2024/3/30 <1960年代と現代のバレエの違いから学ぶ>
体の内側の連動=関節の連動=骨で動く、ということを極めているのがバレエかと思う。私も今年に入ってレッスンに通うようになったが、現時点で分かってきたことは、バレエは体をturn out (en dehors) 、簡単に言えば、両腿を外旋させ体を薄くして開くと同時に軸を中心にギュッと集めることにより、体の連動、太極拳で言えば『節節貫通』を可能にしている。遊園地にある回転ブランコのようなイメージだ。
で、ここで、私がずっと紹介したかった衝撃動画を紹介します。
ロシアのマリンスキーバレエのダンサーの踊りの変遷。
最初の1960年のダンサーの踊りと、最後の2017年のダンサーの踊りを見ると随分変わっているのがわかる。
私が見慣れていたのは、2017年系。 昔、マーゴット・フォンティーンやマヤ・プリセツカヤなどの1960年代頃の動画を見た時は、なんだかあまり足が上がってないなぁ、と物足りなかったかた覚えがある。
が、今回、この動画の1960年のSvetlana Efremovaの動きを見て衝撃を受けた。なんて活き活きしているのだろう、心の中から踊っている。これを見てから2017年の現代の踊りを見ると、脚は高く上がるが、活き活き感が少ない。表面でニコニコしているような感じだ。
私の娘に見せたら、現代の方がいいんじゃない?と言ったが、劉師父に見せたら、案の定、1960年のダンサーを絶賛した。比較すると現代は劣っていると。私の主人にも見せてみた。すると、1960年の人は「人間じゃないみたい。別の生き物のようだ。」と言った。現代の人は”人間”だそうだ。
上のyoutube動画のサムネイル画像で二人を見比べると分かることがある。
左側のEfremovaは軸を見てしまうと、右側の2017年のダンサーの軸はまっすぐでない。
比較をしないと分からないが、比較をすると分かる。
Efremovaは頸椎から尾骨まで完璧に分化している。
が、下のGIf動画を見ると、2017年のダンサーは頸椎がまだ分化していない→首が足首までつながっていない。
Efremovaは太極拳の達人レベルだ。2017年のダンサーは普通の老師程度だ。
Gif動画のコマをランダムに抽出して静止画像にすると、どこを切り取ってもEfremovaの軸は完璧だ。それに比べると、2017年のダンサーはポーズをとっている時はある程度軸があっても、ポーズとポーズの間で軸がなくなって美しくない形が見えてしまっている。
1960年代の有名なダンサー達は軸が恐ろしくまっすぐで、体の線が関節の可動域を逸脱せず、無理に曲げたり、伸ばしたり、をしていないのだ。それに比べると、現代のダンサーは無理に筋を引き伸ばして脚を上げたり、腕を動かしたりしている。上の空中ブランコの画像の例で言うと、現代は一枚目、中心と末端が分かれていて、かつ、求心力と遠心力で得られる関節の可動域以上の肩関節、股関節の動きを目指している。一方、1960年代のダンサーは、空中ブランコの二枚目の画像になっている。胴体と四肢が分離していない。体丸ごとで一つだ。
下の左はMargot Fonteyn (https://youtu.be/5MGYgDkoHQs?si=IaJpEirda0JMfOfb)
右は最近のウクライナ国立バレエ。現代のトップレベル。(https://youtu.be/tpSMO2yasY4?si=2FUE5f6d-bV2dRSj)
右のような白鳥を見慣れていると左のMargot FOnteynの白鳥は物足りない感じがするかもしれないけれど、よく見ると、とても正確で、内側からの表現が行われているのが分かる。バレエがアクロバティック的になってしまったのを嘆く人がいるのはこういうところだ。私の想像では、一般大衆ウケするには多少アクロバティック的なことをしないとならない・・・上流階級相手から大衆相手になると変わらなければならないところがある。
現代のバレエダンサーが体を痛めるのはそういうところかもしれない。昔のダンサーの踊り方なら(ちゃんとメソッド通り体を開いていけば)体を痛めなさそうだ。
2024/3/26
今日のオンラインの個人レッスンでは、坐骨を使った体重移動から、それに肘技の要領で体側の連動を加味し、最終的には、丹田回しの時に全身を連動して動けるようにするところまで持っていきました。
かなり長い道のり。肘技の要領を使うと肩甲骨、脇、体側が使いやすい。肘(上腕)が使えるかどうかが上半身の要です。ここがうまくできないと、重心移動もちゃんとできない。逆に言えば、肘がちゃんと使えれば、重心移動はうまくできるし、しゃがんだり、片足立するのの楽ちんになります。蹴り技も然り。 肘というのは上腕であり、肩甲骨であり、鎖骨であり、体側です・・・
夜のオンラインのグループレッスンは、2時間まるごと上腕、肩の練習に費やしました。
簡化だけ学んでいると肩甲骨はほとんど忘れ去られています。ただ腕だけで腕を使っている。これを根本的に是正したい・・・両腕を一本にする、というのは、まず、腕を肩甲骨と鎖骨と連動させて使えるようにするのが第一歩。今日のレッスンの目標は、脇の締め感を失わずに腕を動かす、ということでしたが、なかなか困難でした。
腕で逆チャンスーをかけてから順チャンスーをかけると、自然に脇が絞まります(前鋸筋が稼働する?)=腕と肩甲骨が密着して動くようになる。太極拳の腕の使い方には本来的に腕を肩甲骨とと鎖骨に連動するような要領が入っています。チャンスーはその基本的は要素。
少し前に紹介した加藤修三氏は、順チャンスーを尺骨を外側、小指側に回すこと、逆チャンスーを橈骨を内側、親指側に回すこと、と説明していたような記憶があります。
腕を前にまっすぐ伸ばして、まず腕を内旋させる=正確には肩関節を内旋させます。逆チャンスーです。
腋が深くなるような感じになります。襷掛けをした時の前の肩の斜めのラインが深くなるでしょう。
その後、腕は指先までまっすぐに伸ばしたまま腕を小指側へと外旋させます。肩関節の外旋、順チャンスーです。注意を要するのは、この順チャンスーです。この時しっかり、尺骨を回して、尺骨と上腕骨の連動を通して肩関節まで回すことが必要です。肘が弛んでしまうと、尺骨の回転が上腕の中途半端なところまでしか伝わらず、肩関節がしっかり回転しません→肩甲骨が連動しない、動かない。
今日のレッスンでも、この外旋、順チャンスーを教えるのが大変でした。指先までピンと”力を入れずに””引き抜く”のが難しいよう。手は放松する、と習って、幽霊のような手をしていると、何も連動はかかりません。かといって指に力が入っているのもだめ。手首と手のひらの中を通す必要があります。一人の生徒さんには、ぜひ、腰の王子の「一流の腕使い」の練習を試してみては?と進めました。手首の中と手の平の中の骨を動かす練習ができます。ちなみに、前腕は指でできています。肘から指先まではhand、肩から肘まではarm。腰の王子の言葉ですが、なるほどその通りです。
2024/3/25 <坐骨を使って重心移動の感覚を捉える 坐骨と踵の関係>
昨日の話の続きはちょっと置いておいて、今週のレッスンの内容について少し考えよう。抽象的な話も、まずは体を構造通りに動かせるように努力すること=眠っている関節を目覚めさせ、本当の関節からズレて動かしているところを修正すること。 そのために必要なのが、内気(エネルギー)と体への気づき(意あるいは神経)だ。
体の全ての関節が構造通りに動けば節節貫通となり、体は丸ごと一つ(周身一家)となる。体には癖があり偏りがあるので、歳を重ねていくうちに使えない関節の数は増えていく。使えるところばかりを使うという偏りから腰痛や膝痛などさまざまな支障が生まれる。 太極拳の本来の練習過程には内側から自分の体を観て、内側から体を動かすものが必ず含まれている(内家拳の特徴)。その中でも脊椎関節を意識的に動かせるようにすることは練習の大黒柱だ。周天というのも気を回しながら背骨を一節一節ばらばらにする効果がある。背骨が内視できるようになれば肩関節や肘関節、股関節、膝関節などを内視することも難しくなくなる。関節は内側から意識して初めて構造通り動かすことができる。腕を回しても肩関節は構造通りには回らない。
太極拳の技はそのように内側から体を動かさないとかからないようなものだ。外から見るととても簡単だが、その動きを真似ても技にはならない。それは節節貫通した体を前提としているからだ。逆に言えば、そんな体ができてしまえば、技は次から次へと繰り出されてくる。私自身は中途半端な域にいるが、そのカラクリはよく分かる。師父が私に、「技を教えなくてもいずれ技はできてしまうようになる。」と言ったのは本当だった。ある段階がくれば、套路の中の技が浮き出てくる。技が技にならないとしたら、どこかまだ開発しなければならない体の箇所がある。技から基本功に戻る。としたら、やはり、技を知らずに套路の動作だけなぞるのは、意味を知らずにお経を唱えるようなもので、どこか心を落ち着けられても真の深みには至らないだろう。
書くと頭が整理される。
で、生徒さんたちには何をどう教えよう?
一つは、坐骨。先週も一つのグループクラスでとりあげた。椅子に座って坐骨に乗る練習。坐骨の後ろ、坐骨の上、坐骨の前、そして坐骨の左、右、と座り方を変えてもらった。これは重心移動の際の丹田(腹の内気)の使い方の練習になる。頭を揺らしたり、体をくねらせずに左坐骨から右坐骨へと移動。これは左から右への重心移動になる。
先週はここまでの練習だったが、これを立位で行うようにする。
それには、坐骨と踵を合わせて座れるようになる必要がある。
ん〜、きっとここが難関なのかも。
王子のコマネチスリスリがそれをやらせている。が、ほとんどの人が踵を外して座っている。それではハムストリングス(腿裏)が伸びない。
ハムストリングスは坐骨から膝裏まで繋がっている。そして膝裏からアキレス腱、踵までは足底筋で繋がっている。
坐骨と踵を結びつけるのに難関になっているのは”膝裏”か・・・
膝裏を伸ばすストレッチは圧腿。いわゆる前屈。
これで、坐骨から踵まできちっと伸ばせればよいけど・・・
それには股関節の引き込み(前胯の緩み)が必要。
そこから教える必要がありそうだ。
きっと鼠蹊部の松は大きく誤解されているもののの一つ。
いけるところまでやってみよう。
最終的には、座位で坐骨でやったことが、立位では踵で行われる。ハムストリングスがきちんと起動すれば坐骨と踵は一緒に動く。太極拳で「踵から力が出る」と言われるのは、それがハムストリングス経由で坐骨に届き、体幹部に力が伝わるからだ。重心移動の蹴り脚の動き。
ということで、まずは坐骨と踵の連携を目標に、レッスンをしてみよう。どこまでいけるか楽しみ。
も一つはやはり肩。いや、首かもしれない。
(ここで休憩・・・)
2024/3/22
最新の王子の動画。
太極拳の奥義をそのまま見せてくれています。丸ごと使う、そのための関節の意識、関節の連動。鮮やか!
その動きは、過去に紹介した陳項老師の動画と同じ。
前回の楊老師の推手はその動きの基本練習。
改めて太極拳の向かう道を思い出させてもらいました。
2024/3/18 <重心移動 師から学ぶ>
再度、杨振铎とその弟子の動画。
←杨振铎老师の推手。
進歩と退歩を繰り返すものだが、重心移動も鮮やか。
本来の太極拳は足捌きが絶妙。
知らないうちに嫌なところに足が差し込まれている。足に目があるかのよう。
私自身はそこまで練習が至っていないけれども、師父には随分やられたので知っています(苦笑)
この動画の推手を見ても、相手の男性の足はもたついている・・・杨振铎の足は全く迷いなく差し込まれていく。腕と脚、手と足は同時。ついでに言うなら、体も手も足も丸ごと同時です(最終的には)。相手の男性の方は手足胴体が少しバラバラなのが見えるでしょう・・ 太極拳が最終的にどこに向かっているのかを知っていると、練習の仕方も間違えないと思います。くれぐれも、大会で良い成績をとろうと思わないように。大会には大会特有のルールがあって本来の太極拳からは乖離するので。
2024/3/15 <重心移動についての根本的な考え方 私見>
体重移動あるいは重心移動というのは二足歩行の私たちにとってしばしば問題になるところだ。水中にいる魚類にとって体重移動は問題にならない。足がないからだ。では爬虫類や四つ足動物は?と考えると、体重移動はしているのだろうが、人間ほど問題にならないだろう。
ムカデと犬、そして人間を想像すると、脚が短く本数が多ければ胴体が歩いている感覚に近づき、脚が長く本数が少なくなるほど脚で歩いている感覚が強くなるだろう。胴体で歩いている感覚(人間なら腹這いで這っている状態など)の時は重心移動は問題にならない。重心移動が問題になってくるのは、”脚で歩いている”感覚が強い場合だ。
私たちは皆、ハイハイ時代を経由して立ち上がって歩き始めた。
最初立ち上がった時は、立ち上がって静止することさえ困難でゆらゆらしていた。歩き始めた時もやはりゆらゆら不安定だった。どうにかして立っていられるバランスを見つけ、歩いても倒れないバランスを見つけ、練習を繰り返し歩けるようになった。
<上の立ち方はタントウ功にとてもよく似ている。いや、タントウ功はこの原点の立ち方を取り戻そうとしているのだろう。筋力ではなくバランスで立つ、腿ではなく、足で立つ。タントウ功にはゆらゆらしながら固まった筋肉を解いていく役割もある。>
こうやって重心を保って立てるようになるとほどなく歩き出す。
ゆらゆらしながら危なっかしげに歩いている赤ちゃん。前に進みたい、という気持ちが胴体を前に運ぶ。けれど脚がうまくついてきてくれない。頭と胴体が先に歩いて後から脚が追いかけるような姿が特徴的だ。
(動物もハイハイ時代の赤ちゃんも同じだが、動物が動く時は、頭から動く。目や耳、鼻などで得た情報をきっかけに、こっちに向いて動こうという意思が生まれ、それによって頭の向きが変わり、そちらに向かって前足と胴体が動く。後ろ足はすかさずついていく。)
このような歩き方の時は重心移動は問題にならない。
転ばないようにただ重心を保つ意識だけだ。
以上のように考察をした上で、改めて、何故私たちが歩行や太極拳の時に「重心移動」を問題にするのか?と考えると面白いことに気づく。
本来は、二本足で立つ私たちにとっては、「どうやって重心を保つのか?」というところが大問題。鉛筆を寝かせて置くのは簡単だが、鉛筆を立てたままにしておくのは難しい。
赤ちゃん時代はその課題をクリアするために頑張ってきたのだが、あるところから、立って歩くことが自然になって「重心を保つ」ということは問題にならなくなった。子供時代、体は自分が思うように動いてくれる。上半身と下半身という区別はない。そして、大人になる頃には、上半身と下半身の区別ができる。ジャンプしても体が重いとか、脚が思うように動いてくれない、という感覚が起こるようになる。
「重心移動」という概念が生まれるのは、上半身と下半身が分断した後の話だ。
全身が丸ごと一つになっている幼児時代は、魚類と同じで、胴体で動いているようなもの。その時には立位に伴う「重心を保つ」という感覚はあったとしても、「重心移動」という感覚はなかったはずだ。「重心を保ったまま移動すれば進めてしまう」のだから。
では太極拳の練習で、「重心移動」として教えているのは何なのか?
左から右に移動する時は左足はこうこう、右足はこうこう・・・と論じたりするのだけど、実際には、「重心を保ったまま移動すると左足や右足はこのように動く」というところの下半身の部分だけを論じているに過ぎない。そのように動くのは、”重心を保とうとして動いている”からなのだ。
赤ちゃんの時はゆらゆらしながら重心をとっていたが、幼児になる頃にはそのバランスをとる術も身につき苦労もなくなる。が、その後、様々な活動をするうちに、ゆらゆらバランスのセンサーは消え、筋力で背骨を立て、脚力で歩くような体になっていく。大人になれば、体は筋肉の固まり、ゆらゆらバランスのセンサーは皆無になっている。
ここから逆行するかのように、またあのゆらゆらバランスを戻そうとするのが、本来の太極拳の道だ。道教となじみが深いのは、それが老子の無極に復帰する、原点に戻る、という言葉と合致するからだ。ガチガチの体を柔軟にする、ガチガチの脳を柔らかくする、既成概念にとらわれない道・・・
3/12のブログで楊振铎老師の動画を紹介したが、その中の弓歩での重心移動の教えは、動画の中の弟子には(その時点では)伝わっていなかった。
つまり、左の画像のように、弓歩であれば、この場合は前後(横の弓歩なら左右)に揺らすことができる。
これは体の重心を保っている証拠だ。
これに対し、上の弟子のような形だと、前に進めても急に後ろに下がれない。胴体の重さを赤ちゃんのように股で支えず、代わりに腿で支えているからだ。これは上半身が固まっているのが原因。
師と弟子の根本的な違いは胴体だ。
師の胴体は赤ちゃんのように放松している→胴体が先に動いている
弟子の胴体は硬直している→上半身は固まって、脚で体重移動をしている
↓下のGIFでその違いが分かるかな?
師の体は水中でも沈まずにいられるような感じ。それは冒頭の立ち上がった赤ちゃんと同じ。胴体が気で膨らんでいるのだ。
これに対し、弟子の方は、力が入り過ぎて水の中に入れたら沈むだろう。胴体が重過ぎて脚に過度の負担がかかる。素早く動けない。(太極拳はゆっくり動くのを目標にしているのではなくて、ゆっくり正確に動く練習をすることで、素早く動くことができるようにするのが目標です。)
結局、体を固めていては重心がどこにあるのかわからない。ゆらゆらするのが怖いからといって固めたままでは本当の養生法にはならない。体を固めて重心がないまま歩けば脚だけで移動することになる。上半身はただの荷物になる。本来は頭、胴体から動くもの。そのあたりの誤解を解く必要がある・・
2024/3/14
昨夜のオンラインでは、腕の付け根の使い方の要領を2時間(も)かけて教えました。
腕の付け根を上手く使うと脇が引っ掛かる、あるいは脇が伸びる。
この感覚を教えるために、腰の王子の仙骨コスリをやってもらったり、ヨガのチャイルドポーズを使ったり、両手を上げて壁につけ、スパイダーマンのようになったまま両手の位置を変えずにしゃがもうとする練習、そんなことをしながら、脇が伸びて肩甲骨下縁ならあたりに引っ掛かるのを確かめてもらいました。(ちなみに王子のコマネチスリスリの上腕使いもそれを狙っています)
ここが引っ掛かることで、腰を緩めて中腰になった時に背骨が伸び(抜背になり) そのまましゃがんだ時は下半身に負担がかかりません。
脇が引っかからずに中腰になると上半身が重くなりその重みが股関節に乗って股関節の隙間が潰れてしまいます。その結果、膝に過度な負荷がかかります。
上半身を軽くするには脇を引っ掛かる、肩甲骨と鎖骨、上腕からなる肩包体を肋骨から引き離す必要があります。
それには含胸と抜背が必要です。
が、なかなか含昔と抜背の感覚ははっきりしないので、先に脇の引っ掛かりを会得した方が簡単だと思います。肩甲骨下縁横の脇が引っかかった時は含胸になっている、そのまま脇を外さずに腰を伸ばしていけば(緩めれば)抜背です。
実は脇が引っ掛かる時は肩甲骨が下方に引き摺り下ろされています。これが沈肩です。
肩甲骨の動きが悪いと脇が引っ掛かかりづらいですが、少しでも引っかかったら、そこから少しずつ感覚を強くしていくように練習していくことが大事です。
少しでも隙間が空けば、そこから隙間を広げていけます。そして別の隙間と合体、連動していきます。
隙間を見ていくこと、これが内視です。
筋肉だけを見ていてはいつまで経っても内視はできません。
2024/3/12 <杨振铎老师を見つけた!>
先に紹介した師の名前は杨振铎。なんと楊式太極拳の大师 杨澄莆の息子、楊式太極拳始祖の楊露禅の曽孫でした。亡くなったのは2020年(95歳)。つい最近・・・
楊式太極拳は最も普及しているのだけど、本当にすごいと思う師を見たことがなかった。杨澄莆は写真を見るとすごいのがわかるが、残念ながら動画がない。今日、杨振铎の動きを見て、初めて正しい楊式太極拳の動きを見られた!と感動したのでした。
ラッキーなことにこの師が細かく教えている動画が残っています。
一言一言が私にとっては宝石のよう・・・感動的。
気になる箇所をいくつか抜き出してみました。
ここは抜背について説明しているところ。
含胸をしないと抜背ができない、背中の力が使えない。
腕は抜背によって支えられている。
しかし腕の力は含胸・抜背だけでは足りない。下半身が繋がらなければ根っこがなく弱い。
そこで松腰、松胯をして、上半身と下半身を繋ぐ腰の部分を上下に伸ばし腰椎の凹んだところが突出する(命門が開くということ)。
それができれば、腰が身体を動かす主宰となる。
そして注目すべき弓歩の説明・・・
<弓歩の前腿について>
虚足を前に出す時は、踵から地に降ろす。
踵が地面に着いたら次第に重心は前に移動し、
足首が平らに地面を踏んで
五本の指が地面を掴んだら
膝を前方に突き出す。
足全体がゆっくりぴんと張ったら脚は弓になる。
これが弓歩だ。
どのくらい弓になるのかというと
膝と足首は垂直ではない、膝は少し前だ。
しかし、足先は越えない。
<弓歩の後腿について>
後腿は前腿に対応している(ばらばらではない)
右腿が蹬(ペダルを踏むように踏むこと),左腿に重心移動
→実になった左腿が蹬(踏む)
→実腿は”蹬” 虚腿は”正”になってから
→右腿に坐る
右腿重心で、虚の左足が地面につたら
実の右腿は(地面を踏むことによって)その全ての勁を左腿に送り出す。
左腿はその勁を接受しなければならない。
左腿が送ったなら、右腿はそれを受けなければならない。
それができないと、「空蹬」(無駄に地面を蹴った)だ。
現在の生徒さんたちは、弓歩の”弓”が”弓”ではなく真っ直ぐだ。これは空蹬垂直だ。
この左腿が弓として出された後、その膝頭は足先を越えてはならないが、それだけでなく、後腿は蹬出去(踏み切る)必要がある。後腿には伸びと拡がりがある。
ただ”展”(拡がる)といっても、「不挺」(真っ直ぐに伸ばしきってはいけない)。
真っ直ぐに伸ばしきらないことで、
「前蹬后撑」(前が踏んで後ろが突っ張る)あるいは「 前撑后蹬」(前が突っ張って後ろが踏む)となり、前後ろが一緒になって、少し揺すればとても安定感があり気持ちがよい。
これらの弓歩の、特に赤字で書いた部分はとても重要、太極拳の要で、現在忘れ去られているのかと思われる箇所だ。
実際、楊振铎と一緒に出ている生徒さんはまさにそれができていなかった・・・・どういうこと? (日本人の私が言うのは憚れるが)本家本元で継承されるべきものが継承されなくなっていくのは残念・・・
2024/3/12
本来の太極拳と現在普及している太極拳(体操)との違いが分かる動画を見つけました。https://youtu.be/CPfZRKD81j8?si=3y90rSN0bcgWnQzJ
師と生徒は全く違う体の使い方をしています。
師は普遍的な合理性のある体の使い方、生徒は太極拳競技の中でしか通用しない体の使い方。なぜ放松が必要と言われるのかが見て取れるはず。形は内側の現れです。
2024/3/8
足首の背屈と底屈をしっかり自覚してもらうために、私は生徒さんたちに爪先立ちをしてもらうことがある。
”爪先立ち”というと、下のようになる人が多い・・・
本当は、”爪先立ち”でなくて、”踵を上げて”ほしい。
そこで、今度は、”踵を上げて”と指示してみる。
ここで、ちゃんと踵を上げられる人もいれば、、その前にやった爪先立ちと全く同じことになる人もいる。
爪先立ち、というのは、踵(踵骨)を上げていった結果に起こること。
問題は踵をちゃんと上げられるか? というところだ。
一度、この二種類の爪先立ちの違いを知れば、踵の使い方が頭では理解できるはずだ。
実際、今週オンラインで教えた生徒さんたちも、この比較を通して、初めて足裏が膝裏と繋がることが分かった、とコメントをくれた。
太極拳において、「踵から力が出る」というのは、まさにこのような踵の使い方だ。
踵をぐるっと回り込んで使えるようになることで、足裏が膝裏まで繋がり、脛が立ち上がるのだ。踵を踵骨の地面に触れる部分、と思っていてはいつまでたっても踵の凄さが分からない。
いろんな人がそれぞれの説明をしていますが、目指しているところは同じなので、別の方のブログも参考に載せておきます。https://north-sun.net/syoujyou/asi/kat-asi/5063
腰の王子が、踵の骨を第六の足指にする、と言うのも同じこと。
2024/3/4
足、足首はとても蔑ろにされている。
膝が痛むのも、股関節が痛むのも、腰が痛むのも、まずは足首、足の硬さから来ていると思っても間違いではない。
足、足首、そして、首は、人間の成長過程であっという間に硬くなる。他の筋肉でカバーするようになる。
身体が硬くなったと思った時には足指はもう固まっている。足指が固まれば足首も固まっている。
若い時にそんなことも知らずにスポーツに勤しんだ。
足の大事さに気づいたのは太極拳をやり込んでから。
師父は、足が体の全てを知っている、と言う。
今の私はそれがよく分かる。
足を見れば功夫の高さが分かる。
骨で動いているのか、肉で動いているのか、足首以下を見れば一目瞭然だ。
先週、先々週と、距骨の動きである背屈、底屈と、踵骨の動きである踵の関節の動きを生徒さん達に教えてみた。
マニアックだが、とても大事だ。
背屈はパー
底屈はグー
鳥の足指は踵の方に回り込んでいる。
何故か? 枝を掴むためだ。
これがグー。
踵を第6の指にする。
グーは6本の指で行う。
踵で掴めれば足根骨も使えているだろう。
これが底屈。太極拳の基本的な虚歩の足型だ。擦脚もこれ。
そしてそこからパーにしたのが背屈。
地面を蹴り込む時の足の形。
太極拳の蹬脚が分かりやすいだろう。
重心移動の時の足はグー、パーが滑らかに、波のように変化していく。
足はひれをつけて泳いでいる時の足ヒレのように波状に動く。足の中の骨がバラバラになって全ての関節が使われた状態だ。
これは理想で私も全くそこには及ばないが、日々努力するしかない。スクワットをして臀筋や太ももを鍛えるよりも、足首の中や足の中の骨を割るようにしゃがんでいく練習をした方が良い。実際、太極拳の動きはそうなっている。
続く...