2023/6/29
首根っこ、と、腰根っこ。
腰の王子が難関というのはこの2つ。ここが内側に”入れば”、腰は自ずから立ってしまう、立腰体操三種の神器はそういう観点で作られている。
頭が前に出てしまう
未開の土地の人達は頭を天に向けてまっすぐ立っているが、それでも加齢とともに植物の花が萎れて頭を垂れてしまうようにその形も崩れていく。
向日葵が天を目指してすくすくと伸びていくのは青年期。見事な花を開かせるのは成熟期。そこから花びらがち次第に頭が垂れていく。それでもすぐには倒れない。茎は頑張っている。初老の時期。そしていよいよ頭の重さに茎が耐えられなくなって傾いていく...
老犬は頭を垂れて尻尾も垂らしてとぼとぼ歩く。
人間も同じだ。
気持ちが晴れやかでなんとなく楽しい、というのが体のエネルギーを引っ張り出してくれる。いつも文句をいったり、嫌なことを考えていると体のエネルギーは低下する。太極拳のベースにある気功法において、七情をコントロールすることはとても大事だが、自分の性質のなかに陰鬱なものがある場合は努力して陽気で快活にする必要がある。心の性質は体に現れてくるからだ。
最近の大谷翔平くんの活躍は目覚ましいが、誰もが彼に好印象を抱くのは、ただ野球がすごいというだけでなく、彼の”性質”が陽気で善であるからだろう。陰気で悪であれば気の流れは滞る。陽気で善であれば心は伸びやか、体もそちらに引っ張られるだろう。
腰の王子の三種の神器は首根っこと腰根っこを意識させずに”入れさせる”ように作られているが、そのためには、王子のインストラクションをちゃんと守る必要がある。視点、イメージするもの、声の出し方・・・ただの冗談ではなく、そこに、”体を引っ張る”要素が入っている。太極拳の套路の中には技が隠れていて、その技を意識することで体が引っ張られるように、そこには、ただ体を動かすだけではない、”意図”が隠されている。
意図を知らずに指示通りやってさえいれば体は開発される・・・
それが通常の鍛錬だ。
タントウ功も然り、三種の神器も然り。
指示通り一万回やれば自ずから通る・・・
が、多くの人は、途中で効果を感じずに中断してしまう。
意味がない、そう思ってしまう。
もしくは、タントウ功がうまくできないから、タントウ功をするための鍛錬の仕方を求めてみたり、三種の神器が今ひとつ手応えがないから、そのかわりになるものを探してしまう。
結局、そうやって何も開発されないままぐるぐる回ってしまう。
正しく立てる体を開発できれば、どんなスポーツをしようがそこそこできてしまう。師父が「私に太極拳の核心を教える」と宣言したのは、私に体の基礎を教える、ということだった。そしてその根幹は、体のエネルギー(気)の溜め方、使い方、だった。
マヨネーズの容器にマヨネーズがいっぱい詰まっていればその容器は膨らんでいる。が、マヨネーズが減ってくると容器に凸凹ができる。つまり、体内のエネルギーが豊満であれば体は内側から弾けるような力があるが(ポンの力)、エネルギーが減ると、体に凸凹ができる(頭が垂れて背中が丸まったり、膝が曲がったりする)。凸凹を直す根本的なエネルギー(内気)を増やしてパンパンにすることだ・・・食べて寝ることも大事だし、エネルギーを漏らさないことも大事(暴飲暴食、生活習慣の乱れ、心配、恐れ、嫉妬、憎しみは気を漏らす)。笑って快活で意欲的であること。やる気がなくなれば体も萎んでしまう。
2023/6/27
「太極拳って中国の公園で朝、大勢の人が一緒にゆっくりと動いている体操ですよね?」
私が太極拳をやっている、と言うと、9割方はそんなイメージを浮かべるようだ。それが武術だ、というのを知らない人も多い。
最近、初動負荷トレーニングを試しているが、そこにいるアスリート出身の若いトレーナー達と話すのがとても面白い。(このトレーニングについてはいずれブログにも書きます・・・) 全身を連携させた合理的な使い方が身につくようなマシーンを使うのだが、それは日常生活やスポーツで使う身体のベースになる。太極拳の動きと似たようなものも多く、太極拳が身体の合理的な使い方を身につけるものであることが裏付けられる。
ただ、一点、決定的なことを知ってしまった。
トレーナーに、バレエや太極拳の演舞での体の使い方について会話をしていた時のこと、そのトレーナーが「表現系のものについては必ずしも合理的な体の使い方をしているとは限らない」と言ったのだ。そういえば腰の王子も「180度べったり開脚は要らない。それをするのは特殊な必要性のある人だけだ」というようなことを言っていた。度を過ぎるような開脚や背骨の反りは体を痛めてしまう。
表現系のスポーツと、球技や陸上、水泳などの競技はどこに違いがあるのか? それは、「発力」だ、と気づいたのはトレーナーさんとの会話からだった。発力に向けて力を蓄積して、その力をどの瞬間でどこに向けてどのくらい使うのか? バレリーナが足を高く上げて蹴っても大して痛くなさそうなのは、”上げる”意識(形を作る意識)はあっても”蹴り込む”意識(発力の意識)がないからだろう。太極拳の套路の中にある、「提膝」(膝上げ)も、”膝を上げる意識””でやってしまうと全身の連動は起こらない、ただの”腿上げ”になるが、前に立っている相手の腹に”膝を蹴り込む意識”(ほんとに発力する気持ち)でやれば、全身が膝一点に向けて働く。
発力を考えずに形だけ考えて動くと、体は局所的な動きの寄せ集めになる。
体は発力に向けて統一される・・・それが、いまさらながらの、意→気→力。
発力(発勁)の練習は後回しにされやすいが、積極的に練習すべきかもしれない。特に春夏は発勁して体を開くのに適している。秋冬は気を溜める時期なので発勁は控えめに。それは養生法の基本だ・・・暑くなってきたからといって冷房のきいた部屋で一日中過ごしていたら体はおかしくなってしまう。夏は朝晩のどこか屋外で発勁して汗も出したいところだ。
↓<参考>1983年 中国武術競技大会 〜7分くらいまで 当時のジェットリーもいる
7分過ぎ〜12分半過ぎ 太極拳の発生地 陳家溝の様子
12分半過ぎ〜15分過ぎ 太極拳の四大金剛のうちの3人が登場
15分過ぎ〜 少林寺
2023/6/26
昨日最後に書いた、手型とチャンスーの話。
散歩中に簡単に動画を撮りました。原理は分かるはず。
2023/6/25
今日の新宿のレッスンでは<沈肩と含胸の矛盾>の話から始めた。
<沈肩と含胸の矛盾>という言葉は最近の劉師父との会話の中で師父の口から漏れた言葉だが、「矛盾があるからこその太極拳だ」と締め括ったのがとても気持ちよかった。
そう、矛盾がなければ太極拳にはならない。それが陰陽であり、その陰陽転換を通じて太極が生まれてくる。大より大きくなったり小より小さくなったりする。宇宙の生成と展開の縮図が体の中で見られるような感じだ。
話をそこまで抽象化しなくても、私なら、弁証法の正反→合、で沈肩と含胸を説明するだろう。
生徒さん達に聞いてみた、「沈肩と含胸の矛盾はどう解消されるのか?」
一番古い生徒さんが、「気沈丹田になります。」と答えた。
これがわかるなら、もう分かっている。
まだ2、3年の生徒さんはぼや〜っとしているだろう。
新しい生徒さんは全くわからないだろう。
皆が分かっているなら私は説明する必要がない。
まだ分かっていない人がいるから、説明に熱が入る。
本当に面白いから是非伝えたいと思ってしまう。
沈肩(肩甲骨を下ろす、垂らすこと)だけを徹底したなら胸や腹が前に飛び出てしまうだろう。体は反る。
含胸をして胸の中に空間を取ろうとすると、胸を凹めるような形になる。(肺の体積をマックスにしようとする・・・肺の背中側と下側にたくさん空気をいれるような感じ。胸を突き出すと背中側に空気が入れられない・・・泳ぐ時に胸を突き出すと沈んでしまう・・・水の中で浮かぶための要領を思い出すと分かりやすい)
2023/6/21 <仙骨を入れる、沈める、斂臀の意味>
太極拳の要領で言われる<斂臀>は、おじぎ体操で言うところの<仙骨を沈める>ということと同じはず。
<斂臀>は決して骨盤を寝かせることではない・・・・
<斂臀>は骨盤を立たせる要領では?
と、この辺りの論点についてストレッチの動きなどを使って説明してみました。
1枚目(上段左端):猫のポーズのように背中を丸くしている。
主に胸椎下部を伸ばしている。
大人だったら、ここから一気に腰を起こして立ち上がってくる。(そして下手をするとぎっくり腰になる。)
しかし、子供は一枚目でいきなり立ち上がったりしない。
2枚目(上段真ん中)
一枚目に比べて腰が下がっている(背骨が水平に近づいている)。
何をしているのか?
子供はここで、今度は腰椎を伸ばしている。一枚目の写真よりもお尻が引き出されている(尖っている)のが分かる。
太極拳の要領でいう、塌腰(腰を垂らす)だろう。
そして上段右端の3枚目。
2枚目との違いは、仙骨が下に沈んでいることだ。
これによってお尻はさらに引き出される(尾骨まで使えるようになる)。
お尻の先端が上がる(骨盤が前回転になり、尻尾が上がったようになる)。
頭からお尻の底(裆)までが一直線につながる。
ここまでセットできれば、あとは頭頂と股を合わせて回転させていけば上体を起こせる。(下段の3枚)
写真に説明をつけると下のような感じ。
2023/6/15 <転び方から学ぶこと>
公園で小さな男の子が何度も転びながら楽しそうに走り回っているのを見ていた。
3歳になるかならないかくらい? この頃の子達は転ぶことが当たり前。お母さんもそれを知っているから転んでも驚かない。私たちが転ぶと一大事。それが頚椎から仙骨までが背骨化している幼児と私たちの違いのようだ。
2023/6/13 <もも裏の伸びと腰痛の関係 お尻ともも裏の境目をはっきりさせる>
おじぎ体操は背骨を伸展させるものだが、下の動画で王子は、<腰痛を根本的になくす>という点を強調している。そのメカニズムが分かるだろうか?
2023/6/9 <脊柱の伸展と仙骨の背骨化>
週一回定期的に行なっているグループのオンラインレッスンでは私の方から課題を出して説明、練習してもらうものもあるが、できるだけ生徒さんたちの方から気になるところ、知りたいことを挙げてもらうようにしている。問題意識のあるところを教えるのが最も手応えがあって私も楽しい。問題意識は前進には欠かせない。
最近は、腰の王子のおじぎ体操を知りたい、というリクエストがあった。通っている整体師からおじぎ体操は腰に良いと聞いたのだけど、どうしてそれが腰に良いのかその理由を知りたいというのが理由だった。
私は一通りおじぎ体操を学んだけれど、特に問題意識のない状態で学んだから大きな効果を感じてはいなかった。なぜ腰に良いのか?と聞かれて即答できるほど深く学んではいなかった。せっかくなのでも一度復習して教えてみよう、そう思いそのリクエストを受けた。
腰の王子のおじぎ体操は入門編から始まって中級、上級とあるようだが、私が学んだのは入門編。大事な要領が5つあったが、それを一つ一つクリアすると最終的には脊椎間の伸展が可能になる。つまり、太極拳でタントウ功をして作る抜背、背骨を垂らして長くすること、をおじぎの形(背骨が地面に水平な状態)で行うのだ。
背骨の伸展は太極拳の基礎だ。椎骨と椎骨の間の隙間を開けることによって背骨は伸展し、それを基礎にして、捻ったり曲げたり、様々な運動が可能になる。もし椎骨と椎骨の隙間が失われているのにむりやり動かせばその部分に負担がかかってしまう。椎骨間の隙間が開いているからこそ太極拳に必要な蛇腹運動、伸縮運動が可能になる。タントウ功で頭頂を上に引き抜きながら尾骨を下向きに垂らすのはまさに背骨の進展のためだ。
が、哀しいかな、大人の私たちの身体の感覚は背骨の伸展をなかなか可能にさせない・・・・
というのは、背骨の意識がすっかり変質してしまっているからだ。
上の左端が本当の背骨。
しかし、私たちの身体の感覚、意識はどうだろうか?
首は首として意識していて背骨として意識できていないのではないだろうか?
同様に、骨盤付近は腰として一塊で捉えられていて、どこに背骨があるのかわからないのでは?
肩甲骨付近の背中の部分が”甲羅”のように固まってしまって、その部分の背骨も意識できなくなっている人も結構いるのではないか?(右端イラスト)
もし、背骨が真ん中や右のイラストのように意識されてしまっているなら、上端と下端が頭打ちになっているので伸展、伸縮は無理だろう。次第に背骨は動きをとめ、胴体は一つの塊になってしまうだろう・・・
そのような状態を打開するのに不可欠なのが、仙骨の背骨としての機能を回復させるということだ。
2023/6/4 <前腕の回外での外し技>
前回のメモに関連して、太極拳の基本的な外し技(反擒拿手)の大事な原理である前腕運動について動画を撮りました。面白いので身の回りの人を使って試してみては?
2023/6/3 <沈肩・墜肘から前腕の回外回内へ>
太極拳の中には擒拿術が含まれている。套路の中にも、握られた手を解く技(反擒拿手)がちりばめられている。
とてもシンプルでよく使われるのが手首を掴まれた時に手首を回して外す技。
見るととても簡単そうだが、実際に生徒さんたちにやってもらうとうまくいかないことがしばしばある。
それは何故か?
それは、手首を回す時に、前腕の回内、回外運動がちゃんとできていないからだ。
前腕の回内、回外については、5/29のブログの最後に紹介した腰の王子の動画をしっかりみてほしい。
「変身!」と両手を回したその動きは何をさせているのか?
それは肩関節を外旋させ、肩甲骨で背中を押さえさせている(沈肩)。
肘は自然に墜ちた形になる。
これで前腕は『回外』になる。(橈骨と尺骨が並行する形)
そこから、肘を脇につけ、両手を「クルン♪」とひっくり返して手のひらを下に向ける。
肘を脇につけたまま両手をクルンと回すと、『沈肩』と『墜肘』を保ったまま指先から肘までを一気に回転させることができる。これで『回内』ができる。
試しに、こうやって『回内』させたあと、また手のひらを上に向けて『回外』、そしてまた手のひらを下にして『回内』、そして『回外』・・・と連続で繰り返してみる。手がパラパラと動くはずだ。指先から肘までが<手>として一体化したまま軸が回転する。これが『回内』『回外』運動だ。王子が指先から肘までを<hand>、肘から肩までを<arm>と位置付けるのはそういうことからだ。前腕は手として、もしくは、指の延長として機能するのが正しい腕の使い方だ。
「変身!」と両手を身体の前で回す時は前屈みにはならないだろう。
わざと前屈みになって「変身!」とやってみると、その違いがはっきりする。
私たちの前屈みの癖は全てを台無しにするんだなぁ〜、というのが最近の私の気づき。
本を読んだり、字を書いたり、パソコンを打ったり、リュックを背負ったり・・・前屈みになる機会はとても多い。目線も下に落ちがち。目線が下に落ちれば頭も前に落ちる。前屈みはそうやって始まる。前屈みになれば、次第に肩は前肩になる。前肩になれば肘の感覚もなくなる。次第に両肩甲骨が開いて背中が盛り上がって猫背になる。肩が正しい位置にあった時は使えていた二の腕が、前肩になるとともに使えなくなる・・・
今日の練習では、引き続き腕の練習をしていましたが、結局、最後は、二の腕(の柔らかいところ)を使えないと立てない位置まで背骨や頭を後ろに引いて立つ、というところに行き当たりました。
私たちは二足歩行をしているとはいえ、四足歩行の身体の使い方がベースに残っている。四足歩行の身体の使い方をすると自然に連動がかかる。仰向けに寝る時も、腰や肩と床の間にスペースができないように寝る、というのを王子がやっていたが、実際、そのように寝ると二の腕の振袖部分にも神経が通る・・・そのまま直立した姿が目指すところ・・・後頭部は思った以上に後ろだなぁ・・・首こり、肩こり治すには肩や首を回すよりも頭の位置を見直した方が根本的な問題解決になると思うのでした。