで調べたら、耳石を三半規管から出す体操が紹介されている。なんだ・・・体操があったなんて・・・耳鼻科に行っていれば教えてくれたのかなぁ?
早速体操を試してみたが頭を動かすとまだ気持ち悪い。翌日また体操をしてみる。
生徒さんは体操ですぐに治った、と言っていたけど、そんなにすぐには耳石が出てこないみたい・・・とちょっとがっかり。
めまいがあるとずっと気持ちが悪い。集中ができない。あ〜、上丹田はやっかいだ!が、犬の散歩には出なきゃ・・・ 昨日夕方犬の散歩に出て公園で遊んでいるインド人家族達をボ〜ッと眺めていた。彼らは腰が立っていて姿勢がいい。なんでうちら日本人はすぐに前肩になって腰が丸くなってしまうのだろう〜 なんて思っていたら、あれ、両目の焦点がはっきり合ってきた。両目の焦点が一点で結ばれた感じがしたら、頭がスッキリ。久しぶりの脳の爽快感。やっと治った!、とう確信したのでした。
ほぼ一週間、頭がぼぉっとしたまま暮らしていましたが、目がはっきりしたら頭がスッキリ。いや本当は耳がスッキリしたから、目と頭がスッキリしたのだけど。
耳、目、脳、の密接なつながりを感じた経験でした。
回復してから、ふと気づいたことがありました。
立腰体操の第1番目、「大腿骨はだいたいこのへん」体操、の冒頭。
「ぼぉーー」。
これは『観の目』だ!
そして、第3番目の「おはようおやすみ」体操をやる前の「瞳をすえて 君の瞳に乾杯!」
これは『見の目』だ!
宮本武蔵の『観の目』と『見の目』を王子はちゃんと体操に入れ込んでいたのね〜。
めまい症の間できなかったのが『見の目』
スマホやパソコンが見れなかった。焦点をグッと合わせられない。
じゃあ、『観の目』はできたのか?というとこれもできなかった。
『観の目』は「ぼぉ〜」としているようで、本当はぼぉ〜っとしていない。両目を奥に引き込んで左右に引き離している感じだ(目の内収。視野が広くなる)。
目を引き込む(内収 観の目)にも目の奥の力がいる。
一点を見続ける(見の目)にも両目を一点に合わせ続ける(脳内の)力がいる。
この目の奥、脳内の”力”を中国では『神』と呼んだ。
肉体の精気が充満すると『神』が出現する。
歳をとると目に力がなくなるのは肉体の精気が減るからだ。
子供の時には皆、目が輝いている。
歳をとっても目の奥には輝きが欲しいもの。
宮本武蔵の「観の目」、「見の目」については、例えば https://alex-kyoto.com/2021/07/21/musashi/
なお、私の感覚では、「見の目」をすると両目が前方で焦点を結ぶ、その時両耳は閉じた状態(聞いていない)。
「観の目」は両目、両耳とも中央に引き込んだ状態。
タントウ功の要領で、「耳を澄ます」とか「遠くの音を聞くように」とあるのも、それによって両耳を中央に引き込み、結果として両目を「内収」させるからでしょう。
耳と目を休める効果があるのは後者。
調べたら腰の王子の動画もありました。王子の目は「観の目」をやってきた目だと分かります。
2022/8/2 <体の使い方と体の強さ スキルとフィジカル、技巧と功夫、撚りと軸>
ある整体師(専心良治さん)のメルマガに、フィジカルとスキル、という点について興味深い記述があった。
「開脚がよくできるようになったら、Y字バランスも当然よくできるようになる」・・・と思ったらそうではなかった、というその方自身の体験談。
バレリーナのように手放しで片足を上げたまま保持するのは開脚プラスアルファのものが必要なのはすぐに分かる。たとえ片手で上げた足を保持したとしても、体軸をまっすぐに保つのは難しい。きっと屁っ放り腰になる・・・
この難しさを、整体師のメルマガでは、
「開脚をするスキルは増えたとしても、それを片足で支えるための”床を押す力”が足りないとY字バランスはできない」つまり、「スキルがあってもそれを実現するフィジカル(体の強さ)が足りない」と記述している。「柔軟性だけではダメなのですね〜」との一言も。
これは太極拳で言うところの、『一に功夫、二に胆力、三に技巧』の一と三の話のように思う。
一の功夫はフィジカル(体の強さ)
三の技巧はスキル(体の使い方 柔軟性を含む)
最近傾倒している腰の王子のセミナーでは”体の使い方”を学んでいる。
太極拳の内功を分解すると出てくるような動きだが、ひょっとすると、内功はフィジカルをメイン、立腰体操はスキルメインなのかもしれない。
あるバレエダンサーの方の記述を見ると、「このY字バランスは仰向けに寝て行うと案外できるのだが、立ち上がると再現が難しくなる」、ということが書いている。
それはなぜかというと
「立ち上がった途端に、骨盤を少し後傾させる感覚が消えて腸骨とみぞおちが離れてしまうので、斜めに傾けた骨盤が落ちてフラットになり、結果、足も落ちてしまうのです」
左の羽生君と隣の女性の形を比べると、上のダンサーの方のコメントの意味がわかる。
女性の方は「骨盤を少し後傾させる感覚が消えて」、「腸骨とみぞおちが離れてしまっている」。腹の力が逃げている。
一方、羽生君の方は、しっかり骨盤を後傾させたまま。腸骨とみぞおちが離れていない→つまり、腹にしっかり重しがある状態=丹田の重しのある状態。(羽生君の表情からもそれを見て取れる)
演舞などで、耳に足が近づくほど足を持ち上げる時は、次第に骨盤も斜めになってその中で軸を作っていく。
この”軸”を通す作業が、上の整体師のいうところの「床を押す」ということだ。シンプルに言えば ”キツイ!”という感じの作業だ。
「軸を通す」とか「床を押す」ということには、骨盤やその他の部位をあるところに保ち続けるための”強さ”が必要になる。体の中の絞りの強さ、みたいなものだ。
最近のレッスンで2本のこよりを撚って軸を作る最も初歩的なところを教えたら、「この調子で”撚りが強く”なればなるほど、軸はしっかりするのですね?」とその感覚を言ってくれた生徒さんがいた。
確かに、体の強度のある人は内側の撚り(より)が強い。内側が解けていると緩くて弱い感じ。
この撚りを作る最初の一歩が丹田なのだろう。(丹田から撚りが生まれて軸になる。軸が通れば丹田はなくなる、という関係)
昔、太れば太極拳のマスターのようになる、と言ってビールをたくさん飲んでいた男性がいたが、それは愚の骨頂。内側の撚りは緩くなるばかり。
この撚りが強度、功夫(ゴンフ)、そして整体師のいうところのフィジカルじゃないかと思った次第。
以前紹介した武原はんの舞。それが別格なのはその撚りの強さ、と言えるかもしれない。
下の左右の画像を比較をするとよくわかる。(右が武原はん)
上を見てから、このような太極拳の演舞を見ると、全く”撚り”がないのに気づく。
だからか、か細そうに見える。
上の日舞の武原はんの方がずっと強そうだ。
なんだか不安になって、楊式太極拳の宗師、楊澄甫の画像を確かめたら・・・
やはり内側の軸の撚りがすごかった。
当たり前といえば当たり前。
体の使い方以上にこのフィジカル、撚り、体の芯の強度を重要視していたのが太極拳。そして師父が私に教えようとしたことでした・・・(やっと分かってきた)
<付け足し>2枚の画像
左は丹田を作ってV字バランスを練習している羽生君。体の軸は完成していない。
右は演舞中のV字バランス。この時は軸ば貫通し、丹田は消失している。
左のような訓練は体の強度を高める訓練。得られた強度を使って右のような完成したフォームが得られる。
体の強度は毎日鍛錬しないと落ちていく。一方、技術的なものは一旦マスターすると簡単には落ちない。(例:自転車を一旦乗れるようになるとずっと乗れる、泳ぎ方を覚えると時が経っても泳げ