2022/10/30 <沈肩で鎖骨を腕化する>
沈肩をきちんとすれば鎖骨が腕になる。
逆に言えば、沈肩をしないと鎖骨が腕化しない。
街で歩いている人を観察すると、肩先から下が無造作にぶらぶらしていて、”肘”がある人はまずいない。それは鎖骨を腕として使っていないからだ。
解剖学的には腕は①の胸鎖関節から始まる。
(肩甲骨と鎖骨で作られる輪っかに上腕がぶら下がっている。)
鎖骨は腕部の構成要素だ。
が、猫背になったり姿勢が崩れると①と②の間にある鎖骨は固定されてしまい動かなくなる。胸鎖間接、肩鎖間接が固まってくる。
そうすれば②の肩関節の動きも悪くなる。
私たち大人のほとんどは通常②の肩関節より下を腕として使っている。
ここから本来の腕の姿を取り戻すのが、沈肩、だ。
師父は、肩を放松すれば良い、というが、その放松の仕方が”沈”と言う言葉で表されている。
沈肩が十分にできると、鎖骨が腕の一部になる。感覚としては、鎖骨の下=鎖骨と上部肋骨の間、に隙間ができて、その胸骨からその隙間を通って脇(図の★)に抜けるようなものになる。王子はその隙間を”懐”と呼んでいる。
←私のお気に入りの馬龍選手
胸鎖間接から腕が生えているように見える。腕が長く見える(”放長”という現象。沈肩をすると腕は長くなる。)
沈肩と含胸がセットで使われている。
なお、腕を操る意識は左の画像に書き込んだ青線のあたりにあるはずだ。
ある意味、ここが”肩”のライン。
上の骨格イラストの★は脇の一打が、師父はそこを”肩”と当たり前のように言う。私が、えっ?肩? と聞き直したら、「下の肩だろう!」と答えたことがあった。
太極拳では脇のライン、馬龍の画像の青のラインあたりを腕として動かす。拳で打ち出したりジーやリューをするのもこのラインが多い。人間にとって腕を使いやすい高さだ。しかしながら、黄色のライン(肩の峰)を”肩”としてそこから腕を無意識的に操っている人はとても多い。その意識を沈肩で変える必要がある。推手の練習はその意識を変革するのに非常に有効だ。
↑懒扎衣の定式。
左の馮老師をよ〜く見てから右の老師の形を見ると、沈肩(+含胸)が甘いことに気づく。鎖骨や脇の意識よりも肩の峰の意識が強い。それは右の老師の左手の指が馮老師のように覚醒していないことから裏付けられる。腕が胸鎖関節からきっちり作れると肩関節、肘関節、手首の関節がくっきり浮き出てくるため、指先まで覚醒するようになる。(指で突いても突き指しないような感じになる。)
加えて、この肩、腕部の作りは体感を通して下半身にも影響を与えている。
右の老師は背骨が伸展しないまま体が下に”落ちて”しまった感じだ。。
この老師はおそらく背中の弓(脊椎の伸展)が形成されていない→园裆にならずにダイレクトに太ももから膝に乗ってしまっている。足裏に地面からの反発力を得られない。馮老師の形を目に焼き付けてから左の老師の形をパッと見ると全体的な違いがわかりやすいかもしれない。
右の老師のような太極拳が今は主流になっている(民間派ではない大学派の太極拳の特徴のようだ)。丹田をしっかり作っていない(腸腰筋などのインナーマッスルを使えていない)ところに根本的な原因があるのだが、このような股関節に乗っかってしまうような姿勢は膝や股関節を痛めやすいので要注意だ。
ついでに書くと・・・
←このような練習が出回っているようだが、膝や股間節にとても悪いので避けるべき。そもそもこのような重心移動で素早く動けるはずがない。太極拳の試合だけで通じる演舞用の形?
太極拳は円、球がシンボル。”角”がない体であるべき。膝が角張っているのは太極拳の形ではない。
まずは肩や胸、背中を放松・・・
←2022年7月のメモに載せたもの。
この技も胸鎖関節から腕にしていないと技がかからない。
肩から腕のチャンスーをかけてもこんな風にはならない。
ただ、太極拳の老師には胸鎖関節の意識もないはず。丹田から、もしくは足裏から腕をつないで使っている。
胸鎖関節から腕を使おうとすると、いやでも胸を使わざるをえない。その”胸”はその下の”腹”の力で突き動かされる。
つまり、上のgif画像で馮老師が見せているように、胸腹の折り畳み運動で腕のチャンスーがおこることになる。
←馮老師も馬龍もなで肩・・・
馮老師は太極拳のマスターだから当たり前。
馬龍は卓球の選手の中でも特に沈肩を保っている。肩甲骨の回転で打つスタイルでも体幹がブレず、フットワークが人一倍良いのも沈肩と関係が深そう。
2022/10/26 <なぜ上腕骨の回旋が必要なのか? 分回し体操との比較>
このメモは私が生徒さんに向けて書いているように見えても、自分自身に向けて書いている部分も多い。できてるようでできていないと気づいたこと、やっていたとしてもその意味がわからずにやっていたこと、教えている過程で気づいたこと、そんなことだ。
上半身、特に肩や腕の使い方は前回のパリ滞在で劉師父からかなり仕込まれた。最初は師父が何をさせようとしているのか分からず、ただ、言われるがままに動いていたが、今になってみると、それは教科書的な上半身下半身別々の動き方から上半身と下半身が連動する動き方へと変貌させる練習になっていた。腰の王子のセミナーを受けることで、師父の教えてくれたことの理論的な裏付けができるようになっていっている・・・
王子は、「肩甲骨ブームはもう時代遅れ、今や肋骨・・・と思うかもしれないが、それももはや時代遅れ、今や”上腕骨ブーム”の到来だ!」と声を大にして言う。
太極拳では肩甲骨をどうしろという話を聞いたことがない。肋骨については『束肋』ということばがあるくらい。しかもそれほどメジャーな言葉でもない。が、上腕骨=『肱』という言葉は技の名前に登場するくらいメジャーだ。太極拳で大事な肘技はまさに上腕骨の技だ。套路の中には至る所に肘技が隠れている。肘がいつでも操れるような腕が必要だ。
街ゆく人々を観察すれば分かるが、私たちは普通、上腕と肘に無自覚だ。肘から先の”小手先”(前腕+手)の意識がとても強く、腕を折り曲げる時も前腕を上腕に近づけている。もし、上腕を前腕に近づけて腕を折り曲げる人がいたとしたら、それは子供か、あるいは、特別な身体開発をしている人だ(王子は、江戸時代の人たちはそのような身体意識があったと言う)。
太極拳の場合は、上腕を前腕に近づける、というそんな意識はないが、常に丹田と手を繋いで丹田で手を引っ張るように使うため、結果的にそんな風な現象が起こる。
結論を言うと、手を使う時は必ず上腕を回旋させること。王子は「回軸」という言葉を使うが、上腕の骨の軸が回るようにする、ということだ。
太極拳は丹田を回すことで背骨の軸が回旋→その連動として上腕骨も回旋、となるのだが、これを逆に、上腕骨を回旋させることで、背骨の回旋に連動させることも可能だ。
王子が、上腕骨の上段、の回旋にこだわるのは、上腕骨の中段や下段を回旋させても体幹部に連動しないからだ。上腕骨の上段を回せば肩関節の回旋(内旋・外旋)が起こる。
肩関節が回旋すれば、胸鎖関節や肩甲骨も動き、次々と連動が連鎖していく。
上腕骨の上段を回旋させるには沈肩が不可欠だ。
沈肩をせずに回しても上腕の根っこは回らない。
沈肩をしていない状態は胸鎖関節と肩関節をつなぐ鎖骨が腕として使われていない状態。
沈肩をして初めて腕の付け根が胸鎖関節になる。
胸鎖関節から腕を動かせると上腕が回旋する。
胸鎖関節を片手で押さえて、そこから腕が回るようにします。
鎖骨の奥から脇にかけて空間が感じられれば更に良い→懐、というものが形成されている(風通しの良い感じ)
上の画像では、腕を鎖骨の高さに上げて回転させているので簡単だが、腕を下に垂らした状態だと胸鎖関節から回旋するのは難しくなる。沈肩と含胸が必要になります。
・上のように上腕を回旋させれば肩関節は回旋する(肩関節の球が回っている感じ)。
・上腕を回旋させてるつもりでも肩関節の球が回っていないのでは不十分(上腕の上段が回っていない)。
腕を胴体と一体化するには肩関節を回旋(内旋・外旋)させるように使うのが必須。
肩関節の屈曲、伸展、外転、内転では腕が胴体から切り離れてしまう
肩関節の屈曲、伸展、外転、内転の組み合わせで動く運動を「分回し運動」というらしい。初耳の言葉。とても興味部会のでその動画を下に貼ります。
←こんな運動ですが、太極拳では使わない。この運動では投球もできない・・・(と腰の王子は皮肉っていた。)これではゴルフも無理、水泳も無理。合理的な身体の使い方には必ず肩関節の内旋、外旋が含まれる。
太極拳では腕で円を描く基本功があるが、そこで練習しているのは何か?
初心者のうちは適当に円を描いていてもよいが、中級者以上はその際の肩関節の球、上腕骨の骨の回旋に注意をして練習していくべきだろう。
今日のオンラインのグループレッスンでも言ったが、上腕骨が使えると、下半身の弓歩の動きが全く変わってしまう。連動が起こるからだ。分回し運動では連動は起こらず、中腰になるとすぐに前ももや膝に乗っかってしまう。上半身と下半身の連動は「上下相随」と言うが、それは決して雰囲気的なものではなく非常に理論的なメカニズムによるものだ。連動がなければ太極拳はただの体操になってしまう。上腕の回旋は脱体操への一つの鍵になる。
2022/10/23 <沈肩 その2 内旋外旋するには?>
まずは放松。そしてそれが(肩が)沈んで重くなる。これが「松沈」。
肩を沈めないと、肩は自由に動かない(霊活)。
しかし、巷での肩の運動は、動かすことに重きが置かれて、沈めることを軽視している感がある。
腰の王子は、しばしば「だら〜〜」という言葉を使うが、これはまさに「松沈」を狙っている。
←おなじみの(?)「ここからクルン♪体操」。
左画像のポーズの時に、思いっきり肩が沈んで腕が「だら〜〜」となっていることがこの体操のミソだ。王子の場合は肩がなくなりかけている。
多くの場合は隣の弟子のようになりがちだ。これは「沈肩」をせずにただ腕を巻いている。
違いがどこに現れるかというと、沈肩をしてから画像のように”真剣に手で股間を隠すように”すれば(と王子は指導します。これは太極拳で言う所の「护裆」です。)、肩関節の”内旋”がおこる。沈肩をせずにそうすると上それは、肩関節の”内転”になる。
つまり、上の王子は肩関節を内旋、弟子は内転をしている。
肩関節を内旋すれば上腕骨も内旋、軸に沿って回旋する。(床屋のクルクルのようになる。)
これに対し、肩関節の内転では上腕骨は回旋しない。
内旋と内転では全体的な身体の使い方が全く変わってくる。
なぜなら、内旋は、関節球を回転させる必要がある→関節を回す意識、であるのに対し、内転では、腕を動かす意識で足りてしまう=骨を動かす意識。
関節を回せば骨の末端から末端までが動き、次の関節に連動する。
骨を動かす意識ではその骨の運動のみで終わってしまう。
全身を「節節貫通」させる、つまり、関節を次々と貫通させて全身を一つにつなぐ、には、関節を動かす意識は不可欠だということだ。関節は骨と骨の”隙間”。丹田も隙間のようなもので、太極拳が”隙間”を重視するのはそんな理由からだ。
肩関節の動きは上の図で示されているように分類されている。
腰の王子も指摘していたが、世の中の人はほとんど、屈曲・伸展、外転・内転、この4つの動きで暮らしている。内旋と外旋がとても少ない。
が、実際に重要なのは、内旋、外旋だ。
屈曲伸展外転内転を、内旋と外旋で行うようにすれば身体の使い方はガラッと変わってしまう。
上腕骨が回旋するのは肩関節の内旋・外旋のみだ。
他の四つの動きでは上腕骨は回旋しない。女性で”振袖”と呼ばれる現象が起こるのも、内旋・外旋不足だ。(同様のことは、股関節にも当てはまる。)
そして最初の話に戻るが、肩関節の内旋、外旋をするには、まず、沈肩をして、肩関節の場所=上腕骨の骨頭の位置が分かるところに身体をセットしておく必要がある。これをせずに腕を動かすと、関節を動かさずに腕を動かす動きになってしまう。内旋外旋しているつもりで内転外転を屈曲伸展になっていることはよくあることだ。
このあたりの動きはパソコン作業をしている時、マウスを動かしている時、果たして自分は肩関節を内旋外旋させているのか? 皿洗いをしている時は? 歩いている時は? と確認してみるのがよいと思う(私はそうしています。)
歩いて手を振る時も少しは外旋、内旋が入っているはず。太極拳のポンもただの肩関節の屈曲ではない・・・
にしても、まずは、沈肩して関節のありかを掘り出しておかねば・・・。
2022/10/22 <沈肩について その1>
「肩を無くす」というのは「沈肩」の極みだ。
「沈肩」と言っても、様々な程度がある。功夫が上がれば上がるほど、「沈肩」の程度が高くなる。
まず1番目の「沈肩」は、肩が上がらないように肩の峰を下方に下げること。これは肩を上げたり下げたりの体操でやるような動きだ。が、これでは一時的に下がってもすぐに上がってくる。沈肩の程度も足りない。
次に、肩甲骨を下げるということ。これは肩甲骨を自分で動かせる、という条件がある点で、上の1番目よりも高度だ。が、肩甲骨を自分でグッと下に引っ張ったまま維持すると緊張状態になり放松ができない。
そこで、太極拳では、「沈肩」をするために「肩井穴を下ろす」、という方法が使われ
←①、②は表面的な筋肉の操作。
③はツボを身体の内側から引き込む必要がある。
ツボを身体の内側から引っ張ることができると筋肉を緊張させずに(放松を保ったまま)沈肩を保っておけるようになる。
少し丹田が形成できるようになれば、含胸をすることによって肩井穴を引っ張れるようになる。
(順番としては、外形的な沈肩、外形的な含胸をして多少でも丹田に気を下ろして溜める→それから、丹田に溜めた内気の力で胸の気を更に丹田へと引っ張り下ろす(丹田を使って含胸をする)→更なる含胸によって丹田の気がさらに多くなる→丹田で胸よりも上、すなわち肩井を丹田で引っ張り下ろせるようになる。)
まずは、ここまでできるようになるのが「沈肩」の第一歩。
以前出産後のママ達を教えていた時の経験からすると、丹田で胸の気を引っ張るところまでは導けばその場でできるようになるようだ。胸まで引っ張れるようになれば、肩井穴まで引っ張れるようになるのは時間の問題かと。
つまり、
ちょっとだけ沈肩、ちょっとだけ含胸→丹田に少し気が溜まる
→その少し溜まった丹田の気で更に含胸、更に沈肩
→さらに丹田に気が溜まる
→更に含胸、更に沈肩
→更に丹田に気が溜まる
→更に含胸、更に沈肩
これを繰り返しているうちに、いつか丹田が身体の中で大きく広がって周天が始まるようになる。
周天が始まれば肩は足で引っ張れるようになる・・・
師父によれば、まず、肩の放松、それから松沈、そして、霊活(自由に動く)。
腰の王子の肩が自由自在に動く、その前提に、松沈、つまり、沈肩があるということだ。
沈肩ができていなければ肩を自由自在に動かすことはできない。
それはなぜでしょう?
続きはまた書きます。
2022/10/17
腰の王子の新着動画は「肩透かしの術」と銘打っていたけれども、これは太極拳の『周身一家』に他ならない。「節節貫通」(全身の関節を貫通させる)をして足やお尻の重さと手を引っ張り合いで使うようにする。師父の言葉だと、内三合と外三合、そして対拉(引っ張り合い)の力だ。動画の最後の王子の腕立て伏せは『周身一家』の完成形・・・
太極拳も全く同じような力の使い方をするが、そのために必要なのがやはりタントウ功?
そう思ったが、腰の王子はタントウ功はしていない様子(注)。が、師父が言っていたように、20代に練功をするならタントウ功(静功)はそれほど必要ない。若くて気の量が随分あるからだ。(←注:とはいえ、腰の王子はタントウ功もどきの壁押しや、釈迦の瞑想法=坐禅を無茶苦茶やってきています。)
30代後半に入ってから練功をする場合はタントウ功は不可欠。でないと、気が丹田にしっかり沈まない。胸の気が解けて胸の中が開く(含胸)にも沈殿の時間がかかる。肩がなくなるほど沈肩するには、含胸と丹田で引っ張る力が必要だ。
(見た感じ)小さな力で相手の体を動かしてしまうと皆びっくりする。実際は、普通の人は体を分断して力を使っていて、無意識的に相手も同じような条件で力を使ってくると思っている。しかし、こちらが全身を繋げて力を発揮すると、想像していないところから力が加わってくるように感じるため体が対応できず(神経が対応できず)重心を狂わされてしまう。私が女性相手にそれをやってもそんなものかと思われるかもしれないが、私より体のずっと大きい男性を引き摺り回したり倒したりしたら驚かれるだろう。が、体の中が繋がってくればそれは全く不思議なことではないのが分かるようになる。実際、自分の体の中が繋がってくると、推手をしながら、相手の力がどこから出てくるのか、肩なのか、胸なのか、腹なのか、腰なのか、股関節なのか、足なのか、というのは言えるようになる。推手の面白さは、どちらがより体に意識をめぐらせられるのか、というのが分かるところだ。が、本当にレベルが上がってくると、どこにも意識がなくて、どこから力がくるのか分からない、という状態になる。丹田や腰、あるいは股関節、または足から力を出しているのが明らかな人よりも、どこから力を出しているのかが分からない人の方がずっとレベルは高くなる。
私にとって不思議なのは、自分の体で分かる範囲内で相手の体の中が分かるということ。なんでそうなのか分からないがそうなっている。これが推手でいうところの『知己知彼』かと思う。
王子の動画の中で王子の腕などを握っているのはほとんど男性だが、これを女性に変えて、しかもゆる〜く持たせると、技はかからなくなる。まあ、それは当たり前。ゆるく放松して持てば相手の力は自分に連動しない。だから、太極拳などをする人は相手をぎゅっと握るようなことは絶対にしない。が、生徒さんに自分の力の使い方を教えるためには「しっかり握ってください」とかいわざるを得ない。特に女性の生徒さんの場合は握り方が弱すぎてこちらがそもそも技をかける必要がない場合があるので。以前親交のあった陳式19代の老師も女性相手の時にやりにくそうにしている点でした。男性は普通力でギュッと握るのでかえって技がかけやすい→引っ張り合いの力が使いやすい、というところがあります。
技を学ぶのは楽しいけれど、本当はそのベースにそれを可能にする身体:王子が言うところの「身体開発』された身体が必要になる。太極拳ではタントウ功が身体開発のためのメインのメソッドだったのだろう。
2022/10/12 <高岡英夫氏の腕ぷら〜ん体操>
昨日の私の試し撮り動画で紹介した「腕ぷらぷら体操」なるものは、最近、劉師父に勧められたものだが、そう言われてみれば昔から劉師父はそんな動作をやっていた。そして、その動作は、直近の腰の王子のセミナーでも王子がやっていたのを思い出した。そして高岡英夫氏もそんな動きをやっていたなぁ〜・・・
王子のセミナー動画は公開できないが、高岡氏の体操は公開されているだろう・・・と調べたのだけど、本人の動画はほとんどなかった。代わりに弟子のような人が高岡氏の立甲メソッドを紹介している動画があったので紹介します。
「腕ぷらぷら体操」は肩甲骨を肋骨から引き離すこと(立甲)が一番の狙い。その点は王子も同じです。肩は内旋にするのがポイント。肩甲骨が内側に寄るのを防ぎます。
7分9秒あたりから「 腕ぷら〜ん体操」が始まる。
実は高岡氏の体操と王子の体操はそっくりなものが多くある。
上の動画の前半の、腰をくねくねしなたら手や腕をさする動作は、王子のものとそっくりだ。腕ぷら〜んぷら〜ん、もそっくりだし、そのあとのおじぎ体操(ここではお辞儀の姿勢で腕ぷら〜んぷら〜ん、で腿裏を開発)というのも王子のメソッドと全く同じだ。たまたま同じになったのか、王子が高岡氏を参考にしたのかは謎だが、身体開発の大御所二人が推すメソッドだから説得力がある。(しかも、太極拳の放松功やチャンスー功にもなじみやすい)
←高岡氏の歩き自体が、腕ぷら〜んでした。
肩甲骨が肋骨から離れることで、上腕がしっかり使えるようになる。
肩甲骨が肋骨にへばついていると、上腕の根元(上部)が使えない=肩関節の回旋が十分にできない。
肩甲骨っが肋骨から離れると、上腕が根元から使える→上腕がニョキッと現れてくる=”肘”がはっきりします。
”肘”がはっきりするとレベルが格段に上がります。上腕は肘でもあり肘は上腕・・・日々の動作から上腕や肘を使うことを意識するのが大事。がんばりましょう。
2022/10/11
ジーなど、手を前に出す時はその前に肘を回しておくことが大事。
肘を回すことによって上腕が回転し肩甲骨や鎖骨、肋骨が連動→胴体と腕が一体化する。
問題は肘の回転が肩関節の回転につながるかどうか。
この問題を解決するのは、「ひたすら松!」胸や肩や腕の脱力、そう師父は言う。
放松して肩が沈めば自ずから連動する・・・・
馮老師と劉師父の動きを取り出したみた。
腕を後方に引いた際の肘回し、これは、ジーや打撃の前の「合」の動作として随所に現れてくる。単推手でも使われる。
これがあるから、発力の時に胴体の力が拳や掌に伝わることになる。
これがうまくできないと腕だけの力で打つことになってしまう。
この肘回しがうまくできるようにする簡単な功法について散歩途中に試し撮りをしたのをそのままアップします。前半で言いたいことは言ってしまっています。後半は回内、回外の話になって説明がごちゃごちゃになっている感がある。大事な点なのですが・・・。も少し整理できるようにしたいところ。
2022/10/10 <前腕の回外、回内で上腕を使う 肘の屈伸にはチャンスーを加える>
上腕上部を使うということは腕と胴体を繋げるためにはマストだ。
太極拳では関節を連動させて回転させることによって使いづらい上腕上部を使えるようにしている。
馮老師が生徒さんを教えている動画を見るのはとても参考になる。(https://youtu.be/p8B9YyaDSCk)
<第10式掩手肱锤>
↓画像①(左)と②(右)
生徒さんは空手風。腕で打っている。一方、馮老師は?
←画像③
馮老師は拳がピストルの弾のように回転しながら出て行くこと(=チャンスー)を教える。
← 画像④
が、それでもうまくいかず、打撃の構えにいたる部分についても細かく指導
生徒さんのどこに問題があるのか?
それは、チャンスーがかかっていない、の一言に尽きるのだが、手首、肘、肩関節が一斉に回転していないため、胴体と腕が切り離れてしまっている。肘から先だけで打っている感じだ。
馮老師はというと、上腕で打っているのが見て取れるだろう。
生徒さんは肘がただの屈伸運動(曲げ伸ばし)になっている。
が、太極拳では、肘が曲がったり伸びたりする時は必ず上腕と前腕が回転している。(肩肘手首の関節が常に回転しているからそうなってしまう)
上の画像②の速度を少し落とした画像。
拳が回転する時に上腕と肩関節も回転している。
もう少し正確に言えば、前腕の回内動作(手のひらが上向きから下向きに変わる)の際、上腕、肩関節まで内旋している→肩甲骨や脇、胸も連動している。
上の画像④で両手で大きな円を描いて構えた際にも、直前に円を描いた時にチャンスーを欠けて手首から肩関節までを一斉に回転させているのが馮老師。生徒さんの方は構えのみに意識が向いていて、なぜその直前に両手で大きな円を描いているのか、その意味が分かっていない=チャンスーで拳と胴体をつなぐチャンスを逸している。
前腕の回内や回外の動作の時に肘や肩の回旋を連動させるのは太極拳のみならず武術一般的な常套手段だろう。それが体の力をうまく使う方法だからだ。小手先(前腕と手)のみで動作を行うことはない。すべて体幹と結びつけている。(周身一家)
少し前の動画で取り上げた、腰の王子の「キミもパーフェクトボディ」と弟子のそれを比較しても上のケースと同じような違いがある。(https://youtu.be/5Oa_UGYHQAk)
上には前腕の回外の動作が含まれているが、弟子の方は前腕を回した際に前腕の筋肉を締めてしまっているため、肘関節が回転せず上腕に力が伝わらない。王子は腕を十分放松させているので、指や手首の回転が肘、肩関節の回転と連動する。上腕が回転しているのも見て取れる。弟子の上腕は固まってしまっている。(何のために王子が中指を使わせているのか・・・そこが分かっていないのだと思います。)
実際には、王子は肩を支点に体幹部の力で手首を回転させている。弟子は肘から先だけの動きだ。
王子の腕のような動きをすると、そのまま手の甲で鞭のように相手を打つことができる。
このような手、腕の使い方は太極拳の基本=チャンスーだ。
上の馮老師の動画の中で、馮老師が生徒さんに丁寧にチャンスーを教えている場面がありました。これは推手の時に練習する動きで、最後に肩の靠(カオ)をしています。
上腕上部まで回転するように何度も教えているのが印象的。上腕と肩は一体なのが馮老師の動きから見て取れます。しかも、胴体もうねる。
チャンスーは対練で練習するのが最も効果的なのですが(↓の画像のように)
2022/10/6 <上腕上部を使うということ>
昨日最後にさらっと書いた、上腕を上中下に分けて動かすという試みは私にとってとても興味深いもの。なるほど、そういうことだったのか・・・といろんなことが繋がった。
左のような筋肉模型を見ると分かりやすいが、上腕上部には肩甲骨や脇、胸と繋がる筋肉がある。
つまり、上腕上部を動かす、ということは、胴体に繋がる筋肉を動かさなければならないということだ。
ここを使うことで腕は胴体と一体化する。
逆に言えば、この上腕上部を使えないと腕と胴体は離れてしまう。上腕中部にも脇からくる筋肉が見られるが、上部の比ではない。もし下部しか使えていなかったら腕は完全に胴体から離れてしまう。
チャンスーはこの上腕上部を使いやすくする作用がある。
が、チャンスーをかけずとも、肩をしっかり沈められれば(沈肩)上腕上部が使えるようになる=脇が使えるようになる。
(「上腕上部が使える」ということと「脇が使える」ということは同義だ。「脇が立つ」という言葉もある。腕を使った時に脇がついてこなけければ連動が切れてしまう。腕は脇を経て腹腰、下半身へと繋がることになる。)
上腕の上部を動かすのは難しい。腕をだらりとして上腕の上部だけ回転させようとすると胸の奥から動かさなければならないはずだ。それに比べて上腕の下部を回すのは簡単だ。
上腕上部を回転させられると股関節も回転する。股関節を緩めることなしに上腕上部を回転させることはできない。
全身の連動には不可欠な要素だ。
これができている人の動きはとても美しくなる。
このブログで最近使った画像から上に書いたようなことを確かめることができる。
↓7/23のメモから
左の馮老師と右のインドの少年(クリシュナ役)、二人は上腕上部がしっかりしていて上腕中部下部はぶらぶらだ。この二人はお腹が出ているように見えるが、実は、脇が立っている。全身が一つになった姿勢だ。
ちなみに、左の画像の弟子は腕は放松しているものの、上腕中部がメインで上部は開発途中。脇が立っていない(体側から太もも側面=胆経が通っていない。)
↓7/5のメモより
上腕の動きを見れば二人の違いは明らかだろう。
右の馮老師は上腕が巻き巻きしているが、右の老師は前腕に意識があってそれを動かしているだけ。上腕は全く無意識で肩関節の旋回もない。胴体と腕が離れている典型的な形だ。腕が胴体と離れているならば脚も胴体と離れているだろう(肩関節と股関節は連動し合う)。
↓7/15のメモより
左の武原はん、今見ると、傘を上腕上部から胴体で支えているのが分かる。
それに比べ、右の女性は、前腕で傘を持っている。前腕は小手先、と腰の王子は言うが、小手先を使っている人は体幹部が使えない。体の動きのしなやかさの違いはそんなところから見ることもできる。
また、太極拳でも言えることだが、小手先を使った四肢運動を行うと、体幹部を不自然に垂直に立てなければならなくなる。まっすぐだと思って四角く固まった胴体を作ってしまうと、”軸”は通らなくなる。
武原はんや、その上の馮老師の動きからは、本物の活きた”軸”が見てとれるだろう。
↓そして最近のこれ
これも上腕上部に着目すると違いが歴然となる。
王子は上腕上部を巻いているから、腕を広げた時に上腕だけではなく脇や肩が波打っている=胴体が巻き込まれている。 弟子は上腕中部から巻いているから胴体部がほとんど影響を受けない。
肩関節の内旋の時は思いっきり腕の付け根、腋深く、もしくは胸奥から内旋をかけること。そうすれば外旋は意識せずともついてくる。(内旋で巻いたものを外旋で解くから)
弟子は、内旋の時に小手先(前腕と手)を主導でやっているのが残念なところ。
←「キミもパーフェクトボディ」
腕を出すところのみならず、指を立てるところも上腕上部が使われている。
指を立てる動きは肘を回して前腕を回外させる動作だが、回外がちゃんとできると上腕が外旋する(肩関節の外旋が連動する)。
回外、回内、も面白い論点なのでにまたいつか書きます。
<付け足し>
もしや・・・と思って検索したら、「キミもパーフェクトボディ」を弟子がやっている動画がありました。https://youtu.be/5Oa_UGYHQAk
案の定、回外動作がうまくできていない。
肩関節連動させられるくらい上腕を放松していなければならないのだけど・・・
王子が何のために中指を立てさせたのか・・・あらら
2022/10/5 <背骨の伸展と上腕のチャンスー>
今日のオンラインのグループレッスンで確かめたこと。
チャンスーを体の中からかけると背骨が伸展する。脊椎と脊椎の間が伸びるのだ。
太極拳ではこの背骨の伸展がとても大事になる。伸びたり縮んだり。これが開合になる。手を広げたり閉じたりするのが開合ではない。
「結局、生物の動きは”伸び縮み”なのです!」
と言ったのは、テーラワーダのスマナサーラ長老だったが、細胞は伸び縮み、ミミズも伸び縮み、この伸び縮みが生物の根本的な動きだ。この伸び縮みが生命の活発さを決める。
太極拳で一番大事なのは何ですか? と聞いた時に、師父が一番に上げたのは、「弾力性」だった。弾力性とは伸び縮みの力に他ならない。
ゴムの伸び縮みで考えるとよくわかるかもしれない。
伸縮性のないゴムはどんなものか?
まずは、硬くて伸びないゴム。硬いゴムは解さなければならない。無理に伸ばすと切れてしまう。そして伸びきったゴム。これは伸びないゴムより少しやっかいだ。収縮力をつける必要がある。
体もゴムに似ている。
背骨の伸展力というのは、背骨の伸縮力だ。伸び縮みができるということ。
背骨の伸び縮みを丹田の動きへと圧縮すれば、丹田の伸び縮み(丹田の膨らみと縮み)となる。丹田が膨らめば背骨が伸展したようになる。これを”開”という。逆に、丹田が小さくなれば背骨は元の状態に戻ったようになる。これを”合”という。この”開合”は息と合っている。
さて、今日レッスンで久しぶりに太極棒を使ったので、ちょっと復習。
左の馮老師の逆チャンスー(纏絲)の動き。
これは9/27のメモの冒頭で紹介した「螺旋後伸」のチャンスー功と基本的に同じ動きだ。
この馮老師の動きと下の老師達の動きを比べるとどうだろう?
馮老師は肩関節から肘、手首へとチャンスーをかけているが、下の二人の老師は肘関節からチャンスーをかけている。
と、この前までならそんな説明で終わっただろうけど、この前の腰の王子のセミナーを受けたら、ああ、そういうことか、と目から鱗。
左は双葉山のwikiに載っている画像を加工させてもらったもの。
ポイントは、上腕骨の上中下。
セミナーでは上腕を三つの部分に分けて動かす練習をしたのだが、実は、チャンスーがその通りだった。
上腕をどれだけネジネジできるか・・・
3回ネジネジ(螺旋3周)できれば完璧。
上の馮老師の右腕(上腕)のチャンスーは3周しているように見える。上中下、全ての位置でチャンスーがかかっている。
左腕(上腕)は2周? 上部のチャンスーが欠けているような?
これに対し、上の二人の老師達は肘からチャンスーをかけているため、上腕の下部だけ巻いている。上腕の上部、中部にはチャンスーがかかっていないため、腕と胴体が切り離れている。背骨の伸展がないのは腕のチャンスーが背骨(肩甲骨、肋骨経由で)に連動していないため。
この点、左の陳項老師のように全身を巻き巻きすれば肩、上腕上部にもチャンスーがかかりやすい。
これだけ巻き巻きすれば腕が背骨に巻きついたようになり腕で背骨が伸展できる。
しゃがんだり、立ち上がったりするのが腕主導でできるようになる。
ただ、後部の女性達が陳項老師のように全身の連動がおこらないのは、基本となる立ち姿ができていないから。膝に体の重みがかかってしまうようだと腕のチャンスーが下半身に連動しない。腰から下をどうにかする必要がある。今日のレッスンでも、最後は弓歩の問題に突き当たってしまった。この画像を見てもほとんどの生徒さんの下半身の動きはかなりひどい。脚のチャンスーを教えてみるとうまくできるようになるのかも?
2022/10/3 <開合、旋腰、松沈>
太極拳の流派はいろいろあるけれども、タイプとしては、①開合重視、②旋腰(纏糸)重視、③松沈重視、という3タイプがある、という話を師父から聞いた。この三つの要素はどれも太極拳にとって重要なものであるけれども、その中のどれを重視するかで太極拳の風格は変わってくる。
陳式太極拳から派生した楊式太極拳は①の開合と③の松沈重視と言えるだろうし、陳式の中でも小架式は②の旋腰重視だろう。
一人の師を見ても、年代によってその風格の変遷があったりする。
日によって上の三つの要素の比重も変わったりするし、それを変えて練習することもある。
二路の炮捶の中には一路と同じ動き(技)が出てくるが、実は一路と二路では上の三つの要素の混ぜ混み具合が変わってくるのだと知った。
一路では、開合と旋腰、松沈は一つ一つ学ぶ。
二路ではこの3つを同時に行うことを目標にするらしい。
一路は二路の基礎を築くもの。二路は統合的な動きになる。
↓一路と二路の『掩手肱捶』(前半) 左が一路、右が二路
↑『掩手肱捶』(後半)
上と同じような違いがあるが、これを冒頭の①開合 ②旋腰・纏絲 ③松沈 の観点から見ると、馮老師の一路の動きは明らかに①の開合重視だ。大開大合で伸び伸びとした動きになっている。
右側の二路の動きにはうねりが感じられる。これが②の旋腰・纏絲だ。一路の『掩手肱捶』ではあまり感じられない。(一路の中でも旋腰・纏絲が顕著に見られる式もある。例えば第13式の『青龍出水』。)
そして、③の松沈の観点から見ると、一路よりも二路の方が重心が落ちているのが分かる。つまり、松沈(脱力して重心が下がる、重くなる)の度合いは一路よりも二路の方が大きい。
これらをまとめると、二路は①の開合だけでなく、②の旋腰・纏絲、③の松沈が、同時に顕れた動きだと言える。
開合と松沈、旋腰と松沈、もしくは、開合と松沈、など、3つの中の2つを同時に顕すような拳を打てるだけでも凄いことだが、これら三つを統合した拳を打てる老師は滅多にいない。「馮老師の拳を見ると、その後で他の老師の拳を見る気が失せてしまう。」というのは、馮老師の拳がその3つを併せ持っているからだろう、と師父は言っていた。
最近はチャンスー(纏絲)に焦点を当てていたが、そのチャンスーの幹は「旋腰」であり、その旋腰は開合と結びつく、つまり、①と②は比較的容易に結びつく。
先日紹介した王子の「ここからクルン」も、そう見ると、①の開合と②の旋腰・纏絲の組み合わせだ。
旋腰(=転丹田)と同時にチャンスー(関節の回転の連動)をかければ、開(中心から末端に向かってエネルギーが流れる)と合(末端から中心に向かってエネルギーが流れる)が起こる。 つまり旋腰・チャンスーは開合を引き起こす。(逆に、開合は必ずしもチャンスーを引き起こすわけではありません。)
「ここからクルン」の時の王子の動きをみると腹腰、胸、肩関節、肘関節、手首が順番に動いているのが分かる。これは旋腰・チャンスー。それにしたがって、手は開いたり(開)、閉じたりする(合)。師父に王子のこの動作を見せた時、「開合法の練習だな」と言ったのは印象的だった。「立甲法」、肩甲骨を動かす練習だとは思いもよらないのだろう。
先日この画像を紹介した時に同時に載せた王子の弟子と思われる人の「ここからクルン」は旋腰やチャンスーがないのと同時に、開合もなかった。ただ、腕を前後に動かしていた。このあたりが、師と弟子の違い・・・
王子が「ここから”クルン”」と名付けたこの”クルン”の中には、体の中からできるだで多くの関節(隙間)をクルンと回す、というチャンスーの意が隠れているはずだ。クルンと回すのは肩関節から先だけではなく、肩関節よりさらに胴体の内部だ。前回のメモの螺旋チャンスー功を試してみると体の内側のチャンスーが感じられるはずだ。
松沈は開合やチャンスーの完成度を高めるもの。ただの放松だけではなかなか松沈の感覚が掴めない。松沈は時間をかけて丹田に気を沈めて蓄積させていくもの。別格だ、と師父は言っていた。